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再掲~ 廿日市市民の良識(常識) ・廿日市市の非常識~広域基幹林道『細身谷線』建設中止への道のり

2012-01-21 20:56:29 | 広島


 愉快腹章さんからのお便り~細見谷情報。

 2006年6月30日
 (略)さて、今夜のニュースご覧になりましたか? ローカルで3つの放送局が一斉に同じ時間帯にテレビ放映を行いました。例の『細見谷のスーパー・ハイウエイ建設』についてです。私はチャンネルを変えながら3局見ました。他にもあったかもしれません。
 マスコミは責任をとらない言い方ですが『道路』という言葉をもてあそんでいるように思います。
 HFM(広島フィールド・ミュージアム)の金井塚さん達がとても気を使っている『道路』という言葉をです。みなさんにもきちんとお伝えしておきましょう。

 金井塚さん達,ストップの会は、林業に携わる人達のために山を再生するには、今ある細見谷の中を通る『道』はとても大切だと言っています。あの『道』を2~3百万円もかければとてもよくなると言います。あの『道』もその周囲も大切にしようというのです。

 200円億使っての『スーパーハイウエイ』はまったく必要ないだけでなく、大被害が出るのはまちがいないと断言しています。
 それは科学的に予想するだけでなく、現在も日本中でその大被害が起こっている実例があるからです。
 廿日市市の市長さん達には、今も進んでいるその惨状をみて頂きたいので『ぜひ,視察に行きましょう』と要請しているそうですが、なかなか~,のようです。
 
 佐伯町(現廿日市市)で林業に従事していた人に聞けばやはり『スーパーハイウエイ』は絶対にいらないと言われました。とんでもない、今の道で充分だと・・。

 『緑資源・・』が造ろうとしているのは『スーパーハイウェイ』です。ところが、林野庁(緑資源)の管轄で造るどんな道路も言葉の定義では『林道』ということになっているのです。
 『林道』は必要な道だからいいにきまっている~,という言葉の錯覚を利用して北海道や、日本全国に『林道』はつくら、つくられようとしています。
 実際にはその道は林業には使われず、F1ラリーの道になったりしています。『スーパー・ハイウエイ』なのだから林業に使われないのは当たり前なんです。
 森林巨木を乱伐して売り払い、天下りさん達のボーナスにする組織であっても尤もらしく『緑資源・・』と言うのと同じです。

 明日の新聞(7月1日)には何と書かれるか・・,朝日、毎日、産経、中国、日経、比べてみたいものです。




 4,500本の苗から8万本のワサビって・・!?

 愉快腹章さんからのお便り~細見谷情報・続報。

 2006年7月6日
 クマが住む奥山、細見谷(廿日市市)に大規模幹線林道が造られようとしていますが。あんな非常識な問題をブログで紹介して下さり有難うございます。
 こう言う事は全国の皆さんにできるだけ知っておいてもらった方がいいと思って、確かなことだけをあちらこちらにばらまいています。
 決して楽しい話ではないのですが、行政の非常識にはほんとにあきれかえります。

 例えば、市議会の中で市長さんは、あのスーパー・ハイウエイを造ることの大きな理由は、吉和村と廿日市市の合併の時の約束(条件)であったのだ,と言われました。
 うっかりするとみんなもソーカナーと思いますね。ところが某議員が『それは、本当ですか?』と質問しました。実はそんな公式文書・証拠はないのです。(誰が、どこで、誰とそんな約束をしたのでしょう・・・?)
 がしかし、さすがそこは市長さん,対処がすばやい。厳しい市民(傍聴者)がいると察してその場では言及せず、閉会後『あれは自分の勘違いであった。そんなものはない』と某議員には訂正されたそうですが、傍聴者は今でも合併の条件だと思い込んだまままです。

