ネイチャーツアー,思いっきり雪遊び,雪中キャンプ,雪山トレッキング・・・,子どもからおとなまで、雪のフィールドで思いっきり遊んで、森を知る,動物を知る,雪を知る・・・,大町市『森のくらしの郷~千年の森』でこの冬もパワフルに展開されるユニークなイベントの総案内ナノダ!。
第1弾~冒険教室特別版『北アルプス白銀の森のネイチャーツアー』・・・1/19(土)
~冬の生き物たちの生命力に出会う~
雪の森でしか見られない、感じられないことがいっぱいあるんだ! 厳しい冬に耐えているその仕組みを学ぶだけでもおもしろいけど、雪の上で行われる生き物の生活ぶりが全部白い雪に記録されているから、それをたどることで、森の樹木や野生動物を十分感じることが出来る。今回は都会から来た自然が大好きなお兄ちゃんお姉ちゃん達がみんなを森の中へ案内してくれるよ!
◆ 対 象 小学校4年生以上~大人
◆ 集合解散の時間 10:00 集合 14:00解散
◆ 集合解散の場所 「森のくらしの郷」入り口
◆ 参加費 無料
◆ 他は、いつもの日帰りと同じです。(次項参照)
第2弾~おおまち雪まつり協賛『雪のネイチャーツアー』
2月24日(日) 9:00~12:00
集合・解散 大町温泉郷観光協会前
白銀の森を、スノーシュー(西洋かんじき)をはいてゆっくり歩きます。雪は、この時期しか歩けないようなところにすいすい僕らを案内してくれます。静寂な森では、雪の上にはリス、テン、カモシカ、サルなどの動物たちの足跡やいろんなものを食べた痕がいっぱい。動物たちの息遣いを感じるように思えます。一番よく出会えるカモシカの場合、今回のコースで遭える確立は50パーセントです。
スキーウェアにスノーブーツなどの雪の上を歩ける服装でご参加ください。
スノーシューはこちらで準備しています。(無料)
持ち物:雨具・おやつ
参加費500円
対象 小学1年生~大人まで
第3弾~千年の森自然学校「冬のイベント!」
今年も山は銀世界へと変化しました。気温が下がり、小屋の中でコーヒーを飲んで縮こまる大人達。それを尻目に、雪に突進しながら遊びまわる子ども達のバイタリティといったら!かまくら作って、雪合戦して、夜は暖かいお鍋を囲む・・・これぞ自然の用意してくれたエンターテイメント!大人も思わず童心にかえる最高の季節です!
その1~1/13(日)三連休中日 ひたすら雪遊び!
待望の雪の季節が始まった! まずはとことん雪あそび!カマクラやソリ、そして雪の斜面にジャンプ!雪はこの時期しか味わえないので思いっきり遊ぼう! 昼は暖かいお鍋を楽しもう。
その2~2/9(土)~11(祝)もりくら冬親子キャンプ
三連休で雪中キャンプやります。(小屋泊) 今回は本格的な冬の森の遊びと学びを体験します。雪の上に残された足跡を追って、動物を追跡する。新しい足跡さえ見つけられれば、その先に動物がいる可能性大!(高学年・中高生・大人には地図やGPS、天気図など本格的な講習をやります。) ソリやクロカン、スノーシューもやるし、2日目の夜のスノーパーティは幻想的。日帰りでも1泊でも2泊でもOK!子どもだけでも、大人だけでも、ご家族でもOK お待ちしています。
その3~3/15(土)前越平へトレッキング!
