遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

ブナ帯からダケカンバ帯へ

2008-06-30 00:50:32 | 境界線・新境界線
 
 9:20発。いきなりの急登。周辺にはブナの巨木がいっぱいで、特に大きなこの1本はブナ独特のなよとした腰まわりに深い皺を刻み込み、蒼苔やツルアジサイを絡みつかせてどっしりと立つ。
 ブナの倒木に頭が茶色のジャグマアミガサタケに似たキノコを発見。似てはいるが少し違う。足元にズダヤクシュ。
 ?ダケ
 ズダヤクシュ
 9:55,相方の調子が上がらず1500m付近で休憩。10:05発,徳本峠に比べると1ヶ月遅れのサンカヨウを見る。
 10:15,巨大化したミズバショウのある湿地帯を通過。入り口に門衛のように並び立つ2本のブナの樹肌に醜い刃物による落書きがある。100年,200年と晒される恥を本人はこの世に生きてこの地を踏んだ証しとでも思っているのだろうか・・。
 
 湿地帯付近から道が幾分緩やかになり、1670m付近で5mほど下って小さな雪渓を越え、やせた尾根の登りにかかる。10:45,サラサドウダンの咲く1741mのピーク付近を通過。左手南西方向の樹間に雨飾山,北に金山と思われる雪に覆われた丸い山頂と南西に派生する尾根を見る。
 雨飾山方面
 金山方面か
 右手の眼下には先刻まで歩いて来た林道がつづらに折れて乙見峠のトンネルにつながるのを、また遠景に黒姫山,高妻・乙妻山,戸隠山の山々を見る。
 乙見トンネルへ

 やや下って左に廻りながら進むと沢音が近づく。沢は道の10mあまり下にあって突き当たりに細い滝があり、道はその滝の上部に廻りこんで沢に入るが、沢はまだいっぱいの雪でそこからはずっと雪渓歩きとなる。
 標高1800mを越えてダケカンバ帯へ入った。


信越古道へのアプローチ

2008-06-29 13:53:13 | 境界線・新境界線
 6月28日(土) 境界線グループ山行
 
金山 天狗原山
 
 道路封鎖で計画変更
 7:30,小谷温泉と妙高・笹ヶ峰をつなぐ林道の小谷側基点に着く。その林道の入り口に鎖が張られ、「小谷山菜監視委員』と言う腕章をつけた男女2人の張り番が立っていて『ここから先へは入れません』と言う。理由を聞くと山菜の不法採取を防止するためだと言う。
 よくよく見れば林道入り口の看板(小谷村)は「この先から車両通行止めですよ」と言う告知の看板であって、鎖は村とは関係ない。


 『自分達の権益を守るために公道を封鎖するなんてバカなことがあるか』と抗議して押し問答になった末に『300m先にゲートがあって、そこから先には入れないがそのゲートまでなら行ってもいい』と言う返答を得た。
 『当たり前だ,ゲートまでの進入を阻止する権限はあなた方にはない』と言っているところへ別の人が来て『昨日(金曜日),役場が視察に行って崖が崩れた部分などの調査をした。まだ崩れた所があって通れないからゲートが開いてない』のだと『どこがおかしいのか』と胸を張らんばかりの横柄さで村の代弁者みたいなことを言う。『それなら少なくとも「妙高高原方面・車両通行止め」の告知看板は、国道から小谷温泉に入る分岐点に立てておくべきだろう』と言うとそれには答えずに去ったが、監視委員の2人は鎖を外して入ってもいいと言う。
 
 当初の目的は信越古道の信州側の調査で、笹ヶ峰の杉野沢橋まで林道を18kmほど走り、そこから金山谷(真川)を遡って金山と焼山を結ぶ稜線との交差点に当たる富士見峠までの道を歩くつもりだった。
 それを諦めて林道を4kmほど歩き、金山登山口から金山を目指すことにする。通行止めが分かっていればもう1時間早く出たものを・・。
 8:05発。松尾川に沿って高度を上げる。林道周辺には白い花が目立ち、やがてサワグルミ,トチ,ブナの林が現れる。
 
 1時間歩いて9:10に金山登山口に到達する。

春が来た!

