遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

不動・船窪岳へ

2009-06-28 13:21:53 | アルプス
 不動岳側から見た烏帽子岳
 南沢岳からの下り
 6月14日(日)
4時になるのを待って起きる。前夜食べなかったアルファ米1袋とレトルトのカレーがあったが、これを湯煎するのもまた用意したアルファ米のリゾットを湯戻しするのも時間がかかるので、お湯を沸かして残った握り飯と簡単スープを流し込む。融かした雪でお茶を作って飲料を確保し、6:00出発。
 南沢岳三角点
 不動岳前ピーク西面の大崩れ
 6:08,南沢岳の三角点を通過。前日,通過したピークは山頂ではなかったようで、標高2625mは今回の縦走最高地点。目の前には不動岳西面の大崩れが見えているが、その間には南沢乗越の深い切れ込みがあってここからは200mあまりの下りとなる。
 不動岳西側の高瀬ダム側は、前日最後に渡った濁沢の源頭部に当たっており激しく崩落している。それは乗越を隔てたこちら側の南沢岳も同じで、登山道は稜線の縁である崩落した部分とハイマツ帯の境目を通っているので気が抜けない。
 ヒメウズ?⇒※ヒメイチゲ
 ※ヒメイチゲではないかとのご指摘頂き、同種と確認ましたので訂正致します。
 ヒロハユキザサ
 この辺りから残雪が多くなり、雪の急斜面の下降を余儀なくされる場面もしばしばで、その途中でスリップして5mほど滑りハイマツ帯に突っ込む。しばらくの後腕時計がなくなっているのに気づいたが引き返すにはすでに遅すぎた。
 そう言う雪で寸断された難しい道であっても、雪が融けた所には春が来て草が芽吹き、花が咲く。
 キヌガサソウ

 6:45,南沢乗越を通過して大きくガレた不動岳の前ピークの登りに入る。西面は急登だが雪がなく花が豊富で、ユキザサに混じってキヌガサソウやショウジョウバカマが見られるようになる。キヌガサソウの芽だしはユキザサをそのまま太くしたような感じで両者が非常によく似ていることを知る。
 ふり返ると先ほど下ってきた南沢岳からの道がよく分かり、またはるか遠方には烏帽子岳の奇怪な山頂を望むことができた。
 7:25,前ピークに到達。10分休んで展望を楽しむ。南沢岳からここまでは1時間25分。大幅ではないが予定をややオーバーしているのは雪が多いせいか・・。
 樹林帯を彷徨う
 ライチョウ♂の糞
 7:35分。不動岳まで順調に行けば20分ほどの道であるが、ここから登山道が完全に雪に閉ざされて分からなくなった。右側の様子が分からないので稜線の縁を避けて左側の雪面を斜めに下り、樹林帯を突破しようとしているうちに稜線からかなり離れた位置まで下ってしまった。
 北側の大斜面を登るG氏
 あの左上の切れ目にかける
 道を見失い、遮二無二ブッシュをかき分けて抜けると広くて分厚い雪の斜面に突き当たる。幅40m,下に向かってどこまでも続く大斜面で長さは計り知れない。目印を探したが何もなく、その上悪いことにG氏が潅木に眼鏡を取られて探しに戻るというアクシデントが起きた。
 ここは斜面を登って稜線に出る道を探すか、ハイマツ帯を突破するしかないと覚悟を決めて急斜面を登る。
 的中
 抜けた!
 雪の斜面を斜めに横断しながら登りきると道があった。上からハイマツを踏んで下ってくるなら兎も角、下からハイマツ帯を突破して登る等,口では言えてもできるものではない。この道がなかったら稜線に出るのは不可能に近く、樹林帯に迷い込んだ位置まで戻るしかなかったかもしれない。
 不動岳頂上標識
 標識を立てた!
 8:35不動岳着。テン場から2時間35分と夏道の2倍の時間を要し大幅に遅れが出た。倒れた山頂標識を2人で立て直したり、写真を撮ったりしてやや長めの休憩をとる。烏帽子ははるか遠くなり、南沢岳にかけてガスが立ち始めていた。」
 イワウメ
 烏帽子・南沢岳にガス湧く
 8:55発。前日の大腿部側方の痛みは跡形もなく消えたが、この日は下りの際の深い屈曲で大腿部前面に痙攣が来ており、一抹の不安を抱えたまま船窪岳への登りにかかる。
  目標までに第2ピークを含むまで3つのピークを越えなければならず、船窪小屋までは5時間弱,七倉へはさらに4時間の下降で明るいうちに下山するのは難しい情勢になってきた。
 船窪岳方面
 七倉岳