 それにひきかえ、助役さんは対処が遅い・・・。
 幹線道をつくるのは『吉和のワサビだのためだ!』と胸をはっておっしゃる。実際はほとんど全滅であるのを知らないで・・・。
 ~私達はみんなで何回も観察し、写真や記録をとっているのでわかっているのですが・・
 ナント、助役さんは今もって公式の場で『昨年、吉和の細見谷から3.5トン(3,500kg)のワサビを出荷している。吉和の産業起こしになっているのだ』『実績だ』とおっしゃる。
 『まちがいでは~』,『勘違いでは~』と助言してあげてもガンとして訂正しないそうです。
 そもそも3.5トンといえば、45gの(市売)根ワサビが8万本分です。
 緑資源が幹線林道の着工を言い出した2年前,植えつけられたワサビの数は多めに数えても3,500本であったそうな・・。
 今年の5月に私が見た時はその大部分が枯れていました。もし収穫するとしたら葉ワサビ程度で、本物の45gの根ワサビは1本もないのではないかと思いました。 
 それでも助役さんは『吉和の産業起こし』として3.5トンのワサビを出荷したとPRをしたいらしい。新聞、ラジオで宣伝しているらしいのです。困ったものです。笑ってしまいます。
 でも市民には常識がありますから、あの林道作りに賛成の人はおそらく1パーセントもいないと思われます。それは署名集めの時にわかりました。
 私は約100軒の家をまわりましたが、幹線道賛成と言う人は0でした。他の人も大体同じです。




 議会では、我々のことを多数決の横暴! 民主主義の破壊者!と言っているそうです。署名するなと締めつけ、脅しておいて・・,です。これもまたお笑いです。
 だから、当局は住民直接投票はシャカリキになって、阻止しようとするでしょう。
 皆さんも、今後の成行きに関心を持って見て下さい。

「細見谷林道」建設を断念

2012-01-20 12:52:50 | 広島
                                          育成とは~ファーム勝利から学べ・・・明日のカープ


 建造中の大規模林道


 2008年3月に建設が中断してから約4年、この度1月19日に県が事業を断念。戸河内~吉和を結ぶ全長24.3kmの,12.7kmが未完成のまま、総事業費,106億円、残事業費,26億円で廃止された。
 これによって、西日本有数の生物多様性を誇る渓畔林はひとまず守られた。



 砥石郷山登山/アカモノの実


 独立行政法人緑資源機構が廃止されてから広島県が事業を引き継いだが、財政的に困難でなおかつ林業
施策との関連性が低いと言うことで今回の結論に至った。また環境保全調査検討委員会が機構の調査不足を指摘、事業計画の妥当性に疑問符がついた。



 ブナの森/


 ただ廿日市市長はこの結論を『残念』とし、また『幹線林道は必要』と言う見解から『市の事業として継続できるか国や県と協議に入る』としているので、まだまだ手放しに喜べない。



 ここまでは新聞報道に基づいて岳君が編集


 西中国山地を走るR191の餅ノ木(現安芸太田町)から横川,古屋敷,二軒小屋などの集落を経て、恐羅漢山と十方山の間の水越峠を越え、細身谷と並走して廿日市市吉和に至る十方林道を2車線の広域基幹林道として拡幅整備する計画が持ち上がったのは1980年代末で、当時再建間もない広島県勤労者山岳連盟は、この地域の自然度の豊かさ,美しさに着目し、植生調査や大径木調査を行う等,いち早く渓畔林の素晴らしさをアピールし、その保護を訴えるとともに無用の拡幅計画に異を唱えた経緯がある。
 当時県連の自然保護部長をしていた自分は大径木調査を指揮し、県連の機関誌に度々調査報告を書いたりした。

 その後広島を離れたので詳しい経過は分からないが、2003年(4年?)頃、餅ノ木から二軒小屋方面経由で吉和に抜けようと当地を訪れた時,餅ノ木~二軒小屋間が工事中で通行止めになっていたのを『視察に来た。工事を見せて欲しい』と言って通らせてもらったことがあり、その時は二軒小屋~水越峠~吉和へとかつての林道を通り抜けることができた。

 2006年,佐伯FHC(古巣の山の会)の砥石郷登山の際,再び当地を訪ねた時には餅ノ木~二軒小屋間には立派な直線道路ができていた。
 この時は二軒小屋から先はまだ手つかずだったが、古い林道はアスファルトがボコボコに割れて盛り上がり、軽四輪で走れる状況ではなかった。

 以後,08年に緑資源機構が廃止され、工事が中断に追い込まれて事実上計画は中止されたに等しかったが、県が正式に廃止を決定してようやく決着した。

 1991年の大径木調査から実に21年,その時参加した中学生も30?才になった計算になる。当時を知る者としては灌漑深いものがある。
 当時の写真はあるが、デジタル化していないのですぐには使えない。何とかしたい・・。
 