2008-06-29 05:24:44 | 境界線・新境界線
 ショウジョウバカマ
 ヤグルマソウか・・?
 北信,焼山と雨飾山の中間に位置する金山。1800~2000m付近の山上にようやく春が来た。
 雪を割って顔を出す、まだ赤い芽は多分ヤグルマソウだ。芽を出したばかりのミズバショウのあさみどり。 
 ミズバショウ 
 ユキザサ
 少し前に雪が融けた辺りではショウジョウバカマが盛んに花をつけ、ユキザサは食べごろ・・。

 雪を追って高みに登り、夏から初夏,初夏から春,季節を逆にたどって春から早春へさかのぼる。
 ウワミズザクラ
 ヤグルマソウの花
 登山口付近ではウワミズザクラが咲き、ヤグルマソウも花をつけていた。

 
 下部では巨大化したミズバショウ。サラサドウダンも全開。


 中腹にはユキザサ,ツバメオモトの花


 雪渓付近ではシラネアオイ,サンカヨウ


 尾根にはマイヅルソウ,ミツバオーレン,イワナシ等
 
 そして
 天狗原山付近・タイムリミット
 金山方面
 山頂付近はたっぷりの雪。金山山頂まで30分を残してタイムリミット,天狗原山で引き返す。
 今は閉ざされたこの場所にも、もうじき春がやって来る。その頃にもう一度来ることにしよう。

真っ赤っか・・・6月26日の日記から

2008-06-27 01:12:59 | あまってら農園
 

 6月26日(木)6:00起床。アジゴマ1,サケ1切れ焼く。ホレンソ入り厚焼き卵,みそ汁,糠漬けキューリ,ニンジン,ナス,キャベツ。淡竹煮物,トマト,他つくり置き惣菜。C通常出勤。夏アルプス冒険学校案内掲示板投稿,新規開拓『しおじりひろば』に投稿。ログインうまく行かず昼までかかる。平郡島キャンプ記事投稿中に消失,苦労が水の泡,再投稿試みるもログイン不能。断念。スーパーへの野菜出荷の誓約書と管理日誌を作成,夕方提出。午後第2農園,ハウス内ルコラ,ブロコリ,白菜,キャベツ播種用苗床づくり。明日フキ採り来園者あり準備の草刈。猛烈な草薮の一部を鎌で刈る。キヌサヤ収穫,曲がり多くB規格多し。赤タマネギ50個掘る。ジャガイモの実一部食害痕あり。イノシシに非ず。

 夕H牧場・牛糞堆肥2トン届く。赤タマ,キヌサヤ進呈。びっくりグミ多数真っ赤に熟れる。甘酸渋の3味渾然。C早いカエルコール。スーパー書類提出後帰宅。キヌサヤ選別・出荷時間なく明日に。イカフライ揚げる。刻みキャベツ,野菜スープ,キューリスティック味噌+マヨ味。co-op助け合い要請,31ヒⅠさん宅野菜の手入れ。
 6月例山行28,29ヒしらびそ高原・下栗の里は見送りとなり3月連続流れるので28ヒのみ信越古道信州側偵察とするもルート厳しく2名(じゅんちゃ)のみの見込み。週末に降り癖か・・?  
 

