1991,12,31 硫黄岳避難小屋に潜り込んでビバーク
もう一つの登山ブログ(木偶野呂馬の登山ブログ)で、記事を書こうとしてもPCがなかなか機敏に反応してくれず、30分程度で書ける内容の記事に半日費やした挙句、終いには業を煮やして投げ出す~,と言うことが最近あった。
こう言う時はイライラして、時には機械に当たったり、大声で喚いたりすることさえある。周りに誰かいればたまったものではあるまいと思う。
『何で半日もイライラとストレスを増幅させながら無駄な時間を費やしてしまったのだろう』と思うのは後からのことで、その時は何とかしようと必死になってのめり込んでしまっている・・。そこがネットの怖いところなのかもしれない。
PCの性能がよくなると、こちらの思い通りに『パッパッ』と反応してすばやく画面が転換し、思い通りに着々と編集が進んで、最後に気持ちよく『ポン』とキーを叩いて記事が出来上がる・・,と言うシナリオが頭の中に出来て、その通りに進まないと『許せなく』なってしまう。
調子のいい時には実際そのようにことが進むことがあるので、一度そう言う風にうまく行くと、それが基準になっていつの間にかそこから物事を評価するようになっている。多分,そんな時は自分が機械を支配している気分で、PCをうまく使いこなしていると思っているのだろうと思う。
怖いのはそんな風に要求がエスカレートしている自分に気がつかないで、『いつの間にか・・』そうなっているというところなのだろう。
機械を相手に自分の思い通りにことが運ばないことにイライラし、腹を立てるなんてのは冷静に考えて見れば愚の骨頂である。しかし実際場面ではそうなってしまいがちである。これもネット中毒の一つかもしれないと思う。
もし相手が人間であったら、こんな風に思い通りに他人を動かすことは出来ないのが当たり前で、そう考えること自体が傲慢であることは自明であるのに、機械に対しては随分『傲慢』になってしまっている自分がいる。
ネットの動きが重くなるのは、そう言う傲慢さに対する機械の反逆である・・,等と、機械を人格化する気はないが、何かに向かって盲目的にエスカレートしている自分は、機械を支配しているつもりで実は逆に支配されているのではないかと言う気はしており、それに気づかされるいい機会にはなったように思う。
ネットの動きが重くなったら即座にネットから離れることだ・・・,ナンテ、ここまでは調子よくパッパッと進んで来て、本日絶好調!
赤岳山頂にて 91,12,31