遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

黒沢尾根ガイド

2012-01-31 02:18:54 | 森のくらしの郷&ぐるったネット

 一歩一歩踏みしめて・・/1599mピークに勢揃い!



 大町市内の観光ホテルからの依頼で、2女性(スノーシュー体験1回)の黒沢尾根ワカンハイキングに同行案内する。

 同日程でスノーシューハイキングのガイド講習が行われており、ほぼ同一行動となるが、スノーシューとわかん歩行との違いもハッキリ出て、その意味ではいい研修にもなった。



 リフトが動かない~男ども10人余で除雪機を移動!/ワカンをつけて・・


 サンアルピナ鹿島槍スキー場のメインリフトを上がって、第10リフトまで行ってみるとリフトが動いていない。
 係員と話しているうちに、故障した除雪機がリフトの邪魔になって運転できないと言うことが分かり、参加者の男達で動かそうではないか~と言うことになった。
 で、前側に両サイドにスノーダンプをかまして後から押したところ何とか動かすことができ、20分ほどで運転開始となって無事,リフト終点に着く。
 色んなことがあるものだ・・。



 目指す1599mピーク(左上端)に向かう/やったネ!  



 結果は写真の通り!
 よく晴れた日ではあったが、山は貌を出さず終いの日でもあった。
 今日もカモシカに逢えた。


 以下,詳細別途。

アイスクライミング体験

2012-01-30 20:59:27 | 山行
 
 大町労山きってのクライマーKさん/同、Yさん

 大町市への転居後、労山長野県連にコンタクトして大町労山に加入し、1月から正式に会員となった。古巣の広島・佐伯FHCに在籍中から加入していた遭対基金が、無事故でそのまま継続されるのが大きい。

 大町労山は、松川村,大町市,白馬村,小谷村等,大北地区在住の会員20余名を有し、かつてマナスル,シシャパンマに登頂したことのあるトップクライマーから薮山専門のハイカーまで、幅広い登山者を擁する中規模の会で、月2回の例会を軸に、冬期も活発に山行活動を展開している。
 折よく労山長野県連の登山学校として、以前から一度経験したいと思っていたアイスクライミングの実践講習が行われることとなり、絶好の機会とばかり、ベテラン会員3氏と共にこれに参加し、厳寒の大鹿村隠れ谷にて実践講習を受けた。

 前夜が1月後半の例会だったので、会議後参加者全員がnobou宅に泊まりこんで雑魚寝し、4:40に出発,7:00前に大鹿村役場に着いて他の会の参加者と合流し現地に向かう。
 登山口着7:40。主管者挨拶の後,道なき林間を歩いて8:15に隠谷(仮称)入り口に着き、ここでアイゼン,ハーネス等を装着。8:30,早い人から登攀開始。2mの滝を2つ越えた先の5mの滝から本格的なクライミングとなるが、ここでK氏からWアックスの手ほどきを受ける(9:20~9:50)。
 5mの滝からは直登を避けて大きく高巻きし、ズルズルと崩れやすい岩屑の急斜面を遮二無二登って10:40に目的地である30mの大滝の下に出る。


 
 30mの滝に挑むトップバッターの女性クライマー

 すでに滝上からはメインのザイルが下され、トップバッターの女性クライマーが取りついて衆目を浴びながら登攀を始めているところで(10:42)、下から3分の2くらいのややかぶり気味の直壁でやや苦戦し、鈍る腕を交互に休めながら10分あまり(10:44~10:54)でこの壁を乗り切って11:03滝上に到達し、快心の笑みと共に懸垂で降りてきた。



 トレーニングを繰り返す/ノンアックスでトライ


 その後、次々と参加者が滝を登り、またトレーニング用に張られた3本のザイルを使って10m程のクライミングを繰り返すなどして15時近くまで冷凍庫のような渓間で過ごす。下はズボンだけ,上はセーターを着るのが面倒でシャツ2枚とオーバーヤッケだけだったので超寒かった。
 自分は体験して見るくらいの気持ちで参加したので30mの滝を登って見たいと言う気持ちの高まりはなく、10mのトレーニングに留めて他者のクライミングを見ることに徹する。