 某月某日
 5:50起床。サンマ1尾,サケ1切れ焼く。みそ汁(トウフ,アブラゲ,エノキ,ネギ)。ホレンソゴマ汚し,フキ煮物,小松菜・ジャコ炒め煮,トマト・キウイ他。C通常出勤。弁当詰めメール,ブログチェック後,山畑急行,キヌサヤ3日ぶり量多く小1時間。9:50発,池田・丸太の会10分遅れ。参加5。キヌサヤ選別,規格外大半。Mさん無農薬キュウリ頂き、野菜,フキ,山,惣菜の話しで盛り上がる中,不登校の子・親の近況報告聞く。Oさん(17・男)⇒リンゴの摘果作業のバイト。Yさん(高2女)多部単位制高・生き生き通学と。12:00散会。キヌサヤ配る。
 山崎種苗ブロコリ・ハクサイ・キャベツ種購入⇒大町畑。モロコ発芽6~7割,花豆数本,ルコラ(今年初)5割。3~4日後要追い蒔き。13:30森くら事務所。弁当食後オックンと海キャンプの詰め。8・1ヒ/8・6ヒの宿舎再検討。時刻表7月号至急入手の要。現地事前打ち合わせ,7・10頃木偶車で行く。野菜持参の用意。トモさん来たのでチャイをつくる。15:30まで。
 16:00過ぎ帰り広島O氏にtel,民家借りる相談OKとなり8・1/8・6ヒの宿舎問題解決。YH解約とする。18:00までブログ・海岸線大詰め。Cカエルコール,アサリ・ホレンソバター炒め,太るから嫌とぬかす⇒貝汁・ホレンソ卵とじ。新タマスライス・モズク和え他。夜はTV~転寝,0:00からPCのパターン~2:40。デスクワーク1週間続き1kg余増える。



夏のベーコンづくり

2008-06-25 18:00:44 | 喰う寝る○太

 きれいな三枚肉だ

 夏休みのキャンプで燻製づくりをやりたいので手伝ってもらえないか~と言う要請が来た。
 生憎平郡島のキャンプと重なっているので、スタッフの方に体験してもらい、独力でやってもらうことにした。
 ベーコンに限らず肉の加工は気温が低くて細菌が繁殖しにくい冬場に行うことにしているので夏のベーコンづくりは初体験。使い捨ての手袋をして細菌の感染を防ぐのは勿論のこと、体温で肉の温度が上がるのを避けるためになるべく肉塊に直接触れないようにして短時間で塩漬けした。

 塩35g,三温糖10g,ブラックペッパー10g,オールスパイス,セージ,シナモン,ナツメグ各少々。

 例によって、バラ肉の表面にまんべんなくこすりつけ、フォークで突き刺してしっかり刷り込む。

 冬場の作業では肉塊が冷えて固くしまり、特に脂肪の部分に塩がうまく乗らないので余った塩を厚化粧のようにこってり塗リつけてラップでくるむ。
 
 冬の場合

 夏場の作業では脂肪が緩んで柔らかくなっているので塩の乗りがよく、きれいに摺り込むことができた。塩が足りないんじゃないかと思うくらいで、この点が冬の作業と大きく異なる。

 ラップに包んだ肉塊は冷蔵庫内で1日1回上下をひっくり返しながら1週間かけて熟成させる。

38km(日)&107km(全)・・・終わりの終わりは小杉駅

2008-06-24 17:44:43 | たび・出会い
 小矢部川河口 
 七美
 18:00,出発。R415を南に下がって港最深部の貯木場を越え、七美と言う交差点から港岸に沿って西に進もうとした。自転車で家路を急ぐ女子高生に『伏木駅』はそちらでいいかと尋ねると『(伏木駅を)知らない』と言う。
 『えぇッ!』と思ってもう一度地図を見直して初めて富山新港と小矢部川河口の位置を混同していたことに気づき愕然とする・・。
 気づいた位置があまりにも悪く、伏木駅まで行くにはさらに港岸で15.7km,端折って国道を通っても14.5km,最寄りの小杉駅に戻るにしても6kmはあろうかと言う半端な場所で選択を迫られる事態となった。早く気づいていれば、射水からバスで富山駅に帰ると言う選択肢があったのだが・・。