 今年中に吉和側あるいは二軒小屋側から歩いて入って見たいと思っている。あのブナ林がどうなっているか見届けたい。





育成とは~ファーム勝利から学べ・・・明日のカープ

ウロウロ会

2011-09-01 14:43:16 | 広島




ウロウロ会
 昨年9月,高校の同期会の一部でウロウロ会なるものを立ち上げて、西中国山地・芸北八幡湿原一体を散策した。その時のメンバーを中心に『またウロウロしましょう』と言う声が上がって、西中国山地・吉和立野キャンプ場を拠点に秋の草花,山菜・木の実,キノコを探してウロウロすることになった。
 あわよくば採れた山菜・キノコで宴を張ろうと言う趣向だが、果してどうなるか・・。
 まぁ 収穫は二の次で、1年に1回だけでも同期生が集まって自然の中をウロウロするのは面白いではないかと言うことだ。
 メンバーの中に、山奥で隠遁生活を楽しんでいる男もいて、彼から五右衛門風呂のモリアオガエルの話しを聞くのも楽しみの1つ。

 で、当夜の宴はBBQパーティーになるらしいので、そのBBQ網の上にそこそこのサイズのチヌかメバルをドーンと乗せたいと思い、岳君と一緒に勇躍,夜釣りの出かけた。
 結果がこの写真で、大台に1cm足りない39cmのチヌをゲット。

 平群島の夜釣り(28日)では、昨年,30cmのカサゴが上がったのをのを見せつけられたわし君が奮起。27cmを筆頭に数枚のカサゴとメバルを上げて大満足だった。
 対して自分は竿先のトラブルもあって絶不調で、上げたメバル十数枚はすべて放流サイズ,やっと上げたカサゴを手元で落とし、何やら得体の知れない大物(多分フッコ)には手ごたえを感じる間もなく切られ・・,と散々だった。
 そのリベンジの意味もあって気合を入れて望んだが、最初のアタリで大きいのし止めたためその後は丁寧さを核大雑把な釣りになってしまった。
 
 BBQに乗せるには大きさは充分だが数が足りない。なので今夜もう一度行って数を揃えたい。今夜が駄目なら明日の夜も!


 ウロウロ会の方は、第1部で秋の花と実りを求めてドライブ&ハイキング,第2部は山菜・木の実,キノコパーティーの予定。第3部は朝寝だ。
 もう1枚大きいのが来るとパーティーに刺身を添えられるのだが・・。
 

立野キャンプ場HP マップあり
http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/hatsukaichi/spot/0132...


 吉和でウロウロ会~第2部・宴にぎやかに~
1;まず火を起こし、出来た炭(おき火)に木炭を継ぎ足して大き目の網でBBQの準備をする。
⇒ 焚き火用のマキは流木を集めますが、少しは持参したほうがいいかも
⇒ 木炭・・・用意できる方
⇒ BBQ網・・・お持ちの方(できれば゛2枚) 鉄板も可
⇒ 七輪・・・あると重宝
2;網の上に乗るもの・・
 肉・・焼きの肉用の肉 串焼き(鶏)  
 野菜・・タマネギ,カボチャ,ピマ,トウモロコシ
 魚・・・チヌを釣って持参します 乞う ご期待! 他・秋刀魚などいかが!
 用具・・BBQ網・鉄板(2) 采はし トング  火バサミ 団扇
3;キノコ鍋・・収穫があった場合のみ
 キノコ色々~しいたけ,なめこ,シメジ,エノキなどかっておく手もありか
 ネギ,ハクサイ,トウフ,サトイモ,コンニャクなど
 調味料・・味噌,醤油,出汁(の素) 砂糖,塩
 用具・・大き目鍋 お玉 采はし

 またはテンプラ・・同上
 山菜,キノコ カエル ナメクジ サンショウウオ マムシなど
 テンプラ粉,油,潮,卵 等
 用具・・テンプラ鍋 采はし ボール
4;その他の食材・メニュー
 サラダ用野菜・・
 持ちより1品・・ご自慢の惣菜や漬物など
  ※自慢したい方のみ~無理しなくていいけど下手な自慢も大いに結構!
 ごはん・・・飯ごうで炊くか、パック御飯を暖めるか  
  発電機あるので炊飯器も可・・?
5;飲み物
 アルコール類,持ち寄り+自分用は持参
 ウーロン茶,ジュース類,嗜好品(コーヒー,紅茶等)は各自自分用を持参
 お茶(緑茶)はつくります