 アイスクライミングは岩登りと同じく3点支持が基本で、スタンスが重要と言うことだが、初心者はどの程度の蹴りこみでしっかり止まるのか、その加減が分からないだけに目いっぱい蹴りこみ、しかも1発で決まらず何回か繰り返すので必要以上に筋力を消費してしまいがちで、夜になって大腿の内転筋に痙攣が来た。
 アイゼンの爪だけで立つので脚を内側に絞り気味に使うからだろう。両脚に来たが、特に普段使わない利き足でない方の脚は強烈だった。
 バイルを打ち込む腕も逆腕が鈍りやすい。普段にはない動きによるものではあるが、別にバイルでぶら下がる訳ではないので、無駄な動きが多いと言うことなのだろう。



 大町労山のエース,Sさん 


 アイスハンマーやアイスアックス,登攀用具等,アイスクライミングは用具に負う所が大きく、金がかかることこの上ない。
 この先,続けるかどうか・・,一旦帰って反芻し、もう一度やりたいと思えば装備を揃えるところから始めることになるだろうと思う。道具を借りてやっているうちは本気にはなれないだろうと思うが、今のところアイスバイルまで買う気も余裕もない。
 そうこうしているうちに、期間限定のシーズンは過ぎて行く。大町から大鹿村までは往復約300km。中信や北信のどこかに氷瀑があるとしても雪が深すぎて近寄れず、雪の少ない南信に行かないとトレーニングの場所がないと言うのも皮肉なことだ。



 大町労山,若手のYさん



2か月遅れのタクアン漬け

2012-01-27 14:00:38 | 喰う寝る○太

 ダイコン約50kg/重石約55kg


 延び延びのにしていたダイコンの漬け込み~2ヶ月遅れでやっと終えた。



 干したダイコン~干し理想約80kg


 何処で干しても凍みてしまうので、2階の日当たりのよい南向きの廊下に約1ヶ月間放置。いくらか凍ったものもあり、それは別の利用法を考える。



 糠床を調合/ダイコンごろごろ


 糠床は、米糠:7kg,塩:2kg,ザラメ糖:1kg,黒糖:300g,昆布:しっかり,柿の皮:たっぷり,みかん皮:たっぷり,ナスの葉:たっぷり,タカノツメ:たくさん,ハバネロにお匹敵すると言う島トウガラシを入れてみた。



 糠とダイコンを交互にきっちり詰める


 50kgのダイコンをきっちり詰めて重石は市販の5kgの重石+20㍑タンクを満杯にして2個乗せる。もうちょっと重石をかけたいが、これ以上乗せようがない。



 12月4日収穫~遅かった/1ヶ月間放置


 ルッコラを出荷している『地場の郷』と言う産直売り場の所長さんによると、干し理想は15cmくらいの狭い間隔で播種・育成し、太さも長さもあまり大きくし過ぎないようにすることが肝要なのだそうだ。
 それは、食卓に出す時,2つ割りせずに丸いまま切って出せるからで、直径6~8cm,長さ35~40cm程度が食べきりサイズと言うことらしい。
 それに比べると太さも長さも1.5~2倍くらいあって『過ぎたるは及ばざるがごとし』なのだそうだ。
 ドカンと山盛りにしてバリバリ食う方がいいと思うのは少数派なのだろう・・。まぁ,好きなようにやる!

 収穫12月4日と言うのがそもそも遅く、11月半ばまでに収穫を終えていなくてはならない,と言うのはその通りだが、昨秋はどこのダイコンも好調で育ち過ぎたようだ。



数万のヒツジ もしくわ カモシカ in 森くら

2012-01-27 10:45:40 | 森のくらしの郷&ぐるったネット

 冬芽と葉痕~サワグルミの幼木/頭に冠を戴く 


 雪道を歩いて 森くらへ 冬芽 葉痕を見に行く
 葉痕の中で一番目だって おもしろいのは
 ヒツジ もしくわ カモシカの顔
 樹種は 多分サワグルミだろう
 森くらには数万頭のヒツジ or カモシカがいる



 ハンノキの実/小さな種がいっぱい


 ヤシャブシの実を揺すると
 パラパラと種が落ちる
 森のネズミや小鳥たちは
 こんな小さな種を食べて
 生きているのだろう



 エゴノキの実




 カエデの実/クマシデ?




