遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

青と赤・・・,鮮やかアジサイ & 好調トマト!

2010-07-29 21:36:33 | あまってら農園

 ガクアジサイ
                
 農園の傍らに咲くガクアジサイ 


 好調トマト
                
 そして,好調の真っ赤なトマト


 昨年の異変トマト
                
 3年続いたトマトの異変が、今年はまだ現れていない。対策は有機カルシウムの大量投与。まだ予断は許されないが、このままでいて欲しいものだ。

燧ヶ岳・・,やっぱりきつかった!

2010-07-29 10:28:20 | 山行
 燧ヶ岳へ
 やっと階段
 登山口発10:40。木道が終わると大岩混じりの沢状の歩きにくい道となる。しばらくは前方に見えていた3人の姿も遠のいて1人遅れとなる。減量を怠って昨年より3kg以上増えている分だけ体が重く、筋力,持久力が確実に落ちているのを如実に感じながらの登高で、大岩の道が終わって再び木道になるまでの50分間はきつかった。
 登山口で休んでいた時、野鳥の声を楽しんでいた軽装の男女の2人連れに『広沢田代まで行ってみようと思うんですが、どれくらいかかりますか?』と聞かれた。『私は荷が重くて遅いので参考にはならないと思いますが、お2人の格好なら地図にある通り1時間程度じゃないでしょうか』と答えると、『別の隊が見晴を4時に出て燧ヶ岳に登っているので出会う所まで行ってみようかと・・』と言って10分ほど先に発って行った。前方にその2人連れの姿が見え、追いついたと思ったのに再び離されてまた1人になる。
 広沢田代通過
 サワラン
 ようやく広沢田代の広がりを目の当たりにした時、ベンチで休んでいたのは先の2人連れのみで@ki等3人の姿はなかった。11:46,休まずベンチ脇を通過して先行する3人を追うもすでに次の登りに入ったらしく湿原にその姿はなかった。次の熊沢田代へは目の前にある大きな塊を超えねばならない。
 12:00,その登りに差しかかる辺りで10分休んで歩き出そうとした時、上方から大きな集団が賑やかに降りて来て5分あまり待たされる。5分を10分以上に感じさせる悠長さとハラハラさせられるおぼつかない足取りは高年のグループの下りゆえ致し方ないが、出鼻を挫かれて少々焦る。
 22kg程度
 広沢湿原を見下ろす
 12:15発。地図通りに広沢田代から50分で熊沢田代まで登るのは無理があり、1986mのピークを超えて湿原の入り口に辿り着くまでに40分あまり,標識のあるベンチまでは55分を要した。広沢のベンチからは70分かかったことになる。
 熊沢田代が見えた!
 待ってくれていた
 13:10熊沢田代着。そこに@kiさんが伝令役で残っていて、絶好調のsappoさんには先に頂上まで行ってもらい、新人のmanaさんをuttiさんがリードして今しがた出たところだと言う。彼等は20分前にそこに着いていたそうなので遅かったのは自分1人と言うことのようだ。
 池塘
 ワタスゲの道を行く
 ヤチマナコ
 13:20発,ワタスゲの坂道を先行するuttiさんと@kiさんの姿がカッコよく、また振り返ると湿原の中の目玉のような池塘が美しい。
 天佑の水場
 裸地
 すでにバテかけていたので追うのをやめてペースダウンし、山頂付近でのビバーグを考え始めていた時、思いがけず水場に遭遇。天佑とばかり小躍りして3ℓの水を補給する。
  14:30,雪渓のある沢を直上,20分かかって沢を抜けると下から見えていた裸地に差しかかり15:00丁度にそこを通過。
 俎
 登頂
 さらに40分かかって予定より大幅(1時間15分)遅れの15:35,俎に到達。柴安登頂は16:07となる。先に着いていたsappoさんには随分待たせてしまった。
 山頂にて
 尾瀬ヶ原は雲の下
 山頂で記念撮影の後、その後の行動をビバークを含めて検討し下山を決める。見晴着は早くて19時,遅ければ20時と予測する。

