遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

育つリンゴ・・・摘果終了

2010-06-22 22:03:48 | 安曇野
 6月21日 津軽
              同 

 5月12日から始まったリンゴの摘花・摘果が6月21日終了。

 5月12日 富士満開
              同  
 5月15日
            5月18日  
 5月19日 富士
             5月20日  
 5月26日 富士
             5月26日  
 6月3日 津軽
        6月3日 レッド  
 6月8日
        6月10日 レッド 

 約40日間のリンゴも成長を追って見た。

 5月20日 摘果作業
            6月10日  

 お盆明けにはレッドが熟して市場に出まわるそうだ。 

海城の町・二穴・・・能登島津々浦々

2010-06-20 23:58:01 | 海岸線を歩く
 二穴城址説明版と小口瀬戸方面
 ゴミステーション・・?
 二穴と言う地名は、集落の西にある通称海崎と呼ばれる丘陵の七尾湾に面した断崖・絶壁に2つの洞穴があることに由来する。大きい方は雄穴、小さい方は雌穴と呼ばれ、また日中は西側の雄穴から、夜は東の雌穴から光を放つところから、日穴、月穴とも呼ばれる。
 この雄穴、雌穴のある丘陵にあるのが二穴城と言う海城で、七尾湾の入り口に当る対岸の小口瀬戸と七尾湾一帯を望み、航行する船舶の監視を目的として室町時代に造られたものとされている。
 海城の見取り図
 海城のある丘陵か・・?
 城跡には帯郭,腰廓、土塁,竪堀などの他、見取り図写真の通り『大津守』,『船隠し』等の地名が残っているところから、小口瀬戸から侵入して小泉岬沖を航行する敵船に対して見えない位置から横矢を射掛けることが出来、七尾湾の要害となっていたと推察される。
 背後の細い尾根で陸地と通じているが、現在は集落から城跡へは行けないと言うことで見ることが出来ないのが残念でならない。
 免屋入り江方面?
 対岸のLPG基地
 7:15,二穴を後にして日出ヶ島へ向かう。小泉岬を横切る切通しの坂道を登って下ると20分弱で海岸線に出て、免屋(めんにゃ)入り江やカラス島,寺島等、七尾南湾の複雑な海岸や小口瀬戸を挟む中田浦のLPG基地を間近に見る。
 イソヒヨドリ
 ジュウニヒトエ
 右手は海でイソヒヨドリが電線に止まって囀るのを聴き、左手は田圃でその畦にジュウニヒトエがびっしりと植えられているのを見る。

 日出ヶ島
 漁港
 7:43,日出ヶ島の小さな漁港を通過。民話・弘法の池と書かれた標柱があり、その一面には『日出ヶ島 筆ヶ島』とも書いてある。弘法の池とは何か,日出ヶ島と筆ヶ島は如何なる関係なのか・・,この時点では窺い知る手がかりが何もないので後日調べることになる。
 野崎へ向かう道
 イカリソウ
 これより次の野崎までは海岸線を離れて少し内陸部を歩くが、道の両脇はもちろん水田である。