 射水市の新港から欲張って高岡市の氷見線伏木駅まで行こうと言うのはあまりにも無理な思いつきで、最後は七美の交差点から最寄りの小杉駅に向かうことになり、2時間歩いて20:07にようやく駅に着く。その道のりの長かったこと・・。

 こうして締まらない結末を迎えたが、その思いつきと成り行き任せの無駄や挫折や何が起こるかわからない偶然性,知らないうちに38kmも歩いていたと言う意外性がむしろ面白かった。
 伏木駅に届いて能登半島への足がかりをつけられなかったのは残念で中途半端な位置で終わっただけに、今は1日も早く続きの1歩を踏み出したいと言う気持ちが強い。
 最高に面白い旅だった。                

富山新港・新湊・伏木

2008-06-24 01:23:21 | たび・出会い
 
 2本煙突を真近に見る/こんな所にまでキジがいた
富山新港
 海老江港から富山新港をめざして直進。16:30,暑さに閉口して民家の塀にできたわずかな影で休む。目の前に小学校があり、その方向からキジの鳴く声が聴こえてきた。目を凝らすと学校の手前にある野球のグランドと道路の間の草地をキジ♂が悠然と歩いているのが見えた。どこまでもキジに縁がある。



 16:40発,新港に向かう。おりしも目の前の造成地に高い橋脚を立てる工事が行われていた。それは新港をはさんで対岸の越の潟町とを結ぶ巨大な橋をつくる工事の一環と思われ、港の向こう側と思われる位置にも橋脚の影を望むことができた。さらに進んで新港に突き当たるとその全貌を見ることができる。



 富山新港から伏木にかけての地形は複雑に入り組んでいる上に富山新港を伏木富山港とも言い、富山港ではないと言う意味の富山新港に対して新湊と言う地名があって新港の先には新湊漁港があり、さらにその先に庄川,小矢部川と言う2つの川の河口があったりして非常に分かりにくい。
 にも関わらず目標とする伏木駅までの地図の読み込みが不充分で、地形や地名をしっかり把握していなかった。
 氷見線の伏木駅は小矢部川の先なのだが、この時点では単純に富山新港を越えれば伏木駅はそのすぐ先だと思い込んでいた。それが迷走の原因になった。
射水火発
 対岸は目の前だ(西)
 越の潟に向かう船
 16:50,堀岡新明神と言う地区で港に出ると対岸の方向から強い風が吹いてきた。強風で波立つ海を見ながら港に沿って左折すると対岸の越の潟との間を往復する堀岡渡船発着場に出る。丁度越の潟に向かう船が出たところだった。渡船で対岸に渡ってしまえば早いがそう言う訳には行かない。
 新港の奥(南)方向
 堀岡発着場
 富山新港は中央部で東西に分かれていてそれぞれが奥深くに入り込んでおり、東側は特に深くて1.7kmも先で海竜新町から南下したR415に突き当たるまで伸びている。従ってこの後は先ほど海竜新町から港まで歩いた分だけ並行して戻ることになる。新湊火発の2本煙突はその中にあるので煙突を中心にぐるりと廻ることにもなる。

 写真の赤いラインは工事中の新港を跨ぐ道路。その起点は海竜新町・R415(左の黄ライン)の南下点。港に沿ってそのラインまで戻る。※地図は上が南
 
 17;20,2本煙突の真下を通過。17:50にR415に突き当たって10分の休憩。ここまで、道の駅・滑川から31km,神通川を渡ってからでも13kmあまり歩いていたが、ぐるっと廻って港の向こうに出れば伏木に着くものと、この時点ではまだ思っていた。
 

少年達

2008-06-24 01:15:15 | たび・出会い


 砂浜で遊んでいる少年達の集団があった。テトラポットの上に棒切れを渡して橋をつくろうとしているらしい。
 おとなや年長者がついていなくて子ども達だけで海辺で遊んでいるなんて今時珍しいと思って近寄って写真を撮っていると、子ども達が気づいて怪訝な顔でこちらをうかがい、動きをやめてしまった。
 