裏燧林道

2010-07-28 23:48:03 | 山行


7月24日(土)
 4時に起きて地下足袋で本流まで行き竿を出す。目印を忘れて糸のたるみが見えず、根がかりして仕掛けを切る。錘をつけようとしたが暗くて小さなガン玉がうまくつけられず、錘なしで餌の川虫を流れに乗せて送り込むもアタリなく、30分ほどで時間切れとなる。
 渋沢温泉小屋は代変りして若い人が主となっていたが、早朝の出発に合わせて5:30に朝食を~と言う要望に快く応えてくれ、予定通り,6:27に小屋を発つ。
 
 渋沢温泉親から天神田代へは小屋の前を通り抜けて露天風呂のある河原を上流に向かい、沢を渡って対岸の崖にかけられた階段を上がってから急登の登山道となる。先週白山に登ったのがいい足慣らしになって調子がよい~と言う話をしたらすぐ後ろにいたsappoさんも先週白山に登ってきたと言い、偶然の符合に驚く。
 白山より西に白山より高い山はないと言うことを知ったばかりだが、燧ケ岳より北にも燧ケ岳より高い山はなく、図らずも1週間を経て東西両端の高峰に登ることになったのだが、それが偶然同じパーティーで2人揃ったと言うのも奇縁であろうか。



 sappoさんはおそろしく元気がよく、また小柄ながら動きがシャープでフットワークが軽く、最初の休憩後『先に行って好きなように歩湿原を楽しんで下さい』とトップを代わってもらったらたちまち見えなくなってしまい、以後、常に彼女が先導する形となる。
 途中で10分弱の休憩を挟んで8:28天神田代着。sappoさんは飛んで行ったらしく姿なし。少し長めに休んで行動食を摂り8:50出発。ここからは新人のmanaさんを@kiさんとuttiさんにリードしてもらい、ボッカに専念してラストを行く。珍しく裏燧林道を行き交う人が多い。



 しばらく樹林帯が続き、30分ほどで目の前が開けて湿原が広がる。9:20御池へ2.0kmのポスト通過,同:24ヌメリ田代,キンコウカの黄,コバノギボウシの紫,ワタスゲの白が目立つ。
 9:35上田代着。sappoさんにやっと追いつくも彼女は御池まで行きたいのでとすぐに発つ。ここではヒメシャクナゲやトキソウ,モウセンゴケなどの小さな植物を見る。上田代からは平ヶ岳眺望がよく、また越後駒ヶ岳方面を望むことが出来る。燧ケ岳の山頂方面も少しだけ見える。
 9:50遅れて出発。10:02姫田代通過,10:14燧ケ岳登山口着。女性3人とも御池に行っている間,流れの水を補給する。朝から暑くて水の消費量が多い。
 10:43登山開始。sappoさんが真っ先に飛び出し、次に顔を合わせたのは柴安。次いで@kiさんとuttiさんがmanaさんを引っ張って先を行き、離れてnobouがしんがりと言うパターンが出来上がる。
  以下




いつも通りの尾瀬入り

2010-07-27 18:18:12 | 山行


 7月23日(金)
 浦佐駅発13:40のバスで奥只見ダム,ダムから船で尾瀬口,尾瀬口からはバス・・,と乗り継いで16:25に小沢(こぞう)平着。準備を整えて16:33小沢平発,渋沢(しぼっつぁ)温泉小屋に向かう。

 
 初日の歩きは温泉小屋までの1時間あまりのみで、見事なブナ林の中をゆっくり歩いて18:04温泉小屋に着く。
 渋沢
 小屋に着いた!
 渋沢温泉小屋は馴染みの宿で、山小屋嫌いの自分が泊まる殆ど唯一の山小屋と言える。小屋の主は若い人に代替わりして先代には会えなかったが、翌朝の早発ちに向けて5時半からの朝食をと言う要望を快諾してもらえた。
 乾杯!

