遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

善光寺街道・会田宿から西条駅へ~後

2010-04-28 09:25:50 | 山のあしおと小学校
 立峠登り口
 境界線ルート分岐点
 4月25日(日)・続
 10:30発,立峠への登りにかかる。刈谷原から立峠を方面を見ると会田宿の辺りが最も低く、道標を鍵の手に右折した所からかなりの勾配の登りとなって岩井堂を経、この登り口からは衝立のような急登になっているのがよく分かる。その最後の壁を登って行く。
 20分で稜線に出る。稜線を左に行けば旧四賀村の境界線ルートである。右折して数分で立峠に着く。荷物をそこに置いてすぐに100mあまり上の送電線鉄塔に案内する。
 刈谷原宿・会田宿方面(02年当時)
 青柳宿方面(同)
 そこから越し方と行く手を見て、立峠が刈谷原宿-会田宿-青柳宿をほぼ一直線に結ぶ重要な位置にあることを見てもらうつもりだった。実際、青柳宿方面は城跡公園の1本松までもがはっきり見えており、180度向きを変えると刈谷原宿を望むことが出来る筈であったが、残念なことに刈谷原宿方面に潅木が繁っていて見づらくなっていた。
 それでも立峠が四賀村と麻績村を結ぶ要に位置していることはよく分かるし、何より送電線がそれを示している。(写真は02年のもの)
 立峠を5分ほど南に進むと唐鳥屋城と言う山城の城跡がある。刈谷原(鷹巣根)城-唐鳥屋城-青柳城を結ぶのろしによる危急の連絡網を想像すると、戦国時代ののろし台としての唐鳥屋城・立峠の位置の重要性が浮かび上がってくるが、実際はどうであったのか・・?
 立峠にて

 立峠(たちとうげ)茶屋跡
 立峠はこれから進む善光寺に思いを馳せ『あの山(聖高原)を越えれば善光寺平だ。まずは一服』と、それまでの我が労苦をねぎらい、さらなる旅路に向けて気を引き締めなおす,といった場所で、かつては『みたらしや』をはじめとする茶屋があってその跡をとどめている。会田宿で食事処を営む『あぶらや』も、ご先祖様がここで『蘭方・正薄荷』なる気付け薬を売っていたとは先刻教わったばかりである。
 峠の一帯は広い平地で、今は乱橋側から車を乗り入れることも出来るようになっている。
 キバナノアマナに似ている
 何とかイチゲ?
 無風快晴のさわやかな空気の元で早目の昼食を摂り、11:45出発。路の脇にキバナノアマナと思われる黄色い花やイチゲの花を見る。ニリンソウにしては大きな葉はトリカブトかも知れぬ~等と当てずっぽうなことを話しながら乱橋に向かってのんびり下る。

 越後の国 孫右ェ門,墓
 石畳
 以前,ルート調査で走り回っていた時に見つけた行き倒れの人の墓を探しながら歩いていると、峠から10分あまり下った辺りにそれはあった。
 『越後の国,X(読めない)善寺村孫右ェ門,墓』と刻字された墓石である。行き倒れの人は無縁仏として村人によって葬られたものと思われがちだが、意外とそうではなくて身元はかなり正確に突き止められ、郷里に伝えられたようだと聞いたことがある。
 この墓も近くにある石に俄か文字で彫ったようなものではないしっかりとした墓であるところを見ると、没者の縁者がつくって行き倒れた場所まで持ってきたのかもしれない等と想像してみる。

 ニリンソウ咲く
 里近し
 谷すじのきれいな水場の周辺の咲くニリンソウの群落のある場所まで来ると乱橋の集落は近い。乱橋上町,中町,本町と急な坂を下って12:33,県道303号に至る。