絶好調!・・・キヌサヤ大収穫

2010-06-20 10:21:29 | あまってら農園
 大収穫1000本

 支柱を施してから10日目のキヌサヤは実が鈴なりで中には実入りしたものが見られた。実入りしているものは片っ端から採らないと本体の勢いが劣えるので下の方で隠れている奴を探して採ったが夕方の短時間では採り切れず、翌日もう一度徹底的に探して2日で1000本の実を収穫した。
 出荷できる姿形のいいものは4割程度。残りの6割は未熟,または過熟であったり変形したもので自家消費用となる。変形が多いと終わりが近いが、それは過熟を防ぐためにこまめに収穫することで防ぐことが出来、1ヶ月以上の長きにわたって採り続けることも可能である。そのためには毎日畑に通う必要があり、当分は目が離せない。
 グリーンピースは
 発展途上
 一方、グリーンピースの方も沢山の実をつけているがみなまだ未熟。実が熟してサヤがパンパンになり枯葉色になるまで置く。
 キヌサヤの実が成長したものがグリーンピースになると思っている人が多いが、キヌサヤの実はグリーンピースにはならない。また、若いグリーンピースをサヤごと食べると言う人もいるが、グリーンピースのサヤは筋っぽくて美味しくないし、熟してない実も美味しくない。
 絹のように柔らかくて美しいからキヌサヤなのであって、いかなるエンドウもこれに代わるものではない。
 タマネギ倒れる
 赤はまだ
 里ではすでに収穫期を迎えているタマネギは、山でも葉が倒れ始めた。タマネギは地上部が倒れるとそこで成長が終わる。倒れた葉を枯葉色になるまでそのままにして置くのは葉緑素を最後の最後まで鱗茎に送るため。
 タマネギ自体も表面の皮が褐色に変色するが、タマネギが最も美味しいのは青い時でこれは生産者しか味わえないもの。青タマネギは青い葉と一緒に単純に煮含めて食べると絶品。残念ながら毎年何本か発生する塔立ちが、今年は1本もなかったので青タマネギを食べる機会がなかった。

 我が農園のタマネギは甘くて辛味が少なく、スライスして水に晒すことなく生で食べられる。特にレッドが美味しい。

鹿窓・第2高点・カレ沢下り~鋸岳

2010-06-19 12:31:47 | 山行
 第2高点にて
 仙丈ケ岳を望む
 日暮れと共に寝てしまうと0時前後には目が覚めて、後はうつらうつらしながら長い夜が明けるのを待つのがいつものパターンなのだが、今回は4時前まで一度も目が覚めなかった。かつてなかったことでどう考えたらいいのかわからない。
 4時過ぎに外を歩くG3氏の気配で起きるとすでに朝焼けが始まっており『日の出が近い』と言う。4:30,八ヶ岳・松本平方面をびっしりと覆う雲海を割って太陽が昇り、反対側の北岳・仙丈ケの山頂が朱に染まるのを見届けてから湯を沸かし、それぞれに朝食を摂ってテント撤収。足の傷をケアしてパッキングし、登山靴に履き替えて6:45出発。第2高点に向かう。
 
 長大な鎖場を登るG3氏
 鹿窓から第2高点へ
 第1高点から5分ほど南進すると最初の鎖場に到達。岩が脆くて剥がれやすいので鎖に身体を預けて岩を蹴りながら一気に下るとスチールの鎖が手に痛い。次の登りは鎖が長いので腕力に頼って登ると途中で腕が鈍ってしまうが、岩が剥がれやすくてホールドがあまり信頼できないのと身体の切れが悪いのとで鎖に頼ってしまい、最後は悪あがきスタイルで這い上がる。カッコ悪いことこの上なし。
 
 ぽっかり口を開けた鹿窓/鎖場下から見上げる鹿窓の小さな穴

 その先のもう1つの鎖場を降って鹿窓に着き、穴を潜るとやや長めの鎖場となるが大した岩場ではない。下りきったザレ場から次の岩場の基部の草付の踏み跡を辿って先行するG3氏を追うもこの道がハッキリせず、鋸岳を出て丁度1時間経ったところなので小休止する。
 道を探して一旦ザレ場まで戻り下を見るとピンクのリボンが見えたので軌道修正して目印を追う。かなり低い所まで降ろされてから第2高点への登りとなり、25分で第2高点に到達。途中で第1高点に人影を見てコールすると手を振って応えてくれるのが見えた。
 甲斐駒にガス湧く
 北岳方面もガスの中

 下山
 第2高点で甲斐駒,北岳,間ノ岳,農鳥岳,仙丈ケ岳等,南アの山々の展望を楽しんで9:00発下山開始。角兵衛沢と違って岩が比較的大きくて安定しているのでそれに乗って止まる所までずり下がりながら熊ノ穴沢付近までの600mほどを一気に下る。