 入浴後の夕食では心づくしの山菜料理を前に新しい出会いに乾杯し、翌日からの健闘を誓い合う。9時消灯。長旅の疲れで一同たちまち深い眠りに落ちた様子。


 昨年剣岳を一緒に縦走した@ki嬢が『今年は尾瀬にでも行こうか』との提案に乗ってトントン拍子に話しが進み、広島在住の山のサイトで参加を呼びかけたところ3名の参加があって燧ヶ岳~尾瀬ヶ原~至仏山を幕営・縦走するパーティーが編成された。
 広島隊は22日20:10発の夜行バス~上越新幹線を乗り継いで、長野(木偶)からは車と新幹線で浦佐駅に集結。募集の参加者3名と木偶とは初対面。

キュウリのしょうゆ漬け

2010-07-17 18:57:40 | 喰う寝る○太

 一口大に切り塩を振ったキュウリ4kg(25本)/1回目しょうゆ漬け

 大量に採れたキュウリを常備菜として利用~キュウリのしょうゆ漬けをつくる。
材料;キュウリ4kg(約25本),生姜2個,塩少々,醤油6カップ(1200cc),酢・みりん各1カップ(200cc),砂糖700g


 砂糖700g+酢1カップ+みりん1カップ+しょうゆ6カップ(1200cc)

つくり方:
①キュウリは1口大に乱れ切り。(大きいものは縦割りして) 生姜は千切り。
②キュウリに塩をしてしんなりさせる。
③分量の醤油,酢,みりん,砂糖を合わせて煮立てる。煮立ったら火を止めてしぼったキュウリと生姜を加え、2~8時間(一晩がよい)置く。 
④冷めたらキュウリをザルに上げ、再度漬け液を煮立てて火を止め、キュウリを漬けて冷ます。
⑤さらにもう一度、全部で3回これを繰り返すとキュウリは茶色(写真)になり、食べてみて醤油がしみ込み、コリコリした食感になれば完成。保存食となる。



廃鶏解体

2010-07-17 10:05:33 | 暮らし

 廃鶏を処理/これから解体

 廃鶏画2羽出たと言うので、昨年末のアイガモ解体のおさらいのチャンスとばかり大町のアイガモ農家・yam先生宅へ走る。


 翼を掴んだ手の中に頭を入れて眼を隠す/逆さに吊るして血抜き

 まず頚動脈を切って絶命させ、血を抜く。yam先生は『いかに苦しませず絶命させるか』が重要だと力説,『鶏自身がいつ死んだか自覚しないまま』絶命させるようなやり方と言うのを教わる。
 その方法は・・,
 まず翼の付け根を左手で掴み、翼を掴んだ手の親指と他の指との間にのけぞらした鶏の首を入れて目を隠す。目を塞がれると鶏はおとなしくじっとしてしている。
 次に左右の頚動脈をよく切れる包丁で思い切りよくスッと切る。切り方が弱かったりためらうと包丁が滑ったり皮の部分だけを切ったりするのである程度の強さが必要。ただし動脈を切ればいいのであってのどを掻き切るとか首を落とすという意味ではない。
 切ったら首を下にして血を抜く。きれいに切れれば十数秒~二十数秒で殆どの血が抜け。1分~1分半くらいで絶命する。そのまま逆さに吊るして完全に血を抜く。
 血抜きのプロセスは重要で、うまくいけば心臓を割ってみた時に血栓がまったく残っていない。血抜き画不完全だと鶏特有の臭いが生じたり味もまずくなる。
 また、頚動脈を切る際に暴れさせたり、時間がかかりすぎるとすると味が悪くなるので、いかにおとなしく『自覚しないまま』に絶命させるかと言うことは味を悪くさせない上からも重要。
 これらの点に留意しながら頚動脈を切る。yam先生は左,右,ときれいに切って見せてくれた。自分は左を切った後,右を切る時に皮が滑って少し暴れられ、3度包丁を入れる結果になったが血が抜けるには充分ですぐに絶命させることが出来た。


