遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

信越国境・牧峠

2009-11-30 18:35:44 | 山行
 地図上の赤い+マークが牧峠,地図の縮尺と位置は自由に変えられます。
  三階節の米山さん 
      黒姫山  
 春日山や直江津港方面は霞んでいて写真にならなかったが、その霞が海岸線から立ち上がって米山,黒姫山と続く山なみを墨絵のように背景の空に溶けこませているのが印象的である。

 11月3日・文化の日に新潟のMarumaruさんと関田峠から鍋倉山までを歩く計画で新潟,長野の双方から関田峠を目指したものの、新潟側は上越市の光ヶ原牧場で30cmの積雪、長野側も飯山温井付近の猛吹雪で関田峠まで乗り入れることが出来ず断念。11月29日(日)に再度鍋倉山を目指したが、すでに道路が閉鎖されてこの日も関田峠に近づくことが出来なかった。
 そこで情報収集のために鍋倉高原・森の家に寄ったところ、牧峠を通る道は道路閉鎖が無く積雪さえなければ通れると言うことがわかり、その峠方面に車を走らせる。
 牧地区(ほぼ真北)を望む
          
 11時頃牧峠に着くと、それまでブナに覆われた山や尾根を見上げていたのが一変して、一切の壁が取り払われた景観を鳥の目で見下ろすこととなる。
 眼下には日本海に向けて急速に高度を下げる関田山脈の山裾の斜面を切り開いた棚田と集落が入り混じった景色が広がり、それは海岸線のすぐ近くまで続いていて、市街地と言える部分は海岸線のごくわずかであることがよく分かる。

 市街・直江津港方面
                       
 海岸線に吸い寄せられた視線が左手(北北西)方向に春日山のある低い丘陵から直江津港の長い突堤をなぞり、さらに右(北北東~北東)に視線を進めるとに三階節に歌われる米山が見えてくる。
 米山からさらに東に向かって低いながらもきれいな稜線が連なる中でひと際目立つ秀麗な山をMarumaruさんは『黒姫山』だと言った。その山名は5月17日に鍋倉山に登った際に、途中の黒倉山で新潟からの登山者に聞いた説明とまったく同じであることが、その時見た景観とともにまざまざと甦って来たことにちょっと驚いた。

 『峠越す荷馬の難所~』の歌碑
 信越トレイル標識 
 峠の一隅に『峠越す荷馬の難所も林道に拠りて湯の町信濃は近し』と書かれた歌碑があり、林道に拠って峠を越え信濃の湯の里が近くなったことを素直に喜んでいる様子が伺えた。
 新潟県人であるMarumaruさんは『牧峠,梨平峠,関田峠などの地名はすべて新潟側(上越市)の地名に由来している』と言う。牧峠に限らず、関田山脈を越えて越後と信州を結ぶ往来の峠には特に越後の人の思いが込められているのかもしれない。


          

ダイコン葉,ニンジン,ヒジキの煮物とふりかけ

2009-11-26 15:51:43 | 喰う寝る○太
 ふりかけ
      炒め煮  
 ダイコン葉,ニンジン,ヒジキ,シラス,アブラゲ,ゴマ
                
 ダイコン葉を刻む
      乾煎り 
 ダイコンの葉は根元に近い茎の部分と葉に分けてそれぞれを乾煎り。
 2つのフライパンを交互に使って・・,一方のフライパンで乾煎りし、少ししんなりしてきたら熱したもう1つのフライパンに移してさらに乾煎りする。これを3~4回繰り返すと葉がほぼ半量になる。
 平郡島で採ったヒジキ
  シラスも乾煎り 

 3月に平郡島(山口県柳井市)で採って乾燥保存しておいたヒジキを水で戻して乾煎り。シラスも乾煎りして3者を合わせ少量の塩で味付けする。煎りゴマを加えてさらに乾煎りし、水分を飛ばしてカラカラになったら完成。

 千切りのニンジンを炒め、ヒジキとダイコン葉,アブラゲを合わせて炒め煮したもう1品と共に大量につくって常備菜とする。
 ふりかけやお茶漬けに・・。また残り飯と一緒に炒めれば焼き飯。焼きソバに混ぜてもよい。           

