遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

最初で最後の厳冬期・北アルプス~爺ヶ岳東稜から中央峰へ

2012-02-29 10:40:46 | 山のあしおと小学校

 2196mピークに向けて100mの壁を登る/登頂


 一度は登って見たいと思っていた厳冬期の後立山連峰~,爺ヶ岳東稜から中央峰を目指す機会が訪れたが、我が北窓から仰ぎ見る爺ヶ岳の白銀の尾根を登って行く自分の姿がどうしても想像できないまま数日間を過ごし、逡巡した末に参加を決断した。
 頼るのは経験豊富なリーダーの統率力,ルートファインディング力(同コースを熟知!),腰上までの雪面をものともせず、猛牛のように歩を運ぶラッセルの力で、2人の若い参加者もそれを支えたが、自分は初日に数回のラッセルに加わっただけで疲労困憊し、ほぼ全コースにわたって最後尾をついて歩くだけに終わった。
 



 1700mピークに向けての深いラッセル/1800m付近で幕営


 胸までの新雪を泳いで登ったのははるか30年以上も昔のことで、しかも3時間弱の短い距離で、今回のように2日間,17時間におよぶラッセルの連続は初めてである。先頭に立って引っ張った3人の労力は想像を絶するもので、ついて歩いただけの自分の100倍以上の力だったのではないかと思ったほどだった。
 厳冬期の後立山は憧れであり、いつかは白馬岳主稜コースからの登頂を目指したいと思っていたが、現状の体力では絶対に無理だと宣告されたに等しい気がする。



 ここからが東尾根/中央峰目指して出発


 登頂はしたがラッセルに参加できなかった無力感が強くてその感慨はなく、むしろ雪山はもうやめようか思うくらいの挫折感で今は落ち込んでいる。
 ラッセルの力はラッセルでつけるしかなく、何処を歩いてもトレースのある八ヶ岳を何度登っても、この力は培えないと思う。


 気持ちを立て直してトレーニングしなくてはッ!


 道まだ遠し/帰着は夜

雪の冒険学校・中山キャンプ場,雪中キャンプと歩くスキー

2012-02-26 19:31:51 | 山のあしおと小学校

 サルナシの蔓で個性的なワカンづくり/歩くスキーで権現山へ

 

 夜は楽しく/アイガモ&鹿肉のバーベキュー


 2月15日(土)~16日(日)の2日間,大町市中山キャンプ場(種山ヶ原)で雪の冒険学校『雪中キャンプ~ワカンづくりと歩くスキー』を行い、子ども達4人とおとな5人が参加。
 『お日さま』人気で大勢の人がおしかけた中山高原の『菜の花』小屋を拠点にして昼は『かんじき』づくりに挑戦。サルナシの蔓を素材にして悪戦苦闘の末、何とか片方分だけは形にすることが出来たた。
 夜はアイガモのバーベキューと鹿肉入りのカレーをたらふく食べた後、雪の中にテントを張り、シュラフ,毛布,湯たんぽを持ち込んで一夜を過ごした。4名中,3名は途中で逃げ帰ったが、1名(中1女子)は朝までぐっすり寝ていた。

 翌日は初めての歩くスキーで権現山を目指すもタイムリミットをオーバーして途中までで断念。次回は小屋に頼らず、権現山山頂でのテント生活をめざす。



権現山へ歩くスキー

2012-02-16 21:00:36 | 山のあしおと小学校

 権現山にて/おでんを温め昼食
 


 爺ヶ岳


 大町市美麻の権現山(1222m)は歩くスキーの格好のコースで、林道を歩いて2時間弱で山頂まで登ることができる。
 近々行う予定の雪の冒険学校『雪中キャンプ&歩くスキー』の候補地の1つとして調査目的でスキーハイキングを試みたが、当日の朝になってスキーが見つからず、スキーハイクの仲間をワカンで追うと言うしまらない結果になる。



 林道を行く仲間達/ヌルでの実・・誰が食べる?


   
 おでんでお昼


 林道の入り口にはロープが張られて車やスノーモビルが入れないようになっており、雪上にあるのは無数のスキーの跡だけ。緩やかな林道をのんびり歩いて2時間20分で山頂下のKDDI管理地に着き、ここでおでんを温めて昼食。



 権現山ヘ



 雪の花/先客あり


 管理地から林間を10分ほどで山頂に着くと東京から来たと言う5人の先客がいた。態々東京から権現山目指してきた理由を尋ねると、彼らは1等三角点の山を求めて権現山に来たとのこと。こんなところに1等三角点とは意外だ。

 帰りはアッと言う間に滑り降りて行ったスキーの仲間を追って懸命に下り、10分遅れで下山。往復5時間余りで程よい汗をかいた。

有明山,氷瀑は何処・・・!?

