遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

レッカー車ドライブ,再び

2017-02-21 13:52:23 | たび・出会い

 17:04,美濃白鳥・中部縦貫道無料区間へ/17:05,二重らせんのアプローチ

 17:06,同

 2月14日11時大町発。ふと思いついて、高山からせせらぎ街道でなくR156で荘川・美濃白鳥を廻ってみようと中部縦貫道無料区間に入る。
 美濃白鳥を目前にして明らかに大廻りであると思った途端、岐阜に出るのが馬鹿らしくなり、福井に向かう。福井に出れば益々大廻りになるのは明らかで、それなら京都を通らず、舞鶴~福知山経由で姫路に出てやろうと言うくらいの気持ちである。




 17:08,油坂第1トンネルへ/17:11,ひるがの高原方面か‥?

 17:15,越美トンネルを抜けると大野市

 17時過ぎ、美濃白鳥から二重らせんのランプを通って中部縦貫道の無料区間に入る。この辺りから雪がちらつき始める。
油坂第1,第2,第3トンネルを通り抜け、ひるがの高原の山々を見ながら快適に走って越美トンネルを通過し、福井県大野市入り。




 17:21,オートキャンパース九頭竜/17:27,大谷橋通過

 同,同・左手はダム

 R158に自然合流して17:21に九頭竜ダム尻にさしかかる。




 17:31,ダム堰堤(上側)/17:35ダム・下から

 17:43,道の駅・九頭竜通過

 ダムの管理棟とダム下から写真を撮り、17:43,道の駅・九頭竜通過。



 18:03,吹雪いて来た/18:45,R9へあと2㎞

 18:47,R9を目前にしてエンスト(和田2丁目交差点)

 18:47,福井市和田2丁目交差点で突然エンジン停止。目の前にR9との交差点が見えていた。
何度試みてもかからず、やむなく外に出て押すが重くて動かず、四苦八苦していると若い男女が後ろから押してくれ、何とか歩道に乗り上げる。深謝‼ バッテリーのトラブルと思い、ケーブルを繋がせてもらって始動を試みるも不調で、丁重にお礼を述べてお引き取り頂く。

 保険会社に電話して、取り敢えずバッテリー充電・始動を試みてもらうことになり、20時過ぎにレッカー車が来る。しかしかからなかった。バッテリ-だけの問題であれば充電器で始動する筈であるところから、発電機の不調か、オイルが供給されていない疑いが出てきた。
ここで三択。①最寄りの修理屋まで移動して朝を待つ、②レッカーで目的地(広島)まで運ぶ、③出発点(大町)へ帰る‥。
 最寄りの修理屋で簡単に直せるのが望ましいが、その保証はなく、それは広島まで行っても同じことなので、修理が簡単でない場合を考慮して大町に帰ることにする。

 かくして21時に福井を出て、北陸道を糸魚川まで走り、R148で大町に帰る300㎞のレッカー車ドライブとなり、深夜1時過ぎに帰着。

 原因はガソリンを供給するポンプの不調だった。16日修理完了。
 レッカー移動は1件につき30万円まで無料の保険なので大助かりだった。広島まで行くと500kmあるのでちょっと厳しかったかもしれない。
 大町~福井間の走行距離は285㎞。併せて600㎞弱の無駄なドライブで、平郡行きを見送ることとなる。


やっとひと息

2014-04-09 15:34:24 | たび・出会い

 多々羅大橋の落日/因島大橋を渡る


 3月21日~27日のしまなみ海道&平郡島をめぐる1週間の瀬戸の旅の後、大町に戻って広島からと帯同してきた長男とその息子を案内して黒沢尾根を歩き、29日にその2人と一緒に広島へ。
 翌30日から4月2日まで平郡島を再訪してかねてから頼まれていた漁船の舳にもやい綱を結びつける閂(カンヌキ)を取りつける作業。
 終って2日~4日,大町に帰る途中紀伊半島を廻り、昨年,熊野市から串本まで歩いた海道歩きの続きで、串本から潮岬をぐるりと廻る海岸線歩き。



 海岸が好き/お疲れもよう


 4日深夜大町に戻って5日に来訪者を八方尾根に案内し、翌6日には大町労山の会山行で角田山へ・・,と、2週間あまり息つく間もなく走り続けてやっと一区切りついた。
 記録の整理等、のんびりしたいところだが潰れたハウスの片づけが待っており、休んではいられない。

 18切符が1回分残っているので、それも有効に使わなくてはッ!
 