 そこから30分ほどで樹林帯に入ると岩屑が小さくなり次第に登山道らしくなってくるのだが足が痛くて思い切って歩けず、マイペースでゆっくり下る。 
 樹林帯ではるか下方に沢音を聞いてから小1時間で戸台川の川べりに着き、そのまま右岸を10分あまり下ると角兵衛沢の渡渉点に到達。靴を脱いで河を渡り大休止。食料と水を流し込んで最後の河原歩き2時間弱で駐車場に着き終了となる。 
 『いつもこんなハードな登山ばかりやってるんですか?』とG3氏に聞くと『まぁそうだ』との答え。『次はもう少しのんびりしたのをやりましょうよ』と話してそれぞれの帰途に就く。次の目標は懸案の剣岳北方稜線辺りか・・。
 
 2頭の鹿
 なお、G3氏の鋸岳周辺での深夜徘徊の顛末記は以前ヤマレコに収録されていたが、同氏の退会と共にすべての記録が削除されたために今は読むことが出来ず残念である。退会によって山行記録まで抹消されてしまうのであれば『お気に入り』に指定しておいても本人の会員としての動向に左右されるのでその存在が、従って記録を提供して他の人に活用してもらうと言う意味での山行記録の役割が不安定なものにすぎなくなる。 
 本人が著作権を主張して削除するのであれば別であるが、そうでなければ一旦登録された記録は(本人の意思を確かめた上で)退会しても保存すべきではないかと思う次第。

鋸岳,地下足袋登山

2010-06-16 20:26:47 | 山行
 G3氏
 第2高点からの鋸岳
 1年ぶり,G3氏との山行
 登山ブログで縁を得たG3氏のブログネームは『じいさん』。これに敬称をつけると『じいさんさん』とややこしくなるので、勝手にG3氏と書かせてもらっている。
 G3氏はかつて第3尾根上にテントを置いたまま視認した滝まで水を汲みに行って戻れなくなり、深夜、ヘッドランプを頼りに熊ノ穴沢からの道を下って明け方近くに戸台川に着き、赤河原分岐(丹渓山荘)~威力不動経由から嫦娥岳経由で第3尾根に登ってテントを回収したことから仲間内では『徘徊王』の異名をとり、飽くなき闘争心と胆力で北鎌尾根をはじめ、狙った山は必ずものにすると言う知る人ぞ知る歴戦のつわものである。
 G3氏との山行は昨年,ブナ立尾根から~烏帽子~不動~船窪岳を登って以来1年ぶり2度目で、今回は主に南アルプスを中心に山行を続けている氏にとって馴染みの深い鋸岳を案内して頂くことになった。
 
 
 6月12日(土)
 地下足袋で鋸岳・・・試着せず失敗~新調・ゴロの靴
 前日のリンゴの摘果・草刈り作業から慌しく登山の準備をして寝る間もなく2時前に出発,3:20に同氏の待つ道の駅『南アルプスむら長谷』に着いて1時間の仮眠後、4:30から戸台川の駐車場に移動。5:58から歩き始める。
 今回の山行では新調した靴を試着もせずいきなり履いて、しかも間違えて薄っぺらの靴下をつけて歩き始めたためにたちまちトラブルが起こった。懸念された右足の踵は何の問題もなかったが、足の甲の親指側の突起した部分と小指のつけ根辺りが擦れ、さらに靴の縁がくるぶしの下に当って痛み始め前途に暗雲。とりあえず靴下をもう1つ履いてダブルにすることで幾分緩和されたが痛いことは痛い。せっかくつくってもらった中敷を忘れてきたことも隙間をつくる原因と思われた。
 角兵衛沢の渡渉点までは我慢して歩いたが、渡渉のために地下足袋に履き替えたのを機に登山靴をザックにしまい、そのまま地下足袋で歩くことにする。毎日仕事で履いている地下足袋は頗る履き心地がよく、崩れやすい岩屑の河を歩く上で大きな支障は無かったが、ゴムの底が少し厚いだけであとはただの布切れに過ぎないので崩れた岩屑の鋭く尖った部分がくるぶしやその上の部分を直撃するのには参った。
 それよりも問題は体力の低下と睡眠不足で、幕営縦走は去年の剣岳以来,雪山を歩いたのも1月の本沢温泉(日帰り)以来で、その間のチョコマカした小さな日帰山行や100kmの海岸線歩機などは何の役にも立っていない。
 渡渉点
 角兵衛沢の樹林帯
 G3氏は同行者にペースを合わせるとタイプではなく、相手は相手でついてくるだろうとばかりどんどん先に行ってしまい、すぐに遅れてしまう。お互いに歩き方のスタイルや癖が違うし、荷の重さも違うので敢えて追わず自分のペースでゆっくりとしか歩けない。それにしてもきつかったのはここのところ平均3~4時間の睡眠時間のせいか・・。
 角兵衛沢のコースは30数年ぶりで当時の記憶はほとんどないのだが、前回は初めから石の河の登りだったような気がしており、最初が樹林帯だったのは意外だった。多分記憶違いなのだろう。


