遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

大菩薩嶺

2010-01-31 21:13:45 | 山行

          
 10年1月30日(土) 快晴
 豊科IC発4:00で6:15頃丸川峠分岐P着。道路は封鎖されておりここから歩く。6:40発。車道を10分で千石平の小屋への橋を渡ってここから登山道となる。2人とも地理不案内の上に計画は全部jun1さんにお任せで地図も持たず、ただ相方についと行くだけ。jun1さんは軽登山靴で快調に飛ばすがこちらは壊れかけたプラブーツで足取り重く、このところ5分くらい後をひたすら追いかけることが多い。

          
 千石平から尾根をひたすら登ること20分で後方に南アルプスと思われる白銀の山なみが紅く染まりながら浮かび上ってくるのを見る。
 7:16,第1展望台に着き山の形から山名を特定しようと試みるが、甲斐駒ヶ岳のみそれと分かる他は殆ど分からない。分からないままに甲斐駒の南に雪を頂く山を仙丈ヶ岳,その南を北岳,続いて間ノ岳,農鳥岳,塩見岳~荒川三山であろうと推測する。白く輝いている筈の鳳凰三山を擁する支脈は目立たない黒尾根ですぐにはそれと分からなかった。
 
 10分ほど歩くとブナの若木が現れる。鍋倉山等、北信のブナと違って雪圧を受けず根元からまっすぐ伸びているのが若々しい感じでありまた物足りなくもある。
 7:40,第2展望台で休憩中に上がってきた人に山座を聞くとほぼ推測通りだった。北岳をこちら側から見るのは初めてで結構端正な形をしていると思った。
 
 尾根の北側の沢を隔てて大きく迂回していた林道が一旦接近する辺りの道は、登山道によって表土を失った山肌が雨に激しく浸食されて人の背丈,あるいはその倍ほども抉れており、歩けなくなったその道の傍に新しい道が設けられている所が多く、古い道に向かって土砂が崩落したり大木が倒れ込んでいるのが目につく。登山道による山肌の荒れはどこにでもあるがこれほど酷いところは珍しいと思った。

           
 8:25上日川峠,ロッジ長兵衛(冬期無人)着。トイレ(10分)休憩の後出発。林道にほぼ並行する林間の登山道を行く。日陰で凍結しているので時おり滑る。
 9:35福ちゃん荘着。事前研究をしていなかったが峠から大菩薩嶺に向かうものと思っていたところ、jun1さんの選択は逆周りの唐松コースだった。どっちでもよかったが大菩薩嶺から丸川峠に下るコースは消えた。

          
 唐松コースは前半こそ緩やかだが唐松林にかかる辺りから斜度を増し、最後の150mはかなりの急登になるのだが下から見上げると草つきの稜線がなだらかに見えるので歩いている実感としては余計にきつい。

          
 だが樹林帯を抜ける辺りから振り返る目に飛び込んでくる雄大な富士の姿がそれを癒してくれる。立ち止まり振り返るごとに富士もまた競りあがり、遮るもののない雄大なその広がりに爽快感がいや増す。

          
 10:32,見上げて目標にしてきた雷岩を標識でそれと知り、追いかけてjun1さんに遅れること5分で大菩薩嶺に到達。展望も何もなく寒いだけのその場では証拠写真を撮る以外に用はなく、すぐに引き返して大菩薩嶺に向かう。

          
 稜線に戻ると北側から若干の風はあるものの雲1つない快晴に八ヶ岳から丹沢山塊辺りまで,100点満点の大展望が広がり、その景観を楽しみながらルンルンで2000m地点(妙見ノ頭?)を越え、避難小屋まで下って暑いほどの日差しを浴びながら早目の昼食休憩をとる。このところ好天に恵まれている。

          