6;用具・燃料等一覧
 共同
 BBQ網・鉄板(2) トング 火バサミ 采はし マナイタ 包丁 しゃもじ  お玉 ボール(2~3個) キノコ汁用鍋 テンプラ鍋 飯ごう ビニール袋  七輪 団扇 大皿(2~3枚) 木炭  マキ ガス・ガスコンロ(野帆)
 ランプ・照明(kachan) 発電機(同) ラップ キッチンペーパータオル
 ロールペーパー ビニール袋 蚊取り線香 急須・やかん
 個人
 マイ食器~おわん2 皿2 コップ・箸 スプーン等,容器は大きめを
  ※食器が小さいと汁物は危険 
 ランプ・懐中電灯 虫除けスプレー
7;食材・調味料等一覧
 食材は略
 味噌 醤油 砂糖 塩 ポン酢 焼肉のタレ 油 テンプラ粉 緑茶

 吉和でウロウロ会~第1部・秋の花,山菜・木の実,キノコを求めて~
1;コースは直前か当日に決定
2;服装・装備
  昨年と同じハイキングスタイルで
  特に熱中症対策として、帽子の着用,飲料水の確保をしっかりと
  図鑑,カメラ等,ご随意に 
  川に入りたい方~水着と着替え 沢足袋か地下足袋,ビーチ用の履物を
  ※禁猟期なので釣りは出来ません
3;その他 .

瀬戸の自然

2011-04-13 08:53:20 | 広島

 西峰ではツツジが咲き始めていた/何てたって桜はヤマザクラが一番!


 鈴ヶ峰~武田山間を縦走し、はからずも大茶臼~武田山間を2度歩く結果となったが、5日前には見られなかったツツジとヤマザクラの花を見たり、ウグイスの声を聴く等の変化があって興味深かった。
 ツツジは鈴ヶ峰西峰辺りが走りで、これから東に進んで行くと言う感じだった。
タムシバが満開をやや過ぎて散り始めるといよいよヤマザクラ登場と言うところか・・。


 ヤブツバキのしっとり感

 全コースを通してヤブツバキが多いのも驚きだった。咲く花の下に1つ2つ、あるいは無数の花が散っているのも風情がある。
 コシアブラの木が沢山あって小さな芽が出ていた。さすがにまだ1つも採られていなかった。そして今年初めてのウグイスの声を聴く。里でも初鳴きを聴いたと言う人がいた。
 たった5日間でこうも変わるのかと感心させられる。


 イタドリはぐんぐん伸びる/アケビも全開

 4月6日から平郡島に滞在して、知人の引っ越し先の手入れを手伝っているところ。床張り・畳替え、押し入れの修理など、あらかた終わり、今日はミカン畑の草刈りをして島を離れる。

 平郡ではヤマザクラはとうに散り始めたところがあり、アケビの花も盛期を過ぎた。タラの芽やイタドリが終わってツワブキの新芽が食卓に上る。
 ナマコやワカメ、ヒジキ漁は終わり、そろそろモズクが藻に付く頃。


 石に付く太モズク,藻に付くのとは別種/ヤマザクラ~島の中でも差があるようだ


ひろしま平和の歌

2010-01-01 08:15:00 | 広島

          
 ひろしま平和の歌

 雲白く たなびくところ 空のはて 東に西に
 おお高く こだまひびけと 鐘は鳴る 平和の鐘に
 いまわれら 雄々しく起ちて その栄え ここに興さん

 波青く たゆとおところ 海のはて 南に北に
 おお遠く 祈りとどけと 鐘は鳴る 平和の鐘に
 いまわれら 試練を越えて その行手 ここに仰がん

 風清く かがやくところ 国のはて 世界の友に
 おお熱く 想いかよえと 鐘は鳴る 平和の鐘に
 いまわれら 手をさし伸べて その睦み ここに歌わん

http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1160023462359/index.html

 広島市を世界平和の原点にしようという願いから、昭和22年8月に「平和祭」を挙行するにあたり、同年7月、主催団体である広島平和祭協会(会長 広島市長浜井信三)が公募し、山本秀氏(広島教育音楽連盟)が作曲した。同年8月6日、敬けんな祈りの中で厳粛に行われた第1回広島平和祭で高らかに合唱された。
 以後、昭和25年を除いて、毎年の平和記念式典で歌い継がれている歌である。