 樹林帯に入って間もなく水場があり、次いで横岳峠への分岐を示す標識があったほかはさしたる目標もなく、ただただあえぎながら急坂を登るだけの道で何度も立ち止まって息を入れるうちに大きく遅れる。 
 やがて『着いたぞー』の声と笛の音が降ってきてその5分後にやっと大岩下に着く。大岩は圧倒的な岩の壁がのしかかるように聳えたその基部が抉れた場所で、最後の水場として岩を滴る水で喉を潤すことが出来るだけでなく、幕営地にもなるところであるが、遅い到着の場合や第1高点を目指してピストンするのでなければ半端な位置である。ここでは1時間あまり大休止して昼食を摂り水を補給する。

 
 疲労困憊,ヨレヨレ登山・・・角兵衛沢から鋸岳へ~
 大岩から5分で第2尾根左側の石の河原に入る。コース状況に記した通り大小の岩屑がぎっしり体堆積した上を歩くのだが、岩屑が安定しないので踏ん張っても踏ん張ってもズルズルと滑ってちっとも進まない。その空しさと岩屑全体がなだれるのではないかと言う不安とで、体力,精神力共に激しく消耗する。これに比べると池の谷ガリーなどは上からの落石に備えるだけでよく楽なものだと思う。
 ここでもG3氏は慣れたもので、比較的安定した場所をよく知っていてぐいぐいと登って行く。時折りコメツガやダケカンバの疎林があり、そことて歩きにくさは変らないのだが、できれば岩の河の中央部を避けたいと、そちらに救いを求める心理が働く。
 最後のカンバ帯からピークを望む
 角兵衛のコル
 角兵衛のコルが間近に迫る辺りで最後のダケカンバの先の右手の大岩の下に一服できる平坦地があるような気がして、そこを目指して右寄りに進むと、そこにはG3氏の姿がなく見失ってしまった。その先からコルに向けて登ってる姿は見なかったので、ひょっとすると右手の尾根に道があるのかもしれないとそちらを探すも踏み跡はあるものの目印がない。ここは直登に違いあるまいと考えて尾根の際を進むと中央部の部分が平坦になって踏み跡らしい感じが見られ、こちらが上がりすぎているのが分かったのでおっかなびっくりで斜めに横断しながら下がって中央ルートに戻り、そこでピンクの目印を見つけてホッとする。この時点で氏とは30分以上の差がついていたと思われるが登頂はさらに遅れる。
 ここまでですでに疲労困憊,ヨレヨレになって角兵衛のコルから大小の岩峰を登る。途中の岩の上で何分か眠り込んだりして16:10に鋸岳に着くと、氏はテン場を確保すべくスペースの整備に奮闘中で、手伝う余力もなく設営はほとんどG3氏にお任せとなる。
 設営完了
 甲斐駒ヶ岳は指呼の間
 朝は今にも降り出しそうだったものが午後になって持ち直し、暑くも寒くもない天候で、隣接する名だたる山々がよく見えるまずまずの展望なのだが、周辺の景観などはどうでもよく、テントに入って居座るともはや動き回る気にならない。
 そのままそれぞれの用意した夕食を摂り、G3氏手づくりのウメブランデーを飲んだりしているうちに眠くなり、早々にシュラフに潜り込んで寝る。

 仙丈ケ岳にも曙光
 6月13日(日)
 日暮れと共に寝てしまうと0時前後には目が覚めて、後はうつらうつらしながら長い夜が明けるのを待つのがいつものパターンなのだが、今回は4時前まで一度も目が覚めなかった。かつてなかったことでどう考えたらいいのかわからない。

