遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

鳥人・・・明科3名鳥・3

2011-01-30 13:16:38 | 安曇野



 明科3名鳥,その3は鳥人  
毎年,秋の刈り入れが終わるのを待ちかねたように鳥人達がドッとやってくる。





 12月5日,標高933mの長峰山から舞い降りてくる鳥人達を、手に入れたばかりのEOSで撮る。ズームであればこそ撮れる写真だがまだ不満。もう少し長いのが欲しい。





 小春日和の空を乱舞していた鳥人達もさすがに真冬には飛べないらしく、この日を最後に見かけなくなった。

 くらべては気の毒だが、トンビやカラスは偉大だ!



カラスの井戸端会議・・・明科3名鳥・2

2011-01-29 16:13:16 | 安曇野



 明科3名鳥・その2はカラス

 毎夕,明科駅前から塔之原信号付近のR19沿いの電線上には安曇野中から集まってくると言われるほどのカラスで真っ黒,電線の下は糞で真っ白になる。

 ただこの辺りを通るのはいつも車でなので、信号待ちの際にウインドウから撮るのが精いっぱいで、一番多い時の写真を撮ることは未だ出来ない。そして今の時期は暗過ぎて撮りにくくもある。

 ある時,カラスの大群が集まる電線の下の焼肉屋に入ったことがある。
 客の1人が『頭の上が真っ黒で大変でしょう・・』と言うと、『いやいや 白はよくて黒はいかんと言うことはない。あれはあれでかわいいものよ。明科の名物だと思っとるよ・・』と涼しい顔で言った。
 敢えて逆を言っているのかと訝ったが、結構真顔で本当にそう思っているように見えて印象的だったのを覚えている。




 山仲間のラブ・フォーさんによると、カラスが集まるのは情報交換のためだそうだ。
 一旦集まったカラス達は三々五々,それぞれの塒に帰って行くのだが、その際に、その日たっぷり餌にありつけたカラスが真っ先に群れを離れ、塒となる木の一番奥で眠るらしい。
 そしてその日あまり餌にありつけなかったカラス達はそれを追って塒の木のやや外側に陣取って眠り、翌朝,前日たっぷり餌を食べたカラスについて行くと言う算段なのだそうだ。
 カラス達もその日その日,必死なのだ! .

休耕田

2011-01-27 20:25:30 | 獲れたて瀬戸内・わし&岳じゃが情報

休耕田を利用

鷲 『うちの山にも休耕田はあるよ。水もある。けど、そこを梅や柚子の木を植えて小屋を建て、子供と遊べる場所にしようかと・・。夏に泊まれるような感じのネ。
 一度たんぼを埋めると石やらなんやらで、元に戻すのは大変みたい。ユンボが1台あればできんことはないけどね。
 山小屋はだいぶ進んできた。いずれそれを基にちょっとした店を作りたい。昼はお好み焼きが出せてうまいコーヒーを作れて、夜は酒が飲めて、騒げるとこにできたら・・と思うちょる。裏に畑や果樹があり子供が遊べるようにする。これは難関じゃ。また知恵を借りるようになろう。
 きのうトムソーヤを何年ぶりかに見たが、ハックの小屋は実に見事なツリーハウスじゃったよ。』

私 『北の国からの西の国版じゃの。いいビオトープになりそうだ。面白がってやることが肝心じゃ!』


鷲 『休耕田を借りるのはいい手かもの。あそこ(うちの山)は実はモリアオガエルの宝庫なんよ。あれの成熟したメスって見たことあるか? 15cm以上になるんよ。その上に5cmくらいのオスがチョコンって乗ってかわいいで・・。
 他にもホタル、タガメ,ミズカマキリ,ゲンゴロウ、メダカ,他が住んでいることは分かっているんだけど、そういったもんを保護や管理に補助が受けれまいか? 伯父さんが休耕田をビオトープにしとるけぇ、明日きいてみよう。』

私 『補助はあるかも知れんが独立独歩、行政を当てにしてヒモつきになるな。自分が描く理想を追求することの方が大事じゃ。
 まず自由に自分の絵を描くことだが、これまでの話しから大体の輪郭は読み取れるし賛同できる。どれもが相互に関連し合っているので構想を大きくまとまめるといいと思う。目標は大きく、行動は足元からだ。
 あの地域にはいい条件があるけぇ、俺が行って色々やりたいくらいじゃ。トキは無理かも知れんが、コウノトリが鹿児島で見つかったそうだから可能性はある。子どもらが安心して楽しめる場で、野菜や米がつくれれば最高の楽園じゃ。』