 60℃のお湯に30秒/羽を抜いたら冷水浴

 60℃のお湯に30秒ほど漬けて鶏の体を温め、羽を抜く。60℃は蛋白質が溶けて羽根が抜けやすくなるための最低温度。これ以上熱すると肉に熱が入る。温度計がない場合の湯温の調べ方は、指をお湯の中にサッとくぐらせる動作をすばやく3回繰り返した時、3回目に熱いと感じる程度だそうだ。
 羽根を完全に抜いたら冷水に浸して温度を下げる。


 解体ショー/

 前回は一通り見せてもらった後でうろ覚えのまま1人でやって結果はぐちゃぐちゃにしてしまったので今回は差し向かいでレクチャーしてもらい、手順を覚えることができた。
 残念ながらここから先、写真を撮りながらという訳には行かず、写真はなし。

収穫

2010-07-16 22:46:36 | あまってら農園

 キュウリ29本,ナス3本,梅約8個(初)

 トマトも色づく
 7月8日ニンニクの収穫,10日ブロッコリー播種,11日草刈り・・,以後は雨続きで5日ぶりに訪れた畑。
 雨のおかげでブロッコリーがきれいに発芽した。今年の目標,300株の芽はほぼ出揃ったがもう1回播く。
 キュウリは29本収穫。幾分大きくなりすぎていたが心配したほどではなかった。長くたくさん収穫するためには大きくなりすぎないようこまめに採ること。30株で1500本をめざす。


 多分カラスの仕業

 電柵設置
 色づくとすぐに鳥獣の被害。嘴でつついて穴を開けているのはカラスの仕業と思われる。イノシシからジャガイモを守るために電柵のコードを張り巡らせたが、空からの攻撃には別の対策を立てなければならない。


 5月10日植えつけのキュウリ等

 やっとここまで
 5月10日に植えつけたキュウリ,ナス,ピーマンは、その後の異常低温と日照り続きで1ヶ月間まったく成長せず瀕死寸前だったが、何とか持ち直してやっとここまでになった。
 2週間遅れで植えつけた20本は成長著しくたくさんの実をつけているが、先に収穫できたのは5月10日植えつけの方だった。実の大きさは別として、播種・植えつけと初結実の間には決まった期間があるのかもしれない。


 5月24日追加植えつけ

 スーヨー(四葉)
 スーヨーは味のいいキュウリなのだが、白っぽい肌が農薬散布を連想させてイマイチ人気がない。

万能神話・安全神話

2010-07-14 00:24:13 | 私・あなた・世界&シニア便
 『データ保存』と言うと、その機能をポンと押せば安全に保存されると思い込んでいた節がある。根拠のない安全神話に毒されているようだ・・。

 昔は写真や文章はデータと言う感覚でなく、写真であれば焼いてアルバムに入れて、ネガはネガ帳にストックしたように,また文書なら重要なものは原稿を綴じて大切に保管したように、泥臭いアナログ的やり方で恒久的とは言えないまでもそのつもりでしっかり保管していた。多分それは実態感があったからだろう・・。

 写真も文章も色んな記録などもすべてが『情報,データ』と一くくりにされるようになってから、それぞれの特徴や個性,長所や弱点を見なくなり、従って気を配らなくなり、写真も文字も記号も単なる点の集合体としか見なくなっている。実際そうなのだから当たり前と言えば当たり前で、その延長線上にある頭までもがデジタル化されて点の集合体になっているような気がする。

 ネガとか原稿と言うものを妙に懐かしく感じる昨今!