               
 11:30発。目の前の丘に立つと眼下に大菩薩峠の小屋が見え10分で介山荘に着く。

               
 山座を記した方向盤で山名を調べるとほぼ真東の方向に大岳山と三頭山の名があった。そうだとすると手前に見えているダムは小河内ダムで下の集落は小菅村と言うことになるのかな・・?
 在京時代に五日市や桧原村で仕事をしたり、小菅村や丹波山村を走り回ったことはあるが登山の機会を得ず、いつかこれらの山々を高いところから眺めたいと思っていたが、図らずもそれが叶った。これで奥多摩と大菩連嶺が鳥の目で繋がり、両者を結ぶ縦走ラインを考えてみたりした。

               
 11:45発,殆どが日陰の林道を下る。所によっては道の全面がカチカチに凍ってアイゼンなしには歩けないほどで、一度ならずもんどりうって転倒ししたたか腰を打つ。

               
 勝緑荘,富士見山荘と下って12:21福ちゃん荘,さらに林道を下って12:40ロッジ長兵衛。13:05第2展望台,同17第1展望台を経て13:57帰着。

               
 14:15発,ほったらかしの湯と言うのを探して散々走り回り、露天風呂で大菩薩嶺~大菩薩峠のコースをなぞる。安曇野着は17時頃。
 

ハウス内緑濃く

2010-01-29 19:28:57 | あまってら農園

        
                

 ハウス内,ハコベに埋もれるホウレンソウ あまりに酷いので少し草を取る。裸のホウレンソウは寒そだ。  
 9月12日播種。4ヶ月過ぎてまだこんなに小さいオソレンソウ。草を取ったらすぐに大きくなるだろうか・・。

 ホトケノザ
   オオイヌ  
                

 露地には春の花と 齧られたダイコン                       

 
                

 

何じゃこりゃ・・,写真が台なし

2010-01-27 18:17:31 | 安曇野
 家の前からアルプス
          

 今日はことのほか天気がよくて、家の前から蝶・常念岳はじめ大天井,燕,餓鬼,蓮華,爺,鹿島槍,五竜,白馬三山がすべてスッキリと見えていたのに・・。

 餓鬼岳
      蓮華岳 

 2週間ほど前から写真の中央部に黒点が入るようになり、写真が台無しだ。

 有明山
          

 それでも常念岳は美しくてカッコいい!

車検終わった!

2010-01-22 13:59:13 | 暮らし
 2年おきにやってくる軽4の車検。今回はちょっとだけ不安があった。それと言うのは、昨年秋のルート調査で狭い山道に入り込んでしまい、強引にUターンしようとして石垣に引っ掛かり前側のバンパーを引きはがして修理してもらったと言うことがあって、その時にライトが少し上を照らすような気がしたので光軸調整もしてもらったのだが、修理後から左にハンドルを切ると何かに擦れるような音がするようになった。
 不安の原因はそれなのだが大した問題ではあるまいと言うことで、予備点検もせずにそのまま車検場に入った。

 車検でははじめに一酸化炭素の検査があり、自分で排気筒に検知棒を入れて検査する。次に回転するローラーに4輪を乗せて実際の運転通りにスピードを上げ、40km/hに達した時にパッシングしてスピードメーターを点検される。この場面でハンドルを左右に切るテストはないのでそこは問題なくパスした。
 同じ場所でライトの点灯具合,光軸のブレ,車幅灯,右・左折灯,ブレーキ灯,ハザード等ランプ関係とワイパー,ウォッシャー,クラクションの点検があって次に進むのだが、そこで左右とも光軸がずれていると言う診断結果が出てアウトとなった。
 最後に車に乗ったまま3mくらい持ち上げられて足廻りを点検されて終わった後、やむなく近くの修理屋に走る・・。
 『1ヶ月前に調整したばかりなのに・・』と言うと『お客さん、上下ではなく左右のズレですよ』と言う。『そんなに簡単にずれるものなんですか』と聞くと『山道なんかを走ると結構ずれるものですよ』と言われた。道じゃないような所まで入り込むもんなぁ~。
 最後に『検査場に戻る時に静かに運転して行って下さいよ。』とも言われた。