 枯れ草・草の実達 




 落葉に失敗した木の葉/折(ら)れて枯れた葉




 タニウツギ



   




氷を割って洗う

2012-01-25 10:58:28 | 暮らし

 氷を割って洗う


 相変わらず朝は水道が凍るので 寝る前に洗い桶に水をためて置くが
 その水も朝には凍っている
 氷の厚さによって 寒さの度合いが分かると言うものだ

 水が出る時にやっておけばいいものを
 出れば出たで つい横着になって
 おかげで今朝は氷を割ってコマツナを洗う羽目になった

 シャキッとして目が覚めるが そのうち指先が痺れてくるので
 鍋でぬるめの湯を沸かして 時々温める



 コマツナとアブラゲの炒め煮


 雪の日は温かいと言う
 確かに先週の雪の時は3日間凍らなかったが 
 今朝は凍った

 そうしてみると先週の雪は上雪の北端で
 今朝の雪は寒波と一緒に 北から来た雪なのか
 でもあまり寒くはないし
 分からん

 本当に寒い時は
 鍋に水を張ると 一瞬にして氷になる
 今季は2度ばかりそういう日があったが
 そのさまは凄まじくもあり
 また おもしろくもある
  


 シラス入り



 立春まであと10日

屈曲する海岸線~能登島北西部を行く

2012-01-24 13:21:32 | 海岸線を歩く

 夜明け/テント撤収


 20109年5月4日,
 4時半頃起床し、簡単な朝食を済ませてテントを撤収。すでに日が昇っている中,5:30出発。前夜幕営した水産総合センターの建物は行き止まりなので曲町の方に少し戻り、坂道を登って1本上の町道に出る。



 キヌサヤの花盛り/トリコローレ旗の家


 海に面した丘の畑のキヌサヤエンドウが沢山の花をつけ、傍らのイチゴも白い花を咲かせていかにも初夏らしい日当たりのいい高台に風変わりな家があり、玄関に通じる階段状の前庭には石の門柱のようなものがあって、その上に膝を抱えた子どもの座像があり、前庭の左には緑,白,赤の3色の旗が掲げられてあった(イタリアの国旗か?)。
 


 のとじま臨海公園/臨海公園離脱



 県道分岐/6:17~23休憩


 三色旗の家から10分足らずで能登島臨海公園の入口仁差しかかり、会場見取り図を見ながら通過する。右手下海岸沿いには展示館と思われる建物や海水タンクのような施設,広い芝のレクレーション広場等があり、海岸線はそのずっと先まで続いていて淡い新緑の中にヤマザクラと思われるピンクの花が見える。
 臨海公園のある入り江を挟んだその対岸を辿って牧ヶ鼻と言う岬を廻るのだろうか?,といぶかりながら進むと、やがて道は大きくUターンするように左に曲がり、岬とは正反対に進んで県道に突き当たる(6:14)。県道を左折すれば曲を経てガラス美術館のある向田に戻る分岐点を右折して5分休憩。

 

 工事中の法面から降りて入り江に/箱名入り江


 分岐点から5~6分で工事中の道路に出る。正面に小高い尾根があって道は尾根に沿って右折しているように見え、おそらくその尾根の先端に当たるであろう岬に向かってどんどん進んで行くのではないかと思われた。それを裏づけるかのように右下に細い水路を伴った水田のある谷間(迫)があり、その先の湾状の海に沿った林の足元に小屋の屋根が見えた。
 工事中の道路の法面を伝って水田のある谷間に降り、水路に沿って海に出るとそこは先の方で入り口がくっつきそうな深い入り江(箱名入り江)の最深部だった。入り江の入り口の一方が臨海公園の先の牧鼻と言う岬を廻りこんだ位置に当たり、一方の入り口がこれから進む植木鼻と言う岬である。県道は予想通りその植木鼻のほぼ先端を廻りこんで能登島南町に至るのである。



 葭原を突破/筏釣り渡し


 入り江の最深部はちょっとした広場で駐車場や仮設トイレ,ゴミ置き場,水場などがあり、釣り人か漁業者が利用していることが窺われた。そこから先に道はなく、ジメジメした葭原の中の釣り人の踏み跡を辿って突破し、先刻から見えていた小屋まで進む。小屋は入り江の筏で釣りをする人を運ぶための渡しの筏と小屋で、そこからは20mほど上を通る県道に通じる小路があった。7:05頃県道に戻り、植木鼻と言う岬を廻って南町に入る。7:32南町バス停に着き30分ほど休む。