 棉の実道祖神
 物種太郎塚
 ここからは低い丘陵につけられた曲がりくねった路を行くだけであるが、途中に『馬の水のみ場』とか『棉の実道祖神』『一里塚』などの史跡があって面白い。
 その1つ,中ノ峠付近で『物種太郎塚』なるものを見つけた。この『物種』を何と読むのだろうか? すぐに浮かんでくるのは『ものぐさ太郎』伝説のことだが、ネットで調べた範囲では『物種』=『ものぐさ』を示す記述は見当たらなかった。ご存知の方があればお教え願いたい。
 せっかくなのでお伽草子『ものくさ太郎』を ↓
http://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/otogi/mono/monokus...
 几帳面
 終点
 だらだらと歩いても乱橋から西条駅までは40分あまりのもので、同道した女性達は次の坂北駅まで歩きたい様子だったが、電車の都合で断念したようだ。
 13:15,西条駅着。5月1日からの海岸線歩きに向けての軽い足慣らしにはなった。


善光寺街道・会田宿から西条駅へ~前

2010-04-26 21:07:28 | 山のあしおと小学校
 善光寺西往還・会田宿
 美しい街並み
 4月25日(日)  参加者;junn1&木偶
 甦る善光寺道
 参加者がjunn1さんと2人だけになったので、善光寺街道の立峠に登って山菜パーティーを,と言う計画を変更して四賀支所から西条駅までを歩くことにする。
 8:30に西条駅に集合,1台を駅駐車場に置いて四賀支所に移動し9:10から歩き始める。

 2002年に善光寺街道を歩く企画を始め、松本城から乱橋までを大勢の子ども達と一緒に歩いてから9年になる。当初は街道のルートがはっきり分からず、あちこち走り廻って調査しているうちに村人に車を覚えられるほど多くの時間と労力を費やしたものである。
 その後、2006年に4年後のご開帳をにらんだ善光寺サミットと言う会議が開かれ、調査隊が組織されて街道をしらみつぶしに調査,翌2007年の善光寺ルネッサンスに引きつがれてご開帳に大きく貢献するなど、近年,街道をめぐる活動が活発に展開される中で、会田宿も整備が進み、街並みが見違えるほどきれいになった。

 道標
 会田宿の食事処『あぶらや』
 さて、歩き始めて最初の信号で街道は左折する。ここに置かれた石の標柱に書かれた『右(?)からし屋』(または『からした』)の意味が分からない。すぐ近くで食事処を営んでいる店の主人に聞いてみると『おや? これはなんだい・!?』と地元の人までもが首を傾げるに及んでこの件は不問となったが、『あぶらや』と言う屋号のその店の主人は、かつて先代か先々代かが立峠に茶店を出しており、『蘭方 正薄荷』と言う万病に効く薬をも売っていた云々~,等と往時の話しをしてくれ、しばし茶屋談義に花を咲かせた。

 会田宿本陣
 峠の始まり
 大阪屋,萬屋と続く海鼠壁の美しい町並みをそぞろ歩いて本陣のあった横内家を過ぎ、道標に導かれて鍵の手を右折していよいよ坂道にかかる。
 かつては刈谷原峠とともに難所とされた立峠(990m)であるが、現在の林道花川原線の登山口(840m)からの登りのみを峠と見れば、その標高差は150m,距離は600mほどで、急登ではあるが長大とは言えない。

 カラタチの生垣美しく
 街並みの向こうに立峠
 しかし今とは道路事情が大きく異なる時代においては、道標のあるこの右折点(610m)を峠の始まりと見るべきであろうと思う。その場合の標高差は380m,距離は峠までが2.8km,乱橋(840m)までは5・0kmとなり、当時の旅人にとっては難所と言える大きな峠であったことが頷けると言うものだ。

 常夜灯,背景は虚空蔵山
 松沢家長屋門
 急坂に沿って並んだ美しい街並みの向こうにめざす立峠と送電鉄塔を望み、また虚空蔵山を背景にスッキリと経つ常夜灯や由緒深そうな松の木を愛でながらゆっくり登り、右手に松沢家長屋門を見送って無量寺に至る。