演奏
広島市立基町高等学校 広島市立舟入高等学校 広島市立広島商業高等学校
広島市立国泰寺中学校 広島市立翠町中学校
広島市立宇品中学校

合唱
広島大学合唱団 広島大学東雲混声合唱団パストラール 広島少年合唱隊
広島少年合唱隊母親コーラス 広島ジュピター少年少女合唱団
広島ジュピター少年少女合唱団保護者 NHK広島児童合唱団 広島中央合唱団
己斐蓮照寺エコー合唱団 広島合唱同好会 袋町小学校PTAコーラス
鯉城ステア・コール 国泰寺中学校PTAコーラス 広島市役所合唱団
広島市立舟入高等学校


          
          
 you tube ひろしま平和の歌
 http://www.youtube.com/watch?v=QaZ9HSHNYp8

 昨年の8月6日のこと。NHKの原爆慰霊祭の放送がほぼ終わりかけた時、ほんの一瞬だけ、昔聴いたことのある歌声が聴こえた。
 『雲白く ・・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・・』
 ハッとして聞き耳を立てたが放送はそこで終わった。

 出だしの『雲白く・・』の一節と2小節目の後半の『おおぞらあおぐ』と言うフレーズのみ記憶があった以外に歌詞は覚えていなかったが、メロディーは全部記憶していて、放送が終わった後、ハミングで曲をなぞることが出来た。

 以来、それがどう言う歌詞の何と言う曲で、何故式典の中で歌われたのかが気になって、知っている人がいないかどうか調べてみたが分からないまま年末となり、年内に何とかけりをつけたいと思ってネットで調べてみた。
 はじめに、『雲白く』と『大空あおぐ』をヒントに検索したが分からなかった。それは『大空仰ぐ』が自分の記憶違いで、『東に西に』が正しいフレーズだったからだ。
 その後、『雲白く』と『原爆記念日,慰霊祭』で検索して、それが『ひろしま平和の歌』と言う曲で、毎年、式典の中で広島市内の学校や地域の吹奏楽部や合唱団・合唱部等によって演奏・合唱されているということが分かった。

 かつて一度か二度聴いたことがあるだけでその後聴いたことはなく、また式典で合唱されていたと言うことをまったく知らなかったことを恥じ入っている。が、私だけでなくこの曲を知らない人は結構多いようだ。
 軽快できれいな曲であるだけに、もっと知られてよい曲だと思う次第。

西中国山地・細見谷遡行記

2009-11-19 11:57:17 | 広島
 
 コースの概要
 イカダの滝までは滝と言うほどの滝はない代わりにゴルジュの連続で、少なくとも3度の泳ぎを強いられる。泳ぎを避けようとすると相当高く巻くことになり、下りが危険なので泳ぐほうが安全であるし楽しい。下りは流れに身を任せて下ればよい。ゴルジュ帯なので日当たりはよくなく天候が悪いと寒い。

          
 8月30日(日)
 広島佐伯FHCの8月山行・細見谷沢登りに参加のため、Gaku,Tomoko,Nobouの3名が前夜から入り口の立野CP場でキャンプ。広島から来たNakamoto,@ki,Tubasa君を合わせた6名で9:00にCP場を出発。
 CP場のすぐ先の橋の手前から入渓する。左手にある養魚場に水を引き込む導水路の上を通って堰堤の上に出ると、そこから淡々とした河原がしばらく続く。最初の大淵はまだ泳ぐ気持ちになっていないので左側の岩場を登ってここを越える。しばらく進む辺り、渓相がいいので竿を出し釣りながら水線を歩いているうちに少し遅れる。

          
 前方に泳ぎの準備をしているのが見えたのを目の片隅で見ながら釣っているといつの間にか誰もいなくなっていたので慌てて追いかけ、竿を持ったまま泳ぐ。片手泳ぎでちっとも進まず、その後は竿をしまって後を追うが渓相の誘惑に勝てず、再度竿を出してまた遅れる。
 最初の泳ぎの少し先で左側から一の谷が入る。一の谷には滝があり、何人かがその滝を見に登っているのを待っているところで追いつく。
 そこから渓は右に折れ、大きな岩とゴルジュの連続となる。高巻きのルートもあるが、一旦ぬれてしまえば泳ぐことにためらいはなく殆ど水の中を行く。うまい具合に倒木が橋になっている所もあれば急流で必死で泳いでもちっとも進まない場所もあり、楽しみながらゴルジュ帯を抜け、12:30に目標とするオオリュウズの1つ前のイカダ滝に到達。