鷲 『標高が250mくらいしかなくて、そのせいかアマゴは何度放流しても居つかずにおりていくそうな。ニジマスならばどうかのと考えてるとこ。吉和で手づかみしたイワナは何匹か目撃されてるけど、繁殖までには至ってないんよね。
 ニジマスを飼う池を作ってみてもいいかと・・。敵はゴイサギなんじゃけど。どうでもユンボを1台手にせねば! 
 ここも過疎化がひどくて、上、中、下と分けると、上はほとんど家がなくなりそうな。本家も伯父さんの代で終わりかもしれんし、あーゆー村はどうなるんじゃろうか・・? 
 米は実際はつきっきりで世話をせにゃ、無理なことが多いじゃろう。困った困った。』

 続 . . .

生き物との共生

2011-01-27 17:05:53 | 獲れたて瀬戸内・わし&岳じゃが情報

 鷲君との対話の続き
 折よく豊岡市の『コウノトリを育む農法』と言う記事に接する機会があって、勢いその話題になった。

私 『兵庫県の豊岡はコウノトリと共生できる環境づくり・コウノトリを育む農法に取り組んでいる。やはり冬水田圃が基本で、それによってトロトロ層と言う柔らかい土をつくり、雑草の種を沈み込ませて発芽出来なくさせる。
 微生物が増え、昆虫や魚の餌も増える。茎が太くて雑草に負けない苗をつくり、春から夏にかけて水を深く張って米糠や糖蜜を入れて発生させた有機酸で雑草を抑える。


 一方、無農薬でクモやカエル、トンボが増えて害虫の天敵となると農薬を散布するより被害が少なくなるとも。
 またオタマジャクシがカエルになるまで田圃に水を残すだけでなく、水田と水路を結ぶ漁道をつくり、魚の産卵を助ける。稲刈り時には魚の逃げ道にもなる・・など。

 こちら(大町)のアイガモ先生も有機・無農薬農法で、田植えを他の農家より遅くしている。これは肥料の効率をよくして無駄な肥料をやらないことで茎が太くてよく分けつする丈夫な稲を育てるためだと。
 刈り入れも遅い上にはざによる自然乾燥で葉緑素を最後の最後まで取り込むのだそうだ。

鷲 『去年偶然蓮華を植えた田んぼがえらく稲が実ったそうな。へたな肥料をやるよりよっぽどよかったって母が言いよった。昔ながらの方法がいいのかもしれんの。
 冬に水を引くといえば婆さんは目をまん丸にしようて・・。ま、色々研究してみよう。』 

私 『蓮華などの緑肥は有効なのでどんどんやるべし。周囲とトラブルを起こさないことは重要なことなので、なるべく周りとの影響関係の少ない場所の休耕田を借りて試験的にやって見ると言う手もある。』
 続 .

冬水田んぼについて・・・鷲君との対話

2011-01-26 15:14:58 | 獲れたて瀬戸内・わし&岳じゃが情報



 1月16日放映のNHK・ETV特集『田んぼにトキが舞う』を見て、兼ねてから考えていたことを伝えるべく鷲君にメールした。
 
私『前々から考えていたことだが、おめぇんとこの田圃でアイガモ&無農薬不耕起栽培をやれねぇか!』

鷲『アイガモかぁ,婆さんが仕切っている間は難しいが、詳しく教えてや。 知っといて悪いことはないじゃろうけーね』

私『さっき教育TVで佐渡のトキと共存する米づくりの放送があった。要旨は冬期湛水によってイトミミズが増える。⇒田圃の土がミミズの糞で覆われる。⇒ミミズの糞は肥やしになる。+雑草の種が埋もれて酸欠となり発芽しにくくなるらしい。アイガモを入れて草取りをさせればさらに効果がある。尤も実際には草取りが大変らしいらしいが、除草剤の量を減らすことは出来るようだ。
 最初の年からメダカが大量に発生し、蛙や小動物が増えて生態系が豊かになったと・・。タガメやミズカマキリが来るかも。
 婆さんは新らしがり屋のところがあるから説得してみたら面白いんじゃねぇか・・。伯父さんにも話して見ぃ!』




