3月にハウス内に蒔いたキヌサヤの苗を定植したのが1週間前。翌日から2日間の雨のお陰で活着してひと安心。が、今はもうパサパサだ。山には水がなく、これが下界ならすぐに水を撒くところだが、化成肥料で太らせて水道を水くれた野菜はまずい。なので灌水は絶対にしないでひたすら雨を待つ。大きさで負けても味の濃さでは負けるものではない。色んなことが遅れに遅れて、今頃ジャガイモの植えつけをやっている。道具の管理が悪くて全部手作業なので遅々として進まず、種芋30kg中、やっと20kgを植え終わったところ。
珍しく暖かい今年の春
珍しく 大勢で歩いた
島の道
子ども達は
高い所が好き
危ない所が好き
磯が好き
生き物が好き
カタツムリが好き
オタマジャクシが好き
赤い花が好き
優しい色も好き
暖かい色が好き
野の花も好き
春の花が好き
秋の草の実も好き
海が好き
冒険が好き
島が好き
みんな大好き
インカのめざめ10kg~今年こそ!/今年は種芋が大き目
やっと晴れて昼前には暑いぼどになった。
今年はまだジャガイモを植えつけていない。
耕運機が使えない。草刈機も動かない。三角ホーが行方不明。鍬のクサビが抜けてぐらぐして使いにくい。そいつを騙し騙し使ってようやく一区画分を耕し、昼となる。
キヌサヤエンドウ定植/畑の草達
こうなったら連休は返上して播種・植えつけに全力投球するしかないが、久々の鍬打ちで腰がパンパン。
ジャガイモの植えつけがまだだ。
大急ぎで耕して 一気に植えたいところだが
刈払機がまたまた故障
道具がないから・・,ナンテことは言ってられないから
手取り除草
一昨日の雪が残っていて
手が痺れる
悪いことに管理機も
スタータ-の紐を引きちぎったまま未修理
鍬で耕すしかない・・,
と思ったら、鍬も三角ホーも行方不明
道具の管理がナットラン
道具が無ければ
手で穴を掘ってでも 植えるべし!
大町から広島・山口への軽トラツーリング。
大町発114月10日17時。島々付近から吹雪となり、安房トンネル出口から平湯トンネルにかけて3cmの積雪となる。気温は-3℃。
ノーマルタイヤではふらつくので30km/hで走る。
高山~荘川間・ひるがの高原付近では前が見えないほどの猛吹雪で遅々として進まず時間を食う。
九頭竜川添いの道も雪は少ないものの吹雪で低速を余儀なくされ、敦賀に着いたのは2時37分。4時間ほど仮眠して走り始めると山が白くなっていた。
4月11日。明日金曜日の夜までに柳井港に着けばいいので、今回はゆっくり走って見たいものを見ることにした。
若狭湾で見たいものの筆頭は原発と気比の松原。
先に美浜原発に行き、次いで敦賀、大飯、高浜と4つの原電を廻り、2つのPR館を見学してきた。
大町発114月10日17時。島々付近から吹雪となり、安房トンネル出口から平湯トンネルにかけて3cmの積雪となる。気温は-3℃。
ノーマルタイヤではふらつくので30km/hで走る。
高山~荘川間・ひるがの高原付近では前が見えないほどの猛吹雪で遅々として進まず時間を食う。
九頭竜川添いの道も雪は少ないものの吹雪で低速を余儀なくされ、敦賀に着いたのは2時37分。4時間ほど仮眠して走り始めると山が白くなっていた。
4月11日。明日金曜日の夜までに柳井港に着けばいいので、今回はゆっくり走って見たいものを見ることにした。
若狭湾で見たいものの筆頭は原発と気比の松原。
先に美浜原発に行き、次いで敦賀、大飯、高浜と4つの原電を廻り、2つのPR館を見学してきた。
街の中に取り残された船から基礎だけになった家並みの跡を通って海に向かう。突き当たりに川があり橋を渡り右折して進むと気仙沼港を沖から見る位置に達する。そこには造船所があり、新しい船を建造中で活気があった。
半島の反対(東)側の外洋に面した海岸に出られるのではないかと考えてそのまま進むと確かに海岸には出たが、半島はその先にもずっと延びていて、そこまで行ってぐるっと廻るとすると1日仕事になるのではないかと思われた。
ワカメの養殖をしている人に聞くと、半島の先端かと思ったそれは別の島(大島)で、半島自体は少し先で終わって反対側を戻る道に入るのだろうと、その時は思った。
小さな鼻を越えるとそこはワカメやカキの養殖に適した波穏やか入り江になっていて、入り江を囲むように最奥部からまた反対側に鼻が延びて美しい景観をつくっていた。それは能登半島で見た九十九湾の入り江にそっくりで、カキの養殖が行われている点でもよく似ていた。