     ヤバッ!                     
 イカダ滝は見るからに険悪な滝で、被っているのでこれを登るのは難しく、左岸を高巻くしかない。滝上に出ればオオリュウズを見ることが出来るが、釣りで足を引っ張ったために時間が押しており、そこまでとして少し戻った日当たりのいい岩場で昼食とする。
 13:00発。帰りも泳ぎの連続であるが、@aki&Tomoko姉妹がザックに頭を乗せてラッコのように仰向けになってぷかぷかと浮いたまま流れに身を任せて下っているのには笑ってしまった。これが沢下りの醍醐味とでも言いたげである。
 14:00一の谷通過。14:30立野CP場着。

          
 泳ぎを満喫した沢歩きだったが、残念ながらビニール袋に入れておいたデジカメが湿気のためか使えなくなってしまい、防水機能の@kiのカメラまで故障して写真ナシとなった。



西中国山地・細見谷

2009-11-19 10:45:53 | 広島

          
 8月30日(日)
 広島佐伯FHCの8月山行・細見谷沢登りに参加のため、Gaku,Tomoko,木偶の3名が前夜から入り口の立野CP場でキャンプ。広島から来たNakamoto,@ki,Tubasa-kunを合わせた6名で9:00にCP場を出発する。
 細見谷は広島県西部・西中国山地十方山北西の水越峠を源流とし、十方山と五里山の水を集めて両者の間を南西から東にと流れを変えながら下り、立野CP場のすぐ下流で吉和川に合流する長大な谷で、合流する吉和川は冠山を源流とする太田川の本流で、最後は七つの川として広島市の顔となり瀬戸内海に注ぐ太田川の最上流部の川である。

          
 細見谷の十方山と五里山の間を下る区間は平凡な小谷だが、流れを南から東に変えて十方山の西端をぐるりと廻りこむ辺りから様相を一変させ、険しいゴルジュの連続となる。滝が少なく落差こそないものの両側が切り立った陰鬱な谷はまさに廊下と呼ぶにふさわしいスケールで数度の泳ぎを強いられ、その泳ぎを楽しむのがこの時期ならではの魅力なのである。
 

西中国山地・細見谷キャンプ&沢歩き・・・8月29日~30日

2009-11-18 12:30:17 | 広島

          
 8月29日(土) 場所:広島県廿日市市吉和・立野キャンプ場
 11:30にGaku夫妻と五日市を出発。13:00吉和でKei一家(夫人,男児1,女児2)と合流し細見小谷入り口の立野CP場に着く。
 立野キャンプ場はオートキャンプ場ではないが車で荷物を運び込める安易さがあってシーズン中は渓流釣りや川遊びの利用者があるが、混み合うというほどではなく穴場である。照明つきの炊事棟ときれいなトイレ完備。

           
 Kei一家とGaku夫妻はそれぞれ大型のテント、自分は登山用テントを張る。子煩悩のKei君がGaku夫妻と一緒に子ども達を川で遊ばせている間に竿を持って上流に探りに行くも小さなアマゴが数尾かかっただけですべて放流。
 
 一旦戻って下流に向かい、本流に出た合流点で小さなアタリがあって合わせると強い引き。『ヤッタ!』と思った瞬間魚が横に走る。鋭く横に走る魚が何であるかはわかっているので乱暴に岸のたるみに寄せる。案の定,30cmあまりのスマートなイダ(ウグイ)である。猫またぎであるが、川魚を知らない子ども達に見せるためにキープして持ち帰る。
 その頃から雨がポツリと来たかと思うとたちまち凄まじい土砂降りとなり、チャンス到来と粘ったがその後アタリがなく寒さに震えて納竿する。

           
 夕刻,雨が小降りになった頃、十数人の若者のグループが来たので炊事棟をそのグループに譲り、屋根とテーブルのある休憩場で夕食の準備。翌日の細見谷遡行に参加するTomokoが加わって賑やかな夕食・夜宴となる。


臥龍山~ふるさとの山

2009-11-13 11:57:29 | 広島

          
 我がふるさとの山,西中国山地の臥龍山が痛ましい事件の舞台にされ、全国にその名を知られることになるとは思いもよらなかった。西中国山地の山々の中でも特に好きな山だっただけに、山の素晴らしさでなくこのような陰惨な事件の舞台として取り上げられたことが腹立たしく残念でならない。