鷲『難しいかも・・,けどカモのがらはいい味のスープになったで~!
 アイガモ農法のの問題点は、カモをさばかにゃいけんとこじゃね。わしは体温のあるものは多分無理。ようさばかんよ(^^)木を切るのもためらうくらいじゃけん・・。
 カモを生かして越冬さすとだいぶかかるんかの? そんならええけど・・・。
 冬に水をひく方法は何度かNHKでみたことがあるよ。水をひくのに周りの田の持ち主に了解がいるとは思うが、わしの代にはできるとおもうよ。   無農薬というのは除草剤も使わんという方法じゃろ。まだそこまで徹底してないけんね。草取りが一番大変じゃろうけ、考えねば・・。』

私『ん,カモを冬越しさせる・・か。やってみる価値あるかも。そもそも毎年捌いて肉にするのは、翌年稼働させるまで飼っておく手間と費用が無駄になるのと、肉として美味いからじゃが、鶏を飼うような考え方で実験してみるのもいいカモ。』
  続 . .



チヌ39.5cm・・・瀬戸内釣り便り

2011-01-22 18:10:57 | 獲れたて瀬戸内・わし&岳じゃが情報

 チヌ,39.5cmに得意満面のわし君
 起き抜けにわし君から『あと0.5cmで40cmじゃった・・』と言うメールと一緒に写真が送られてきた。
 場所は廿日市市の国道2号線に面し、満潮時こそ3mくらいの潮高になるが、干潮時には底が干上がって船も出せないような小さな港と海を繋ぐ航路。40cmのチヌが来ると言っても誰も信じない。悠々と場を独占的して釣ることができる穴場である。いつ行ってもチヌかメバルがそこそこには釣れ、坊主と言うことはない。


 『引き上げるのに上がらんから下に降りて取り込んだがずぶぬれになるところじゃった。岳君がタモ持って来てくれんかったら無理じゃったかも・・。』『刺身にして食ったが、冬のチヌは身が引き締まって臭いもなく格別にうまいで・・,寒さなんか吹っ飛んだワ!』と来た。
 それにしても堤防の高さは6~7mもあるのに、どうやって捨石まで降りたんだろう・・?

 『メバルはどうだった?』の問いに『来た。食えるサイズが3つ。』『岳君は?』『メバルとチヌが来た。でかいアタリを2つバラシたけぇ まだまだ期待できる』『・・・』


 07年9月9日・キビレ

~追記~
6時20分頃に軽トラに乗せてあったゴムチューブを金網の足下にくくりつけて堤防から捨て石に降りたのは良いが、降りた瞬間に手を離したらしっかり引っ張っとったゴムチューブが反動で金網にグルグル巻き付いたらしい。
わしが6時40分頃に釣り場に到着して、さぁ準備って思ったときにどこからともなく「お~い!がくぅ~!早く~!」という声が。
「落ちたかっ!」
っと思って、海にプカプカ浮いとる姿を想像しながら海を覗き込むと踝あたりまで海水に浸っているわし君が・・・。その上の中断の堤防には立派なチヌ。
状況がすぐには理解できんかったが金網に巻き付いとるゴムチューブをほどいてなんとか引き上げて救助成功。
もう少し到着が遅れとったら・・・?
つまり、タモも使わず正真正銘わし君が一人で釣り上げた訳であって、わしが釣り上げたのはわし君だけ。

庵から七尾駅へ

2011-01-16 20:09:26 | 海岸線を歩く

 朝とれ浜うり所/庵漁港


 冷海水滅菌タンク
 10:30,庵漁港着。『滅菌冷海水出安全・安心』がうたい文句の『朝とれ浜売り処』と書かれた看板があり、その『冷海水』が詰められていると思われる大きなタンクがある。こう言うものは他所では見たことがない。



 擁壁が花壇/美しい垣根



 百海(どうみ)バス停着/鵜浦方面と七尾市街地への分岐点

 庵から20分で分岐点の百海着(10:51)。ここからは半島廻りをやめて七尾駅に向かうことにする。



 鵜浦方面は来年・・/半島横断し七尾へ



 自転車の一団からエール/シャガの花

 新緑のクルミ
 11:02発,R160を辿って山道に入る。沢沿いの道にはシャガや藤の花が見られ、しっとりとした木々の緑が海辺には見られない安らぎを与えてくれる。交通量のあまりない坂道を自転車のトレーニングの一団が追い越して行った。どう周回しているのか、同じこのグループに2度追い越された。