 来島海峡を前に8人が勢ぞろい/最後の橋は4km



 潮岬灯台/大島・樫野岬ノ海と波


 利用した18切符は
 信濃大町~尾道  広島~信濃大町  信濃大町~柳井港  柳井港~紀伊田辺  串本~大町
 5回分 小計11500円 



 〇〇エンゴサク/タツナミソウ



 速玉神社のヤマザクラ/〇〇グミ



 これ以外の交通費は
 鉄道・バス
 JRの波止浜~三津間830円  JR柳井港~錦川清流線新岩国間870円  新幹線新岩国~広島間1570円  JR紀伊田辺~串本間1140円  岩国~新岩国間バス460円 
 小計4870円

 船舶  
 三津浜~柳井港間フェリー3000円  柳井港~平郡島間フェリー往復3000円×2  尾道~向島間渡船100円
 小計9100円
 
 総計25470円  ※マイカー移動,ゴンドラ・リフトを除く



 






房総・白間津お花畑

2014-01-16 11:53:56 | たび・出会い

 田圃を利用した白間津のお花畑け/ストックが主流

 
 碧海を背に色とりどりの花が咲きそろう房総半島,白間津のお花畑け。




 キンセンカ/アイスランドポピー


 色とりどりと言っても、植えられた花は露地ものはストックやキンセンカやアイスランドポピー‥,ハウスにはキンギョソウ、スターチスと、その種類は少なく、絢爛豪華とは言えない素朴で庶民的な花ばかり‥。




 深紅のキンギョソウ/真っ白なストック


 房総のお花畑やボピー園を見に行きたいと思いながら、機会に恵まれないまま10余年が過ぎた。そんな折、思いがけない機会を得て広島から電車と軽トラを乗り継いで来る。




 花売り場にモ鮮やかな花が並ぶ


 2月,3月は何度かあるが1月の房総は初めて。風が冷たく、花も最盛期には少し間があるが、華やかなストックやキンギョソウの花は気分を高揚させてくれる。




 働く婦人達/食用のナバナも‥。

 
 どの田圃にもぎっしりと植えられている様や、それを育てて人々を迎える農家の夫,妻,爺,婆達の笑顔と素朴さがいい。




 いらっしゃい! お好きな花をどうぞ 


 1年の半分は稲作に精を出し、半分を花づくりに勤しむ人々との会話はこの上なく楽しく、こころ弾む。




 アイスランドポピー


 まだ、咲き乱れる~とは言い難いが、ボビーの花には気持ちが浮き立つ。







 花いっぱいの房総半島冬最中!

 この風景を 瀬戸の島に そっくり持って行きたい!




マグノリア

2013-07-02 02:19:41 | たび・出会い

 マグノリア・2013・6・15

 匂い立つ気品 こぼれる色香 






 咲かんとしてり凛々しく






 朽ちんとしてなお気高く



 


 見上げる人の 傍らを行く電車






 花散り行くも 泰山自若,泰山木



 泰山木と言う木を『ホウノキの類で日本の山に自生する樹木の一種』くらいに考えていて熱烈なマグノリアファンに間違いを指摘され、『立派なタイサンボクを見せる~』と浜田市まで連れて行かれた。
 庭や公園,街路等に植えられる樹木に興味がなかったので、泰山木と言う木の実際を知らなかったのだが確かに立派な木で花も見事だった。