桃の袋かけ

2009-06-26 10:40:01 | 安曇野

        桃の袋かけ 
  秋のリンゴ狩りをきっかけに入会したグリーン王国で初めての桃の袋かけの仕事。場所は安曇野市小倉の山麓線(塩尻穂高線)に近い広大な果樹園が広がる中の一画にあるおぐらやま農場桃園。
 1日目の参加は5名の会員と農場で農業体験をしているウーファーさん達。ウーファーとは初めて聞く語だが『Willing Workers on Organic Farm・・』で『有機農業をやってみたい人達』のことだそうだ。
 5名のウーファー達と
     グリーン王国会員 
 彼等はホスト農場であるオーナーの敷地に建てられた宿泊施設に寝泊りし、『3食+宿泊』=『1日6時間の労働(週に1日の休日)』として、お金のやり取り一切なしで農業体験をしながら旅をしている若者達だそうだ。WWOOFは国内外を問わず、旅をする若者たちにとっての一つのスタイルとして認知度が高まっているとのこと。 エコツーリズムの1つの形であろうか・・。
 この日はアメリカ,カナダ,イギリス,香港,京都から来た若者達5名で、農場に英語が飛び交うのに面食らってしまったが、作業を始めればやることは同じだ。

 袋かけの手順
              
 上の端がV字カットされた袋で桃の実を包み込む。左手側の袋の端をギャザーし、次いで右側もギャザーする。右手(利き手)側の袋の端には針金が綴じこんであるので、左側を右側の前に重ねて右手側を手前に折って止める。(この写真は逆なので向こうに折る)

               
 1本の木には約200個の実がついて降り、これに残らず袋をかけるために5人くらいのグループ全員で同じ木にかかり、見落とさないように一筆書きの手順で袋をかけて行く。高い所は脚立上での仕事となるので自ずと脚立組みと下枝組とに別れていく。
 緑の葉の中の緑の実を見つけるのは意外と難しく、脚立から降りて見上げると何でもない所に残っていて悔しかったり、2つ並んでいるのに片方を見落としていたりすると岡目八目で他の人に笑われたりするが、その人が去った後にもポツンと1つ残っていたりして笑いあいになる。
 こうして午前午後4時間の作業で15本くらいの袋かけを終えた。報酬は規格外の熟した桃の現物支給である。
 まわりはほとんどリンゴ園
              

 安曇野グリーン王国とは・・,『安曇野グリーン王国ブログ』
http://blog.g-azumino.jp/article/121872741.html より
 安曇野グリーン王国とは信州安曇野を中心とした特産品販売、パートナーとなる農家・店舗・宿屋さんと協力して消費者の方とのふれあいの場を企画する団体です。 私達が目指すのはわいわいとたくさんの人が集まり活気を持って毎日の暮らしを一緒に楽しもう!という「王国」のような存在です。 緑溢れる安曇野のイメージから名前を「安曇野グリーン王国」としました。 運営チームは安曇野で暮らす農家だったり今までは普通の消費者だったり・・と皆さんと同じ目線で楽しい企画を考えていきたいと思っています。

 HP『信州安曇野おぐらやま農場』
http://www.ogurayama.com/index.php

6月の花

2009-06-21 11:43:02 | 花・植物・自然界
 ウツギ
         バイカウツギ 
 野山に自生するウツギ。バイカウツギは庭の花。6月は白い花が目立つ。 

 スイカズラ
           ノイバラ 
 スイカズラは白(銀)から金へと色を変える。

 アカツメクサ
        ジャガイモの花 
 畑に蔓延るアカツメクサに野菜たちもたじたじ・・。





麦秋

2009-06-19 10:02:41 | 安曇野

                