 沢野トンネル/農婦あり/本日3体目


 11:31,沢野トンネル通過。さらに2つのトンネルを潜り抜けて12:26市街地に到達。太田町の信号手前の除雪ステーションで20分余りの休憩。12:51発,ここにきて太田七尾火発の巨大煙突を間近に見る。



 七尾市街地・大田町の信号/除雪ステーション

 以後はR160をひたすら歩き、13:48河原町交差点で左折して13:51七尾駅着となり終了。脇行きのバスで庵に置いた車に戻り、氷見海浜植物園を見学して帰る。
 今回は百海から山道を歩いて端折ったので、次回は百海をスタート地点として鵜浦廻りで半島を歩きなおすつもり。



 太田火力発電所の大煙突/七尾駅/駅前公園のオブジェ


脇~道の駅・庵

2011-01-16 17:54:34 | 海岸線を歩く

 仏島/石川・富山県境

 能登島水族館へ40km
 09年5月6日 
 前夜は氷見で風呂に入り県境まで移動して車中泊。5時起床,簡単な食事を済ませて6:00出発。朝日を見ることはできたが薄曇りで肌寒く快適な天候とは言い難い。そのせいか気分が乗らない。



 小高い丘の上にある有磯小学校/南大呑地区地図)


 ムジナ(アナグマ
 6:13,大泊りの漁港通過。同22『能登島水族館へ40km』,『能登食祭市場』などと書かれた案内標識を過ぎた辺りでムジナが死んでいるのを見る。
 大泊鼻を過ぎると長い直線道路が続き、東浜町の熊淵川と言う川を渡ると登り坂となる。登り切った所が有磯小学校のバス停で、校門を入った所に大呑公民館を示す標柱があった(6:55通過)。



 黒崎方面を望む/高台の有磯小学校を振り返る


 大泊方面
 小学校を境に道は下り坂となり、行く手の海岸線を見ながらゆっくり下って黒崎朝の最初の民家を通り過ぎると左手に旧道らしいものが見えたのでそちらを歩く。旧道は10分弱で終わり、国道に合流して右手を見ると、有磯小学校から下って来た道がよく見えた。沖を見ると朝よりも暗くどんよりしてきている気がした。
 テトラがきれいに並べられた岩礁のような海岸沿いの道がやや左に曲がると、また行く手遠くに海岸線が続き、先端は幾分霞んで見えた。



 上佐々波郵便局/沖合は暗い


 タヌキの死骸・本日2体目
 小川を越えて上佐々波に入り、7:41佐々波郵便局前で腰を下ろして15分の休憩をとる。第1目標である道の駅・庵までの距離の半分以上は来ていると思われた。
 7:56発。出発の間際に今度はタヌキの死骸を見る。



 佐々波漁港/ぶり場

 魚つき保安林
 8:05,八幡川を渡って『新鮮広場さざなみ』・『ぶり市の郷・さざなに』などのある下佐々波の漁港を横に見て通過。ゆるやかな坂道を登って虫崎と言う町を通り過ぎるとやや高台となった集落の末端右手に1軒のレストランがあり、そこから道が左に曲がって右手前方に百(どうみ)海・灘浦方面の海岸線を見渡すことが出来た。目視したその距離から推測して道の駅は近いと思われる。



 大呑保育園/釣り人・釣魚


 8:28,左手の大呑保育園の前に『道の駅⇒200m』の案内標識を見る。ここまで来て路上の車が気になってきたのでバスで一旦県境に戻り、車を移動することにしてバス停に荷を下ろす。
 10mほど下の磯で釣りをしている人がいたのでバスを待つ時間つぶしに覗きに行くと20cmほどのキツネメバルが1尾釣れていて、釣り人は『今来たばかりだから・・』と照れ笑いした。自分もそう言い訳することがある。



 脇方面に戻る/ここに置いた車を

 道の駅・庵に移動
  8:55のバスで来た道を県境まで戻って車で道の駅に引き返し食事を済ませる。次の目標は百海であるが、そこから海岸線を辿って鵜浦を廻るか、半島をカットして直接七尾湾に出るかをまだ決めかねていた。