 無量寺の芭蕉句碑

 芭蕉の『身にしみて 大根からし 秋の風』の句碑のある無量寺。その辺りで先行する2人の女性を追い越す。大町から来たと言う2人は立峠を経て西条駅まで行くと言う。そのうちの1人は、中山道を日本橋から京都まで歩き、また追分の分去れから北国街道を通って善光寺まで歩いたと言い、善光寺西街道は洗馬宿から会田宿までと西条から先を済ませていて、この日西条まで歩くと完結すると言う。
 どちらものんびりの行程なので旅は道連れで同道することになる。1人で歩くことが多い女性にとってはコースによって不安を感ずる場所も少なくないのだそうだ。

 岩井・観音堂
 
 岩井堂の観音堂と磨崖仏
 初めてだという2人を岩井堂の磨崖仏に案内する。観音堂があるのは鷲峰山と言う山の長安寺と言うお寺で、山は険しい岩山となっており、あちこちの岩壁に100体ほどの磨崖仏が彫られているとある。

 立峠登り口

 10:20頃、立峠登り口に着き、本日唯一の登りに備えて休憩。

網代が浜にて

2010-04-24 12:37:19 | 平郡島にて・平郡島から
 カイメン
                
 4月16日,ミカン畑の草刈後、大潮,干潮の網代浜に降りてみた。岩に張りつくカイメン・・,

 アメフラシ
                
 潮溜まりのアメフラシ・・。浅い磯などで海藻などを食べて暮らす平和主義の優しい生き物。磯遊びで子ども達が見つけたりすると大騒ぎになる。グンニャリした手触りで、触ると色の液体をモヤモヤと噴出させたる。
 名前の由来は、アメフラシをつつくと時化になったり雨が降るのでアメフラシと言うとも、紫色の液汁が雨雲に見えるためとも言う。
 アメフラシを食べる地域もあるようでこの次には試してみようと思う。

 イソギンチャク
            ヒジキ 
 見事なヒジキだが漁期は終わったのでもう採ることはできない。

万葉植物園~国分寺崖線を歩く

2010-04-23 20:29:25 | 山のあしおと小学校

 つばき 和名;やぶつばき やまつばき

 大伴の宿禰家持の館に宴する歌
『奥山の 八峰の椿 つばらかに 今日は暮らさね太夫のとも (巻一九の四二五二)





 つつじ 和名;やまつつじ つつじ科

『山越えて 遠津の浜の石つつじ 
   我が来るまでに 含みてあり待て




 ちち 和名;いぬびわ

 長歌
『ちちの実の父の命 作葉の母の命
   おぼろかに 情尽くして念ふらむ・・・後略』 (巻一九の四一六四)
 

武蔵国分寺跡~国分寺崖線を歩く

2010-04-23 11:30:31 | 山のあしおと小学校
 国分寺薬師堂

 国分寺4小の交差点に戻り、小学校に沿って南進するとやや下り坂にさしかかる辺りの左手に薬師堂が現れる。



 境内を通って木造薬師如来像の由来や穴居住居跡の説明を読みながら南側に進んで階段を下れば、緩やかに左にカーブしながら下ってきた先の通りの坂下に出る。その辺りから路が狭くなったと思うとすぐに武蔵国分寺跡に着く。



 門前に立つ立派な楼門の前に花市が開かれて賑やかだ。古色蒼然とした寺院の建物よりも、人は色鮮やかな花に目を奪われる。春なればそれもまたよし。



 境内は元国分寺の住職が、武蔵国分寺創建の時代に編纂された万葉集から、当時の歌人が好んで歌の題材とした約160種の植物を集めて歌とともに配したと言う万葉植物園になっている。
 ここでしっかり時間をとってそのすべての歌と植物を撮影することにした。

東山道武蔵路~国分寺崖線を歩く

2010-04-23 09:59:51 | 山のあしおと小学校
 街道路面の復元レプリカ
 東山道・武蔵路
 東京国分寺崖線~ハケの道を歩き始めて最初に訪ねた場所・・。予備知識を持たずに西国分寺駅南口で降りて住宅街の緑地帯を通り、府中街道に突き当たって左折,見覚えのある大きな歩道橋を渡って直進し国分寺4小入り口の交差点に到達する。
 ここで道を聞くと右折してゆっくりカーブしながら下って武蔵国分寺跡からお鷹の道に入る~と教えられた。