 黄金の穂波が風に揺れる 麦の秋


                       
 勢いづく稲の緑との鮮やかな対比


                
 人の手になる自然は ここでもまた美しい

烏帽子小屋から南沢岳へ

2009-06-17 12:46:56 | アルプス
 烏帽子岳
 赤牛岳
 薬師岳方面
 烏帽子小屋の前庭は立山や薬師岳を望む絶好の展望台で、しばらくはベンチに座ってG氏が広げた地図で山を同定するなどしてくつろぎながら、次の行程をどうするかを考える。
 西側の目の前に横たわるのは赤牛岳でそこから左手に伸びた稜線の先に水晶岳があり、その稜線と裏銀座の主脈が合流するのが鷲場岳で、その手前が真砂岳,野口五郎岳と言うことになる。
 水晶岳方面か
 不動・針の木岳
 一方,赤牛の背後に重なるのは薬師岳で、視線を北北東に転じた目の前には不動岳,その後に針の木岳が重なり、さらにその陰には鳴沢、赤沢辺りの山が見え隠れする。黒部ダムはその直下を西に越えたところであり、赤牛岳を目の前にするこの位置からは見えない。その西に位置する立山のカールらしきものは認められるが、剣岳は視認できなかった。
 唐沢岳
 餓鬼岳
 立山方面か
 また、南側の眼前には唐沢岳が錐のように鋭く天を突き、その後から餓鬼岳の長い稜線が南に伸び、東沢の大だるみを隔てて燕岳の岩峰を望むことができる。そこから先の大天井岳や常念岳の吊り尾根も見えるが、槍・穂高岳方面はガスの中だ。
 燕岳
 14:27,時間的にも体力的にも船窪方面への前進は可能との結論を得て烏帽子岳に向かい出発。ゆるやかに左にカーブするハイマツ帯の稜線を行く。この辺りは雪もなく快調。
 烏帽子岳
 南沢岳
 2605mの前烏帽子から改めて周辺の山々を見る。何と言っても烏帽子岳の天に向かって合掌するかのような鋭い岩峰が圧巻で、柱のようにきれいに並んだ岩が美しい。この岩峰はしかし、進むにつれてそれまでとはまったく違った異様な姿へと変貌する。
 烏帽子岳東斜面
 北から見る烏帽子岳
 15:08,烏帽子岳岩峰への分岐点に到達。時間が押しているので山頂は通らず通過する。一転して雪の斜面となる。南沢岳との鞍部は烏帽子田圃と言う湿原で、この辺りをビバークの候補地とも考えていたが、できればさらに進んでおきたかった。
 突破できず
 雷鳥♂の糞
 湿原は凹地であり、一方の縁は烏帽子からの稜線でもう一方に並行する山稜があって二重山陵を形成していた。そのもう一方の小高い山陵に踏み後が見えたのでそこを目指して雪面を突き進んだが、もう少しと言うところで分厚いハイマツ帯に阻まれて進めなくなる。しばらくはあちらこちらと突破口を探したが無理と分り、後退を決めて下ってきた雪面を登り返し、最後はシラビソとハイマツの混じる薮の中を這うようにして突破し、16:29,登山道に戻る。烏帽子分岐からは1時間20分のタイムロスとなる。ここから南沢岳への登りの途中から急に冷たい西風が吹き始めて山頂下では霰が降る。
 南沢岳頂上直下を行く
 越し方を振り返る
 17:00,南沢岳(2625m)登頂となる。ここをビバーク地点と決めて山頂東側直下の雪面を均して,テントを張る。
 ここがテン場
 雪を熱して水をつくり、お湯を沸かしてアルファ米を戻し、レトルトのカレーを温めて用意したが、G氏がつくってくれた梅酒のお湯わりを頂き、行動食を食べているうちに食事が面倒になり、G氏によるとあぐらのまま鼾をかき始めたとのことで結局カレーは食べずに横になる。
 ひとしきり熟睡し、目が覚めて2時間近くじっと考え事をしながら夜明けを待つ。風に時おり雨音が混じる。
 2時を廻ったかと時計を見るとまだ0時前で、それから悶々と時の過ぎるのを待ち、何度かまどろんでようやく4時を迎える。どんなに疲れていても3~4時間熟睡すれば充分で、後は時間をもてあますのが常の幕営である。