          


          

ブロッコリーは栄養のかたまり

2009-11-26 12:46:46 | あまってら農園
 10月19日収穫
   10月28日収穫 
 300gから450gのブロッコリー約80個を収穫してほぼ終わった。よく売れたし、あちこちに送ったり配ったり、もちろんしっかり食べもした。
 ブロッコリーの葉は猛々しいほどに大きく逞しい。その葉に包まれ、太陽の光をいっぱいに浴びてぐんぐん育った蕾の塊は濃い栄養素の塊である。腐るとまるで虫が腐ったような動物性の臭いがするのがその証拠だ。

 1番蕾を切り取る
 2番(11月14日収穫) 
 1番の蕾塊を切りとった後、半月~1ヶ月すると2番目の蕾が膨らんでくる。実はこっちの方が美味しいのだ,と言うことはあまり知られていない。
 1番を採るのが遅いと寒冷地では2番は育たない。暖かい地方の農家は2番を収穫するほど悠長なことはしない。だから市場に出ることはない・・。が、野菜の旨みは寒さが育てる。1番より遅くまで寒さに晒されている分だけ確実に美味しくなっているのだ。

 沸騰させた鍋の上にザルを置き、小分けにしたブロッコリーを並べて蒸気を逃がしながら蒸す。蒸した後は水に晒さず自然に冷めるのを待つ。冷えていく間にも自熱で柔らかくなり、色も鮮やかな緑色から多少黄変するがその方が旨みが逃げない。歯ざわりと色は固ゆでに分があるが、柔らかめの方が旨みが引き出せる。
 芯の部分も蒸すと美味しく、茹でた場合との違いがよく分かる。
 蒸した直後は青臭さがあるが冷めると気にならなくなる。          

大根の季節~されどさびしく

2009-11-26 11:25:55 | あまってら農園
 煮物,生食用
       貧果 
 大根の収穫期・・。よく育っているように見えるが長さが全然ない。何よりさびしいのは漬物用の干し理想がないこと。

 去年の秋は・・ ↓
 08年11月23日
      同24日 
 犀川御宝田にハクチョウがやってくる晩秋の頃、すぐ傍の湧き水で真っ白なダイコンを洗うのが毎年の慣わし。今年はその湧き水で洗うほどの収穫がない。



          
 それでもダイコンはダイコン!
 ブリダイコン,フロフキダイコン,おでん,ダイコンサラダに酢の物,ダイコン皮のキンピラ,ダイコン葉のふりかけ,・・etcと,今年もダイコンの季節ナノダ!
   

西中国山地・細見谷遡行記

2009-11-19 11:57:17 | 広島
 
 コースの概要
 イカダの滝までは滝と言うほどの滝はない代わりにゴルジュの連続で、少なくとも3度の泳ぎを強いられる。泳ぎを避けようとすると相当高く巻くことになり、下りが危険なので泳ぐほうが安全であるし楽しい。下りは流れに身を任せて下ればよい。ゴルジュ帯なので日当たりはよくなく天候が悪いと寒い。

          
 8月30日(日)
 広島佐伯FHCの8月山行・細見谷沢登りに参加のため、Gaku,Tomoko,Nobouの3名が前夜から入り口の立野CP場でキャンプ。広島から来たNakamoto,@ki,Tubasa君を合わせた6名で9:00にCP場を出発。
 CP場のすぐ先の橋の手前から入渓する。左手にある養魚場に水を引き込む導水路の上を通って堰堤の上に出ると、そこから淡々とした河原がしばらく続く。最初の大淵はまだ泳ぐ気持ちになっていないので左側の岩場を登ってここを越える。しばらく進む辺り、渓相がいいので竿を出し釣りながら水線を歩いているうちに少し遅れる。

