バリントンも200回!~『明日のカープ』もどうぞ
前方,蛸島方面/後方,飯田港越しに鵜飼漁港方面を望む
珠洲市後背の山地/黒い影の先端は見附島か
10月10日(月)
金沢市内と羽咋,穴水周辺で行われた『トキのいた森を訪ねる旅』に参加したのを機会に、海岸線歩きの続き,珠洲~輪島間の踏破を企画する。過去4年間はすべて5月連休だったので異なる季節に歩いてみたいと言う願望があり、今回初めて秋の奥能登を歩くことになった。
前日,穴水町の広大な森を散策して15時半頃一行と別れた後、5月に歩いた時の細かい部分の記憶を掘り起こすべく、穴水から珠洲までの道を走ったが、縄文真脇辺りで日が暮れて道が分かりにくくなり、後半を後日廻しにして20時前に珠洲市の道の駅・すずなり館に着き車中泊。
オナモミ/ナミノリヨコエビ~海鳥たちの餌/名残のハマヒルガオ
4:30に起き、5:45すずなり館を出発。今回は小さいザックに雨具と防寒着,水500㏄とコンビニで買った鯖寿司,パンなどを詰めただけの軽装で歩く。すずなり館は5月の最終日に近くの銭湯に入ったりスーパーで買い物したりしてウロウロしたので、周辺の地理はある程度分かっており、記憶を手繰って5:54頃海岸線に出る。
緩やかな湾状の浜であっても、前方の海岸線は大きくカーブして海に突き出た岬のように見える。その岬のような先端に30m程の小山が見え、さらにその先にもう1つの島影が見える。
恋路ヶ浜辺りから飯田港を望んだ時から、そこは視界の限界点になっていた所であり、従って海岸線はその先で左に曲がっているものと思われた。
後方もまたしかりで、振り返ると飯田港の向うに鵜飼港や見附島と思われる黒い影が見え、さらにその背後に連なって延々と伸びる低い丘陵が尽きて海に落ちる所が灯台のある赤崎と思われた。
海浜植物帯/オナモミ/雲間からの日の出
護岸堤を乗り越えて浜に入ると波が打ち寄せるギリギリの所まで、幅にして10m程の草原があり、オナモミのイガイガの実が人や動物の衣服・毛にくっついてやろうと待ち構えていた。構わず進んで波打ち際に向かう。
波打ち際に近い所はきめの細かい砂で歩きやすく、そこに早朝の散歩の足跡が続いているが人も犬もすでになく、生き物と言えば水際に10羽ほどのウミネコが屯しているのを見るばかりである。
6:09,前方の一番低い島影の上空が赤く染まり始め、2分後に雲の中から太陽が顔を出す。
馴染みとなった銭湯/正院町の川を渡る
アオノツヅラフジ/クコの実
誰もいない海岸を歩くのは気持ちがいいものだが、歩き始めてすぐにぬかるんで通れない場所で行き詰リ、5月の時の終点でもあった銭湯の薪小屋の脇を通らせてもらって一旦市道に戻ってすぐにまた浜に出る。そこからは昇る朝日に向かってゆっくり歩き、6:37に正院と言う町で2つ目の川を越え、アオノツヅラフジやツルムラサキ(野菜),ハマヒルガオ,クコ等の花や実を楽しみながら三たび浜に降りる。
磯遊び/漁港
朝日が躍る波間に3つの黒い影があり、大の男がスコップのようなもので改定を掘っては何かを探して子どもに手渡しているのが見えた。男の子は『釣りの餌』だと言った。
オオダコ民話
長い砂浜が終わって7:01,蛸島港と言う港に着く。高い防波堤に沿って右折すると、堤防の壁に『珠洲の民話~蛸の島』と書かれた大きな絵が飾られ、紙芝居式に物語が展開されていた。民話の他にも『早船狂言』とか『蛸島の秋祭り』『川尻の曳山』などの絵があった。蛸島と言うのは今は陸続きになっているが、港の沖にある小さな島のことで、それは元々は悪さをして村人を苦しめていた大蛸が島に化身して今は村人を守っていると言う民話に基づく名であるらしい。
アオリイカ釣りの若者/漁師さん達
そんな微笑ましい絵物語りのある港を歩いていると1人の若者が何か言いたそうに再三振り返るので『アオリイカか』と聞くと『そうだ』と答え、『どうだ』と聞くと『さっぱりだ。姿も見えん』と言ってカラカラと笑った。
水揚げ
港の突き当りで2人の漁師が捕ったばかりの魚を選り分けているのを見る。大半は小アジで中にコノシロやカマス,小サバ,ハゲ等が混じるがいずれも小さい。聞くと『小さな定置網なんでネ』と聞き『なすった』と逆に聞かれる。
油流出防除資材置き場/蛸島
邪魔にならない程度に談笑して立ち去り、さらに進むと『石川県流出油防除資材置き場』と言う看板と広い置き場があった。それは1997年1月2日に起こったタンカー,ナホトカ号重油流出事故の産物と思われた。
高倉彦神社/修復記念碑
港の端で今度は30m程の小山に突き当たり、その先を海沿いに廻れるか確かめに行くと行き止まりだったので戻って内回りに進むと高倉彦と言う名の神社に出る。その神社の鳥居の足元には『鳥居修復記念』と書かれた丸い碑があった。1993年の能登沖地震で被災した鳥居を修復したことを記念したものである。
何を思うかアオサギ/エビヅルかな・
こうしていくつかの場面を通り抜けて蛸島を過ぎると、湾状だった海岸線が逆に緩やかな凸状に変わり、それとともに波と風が幾分強くなって外洋の様相を呈するようになってきた。緩やかであってもその差は大きく、それは漂着するごみの量にも現れる。内湾にはゴミが貯まり易く、外向きにカーブしているところではゴミが皆無の所さえある。
これまでで最もゴミが多かったのは富山湾の最奥部で、逆に8日訪ねた河北市の白尾海岸には全くゴミがなかった。
それまで東南東に進んできた海岸線は蛸島から真東に、そして徐々に東北東へと変わり始めいよいよ能登の最先端に迫ってきた。
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