 まあそんなわけで、光軸調整代金だけ余計にかかったが他は問題なく無事終了。
 費用は 申し込み用紙50円 手数料1400円 重量税8800円 自賠責保険料(24ヶ月)18980円  光軸調整代金1050円 計30280円也

時代の終焉

2010-01-20 14:09:37 | 山行

 90年頃に買ったプラブーツが壊れた。10年間の空白のおかげでかさしたる劣化も見られず未だ使い続けていたのだが、遂に終焉の時は来た。

 プラブーツの利点はインナーブーツがあり、それが足に柔らかくフィットして履き心地がよく、また雪山の幕営時、テントから外に出る際にいちいち靴を履かず、インナーだけで出られるので非常に重宝することだ。
 一方で突然破壊と言う問題があって90年代には国会でも取り上げられたことがあり、常に不安がつきまとう靴でもあった。実際、壊れたブーツからそのインナーブーツを取り出してみると、プラの本体は底の部分を除くと極めて薄っぺらで決して頑丈とは言えないつくりだったことが分かり、壊れてもおかしくない気がした。

 破損部は上部のフックがついた部分が本体から引きちぎれそうになったもので、突然破壊とは言えないが引きちぎれるのは時間の問題となっているので今後の使用には耐えられそうにない。
 時代はすでにプラブーツを越えて今では顧みられなくなっている遺物であるが、自分にとっては重宝なだけでなく数々の恩恵を与えてくれた大切な存在だった。

 革靴も駄目になって今現在登山靴がないのでたちまちの山行にも支障が出てしまい困ったことになった。リスクの高い稜線では論外だが、単なる雪道ならシュリンゲでぐるぐる巻きにしてでももう1~2回使うつもりではある。

上田市・太郎山~虚空蔵山縦走・後

2010-01-20 11:47:04 | 山行
 北ア・常念岳方面
   太郎山マップ 
 11:25発,西に向かって伸びる稜線をそのまま下ると程なく境内の展望広場からの道を合わせ、5分ほどで西峠に着く(11:32)。北側からわずかに風があるが陽射しは暖かくルンルンの稜線漫歩となる。
 西峠
      誤認峰           
 11:52,1069mのピーク付近で南向きの暖かな草地に腰を下ろして昼食を摂り、12:15出発。しばらく後に木の間越しにそれらしいピークが見え、その間の大きな弛みを下るとその鞍部辺りが大覗きである。そこから市街地に下る道があり虚空蔵山登頂後はそこまで戻って下る予定で12 :20に通過。
 向こうだった  
 太郎山を振り返る 
 直下から見上げる件のピークはちょっとした岩峰で、アイゼンのないプラブーツは滑りやすくやや手間取る。12:44にそのピーク(1073m)に到達,だそれは目指す山ではなく、虚空蔵山は目の前の小ピークを越えたさらに先で行くか止めるかちょっとためらう距離にあった。そこに一団の登山者の姿が見えているのを見て前進する。jun1さんはここで軽アイゼンを装着。
 虚空蔵山にて
   烏帽子岳方面 
   13:02,最後のロープ場を登り切って虚空蔵山に着くと、入れ違いに一団のパーティーが太郎山に向けて出発し山頂一帯は急に静かになる。13:12,どこまでも晴れ渡る山々を目に納めて下山開始。ロープ場のすぐ下からの踏み跡を辿って直下降する。
 上田市街を見下ろす
   ロープ場あり 
 雪のない岩場の下りに前世紀の遺物とも言えるプラブーツは最悪である。この靴はくるぶしをスッポリ覆っているので岩場の凹凸を足首で吸収して柔軟に対応することが出来ない。なので思い切って次のステップを踏み出せず歩きのリズムがつくれない。スキー靴を履いて歩くほどではないが、靴によって動きを支配されてしまいおっかなびっくりの腰の引けた歩きになってしまう上に上半身の揺れが大きくなり疲れる。フラットな雪面にフィットしてこそのプラブーツであることがよく分かった。
 兎峰分岐
     座摩神社 
 13:24,兎峰と言う岩峰に向かう道と、それを迂回する道の分岐で北側をトラバースする峰を選んで滑りやすいロープ場をさらに下り、ようやく緩やかになった辺りで10分の休憩。14:00,送電線鉄塔(№23)を通過,14:06,座摩神社着。そこからは車道があり、大休止の後人家のある平地に下りる(14:34)。
 兎峰に登山者あり
       帰着 
 14:45,市街地から上田バイパスに出て見上げるとそそり立つ兎峰の岩峰に登山者の姿が認められた。4km歩いて15:40,登山口へ戻り終了。
 鹿教温泉文殊堂
     氷の灯篭 
 帰途、久々に鹿教湯温泉に浸かる。文殊堂に向かう道が氷の灯篭でライトアップされて幻想的な雰囲気を醸していた。