          
 前方に泳ぎの準備をしているのが見えたのを目の片隅で見ながら釣っているといつの間にか誰もいなくなっていたので慌てて追いかけ、竿を持ったまま泳ぐ。片手泳ぎでちっとも進まず、その後は竿をしまって後を追うが渓相の誘惑に勝てず、再度竿を出してまた遅れる。
 最初の泳ぎの少し先で左側から一の谷が入る。一の谷には滝があり、何人かがその滝を見に登っているのを待っているところで追いつく。
 そこから渓は右に折れ、大きな岩とゴルジュの連続となる。高巻きのルートもあるが、一旦ぬれてしまえば泳ぐことにためらいはなく殆ど水の中を行く。うまい具合に倒木が橋になっている所もあれば急流で必死で泳いでもちっとも進まない場所もあり、楽しみながらゴルジュ帯を抜け、12:30に目標とするオオリュウズの1つ前のイカダ滝に到達。

     ヤバッ!                     
 イカダ滝は見るからに険悪な滝で、被っているのでこれを登るのは難しく、左岸を高巻くしかない。滝上に出ればオオリュウズを見ることが出来るが、釣りで足を引っ張ったために時間が押しており、そこまでとして少し戻った日当たりのいい岩場で昼食とする。
 13:00発。帰りも泳ぎの連続であるが、@aki&Tomoko姉妹がザックに頭を乗せてラッコのように仰向けになってぷかぷかと浮いたまま流れに身を任せて下っているのには笑ってしまった。これが沢下りの醍醐味とでも言いたげである。
 14:00一の谷通過。14:30立野CP場着。

          
 泳ぎを満喫した沢歩きだったが、残念ながらビニール袋に入れておいたデジカメが湿気のためか使えなくなってしまい、防水機能の@kiのカメラまで故障して写真ナシとなった。



西中国山地・細見谷

2009-11-19 10:45:53 | 広島

          
 8月30日(日)
 広島佐伯FHCの8月山行・細見谷沢登りに参加のため、Gaku,Tomoko,木偶の3名が前夜から入り口の立野CP場でキャンプ。広島から来たNakamoto,@ki,Tubasa-kunを合わせた6名で9:00にCP場を出発する。
 細見谷は広島県西部・西中国山地十方山北西の水越峠を源流とし、十方山と五里山の水を集めて両者の間を南西から東にと流れを変えながら下り、立野CP場のすぐ下流で吉和川に合流する長大な谷で、合流する吉和川は冠山を源流とする太田川の本流で、最後は七つの川として広島市の顔となり瀬戸内海に注ぐ太田川の最上流部の川である。

          
 細見谷の十方山と五里山の間を下る区間は平凡な小谷だが、流れを南から東に変えて十方山の西端をぐるりと廻りこむ辺りから様相を一変させ、険しいゴルジュの連続となる。滝が少なく落差こそないものの両側が切り立った陰鬱な谷はまさに廊下と呼ぶにふさわしいスケールで数度の泳ぎを強いられ、その泳ぎを楽しむのがこの時期ならではの魅力なのである。
 

西中国山地・細見谷キャンプ&沢歩き・・・8月29日~30日

2009-11-18 12:30:17 | 広島

          
 8月29日(土) 場所:広島県廿日市市吉和・立野キャンプ場
 11:30にGaku夫妻と五日市を出発。13:00吉和でKei一家(夫人,男児1,女児2)と合流し細見小谷入り口の立野CP場に着く。
 立野キャンプ場はオートキャンプ場ではないが車で荷物を運び込める安易さがあってシーズン中は渓流釣りや川遊びの利用者があるが、混み合うというほどではなく穴場である。照明つきの炊事棟ときれいなトイレ完備。

           
 Kei一家とGaku夫妻はそれぞれ大型のテント、自分は登山用テントを張る。子煩悩のKei君がGaku夫妻と一緒に子ども達を川で遊ばせている間に竿を持って上流に探りに行くも小さなアマゴが数尾かかっただけですべて放流。
 
 一旦戻って下流に向かい、本流に出た合流点で小さなアタリがあって合わせると強い引き。『ヤッタ!』と思った瞬間魚が横に走る。鋭く横に走る魚が何であるかはわかっているので乱暴に岸のたるみに寄せる。案の定,30cmあまりのスマートなイダ(ウグイ)である。猫またぎであるが、川魚を知らない子ども達に見せるためにキープして持ち帰る。
 その頃から雨がポツリと来たかと思うとたちまち凄まじい土砂降りとなり、チャンス到来と粘ったがその後アタリがなく寒さに震えて納竿する。