2012-02-08 23:03:57 | 山行

 大町労山KAさん,Kuさん


 一昨日,昨日,とこの時期にしては珍しく雨が続き、気温も上がって緩んでいるが 今朝はちょっとだけ寒い

 中信で氷瀑がある所として有明山の沢があるらしいので偵察に行くことになった。
 5~10m程度の滝だと聞くが20mあると言う人もあり、どんな滝なのか楽しみだ~,と、出かけては見たが・・。



 中房温泉への道は閉鎖中/表参道入り口


 アスファルトの道は雪が溶けて 水が流れていたが、登るにつれて雪が深くなり 遂には腰までのラッセルとなる

 奮闘2時間余,1300m付近まで到達したが、結果として大滝には辿りつけず撤退する。






 途中で渡った沢では飛沫さえ凍っておらず、水音がやたらと大きかった。
 この分では、例え滝に着いても結氷してはいないだろうと言うのが結論。


 

 異形のネズコの巨木に逢えたのが救い。

能登島北端の町を行く

2012-02-07 14:49:54 | 海岸線を歩く

 8:30無関町/8:56行き止まりか


 8:39,無関町の港に着く。海岸線の道を聞くと行き止まりで戻って来なくてはならないと言われたが、いつものように行き止まりの地点までは行ってみることにして港から続く護岸堤の上を歩く。20分ほどで立ヶ鼻と言う岬の突端に達すると堤防はそこで終わり、岬越しに島の北端に当たる百万石から更に本土の穴水町方面と思われる陸地を望むことが出来た。



 9:05田圃道を通って無関のバス停に向かう/9:16道を教わって閨へ


 山際と堤防の間には水田が広がっていて、そこでも甲斐甲斐しくまた睦まじく田植えに勤しむやや年配の夫婦,若夫婦,子ども達三代の家族と思われる人達の姿があった。
 田圃の道を引き返して無関のバス停に戻り、待合室で休憩(9:17~30)の後、道を教わって細い川沿いに坂を登り、県道に出て隣の閨町へ向かう。 



 9:44三ヶ浦漁港へ/9:51 漁獲(イワガキ,アカニシ等)


 9:44,閨町に入り、三ヶ浦漁港に向かう。ここでも釜崎と言う小さな岬で行き止まりとなって引き返し、港を覗くと水揚げされたばかりの牡蠣やアカニシがコンテナに入っているのが見られた。小さな漁村らしく大漁とは言い難い収穫で生計を支えるに足りるとは思えないが、これはこれで他者には測り得ない海の幸なのだろう・・。



 9:49港にある五輪の塔/9:52閨港



 10:53鴫島入り江と行者鼻方面/笠栗鼻突端


 港の傍で壁に五輪の塔の図説を描いた建物を見る。なぜ突然五輪の塔が出てくるのか分からなかったが、それはこの地区にある観音堂の石仏群に因むものであることが後に分かる。
 三ヶ浦漁港の先は釜崎と言う行き止まりの出っ張りなので県道に戻って鴫島入江と言う湾に出ると海沿いに水田が現れ、水田の向こうの湾を隔てて右(東)に長く突き出た岬と、その基部辺りの木立ちの中に白いマンションのような建物が見えた。



 11:06手植えする婦人と話す


 県道の左側には水田が広がり、あっちに1人,こっちに1人と田植えに精を出す人の姿が見えるが、ごく稀に機械の上に座って植えつけている男性を見る他は、どの田圃も女性が1人で手植をしている。
 『お疲れさまデス』と声をかけると腰を伸ばして『どこまで歩くのぉ~』とにこやかに答える。『行けると所までです。まぁ今日中には橋を渡れそうですが・・』と答えると『私らもネ,よく歩くのよぉ。日曜日とか夜にネェ~』と仰る。『健康ウォークですかぁ~! 腰を伸ばさないとネェ~』『そうそう!』と言った具合。