パソコン故障

2010-07-11 00:28:48 | 私・あなた・世界&シニア便
 №1パソコンが故障して使用不能となった。昨年末にすべての画像と文書,その他をバックアップしたので、それ以前の写真や文書は使えるし、これから先の写真は取り込めるが、12月~7月の間の情報が取り出せない。
 現在No2パソコンで入力しているが、写真から時刻を引っ張っているので行動の記録も書けないし、ワードの文書に書いた記録もPC1の中なのでお手上げ状態。修理を待つ間は画像なしの記事を書くしかない。
※No1PCはHDDとモニターが一体になったタイプ。


 PC故障,その後
 No1pcを修理に出して来た。
①まず、HDDには問題はなく、モニターの故障と考えられる。原因は経年劣化,埃,熱などが考えられるとのこと。
②がしかし、修理すると買うのと同じくらいかかるかもしれない。時間も1ヶ月くらい・・,と。
③なのでとりあえず修理の見積もりを出してもらうことにした。見積もりには2週間かかり費用は2000円,修理する場合は修理費の一部となるが、修理しない場合は返却されない。修理には更に2週間を要すると。
④本体内の情報を取り出すことは可能だが5000~9000円かかる。ローカルエリアとディスクトップ上に保存された写真や文書などをすべて取り出すと9000円。
※本体が無事修理された場合には無駄な出費になるが、1ヶ月先まで情報を取り出せないと困るのでやむなし。
⑤取り出した情報の保存用に外付けHDDを購入した。今後すべての情報を本体と共に外付けHDDに保存し、万一のHDDの故障に備えることにする。500Gで7950円。作業に1週間かかる。
 外付けHDD7950円+費用9000円,計16950円
 こまめに両方に情報を入れて常にバックアップしておかないと宝の持ち腐れになってしまうのは言うまでもない。

 修理見積もり2000円を加えて18950円の出費は痛いけど仕方ない・・。

 と言うことで、当分はNo2PCを使うしかないが、これがカメよりものろくて参ってしまう・・。

やっとキュウリ&ニンニク収穫

2010-07-08 22:17:14 | あまってら農園

 最初のキュウリ/スーヨーも
 
 最初に採れたキュウリは、意外にもはじめに植えて日照りに喘いでいた方だった。後から植えなおした方に比べると出だしのつまずきが響いて貧弱だが、何とか育っている。
 2週間遅れの方は背丈を越える勢いで順調に育っている。初採りはスーヨー。


 ピーマンはボチボチ/ナスもそろそろ
 


 直径7cmのニンニクを50個揃えて欲しいと言う注文が入った。掘り上げて見るとよく出来てはいるが、6cm止まり。型を揃えるのは難しい。



 まだまだ青いトマト

 トマトも背丈を越える勢いで青い実をたくさんつけているが、熟すまでにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 
 掘り残した豆粒ほどの実から芽が出て勝手に育つ。邪魔なので堀り上げてみるとしっかり実をつけていた。


 山にはルビーのように瑞々しい赤い実のキイチゴ。何と言う種か調べてみたが葉の形が特殊なのに特定できなかった。

とびしま海道を走る

2010-07-04 20:35:19 | Xトレイン
 №1,安芸灘大橋(仁方⇔下蒲刈島)
 飛島海道図
 平郡島からの帰途,かねてから気になっていた飛島海道を走って見た。広島から社会実験初日の広島呉道路を通って呉市仁方へ。仁方から最初の橋である安芸灘大橋⇔蒲刈島⇔蒲刈大橋⇔上蒲刈島

 №2,蒲刈大橋(下蒲刈島⇔上蒲刈島)
 №3,豊島大橋(上蒲刈島⇔豊島)
 上蒲刈島⇔豊島大橋⇔豊島

 NO4,豊島大橋(豊島⇔大崎下島)
 御手洗の灯台
 豊島⇔大崎下島へと進み、江戸時代の港町として栄えた御手洗へ。

 みたらいの街並み
 
 御手洗では保存されている美しい街並みを見る。

 NO5,平羅橋(大崎下島⇔平羅島)
 NO6,中ノ瀬戸大橋(平羅島⇔中ノ島)
 更に平羅橋⇒平羅島⇒中ノ瀬戸大橋⇒中ノ島と進み、

 NO7,岡村橋(中ノ島⇔岡村島)
 岡村港
 最後は中ノ島⇔岡村大橋と、島をつなぐ7つの橋を進んで愛媛県岡村島へ渡り、終点の港まで行く。岡村大橋には満潮時に橋の下を航行する船に注意を喚起するための信号があった。