ブナ立尾根から烏帽子・不動・船窪岳縦走

2009-06-17 02:38:29 | アルプス
 南沢・船窪・蓮華岳
         シラネアオイ 
 6月13日(土)
 登山ブログで交流のあるG氏との間でブナ立尾根を登ってみませんかと言う話しがまとまり、昨夜のうちに静岡市から来て仮眠していたG氏と七倉ダムのゲートで落ち合う。初対面の挨拶の後、それぞれパッキングして5:35から歩き始める。
 高瀬ダム
          ここを登る 
 高瀬ダムまでの3.7kmを歩いて6:32ダム下休憩。ロックフィルダムに取り付けられたこっちから向こうまで2往復半,1kmの車道を歩くのは馬鹿らしいので大岩を直登して20分で登り、6:55高瀬ダム堰堤に着く。
 ダム左岸の不動トンネルを抜けて不動沢の長いつり橋を渡ると河川敷に出る。鉄製の梯子道に導かれて濁り沢の吊り橋を渡り、水を補給して7:35から登山道に入る。
 不動沢の吊り橋
          権太落とし 
 いきなり急登が始まる。『11』と書かれた標識があるが意味不明。長丁場なので休まずゆっくり登り、8:28,『落石注意』と書かれた標識NO『9』の巨岩,通称『権太落とし』で最初の休憩。8:35出発。直後にパラパラッと雨が来て、雨の多い南アの人らしくG氏は素早く雨具とザックカバーを着ける。自分は面倒なので様子を見ながら先行。足元にツバメオモトの花,次いでシラネアオイの花を見て『そう言う季節なのだ』と頭が下界とは違う世界に反応し始める。こうして写真を撮りながら徐々に高度を上げるうちに気持ちも体もその世界に順応して行くのだろう・・。
 9:05,標識NO『7』を通過。シラネアオイが見事なのでG氏にはゆっくり写真を撮ってもらう。

         NO7・一休み 
 9:42,標識NO『6』に着き2度目の休憩の際に雷鳴を聞く。G氏によると『前線が通過する見込み』だそうだが、1日中雷につきまとわれるのではないかと不安になる。稜線での雷はゴメン蒙りたいものだ。
 9:55発。今回の山行には幾つかの不安があった。早くもそれが的中したのか、左脚大腿の外側に痙攣痛を感じる。ごまかしながら歩いていると痙攣は内側に移行し、なおも我慢していると今度は右脚に移行した。
 この冬は一度も冬山に登らなかったので体力に自信がない。加えて登山靴を修理に出したままでアップシューズや地下足袋での山行が続いたために足が登山靴の重さに耐え切れず、歩き始めからどうも左右にふらつくのが気になっていた。大腿部の外側と内側の痛みはその影響と思われた。筋肉は8時間動かさない状態が続くと退化を始めると言うから登山靴の重さや踏ん張りに対応する筋力が衰えているのは明らかで、それは使うことによって鍛えられ回復するのを待つしかない。
 南沢岳の奇岩
         不動岳か・・           
 10:06,右手が開けて烏帽子岳,南沢岳の岩峰群や不動岳の大崩れを望める場所があり、ここで立ち止まって行く手の稜線を地図で確認している間に左右の大腿部両側の痛みがうそのように消えた。10:20,雨がやや強くなりG氏に倣って雨具とカバーを着ける。ジンクス通り着るとすぐに雨が上がり、20分後に雨具を脱ぐ。雷は去った模様。足元には小イワカガミやエンレイソウ,サンカヨウの花を見る10:31標識NO『5』を通過。
 10:49,最初の雪渓が現れG氏はここでアイゼンをつけたが自分はツボ足で通過。道はすぐに雪渓から離れ、10:59に標高2208mの三角点に着く。登山道に入ってからの所要時間は3時間25分。
 コイワカガミ
          タヌキ岩  
 11:20発。10分でタヌキ岩と言う巨岩を通過。さらに20分あまりで不動岳,船窪岳を望む場所に出る。そこからは尾根に沿って左にカーブしながら進み、右下がえぐれた場所を通過してダケカンバの大木を過ぎた辺りからシラビソ帯となり、12:24頃から大量の雪を抱えた稜線下の急登が始まる。
 登山道が分らないので先頭を行くG氏も見当をつけて遮二無二登って行くが、次第に斜面が傾斜をまして行くのも構わず平然と登っていくG氏の後を追うのが恐くて左の樹林の際を行く。
 ダケカンバ帯を行く
       G氏の力強い登高     
 最もそれを必要とするこの急斜面でなぜか2人ともアイゼンをつけず、自分はピッケルさえ背中に負ったままで登ってしまっていた。アイゼンやピッケルのことを考えもせずに雪面に入ってしまったのだが、いつの間にかとんでもない斜度になっていたのだ。
 標識NO『1』異形のダケカンバ
         最後の休憩 
 樹林の際を行くと雪の解けた場所から登山道が覗いており、異様な形状のダケカンバがあって標識NO『1』と書かれたその場所でしばらく休む。時刻13:16。雪と格闘する間にたちまち時間が経過していた。
 稜線間近
          主稜線到達 
 すでに小屋に迫っているものと思っていたG氏も少し先で休んでいたらしく、歩き始めるとすぐ前を行く姿が見え、やがて主稜線と小屋への道を分ける標識に着くと目の前に烏帽子の小屋が現れる。
 13:51着。三角点からは2時間30分で雪のため夏道の倍近くかかっていた。登山道に入ってからは約6時間,七倉のゲートからは8時間16分を要した。