何だかんだで今山形にいる

2013-04-05 09:42:41 | たび・出会い
 昨夕,仙台でUmiちゃんと2年ぶりに会い、今年こそ彼女のお友達さん達とも一緒に東北の山を歩こうと言う約束をして『愛と書いていとし君』ならぬ『愛子と書いてあやし』と読む愛子駅まで送ってもらい、昨夜は愛子駅の1つ山形よりの陸前白沢駅で仮眠。今朝7:37に山形着。

 ここから米沢・坂町・新潟経由では楽々帰れてしまってつまらないから奥羽線を下って新庄・余目・村上経由・新潟・・で帰れないか検索して見たらOKだったと言う次第。

 仙台から山形にこうも簡単・ストレートに繋がるルートがあるとは驚きだったが、それにしては仙山線と言う名はマイナー過ぎないかと思う。
 そこに行ってみないと分からないことがいっぱいあって各駅停車は面白い。


 余目から羽越線をもう少し下るとどうなるかやってみよう。
 大町着は22:16


 やって見たら酒田まではOKだった。もう少し調べたいが酒田から先の駅名が思い浮かばない。象潟はアウトだった。

BRTに乗ってみた~今夜は気仙沼

2013-04-03 20:33:10 | たび・出会い
 強い雨と風の中、Wさんが『今日は雨で仕事にならないのであちこち廻りましょう。私も見ておきたい所があるし・・』と言って半日行動を共にて下さることになったので、前半はWさんにお任せして小高地区の魔崖仏と被災状況を見せてもらい、後半は15日に歩いたコースを走ってもらった。

 小高地区では前回見れなかった所を廻って震災当時そのままの生々しい被災状況を目の当たりにし、前回以上に驚くとともに、ここまで放置できる感覚に怒りを通り越して呆れてしまった。
 『これは社会実験なんです。地域が放置されると人はどんどん痩せて行く。心身共にしぼんで行きます。その実験をしているに等しい。ここの人達は立ち上がる気力を持てないままなんです』と言うWさんの言葉は重い。

Wさんに相馬駅まで送ってもらった後は携帯の駅からネットと首っぴきでどこまで行けるかを探り、取り敢えず仙石線で石巻まで。明日日本海廻りで帰れる限界点を求めてさらに北上し、気仙沼を目指す。

 気仙沼線は柳津~気仙沼間が津波で破壊されたまま今も不通で、この間は代行バスが繋いでいるが、他の代行バスと違って本線のレール上を走っている。これをBRTと称するらしい。これに乗ってみたかったのだ。

 BRT(bus rapid transit=バス・ラピッド・トランジット)とは、バスを用いて都心域の大量公共旅客輸送幹線を実現するシステムを指し、和訳では『バス高速輸送システム』であるが、日本では単純に形態をとらえて、専用走行空間を有する、もしくは運行車両に連節バスを用いる路線バスを指して『BRT』と呼ぶ例が見られ、気仙沼~柳津間はこれに相当する。
 この『専用走行空間』とは運休中のJR気仙沼線,最知駅付近で見られるような軌道上をバス専用路線としている部分を言う。

 気仙沼着20時44。そこから先はもう電車もバスもないので今夜の塒は気仙沼。明日は4:30のBRTに乗り、仙台、山形、米沢、坂町、新潟経由で帰る予定。

今日は日本海

2013-03-17 21:47:47 | たび・出会い
 ゆりあげのことは後で報告。
 昨日は名取から東北線・磐越東線・磐越西線を経て野沢と言う小さな駅で過ごし、今日は朝一番の新潟行きから越後線を乗り継いで寺泊駅へ。
 駅から寺泊港までの6kmを70分後のバスと競争で歩いてバスより早く着き、そこから海岸線を5kmほど歩いてさらに7km先の分水駅に戻り、糸魚川廻りで大町へ帰る。