 国分寺4小交差点
 案内図
 教えられた通りに信号を渡るとそこにハケの道の案内板があり、その中に『東山道武蔵路』の路面をそのままの位置で発掘,再現したレプリカのモニュメントがあるらしいことが分かった。この『東山道』にまずつかまってしまった。
 なぜなら、その東山道の一方の通過点とも言うべき標識が松本市内にあり、また先月引き払った旧四賀村の借家のまん前をその東山道が通っていたからである。※後述
 それを見ずに通過すれば後日必ず見に来る羽目になるのは明らかなのでハケの道とは逆方向のそのモニュメントをめざして歩くことにした。

 この先(北方)に遺構がある
 遺構のレプリカ
 写真は当時の道を再現したレプリカで、幅9mの側溝つきの路面は中央部分がすり減って大きく凹んでいるのがよく分かった。
 思いがけない拾い物をした感じで交差点に戻り、国分寺跡に向かう。

 遺構の位置を示す
 側溝 

 東山道は中世に作られた官道の1つ。大化改新(645年)で中央集権確立のため国衙(コクガ・国府)を結ぶ駅馬の基本構想が詔され、養老7年(723年)頃まで長い年月をかけて造られたもので、その行程は近江から美濃・信濃を通り上野・下野を経て陸奥・出羽に至るものである。
 東山道武蔵路は、当初東山道の本道の一部として開通し、のちに支路となった道であり、上野国・下野国から武蔵国を南北方向に通って武蔵国の国府に至る幅12m程の直線道路であった。
 従って、松本市を通る東山道と東山道武蔵路は同レベルで繋がるものではなく、武蔵路はその枝道である。
 

 『東山道』には五畿七道と言う地域区分の1つである国名としての意味があるので混同を避けたい。五幾七道の『畿』とは首都の意味で、京都付近を畿内,京都に接する五カ国(山城,大和,河内,和泉,摂津)を近畿とし、他のエリアを『東海道』『北陸道』『山陽道』『山陰道』『南海道』『西海道』『東山道』とした。東山道は中央山間部から東北までの広域を指す。『道』は北海道の『道』と同じだが北海道が出来たのは明治になってから。



ウメとサクラ

2010-04-22 03:33:16 | 安曇野


 『やっとウメが咲いた』と言うと驚く人が多いのに逆に驚く。
 
 安曇野市の東側に連なる低い山なみの1つに光城山がある。この山には登山路に沿ってサクラが植えられており、見上げると登山口から頂に向かって開花が進んで行く垂直移動の様子がよくわかって面白い。
 写真の通り、21日現在,山頂直下はまだ蕾の色である。

 標高は登山口が600m,山頂は911m。


 我が農園はこの山の1つ北に位置する長峰山(933m)の裏(東)側を100mほど下った所にあり、サクラが丁度咲ききったくらいの場所である。

 農園のウメの向こうにサクラの花が重なって、今が花の季節なのだ。



 アカバナがやっと咲き出したが、黄花にくらべると遠慮がちだ。

ミカン畑

2010-04-19 07:36:03 | 平郡島にて・平郡島から
  青々として若々しい木
 蔓に絡まれた瀕死の木
 只今帰省中。予定外の帰省の機会を得たので、懸案だった漁師のTakaharuさん所有のミカン畑の管理の件について結論を出すため平郡島に行き、とりあえず1年間だけやって見ることにして草を刈り施肥をして来た。
 瀬戸内のみかんは今、ミバエの脅威に晒されており、栽培を諦める農家が相次いでいる。平郡島の隣の祝島では島を挙げてミカンをやめ、ビワに切り替えたと言う。このまま行けばミカンをはじめとする柑橘類はつくられなくなってしまうかもしれないて言う状況下にある。
 作業開始