         

上田市・太郎山~虚空蔵山縦走・前

2010-01-19 16:56:28 | 山行
 縦走路から太郎山
    蓼科山方面 
 jnu1さんにお任せで上田市と坂城町の境にある太郎山,虚空蔵山を縦走する。上田近辺の山はまったく未知であるし、当初は近場で雪山ハイキング出来る山を~と言うことだったので完全装備で現地に着いてみたら何と半袖の山だった。
 太郎山はこの地方では人気の山で登山口付近の道路には車がズラリと並んでおり、老若男女沢山の登山者がハイキングシューズで次々と登って行く。またすでに下りて来る人もあり、jun1さんは『安曇野で言えば光城山みたいな山らしい』と言う。そんな中での雪山対応のプラブーツはいささか奇異に見えたかもしれないがそれしかなかったのでいたしかたなし。
 登山口
      祠あり   
 9:22発。快晴で陽射しのある所は暖かく地面が緩み始めているが、南東稜を登る登山道は殆どがコナラなどの樹林帯の中で雪が残っており、それが凍って滑りやすく意外と歩きにくい。雪山のつもりだったので軽アイゼンは持っていないし、10本爪を履くわけにもいかないので恐るおそる登る羽目になる。長袖シャツを着て歩き始めたが、直に暑くなり半袖になる。
 赤門
     太郎神社 
 この地方特有の祠や里程標を見ながらゆっくり登って40分で『太郎山神社』と書かれた鳥居を通り、さらに40分で赤い鳥居のある山門の先の石段を登って10:46太郎神社に着く。
 関東富士見100選碑
  北ア蓮華岳方面 
 神社はまったくの日陰で冷蔵庫のような寒さだが、山門に戻って南側に廻るとそこは東~南~西に向けて開けた明るい展望広場で、東の烏帽子岳から浅間の外輪山,秩父山塊,八ヶ岳・蓼科山,南アルプス,霧が峰,美ヶ原,を隔てて西の北アルプスに至る山々が望まれ、また眼下に上田市や青木村の街並みを見下ろすことが出来た。よく晴れていて富士山もスッキリ見えており『関東富士見100選』の1つである。
 八ヶ岳の裾野と富士
    蓼科山方面  
 太郎神社からの展望でアルプスや八ヶ岳,秩父山塊等の遠景の山々以上に興味深かいのは、南南西方向に端正なたたずまいを見せる夫神岳とそれをそのまま持ち上げて南に大きく傾けたような子檀嶺(こまゆみ)岳,そこから始まって十観山,御鷹山,入山,二ツ石峰,保福寺峠,三才山,戸谷峰と連なる山なみや女神岳,独鈷山等,青木村を取り巻く山々である。