 越後平野の田園風景と日本海を見てホッとした。

 まもなく白馬。


仙台空港から閖上( ゆりあげ) へ

2013-03-17 21:11:23 | たび・出会い
 3月16日・続
 幾つもの仕分け場を通り、何人かの警備員と話したり道を聞いたりしてゆっくりと閖上に近づいて行く。
 はるか遠くに野焼きの煙が上がり、大勢の男女が田圃の草を焼いているねが見えた。『どんなに遠くても見たかったら傍まで行くべし!』 これが5年間の海岸線歩きで得た教訓。
 どこにでもある筈の、しかし原ノ町にはなかった田園の風景。だがここの野焼きも他とは少し違っていて、これから耕作するためのではなく除塩前の作業の一つなのだろう。
 それでも仲間達が集まっての和気藹々の作業にはうきうきした高揚感と和やかさ、長閑さが感じられてこちらまで嬉しくなる。

 この何町分もの広大な田圃の除塩と配水溝敷設も年内には完成する見通しだと言う。
復旧してもすぐに稲を作ることは出来きないんじゃないかと言う問いに婦人達は『塩に強い品種があるそうよ』と言った。女性達はしぶとくてしなやかだ。

仙台空港から閖上( ゆりあげ) へ

2013-03-17 19:42:49 | たび・出会い
 3月16日
 日立木を一番の電車で仙台に向かう途中、名取駅で仙台空港アクセス線~云々のアナウンスを聞いた瞬間に体が反応してアクセス線に向かっていた。
 計画段階で空港の周りを一周する予定だったので、滑走路側にして放水路沿いの道を歩いている時、名取市在住で一時避難的に安曇野に仕事に来ていたUmiさんから『閖上市がお薦めですよ』のメールが入った瞬間にまた体が反応してためらわず閖上地区に向かった。

 離着陸する飛行機の写真を撮っていたマニアによると、空港は海に面しているが『津波は海側からではなく名取川を遡って押し寄せて来た』と言う。
 その5~6km先に閖上地区はある。時刻は9時過ぎ。仙台発11:04が今日中に帰るリミットなので帰るのは明日に延期だ。

 放水路でのフォー(高校時代に自分もやっていた)の練習を見ながら土手に沿って歩いていたらその道は行き止まりで、大きく戻って放水路に対して直角に右折して500mばかり進んだ所からまた直角に右折し、そこから2kmはあろうかと言う直線道路をまっすぐ進む。
 それは何十町分にもおよぶ広大な水田の中につけられた復興工事用の道と思われ、原ノ町のそれと同じように辻々に警備員が立って出入りする車両の誘導に当たっていた。

 田圃と言う田圃にはこれも原ノ町と同じように表土を削りとって掻き集めた小山が出来ていた。ただ原ノ町と違うのは土の表面が白い点で、取り除くのは放射能ではなく海水がもたらした塩であること。除塩と言う作業の一行程だと言う。

 その前に田圃に流れ込んだ瓦礫の除去があり、はじめは自衛隊がやり、残った瓦礫の混入物の大きさや種類に応じて次々と専門の業者が機械で選別・除去に当たり、最後は農民自身がボランティアの助けをも借りて人海戦術で取り除く過程があり、除塩と並行して灌水のための配水側溝が施設されてようやく田圃として甦ることになる。
 『それは今年のうちにも完成する見込み』だと若い警備員君が言った。復旧してもすぐに稲を作ることは出来きないんじゃないかと言うと『塩に強い品種を使うそうだ』と言う。

 ここでも田圃の一画が瓦礫の置き場・分別場になっていて、それぞれに応じた業種のトラックが頻繁に出入りしており、その邪魔にならないように気を遣って歩く。

相馬市

2013-03-17 16:39:15 | たび・出会い
 途中を略して・・

 8時過ぎから9時間歩いてやっとコンビニと農産物直売所に行き当たり、食料と水を買う。そこに至るまでに野営できる場所はいくらでもあったのだが、食料品店がなくて缶詰めの1つも買えず水も足りずで、とにかく店がある所までと頑張っているうちに暗くなり、同時に突然市街地に出てしまって今度は場所がない。
 こうなったら相馬の駅まで歩いて電車で原ノ町に戻り、前夜の道の駅に行くしかないと決めて相馬駅に向かう。
 5~6kmと言う人もいれば3.5kmと細かく言う人もいるが歩いて見るしかなく、1時間あまり歩いて相馬駅に着く。