 平郡島ではミバエ対策てして最低限の薬剤散布を義務づけており、畑を放棄する場合は直ちに木を切らなければならないのでその決断を迫られているのだ。 草刈りは少なくとも春と梅雨時、盛夏の3回以上、施肥は1回以上、摘果は8~10月に1回以上、薬剤散布もほぼ同じ時期に1回が必要となる。
 今回は3月にできなかった1回目の草刈りと施肥。2回目の草刈りを6月下旬~7月上旬に、3回目の草刈りと摘果、薬剤散布を8月下旬にまとめて行うと言う計画を立ててみた。 実際にやって見ると去年草刈りをやっていなかったので大変な状況になっており、また道具も揃っていなかったのでは充分なことができなかった。
 次回は長野から自分の機械を運んで存分に作業したいと思っている。
 水湛える水田に
 網代が浜を見下ろす

やっとウメ

2010-04-12 00:50:05 | あまってら農園



 桜にくらべると梅の花は奥ゆかしくていい
 サクラの花が終わる頃になってやっと咲く
 我が農園のウメは
 その意味でも奥ゆかしくて二重に愛い
 晩ければ 晩いなりを愛でるがよい



 アカバナミツマタの台木が勝手に枝を伸ばして
 黄色いボンボンを咲かせた
 去年切ったつもりが残っていたらしい
 台木の方が勢いがよくアカバナを圧倒
 こちらはちっとも奥ゆかしくないが
 その抜け目の無さもなかなかのものだ 


国分寺崖線,ハケの道

2010-04-10 07:25:23 | 山のあしおと小学校
 車窓から甲斐駒

 1枚だけ残しておいた18切符で国分寺崖線,西国分寺から東小金井に至るハケの道を歩きに行く。
 6:20明科発、松本、甲府、大月、高尾で乗り換えて西国分寺着11:00。お鷹の道~ハケの道~野川公園を歩き東小金井駅へ。同駅発14:18で明科着19:29,15:50発なら20:24着で、現地に滞在可能な時間は3時間18分ないし4時50分となり、歩くには充分だ。
 ハケの道を歩くのは10余年ぶりとなる。



 ある駅でのこと・・,
 突然車内放送があって、『次の駅は桜が今まさに満開だから停車時間は短いがよくご覧あれ~』とのたまう。なるほど駅の端から端まで溢れんばかりの見事な桜の花である。
 が・・,それまで山梨駅辺りの沿線の桃の花に見とれていた自分にとってはこの放送は余計なことであり、また奇異に感じられた。
 一方は見せるためにこれ見よがしに植えた花,一方はたゆみない生産活動がもたらした郷土を代表する景観,どちらが上だとか下だなどと言うつもりはないが、その土地の誇りとも言える桃の花の美しさには触れず、手前が植えた桜の美しさだけを押しつけがましく喧伝するJRはデリカシーに欠けるだけでなく不見識で厚かましい。
 放送が無くても駅の桜に目を奪われない者はいない。その人達もその寸前までは桃の花に目を奪われていたかもしれないのだ。
 どっちがいいと比べる人もいれば、どっちもいいと思う人もいるだろうし、目に映る景観をあるがままに楽しんでいる人もいるだろう。自分のように桃の花を見るために電車に乗っている者もいる。
 人それぞれに、それぞれの感性,それぞれの愛で方で鑑賞しているものに対しては、そっとしておくのが大人の態度と言うものだろう。

 お鷹の道
 くじら山(武蔵野公園)
 美術館で『00の絵が素晴らしいからよく見ましょう~』などと放送されたら誰でも呆れるし怒るだろうが、こと桜の花になるとそれが許されている。

インカの目覚め&アンデス

2010-04-09 11:02:26 | あまってら農園
 インカの目覚め10kg
 アンデス4kg
  11日にジャガイモを植えつけるために急ピッチで畑づくり~施肥・耕運中! 
 メインはなんと言っても『インカの目覚め』。昨年は4kg買ったのだが、注文した時期が遅くて種芋の粒が大きかったのでいくらも無かった。種芋は早い時期ほど小粒のものが得られるので今年は早めに注文して量も10kgに増やしたのでバッチリ。
 同じ種芋でもアンデスは注文の時期に関わりなく種芋が小さい。昨年はインカと同じ4kg買って数はインカの3倍以上あり、植える場所に困ったほどだった。種芋の大きさによってはこんなにも違うのだ。しかも収穫時の大きさはアンデスの方が大きい。