見通しの良くなった森の中、かんじきやスノーシューを履いて前越平までトレッキング!また、夜20:00からは大町温泉郷で雪祭りをやっているので、みんなで見に行くのもいいですね。
参加要綱
◆対 象 小学校1年生~大人まで
◆集合解散 森のくらしの郷 三棟の小屋前
(大町エネルギー博物館手前の橋を渡って左の前越林道へ入ります。)(雪で入れないときは入り口にて集合・解散)
日帰り行事の時:当日9:00/16:00
キャンプ(宿泊行事)の時:初日13:00/最終日11:00
◆参加費 日帰り:1人1000円(親子参加の場合1人500円)
キャンプ:1泊2日1人3000円 2泊3日1人5000円
◆持ち物 昼食の主食(おにぎりなど/日帰り行事のとき)雨具、汚れてもいい服装。(これからの冬場はスキーウェア) 手袋、帽子 持ち物は必ずザック(ナップサック)など両手の開くものでご持参ください。あれば寝袋(キャンプの場合)
※宿泊の場合は必ず1週間前までにご連絡下さい。
保険の関係で対応できない場合があります。
主催 千年の森自然学校 〒398-0001長野県大町市平2811-8(大町温泉郷入り口「いろり」2階)
咳が止まらなくなって2ヶ月に及び、ついに半袖を諦めた。自分の感覚では半袖でいても寒くはないのだが、咳をしながら半袖でいるのはどうにも格好がつかなくてやむなく2枚目を着ることにした次第。たった1枚の重ね着でも肩が凝るのに閉口している。
薄手の長袖シャツを1枚羽織ると幾分咳が和らぐところを見ると、寒いと感じていなくても皮膚への寒冷刺激が咳の引き金になることは確からしい。かと言って長袖を着たら咳が止まったかと言うとそうでもない。
30代で冬山に登るようになってから、耐寒訓練の意味もあって年内は半袖で通してきたので、12月中に長袖シャツを着たのは30数年ぶりなのだが、冬中半袖で通していた訳ではもちろんなく、年が明けてから2枚着ていたのを1ヶ月前倒ししたと言うだけのことだ。
けれどもいつの間にか『あいつは真冬でも半袖だ』等と言うデマが飛び交い、虚像が振りまかれたりする。世間には本当に真冬でも半袖1枚で颯爽と自転車に乗っている人もいるのだから、そう言う『本物』の人に対して失礼な話しだ。
自分は寒さには人より少し強い方かも知れないが、信州の人には寒がりさんが多く、私から見れば異常に寒がるような気がする。一般に寒い地方の人ほど寒がり、逆に暑い地方の人ほど暑がる傾向があるように思う。
自分は暑さにはからっきし弱いので、夏は涼しい山の上に逃げことにしている。
薄手の長袖シャツを1枚羽織ると幾分咳が和らぐところを見ると、寒いと感じていなくても皮膚への寒冷刺激が咳の引き金になることは確からしい。かと言って長袖を着たら咳が止まったかと言うとそうでもない。
30代で冬山に登るようになってから、耐寒訓練の意味もあって年内は半袖で通してきたので、12月中に長袖シャツを着たのは30数年ぶりなのだが、冬中半袖で通していた訳ではもちろんなく、年が明けてから2枚着ていたのを1ヶ月前倒ししたと言うだけのことだ。
けれどもいつの間にか『あいつは真冬でも半袖だ』等と言うデマが飛び交い、虚像が振りまかれたりする。世間には本当に真冬でも半袖1枚で颯爽と自転車に乗っている人もいるのだから、そう言う『本物』の人に対して失礼な話しだ。
自分は寒さには人より少し強い方かも知れないが、信州の人には寒がりさんが多く、私から見れば異常に寒がるような気がする。一般に寒い地方の人ほど寒がり、逆に暑い地方の人ほど暑がる傾向があるように思う。
