遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

そして止まった

2009-01-06 23:25:38 | 街・村・峠
 雪は決して多くないが
 氷魔は水車を止めた 
 
 山里に人ひとり見えず 
  滴る水音さえない 

 
 かく               水車は凍れども 

 季節は歩むを止めず

          


 

山里の風景

2009-01-03 16:54:11 | 街・村・峠
 虫倉山2    虫倉山水車 
 虫倉山の麓,中条村『虫倉共和国』。そこに水車小屋があった。
 
 凍りついて動かないかに見えていたその水車がゆっくりと自分のほうに向かって廻っているのに気づいた次の瞬間,水車は動きを早めて水桶に溜めいた水をどっと吐き出した。

 だが、その後で水車は奇妙な動きを見せた。勢いを得て前に廻るはずの水車が、水を吐き出した後元の方向に戻ったのだ。
 よくよく見ると全部同じ方向に揃っているはずの水桶から垂れ下がったツララの向きが場所によって違っている。それは、廻りかけたり戻ったり、水車がその動きを繰り返していたことを物語っている。
 
 一旦前に廻りかけた水車がなぜ元に戻るのか・・? 帰りの車の中ではそのことで頭がいっぱいになる。

 思うに、水車が前に廻る勢いを得るためには、水桶1個分の重みで傾いて水を吐き出した後、さらに次の水桶に溜まった水の重みが加わって後押しされなくてはならないのだ。供給される水の量が少なくて、次の水桶がいっぱいになるまでに時間がかかりすぎるとその勢いが得られず、水車は得られた角度を保てなくて自重で元に戻るしかないのではないか・・。
 かくして水車は冬の間中,行ったり来たりを繰り返すのだろう。もう少し水量が多くて、しかもそれが一定の回転が得られるほどの量でなければ、水車は溢れた水でガチガチに凍りついて動けなくなるのかもしれない・・,などと想像を広げるうちにいつしか眠り込む。
 
 山里は平和を絵に描いたような佇まいを見せて、今日もそこにある。

第2回,善光寺街道サミット

2008-03-02 20:37:11 | 街・村・峠
 第2回善光寺街道サミット~麻績村役場で開催!

 2009年の善光寺ご開帳に向けて『道』をキーワードに人と人とのつながりを再構築し、村興しを計る街道サミットが開かれ、多数が参加した。
 午前中は、街道沿線の各地の歴史研究会や町興しの取り組みの報告と経験交流ガ行われ、それぞれの地域の街道に対する強い思い入れと、多彩な取り組みが報告された。
 報告団体は、『洗馬歴史同好会』,『郷原宿を守る会』,『芳川史談会』,『会田宿町並み委員会』,『青柳宿・切通しの会』,『麻績の歴史等を学ぶ会』,『千曲川川西地区振興連絡協議会』,『稲荷山宿』,『古くて新しい丹波島をつくる会』の9団体。
 
 上:池田宗弘氏作・善光寺街道絵巻/下:世界遺産『サンチアゴ・デ・コンポステラ~スペイン巡礼の道』の絵巻

 開会前の資料室には麻績村出身の版画家で、スペインの巡礼道『サンチアゴ・デ・コンポステラ』が世界遺産になる前に、この道をくまなく歩いて403頁におよぶ『~巡礼の道絵巻』を完成させ、世界遺産登録への道を開いた池田宗弘氏のパネルと新たに創られた『善光寺街道絵巻』などが展示され、参加者の目を引いた。
 新作・善光寺街道絵巻


 お昼は手打ちソバの無料ふるまい。100余名の参加者が出来立てのソバを堪能した。 



 午後の講演は池田宗弘氏の『私達の街道・世界遺産になる前の巡礼道』と県立歴史館・宮下健司氏の『日本と信濃の巡礼道』
 それぞれの分野から『道』の持つ意義を深く解明された講演は参加者の共感を呼んだ。

街道おこしでまちづくり~第2回善光寺西街道サミット開催!