 烏帽子小屋 

魚網を繕う人~5月5日・・・海岸線を歩く

2009-06-12 22:01:40 | たび・出会い


 氷見漁港の入り口付近の広い通路いっぱいに定置網の魚網を広げて破れたところを繕っている人がいた。
 声をかけると気軽の答えてくれたので、定置網漁法のことを聞くことが出来た。
 定置網と言うのは常に一定の場所に網を仕掛けて、そこに入って来る魚を獲る漁法で、入ってきた魚は網に沿って前進し、網の中に二重に仕掛けられた網へと追い込まれて捕獲される。もちろん網の目の大きさによって稚魚を逃がし成魚だけを獲るようになっている。


 この漁法は特定の魚種を追って根こそぎ捕らえるのでなく、入って来る魚を入ってきた分だけ獲るので魚種を選ばないし、根こそぎ獲ると言うことがないので資源を適正に保つ上で優れた漁法であると言う点をその人は強調していた。私が聞きたかったこともその点である。


 以前,NHKが定置網の特集番組を放映したことがあって興味深く見たことがあり、番組の言わんとするところもその点であったのだが、現地の現場でそれに携わっている人から直接聞くことが出来て充分に納得させられた。

氷見市海浜植物園散策路~5月5日・・・日本海海岸線を歩く

2009-06-11 14:37:23 | たび・出会い

                
 島尾キャンプ場から続く飛砂防備林のすぐ外側の長い防護柵を通り過ぎると『ここから氷見市海浜植物園の整備区域~』と書かれた看板があり、防備林の内側と外(浜)側は竹製の防護柵で隔てられていて柵のすぐ外側は幅1.5mほどの木製の通路,内側は植物園でどちらにも行けるようになっていた。
                

 海浜植物園の散策路に入り、『バラのエリア』『スミレのエリア』『〇〇(判読不明)のエリア』などの案内標識に従って進むとハマナスを植えた場所があり、同じ所に『シャリンバイ』の木が植えられて『バラ科 シャリンバイ属』と言う看板があってそこで『バラのエリア』の意味が解った。
 無理してバラ科をくっつけなくても単純に『ハマナスのエリア』の方がネーミングとしてもいいのにと思う。

                  
 所どころにアクリル板に写真を焼き付けた植物図鑑が置かれ、主だった植物の名前や特徴が分るように工夫されていたが、アクリル板が変形して使いにくく殆ど役に立っていない。その場その場に説明板がある方が分りやすいと思いながら歩く。
 海辺でありながらウワミズザクラなど、標高のある場所で見られる植物が生育していることなど、意外な面を教えられる部分もあるが、コウボムギやハマエンドウ,ハマボッス等,浜特有の植物を知りたいと思っていたので拍子抜けした感がある。
                