鋸岳と言う山~コース状況

2010-06-14 07:58:42 | 山行

 鋸岳山頂にて/4:31日の出~夏至が近い


 登り~12日(土)
 戸台川・河原歩き
 駐車場からしばらく工事用車道を歩いた後に戸台川の河原に入り、ピンクの目印を追って浅い流れを何度か踏み越えたりしながら右岸を進むこと1時間弱で第1の堰堤にかかる。左側につけられた道を通って堰堤を越えると10分足らずで第2の堰堤に到達。階段を昇降して堰堤の上に出ると河原がやや広くなり、砕石が堆積して本流が伏流する上を斜めに横切って徐々に左岸に移動すると、そこからは段丘の樹林と河原を交互する歩道となって20分弱で第1床固と呼ばれる鋼鉄製の堰堤に着く。これを攀じ登って同じような歩道を45分ほど歩くと角兵衛沢の標識に到達する。

 渡渉/ここから地下足袋

 ここまではただ長いだけの河原歩きであるが、ここで本流を渡らなければならない。流木を利用したり飛び石伝いに渡ることも考えられるが、靴を脱いで渡渉するのが賢明でその覚悟だけは必要。

 角兵衛沢へ/大岩下・最後の水場

 角兵衛沢~大岩
 角兵衛沢の登り口からはすぐに樹林帯の急登となる。途中、25分で右手に水場が、また30分余で横岳分岐の標識があるが、そこから先は何も目標のない急坂が続き、登り始めて2時間40分で大岩下に着く。ここには岩を滴る水があり、ゆっくり休むにはよい場所だ。

 石の大河を行く

 石の大河・角兵衛沢を登る
 大岩から5分で第2尾根西側のがら場に入る。角兵衛沢の頭から流れ落ちる石の河と言う感じで両手に余るほどのものから小さな岩クズまで、がらがらの岩屑がぎっしり詰まった石の大河を歩くことになる。どの石も1つとして安定したものはなく、踏みしめれ崩れ、次の足を出せばそこがまた崩れ、1歩踏み出しても数cmも進まず、時にはマイナス1歩にもなったりする始末の悪いがら場である。少しでも安定した岩をと求めながら、踏み出して踏み崩した岩屑の上を騙し騙し歩くと言うむなしい繰り返しを何百,何千回,もしかしたら地すべりを誘発してすべての岩屑と一緒になだれ落ちるのではないかと言う恐怖と戦いながら続けることになる。

 岩陰に咲く/スフィンクス岩

 角兵衛沢の頭は早い段階から窓のようにくっきり切れているのが見えており、そこを目標に登って行く。上部に進むにつれて斜度を増すと共に岩も屑とは言えない大きなものが多くなってくるが、岩が大きくなってもまったく安定せず踏むたびに崩れる歩きにくさは最後まで続く。
 最後の斜面を中央よりに登り切るとやや平坦になるのだが、石の河の中央部に寄るのが嫌で右手により過ぎて大岩の下に入るとそこから左に戻るためにはがら場を下ることになるので右手に寄り過ぎない方がいい。しかもここからは次の目印が見えず、さらに右手に道らしい踏み跡が見えていてそちらに迷い込むと行き止まりとなって戻らされる羽目になる。
 角兵衛沢の頭からはノコギリの歯に当るゴツゴツした岩峰が続き、岩屑の登りで消耗した後にはきつい登りとなる。

 角兵衛沢の頭/鋸岳から甲斐駒ヶ岳を見る

 

 北岳に曙光/撤収 


 降り/13(日)

 鎖場にて/登るG3氏

 鋸岳山頂から稜線を南南西方向に下り、5分で鎖場に到達。慎重に下ればどうと言うことはないが、岩が脆くて剥がれやすいので落石を起す危険があり、1人が完全に降り切るまで待つ必要がある。鎖場を降るとすぐに長い鎖場の登りとなる。あまりに長いので腕力に頼りすぎると後半力尽きかねない。鎖場はゆっくり時間をかけたい。