2008-02-06 16:57:23 | 街・村・峠
 
第2回善光寺西街道サミット・・・参加者募集! 
 交流会と講演,そば打ち無料ふるまい・・・3月2日(日)麻績村役場
 講師:彫刻・版画家      池田 宗弘氏  
    『サンチァゴ・デ・コンポステラ『巡礼の道絵巻』著者
    県立歴史館総合情報課長 宮下 健司氏

 善光寺西街道を現代によみがえらせるプロジェクト。街道沿いのネットワークをつくり、善光寺ご開帳には歩いて参詣できる仕組みづくりに挑戦します!

 
プログラム
  9:00 開場・受付
  9:30 開会:主催者あいさつ
第1部
 10:00 交流会:活動発表
     知ろう! 街道沿線のまちづくり
 11:00 情報交換会
 11:45 そば打ち無料ふるまい・・・先着100名!
 12:00 昼食休憩・サンディアゴ・デ・コンポステラのビデオ上映

 
第2部
 12:50 講演会
     ①講師:池田宗弘氏~世界遺産になる前の巡礼道
     ②講師:宮下健司氏~日本と信濃の巡礼道
 14:10 休憩

 
第3部
 14:20 議案協議
     第1議案:『道の共通名称について』
     ・善光寺道 ・善光寺街道 ・善光寺西街道 の3つの中から選択
     第2議案:『日本の風景街道について』
      概要説明~国土交通省長野国道事務所より
     第3議案:『ご開帳に向けて』
     ・善光寺ご開帳の日程と内容の紹介 ・協議会発足の提案
 16:00 閉会式
 
               

街道の下見・・・村井宿

2008-01-14 11:47:44 | 街・村・峠
 ふるさとの 信濃を遠み秋草の りんだうの花は 摘むによしなし
 村井駅前
     若山喜志子歌碑 
  
 短歌館・歌碑公園を後にして街道を進むと、道は篠ノ井線を渡り、一旦R19に出て高速道路の下を通り、再び国道を離れて旧道に入る。この間約2.5km。
 ここから地元・芳川史談会(歴史愛好家の会)会長のTさんに村井宿を案内して頂くことになった。Tさんは県の文化財保護協会や市の文化財協議会に属して、歴史研究と文化財の保護に携わっておられる方で、06年4月15日の街道調査隊の際にも案内して頂いている。

 村井神明宮
      村井宿高札場跡 

 村井宿・旧道に入って500mほど歩くと村井学校跡,神明宮,村井宿高札場跡に至る。その先に駅に向かう通りがあり、左折して200mで村井駅であるが、ここは
一旦通過して、常照寺,本陣,脇本陣等,村井宿の中心部を案内して頂いてから終点の村井駅に戻って第1行程を終える。第1行程の距離は約12km。
 当日,村井駅発16:00(明科16:32)の下り電車に間に合わない場合は16:47(明科17:30)となる。


街道の下見・・・塩尻短歌館・歌碑公園・2

2008-01-12 21:44:34 | 街・村・峠
 
 『今いでし~』/短歌館・家屋の由来

 募集作品

 
 同年の友の婚礼に招かれし 知恵遅き子のネクタイ結ぶ
 泣かす子も 泣かされる子も平等に 叱りつつゆく 夕焼けの道

 
 児が描きし 路地の地面の蛸入道 逃れるごとく 雨に消えゆく 
 ペルセウス座流星群んp星流れ 遠き過去世の水音きこゆ

 
 声かけて 恥部洗うとき微かなる 表情もちて 媼恥じらう
 未完なる~

 
 1月20日にはコンサートがあり、入館料(300円)で聴くことができるそうだが、途中で静かに退席してもいいとの了解を得て来た。当日は演奏は木内栄さんのピアノ。

街道の下見・・・塩尻短歌館・歌碑公園・1

2008-01-12 21:10:08 | 街・村・峠
 塩尻短歌館
        歌碑公園 
<%popup(20080112-P1060708.jpg|1280|960|)%>