 トリアシショウマ/スミレ



 南町/バス停

 
 


 南町の港/鳥ヶ鼻を望む


 港の後方(右手)に見える岬は箱名入り江の西側入り口仁当たる植木鼻。一方の行く手(左)には鳥ヶ鼻と言う小さな出っ張りを越えた所にやや大きめの湾があって、その対岸に見える家並みが無関町と思われた。
 8:02発。同35無関町に入る。



ハクチョウの事情,人間の事情

2012-01-24 12:21:20 | 安曇野

 田圃のハクチョウ~70羽/御宝田ノハクチョウ


 明科御宝田(ごほうでん)のハクチョウ池(犀川の三日月湖)にやって来るハクチョウは、1月23日現在300羽あまりで昨年1月30日現在の580羽に比して少なく、しかも数の上では300余羽となっていてもそれが一度に集まると言うことはなく、ほんの数羽が池を泳いでいるのを見かけるにとどまっている。
 300余羽と言う数も、1ヶ所で集中的にカウントしたものではなく、あっちの田圃,こっちの水溜り等からの情報を集計して得られた数と思われる。



 去年(2011年3月3日)・御宝田のハクチョウ/去年(2011年2月3日)・同カモの行進


 また例年,池を埋め尽くし、或いは足の踏み場もないほど隊をなしてゾロゾロと陸を歩くカモ類の数も激減している。
 当然ながらハクチョウやガン・カモ達目当ての観光客は皆無に等しく、カメラマンの放列も見られない。

 聞くところによると、池に流れ込む水路が狭くなって水の流れが弱くなったために池の水が結氷し、キツネや野犬などに襲われる危険が生じた結果,水鳥達が安心して夜を過ごせなくなったことが原因らしい。
 ハクチョウの会の人達が市に水路の確保を訴えたが聞き入れられないまま今日に至っているとも聞く。

 そんな訳で、ハクチョウ達はあちこちの田圃や犀川の緩い流れの淀みなどに分散しており、思いがけない所で出会うことがある。特に近年は田圃で落穂などを啄む姿をよく見かけるようになった。



 去年(2011年2月3日)/今年(2012年1月23日)・ウ


 一ヶ所に数百羽が犇めいているのは壮観だが、野鳥のあり方としてはあちこち,ハクチョウ達が自分で安全だと思って選んだ場所で餌を摂ったり塒として過ごすのが本来だろうと思う。
 仮に獣に襲われたとしても最小限の犠牲ですむし、人間社会との軋轢も少なくて済むだろう。まして不必要に餌をまいて川を汚すこともない。

 そこへ行けばたくさんの野鳥の群れに会うことができると言うのがそもそも異常だ。それも数百メートル先の元々安住の場だった所を双眼鏡やプロミナで見るならともかく足元にまで来るようにしたのは餌づけによるものとしか考えられない。


 今年(1月23日)・田圃のハクチョウ/上空に鷹


 至近距離で鮮明な写真を撮ることができるのは確かに魅力で、自分も度々そこを訪れるが、昔は偶然の出会いだけを頼りに望遠レンズを持って山に入り歩き廻った。ろくな写真は撮れないが素人なんだからそれでよかった。
 写真をモノにしたいのか野鳥に出会いたいのか・・,もう1回問いなおして見る。



 小型の鷹が至近距離~これぞ偶然


 帰り道,不意に小型の鷹が道路標識に止まり、わずか4~5mの距離でしっかり撮らせてくれると言う幸運を得た。これぞ偶然の出会い!
 野鳥を見たかったら自分で探して見に行けばよい。或いは山歩きの偶然の出会いに心をときめかせればよい~,と言うのが結論だ。



上雪

2012-01-23 20:42:15 | 安曇野

 雪に埋もれたハウス/ハウス内   


 大町では3日ばかり雪が続いたが降雪量は大したこともなく、用があって久々に池田,明科に行ってみて驚いた。
 雪の量が南に行くほど多くて、大町のような粉雪でなくぼったりした湿った雪なのだ。
 で、もしやと思って明科の畑に行ってみたら大町にいたのでは分からないほどの雪の量で更に驚いた次第。