 鹿窓/下から見上げる鹿窓の小さな穴

 鎖場を登って7~8分で鹿窓に着く。上に向かう道があるがこれは冬期登攀用で、こちらを上がる場合はザイルによる懸垂下降となる。鹿窓も長い鎖場で慎重を要する。鹿窓を降り切って進行方向を見ると道があるが、これも進めば懸垂が必要なルート。ここからはさらに下方にピンクの目印があり、それを追ってい下がりきったところから第2高点への登りが始まる。ここでは少し迷ってルートを見つけるのに35分を費やした。起点から20分あまりで第2高点。

 第2高点にて/鋸岳を見る 



 北岳にガス湧く/仙丈ケ岳

 第2高点から前日同様のがら場を一気に下る。角兵衛沢のそれとの違いは、岩が比較的大きくて割と安定していること。安定していると言っても乗っかれば動くが、下りなのでそれに乗って止まる所までずり下がりながら進めることであろうか・・。なので1時間ほどで2000m付近まで降ることが出来る。

 一気に下る/樹林帯へ 

 熊穴沢付近から30分あまりで樹林帯に入るとはるか下方に沢音が聞こえ始める。岩屑が小さくなって道が次第に登山道らしく歩きやすくなり、約1時間で戸台川に降り立つことが出来る。

 下降点/振り仰ぐ峰

 右岸を10分あまりで角兵衛沢の渡渉点に到達し再渡渉となる。以下第1床固,第2堰堤,第1堰堤と前日の逆を歩いて1時間50分で駐車場に着き終了。

 河原に死骸/傷だらけ
 

ワラビ狩り&慰労会・・,奈川にて

2010-06-10 00:17:22 | 暮らし


 5月連休明けから1ヶ月近く続いているリンゴの摘果作業はいよいよ3回目の最終摘果段階となり、まもなく終わりを迎える。9日はその慰労を兼ねた奈川高原でのワラビ狩り。
 摘果作業のベテラン諸兄・姉はワラビ狩りに於いても超ベテランで、それぞれの『シロ』に向かって散らばったかと思うと2時間後には大きな袋をいっぱいにして帰って来た。
 そもそも向う1年分のワラビを保存するために採るのが目的なのでハナッから意気込みが違っていてとても太刀打できるものではない。
 ベニバナイチヤクソウ

 そんな具合なのでワラビ狩りはベテラン諸氏にお任せして一握りほど採った後、他の山菜や野草を探して歩く・・,
 まず目につくのが日当たりのいい路傍や斜面に小さな群落をつくって咲くベニバナイチヤクソウ。一昨年,野麦峠を歩いた時にも目についた花でこの地方には特に多いようだ。
 林道を歩く間に見られたのはウド,ウルイ(ギボウシ),フキ,ハンゴンソウ等々・・。
 芽が出たばかりのウドを2~3本,根際から掘る。一番美味しいのは新しい芽が古い株を抱くようにして立ち上がっている部分で、ほんの少ししかないがねっとりとして甘い。
 1(上から)の滝
 2の滝
 2kmほど歩いたところから20m下の沢に入る。岩なだれと倒木の折り重なる歩きにくい渓流を下って苔むした岩間を走る小滝を2つ越え、さらに下って堰堤を1つ巻いて降りる辺りでワサビ,カニコウモリ,ウワバミソウ(ミズナ,またはミズ)を見る。ワサビは出所不明なので採らず、ミズを少し採る。
 歩きにくい沢を小一時間下ると橋にぶつかり、そこから林道に上がってハテナ・・? 橋なんか通った覚えがない。しかも橋で道が二分している・・,つまり下りすぎたのだ。
 道はどっちだ?,当然、上に向かって沢の右側だが集合点に戻るまではやや不安。
 カニコウモリ
 チゴユリ
 すでに大袋を満杯にして帰って来たベテラン諸氏だが、場所を変えてまだ採るとおっしゃって次の場に移動。
 新しい場所には新しい出会いの期待があり、そこではスズラン,チゴユリ,ツリガネニンジン,アマドコロなどを見る。
 アマドコロorナルコユリ