 広丘出身の歌人には、太田瑞穂,太田青丘,若山喜志子,潮みどりらがあり、そのゆかりの四賀光子,若山牧水,島木赤彦,窪田空穂らがいた。


 若山牧水,喜志子の歌

 若き日,これらの歌人は明治期の短歌革新の息吹を受け、お互いに競い合い、磨き合い、そのえにしを大切にしながら仲間を育てた。


 鉦ならし 信濃の国を行きゆかば 在りしながらの母見るらむか 空穂

 信州には近代短歌の三大山脈があると言われ、それは太田瑞穂の『潮音』,島木赤彦の『アララギ』,窪田空穂の『国民文学』を指した。


              

 そして塩尻・広丘を『近代短歌青春の地』,『短歌と出会える街』の中核と呼ぶ人もいる。
 広丘は『短歌のふるさと』と呼ぶにふさわしい街なのである。
 (短歌館発行『短歌のふるさと』vol25)


              
 うす紅に 葉はいち早く 萌えいでて 咲かむとすなり やまざくら花  牧水

街道の下見・・・郷原宿

2008-01-12 21:05:30 | 街・村・峠
 仲原の一里塚
          郷福寺 

 洗馬の分去れを出ると、田園の中の長い1本道が続く。中原の一里塚,堅石の道標を経て郷原宿に至るまでのこの約6kmの区間は単調な道である。
 郷原宿には桔梗山・郷福寺という絢爛豪華本堂を持つお寺がある。大工棟梁は諏訪の宮大工,立川和四郎の弟子,斉藤常吉。
 お寺を訪問して当日、休憩させて頂くことを了解して頂いた。本堂は見せてもらえるそうだが『その日に家人がいれば~』とのこと。
 郷原宿の案内は後日,地元の歴史同好会の方にお願いする予定。


 郷原街道をさらに進んで広丘小学校にさしかかる辺りから街道を離れて『短歌のふるさと』広丘を象徴する短歌館・歌碑公園に向かう。


街道の下見・・・洗馬宿

2008-01-12 14:15:04 | 街・村・峠
 
 街道ウォークを計画するに当たって、洗馬宿,村井宿,それぞれの地区で歴史研究をしておられる方々を訪ねて、見所を教えてもらいに行って来た。

 洗馬駅前の案内板
  数少ない中央西線の電車 
 洗馬宿では歴史同好会の会長であるNさんに洗馬宿の町並みや歴史について教えてもらった。
 木曽義仲が馬を洗ったところからつけられたという洗馬と言う地名の真偽や、宿の成り立ちと往年の賑わい,義民左源太のこと,中央線開通に伴う衰退と度重なる大火による被害と復興の歴史,浮世絵に描かれた場所の特定の話題等々,興味深いお話しを伺った。
 主な見所は、分去れの常夜灯,肘懸松,新福寺の地蔵,本陣,脇本陣跡,あふたの清水,義民丸山左源太の生家跡などである。
 線路に沿って用水が延びている

 洗馬は小さな宿で端から端まで歩いてもいくらもなく、駅はそのほぼ中央にある。街道を挟んで2本の宿場用水が設けられ、その1本は中央線の線路沿っているので駅からその水路に沿って本山宿方面に向けて宿の外れの地蔵山新福寺跡まで歩き、そこから街道に出て途中で奈良井川沿いのあうたの清水に寄り、街道に戻って分去れと肘懸松を見てから郷原宿に向かう~,というコース取りを教わる。
 当日は同好会の方達も一緒に廻って頂けることになった。
 
