山菜天ぷら中/刈谷原峠にて
山のあしおと小学校,恒例の春の山菜・野草ハイキング。
コースは善光寺街道岡田宿・岡田公民館支所から稲倉(しなぐら)峠(1020m)まで、旧東山道を歩き、峠からは1108mの三角点を含む2つのピークへの急登を登り、善光寺街道刈谷原峠(1020m)に下って、峠の広場で道々採った山菜・野草の天ぷら・キノコ汁等,春の味を楽しんで岡田宿へ帰ると言うもの。
出発前の体操/岡田宿を歩く
立派な休憩所ができた
4月29日(休),8:30,岡田支所集合。参加者7名はjun1さんリードのストレッチで体をほぐし、8:40出発。岡田宿は善光寺街道歩きの集合・解散の中継地点としてしばしば利用している所。
善光寺街道(西往還)は、岡田宿を経て初めて山道に入り刈谷原峠と言う往時の難所にさしかかるが、宿のはずれから東山道・江戸海道を分ける。9:00通過。
江戸海道分岐
稲倉峠から戸谷峰に至る稜線/刈谷原峠方面
この道は岡田宿から分岐し、保福寺峠を越えて上田に至る道で、保福寺街道(松本街道)とも呼ばれる古の道,東山道の一部で、1891年(明治24)、登山家のウェストンがここから北アルプスを眺め、その素晴らしさを著作『日本アルプス-登山と探検』の中で絶賛しており、保福寺峠には『ウォルター・ウェストン日本アルプス絶賛の地』の碑がある。
善光寺街道はここを直進し、R254のガードを潜って刈谷原峠に向かうが、今回は伊深の集落で右に折れて稲倉に向かう。国道を越える辺りからは、稲倉峠を鞍部として東に立ち上がる1118m,1126mのピークから戸谷峰に至る境界線ルートがよく見え、また目をやや北に転じると、刈谷原峠と思われる低みを望むことが出来る。
稲倉峠口
稲倉城主館跡/稲倉城登り口
9:47,道祖神と看板のある稲倉峠口(720m)に着き、ここから峠道に入る。この道は峠までの高度差300mを何度も屈曲しながら3.5kmもかけてゆっくり登って行く長い長い林道で、途中に稲倉城の城主で小笠原氏から謀反の疑いをかけられて切腹させられた赤沢氏代々の居館だった屋敷跡や稲倉城(山城)等の史跡がある。
タラの芽があった/カラマツ芽吹く
ヤマザクラとは思えない・・?
道すがら山菜・野草を手に入れられると期待したが、今年は色んなものが少し遅れているようで、あまり多くをゲットするには至らなかった。それでもタラの芽をはじめ、ツリガネニンジン(トトキ),ナンテンハギ(アズキ菜,アズキッ葉),ホップ,モチグサ(ヨモギ)等を手に入れ、また道々咲いているタンポポの花を取る等、天ぷらを楽しむには充分な材料を手に入れ、10:58稲倉峠に着く。
峠には相模ナンバーの車があって初老の男女が野草を探しており、女性が手にしていたアズキ菜の食べ方を尋ねるとクルミ和えにすると言う。アズキ菜はよく知られた野草だが、この地域の人はあまり食べないので都会の人の方が詳しい。
稲倉峠から三角点ピークへ
刈谷原峠への道・馬飼峠分岐/石仏達
この日、風邪で体調がよくないと言うK氏には車で稲倉峠まで行ってもらい、稲倉峠からはjun1さんに刈谷原峠までの案内を頼んでnobouはK氏の車で伊深に戻り、K氏と一緒に直接刈谷原峠に向かうことにした。実を言うと4ℓの水と天ぷらやキノコ汁の材料,調理具,コンロ等を詰めたザックが15~16㎏もあって稲倉峠からの急登がしんどかったので距離の短い刈谷原峠から登りたかった~,と言うのが本音。
だが、実際には伊深の起点(750m)から刈谷原峠(1020m)までは高度差280m,1.8kmの登り,稲倉峠から刈谷原峠までは100mを一気に登って100m下るものの距離は1.4kmで、どっちがどうとも言えない登りだった訳で、結構しんどかった。
伊深発11:20。Kさんには休みながらもゆっくり登ってもらうことが出来、稲倉峠の隊から25分遅れの12:16に刈谷原峠着。全員で山菜パーティーを楽しむことが出来た。
山菜パーティー盛況/同行者大歓迎!
テーブルを独占して天ぷらをやっているところに単独で街道歩きを楽しんでいると言う川崎市からの若者が上がって来たので輪に加わってわってもらい、山の話し,善光寺街道の話しで交流しながら春の野の味を満喫する。
花はイチリンソウ,葉はニリンソウに近い/ヤマエンゴサク?
鹿の前足
13:36岡田宿に向かって下山。途中で花は一輪でニリンソウに近い葉のキンポウゲ科の花や、ヤマエンゴサクと思えわれるケマンソウ科の花を見る。まだ生々しい鹿の前足が1本転がっていたり・・。
14:08,馬飼峠分岐通過,同23,伊深に着き、Kさんはここで終了。同じ道を下ってみると登りの時感じた以上に傾斜がきついことに気づかされ、風邪気味のKさんには無理をさせたと思ったが、無事に楽しんで歩いてもらえてよかった。
伊深の道標
清沢先生にバッタリ/洞楽新鮮市
伊深から松本市を見ると松本平が随分低く、盆地状であることがよく分かる。岡田宿に向かう途中,洞と言う地区の『洞楽新鮮市』と言う農業を楽しむグループの農場で、我が山菜・キノコの師とも言える清沢由之先生にバッタリ会うと言うハプニングもあって充実したハイキングとなった。
岡田町地図/増沢助右衛門筆塚の地蔵(稲倉地区)