半島の反対(東)側の外洋に面した海岸に出られるのではないかと考えてそのまま進むと確かに海岸には出たが、半島はその先にもずっと延びていて、そこまで行ってぐるっと廻るとすると1日仕事になるのではないかと思われた。
ワカメの養殖をしている人に聞くと、半島の先端かと思ったそれは別の島(大島)で、半島自体は少し先で終わって反対側を戻る道に入るのだろうと、その時は思った。
小さな鼻を越えるとそこはワカメやカキの養殖に適した波穏やか入り江になっていて、入り江を囲むように最奥部からまた反対側に鼻が延びて美しい景観をつくっていた。それは能登半島で見た九十九湾の入り江にそっくりで、カキの養殖が行われている点でもよく似ていた。
旅の最終段階,直江津で金沢行きに乗り換えた直後、『明日4月6日の午後から発達した低気圧の影響で大荒れの天候になることが予想され、週末のダイヤが大幅に乱れる恐れがあるので予めご了承願いたい』旨の車内放送が流れた。
丁度明後日の角田山の天候の予想を求められていたところにナイスなタイミングの、しかもご当地の予想なのですぐにその内容でメールを送ったところ、間をおかずして『パスします』の返事が来てジ・エンドとなった。
あれこれ悩むことなくアッサリとバッサリでJR様,有難うと申し上げるべきか、ご愁傷さまと言うか・・。
3月13日,常磐線での強風によるダイヤの大幅な乱れに巻き込まれた経験があっただけに『JRも先手を打って来たか』と、初めて聞くダイヤの混乱予告に感心させられたり、『・・・余計なことを~』と唸ったり・・。
それにしてもここ数年は『雨男』を通り越して完全に『嵐を呼ぶクソ親父』だ!
誠にもって申し訳ござらん。
丁度明後日の角田山の天候の予想を求められていたところにナイスなタイミングの、しかもご当地の予想なのですぐにその内容でメールを送ったところ、間をおかずして『パスします』の返事が来てジ・エンドとなった。
あれこれ悩むことなくアッサリとバッサリでJR様,有難うと申し上げるべきか、ご愁傷さまと言うか・・。
3月13日,常磐線での強風によるダイヤの大幅な乱れに巻き込まれた経験があっただけに『JRも先手を打って来たか』と、初めて聞くダイヤの混乱予告に感心させられたり、『・・・余計なことを~』と唸ったり・・。
それにしてもここ数年は『雨男』を通り越して完全に『嵐を呼ぶクソ親父』だ!
誠にもって申し訳ござらん。
昨夕,仙台でUmiちゃんと2年ぶりに会い、今年こそ彼女のお友達さん達とも一緒に東北の山を歩こうと言う約束をして『愛と書いていとし君』ならぬ『愛子と書いてあやし』と読む愛子駅まで送ってもらい、昨夜は愛子駅の1つ山形よりの陸前白沢駅で仮眠。今朝7:37に山形着。
ここから米沢・坂町・新潟経由では楽々帰れてしまってつまらないから奥羽線を下って新庄・余目・村上経由・新潟・・で帰れないか検索して見たらOKだったと言う次第。
仙台から山形にこうも簡単・ストレートに繋がるルートがあるとは驚きだったが、それにしては仙山線と言う名はマイナー過ぎないかと思う。
そこに行ってみないと分からないことがいっぱいあって各駅停車は面白い。
余目から羽越線をもう少し下るとどうなるかやってみよう。
大町着は22:16
やって見たら酒田まではOKだった。もう少し調べたいが酒田から先の駅名が思い浮かばない。象潟はアウトだった。
ここから米沢・坂町・新潟経由では楽々帰れてしまってつまらないから奥羽線を下って新庄・余目・村上経由・新潟・・で帰れないか検索して見たらOKだったと言う次第。
仙台から山形にこうも簡単・ストレートに繋がるルートがあるとは驚きだったが、それにしては仙山線と言う名はマイナー過ぎないかと思う。
そこに行ってみないと分からないことがいっぱいあって各駅停車は面白い。
余目から羽越線をもう少し下るとどうなるかやってみよう。
大町着は22:16
やって見たら酒田まではOKだった。もう少し調べたいが酒田から先の駅名が思い浮かばない。象潟はアウトだった。
一昨年、宮城から堀金に一時避難していたUmiちゃんから「会いたい」と言うメールが来たので1日延ばして明日帰ることにした。