 右『中山道』 左『これより善光寺街道』と書かれた分去れの道標と常夜灯

土柱成因の謎にせまる・・・安曇野道さがし

2007-12-20 18:26:53 | 街・村・峠
 謎を解く手がかりか・・?
         鹿が這い上がる 

 もう1つ課題が残っていた。それは次々と現れる崩落跡の道をそのまま行けばどこに出るのか,それを突き止めることである。尤もそれは、池田の町から夢農場のある三郷へ行く道が東山丘陵を横切っているので、その道が尾根を越える切通しのある八代峠に出ることは自明であり、調べるべきは前日引き返した地点から八代峠までの距離と道の様子だけである。
 その八代峠の道脇に車を停めて切通しを登ろうとすると、鹿が爪を引っ掛けて這い上がった跡が明瞭に見られた。道路によって尾根筋の道を断ち切られた獣達は否応なく道路に下りて渡らされているのだろう。真新しい爪あとがそれを物語っている。それは彼らにとっては理不尽なことであるに違いない。


 尾根に取りついてすぐに『まま子落し・田ノ入峠へ』と書かれた小さな杭があるのを見つけた。当然ではあるが、ここが末端であることがこれでハッキリした。
 細い尾根は少し上で山稜の西側から来る支尾根を併せて南に伸びながらいくつかの起伏を経て高度を上げ、10分足らずで赤いテープを巻いた木のある場所に出た。すぐには分からなかったが、その先の急登に見覚えがあることに気づき、そこが前日の到達点であることを確認した。何と前日,あとわずかで峠と言う所まで来ていたのだった。そして足元には先ほど見たのと同じ小さな杭まであった。前日はタイムリミットを過ぎて帰心にせかされ見逃していたのだ。


 6つ目の崩落を見下ろす位置まで進んで、改めて夢農場のある一帯を目で確認する。写真は諏訪神社のある三郷の高台。右端の家が高台の東端にある大きな家。

 この道で、もしかしたら継子落しの土柱の成因の謎を解く鍵になるいかもしれない思いがけないものを見た。 

 冒頭に掲げたものと同じこの写真の手前側の砂が剥きだしになった部分だけを見ると土柱に非常によく似ている。多分これはその右上の斜面が左手前下に流されて残ったのだと思う。この崩れた部分の土砂がどんどん流れ、さらに残っている部分の左の(雪が乗っている)斜面が何かのきっかけで剥ぎ取られ、侵食されて右端の松の木2本を乗せたままその部分が残ったとすると、まさに土柱の再現ではないだろうか・・! 下の写真はその崩れて剥きだしになった部分のアップである。


 とまれ、こんな楽しい想像をかき立てられたりして継子落し一帯の調査が終わり、23日のハイキングの計画もバッチリつくることが出来た。ほとんど予備知識なしに手さぐりで右往左往しながら調べたので無駄な動きも多いが、発見の面白さを充分に満喫できた。本番ではこんな風にあっちに行ったりこっちに来たりの無茶苦茶な行動につき合わすことは出来ないが、本当はこう言うのが一番楽しい。

                 
 この後,池田町役場と観光協会を訪ねてコースを確認し、その先のコースも教わった。八代峠の切通しから北側の尾根に登ると、そこから先にも楽しそうな道があることが分かったがそれは次の機会に譲る。道を探す楽しみはやめられない。


ポニーがいた!・・・安曇野道さがし

2007-12-20 10:36:22 | 街・村・峠
 ポニー君
           只今建築中 

 『魔々心落し』の標識に導かれて見つけた道を小躍りしながら駆け下るとやがて一軒の大きな廃屋にぶつかり、その裏薮をかき分けて廃屋のすぐ下に鉄骨で新しい家を建てている現場に出た。そこは車を停めた道の行き止まりに当たリ、車はそこから200mほど下である。つまり、継子落しの崩れた沢のほぼ底辺辺りから崖を稜線まで這い上がって下山路を見つけ、ぐるっとひと回りして出発点に戻ることが出来たのだ。