 上:境界線ラインの右端に子檀嶺(こまゆみ)岳,ラインの左にある端正な山が夫神岳
 下:十観山~御鷹山~入山~二ツ石峰~三才山~戸谷峰の境界線ライン                  
 特に保福寺峠から十観山に至る旧四賀村と青木村の境界線の山なみは、これまで冬期縦走を目論みながらも保福寺峠への道が通行不能になるために手を拱いていたのだが、それを逆方向から見ると十観山から保福寺峠まで縦走してピストンするか鹿教湯温泉に下るというコース取りもあり得ると言うことに気づかされ、大いに参考になった。いつもとは違う方向から山を見るのも時に必要なことだと言うことを教えられた気がする。
 
          

平郡入道,タコ飯となる

2010-01-13 14:32:56 | 喰う寝る○太
 平郡島産のタコ(解凍)
  真っ赤に茹でて 
 平郡島から届いたタコを解凍し塩もみしてからぐらぐらの湯で茹でた。真っ赤に茹で上がったタコはやっぱり愛嬌のある格好をしている。

          
 たこご飯(4人分)
材料と下ごしらえ
米3合:洗ってざるに上げ、炊飯器の内釜に入れていつもどおりの水加減にする。
ゆでだこ200g~300g:ブツ切りまたは削ぎ切り
油揚げ1枚:紙タオルに挟んで油抜き⇒5mm角に切る
にんじん1/3本~1/2(50~80g):2cm幅の短冊に切る
ごぼう1/2本~2/3(50g~80g:ささがき⇒水で10分アクぬき⇒水けをふく
調味料:うす口しょうゆ 大さじ1+1/2 酒 大さじ1 塩・砂糖 各小さじ1/2

          
 つくり方
 タコ以外の材料に調味液を廻しかけて絡め、タコと一緒にご飯にざっと混ぜて普通に炊く。具材や調味料の量にはあまりこだわらず適当に炊く。


          
 子どもの頃、隣が魚屋さんで、親父さんによくタコの塩もみを手伝わされた。この写真のものの倍以上ある大きなタコで、それを大型のすり鉢に入れて鷲づかみにした塩をふりかけ、両手でしっかり揉むと真っ黒なヌメリがでる。30分くらい揉み続けた後ヌメリを落とし、大釜でぐらぐらと茹でるのだ。
 真っ赤になったタコを両端が鍵になった針金にかけて物干し竿に吊るすと、鉢巻こそしていないが絵に描いたタコ八つぁんのように足をくるりと巻いておとなしくぶら下がっているのだが、それが5~6個並ぶと壮観だった。
 親父さんは太い足を豪快に切り取って『食え!』と言って寄こす。私がそのままかぶりついて食べると親父さんがニヤリと笑い、それが黙契となって何度も塩もみし、報酬として足を丸齧りしたものだった。
 塩味だけだの素朴で単純な味だが、それ以上に美味しい食べ方を未だ知らない。

ちょいと温泉へ~往復12時間の日帰り入浴

2010-01-11 21:14:04 | 山行

          
 前々から本沢温泉に行こう行こうと言いながらなかなか実現しなかったのは、縦走の途中で立ち寄って稲子か松原湖方面に下るのでなければ態々温泉狙いで行ってまた戻ってこなければならないからである。
 今回はシーズン最初の足慣らしを兼ねてそれをやろうと言うことになり、天狗岳方面には目もくれずひたすら本沢温泉だけを目指し、また汗をかいて戻ることにした。
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/2b/5fc3a0953c060364c054e5ca38054e2b.jpg

          
 中山峠からルートは夏沢峠経由でぐるっと廻るかあるいはその逆かであるが、峠まで来て見ると天狗岳方面の風が強そうなので、あまり深く考えずに行け行けドンドンで峠を越えてみどり池・しらびそ小屋方面に下る。
 2人ともそのルートを知らないままに、いきなりの鎖場からほぼ真下に向けて一気に谷底まで下ろされ、さらに急な下りが続くのにびっくりする。200mは下ったかと思う辺りに『中山峠まで40分 みどり池まで40分』と書かれた看板があり、時計を見ると峠から20分かかっていた。その時点では『こんな壁のような急登なんてとても登れたものじゃない~』等と思っていたルートだが、結果的には帰路そこを登る羽目になる。