 臥龍山は標高1223.4m。ある時は西麓の聖湖に幕営してキャンプ場からダイレクトに登り、ある時は東隣の掛頭山からゆったりした縦走路をのんびりと歩き、冬は長者原から林道を歩いて登ったりした。
 林道の終点には水場があって清冽な水が勢いよくほとばしり、その水を求めてくる人もいる。駐車広場の谷側には巨大なブナがあって人目を引いている。その駐車場からは山頂までほんの一息で登れるので、秋には鍋とコンロを担ぎ上げブナハリタケを探してキノコ鍋を楽しんだりもした。
 山麓の東八幡原の湿原は、北に位置する八幡原湿原とともに湿原植物の宝庫で、ウメバチソウやシラヒゲソウ,ビッチュウフウロ,アケボノソウ,ワレモコウなどの可憐な花々が見られる。中でも東八幡湿原のカキツバタは素晴らしい。また秋には一面のススキの原となり、それが逆光に光る様は例えようもなく美しい。
  
 あろうことかその美しくやさしい山の一隅に前途ある若者が、殺害,遺棄されたという。痛ましさにとともにその卑劣さ,異常さに怒りを禁じえない。またこうした陰惨な事件が立て続けに起こることに空恐ろしさを覚えるのも自分一人ではあるまいと思う。
 被害者の女性とご家族,関係者の方々の無念さは察するにあまりあり心が痛む。同時にふるさとの山を穢された思いを拭えない。
 臥龍山をはじめとする芸北・八幡高原の山々と湿原を訪れられる方々があることを願い、お薦めする次第。


 コメント欄にて,ネットで拾った紹介を記事

黙祷

2009-08-06 11:03:39 | 広島

 07年3月26日の核の時計。09年5月26日に北朝鮮の地下核実験を受けて『1』に戻された。

 去年は平郡島キャンプの最終日,柳井から宮島に向かう電車の中で黙祷した。
 一昨年は白馬岳冒険学校を終えて大町駅の駐車場の車中でその時刻を迎えた。
 その前の年は境界線の8月山行,風吹大池から天狗平に向かう道の木道の上で黙祷。同行のメンバーも加わってくれた。
 八王子で働いていた頃,仕事にかかる前の1分間だけ時間をもらって黙祷した時、付近のお寺の鐘が一斉に鳴り始めたのには驚き、また感涙したものだった。
 どこにいても『黙祷』する時刻を、今年は珍しく家で迎えBSで式典の模様を全部見た。
 朝の全国ニュースでは高校時代の師・森下先生の写真を見た。

 核廃絶『必ずできる』のオバマ演説に一筋の光明を見出す思いで迎えた64回目の原爆の日,秋葉市長は平和宣言で、オバマ氏の演説に呼応して英語で『核廃絶を目指し力を合わせよう』と訴え『「Yes,we can』と呼び掛けた。

 一方,政府は原爆症認定訴訟の原告側に対し、一括解決に向けた救済案を打診し、原告・弁護団との間で大筋合意に達した結果、『原爆の日』を迎える今日,6日に原告側と政府が、救済策と訴訟終結に関する確認書を取り交わすに至った。 
 これらのニュースを目をしばたきながら見る。悲願の被爆者救済がようやく全面解決に向けて大きく前進したわけだが、64年の歳月はあまりにも長い。

 中学校時代の親友で子ども代表として平和の鐘を撞いた高崎勝は今どこで何をしているのだろうか・・? 逢いたい!
 『翔ぶんだったら今』『右向け左』『さよならは一度だけ』を書いた同級生の児童文学作家の吉本直志朗は、その後もあの施設の話しを書いているのだろうか・・。

 逢いたい 逢いたい,みんなに逢いたい,逢いたくて泣けてくる。

ふるさとの春はアセビ,ヒサカキ,ヤブツバキ

2009-03-08 12:27:35 | 広島

               
 宮島の春を象徴するものは、アセビの花とヒサカキの匂い,そしてヤブツバキである。
 大元公園から大聖院に抜ける遊歩道の多宝塔付近,街並み越しに海峡を見下ろす小高い丘の辺りには特にアセビが多く、弥山や駒ヶ林に登る山道を少し登るとヤブツバキが現れる。
 そして一帯にはヒサカキの匂いが漂う。ある人はそれを懐かしい春の匂いといい、ある人はガス臭と表現する。
 ヒサカキ白花
        ヒサカキ赤花 
 棒切れを持って暗くなるまで遊び呆けていた時代,私達が基地にしていた山にはアセビが多く、春先には沢山の花が咲いていた。またヒサカキの花が咲く時期でもあり、その匂いが全山にあふれてもいた。当時はそれがヒサカキの匂いだとは知らず、春になるとあたり一面にむせるようにただようその甘い匂いを『春のにおい』だと思っていた。
 なのでヒサカキの匂いを嗅ぐと反射的にその時代が甦り、意識が一気にそこに飛んで行ってしまう。ヒサカキの匂いは『春の山の匂い』として心にも身体にもしみ込んでいるらしい。