           
 夕刻,雨が小降りになった頃、十数人の若者のグループが来たので炊事棟をそのグループに譲り、屋根とテーブルのある休憩場で夕食の準備。翌日の細見谷遡行に参加するTomokoが加わって賑やかな夕食・夜宴となる。


あわや衝突・・・矢の沢のカモシカ

2009-11-14 22:12:38 | 生き物達
 
 ※写真は森くらのカモシカ         
 矢の沢の農園に向かう途中の山道でのこと・・。
 突然、右手の山の中から子牛ほどもある黒い獣が飛び出してきて目の前の道路を斜めに横切り、あっと言う間に左下の谷に飛び込んで消えた。その間,わずか1秒ほど・・。
 見たこともないほど大きくて黒いカモシカである。しかも素早い。曲がりくねった細い山道なので20~25km/hのスピードでゆっくり走っていたのだが、カモシカはそれをはるかに凌ぐスピードで軽々と道を横切って行ったのだ。

 もしもっとスピードを出していたら、あるいはもう1秒ほど早くそこに達していたらカモシカはもろに車にぶつかっていたかもしれず、ぶつかっていればその巨体で谷に突き落とされないまでも慌ててハンドルを左に切って車もろとも谷底に突っ込んでいたかもしれない。
 いや、あの俊敏な動きからすれば車の屋根を一蹴して軽々と跳んで行ったに違いない・・。そう思わせるほど見事な身のこなしだった。

 パラポックス病(矢の沢)
        同 
 つい先日,パラポックス病に冒されたカモシカに遭遇したことばかりである。↓
 9月10日,カモシカ無惨・・・パラポックス罹患固体に遭遇http://blog.goo.ne.jp/yamanoasioto/s/%A5%AB%A5%E2%A5%B7%A5%AB
  3年程前には鹿のワナにかかったのを放すのに大騒動したということもあって長峰山にカモシカがいることはハッキリしている。実際に出会ったのは今年が初めてであるが、このところ遭遇する機会が多くなっているのは何を意味するのだろうか・・。
 
 ※写真は森くらのカモシカ
 それにしても森くら等で見かける固体よりひと周りもふた周りも大きなカモシカであるにもかかわらず、その動きが軽やかで俊敏だったのには驚くばかりである。 

また吹き飛ばされたハウス

2009-11-13 18:38:03 | あまってら農園
 吹き飛ばされて
      青天井 
 10月31日から11月1日にかけて矢の沢第2農園一帯に突風が吹いて、バンドで抑えていたハウスの屋根が吹き飛ばされた。
 バンド(テープ)の端をハウス用の細長い鉄パイプに結びつけておいたものが、長さ7~8mのパイプごと屋根のビニールと一緒に吹き飛ばされると言う信じ難い力が働いたもの。3年前にも春の嵐で同じことがあり、そう何度も起こることではあるまいとタカをくくっていた報いであるが、こうなると杭を打ち込んで1本1本のバンドの端を結びつけるしかないかと思う。

 大車輪で修復
          
 大車輪で修復。並行してタマネギ1000本の植えつけ


          
 終わった時,秋の日はとっぷり暮れていた。次はキヌサヤの播種だ



臥龍山~ふるさとの山

2009-11-13 11:57:29 | 広島

          
 我がふるさとの山,西中国山地の臥龍山が痛ましい事件の舞台にされ、全国にその名を知られることになるとは思いもよらなかった。西中国山地の山々の中でも特に好きな山だっただけに、山の素晴らしさでなくこのような陰惨な事件の舞台として取り上げられたことが腹立たしく残念でならない。