 叱られると思われたら不本意なので『何でもないよ,ただ写してるだけだから続けなよ!』と言ったが何となくぎこちなくなリ、せっかく無心に遊んでいたのを邪魔してしまった。



 16:00,海老江海浜公園通過。浜辺で遊ぶ女子高生達。


 公園を彩るハマナス。


海老江港

 海老江の海浜公園を直進すると海竜新町と言う町に出る。右手には海竜スポーツランドとか元気の森公園等の施設のある広大な造成地が広がる。左折するとR415につながり、新湊を経て伏木駅に向かうが、ここは富山新港をめざして直進する。
 海竜新町方面

 海老江港

 海老江の港付近から左手を見ると2本の煙突が真横に並んでいた。遂にその足元まで来た!
 
 
 

母のグミ

2008-06-23 19:01:45 | あまってら農園
 
広島から群馬の山奥に転出した時に、母が『グミ』を鉢植えにしていたのをもらって持って行った。その後、沼田,日野,保谷,国分寺,八王子を転々とする間の管理が悪くて干からびていたのを農園に下ろして3年目にやっと芽吹き、去年3個だけ実をつけた。
 今年は完全復活して沢山の実が色づき始めた。親指ほどあるビックリグミは甘くて最後にちょっとだけ渋いあの懐かしい味だ。
 寒冷地では無理かと思っていたが寒さをものともしないのは意外だった。野生のグミは信州にも沢山あるので普通のことなのかもしれない。

 真っ赤に熟れるまでもう少し待つ!


やっと夏・・・高温多湿こそ我が季節

2008-06-23 18:10:41 | あまってら農園
   土砂降りの雨に湿度むんむんの蒸し暑い土日。トマトとカボチャがアッと言う間に伸び、タマネギは地上部が全部倒れて収穫期を知らせる。キヌサヤが盛んに実をつけ、グミが赤く色づき始めた。
 野菜たちの大好きな高温多湿の季節・・! あまってら農園にやっと夏が来た。
 
 ジャガイモの畑がイノシシに荒らされてあちこちで被害が出ている。昨年は収穫前の芋を根こそぎやられたが、今年は種芋が掘り返されたり、できた芋を片っ端から食べられたりして早々と収穫を諦めた人もいる。 
 あまってら農園でも種芋を掘り返されたが本体は健在で盛んに花を咲かせている。今のところそれ以上の被害はないが、早急に対策を講じなければ全部食べられてしまうのは目に見えている。
 イノシシはまわりにトタンで塀を作れば入って来ないが、ムジナや鹿を含めた獣類全般に対する最も有効な手だてを講じるなら電柵を張り巡らせるしかなく、本気でそれを考える時期に来ている。物入りなことだ・・。

迷走20kmの終わりの始まり

2008-06-22 19:01:16 | たび・出会い
 四方西岩瀬海岸

 神通川を渡って草島と言う町の食堂で久々にまともな食事を摂り、13:40出発。四方荒屋と言う交差点の手前から海岸線に向けて右折。1.5kmで四方西岩瀬と言う海岸線に出る。
四方港
 インターロッキングと芝で覆われ、あずまや風の休憩所やトイレが整備された開放的な海浜広場を通り抜けて四方漁港に到達(14:40)。前方にもう一つの目標だった射水の2本煙突が見えてくる。
 射水の火発煙突
 四方漁港
 15:00,少なくともあの煙突を見上げる所までは行くと決めて出発。それが長い長い迷走の始まりだった。