 電車を待っていると前夜顔見知りになった婦人が待合室に入って来て、話しているうちに隣の日立木駅が無人だと分かり、そこを塒にすることなする。

 この日はラッキーな出会いがあって原発から7kmの地点まで迫ることが出来た。
 そこでは復興が未だ始まらず時間が止まったままであり、復興がようやく緒についた所でもそれはそれで大変な事業で、活気に満ちているように見えても動いているのは重機や大型トラック等を駆使して働く復興従事の人達やボランティアの人達が殆どで、普通の人の普通の生活~商売をする人,野良仕事をする人,歩く人,子どもの姿・・等々,が見られない。

 一方で今なお残る爪痕と癒えることのない哀しみ・苦痛を目の当たりにする等、短時間であまりに多くのことを見聞きしたことで混乱し、迷いが生じてきた。
 足が痛いとか体力・気力がどうとかでなく、この日見聞きしたことを一度整理しないと、ただ惰性で歩くだけになりそうな気がする。
 なので今回はここで打ちきりとし、明日帰ることにする。自分の中で風化が始まってしまうのではないかと思うのだ。

原ノ町から相馬市へ

2013-03-16 20:12:02 | たび・出会い
 原ノ町小高地区の最も海に近い場所で下ろしてもらい、できるだけ海岸線を歩くつもりで壊れた防波堤の上を歩こうとしたがすぐに行き詰まり、砂浜を歩こうと防波堤の破れ目から降りて見たが堤防の外側は消波ブロックの山だった。
 その砂浜に無数のまだ新しい折り鶴が打ち上げられているのを見つけ、いくつかを拾ってバッグにしまい、防波堤を歩くことは諦めて国道に戻る。思えば今回の旅で波打ち際まで近づくことができたのはこの時だけだった。

 海岸線から離れるように大きく左に曲がる国道を捨てて防波堤からあまり離れない道に入る。遥か彼方まで一直線の道が続き、その道と防波堤の間には広大な瓦礫置場や消波ブロックをつくる作業場が延々と続く道の長さほどあり、辻々にはダンプカーの出入りを誘導する警備員立っていた。

 田圃いっぱいに付近の表土をかき集めて小さな山がつくられている一方で、その表土を一ヶ所に集めた置き場には黒い巨大な土の山が出来ている。

 以下、続きは帰宅後に・・。

原ノ町・2

2013-03-16 08:27:28 | たび・出会い
 4時過ぎに起きて簡単な食事をすませパッキングしていると『お早うございます』と声をかける人があり、挨拶を返すとその人=Wさんは災害ボランティアの方で主に遺跡の発掘に携わっていると言って地域の古墳や遺跡の話しを矢継ぎ早に繰り出し、ついて行けなくてマゴマゴしつつも意気投合。トントン拍子に話しが進んで浪江のすぐ近くの小高と言う地区まで車で送ってもらうことになった。

 原ノ町の小高地区は原発から近くて居住できなかっために震災当時の状態がほぼそのままで、これからライフラインの回復等、復興に向けて動き始めようと言う地域だとのことで、堤防や海岸線どころか、家屋や道路さえも殆ど手つかずだった。
 波が家屋の1階部分を通り抜けて行ったのが特徴的だと言うWさんの言葉通り、1階の柱を残して内部がスッカラカンで向こうが透けて見える家が多かった。