 コマツナ


 信州ではこのような雪を『上雪』と言うらしい。多分,これは一般的に言うところの里雪のことだろう・・。
 なぜ『上雪』なのかと言うと、長野市辺りから見て南に行くほど京に近いから~,と言う説や南が川の上流に当たるからと言う説等があるらしい。
 里雪と言うのは南側から湿った空気が入って降る雪で、春が近いことの指標とされるが、『上雪』にもそういう意味合いがあるそうだ。



 最後のホウレンソウ

 とは言っても今回大町で降った雪は『上雪』とは思えない乾いた細かな雪で量もそれほど多くはなかった。なので池田以南の雪とは違うような気がする。

 そんな訳でハウスの天井に積もった雪が気になったが、うまく滑り落ちて両脇にうず高く貯まっていたので一安心・・。



 ホウレンソウ・双葉/ヒメオドリコソウの蕾


 ハウス内ではコマツナとホウレンソウが元気よく青々としている。ホウレンソウはこれでお終いだがコマツナはもう少し採れる。またルッコラが復活の兆しが見える。
 11月末に播種したホウレンソウは未だ双葉のまま。ヒメオドリコソウがそろそろ花をつける頃。

切り干し大根とにんじんたっぷりの松前漬け

2012-01-22 18:41:42 | 喰う寝る○太

 切り干しダイコンとニンジンがたっぷり


 久々に松前漬けをつくる

材料は
 スルメイカ;5枚・・・千切り
 昆布;40cm×3枚・・・千切り
 切り干し大根;120g・・・水に戻さず そのまま漬け込む
 ニンジン;中2本・・・千切り
 煎りゴマ(白)
※スルメは剣先イカの方が柔らかくて美味しい・・が 高い!



 スルメ/昆布


調味液は
 しょうゆ;2カップ
 水または鮭;2カップ
 酢;大匙4
 みりん;大匙8
 砂糖;大匙8

 を調合・・・加熱せず生醤油を生かす

 単純に混ぜてもよいが 調味液を半量づつに分け
 昆布+スルメと切り干しダイコン+ニンジンを
 別々に調味液と合わせ
 後で混ぜる方がなじみやすいかも・・




 調味液もたっぷり
 煎りゴマは食べる時にふりかける方が風味が生かせる

 数の子があったら入れよう!
 半日で食べられるが 2~3日後の方がアジがなじむ

 ご飯が進み過ぎるので 塩っぱいのと食べ過ぎにご注意!

 市販の松前づけはネバネバが強いが、手作りではあれほどには粘らない。あれは増粘剤が入っているんじゃないだろうか・・? .

ガラス美術館

2012-01-22 17:40:41 | 海岸線を歩く

 石川県立能登島ガラス美術館


 ガラス美術館は海の見える広々とした丘のあちこちに展示される屋外作品と、特異な形状の展示館(有料)に展示された作品からなるが、ガラス美術なるもに馴染みがないのでどう見たらいいのか分からないと言うのが率直な感想だ。



 屋外展示作品


 ただ、素材の持つ特性からか、表現の仕方の斬新さとか自由性には目を瞠らされるものがあり、それが可能性のほんの一部なのかすべてなのかは解らないが、殆どすべての作品が他の素材とは異なる表現なので、どう評価したらいいのか分からない。
 つまるところ,好きかどうかでしか評価できない気がするが、それはどの素材による表現であっても同じことなのかもしれない。


 屋内展示作品


 それではガラスと言う素材がどうかと言われると、陶器などとは違って煌びやかさとか華やかさはあってもその硬質な質感や透明感,鋭さから来る冷たさが好きになれない。
 がしかし屋外展示作品はユニークで自在。広々とした空間の中の自由気ままな造形として単純に楽しめばいいのかもしれない。






 その中で特に気に入った作品を1つ上げるとするなら、青い海を背景に縦横大きさの異なる青いガラスを重ねた屋外展示の作品で、ガラスの重なり具合による青の濃淡が周辺の芝や樹木や海,空の色とマッチして不思議な空間を創り出しているのと、透明な空気の中で無色透明なはずの一枚のガラスが存在感を示しているのが印象的だった。単に分かり易かったと言えるのかもしれない。単に分かり易かっただけのことかもしれない。