          
 看板から幾分ゆるくなった道を下る途中で10人あまりのパーティーと数人のパーティー、2人ずれの2組のパーティーを交わし、30分あまりで『みどり池⇔中山峠』の標識を通過,その少し先でみどり池・しらびそ小屋方面と本沢温泉方面の分岐点に到達し、右折して尾根越えの道に入る。中山峠から55分。

          
 道は天狗岳から東に張り出す大きな尾根を越える道で、はじめはほぼ等高線に沿った揺るやかな登りがだらだらと続き、最後にややきつめの登りがあって尾根を乗越す辺りに『本沢温泉へ30分』の標識があり、そこから登った分だけ下るとまもなく稲子小屋方面からの道に合流する。そこで4人のパーティーを追い越して20分弱で本沢温泉に着く。中山峠から2時間17分,渋の湯からは5時間17分。

          
 本館の少し下にある外風呂は本館とは別料金(600円)で男女別になっておらず、混浴もしくは混浴を避けたければ先客優先で空くのを待つ,あるいは待ってもらうと言う仕組みになっている。浴槽が2つあり木の板で覆われているのではじめはかなり熱いが、蓋を取って浸かっているとすぐに丁度いい湯加減になる。蓋を全部取らずに首だけ出していればそれ以上は冷めないのでゆったりと長湯できる。
 4~5人は入れるが脱衣場が狭く登山スタイルでの靴や衣類の着脱に手間取るのが難点。野天風呂は登山道を少し登って先の沢にあるが、まったくの野天なので雪の中で入るには脱衣,着衣が大変そう。

          
 しっかり温まり弁当を食べて帰途に就く。予定では夏沢峠から箕冠山,根石岳,東天狗岳と廻ることになるのだが、ナイフリッジで吹雪かれるのは避けたいと言うことで来た道を引き返すことにする。
 中山峠直下の登りを考えると気が重いが、お湯に浸かって緩んだ気分での稜線歩きはよろしくないだろう。『逆コースにすればよかった』とjun1さんが悔やむことしきりだが事前研究不足で致し方なし。

          
 中山峠まで3.5時間,渋の湯まで6時間を見込んで11:40に出発。アイゼンをつけたので蹴り足が流れない分だけ歩きやすくなり、みどり池分岐まで1時間半,峠下の看板まで2時間半と順調に来る。途中で女性1名を含む4人の若者のパーティーに先を譲って後を追うも、22~23kgを担いでぐいぐい登って行く若さには追いつきようもなかった。

          
 峠下からの登りでは木の間越しに見えたと思った空が実はその上の雪の壁で、その壁では久々に両手でピッケルを思いっきり打ち込んで体を引き上げる場面もあったが、下った時に思ったほどのしんどさはなく35分で壁を登りきって中山峠に14:45,見込みより30分早く着く。

          
 黒百合ヒュッテ着15:00,気温-9.5℃。朝よりも増えたテントを尻目にすぐに下山。その頃になって日が照り始め、林間がパッと明るくなる。
 16:30渋の湯着。本沢温泉から峠まで3時間05分,渋の湯までは5時間50分。

          
 
 ちょっと温泉へ・・,往復12時間の日帰り入浴やよし!