 11:11閨観音堂石塔群/同


 水田の右手海寄りに神社林のようなこんもりとした丘があり、入り口の玉垣と石段に向けてまっすぐに道がついているのを見て迷わず進むと小さな観音堂と無数の五輪の塔,崩れたや石仏の破片が散在している広場に行き着く 


 同 説明


 同 荒廃した石塔


 そこは『閨観音堂』という古堂で、完全な形の五輪の塔が30基,不完全なものが十数基ある他、多くの板碑や珠洲焼の骨壺の破片等が散在するところから、室町時代の墳墓の跡と考えられていると言う。先刻,三ヶ浦漁港で見た五輪の塔の絵図はこの観音堂に因んだものと思われる。
 観音堂を越えて振り返ると周りはすべて水田で、そこだけが特別に大事にされてきた感じがよく分かった。



 11:19 観音堂方面を振り返る/同,越しかた無関方面


 観音堂を後にして10分あまりで県道に合し、直進すると右手に『おやき,カレー』と書いた店があって、入り口でおばさんが豪華な具入りの巻き寿司を売っていたのをこれ幸いと昼食用にと買い求める。島には食料品等を売る店がどこにでもある訳ではないのでこれには大いに助けられた。


 11:39県道に戻る/11:47百万石町/中能登農道橋



 1:50左折して中能登農道橋を渡れば能登半島/11:55百万石バス停



 12:06木陰でお昼

 11:42,百万石町に入り直進3分で農道橋への道を分ける。左折すれば農道橋を渡って本土に戻れるが、百万石町から久木,田尻,通の各町を廻ってから本土に戻るべく直進。折しも正午のサイレンを聞き、脇道の木陰に腰を下ろして先刻買い求めた弁当を食べる。
 

鹿肉料理

2012-02-04 20:21:57 | 山のあしおと小学校

 鹿肉と野菜の煮込み 


 先週土曜日の鹿の解体体験のイベントでは、長野市のホテル・メトロポリタンの料理長が腕をふるって超豪華なジビエ料理の宴が催されたのだが、残念ながら夜は別の会議があって食べそこなった。

 シカやイノシシ等,有害動物として駆除された動物達が、ジビエ料理として利用されるのはほんの一部に過ぎず、大半は廃棄物として処理されているそうだ。その数も半端ではなく万単位の頭数で、北海道や神奈川県では何億もの金をかけてこれらの動物を処分するための専用の焼却炉をつくっているそうだ。
 それなら食の対象として有効利用すればよさそうなものだが、駆除(狩猟)‐解体-流通-利用(食)と言うサイクルは出来上がっていない。狩猟者が激減しているだけでなく、そもそも需要がないのだ。
 
 食の対象となり得ないのは、野生動物を食べると言うことが現代の生活感覚に合わなくなっているからに他ならず、実際に食べるのはごく一部の人に限られているのが実情のようだ。


 肋骨と周辺の肉 ̄下ゆで/骨をバラし、洗って再度煮込む


 で、解体された4頭のシカ達はどうなったかと言えば、ロースとかフィレ等,シェフが腕を振るうに耐える部位は有効に利用され、ステーキやロースト,ハンバーグ等に変身して参加者一同の胃袋を満たしたのは言うまでもないが、そうでない部位,たとえばあばら骨周辺の肉(スペアリブ)や首周り(ネック)などは、『犬が喜ぶ』ご褒美になることはあっても人の口に入ることはなく、実際には内臓や皮,骨等と共に捨てられているとのことで、丁寧に料理すれば美味しく食べられるかどうか、猟師でさえ試した人はいないと言う・・。

 そう言うのを黙って見過ごすわけにはいかん・・,と言うことで、捨てられる運命にあった肋骨周りと首周りの肉を大量にもらって帰った。
 幸い毎日が真冬日なので、そのまま車に放り込んで1週間が経ち、どうやって食べようかと肋骨を2本ばかり切り取って焼いてみたが、硬くて歯が立たない。
 ならば煮込みしかないと考えて大鍋で一度茹でた後,水洗いしてもう一度茹でたスープでニンニク,タマネギ,セロリ,カボチャ,シイタケ,エノキ.シメジを炒めたものと一緒に煮込んでみた。これにトマトホール缶と大豆の水煮,ローリエ,ブーケガルニ,赤ワインを加えてさらに煮込み、塩で味をつけて見た。
 とろ火で時間をかけて煮込んだ結果,肉は軟らかくなり、獣臭もなく上々の出来で取り敢えずは成功だ! 圧力鍋ならもっと短時間で柔らかくなるに違いない。