 美術とか芸術のことは分からないが、工芸館ではなく美術館だと言うことは何となく頷ける気がした。



 案山子窯/曲にて日没近し


 美術館を出ると17時を過ぎており、そろそろこの日のテン場を決めなければならなかったが、信号機まで戻るとそこに『案山子窯』と言う絵画や陶磁器,生花などを展示した喫茶店(茶店)のような店があり、雰囲気に惹かれてふらりと入る。
 『奥へどうぞ。海を見てゆっくりして下さい!』と勧められるままに海に面した落ち着いた雰囲気の木の椅子に腰かけて休ませてもらう。



 テン場


 18:15、曲町の水産総合センターと言う施設近くの草地に格好の幕営地を見つけ、そこを塒とする。


向田町

2012-01-22 17:08:40 | 海岸線を歩く

 向田城


 イルカウォッチングの観望台を過ぎて進むこと十数分で右手の水田の先に高さ30m程のこんもした丘を見てまっすぐそこに突き当たると、そこが向田城と言う城跡のある城ヶ鼻だった(15:01着)。
 七尾北湾に面した城ヶ鼻は地元では『城山』と呼ばれ、また漁師たちからは『カナサキ』と呼ばれて航行の目印になっており、本土の穴水町甲(2011年5月3日通過)とはわずか6kmの距離である。



 広い水田が広がる向田地区/護岸堤を歩く



 バス停向田公園前/向田公園


 向田城をつぶさに見て県道に戻るとそこから先は広々とした水田が広がる平野で、その先に向田(こうだ)町の人家が密集する街並みが見えていて、県道は一旦左折(南進)して野崎方面への道を分け、水田の中央を西に進んで向田の町に向かう。
 入り江に沿って伸びる護岸堤の上を歩き、行き詰って護岸堤と県道の間に広がる水田の中の畦道を辿って15:32,バス停・向田公園前に着く。



 向田港


 港は漁船や釣り船,イルカウォッチングの船の発進基地であったり、防波堤で釣りをする人や波打ち際で遊ぶ人々の遊び場であり、港に面した広場は芝を植えた公園で休憩室もあって人々の憩いの場であったりもする。向田の入り江は平和で穏やかな海浜である。



 向田町中心部~直進2km弱で朝の出発点へ~/ガラス美術館へ


 向田町から今日の出発点で能登島中学校やコンビニのある交差点までは2kmもない。次に向かう先は能登島ガラス美術館である。
 町の中程から直接ガラス美術館のある道の駅に至る細道を教えられたが、入り口が分からないまま海岸沿いに進んで大きな交差点を左に戻るように曲がって丘の上の道の駅に着き、一服して美術館に入館する(16:43~17:12)。


祖母ヶ尼行者

2012-01-22 16:38:57 | 海岸線を歩く

 分厚い篠の薮/わずかな水田耕地は海に面して


 能登島の北端に当たる多浦鼻を廻って島の北西面に入ると、入り江と港,田畑と人家が程よく調和していたそれまでの穏やかな景観から、強い北西風のストレスを受け続ける厳しい環境へと状況が劇変する。
 さらに目を瞠らされるのは町道の両側に見られる分厚い篠竹の密生である。篠の層はぎっしりと厚く、高さは数メートルに及ぶ。天然の生垣ともいえるその篠はしかし、道の海側だけでなくむしろ山側に発達していて、必ずしも道を守るものになっていないところが天然であると言えそうだ。

 また祖母ヶ浦から数km先の向田町までの間は、山が海に迫って海岸線の内側にはわずかな耕地さえ見られず、たとえ篠がどんな密生しようとも守るべき田畑も人家もないと言う不毛の地のように思えた。