 アマドコロとナルコユリの見分けは難しく、帰って調べたところによると一番の違いは茎の断面で、ナルコユリが丸いのに対してアマドコロには稜があって角が立っている点だそうだ。この点のはっきりした記憶はないが、掘ってみた根茎の形と、ナルコユリが一見して『鳴子』を連想させてなるほどと思わせる点との違いから、多分アマドコロと思われる。

 かくして各々がそれぞれの満足度を抱いて某民宿に落ち着き、とうじソバなるものを中心に据えたお昼を頂く。食後はリンゴづくりの苦労話しや山菜・野草談義,料理自慢の花を咲かせ、リンゴ摘果の労をねぎらって散会。
 返す返すも残念なのはベテラン諸兄・姉のワラビの収穫の写真を撮り忘れたこと・・。

6日のアヤメ

2010-06-07 02:03:24 | あまってら農園

                
 6日のアヤメ,10日の菊等と言うが、気がつけば今年もアヤメがきれいに咲いていた。5日だろうが6日だろうが人の都合に関わりなく、花は自分の生を全うしているだけだ。

 蕗がいっぱい
                
 山の畑には蕗がいっぱい・・。刈払い機で刈ってしまうには忍びないものがある~,と話したところ、リンゴ園で働く仲間達が採りに来てくれた。

                
 5人で2時間あまり奮闘してもらっても採りきれる量ではないが、畑の境目に生えた蕗だけはきれいに採ったので、去年のように蕗に乗っ取られる心配はなくなった。有難いことだ。
 5月10日,植えつけ時のナス
          6月5日現在  
 今年は植えた野菜がちっとも大きくならない。5月10日植えつけのトマト,ナス,キューリ,ピーマンは、低温とその後の日照り続きで立ち枯れ寸前となり、今は細々と生きながらえている。
 5月10日植えつけ  
        5月22日植えつけ  
 5月10日植えつけのトマトがやっとこれだけ・・。5月22日に植え替えたキュウリは2週間経ってもまったく育っていない。


                
 それでもジャガイモ,ニンニクは順調に育ち、タマネギはやや遅いがまずまずと言うところ。
 『自然農法ですか・・』と言う人がいるがそんなカッコいいものではなく、相変わらずのほったらかし農法である。


彩雲or地震雲~5月16日

2010-06-01 23:59:15 | 月・星・太陽・暦・天体&気象・自然現象
 長大かつ長時間(3時間以上持続)
 5月16日10:54撮影 
 5月16日,旧国鉄篠ノ井線・明科廃線敷きを歩いている途中で、かつてないほど長大かつ長時間におよぶ彩雲を目撃し撮影した。形状は半円形の虹とは違って直線状。
 撮影時刻以前に発現し午後2時頃にもその状態を保っていたので、少なくとも3時間以上は持続していたことになる。
 翌日の地方新聞にその写真記事が載ったのを見たという人もあり、当地ではかなり話題になったらしい。

 ところが、昨日(5月31日)夜8時からのNHKの『鶴瓶の家族に乾杯』を見ていたら、おそらくその時と同一のものと思われる彩雲が写っていた。場所は松江市近辺。
 それを見てこの日の彩雲は全国的に見られたものかもしれないと思い至り、『彩雲 5月16日』で検索してみると、同じ日に宮城県の蔵王や兵庫県の三田市で撮られた写真が載っており、そしてそれは『地震雲(日暈)』であるとした記述があって、実際にこの日奄美大島沖でM4.5~5.0の地震があったことが報じられていた。

 ソラからの情報を知って  ↓
http://sorakaranojyouhou.at.webry.info/201005/article_10....

 これまで彩雲はごく限られた地域的な現象だと思っていた。太陽の近くの雲が彩られるものだから雲のないところでは発現のしようがないが、この日の例は雲があれば同じ日にどこででも発現するものだと言うことを物語っている。
 もしかすると彩雲と地震雲とは現象は同じでも原因は別のもので、地震雲と呼ばれる現象だったから全国各地で見られたのかも知れない。
 謎は深まるばかりであるが、謎めいているからこそ面白いではないか・・!