 百海・鵜浦方面/海藻?を採る人

 鵜浦経由で半島を廻るなら一気に廻りたいが時間的には中途半端で今日中に七尾駅に到達するのは難しく、途中で引き返せるかどうかはバス便の情報がなくて分からないので途中で幕営になる可能性が大きいが、天候がパッとせず翌日は雨になる公算が強い。



 花を育てる/ハマナス
 
 そもそも今回は出だしからして気乗りがせず、事前の調査もいい加減だったせいもあっていつになく弱気の虫が首をもたげ、早く帰りたい気持ちに支配されてきた。百海に着くまでに結論を出すことにして10:15出発。

洞穴住居遺跡と能登ミカン

2011-01-14 13:37:25 | 海岸線を歩く

 大境漁港と洞窟入り口/小杉付近の海岸線

 薮田のトンネルを迂回して再びR160に戻り、以後は小杉(漁港),脇,宇波,脇方(漁港)~と、国道を淡々と歩き、2つ目のトンネルは中を通って阿尾から約2時間後の14:29,小境の大栄寺と言う寺に至る。
 そこから一息で小境海水浴場と言う砂浜のきれいな浜に出ると前方に海に突き出た小さな岬があり、そこに洞窟住居跡があると聞いて、洞窟の入り口となっている白山社に向かう。15:10より大境洞窟住居跡の見学に向かう。



 大境洞窟住居遺跡入り口下部/同,上奥部(幅16m×奥行き34m×高さ8m)

 洞窟入り口は幅16m,高さ8m,奥行きが34mもあり、奥は狭くなって最奥に湧水がある。



 遺跡の説明


 1918年に発見され、日本で最初に発掘調査されたこの洞窟遺跡の特徴は、落盤によってできた6つの地層が遺物を含んだまま年代順に区別された状態で保存されていることで、特筆されるのはこれによって縄文時代と弥生時代のどちらが古いかが実証されたという点であることなどの説明がされている。



 ミカンの丘/農婦あり
 
 洞窟を見た後,国道に戻るのはつまらないので、漁港の一番奥から岬の上に抜ける道はないかと探したところ、上の方に向かう細い道があった。息を切らして急な坂道を登り切った所は海を見下ろす小高い耕作地で、そこに黙々と鍬をふるう老婦人の姿があった。さらに進むと驚いたことにミカンの木があり、それを手入れしている人がいた。訝りながらその人に聞くと8年前からミカンの栽培を手がけて収穫するに至っていると言う。



 ミカンの木があった(10年6月29日撮影)/ミカンの実(同)

 信じられないような事実であるが、よくよく見るとそこは海に面した南東向きののびやかな丘で、背後に山があって北風を防いでおり、いかにも温暖かつ風光明媚な『みかんの花咲く丘』と言う感じで、どこか瀬戸内の島を思わせなくもないと言う気がした。
※この時ミカン畑の写真を撮らずに通り過ぎたことが悔いになって後々まで残ったので、翌10年6月の帰省からの帰り道に再度ミカン畑を訪ね、耕作者の方に話しを聞く機会を得た。みかんの写真はその時のものを含む。



 女良の4海岸から県境方面を望む/県境に到達 

 15:50,ミカン畑の丘から国道に戻る。国道が姿と言う地区で海岸線に出るとこの日の終着点になる石川県との県境付近と思われる湾岸を望むことが出来た。
 以後はメモも写真もなく、記憶も曖昧で詳細を記することが出来ないが、女良小学校,灘浦海岸・海水浴場,女良漁港・・,と単調な道を歩いて17時頃、脇地区のバス停(終点)に着き、荷物をバス停に置いて県境まで往復してから高岡行のバスで氷見駅に戻る。氷見駅から車で脇まで行き、翌日に備えて路傍に停車し車中泊。
   
 
 脇の沖合/石川県入り




氷見海岸,氷見から県境へ

2011-01-13 01:56:12 | 海岸線を歩く

 比美乃江斜張橋

※この記録は2009年5月5日に歩いたものを、写真等を頼りに2011年1月12日に書いたもので、1年半以上経過しているので記憶がはっきりしないところがあり曖昧なものは省いた。