 祖母ヶ尼行者碑/


 12:35『祖母が尼(ばがに)行者碑・御祖母(おんば)様の墓』と言う案内板に惹かれ『120m先』と言う標識に従ってきつい坂道を登って見に行く。
 『乳母ヶ尼行者は貴族の生まれで、比叡山で修行した後、地方へ出て天台宗を流布した人。この地にやって来て、粟や黍の耕作しか知らなかった村人に稲の栽培を教えた。また高根と言う地区に住んでいた人達に漁業を教えようと祖母ヶ浦への移住を勧める等,知恵者だった祖母ヶ尼は能登島一の開拓指導者と言われる。能登島には戸数の割には田圃が多いのも尼のお蔭だと語り継がれている。』等々。
 島の婦人達が働き者なのも、お乳母様と村人とのそう言う歴史があったからかもしれないと思ったりした。(13:15まで)
 


 水田が現れる/



 イカリソウ/ワラビは至る所にある


 少し休んで13:15出発。海側に見るものがなく、山裾のイカリソウやチゴユリ,ワラビ等の写真を撮りながら歩く。 
 13:33『ひょううこりの湯へ7km』の標識がある辺りで初めて水田を見る。強い北西風をさえぎる分厚い篠の竹垣をぐるっと廻り、同49,右手はるか前方に向田と思われる集落を望む。子に来て水田が多くなってきた。



 イルカウォッチング


 (2年8ヶ月の空白を経て続きを書く)
 14:12,そわじ鼻と言う小さな岬を廻って向かいの城ケ鼻と言う岬との間の入り江に達する。その入り江の一番奥を通過した辺りに『イルカウォッチング』用の観望台があり、『イルカウォッチングのルール』と書かれた看板があって数名の人が双眼鏡で沖を見ているのに出くわした。
 話しには聞いていたので車を停めて沖を見ると、先刻通過したそわじ鼻に近い海に数席の船とカヌーがいて、その周りでイルカが泳いでいるのを見ているらしかった。肉眼でしばらく船の周辺を見ていると、時おり波頭に黒いもの浮き上がるのが見える。『アァ,見えますネェッ!』と言うと周辺の人が『肉眼でよく見えますネェ』と言い、双眼鏡の人が『何処.どこッ』と言う。



 イルカを見る人々/アケビの花

 イルカの動きは変幻自在で、右端の船の近くに現れたかと思うとしばらく後にははるか離れた左端の船の近くに頭を出したりで間近で見ているはずの人達もその動きについていけず、後で写真を拡大してみると乗船者の視線がバラバラだった。
 遠くで見る方が動き巨視的に捉えることができるのかもしれない。がしかし遠すぎて点にしか見えないのも事実だ。


能登島東端を越える

2012-01-22 14:50:08 | 海岸線を歩く

 目(えのめ)町/『神威』の鳥居



 名前のない神社/目港を見下ろす

 10:03発,左幸屋敷跡から能登島長崎町,能登島目町と目まぐるしく町名が変わる中,同23勝尾崎分岐を右折して目町に入り(10:31)、同38『神威』と書かれ足を大きく踏ん張った鳥居に着く。
 緩やかな石段の上に神社があり、港や町の全貌を見渡せそうなのでそこに登って見たが、神社自体はガラス戸のような覆いの中にあって名前を表すものはおろか字を書いたものがなく何もわからない。

 神社のある丘の林を抜ければその先端が勝尾崎でそこは能登島の東の端に当たり、前日歩いた七尾市の観音崎とほぼ同経度であるがパスして目の町と漁港を見おろしながら石段を下る。(10:57)。



 大鯛に得意満面/カワハギ


 11:00漁港で漁から帰った人が獲物を箱詰めしているのに出会う。写真を撮らせてくれと言うと大きな真鯛を得意そうに持ち上げてポーズをとってくれた。他にもハゲ(カワハギ)がいっぱい獲れていた。



 目漁港



 定置網・魚網


 釣りに来た男性に声をかけられたり、波頭を片付けている夫婦に挨拶したりしながら漁協の水産物荷捌き施設を通って定置網の漁網がうず高く積み上げられた広い敷地に出る。漁網の固まりには使い古したものから現役のもの,これから下ろされる新調のものなどがいくつもあり、クレーンでなければ扱えないそれらのスケールの大きさに目を瞠る。



 のどか人~お爺さんと孫


 11:18漁港を後に町道に戻って八ヶ崎バス停の先から2~3分で護岸堤に入り、コバルトブルーの浅瀬が続く湾状の岸の護岸を進んで八ヶ崎の突堤に向かう。竹の竿に糸を垂らして釣りをしている少年の傍らで、棒きれの先にハリのない糸をつけた老人が何度も何度もその棒を振り廻しているのが可笑しく、また微笑ましくもあった。長閑だ。