約束までの時間せっかく気仙沼まで来たのだから海岸を歩くことにして早朝4時から気仙沼港に向かい、港からは陸前高田方面に向かう道路を歩く。この時間帯はまだ誰も動いていない。
しばらく歩き、基礎だけ残して建物がない市街地にさしかかると、前方に大きな船が道路を跨いで航行中のようにドンと立って(横たわって?)いるのに出くわした。
震災直後にはよく見られた光景だが、未だに陸上に漁船が居座っているとは思っても見なかったのでびっくりして写真を撮っていると声をかけられた。
その船の乗組員だったと言うその人は毎朝来ていると言いながら、お賽銭と称して手向けられた花の横に小銭を置き、合掌した後に、お供えもののペットボトルを「供養はすんだものだから頂くのさ」と悪びれもせず持ち帰ると言う。
それはごく自然の振る舞いで、誰も咎めはしないし誰にも咎められるものでもないと言う信念に基づいた躊躇いのない行為であるが故にか、少しも違和感がなかった。つまりそれが彼流の供養であり日課なのだ。
彼に依ると、船にはオイルが大量に詰まっているのでそれを抜かないと解体できないのだそうで、その業者が引っ張り凧でなかなか順番がまわって来ないとのこと。一方船のオーナーは解体したくないらしい。
尤もそれは震災のシンボルとしてと言う意味がどうかは分からない。仮にシンボルとして残すと言うのであれば市民の合意が必要であろうし、場所も市街地の中にそのままと言う訳にも行かないだろうから、一帯を震災公園とでもしないと市民の生活の妨げになるのは明白だ。
そこに住まない者の勝手な考えだが、その巨大な船がそこにあること自体には強烈なインパクトがあり、震災の凄まじさを雄弁に物語るものであることは確かだ。
船から離れて廃墟となった市街地をまっすぐ沖に向かう。
約束までの時間せっかく気仙沼まで来たのだから海岸を歩くことにして早朝4時から気仙沼港に向かい、港からは陸前高田方面に向かう道路を歩く。この時間帯はまだ誰も動いていない。
しばらく歩き、基礎だけ残して建物がない市街地にさしかかると、前方に大きな船が道路を跨いで航行中のようにドンと立って(横たわって?)いるのに出くわした。
震災直後にはよく見られた光景だが、未だに陸上に漁船が居座っているとは思っても見なかったのでびっくりして写真を撮っていると声をかけられた。
その船の乗組員だったと言うその人は毎朝来ていると言いながら、お賽銭と称して手向けられた花の横に小銭を置き、合掌した後に、お供えもののペットボトルを「供養はすんだものだから頂くのさ」と悪びれもせず持ち帰ると言う。
それはごく自然の振る舞いで、誰も咎めはしないし誰にも咎められるものでもないと言う信念に基づいた躊躇いのない行為であるが故にか、少しも違和感がなかった。つまりそれが彼流の供養であり日課なのだ。
彼に依ると、船にはオイルが大量に詰まっているのでそれを抜かないと解体できないのだそうで、その業者が引っ張り凧でなかなか順番がまわって来ないとのこと。一方船のオーナーは解体したくないらしい。
尤もそれは震災のシンボルとしてと言う意味がどうかは分からない。仮にシンボルとして残すと言うのであれば市民の合意が必要であろうし、場所も市街地の中にそのままと言う訳にも行かないだろうから、一帯を震災公園とでもしないと市民の生活の妨げになるのは明白だ。
そこに住まない者の勝手な考えだが、その巨大な船がそこにあること自体には強烈なインパクトがあり、震災の凄まじさを雄弁に物語るものであることは確かだ。
船から離れて廃墟となった市街地をまっすぐ沖に向かう。
強い雨と風の中、Wさんが『今日は雨で仕事にならないのであちこち廻りましょう。私も見ておきたい所があるし・・』と言って半日行動を共にて下さることになったので、前半はWさんにお任せして小高地区の魔崖仏と被災状況を見せてもらい、後半は15日に歩いたコースを走ってもらった。
小高地区では前回見れなかった所を廻って震災当時そのままの生々しい被災状況を目の当たりにし、前回以上に驚くとともに、ここまで放置できる感覚に怒りを通り越して呆れてしまった。
『これは社会実験なんです。地域が放置されると人はどんどん痩せて行く。心身共にしぼんで行きます。その実験をしているに等しい。ここの人達は立ち上がる気力を持てないままなんです』と言うWさんの言葉は重い。