 臥龍山は標高1223.4m。ある時は西麓の聖湖に幕営してキャンプ場からダイレクトに登り、ある時は東隣の掛頭山からゆったりした縦走路をのんびりと歩き、冬は長者原から林道を歩いて登ったりした。
 林道の終点には水場があって清冽な水が勢いよくほとばしり、その水を求めてくる人もいる。駐車広場の谷側には巨大なブナがあって人目を引いている。その駐車場からは山頂までほんの一息で登れるので、秋には鍋とコンロを担ぎ上げブナハリタケを探してキノコ鍋を楽しんだりもした。
 山麓の東八幡原の湿原は、北に位置する八幡原湿原とともに湿原植物の宝庫で、ウメバチソウやシラヒゲソウ,ビッチュウフウロ,アケボノソウ,ワレモコウなどの可憐な花々が見られる。中でも東八幡湿原のカキツバタは素晴らしい。また秋には一面のススキの原となり、それが逆光に光る様は例えようもなく美しい。
  
 あろうことかその美しくやさしい山の一隅に前途ある若者が、殺害,遺棄されたという。痛ましさにとともにその卑劣さ,異常さに怒りを禁じえない。またこうした陰惨な事件が立て続けに起こることに空恐ろしさを覚えるのも自分一人ではあるまいと思う。
 被害者の女性とご家族,関係者の方々の無念さは察するにあまりあり心が痛む。同時にふるさとの山を穢された思いを拭えない。
 臥龍山をはじめとする芸北・八幡高原の山々と湿原を訪れられる方々があることを願い、お薦めする次第。


 コメント欄にて,ネットで拾った紹介を記事

雪で断念の鍋倉山から妙高高原へ・・・11月3日

2009-11-12 00:57:37 | 山行

                            
 11月3日(祝) 楽しみにしていた新潟のまるまるさん,ラブフォーさんとの鍋倉山ジョイント山行は、新潟側,長野側ともに、登山口の関田峠にもう少しと言う所まで迫りながら、想定外の積雪で辿りつけず断念することとなった。
 雪は前日から予想されていたが、タイヤを交換することにためらいがあり、長野組(じゅんちゃと木偶)はタイヤを積んで鍋倉山に向かった。

          
 鍋倉高原の積雪は10cm強だったが峠の積雪は20cmを越えると思われ、頂上方面は吹雪で全然見えず、また雪で携帯での交信も思うにまかせず、つながるところまで引き返して得た新潟側の情報では光丘高原で30cmとのこと。

 雪景色のイモリ池
          
 断念してどこかで落ち合おうと言うことになって妙高高原に向かい、ビジターセンターで合流となる。

 観光客を喜ばせた雪
          
 ビジターセンター見学後は、イモリ池の周辺を散策。紅葉真っ盛りの11月初旬の積雪と言う一味違った雰囲気の景観を楽しむことが出来た。
 紅葉を楽しみに来た観光客達も、足元の悪いにも関わらず滅多に見られない紅葉の雪景色を楽しんでいる様子だった。

 妙高は晴れず
          

 新井の道の駅から見た鍋倉山は雪も止んで晴れており悔しい思いをしつつ帰途に就く。出来れば年内にリベンジしたいところだ。

境界線と古道

2009-11-11 16:04:16 | 山のあしおと小学校
 戸谷峰・美し方面
   四賀五常方面 
 安曇野市東山丘陵境界線ルート・続
 11月7日(土)
 五輪平を30分ほど見学して出発点に戻り、ストレッチの後出発。出発点からは,松本平,戸谷峰方面や鉢伏山を見る。雲1つない快晴だが、天気がよすぎて稜線が少し眠い感じがする。
 コースは旧四賀村と旧明科町の境界線上の尾根を通る道で、当初は境界線を歩くことを目的として見出だしたものだが、道がしっかりしている点と所どころに馬頭観音が見られることから、四賀村北山地区と明科町潮地区天田,および大足地区を結ぶ重要な道であったと考えられる節があり、山歩きと同時に古道を歩くと言う面白さを兼ね備えたコースとして広めて行きたいと考えている。

          
                    