 アセビ,ヒサカキ,ヤブツバキの三点セットが自分にとって一番待ち焦がれる春の象徴である。

               
 昨年の春,その宮島で真っ赤と言ってもいいくらいの赤花のアセビを見つけた。白い花がほとんどである中でその赤花の存在は際立っており、それまで気がつかなかったことがいぶかしく思えるほどだった。

 毎年宮島を訪れながら、ここ2年ほどは弥山にも駒ヶ林にも登らなかったので今年はぜひ登りたいし、あの赤花のアセビやヤブツバキにも会いたいと思っている。

                              


やまび香房

2008-04-15 02:37:23 | 広島
 
 ロメインレタス/ワイルドルッコラ
  

 ローズマリー
         ルッコラの花 

 露地では・・,
 
 ブロッコリー&タマネギ  

 

 作業場 

                  

 雑草達も・・,
                         
 
 ジゴクノカマノフタ=キランソウ~天ぷらに!

 
 ホトケノザ~食べない方がいい・・。                   

神原のしだれ桜&やまび香房

2008-04-13 15:19:21 | 広島
 
 広島市の石内・神原にある枝垂桜は県の天然記念物にもなっているところから、開花期には大勢の人が押し寄せてかなりの混雑になる。
 ヤマザクラ以外の桜は好きでないので桜を取り上げることはないのだが、たまたこの桜がある場所に弟の経営する『やまび香房』と言う農園があって、しだれ桜の持ち主さんが、弟の農園の地主さんでもあるところから出入りすることが多く、その賑わい振りにつられて時たまその桜を撮ったりすることがある。
 その神原地区を含む一帯に最近ある変化が起こっているのが気になっている。

                
 そのある問題と言うのは、押し寄せる開発の波が、この神原のしだれ桜のあるお家にまで迫っていると言うことで、この3枚目の沢山の人達が楽しんでいる庭の突き当たりの山の裏側はすでに削り取られて緑がなくなっているのである。
 裏山だけでなく、桜の木の脇を通り抜けて奥の方に向かうと広島市の郊外につながる山の中の道があったのが、すでに何も無い裸地になっている。
 
             五日市,八幡方面
 写真は、2004年に広島佐伯FHCの仲間達と五日市の窓山から向山に縦走して神原に下山した時に山上から撮ったもので、この時点ではまだモザイク状に残っていた緑も、4年後の今は全部剥ぎ取られている。
 またこの位置からは撮れない向山の裏(北)側はもっと凄まじいことになっている。
            五日市沖,宮島方面 



 神原のしだれ桜のあるこの場所は、上から見れば点在する緑の1つに過ぎなくなっていると言う意味での『記念物』でもあるのだ。
 

広島・佐伯FHC例会に出る

2007-09-07 15:29:17 | 広島
 20:30に佐伯FHCの例会に合流。白馬岳での冒険学校のお礼と想い出話しに花を咲かせた後、来年以降のアルプス冒険学校のあり方や瀬戸内での海と島の冒険学校の構想を述べる。また、11月頃,島の候補地の視察のため、森鞍のトモさん達と一緒に改めて来広する旨を述べて協力を要請する。
 FHCは例年通り、三倉岳のキノコ狩りを計画していた。ついていきたいような計画だが、今年はいつまでも暑いので気持ちがなかなかキノコモードに切り替わらないようだ。

終点・松本城

2007-07-05 19:57:03 | 広島
 午後6時40分,松本城に入城して行進を終える。本隊は明日以後も広島・長崎に向けて歩き続ける。
 2日間で大町から松本までの約45kmを歩いた。途中,追分~穂高間がコースに入っていないのが残念。1時間ほど早く来て歩けばよかったと後から悔やむ。
 来年も歩くとしたら、長野からのコースだ!