 ヤギもいる。
                 

 建築中の建物は、オーガニック・レストランを始めるためのハウスらしい。一瞬,『えっ!,こんな山奥のどん詰まりで・・?』と思ったが、すぐ下にはラベンダーで名高い夢農場があり、見晴らしもよくて静かで案外いいかも知れない・・,とも思った。普通のレストランなら街中でやればいいものを、敢えてこんな場所を選ぶところにオーナーの思い入れがあるのだろう。
 家の周りには少なくとも4頭の犬がおり、手を出すとクンクンと甘えた声を出した。また、道の側の小さな囲いには2頭のポニーがいて、近づくと1頭がすぐに寄ってきた。一度車を出しかけて、もう一度写真を撮りに戻ると、さっきは気づかなかったがヤギまでいた。
 動物達とオーガニックレストランと静かな自然環境をつなげると、なんとなくオーナーのやりたいことが見えてくる気がする。
 
陸郷三郷諏訪神社 諏訪神社 
 陸郷三郷地区/赤いピンの先がポニーのレストラン


                
 三郷と言う地区のこの高台には3戸の家があり、どん詰まりの建築現場とは逆の東の端には、その集落を象徴するような大きな民家がある。そこまで行くと継子落しの土柱がよく見えるだけでなく、前日突き止めた5つ目,6つ目の崩落跡をも見ることが出来た上に、その先にも崩落の跡があることが分かった。そして目を北に転じると、登波離橋魔でもが見えていた。
 この崩落は東山丘陵の尾根の東側に連なって発生していたものであり、あの登波離橋もその崩落地形と無縁ではなかったのだ。
 5つ目
        7つ目  
             登波離橋方面  

三度,継子落しへ・・・東山尾根歩きコース

2007-12-19 21:28:25 | 街・村・峠
 三郷地区から見る
           見えた! 

 継子落しからの下山路調査は、昨日,帰る間際に見つけた『魔々心落し』の標識からスタート。はじめは手入れされた畑の側の道,やがて耕作放棄された畑の中を通るうちにどこが道なのか分からなくなり、ついには荒れた原野に行き着き、更には右手の山から崩れてきたかのような大小の石が混じった半ば川原状となる。
 行く手に崩れ落ちた山肌が見え、それは田ノ入峠の上の崩落跡ではないかと思われたので、それを確かめるべく荊の茂った原野から崩壊した竹薮をかいくぐって斜面に取りつき強引に登ることにする。
 予想通りであれば、ある程度の高さまで登れば尖がりコーンの土柱が見えるはずだと思って遮二無二登ったが、目の前にある土柱に遮られて肝心の尖がりコーンが見えない。しかし、突き当りに見えている壁は明らかに見覚えのある第1の崩落跡のそれであることに意を強くし、更に高みを目指す。
 半分くらい登った時,ようやく目標の土柱を捉える。そのままやや北よりに尾根まで登って、そこが昨日,いつの間にか東にそれていると感じて引き返した第4の崩落跡であることが分かった。そこにはハッキリした道があった。
 第5の崩落跡方面
          第6の崩落跡方面 
 
 現在地点は昨日,第5,第6の崩落を発見した場所よりやや下がったところだったが、先ほど登ってきた所より北寄り,つまり車を置いた地点に戻るのに都合のいい位置でもあったので、この道をこのまま下れば出発点に戻れると確信して下り始めた時,またしてもあの『魔々心落し』の案内標識を見つけた。

                   
 うっかり見逃してしまうところだったこの標識に気づいたことから、下山の道が開けたのだ。やがて一軒の潰れた廃屋に突き当たり、その下で建築作業中の現場に出た。そこは車を停めた場所から200m程登った場所である。
 これですべてがつながった。

継子落し再び~2・・・安曇野道さがし

2007-12-19 01:23:47 | 街・村・峠

 2つ目の崩落跡の北端から1つ目の南端を見る

 2つ目の縁から下を覗く~ハングっているその上にいる。

 先日,田ノ入峠から登って見た大崩れの縁を辿って北に進むと、はじめの位置からは見えない所にもう一つ大きな崩落跡があるのが分かる。つまりスリバチを半分にしたような地形が二つ繋がっているのだ。そして、例の尖がりコーンはその2つ目のスリバチの縁に位置している・・。ここまでは前回の山行で確認していた。今日はその先を見極めたい。
 一旦林道に下りて車をコーンの真下に廻し、コンクリートの壁を登ってコーンの北側に出た。そこから一番高い所に上がり、目を北に転じてアッと驚いた。