自分は暑さにはからっきし弱いので、夏は涼しい山の上に逃げことにしている。
登波離橋
登波離橋由来
登波離橋は十針橋,妬張橋,妬割橋等とも書く。それは、妾妻きよ女が正妻ふじ女をこの橋から突き落として殺そうとしたことを察知したふじ女が、自分ときよ女の袂を十針ほど縫い合わせておいたため、突き落とされたふじ女と共にきよ女も谷底に落ちて死んだと言う伝説に由来するもので、以来この谷には一身二頭の蛇が現れるようになり、また1本の根に2本の幹を持つ松が生えるようになったなどと言われ、他にも鳥放橋,蛇橋等の異名を持っている。
この橋は谷川にかかる橋ではなく、ここまでの尾根の東面に連続して見られる大崩れによって出来た崖と崖を結ぶ橋である。誰によっていつ架けられたかは定かでないが、往昔から数度の架け替えが行われており、現在の橋は1976年に架けられたものである。
田ノ入遠望
旧白駒城址
はるか彼方にこ一連の大崩れの基点である田ノ入峠の崖を望む。登波離橋は大崩れの一方の端に当たり、両者間は直線距離にして2kmを越えると思われる。
白駒城は樋口行時(鎌倉時代),正妻ふじ女,妾妻きよ女等の居城。
展望台方面
展望台
途中にあった展望台。右(下)の写真の中央右の崖が展望台のある位置。左の2つのピークの部分だけは東斜面に大きな崩れが見られない。道はこのピークの西(裏)側を迂回している。
この辺りの地名が面白い。小実平は『こじっぺ』と読む。では有明は・・・? 『ありあけ』ではなく『うみ』と読む。『うみょう』⇒『うみ』となったのだろうか・・。
14:10発。八代峠に向かって元の道を引き返す。14:30,車道から山道へ入り、15:15八代峠着。
今日は小雨後小雪,その後晴れて暖かだったり曇って寒かったり・・,ぶっつけ本番で予定外の登波離橋まで足を伸ばして奇勝,景勝を楽しみ、ほどよい行程でいい汗をかいた。
登波離橋由来
登波離橋は十針橋,妬張橋,妬割橋等とも書く。それは、妾妻きよ女が正妻ふじ女をこの橋から突き落として殺そうとしたことを察知したふじ女が、自分ときよ女の袂を十針ほど縫い合わせておいたため、突き落とされたふじ女と共にきよ女も谷底に落ちて死んだと言う伝説に由来するもので、以来この谷には一身二頭の蛇が現れるようになり、また1本の根に2本の幹を持つ松が生えるようになったなどと言われ、他にも鳥放橋,蛇橋等の異名を持っている。
この橋は谷川にかかる橋ではなく、ここまでの尾根の東面に連続して見られる大崩れによって出来た崖と崖を結ぶ橋である。誰によっていつ架けられたかは定かでないが、往昔から数度の架け替えが行われており、現在の橋は1976年に架けられたものである。
田ノ入遠望
旧白駒城址
はるか彼方にこ一連の大崩れの基点である田ノ入峠の崖を望む。登波離橋は大崩れの一方の端に当たり、両者間は直線距離にして2kmを越えると思われる。
白駒城は樋口行時(鎌倉時代),正妻ふじ女,妾妻きよ女等の居城。
展望台方面
展望台
途中にあった展望台。右(下)の写真の中央右の崖が展望台のある位置。左の2つのピークの部分だけは東斜面に大きな崩れが見られない。道はこのピークの西(裏)側を迂回している。
この辺りの地名が面白い。小実平は『こじっぺ』と読む。では有明は・・・? 『ありあけ』ではなく『うみ』と読む。『うみょう』⇒『うみ』となったのだろうか・・。