 山道は中北山林道の終点(起点)から始まるが、その取り付き部分が3年前の水害で崩落したものがつい最近修復されたばかりで、黄色いロープが張られているが構わず入る。
 普段歩く人が皆無に近い道は、草木が茂って薮になっていたり道脇の木々の枝が張り出している上に倒木に塞がれている所があって2年前に歩いた時に比べるとすっかり歩きにくくなっている。
 道は標高850~860mのラインに沿ってほぼ水平につけられており、所どころに現れる870~880mの小ピークを必ずと言っていいほど巻いていることも、それが人々が行き来した道であることを物語っていると言えよう。
 新たに見つけた馬頭観音
  テングス病の桜  
 10:45発。最初の小ピークは北側の巻き道を歩き、次の小ピークの上に攀じ登るとそこから眼下の木の間越しに五輪平の家の屋根が見え、北東方向に四阿屋山が、また南東を振り向くとけつだし山の異名をもつ入山や御鷹山が見える。
 この小ピークの次のピークを越えた地点で初めて境界線に入るまでは四賀側の道であるが、明科と四賀を結ぶ県道の沢村地区からそこまでの境界線にはまったく道がなく文字通りに薮漕ぎを強いられる難コースなので今回は省略した。

 腰に剪定ばさみと鋸を下げ、邪魔な枝や倒木を切ったり取り除きながら進んで11:50にピーク890mに差しかかる。このピークに入る手前が二重山稜になっており中間の窪地の両脇にそれぞれ道と踏み跡があって一方は低い位置を通っているが、南側の踏み跡は細い尾根で片側が崖になっている縁につけられている。このような場所を通過する際に馬が崖から転落して死んだりしたこともあったに違いなく、馬頭観音はそのような歴史を物語るものであると考えられる。

          
 ピーク890mは大きな倒木が折り重なっている北側の巻き道を進み、倒木を越えた先の馬頭観音の位置からピークに攀じ登る。その登りでまた迷ってしまって南側の稜線に出たおかげで常念岳を中心として北の白馬岳から唐松,五竜,鹿島槍,爺,蓮華,餓鬼,燕,大天井と続いて南の蝶ヶ岳,大滝山に至るまでの見事なパノラマを目にすることが出来た。
 馴染みの馬頭観音から登る
      P890m 
 12:03ピーク890mに着く。地図によるとここに三角点があることになっているがいくら探しても見つからない。先ほどのパノラマ地点が弁当を食べるにいい場所であったが、生憎馬頭観音にザックを置いて登ってきたのでやむなくザックのある位置まで戻って天田神社に向かう。12:10発,同32,天田神社着。見晴らしがよくないので林道の天田峠に下り路上の涼しいところに陣取って昼食とする。続

          

五輪平を訪う~里山道の陽だまりハイク・1

2009-11-09 09:02:19 | 山のあしおと小学校

          
 『山のあしおと小学校』の募集山行。安曇野市の社協が主催した山間僻地に独居するお年寄りを訪問する『散歩会』(10月21,28日)に参加したメンバー5人等、7人の参加となる。
 下山口となる大足地区に2台の車を置き、別の2台で出発点の松本市五常北山の五輪平口に移動。山歩きの前に五輪平を訪ねる。


          
 五輪平
 五輪平は標高780mほどの山間に位置し、平地部(標高600m)からは完全に隔絶された隠れ里のような小さな集落でその地名は五輪の塔があることに由来すると言う。3戸の家がありそのうちの2戸は廃屋だが1戸はしっかりした建物である。

 2年前に歩いた時、その塔と村の天然記念物のヤマナシを見せてもらおうと案内を乞うた家から出てきたお年よりが奇しくも同行メンバー最高齢のkanさんの幼馴染で、双方ともにお互いをしっかり覚えていて会った瞬間に『アッ』と驚いて絶句,?十年ぶりの再会を喜び合い、『もうこれだけで今日のハイキングは充分意義があったとネ』と他のメンバーも感激したと言う経緯があった。

 青々とお菜畑
     鹿の爪跡 
 大きな家に1人で住んでいると言うお年よりに『冬なんか大変でしょう・・』と聞くと、『なぁに,雪が降ろうと晴れようと、起きたい時に起きて、コタツにあたってポカポカ転寝していれば極楽極楽。気楽なものよ』と屈託なく笑っていた。息子さんが毎日様子を見に来てくれると言い『今日もこれから来るよ!』と嬉しそうだった。手入れされた庭にはミセバヤの見事な花が咲き、日当たりのいい畑にはお菜(野沢菜)が青々と繁っていた。
 そこだけ緩やかな傾斜地がぽっかりと広がる五輪平は猫の額ほどの小さな集落であるが、3戸の家がつましく暮らすには充分な土地だったのだろう。