 八ヶ崎突堤/突堤から多浦鼻をかすめて穴水町火打崎・円山方面を望む


 11:50鉢ヶ崎の突堤に着き、突端まで進んで改めて周囲を見廻す。右手後方に松島キャンプ場のあるダガ岬,そこから逆に大口瀬戸を隔てて見えているのは穴水町の火打崎・円山方面,その右手,真北方向に霞んで見えるのは能登町だろうか・・。
 先刻通過した勝尾崎が能登島では一番東に位置するので、やっと島の端っこ,ほぼ半分の所まで来たことになる。



 祖母ヶ浦(ばばがうら)へ/祖母ヶ尼行者碑


 正午のサイレンを聞いて突堤を後にし、町道に向かうべく葭原の縁の道に入ると途端に強い北風が吹きつけて来た。12:18左手に祖母ヶ浦(ババガウラ)町の標識,右に多浦鼻と言う岬を見て12:26祖母ヶ浦の港に至る。


野崎から勝尾崎へ

2012-01-22 14:04:07 | 海岸線を歩く

 野崎港/定置網漁の漁網



 ネギ畑/松島海岸


 8:39定置網の漁網が広げられた野崎港を右手に見て左折し、海に向って真っすぐ伸びた水路を渡ると左手にダイビングスクールと思われる建物があって数人の若者がウェットスーツの手入れをしており、その先から右折してタマネギ畑のある農家の横を通り、最後は草原を抜けて防波堤に出ると、そこは大小の岩が点在する浅瀬の海岸で、右手は漁港に繋がり、左手には松島と言う小島があってその一帯が、『松島』を冠したオートキャンプ場になっていた。



 松島海岸/松島オートキャンプ場

 

 声かけられて道を問う/働く女たち 


 8:51同キャンプ場着。ざっとひと回りして利用規定などをチェックするに留め、田んぼの中の細道を通って町道に向かう。途中で声をかけて励ましてくれた農婦人に道を聞き、道のない畑の間を通らせてもらって町道に出る。



 働く男たち/向こうの端にも



 勝尾崎/松島をふり返る

 
 そこにも黙々と働く婦人の姿があり、また町道から見下ろす田圃のあっちの端とこっちの端にも相呼応して働く夫婦の姿があった。再び堤防に戻り、振り返ると松島,前を見ると勝尾崎と思われる半島が望まれた。



 史跡・小浦左幸屋敷跡/


 がしかし、そこまで行くためにはもう一度海から離れなければならない。9:31長崎町と言う次の町との間にあるトンネルに向かう山沿いの道で木陰を求めて休み、10分後出発。9:59『小浦左幸屋敷跡』と言う町の史跡に着く。いくつかの伝説の中に『銭懸松』と言うものがある。
 

 子殺しの跡『こつほ』/ 

 当地に住んでいた小浦左幸は大金持ちで、土用の虫干しの時期が来ると、すべての銭を屋敷の松の枝に懸けてその眺めを楽しんでいた。さほどの金持ちでありながら、小作の百姓達は年貢を減らしてくれるように頼んだが決して聞き入れなかった。そこである日百姓達は相談して1人残らず越後に逃げてしまった。
 残された左幸も『小浦の左幸も1人おられん』と後を追って越後に行ったと言うものである。これは伝説であるが、史実としても加賀藩への年貢米の未進により、一村を上げて逃散して無住になったと言う。

 他にも前田利家が石動山を焼き討ちした時に石動山側について参戦した小浦の人々が上杉景勝を頼って越後に落ち延びたと言う説や、揚浜式塩田による塩づくりの技術に長けていた村人が越後の上杉氏に召喚されたと言う説があり、上杉氏との関係を窺わせるものが多い。屋敷跡には塚状の中世の墳墓や五輪の塔などが残存する。↓
小浦左幸と村民の逃散『http://www.geocities.jp/une_genzaburo/KouraSako.htm』

 屋敷跡の椿の木の下に「子どもを殺した所 ここが『こつほ』」と書かれた標柱があったが、説明がなく意味不明。