09年5月5日(祝)
 早朝,雨晴海岸から道の駅氷見まで歩いて一旦氷見駅に停めてある車に戻り、10:29から再出発する。10:54,雨晴海岸からずっと目標にしてきた比美乃江大橋の斜張橋を渡る。高さ50mもある主塔は北側に向かって倒れており、それを両側からワイヤーで引っ張っているので、橋を渡る時には向こう側に倒れている背を見ることになり、近くでないと分からないが、進行方向に対して斜めないし直角方向から見ると主塔が倒れているのがよくわかる。何にしても珍しい橋だ。



 公園/阿尾城跡・灯台のある阿尾岬

 11:07,大橋を越えると緩やかに湾曲した海岸線に沿った道が阿尾と言う地区の城ヶ崎と言う岬に続き、その中間辺りまでは護岸堤になっていて遊歩道の内側が芝を張った広い公園になっている。その一画のあずま屋風の休憩所で休む(11:14発)。



 阿尾城山門/神輿舎資料館)



 白藤の細道/阿尾岬の灯台

 11:59,阿尾城と言う城跡の山門に到達。城跡を見るべく急な坂道を登ると右手に全面をガラス戸で囲った建物があったが、手がかりになるものが何1つ書かれておらず何の建物か分からない(後に神輿舎資料館と判る)。戻って左手の細い階段を登ると小さな社があったが、こちらも不明(後に白峰社と判明)。社から先にも階段が続き、5分で岬の先端にある灯台に着く。灯台からは木の間越しに阿尾の海岸と集落が見えた。



 阿尾の浦集落/灯台のあった岬を見る

 12:21山門に戻って狭い町道を阿尾の集落のある海辺向かう。突き当りを左折,海岸線に沿って進み、阿尾川と言う小川を渡る橋からは県道373となる。道は温泉街を抜けて国道に重なるが、薮田と言う地区の小漁港までは護岸堤に沿う帯状の公園の道を歩ける。



 海越しの立山を望むビュースポット/大伴家持歌碑

 12:46,阿尾の街から20分ほど歩いた所に海を挟んで立山を見ることのできるビュースポットがあり、そこには立山連峰を表した岩山の模型と展望標示板ががあり、『万葉氷見,神々の伝説』と書かれた説明板には大伴家持の歌が記されてあった。残念ながらこの日本州全土は深い気圧の谷にあって太平洋側は雨,山沿いでは雷も発生すると言う天候で北陸一帯はどんよりと曇って肌寒く、海越しの立山連峰は望むべくもなかった。



 R160薮田のトンネルを迂回/氷見方面を振り返る

 薮田地区の小漁港の先からトンネルになっており、このトンネルを迂回する道を探して港の向かい側の公園を横切って町道に出るとトンネルの上を通る細道があることを教えられ、海沿いに細長く並んだ家並みの側を通って再び国道に戻る(12:57~13:15)。


 万葉氷見伝説/薮田付近



1年8か月ぶりに記録を書く~役に立った3D地図

2011-01-12 15:00:02 | 海岸線を歩く

 比美乃江斜張橋/岬

 『日本海海岸線を歩く』の2009年5月5日の記録をやっと書いた。メモはどこに行ったか分からず、頼みの綱は写真と写真についている時刻のデーターのみ。行程の記憶どころかコースさえ曖昧なところがあったが、コースに関してはヤマレコ山行記録の地図,特に航空写真と3D地図に大いに役立った。
 航空写真には、原野か森のような所であっても地図には載っていないようなかすかな道が写っている場合があり、これには助けられた。また3D地図ではある地点から任意の方向の景色がどのように見えるかをある程度再現できるので、撮った写真の中身と照らし合わせて撮影の位置を特定することが出来た。



 能登のみかん栽培/石川県へ

 それに加えて、旅の途中,氷見の海岸でミカンをつくっている現場に遭遇しながら、その時の写真を撮っていなかったので昨年6月に再訪し、その際にコースを車で走ってみたことも助けになった。
 それでも写真を全く撮っていないところがあって、多分それは心身共に疲れて気力がなかったか、よほど印象が薄かったかなのだろうが、最初に歩いた所の写真がないと何も書けず、お手上げである。
 2009年の記録は5月6日分がまだ残っており、また2010年分に至っては4日間のうち2日半が手つかずである。最悪の場合は写真と時刻だけで行動記録なしになるかもしれない・・。