 森くらのTomoさん,他1名に試食してもらったら好評で、近々鹿肉パーティーをやろうと言う話しになる。
 今度は茹でずに肉を切り取って焼いたり、脂身をミンチにかけてハンバーグにする等,色々試してみたい・・。



 松前づけ・2

 根昆布を使ってみた。

冬のブロッコリー

2012-02-03 18:00:13 | あまってら農園

 12年1月10日/11年12月20日


 この冬試みているある実験~,それは雪の中でブロッコリーを収穫すること。

 一昨年は播種時期が早すぎて酷暑の中で移植し、10月上旬から収穫期に入って大量に採れたが味がイマイチで不評だった。この時期は蕾が見え始めてからわずか1週間で収穫に至る。それが11月に入ると急に成長が鈍り、中旬に霜と共に紫色化が始まって味はよくなったが、11月いっぱいで収穫が終った。

 2010年
  7月10日播種,同15日頃発芽,8月1日定植(酷暑中~8月10日活着)
  10月7日初収穫~10月31日大収穫 11月14日紫色になり11月いっぱいで終了 
 2011年 
  7月25日播種(銀嶺),7月27日播種(ピクセル)/8月16日定植(銀嶺),24日定植(ピクセル)
  11月2日初収穫~12月中旬まで収穫・出荷 12月20日頃紫変化 1月中旬収穫可となるものあり。 


 自分としてはブロッコリーは霜を浴びて蕾塊が紫色になった頃を旬として12月以降に収穫・出荷したいと考えていた。
 ところが広島で農園を営む弟は3月を旬として収穫すると言う。いくら気候が温暖だとは言っても広島と長野で旬の時期に3ヶ月もの開きがあるのはちょっと納得がいかない。
 そこで、ひょっとすると本当は長野でも露地で真冬の寒さに耐えられるのかもしれない,それを試さずにはじめから無理と決めてかかっているだけでないかと・・,考えて見た。

 プロは売れることが優先で、できる時期につくって売れる時に売ればいいのだからそんな賭けをする必要はない訳だし、真冬に収穫するメリットも大してないのかもしれない。
 しかし、真冬にも採れるのであれば収穫期を少しづつずらして冬期間,計画的に収穫・出荷できるかもしれないし、何よりも寒さに逢わせることで味がよくなるので試してみる価値はあると考えての実験だ。
 昨年末,松本市内の某レストランと出荷契約をしたので、今後は安定的な通年出荷を図らなくてはならなくなり、その意味でもハウスに頼らず真冬に出荷できれば大きな意味があると言うものだ。

 経過としては雪の中でもゆっくり大きくなって1月下旬に収穫期を迎えたものがある。採って売ることは出来るが今期は量がないのでこのまま春まで置いて成行きを見る。ピークを過ぎて開花準備期に入ると寒さに負けてしまう恐れなしとしないが、それでも成行きを見届けることにする。



 左;11年12月20日  中・右;12年1月10日

真冬の草取り~忍び来る春・・・ルッコラを播種!

2012-02-02 13:50:48 | 山のあしおと小学校

 ヒメオドリコソウ/ハウスを覆う雪


 雪に埋もれたハウスの中だが、時には10℃を越える時もあるらしい。

 昨年の11月19日に大量の草を取って安心していたが、草たちは密かに茎を伸ばし葉を茂らせて、ようやく復調の兆しが見えるルッコラをはるかに凌ぐ勢いで蔓延り、今にも花を咲かせんばかり・・。
 かくして指先を痺れさせての草取りとなる。



 取った草の山/ルッコラ播種

 
 ならば、この時期に種を播いてみてはどうだろう~とルッコラを播種してみた。この先,寒い日はまだまだ続くにしても、天気さえよければ日中の室温は相当上がり、立春を過ぎれば短時間ながら20℃になる時もあるのがハウスだから、積算温度を稼ぐには早い方がいいかも知れない・・。
 万一,発芽した時に凍らないようにすればいいのだ~とまぁ,ものは試しでやってみる。



 露地ブロッコリー

 雪に埋もれた露地のブロッコリーは、健気に寒さに耐えて収穫可能な大きさになっている。今採ってやらないと寒さに負けるかもしれないが、このまま採らずに春まで置くとどうなるか見届けたい。花を咲かせて種が採れたら万々歳だ!


 ハコベ