 散策路を抜けて柵の外側の通路に出ると休憩所があったが、ベンチで浜からの心地よい風に身をゆだねて読書しながら居眠りしている人がいたので座るのを遠慮して通路の終点で休む。時刻8:40。

                
 そこから浜に降り、しばらくは波打ち際に打ち上げられた海藻や波に漂う魚の死骸を見たりしながら歩く。浜の美しさの前では文も言葉も写真さえ無力な気がする。
                 
 8:27に新松枝橋を通過,氷見駅への標識をも過ぎて8:45,氷見漁港手前の湊川橋を渡る。
 
                                
 ここに来て吊り橋の斜塔を目の前にすると、右側の海の方に傾いているように見えたその塔、実際には向こうに傾いているのが分った。考えてみればワイヤーの張力を加減することで、そのどちらかに倒すことは出来ても、ワイヤーでの引っ張りの直角方向に倒すことは出来ないのだから当たり前と言えば当たり前で、遠目に海側に傾いて見えたのは、橋そのものを右斜め後ろから見ていたからだったのだ。つまりその橋の辺りで道が湾に沿って右にカーブしているのだ。

                

元祖,アカザは野菜だった

2009-06-10 12:30:50 | 喰う寝る○太

 畑にびっしりと生えているアカザを食する。以前から食べてみようと思ってはいたが実践するのは初めてで、まずは佃煮風にしてみた。悪くはないが特によくもなく、むしろ茹でたのをそのままお浸しにした方がすんなり食べられる。多少モサッとするがあまり癖もない。
 大量に摘み取ったものを茹でてしぼり、小分けして冷凍したものを少量づつ味噌汁の実に使っているが、これが一番いいようだ。格別美味しいと言うほどではないが充分に野菜代わりになる。

 元祖,アカザは野菜だった。森林国の日本では山菜・野草が豊富であったために野草を改良して野菜を作り出すと言う努力があまりなされず、アカザやスベリビユが野菜として用いられていた時代があったのだそうな・・。
 一方,大陸では野菜がどんどん創出されそれが中国・朝鮮から日本に入ってきて栽培されるようになると、アカザやスベリビユ等は省みられなくなって今では畑の嫌われ者でしかなくなってしまった。彼等が今も畑に生えるのはそう言う歴史があるからで、アカザもスベリも畑から離れられない植物と言えるようだ。

 アカザと言えばアカザの杖が中風を防ぐ効果があると言ってもてはやされたりする。柄のついた立派なステッキをつくる人が今もいるようだが、これは杖が効くのではなく、ビタミンA,B2,C等が豊富でホウレンソウの数倍の栄養価を持つアカザを食べることによる高血圧や動脈硬化,中風等の予防効果との混同と思われる。
 アカザは史前帰化植物と言う古い時代の帰化植物で、中央部の赤いものがアカザ,白いものをシロザ,青いものをアオザと言うが種としては同一のアカザ。


道具は正しく使わなくてはいけない!

2009-06-08 15:33:02 | あまってら農園
 折れた
 その1:雨ざらしにしてはいけない
 鍬の柄が折れてしまった。写真の黒く写っている部分は商品説明の紙が張ってあったところで、ここからポッキリ折れた。
 紙を剥いで見るとこの部分が腐っていた。鍬を雨ざらしにしていたため、紙が貼ってあった部分が濡れて乾かず、いつも湿っていたからに違いあるまい。

 ナタ鎌が折れた
 その2:鎌を鎚にしてはいけない
 新しい鍬の柄を取りつけるために、ナタ鎌の背で叩き込んでいるうちに今度はナタ鎌の刃の部分が折れた。かなり分厚い刃なので驚いたが、木を切ったり削ったりするのとは逆方向に力を込めて金属を叩いたので折れたのだろう・・。
 どんなに分厚く見えても鎌は鎌であって鎚ではなかったと言うこと・・。

 つけ替えた
 頭に楔を1本打ち込めばOK。ついつい手元にあるもので間に合わせてしまおうとする,悪い癖だ! 