 標高2100mの本沢温泉は本邦最高所温泉とある。昔は白馬鑓温泉が本邦最高所温泉と言われていたが最近はそう言われなくなったし地図にもそうは書いてない。
 2.5万図で見ると本沢は2110mの等高線の下,白馬槍はその上に書かれていて白馬鑓の方が高いように見える。ただ野天風呂は2150mと書いてあるので、それを以って最高所としているのかも知れない。
 ウイキペディアによると白馬鑓温泉は「以前は『日本最高所の温泉』を名乗っていた時期もあったが、立山のみくりが池温泉や八ヶ岳の本沢温泉などのほうが標高が高く、最近はそのような表示はしていない」とあった。
 どちらであろうと大したことではない。※みくりが池温泉は2410m
 

ひろしま平和の歌

2010-01-01 08:15:00 | 広島

          
 ひろしま平和の歌

 雲白く たなびくところ 空のはて 東に西に
 おお高く こだまひびけと 鐘は鳴る 平和の鐘に
 いまわれら 雄々しく起ちて その栄え ここに興さん

 波青く たゆとおところ 海のはて 南に北に
 おお遠く 祈りとどけと 鐘は鳴る 平和の鐘に
 いまわれら 試練を越えて その行手 ここに仰がん

 風清く かがやくところ 国のはて 世界の友に
 おお熱く 想いかよえと 鐘は鳴る 平和の鐘に
 いまわれら 手をさし伸べて その睦み ここに歌わん

http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1160023462359/index.html

 広島市を世界平和の原点にしようという願いから、昭和22年8月に「平和祭」を挙行するにあたり、同年7月、主催団体である広島平和祭協会(会長 広島市長浜井信三)が公募し、山本秀氏(広島教育音楽連盟)が作曲した。同年8月6日、敬けんな祈りの中で厳粛に行われた第1回広島平和祭で高らかに合唱された。
 以後、昭和25年を除いて、毎年の平和記念式典で歌い継がれている歌である。

演奏
広島市立基町高等学校 広島市立舟入高等学校 広島市立広島商業高等学校
広島市立国泰寺中学校 広島市立翠町中学校
広島市立宇品中学校

合唱
広島大学合唱団 広島大学東雲混声合唱団パストラール 広島少年合唱隊
広島少年合唱隊母親コーラス 広島ジュピター少年少女合唱団
広島ジュピター少年少女合唱団保護者 NHK広島児童合唱団 広島中央合唱団
己斐蓮照寺エコー合唱団 広島合唱同好会 袋町小学校PTAコーラス
鯉城ステア・コール 国泰寺中学校PTAコーラス 広島市役所合唱団
広島市立舟入高等学校


          
          
 you tube ひろしま平和の歌
 http://www.youtube.com/watch?v=QaZ9HSHNYp8

 昨年の8月6日のこと。NHKの原爆慰霊祭の放送がほぼ終わりかけた時、ほんの一瞬だけ、昔聴いたことのある歌声が聴こえた。
 『雲白く ・・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・・』
 ハッとして聞き耳を立てたが放送はそこで終わった。

 出だしの『雲白く・・』の一節と2小節目の後半の『おおぞらあおぐ』と言うフレーズのみ記憶があった以外に歌詞は覚えていなかったが、メロディーは全部記憶していて、放送が終わった後、ハミングで曲をなぞることが出来た。

 以来、それがどう言う歌詞の何と言う曲で、何故式典の中で歌われたのかが気になって、知っている人がいないかどうか調べてみたが分からないまま年末となり、年内に何とかけりをつけたいと思ってネットで調べてみた。
 はじめに、『雲白く』と『大空あおぐ』をヒントに検索したが分からなかった。それは『大空仰ぐ』が自分の記憶違いで、『東に西に』が正しいフレーズだったからだ。
 その後、『雲白く』と『原爆記念日,慰霊祭』で検索して、それが『ひろしま平和の歌』と言う曲で、毎年、式典の中で広島市内の学校や地域の吹奏楽部や合唱団・合唱部等によって演奏・合唱されているということが分かった。

 かつて一度か二度聴いたことがあるだけでその後聴いたことはなく、また式典で合唱されていたと言うことをまったく知らなかったことを恥じ入っている。が、私だけでなくこの曲を知らない人は結構多いようだ。
 軽快できれいな曲であるだけに、もっと知られてよい曲だと思う次第。