14:10発。八代峠に向かって元の道を引き返す。14:30,車道から山道へ入り、15:15八代峠着。
今日は小雨後小雪,その後晴れて暖かだったり曇って寒かったり・・,ぶっつけ本番で予定外の登波離橋まで足を伸ばして奇勝,景勝を楽しみ、ほどよい行程でいい汗をかいた。
高台から登波離橋遠望
諏訪神社の少し東にあるゲートボール場を兼ねた公園に下山用の車を停めておいた。その公園に着いたのが11:50。ちょうどいい時間となり12:30まで昼食休憩。
午後の時間がたっぷり空いたので、東山丘陵の尾根を横断する切通しのある八代峠に移動し、登波離橋までのハイキングコースを歩くことにする。その登波離橋はこの高台から見えている。
八代峠
登波離橋へ
八代峠発12:52。階段を登って7つ目,8つ目の崖の縁を歩く。こちら側からも諏訪神社のある高台がよく見えているが、その先には大きなピークが2つあり、道がその西側を巻くようについているので崖の様子はしばらく分からなくなる。
落ち葉が分厚く積もった快適な道なのだが急な登り下りが結構あり、濡れた落ち葉が意外と滑りやすい上に表面の土も粘土を練ったような状態で何度か転んだ。
20分ほど歩いて2つのピークを越えると『⇒展望台』と言う標柱があり、崖っぷちから東側を見ることが出来る場所に出る。
展望台はハングの上
登波離橋近づく
展望台と言っても崖の上にちょっと張り出した部分に松の木が生えているだけでその下には何もない。しかし、そこからは登波離橋方面に向けて崖が連続している様子がよく分かった。
13:25,突然山道が終わって非舗装の車道に出る。これは池田町相道寺から登波離橋を渡って生坂村に至る道で、この道を20分歩けば登波離橋である。13:55着。
ここまで山道
登波離橋
土柱の足元を廻って北側の尾根に這い上がり、土中を背景に記念撮影するも折悪しく逆光になってしまった。
逆光
東に25~30°傾く地層
フォッサ・マグナの隆起が始まる以前は新潟から長野市辺りまでが入り込んでいた入り江に、北アルプスから直接川が流れ込んでいたと考えられている。北アルプスの山麓には、西から東に向かって広がる大扇状地が連続しており、継子落しのある地域もその一部だったものが、その後隆起したものと考えられる。
この一帯の地層は握りこぶし大から人頭大の礫を含んだ砂礫で、この礫は北アルプスの中南部から運ばれて来たものであると言われ、厚さは500m以上もある。扇状地では水は浸透して枯れるが、扇状地の末端部で湧出していわゆる安曇野の湧き水となる。
北アルプスからの流れは平野部に出ると急に勾配がゆるくなって砂利の運搬力が弱くなり、大きいものから徐々に堆積して行くので、礫の大きさから大まかに流れの強さや勾配が推測できる。近くの大峰山には50cm以上の巨石が運ばれているところから相当なあばれ川だったと推測されるが、犀川方面に進むにつれて礫層が次第に少なくなり、やがては泥岩を含んだ砂岩に変わる。それは、礫層よりも穏やかな堆積で、おそらくは湖のような静かな水中であったものと推測される。
継子落しや登波離橋の奇観は80万年前から始まったフォッサ・マグナの隆起の中で形成された大峰帯の隆起に伴って出来上がったものと考えられる。
11:20発,第3の崩れの上からママコザウルスを覗き込み、第4の崩れの縁を辿って進むと道が東に折れ、左手の壁に上がって北を望むと第5,第6の崩れを見る。