Wさんに相馬駅まで送ってもらった後は携帯の駅からネットと首っぴきでどこまで行けるかを探り、取り敢えず仙石線で石巻まで。明日日本海廻りで帰れる限界点を求めてさらに北上し、気仙沼を目指す。
気仙沼線は柳津~気仙沼間が津波で破壊されたまま今も不通で、この間は代行バスが繋いでいるが、他の代行バスと違って本線のレール上を走っている。これをBRTと称するらしい。これに乗ってみたかったのだ。
BRT(bus rapid transit=バス・ラピッド・トランジット)とは、バスを用いて都心域の大量公共旅客輸送幹線を実現するシステムを指し、和訳では『バス高速輸送システム』であるが、日本では単純に形態をとらえて、専用走行空間を有する、もしくは運行車両に連節バスを用いる路線バスを指して『BRT』と呼ぶ例が見られ、気仙沼~柳津間はこれに相当する。
この『専用走行空間』とは運休中のJR気仙沼線,最知駅付近で見られるような軌道上をバス専用路線としている部分を言う。
気仙沼着20時44。そこから先はもう電車もバスもないので今夜の塒は気仙沼。明日は4:30のBRTに乗り、仙台、山形、米沢、坂町、新潟経由で帰る予定。
小高地区では前回見れなかった所を廻って震災当時そのままの生々しい被災状況を目の当たりにし、前回以上に驚くとともに、ここまで放置できる感覚に怒りを通り越して呆れてしまった。
『これは社会実験なんです。地域が放置されると人はどんどん痩せて行く。心身共にしぼんで行きます。その実験をしているに等しい。ここの人達は立ち上がる気力を持てないままなんです』と言うWさんの言葉は重い。
Wさんに相馬駅まで送ってもらった後は携帯の駅からネットと首っぴきでどこまで行けるかを探り、取り敢えず仙石線で石巻まで。明日日本海廻りで帰れる限界点を求めてさらに北上し、気仙沼を目指す。
気仙沼線は柳津~気仙沼間が津波で破壊されたまま今も不通で、この間は代行バスが繋いでいるが、他の代行バスと違って本線のレール上を走っている。これをBRTと称するらしい。これに乗ってみたかったのだ。
BRT(bus rapid transit=バス・ラピッド・トランジット)とは、バスを用いて都心域の大量公共旅客輸送幹線を実現するシステムを指し、和訳では『バス高速輸送システム』であるが、日本では単純に形態をとらえて、専用走行空間を有する、もしくは運行車両に連節バスを用いる路線バスを指して『BRT』と呼ぶ例が見られ、気仙沼~柳津間はこれに相当する。
この『専用走行空間』とは運休中のJR気仙沼線,最知駅付近で見られるような軌道上をバス専用路線としている部分を言う。
気仙沼着20時44。そこから先はもう電車もバスもないので今夜の塒は気仙沼。明日は4:30のBRTに乗り、仙台、山形、米沢、坂町、新潟経由で帰る予定。
次週4月7日の大町労山月例山行の下見を兼ねて上越市在住のmalmalさんが主宰するまるまる山岳会の春の山行企画『角田山』に参加する。
角田岬登山口の出発時刻9:00に合わせて大町を4:30に出発。上越市で落ち合って3人1台で角田岬に向かい、8:40着。
8:56発。雨後雪と言う予報通りの冷たい雨の中,晴れ晴れとしない出発となる。
桜尾根コースは登山口が私有地であり、他の7つのコースと同じようには扱われていないため登山口が分かりにくく、知る人ぞ知るコースとなっているが、それだけに最も花の豊富なコースと言われている。今回はその登山口を教わるために来た。
せっかくの機会なので波打ち際まで行って海抜0mからの出発とする。 登山口には地主さんが書いたと思われる注意書きがあり、植生や登山道を痛めないようにと言う内容と共にスバイクのついた靴の禁止やストックにゴムキャップをつけるようにと言った具体的なことがかいてあった。
登り始めて10分ほどでミスミソウを発見。道から相当離れていて撮影対象としては不向きだがしばらく登るうちに道のすぐ傍らでも見られるようになる。ただ雨のせいかどの花もうなだれるように俯いて咲いているのがちょっと残念。ミスミソウは初めて見る花で花の色には紫系のものと白系のものがあり、その中間と言うか蕾の縁がビンクのものが時折見られる。蕾の時だけそのように見えるのかも知れない。