 道路は幹線であるR6だけは何とか確保されているものの県道や町道はあちこちで崩落したり波打ったりしており、流されて境界だけになった田圃に至る道はバラスを敷き詰めただけのものであったり途中で途切れていたりで、目的地に行くにも右往左往させられた。
 北隣りの原町地区に比べると道路修復の重機の数も少なく動きもあまり見られないし、瓦礫の処理も進んでいない。それでも動き出したと言う感じはあった。
 小高地区の居住者であるWさんの家は大きな損壊はなく、これから手入れするがライフラインが復旧しないことには戻れず、まだ2年くらいはかかりそうだと言う。

 そこから更に進んで原発から7km地点付近にあるWさんが発掘に携わっている5700年前・縄文晩期の貝塚に行く。Wさんのご自慢にして一番見せたかった所なのだろう。

 この後小高地区を少し戻った地点で車を降りて県道を北に向かう。ここから歩き旅の始まりとなる。

原ノ町

2013-03-15 12:48:22 | たび・出会い
 原ノ町に着いたのは14日19時20分で7時間43分かかっていた。原ノ町側から何処まで原発に近づけるかを駅近くの交番に聞きに行くと広野町とは違う対応で親身になって道を教えてくれた。

 それによると原ノ町の小高地区と浪江町の境までは行けるとのこと。海岸への道を細かく教わり、ついでに幕営場所を相談すると道の駅が近いことが分かり、コンビニで食料調達の後『道の駅・相馬』に移動。芝生の上にテントを張って休む。
 天気がいい分だけ前夜より冷え込んだのでダウンシュラフに潜り込んで4時までぐっすり眠る。

広野町・2

2013-03-14 16:08:11 | たび・出会い
 明るくなるのを待ってカメラだけを持ち、荷物を駅に置いて海岸に向かう。全体の中の一部として写る場合を除いて、個人の家屋に焦点を当てて撮ることはしないと決め、公共の建物の他、海岸線の防波堤や消波ブロック、防風・防潮林、水田や畑と思われる土地等の被害状況や地域全体の様子等を撮って一旦駅に戻る。
 次に避難場所となっている体育館や中学校を見た後、遠くからでも第2原発を撮れないものかとR6を楢葉町方面にに向けて1時間あまり歩く。

 楢葉町に入って『10km先警戒区域』の表示がある辺りからJビレッジのコート方向に右折して海岸線を目指したが、仮りに海に出ることが出来ても方角的に第2原発を見ることは無理と分かり、そこまでとして引き返す。

 ここからは11:38の電車でいわき~郡山~福島~岩沼~原ノ町を経由して原発の北側に出る予定。原ノ町までは約8時間。

広野町にて

2013-03-14 13:59:10 | たび・出会い
 前夜広野駅に着いた時、駅に見廻りに来た若いパトロールの人は『楢葉町まで行けなくはないが、ここは警戒区域に最も近い所なので他所から来た人が何しに来たかと警戒され、地元の者や警察から不審がられてもやむを得ない面がある。実際に空き巣狙いで入って来る者が後を絶たないから我々はこうして24時間パトロールしている。
 旅行だと言われても観光できる状況ではないのだから通用しない。他の目的があるのではないかと疑われても仕方ない』と不審を露にしながら言った。
 それは解らないことではないし、駅に居れば不審尋問を受けることは明白なのでこちらから派出所に出向くことにした。

 派出所は留守だったので連絡先に電話して目的を話し、今夜は駅舎で過ごす旨を告げると程なくして3人の警官が来てパトロールの人と同じようなことを言い『朝方は冷えるので気をつけて』と言って帰った。


夜が明けてモゾモゾしていると前夜のパトロールの相方の人が来てしばらく外にいたのがついッと入って来て『あったかいのをどうだい!』と言いながら缶コーヒーを差し出し、『この近くはまだ津波の跡がそのままになっている。いいカメラお持ちだからしっかり撮って風化させないようにしておくれや』と若い方の隊員とは逆のことを言う。
 若い方も本当はそう言いたいのかも知れないが言えない実態に気が立っているのに違いあるまいと思う。