やがて道が下り始め、『魔々心落し』の標識を見る。時間が早いので諏訪神社先の公園まで下って昼食を摂ることにする。
11:40,建築中のレストランまで下る。今日も犬達がやかましく出迎えてくれ、つられてオーナーも出てきたので挨拶して歓談する。
逆光
東に25~30°傾く地層
フォッサ・マグナの隆起が始まる以前は新潟から長野市辺りまでが入り込んでいた入り江に、北アルプスから直接川が流れ込んでいたと考えられている。北アルプスの山麓には、西から東に向かって広がる大扇状地が連続しており、継子落しのある地域もその一部だったものが、その後隆起したものと考えられる。
この一帯の地層は握りこぶし大から人頭大の礫を含んだ砂礫で、この礫は北アルプスの中南部から運ばれて来たものであると言われ、厚さは500m以上もある。扇状地では水は浸透して枯れるが、扇状地の末端部で湧出していわゆる安曇野の湧き水となる。
北アルプスからの流れは平野部に出ると急に勾配がゆるくなって砂利の運搬力が弱くなり、大きいものから徐々に堆積して行くので、礫の大きさから大まかに流れの強さや勾配が推測できる。近くの大峰山には50cm以上の巨石が運ばれているところから相当なあばれ川だったと推測されるが、犀川方面に進むにつれて礫層が次第に少なくなり、やがては泥岩を含んだ砂岩に変わる。それは、礫層よりも穏やかな堆積で、おそらくは湖のような静かな水中であったものと推測される。
継子落しや登波離橋の奇観は80万年前から始まったフォッサ・マグナの隆起の中で形成された大峰帯の隆起に伴って出来上がったものと考えられる。
11:20発,第3の崩れの上からママコザウルスを覗き込み、第4の崩れの縁を辿って進むと道が東に折れ、左手の壁に上がって北を望むと第5,第6の崩れを見る。
やがて道が下り始め、『魔々心落し』の標識を見る。時間が早いので諏訪神社先の公園まで下って昼食を摂ることにする。
11:40,建築中のレストランまで下る。今日も犬達がやかましく出迎えてくれ、つられてオーナーも出てきたので挨拶して歓談する。
継子落しのスリバチの底をを上から覗くと侵食された際に残った部分が恐竜の背のような形状を呈している所がある。越さんがこれに『ママコザウルス』と言う絶妙な名前をつけた。
継子マップ
23日予定の月例山行は悪天候のため中止となり、1日ずらして翌24日にグループ山行として実施。そのため、参加者は当初予定の半数以下の5名とになった。
12月24日8:57,クラフトパーク出発。パラパラと小雨があり、しばらく後に小雪に変わる。9:35,尾根歩きコースに入り10分で大穴の崩れを見て通過。さらに10分後,地図を見ていた篠さんが大穴山に三角点があることを発見し、ここで記念撮影。薮山には珍しい二等三角点だった。
大穴山三角点にて
大穴大明神泉福寺
10:10塚の原古墳を見る。古墳は大穴山の直下にあり、この古墳をまっすぐ下った所に大穴大明神・泉福寺と言う大きな寺がある。
(但し,お寺の図で見ると三角点のある山は茶臼山である可能性もある)
10:20,予定より40分も早く田ノ入峠に着く。そのまま田ノ入城址のある継子落しの大崩の縁に出てそこから縁に沿って進み、2つ目の大崩の途上にある土柱の根元をずり落ちそうになりながら強行突破して土中の南側から北側に出る。
土中を真下から仰ぐ
土中の根元を通過
土中の肌は礫
恐竜の背を思わせる面白い地形に、越さんがママコザウルスと命名。
ママコザウルス
何の実?