花は登るに従って数が増え群落をつくる程になる。40~50分程登った辺りからはカタクリが、最初は葉だけ、次いで小さな蕾をつけたもの、そして下向きに花を咲かせているものが見られるようになる。カタクリもまた高度を増すにつれて大きな群落をつくるようになる。ほぼ同じ高さでショウジョウバカマが現れるが花の数は少ない。またアズマイチゲやキクザキイチゲも見られるようになる。しかしその辺りから雨が雪に変わり始め、遂には一面白い世界となる。ミスミソウは高い所では白系が圧倒的に多くなりそのため目立たなくなるが、雪の中の花は白くても風情があり、カタクリにも負けていない。
こうして花を楽しみながら登るうちに角田岬からのコースを合わせる地点に到達するとそこから木道となり、数分で481.7mの角田山山頂に着く。
雨にもかかわらず山頂には大勢の先客がおり、小屋は満杯で立錐の余地もなく、中でガスを使っているので暑くて入ろうと言う気にもならないが、さりとて外は寒くてのんびり食事でもなく、また空腹を覚える時間帯でもなく早々に降りて温泉にでも行きたい気分で岬コースからの下山とする。
桜尾根コースの分岐点はそのまま木道を進み、幾つかの道を分けて桜尾根のすぐ隣の尾根を下る。
道は途中から前方が開けて海に向かって下る展望コースとなるが、傾斜は結構急で随所に階段があり、また岩場もあるので脇見は厳禁。慎重を要する。
終版は海に向かって突き出した角田岬のピークを踏んで行くのでアップダウンを強いられる。
最後に灯台の側を通り急階段を浜まで下って0-481-0の登山が終わりとなる。
角田岬登山口の出発時刻9:00に合わせて大町を4:30に出発。上越市で落ち合って3人1台で角田岬に向かい、8:40着。
8:56発。雨後雪と言う予報通りの冷たい雨の中,晴れ晴れとしない出発となる。
桜尾根コースは登山口が私有地であり、他の7つのコースと同じようには扱われていないため登山口が分かりにくく、知る人ぞ知るコースとなっているが、それだけに最も花の豊富なコースと言われている。今回はその登山口を教わるために来た。
せっかくの機会なので波打ち際まで行って海抜0mからの出発とする。 登山口には地主さんが書いたと思われる注意書きがあり、植生や登山道を痛めないようにと言う内容と共にスバイクのついた靴の禁止やストックにゴムキャップをつけるようにと言った具体的なことがかいてあった。
登り始めて10分ほどでミスミソウを発見。道から相当離れていて撮影対象としては不向きだがしばらく登るうちに道のすぐ傍らでも見られるようになる。ただ雨のせいかどの花もうなだれるように俯いて咲いているのがちょっと残念。ミスミソウは初めて見る花で花の色には紫系のものと白系のものがあり、その中間と言うか蕾の縁がビンクのものが時折見られる。蕾の時だけそのように見えるのかも知れない。
花は登るに従って数が増え群落をつくる程になる。40~50分程登った辺りからはカタクリが、最初は葉だけ、次いで小さな蕾をつけたもの、そして下向きに花を咲かせているものが見られるようになる。カタクリもまた高度を増すにつれて大きな群落をつくるようになる。ほぼ同じ高さでショウジョウバカマが現れるが花の数は少ない。またアズマイチゲやキクザキイチゲも見られるようになる。しかしその辺りから雨が雪に変わり始め、遂には一面白い世界となる。ミスミソウは高い所では白系が圧倒的に多くなりそのため目立たなくなるが、雪の中の花は白くても風情があり、カタクリにも負けていない。
こうして花を楽しみながら登るうちに角田岬からのコースを合わせる地点に到達するとそこから木道となり、数分で481.7mの角田山山頂に着く。
雨にもかかわらず山頂には大勢の先客がおり、小屋は満杯で立錐の余地もなく、中でガスを使っているので暑くて入ろうと言う気にもならないが、さりとて外は寒くてのんびり食事でもなく、また空腹を覚える時間帯でもなく早々に降りて温泉にでも行きたい気分で岬コースからの下山とする。
桜尾根コースの分岐点はそのまま木道を進み、幾つかの道を分けて桜尾根のすぐ隣の尾根を下る。
道は途中から前方が開けて海に向かって下る展望コースとなるが、傾斜は結構急で随所に階段があり、また岩場もあるので脇見は厳禁。慎重を要する。
終版は海に向かって突き出した角田岬のピークを踏んで行くのでアップダウンを強いられる。
最後に灯台の側を通り急階段を浜まで下って0-481-0の登山が終わりとなる。