 四方から射水市の海老江にかけての海岸は格別美しく優雅だ。前方に射水,後方に富山の火発の煙突。



 次第に遠ざかるアルプス。近づいてくる2本煙突。いつのまにか射水しに入っていた。
射水市境界 富山新港 

富山港・神通川

2008-06-21 13:26:35 | たび・出会い
 
 
 11:15発,バレーコートのある岩瀬浜と言うその海岸はそのまま広い港湾施設につながり、10分で富山漁港に着く。商業港としての富山港はここより先の神通川の手前にあるのだが、この時点ではよく分からないまま漁港の船や釣りを見て先に進む。
 大目標だった火発の煙突
 立ちはだかる港湾施設
 ここに来てはるか黒部・魚津の海岸から眺めた火発の煙突が目の前に見えてきた。だが漁港から富山港に向かう道は岩瀬と言う名の運河を挟んで複雑に入り組んでおり、その一番外側を海・港と陸地の境にそって延々と歩くので煙突までは容易に辿り着けそうになく覚悟を決めて忠実に水際を歩くことにする。
富山港
 
 11:40,岩瀬運河を渡るために橋まで遡らなければならない。

 岩瀬運河・あの橋を渡り
 対岸まで戻る
 港に沿って進むと 
 展望台に行き着く

 11:50,富山湾展望台に着き内部を見学。灯台内部のような螺旋の階段を登って展望階に上がると北アルプス,立山・剣連峰から薬師岳方面がよく見えた。また火発の煙突もほぼその全体像を見ることができる。



千原崎交差点
 12:00のサイレンを聞いて展望台を後にし、港に沿って南進するも沢山の港湾施設の阻まれて海岸線を通ることができず、市道を通って12:20,R415の大きな交差点にさしかかる。ここまで道の駅から16.0km。
 ここから右折してしばらくは国道を歩き、富山火力発電所のある工業団地を通り越して四方に向かう。


 12:35,萩浦橋と言う大きな橋を渡って神通川を越え、直進して草島と言う町の食堂で昼食を摂る。13:00

古志の松原はどこ?

2008-06-21 12:08:13 | たび・出会い
 
 松林の中のサイクルロードにマツの花粉
 
 8:20に浜黒崎海岸に着き、キャンプ場を見たり清掃員の方と話したりして8:45に出発。クロマツの中のサイクルロードを歩いたり、時には林と浜の間の護岸堤の道を歩いたりして丁度1時間,諏訪川,琵琶川と言う2つの小川を越えて古志5丁目の町名表示板に到達。
 古志の名はあるものの、今川橋から2.2km地点のこの辺りが『古志の松原』なのかどうか、それらしい目だった標識がなくて分からずそのまま日方江と言う地区に入る。

 水橋・滑川方面
 ここにもハマエンドウの花

 
 
 どこまでも続く白砂の浜だが釣りを楽しむ人々の影もまばら・・。


 背後から照りつける太陽が暑い。10:05,村川と言う名の3つ目の小川を越えた先にあずまや風の休憩所を見つけて日陰に逃げ込む。
 浜では腕にタトゥを入れた5~6人の若者達が声高に騒いでいて、彼らのものと思われるバーベキューの用具や食材がテーブルを占領していたが、構わず椅子にかけて休む,と言うより暑さ疲れに放心して40分もの間ぼんやりと過ごす。
 10:45,戻って来た若者達と入れ替わって発ち、10分歩いてサイクルロード終点に到達。今川橋からの距離4.5km。



岩瀬浜
 サイクルロードが終わる辺りから海岸が広くなり、パラグライダーの練習をする人や常設のコートでビーチバレーに興じる集団等,浜での遊びも多様になってきた。
 11:00,木陰に腰をおろして地図を見ながら今後の行程を検討する。

 地図によると古志の松原はこの辺りを指すらしいが、ここにもそれらしい標識はなく結局分からず終いだった。いずれであってもすでに古志の松原に到達したことは明らかだが、その先の行程をどうするかハッキリとは決めていなかった。