モンゴリナラ定点撮影,春
モンゴリナラ黄葉
モンゴリナラ晩秋
海上の森をはじめ東海地方ではよく『モンゴリナラです』と説明を受けることがあるが、モンゴリナラは正体不明の木である。
ブナ科の樹木でミズナラやカシワによく似ているが、葉っぱの鋸歯が大きく深く、葉の裏にカシワのような毛はなく、またコナラと違って葉柄がほとんどないので葉が枝に直接ついているように見える。ミズナラと違ってドングリの先端がへこむ登言う特徴がある。
黄葉
モンゴリナラについては独立種とするもの、ミズナラの低地型とするもの、ミズナラの原種とするものなど諸説が入り乱れていて、専門家の間でも定説はない。
『レッドデータブックあいち』では『現在のところまだ個体数は多く、場所によっては優先種になっているが、分布域全域にわたって宅地造成、工場用地造成、珪砂の採掘など強い開発圧にさらされており、その点で将来の存続が懸念され』としているが、紺屋田の森のモンゴリナラはまさにそのすべてに当てはまっている。
モンゴリナラ黄葉
モンゴリナラ晩秋
海上の森をはじめ東海地方ではよく『モンゴリナラです』と説明を受けることがあるが、モンゴリナラは正体不明の木である。
ブナ科の樹木でミズナラやカシワによく似ているが、葉っぱの鋸歯が大きく深く、葉の裏にカシワのような毛はなく、またコナラと違って葉柄がほとんどないので葉が枝に直接ついているように見える。ミズナラと違ってドングリの先端がへこむ登言う特徴がある。
黄葉
モンゴリナラについては独立種とするもの、ミズナラの低地型とするもの、ミズナラの原種とするものなど諸説が入り乱れていて、専門家の間でも定説はない。
『レッドデータブックあいち』では『現在のところまだ個体数は多く、場所によっては優先種になっているが、分布域全域にわたって宅地造成、工場用地造成、珪砂の採掘など強い開発圧にさらされており、その点で将来の存続が懸念され』としているが、紺屋田の森のモンゴリナラはまさにそのすべてに当てはまっている。
トウカイモウセンゴケ
花
イシモチソウ
ミミカキグサ
卵
オオタカ
ハッチョウトンボ
モンゴリナラ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
サクラバハンノキ:(愛知)リスト外/(全国)準絶滅危惧
シデコブシ: (愛知)絶滅危惧Ⅱ類 /(全国)絶滅危惧Ⅱ類
イシモチソウ: (愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
サギソウ:(愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ウンヌケ:(愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ギフチョウ:(愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ヒメタイコウチ:(愛知)絶滅危惧/(全国)リスト外
オオタカ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ハイタカ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)準絶滅危惧
ツミ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
ヨタカ :(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
フクロウ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
コサメビタキ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
サンショウクイ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
花
イシモチソウ
ミミカキグサ
卵
オオタカ
ハッチョウトンボ
モンゴリナラ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
サクラバハンノキ:(愛知)リスト外/(全国)準絶滅危惧
シデコブシ: (愛知)絶滅危惧Ⅱ類 /(全国)絶滅危惧Ⅱ類
イシモチソウ: (愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
サギソウ:(愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ウンヌケ:(愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ギフチョウ:(愛知)絶滅危惧Ⅱ類/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ヒメタイコウチ:(愛知)絶滅危惧/(全国)リスト外
オオタカ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
ハイタカ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)準絶滅危惧