 岡村にて
 突然の雷雨
 岡村島から戻る途中で突然の雷雨に襲われる。おりしも傘をさして歩く婦人に遭遇。何しろ頭上で雷公が暴れまわっているので思わず声をかけ、ずぶぬれの婦人を乗せて岡村に引き返す。
 大崎下島の中学校でかつての同僚が校長をしていると聞いて訪ねてみたが、今春退職したばかりだと言う。ほんの数ヶ月遅かった。
 そんなこんなで印象深い飛島海道,島めぐりの旅・・。

 みどりの子
 島なみ海道を望む
 気違いじみた雷雨が去った後の、雨に洗われてみどりみどりしたみかんの実と、はるか沖合いに連なる島なみ海道の美しさが忘れられない。

鈴なりグリーンピー,やっとキューリ・トマト,

2010-07-04 13:52:13 | あまってら農園
 グリーンピース
       キヌサヤ棚は崩壊 
 1週間ぶりに畑に行って見ると実が詰まってパンパンに膨らんだグリーンピースが鈴なりで食べごろだった。一方、キヌサヤは成長した重さに支柱が耐え切れず崩壊していたが、盛りを過ぎてもう終わっているだろうとの予想に反してまだまだ健在できれいな実をつけているものが多く、1日では採りきれないほどだった。

 四葉(スーヨー)
         レッドオーレ 
 連日の雨でトマト,キュウリ,ナスは急成長し、それぞれに実をつけ始めた。トマトはまだまだ時間がかかるのと一昨年来の病気が出るのが心配だが、キュウリは今週中にも収穫できそう。

 桃太郎
        ナガイモも順調 
 ナガイモも好調だが、天井を覆われると困ってしまうかも・・。 

 雨は有難い!

色々あったけど・・,草刈り終了

2010-07-03 01:54:59 | 平郡島にて・平郡島から
 
 仲良く遊ぶnonちゃんとyu君/草刈り終了
 6月26日(土)
 4月17日に草刈りして以来2ヶ月ぶりにミカン畑を訪れてみると足の踏み込む余地のないほどの雑草だった。
 草の種類も春先の柔らかいそれと違って大きな株をつくるススキや固い茎を立ち上げているセイタカアワダチソウ,ギシギシ等、手強い奴等が我が世の春を謳歌していてどこから手をつけていいか分からない程だった。
 ナイロンコードでは手に負えそうもないのでチップソーで固い茎やススキの大株を刈り、根回りの部分のみ樹を傷つけないためにナイロンコードで刈るよう作戦変更。降りしきる大雨の中,奮闘5時間余で3枚分の畑を刈り終えた。気が遠くなるような作業も人数が揃えばアッと言う間だ。

 はじめ小降りだった雨足が強くなった頃にはすでに濡れ鼠で、こうなったら、『矢でも鉄砲でも持ってらっしゃい!』って感じで最後は土砂降りの中の作業となる。はじめから大雨だったら躊躇したに違いない。
 終わった時には全員ずぶぬれだったが、カンカン照りの元での作業よりは暑くない分だけよかったかもしれないし、雨で何もせず過ごすことを思えば丸儲けした気さえする。
 26日夜はさすがに疲れて爆睡。強風のせいもあって夜釣りをする気にもならず終いだった。ここのところ夜釣りはツキに見放されている。

 翌27日,初めて来島のワシ君・yu君父子とgaku夫妻は、折からの強風で難儀しながらも存分に釣りを楽しむことが出来たようだ。
 平郡率100%の豪華晩餐
        サメの刺身,他 
 みかんの実や作業の様子を撮ろうと雨具のポケットにカメラを入れておいたつもりが入っていたのは携帯電話で、ポケットのチャックが半開きになっていたために水を被って使用不能になってしまい、写真が撮れなかっただけでなく携帯電話が故障。なので写真は借り物。

 期待のビワは1週間ほど遅かった。次回は8月末に草刈りと摘果で島を訪れることになる。