 大伴家持・万葉歌碑/大境洞窟住居遺跡

戸谷峰

2011-01-10 10:09:54 | 山行

 光城山から見る戸谷峰/№72鉄塔から戸谷峰を見る。

 光城山の山頂から戸谷峰を見る。前回登ってからもう4年も登っていないし、冬には登ったことがなかったので足慣らしもかねて1週間後(8日土)に登る。おかげでお互いの山を双方向から見ることが出来た。



 山頂下の稜線には上がりこがよく見られる/後立山連峰・燕岳~五竜

 戸谷峰には旧四賀村の保福寺地区から登るコースとR254・三才山(みさやま)トンネル付近の野間沢から登るコースがある他、松本市の稲倉(しなくら)峠から旧四賀村との境界線に沿って縦走するコース,保福寺峠と美ヶ原スカイラインを結ぶ林道の三才トンネルの真上に当たる三才山峠から三才山(1605m),六人坊(1618m),を経て縦走するコースなどがある。
 今回は登頂上後、あわよくば六人坊,三才山辺りまでのルート偵察を~,ともくろんでとりつきのいい野間沢コースから登る。



 戸谷峰から光城山を見る/相方はJun1さん

 1月8日(土) 
 標高ほぼ1000mの野間沢橋登山口を7:48発。戸谷峰から東に延びる稜線を100m下った辺りから南に向かって派生する尾根の東斜面を沢に沿って200mほど登る。この沢を遮二無二に登れば主稜線に達することが出来そうだが急斜面の薮漕ぎになるのは必至で、そう言うことをやる馬力と気まぐれは今はない。
 なのでここは送電線巡視路でもある登山道の通り右折し(8:21)、右手の1363mピークを大きく廻りこんで東隣の尾根の上に出る。そこから尾根に沿って送電線が上に伸び、次々と現れる3つの鉄塔(No7~73)を追って登る。



 尾根に出ると/陽が差してきて暑くなった
 右手に進んで東斜面に出ると陽が当たり始め暑くなってきたのでヤッケを脱ぐ(8:47~53)。オーバーズボンも要らないのだが脱ぐのが面倒。カラマツ林の平易な尾根道を歩くこと8分で1360mの№71鉄通過(9:05)。



 №71鉄塔通過/松本市西南部の山々
 
 周囲の木の密度が低くなって次第に見通しがよくなり、さらに進むこと20分弱で1450mの№72鉄塔着(9:23)。鉄塔の向こうに戸谷峰の山頂が見え、左手後方に梓川の南に位置する山々がせりあがって来た。



 №73鉄塔着/獣の足跡
 
 9:40,主稜線上のNo73鉄塔(1510m)着。振り返ると美ヶ原から伸びてくる送電線がよく見える。5分後出発。



 カモシカの食痕/頂上直下,最後の登りを行く

 ここから疎林の主稜線を西に進んで100mほど登り、最後はロープのある急斜面を30mほど登って山頂に到達(10:13)。



 常念・槍方面/六人坊

 雲1つない快晴のまれにみる絶景。列挙すればキリがない遠近の山々を心行くまで目に焼きつけ堪能し、撮れる限りの写真を撮りまくって山頂を後にする。



 №73鉄塔で昼食/ヤドリギ

 10:43,No73鉄塔に戻って昼食を摂り、11:10,荷物を置いて六人坊に向かう。



 六人坊は遠かった/妙高山と金山・雨飾り山中間の信越古道・富士見峠

 六人坊は間近に見え、その向こうに保福寺と美ヶ原スカイラインを結ぶ林道が見えていて楽勝と思われたが、目の前の小ピークから50mくらい下がった先にもう1つのピーク(1503m)があり、そこまで行って見通すと先刻以上の下りがあってその鞍部から大きな登り(100m以上)となっているのが分かった。ここまで来て荷物を置いてきたことを悔やんだが後の祭りで、偵察はここまでとして諦めて引き返す。



 登山口付近に多い桂の木/登山口で見たウスタビガの繭

 帰宅して地図を見ると、1503mのピークからは70mの下りの後、120mの登り返しがあるもそこは1562mのピークで、六人坊はそこからさらに60m登っていた。
 結局1時間かかって№73鉄塔に戻ることになったが、縦走路の様子があらまし分かっただけでも収穫だった。
 12:11下山開始。午後になって陽射しが強くなり暑かったが休まず下って13:08下山。


 №73鉄塔付近から見る旧四賀村保福寺地区最奥の集落/明科から戸谷峰を見る