6日のあやめ

2009-06-06 11:53:04 | あまってら農園
 

 安曇野地方の端午の節句は1ヶ月遅れ。その節句が過ぎた6日の朝,畑の片隅でアヤメの花が咲いているの気づく。まさに言葉通りの6日のアヤメとなった。

 6日のアヤメ,10日の菊,26日のⅩmasケーキ,15日のチョコレート・・・,

 

 そんなことには関係なく、曇り空の下のアヤメは美しい。

雨晴海岸から氷見へ~5月5日・・・日本海海岸線を歩く

2009-06-01 11:56:41 | たび・出会い
 
雨晴海岸 雨晴海岸2
                
 5月5日(祝)
 5時前に起きて前夜買った食糧と家から持参したアジの南蛮漬けを食べ、荷物をパッキング。はじめは1番電車で雨晴海岸まで戻り、そこから氷見駅まで歩くだけなので雨具と医療セット,飲料と食糧だけを用意をして6:08の高岡行きに乗り、6:16雨晴海岸で下車。
                

 6:20、電車を見送って海岸に出る。越し方,伏木港方面には女岩,男岩の先に射水のマンモスクレーンや巨大煙突が霞んで見え、行く手にはまっすぐ伸びる海岸線の先に氷見の街並みが見えている。中でひと際目立つのが上庄川の河口にかかる比美乃江大橋と言う大きな吊り橋で、高さ51mの大きな主塔がピサの斜塔よろしくこちらから見れば右に傾いて立っているのが望まれ、それが氷見の道の駅までの目標になる。
 伏木万葉港方面
          氷見市方面 
 雨晴海岸から氷見までは湾の屈曲線に沿って西北西から北西へと進み、比美乃江大橋から先は北東~北北東へと90度近く進路が変わるため、今日,明日と歩く能登半島は目の前を左手から右手に向かって横たわって見える。その先端は石川県との県境の大泊辺りで、そこからはまっすぐ北進しているのでここからは見えず、横たわる半島もうす雲っているためにかすかに島影として見えているだけである。
 浜から沖を見ると定置網の浮玉が点々と並んでいるのが見られる。
         比美乃江斜塔 
 定置網の浮き球
 砂浜の少し上には三段敷石の護岸があり、その内側にはサイクルロードを挟んで松林が延々と続くおなじみの海岸風景。ごく稀に砂浜や船着場の突堤で釣りをする人,散歩する人,座って読書する人等々、思い思いに朝の海辺を楽しんでいる人を見かける外は滅多に人に会うこともない。
 陸上繋留場
      松太江浜キャンプ場  
 ハマナスや月見草の花を愛でながら15分で雨晴マリーナと言う船の陸上繋留場がある施設を通り、6:40松太枝江浜と言う海水浴・キャンプ場に到達。松林の中に数張のテントがあって何人かのキャンパーがくつろぐのを見る。
 この辺りから氷見市にかけての海を有磯海といい、海岸線には雨晴キャンプ場,島尾キャンプ場,松田江浜キャンプ場等、海水浴場,キャンプ場、海浜公園、海浜植物園が目白押しに並ぶ。
          ハマエンドウ 
 コウボムギ
 飛砂防備林と名を変えた松林の内側には氷見線が走り、おりしも高岡行きの2番電車が軽快な音を立てて通過するところ。松林に守られた緑地にはハマダイコンがびっしりと花をつけ、林の外側にはハマエンドウの花やコウボムギの群落が見られるようになる等、次第に海浜植物の緑が厚みを増して来ると、浜と林の間の小道は所どころにベンチを置いた遊歩道となる。その道はやがては氷見市の海浜植物園へと続くのであろうか・・。
 防護柵内の松の苗
   向こうの海岸線右の白塔 
 防備林の松は現在も新たに植栽・育成の努力が続けられており、植えたばかりの小さな松の苗を保護するための竹の柵がいくつも設けられているのを見る。
 いつの間にか島尾の駅を通過し、リゾートマンションのような老人ホームの前を通って小さな川を渡ると島尾キャンプ場に到達(7:20)する。
 出発点からまだ3kmあまりだが、ここまで来ると比美乃江大橋の斜塔がくっきりと見えるようになる。7:25氷見市海浜植物園の整備区域に入る。