 大白4kg
 とうや2kg
 他には大白4kgととうやと言う品種を2kgで合計20kg,9712円。

 春~夏野菜の種色々
 施肥・耕運急ピッチ
 トマト,キューリ,トウモロコシ,ニンジン,キャベツ,春ダイコン,コマツナ,ルッコラ等々,春~夏の野菜の播種も急がれる。
 ルッコラは春から夏にかけてはうまく行かないことが多いので最近はつくっていないが、通年欲しいので久々にやってみる。ダイコンも同様だがお試し・・。
 ニンジンはついつい後まわしになってしまう。ほとんどが自前で出来るキムチの中で唯一買っているので今年はちゃんとつくりたいものだ。

 400個
 また出た
 フキノトウがまたまたいっぱい出た。1週間前に400個ほど採ってあちこちに配ったばかりなのに衰える気配がない。
 11日にはジャガイモを植えて昼は山菜・野草天ぷら。ネタはいくらでもある。

 当初の再開墾の予定地
 さらに拡大予定
 当初再開墾する予定だったのが後回しになった場所も近々のうちに何とかしたい。更にその下にももう3枚はつくれそうだ。

登山靴をオーダー

2010-04-06 11:09:43 | 山行
 山靴の店ゴロ(巣鴨)

 永年手入れもせず酷使してきた登山靴が限界を迎え、jun1さん,他の方々お薦めのゴロでオーダーすることにして巣鴨へ行って来た。
 穂高発6:01。残った青春18切符を使って各駅停車で片道5時間20分,往復11時間弱,穂高着19:38の1日仕事となった。



 20年近く履いてきた靴はフックが壊れて修理に出したが無理だと言われた。左足の方は何の問題もないので勿体ないのだが、これまで散々靴擦れに悩まされては来ていささか億劫になって来たので買い換えることにした。
 しかし、いざ買おうとするとなかなかピッタリ来る靴にはめぐり合えないものだ。探しあぐね考えあぐねた末にオーダーすることにした次第。

 採寸
 試着
 ゴロの対応は実に丁寧で採寸から始まって試着を十数回繰返し、1時間余りかかってようやく決まった。
 採寸の結果、右の足の長さが左に比べて2.5mmほど短いことが分かり、右足の踵に限って靴ずれができる原因はこのわずかなずれによるものではないかと言われた。靴が大きい分、足が靴の中で浮いて擦れるのだそうだ。
 靴が小さいからではなく大きいからとは・・,考えが逆だったようだ。
 確かに同じサイズの靴を試着すると左がビッタリのものでは右が緩い。やむなく左右のサイズを変えることに落着した。
 仕上がりは5月18日。

 左足は何ら問題ないのに・・,
 左は1世代前の靴
 左は引越しの中で見つかったその前の世代の靴。少し軽すぎるが夏用には使えそうだ。

 そうそう! 1つ大事な点,『靴紐を踵に廻したことがありますネ』と指摘された。言われてみれば確かに初期の頃靴紐を踵に廻したことがある。これが靴に悪い癖をつけるらしい。

春宵に集う

2010-04-04 16:18:16 | ひろしま・やまぐち電車旅
 
 
 シェフでもあり、新しい船で鯛漁を始めた漁師のKojiさんの手になる鯛とハマチのおつくりと、前日締めたハマチとダイコンの焚き合わせ

 
 
 採れたてのヒジキとキヌサヤの和え物,今が旬のナマコと平郡ダイコンのおろし和え



 ノンちゃんとの笑顔和え



 果てしなく続く語らい。

 今日も、平郡率90%超,笑顔率100%超,千金の春の宵