 はじめの計画では東富山駅に近い富山港を終点とするつもりだったが、あわよくば次の能登半島の旅への足がかりとして氷見線の伏木まで行けないものかとも考えていた。
 その可能性を再検討しようとしたのだがあまりにも大雑把な地図で細かい所がよく分からない。時間的には少なくとも富山新港までは行けるのし、伏木までは決して無理ではない~,とこの時は考えていた。
 

支え人

2008-06-20 14:52:02 | たび・出会い

         
                 
 クロマツの林と砂浜が美しい浜黒崎海岸は海水浴場としてキャンプ場として市民の憩いの場となっていると思われた。
 だが、進行方向に従って東側から入って最初に炊事棟を覗いて唖然とした。そこは、宮崎海岸からここまであまたあるキャンプ場の中でこれほど汚くて不衛生なキャンプ場はないと言うほど酷かった。
  
  
 どう言う神経でこんな使い方が出来るのだろう~と思うが、1つのグループだけがこんな使い方をしたのではないのかもしれないとも思う。多分,はじめは小さなゴミの取り残しがあってそれが次第に溜まって汚れが酷くなると、それを全面的に掃除しようとする人が出ない限りどんどん溜まって行き、一旦ゴミ溜めと化すと止めどもなく酷くなって行くのだろうと・・。
 ところが炊事棟はもう1つあり、そこには一心不乱に清掃している人がいてそこはこれ以上ないというほどきれいにされていた。声をかけて『向こうは酷いことになってますネ』と言うと『すみません 一生懸命やってるんだけど相棒が休んじゃって間に合わなくて・・』と、あたかも自分の責任であるかのように謝られてしまったので恐縮して少しだけ手伝い、写真を撮らせてもらった。
 白砂青松の海岸とキャンプ場を仕事とは言え美しく保とうと言う人と、汚して省みない利用者との落差をどう埋めていけばいいのだろう・・。


 あまり書きたいことではないが、このキャンプ場は『いらっしゃいませ』の歓迎の横断幕の横にどぎつい色で使用規定を大書したものものしい看板があり、禁止事項が高飛車な調子で並べられていた。多分,様々な問題に手を焼いているのだろうと思われるがキャンプ場の雰囲気にはそぐわない気がする。
 
 松林も白浜も海もみな美しいのに・・。

圧巻! 常願寺川のハマダイコン

2008-06-19 18:14:19 | たび・出会い


 旅を終えてすでに1ヵ月半が過ぎ、モタモタしているうちに記憶が怪しくなってきた。こう言う時にデジカメの写真はメモ以上の記録力があって頼りになる。
 だがたとえそれがなくても忘れられない光景と言うものはある。極言すればそう言う強いインパクトを脳に刻み込むことができればそれだけで充分であり、その他のことはどうでもいい瑣末なことに過ぎないと言ってもいいくらいだ。
 常願寺川の土手を埋めつくしたハマダイコンの花の特大群落は今もはっきりと思い浮かべることができる,その忘れられない光景の1つだった。
常願寺川

 8:20,常願寺川の土手に到達。水橋から堤防道路を歩いて20分,道の駅・滑川からは2時間で6.5km。体調が回復したのと荷物が軽いのとでここまでほどよいペースで来ている。


 河口を見ると常願寺川の泥水が沖にまで達して海の色とは違う層を成しているのがよくわかり、上市川辺りの沖合いに見えていた白く濁った帯の正体を確かめることができた。 



 河口から200mほど遡って県道1号線の今川橋を渡る。橋から上流の堤防もびっしりとハマダイコンの白い花に埋めつくされていた。



 今川橋を渡るとそこから富山港に至るまでの長い長い松林にそって走る自転車道路が始まる。8:40に浜黒崎と言う名の海水浴・キャンプ場で最初の休憩をとる。 当初,目的地とした古志の松原はわずか2km先であり旅は大詰めを迎えた・・,筈であった。
浜黒崎海岸