          
 2年前までいたその一人暮らしのお年寄りの姿が、先日の下見の時も今回も見当たらず、その家にも生活臭と言うものが感じられないのが気になった。
 2年後の今も日当たりのいい畑にはお菜やダイコンが植えられて見事に育っているが、主のいない畑でそれが鹿に食べ散らかされているのが痛々しい。あの見事なミセバヤの花はすでになく、村の天然記念物のヤマナシも立ち枯れてしまっているようだ。


野山人のつどい in 森くら~森の散策

2009-11-05 17:18:14 | 山のあしおと小学校
 蓮華岳&篭川
  黄葉まっさかり 
 紅葉真っ盛りの森くらを散策

 探検コース入り口
      そよご 
 子ども達がつくった看板に導かれてゆったりと散策

 ミズナラ
   青空に映える 
 尾根筋にはミズナラやブナの高木 

 落ち葉ロード
   赤と緑と・・ 
 カサコソと落ち葉の道が心地よく

 
     三段の滝 
 もみじの丘を下ると小さな渓に小さな滝

 土アケビ
          
 土アケビ発見! こんな立派な奴は初めてだ

 恐竜の化石か
          
 篭川の河原に出た。ルビーのようなツルリンドウ

 触るなウルシ
          
 必ずかぶれるツタウルシ

 ゴール
          
 探検コースゴール。

 フォーボックス
 お泊りは森くら迎賓館・フォーボックスで・・。
          


野山人の集い in 森くら

2009-11-02 11:18:00 | 山のあしおと小学校

          
 10月31日夜,大町・森のくらしの郷での第1回,野山人の集いは、参加者4名+飛び入り2名と言うささやかな集いになった。

 森くらのメイン広場は三棟の家と称する小屋が立ち並ぶ広場。その中央に周りを石で固めた囲炉裏があり、囲炉裏にはいつも火が焚かれ、自在鍵に吊るした大きなやかんにはお湯が沸いていて人々がくつろぎ談笑している・・。
 週末,ツリーハウスで過ごす人、ツリーハウスをつくりにやってくる人、林間でキャンプする人,森の散策を楽しむ人,散歩コースに組み込んで毎日のようにやってくるちびっ子達とお母さん達・・,首都圏や関西・中京の大都市から来る人,長野市や松本市から来る人,地元の人・・,常連さんであったり初めての人であったり、お互いが顔見知りであったり初対面であったり・・,
 焚火の周りはそんな人達の様々な出会いが生まれる場所・・,それが森くら・三棟の家前の広場だ。そしてその火のあるじが森の支配人『トモ』さんである。

          
          
 いつもはあちこちから訪れる人で賑やかな森くらもこの日は珍しく東京からツリーハウスづくりに来ていた2人の男性のみ。そのお2人さんにも加わって頂いての宴のメニューはこの日のために潰した2羽のアイガモとたっぷりの野菜をつかったカモ鍋&焼肉に豚バラのベーコン等々。

                    
 アイガモ2羽は木崎湖畔でアイガモ米をつくっているYan先生の手ほどきで解体。アイガモをいかに苦しませずに絶命させ、かつ肉を美味しく取り出すための血抜き,肉の切り剥がし,内臓処理等,解体の見本を見せて頂いた後に切り剥がしを試みる。Yan先生の鮮やかな解体には遠く及ばず、ぐちゃぐちゃになってしまった部分もあるが、もう一度見せてもらってやればもう少しはうまく出来そうな気がする。


          
 問題はベーコンづくり。電気のない森くらでは電熱コンロが使えないので熱源をどうするか・・,だが、トモさんが写真のようなうまい仕掛けを作ってくれて囲炉裏の火で燻すことができることになった。

 夜の帳が降りる頃,鴨肉をぶっ込んだ鍋がぐつぐつと煮え始める。その傍らで豚バラ肉を熱しながら桜とブナの煙をかけて燻す。焼肉用の鴨肉もたっぷりあるが、それは鍋の後だ・・。                        続