 3つ目から南望
         3つ目から下を覗く 
 何と,2つだけではなく3つ目のスリバチが北側に連なり、更にその先に4つ目のスリバチまで見えている。つまり,先日我々が見て『継子落しだ』と思い込んでいたのは、全体の4分の1でしかなかったのだ!
 そして、何たる不覚か・・,その縁に沿って伸びる踏み跡には『東山尾根歩き』の赤いテープが点々と標されているではないか・・! 
 愕然とし、その先を見極めねばと歩を早めて4つ目の崩落跡の北の端に到達して南を見ると、田ノ入峠上の縁までの距離は300mを下らないだろうと思われた。
 4つ目からの南望
 4つ目の縁の北端を更に進むと道が右(東)に曲がる感じがするのでおかしいと思い、小高い所に登って北を見てもう一度仰天。スリバチはもう2つあったのだ。

  眼下の集落
         5つ目からの南望 
 急いで道を修正し、5つ目の縁に立って下を見下ろすと眼下に人家が見えた。それはラベンダー農園で知られる『夢農場』ではないかと目を凝らして見たが、そうと断定するまでには至らなかった。
 すでに自分で定めたタイムリミットの3:40を10分オーバーしていたので6つ目の北の端まで歩いて大急ぎで引き返す。ヘッドランプも食べ物も飲み物もないので明るいうちに車までも戻らなければならなかった。
 縁に立てば明るいが、植林の中はすでに暗くなり始めており、降りしきる雪が辺りの空気を余計に重くしていた。
 熊の糞か?
 この後,車に戻って夢農場に移動し、近隣の集落の高台に登って見ると、先刻歩いた崖の連なりを望むことが出来たが、すでに暗闇が迫っていてどこをどう歩いたかを下から視認することまでは出来なかった。
 夢農場に下るコースが確認されれば理想的なコースになるので、明日,もう一度調査をやり直すことにして帰途に就く。

 最後の集落で「心の汚れを落とす『魔々心落し』⇒」と書かれた看板を見つけた。それは、こちら側から継子落しに行く道があることを示している。明日はその道を調べてみようと思う。道さがしは面白い・・。

継子落し再び~1・・・安曇野・道さがし

2007-12-19 00:02:57 | 街・村・峠
 『東山尾根歩きコース』 
           2004年3月7日  

 3年前,明科町の押野山からスタートして継子落しに至る東山丘陵の稜線を歩くコースを開拓し、新聞募集,その他で5名の参加者を得て実施した。それは、押野山から大町市の鷹狩山までの東山丘陵全コースを踏破する計画の第1行程と位置づけたものだったのだが、継子落し以北の行程は調査もせず、未完のまま今日に至っている。
 今回は前回とまったく同じコースを歩くか、それともほぼ中間地点に当たるクラフトパークからスタートするか迷うところだ。

                    
 前回は参加者が少なかったので同じコースをもう一度歩く意義は充分にあるし、鷹狩山までのフルコースの第1行程と位置づけるなら押野山からスタートした方がいいのだが、12月例会の話し合いからはその選択肢は許容されない。
 なので継子落しを含むコースを歩いた後に、生坂方面に下って乳房イチョウの見学を入れるか,もしくわ池田町広津付近の散策を入れる必要がある。
 
 クラフトパークから田ノ入峠まで歩いて継子落しを覗くだけでは短すぎる。それなら継子落しから北に向かって歩くコースを調べて見ようと思い立つ。
 15:15,尖がりコーンの真下の林道に車を置き、田の字型の擁護壁を登って尖がりコーンの横に出る。
 
 この壁を攀じ登る  
          コーンの横に出た