ツミ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
ヨタカ :(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
フクロウ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
コサメビタキ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)リスト外
サンショウクイ:(愛知)準絶滅危惧/(全国)絶滅危惧Ⅱ類
マキノスミレ
ベニマシコ
ハッチョウトンボ
ホフマンの森(印所・紺屋田の森)は、瀬戸市の中心市街地に唯一残された豊かな里山生態系の息づく森で、オオタカをはじめ、ギフチョウ,サギソウ,イシモチソウ,トウカイモウセンゴケ,ハッチョウトンボ,トウキョウサンショウウオ,モンゴリナラ等の希少生物が棲息し、また、『ホフマン工事』を今に伝え、鎌倉期の古窯等の文化遺産も残る貴重な県有林である。
この事業は、住宅地や幼稚園,老人施設に隣接した開発であるにも関らず、住民に対するキチンとした説明がなく、瀬戸市と愛知県は準公共事業として特例扱いで条例による手続きをも免除し、里山の希少種の調査はせず、文化財の調査も不充分なまま開発を容認している。
トウカイモウセンゴケ
モンゴリナラ
この森のホフマン工事跡の残る斜面の反対側斜面,15haの森が硅砂採掘の露天掘りのために消える。
すでに保安林『予定解除』を経て鉱山開発波始まっており、ホフマン工事の山頂から十数メートル先にはフェンスが設けられて立ち入り禁止となっている。近い将来,このフェンスから先の山はスッパリと削られてなくなるのだ。
フェンスの奥に
許可表示
ここから奥がなくなる
また、印所・紺屋田の森は土砂流出防備保安林であり、かつては近くの住宅地で土砂災害による犠牲者が出たこともあることから、地元住民ら1400名に及ぶ反対意見書が提出され、公聴会が開かれたが、林野庁波開発を認めた。
その後,開発地からは市内最大級の古窯が発掘されたが、一般公開もされないまま開発が進められ、古窯は失われた。(未完)
ベニマシコ
ハッチョウトンボ
ホフマンの森(印所・紺屋田の森)は、瀬戸市の中心市街地に唯一残された豊かな里山生態系の息づく森で、オオタカをはじめ、ギフチョウ,サギソウ,イシモチソウ,トウカイモウセンゴケ,ハッチョウトンボ,トウキョウサンショウウオ,モンゴリナラ等の希少生物が棲息し、また、『ホフマン工事』を今に伝え、鎌倉期の古窯等の文化遺産も残る貴重な県有林である。
この事業は、住宅地や幼稚園,老人施設に隣接した開発であるにも関らず、住民に対するキチンとした説明がなく、瀬戸市と愛知県は準公共事業として特例扱いで条例による手続きをも免除し、里山の希少種の調査はせず、文化財の調査も不充分なまま開発を容認している。
トウカイモウセンゴケ
モンゴリナラ
この森のホフマン工事跡の残る斜面の反対側斜面,15haの森が硅砂採掘の露天掘りのために消える。
すでに保安林『予定解除』を経て鉱山開発波始まっており、ホフマン工事の山頂から十数メートル先にはフェンスが設けられて立ち入り禁止となっている。近い将来,このフェンスから先の山はスッパリと削られてなくなるのだ。
フェンスの奥に
許可表示
ここから奥がなくなる
また、印所・紺屋田の森は土砂流出防備保安林であり、かつては近くの住宅地で土砂災害による犠牲者が出たこともあることから、地元住民ら1400名に及ぶ反対意見書が提出され、公聴会が開かれたが、林野庁波開発を認めた。
その後,開発地からは市内最大級の古窯が発掘されたが、一般公開もされないまま開発が進められ、古窯は失われた。(未完)
10時から燻製づくり開始。はじめの2時間は煙をかけずに熱する。300~600wの電熱器2個を並べて50~60℃に保つ。
2段式なので1時間ごとに上下を入れ替える。また網の上の位置も30分ごとに左右,前後を並べ替える。
2時間後から桜のスモークウッドで燻煙開始。煙をかけながら徐々に温度を上げて70℃に調整する。電熱器の上にトレイかフライパンを置き、点火したスモークウッドを置いて燻す。
1本のウッドを2つに折って同時に燻すと煙の量が多くなるが早く燃え尽きる。普通,1本の端に点火すると1時間くらい持つ。
同じように並べ替えをして5時間目からリンゴのウッドに切り替えた。
電熱器の上に置くトレイが厚いと熱が伝わりにくくてスモーカーの中の温度がなかなか上がらない。木製のスモーカーは隙間だらけなのでよけい上がりにくい。
去年は卵焼き器を使ったので温度を上げるのに苦労した。おまけに長時間連続加熱で卵焼き器に穴が空いたので餃子焼き専用のフライパンを使ったら鉄板が厚いので益々温度が上がりにくくなった。
今回はトレイを忘れたので魚を焼く網を使った。網と言っても鉄製のトレイの上に魚を挟む網が乗ったもので、トレイに火を通す穴が切ってある。これだと歩の通りがよくて容易に50℃から70℃まで上げることが出来た。
焦がした
味は上々
だがこれが失敗の元だった。バラ肉から滴る脂がトレイの隙間から電熱器の上に落ちで燃えてしまうのだ。脂が燃えるとススが出て肉の表面が黒くなってしまう。いつもながら、いかに脂を燃やさず温度を上げるかに悩まされる。木製スモーカーの限界と言えそうだ。
野焼き