畑うち・・・大関松三郎
どっかん どっかん たがやす/むっつん むっつん たがやす/鍬をぶちこんで 汗をたらして/どっかん どっかん/うんとこ うんとこ たがやす/葡萄園の三人兄弟みたいに/深くたがやせば たからが出てくる/くわの つったたるまで たがやす/長い長い ごんぼうできよ/まっかな 人参もできよ/ぷっつん ぷっつんと/でっかい大根もはえてこい/かぶでも 山芋でも でっこくふとれ/たがやせば 畑から たからがでてくるのだ/汗をたらせば ちからになって 生まれてくるのだ/うまいことを いったもんだ/けれどもそれは ほんとうのことだ/ぐっつん ぐっつん/腰までぶちこむほどたがやす/星がでてくるまで たがやす
松三郎の『畑うち』を?十年ぶりに引っ張り出して読んで見た。すっかり忘れていたが、自分がやっていることは、松三郎のこの詩そのままだったことに気づかされる。
13才の松三郎には農民の子として土に生きることへの微塵の疑いもゆらぎもないように見える。運命を受け入れる諦めに似た覚悟と言うのとは違う、ごく自然に当たり前のこととして、むしろ誇らしく土への思いを歌っているように見える。
何がそのまっすぐな思いを支えているのか未だに謎であるが、そのまっすぐさには強く惹きつけるものがある。
自分は農民の子ではない。農民の子でないからこそ土に惹かれる。それはやはり遠いところで農民の血を引いているということなのだろう。
多分私は松三郎になりたかったのだ。例え借り物の人生であっても、松三郎のあのまっすぐさを、実践してみたかったのだろうと思う。
どっかん どっかん たがやす/むっつん むっつん たがやす/鍬をぶちこんで 汗をたらして/どっかん どっかん/うんとこ うんとこ たがやす/葡萄園の三人兄弟みたいに/深くたがやせば たからが出てくる/くわの つったたるまで たがやす/長い長い ごんぼうできよ/まっかな 人参もできよ/ぷっつん ぷっつんと/でっかい大根もはえてこい/かぶでも 山芋でも でっこくふとれ/たがやせば 畑から たからがでてくるのだ/汗をたらせば ちからになって 生まれてくるのだ/うまいことを いったもんだ/けれどもそれは ほんとうのことだ/ぐっつん ぐっつん/腰までぶちこむほどたがやす/星がでてくるまで たがやす
松三郎の『畑うち』を?十年ぶりに引っ張り出して読んで見た。すっかり忘れていたが、自分がやっていることは、松三郎のこの詩そのままだったことに気づかされる。
13才の松三郎には農民の子として土に生きることへの微塵の疑いもゆらぎもないように見える。運命を受け入れる諦めに似た覚悟と言うのとは違う、ごく自然に当たり前のこととして、むしろ誇らしく土への思いを歌っているように見える。
何がそのまっすぐな思いを支えているのか未だに謎であるが、そのまっすぐさには強く惹きつけるものがある。
自分は農民の子ではない。農民の子でないからこそ土に惹かれる。それはやはり遠いところで農民の血を引いているということなのだろう。
多分私は松三郎になりたかったのだ。例え借り物の人生であっても、松三郎のあのまっすぐさを、実践してみたかったのだろうと思う。