遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

サプライズこそ旅の真髄!・・・,知らずに歩いていた自転車道

2011-02-28 21:51:02 | 海岸線を歩く



 「道の傍らに『JR頸城トンネル・大藤崎斜坑入り口・1400m』と書かれた標識が立っているのに気づく。ここまでにも地名と距離が異なる同じ標識を見た。
 斜坑が何のためにあり、どういう目的で一般の人に知らせるためのものか分からないが、想像するに頸城トンネルと言うかなり長いトンネルがあって、そのトンネルにアクセスするための坑道が掘られており、それを関係者だけなく一般人も見ることが出来るようになっていると言うことだろうか?
 行ってみたい気がしたが、JR関係者だけに示すものであることも否定できないのでやめた。でも気になるしこの疑問は後々まで残るような気がする。
 それやこれやと色んなものが見えて歩く旅は面白い。」

~ と言う記事をあるSNSに書いたところ、上越在住の知人からコメントを頂いた。




Aさん『歩いているからこそ見えることがいっぱいあって、現代のスピード社会では遠い先ばかり見つめて、下手をするとすぐ目の前を見失ってしまうことがよくあります。アナログを見つめなおしたいものですね。』
木偶『物見高く目に止まるものは何でも写しておこう精神で、色んなものを見て面白かったです。で、質問なんですが、この『頸城トンネル斜坑入り口→1400m』と言う看板は何でしょうか・・?』
Bさん『よくは分かりませんがトンネルの工事やメンテナンスのための入り口ではないでしょうか・・?』
Aさん『もしかして筒石駅のホームに立てばヒントを見つけられたかも・・・?』
木偶『筒石駅のホームですか・・,筒石駅に何か特別な訳でも・・?』
Aさん『筒石駅は国道8号線から高いところに登って行ってやっと駅にたどり着きます。改札口(無人)に入ったと思えば、何百段もある階段をずっと降りてやっとホームです。そして電車に乗るとわかるんですが、筒石のホームはもちろんトンネルの中ですが、トンネルを出るとすでに能生駅に到着してしまうんです。ですから、写真のような藤崎あたりにトンネルに通じる通路があるのかもしれません。非常口としているのかもですね。』




~ このコメントをもらって改めて2.5万図で頸城トンネルを見直して見て、筒石駅がトンネルの中の地下駅だと言うことを知った。上越線土合の駅の下りホームみたいなのだろうか・・。

木偶『いやはや・・,北陸線の頸城トンネルが能生から名立川までの長いトンネルで、筒石駅は地下駅であること等々,知らないことだらけですヮ! 私が有間川駅で見た特急「北陸」は、能生から長いトンネルを走り抜けて名立川を渡る時だけ地上に出、再び名立トンネルに突っ込んで有間川で顔を出した瞬間だった訳ですネ。そう言う目で見ていたらまた違った感動があったかも・・。
 今思うと知った上で歩くべきでした。でも知らなかったんだから仕方ないし、分かったからよかったとも言えます。いつか再訪する時にはまた違った感慨があることでしょう・・。』

~ と結んではみたが何かがまだもやもやしていた。それは小泊地区の列車事故の写真を見て生じたもう1つの疑問のこと・・。




木偶『小泊地区で列車を巻き込むほどの地すべりがあったと言うのも初めて知りました。歩いてこその発見です。』
Aさん『そうそう、この地滑り、私も知りませんでした・・。』
Bさん『旧北陸本線のトンネルをつくっているレンガはご覧になりましたか? このレンガは工事の際に作られたレンガ工場で、段丘をおおう火山灰を使って作られたそうです。また、列車をまきこんだ地滑りでは列車の乗客には一人もけが人が出なかったそうです。しかし、この地滑りを機に北陸本線のトンネル化が進んだようですね。』
木偶『北陸線のトンネルは見ていません。見たかったですネ。どのトンネルか分かれば教えて下さい。』
Bさん『そのトンネルはたぶん見ていますよ(^_^) 小泊の地すべりを過ぎて、マリンドリームにさしかかる辺りにあったはずです。このレンガは他にも旧北陸線に沿って数か所残っているようです。』





~ 『ええッ!?』と思った。海岸線から北陸線のトンネルが見える所ってあったっけ・・? だって能生の駅は海から800m以上も離れていて、そこからすぐに頸城トンネルに潜っちゃうから小泊からトンネルが見えるわけないじゃん???』と、この時点ではまだ気づいていない。

Aさん『小泊ではマリンドリームに立ち寄ってるからね。小泊のそのトンネルには入ってないのかも知れないけど、木偶さんがトットコ岩の写真を撮影して、その6分後に撮影しているトンネル、あれも同じ煉瓦ぢゃないのかな?
 そーいうことそのものは私も知らなかったけど、大変興味深いですね。徳合のあたりは、トンネルないけど煉瓦の壁だけ残ってるけど、そのあたりまで行くとさすがに違うかな?』
木偶『自転車道のトンネルは全部レンガづくりでとてもいい感じでした。でも鉄道のトンネルはぜひとも見たかったです・・。残念! 』




~ と、ちぐはぐなやり取りを続け・・,数時間後,2人からの情報と自分が見たり撮ったものを整理してみてやっとあることに気づく ~

木偶『今やっと分かりました。小泊地区の地すべりがあった当時、北陸線は今よりも海岸寄りを通っていたんですネ。と言うことは、この久比岐自転車道こそが旧北陸線の廃線敷きであり、レンガづくりのトンネルは元々は鉄道のトンネルだったと言うことで謎が1つ解けました。久比岐自転車道にそういう隠歴史があることは何処にも触れられていませんでした。勿体無い話しですネェ・・。』
Bさん『あれ? 久比岐自転車道が旧北陸線の廃線だということを知らないで歩いていたわけですか? てっきり、ご存知の上で歩いたと思ってましたが・・。 レンガは鉄道マニアが取りに来る可能性もありますので、看板などを設置しないのかもしれませんね。
 たぶん直江津まで続く自転車道のトンネルで見られるレンガは同じものだと思いますよ。』
Aさん『アハッ!! 私も旧鉄道だってことを、知ってるとばかり思っていました。旧筒石駅跡などの杭もあったはずなんですけどね。』
木偶『いや、まったく気づきませんでしたが、カンのいい人ならもっと早くレンガのトンネルを見た時点で気づいていたでしょうネ・・。一連のコメントのやり取りでも気づかず、やっと分かって腑に落ちたと言うところなのですが、よくよく読めばBさんのコメントにもそう書いてあったし、ジオサイトの説明文にも書いてありました。』




~ そう言えばわが明科の廃線敷きだって元の篠ノ井線が地すべりで埋まったことがあってトンネル化したものだったではないか・・。と、いろんなことが解って来ると共に自分のアホさ加減が際立ってきて笑えた。
 このちぐはぐは予備知識なしに歩いたことから生じたもので、結果的には非常に印象深い出来事になった。
 それこそが知らずに歩く旅の面白さだと自分としては思うが、地元の方からの書き込みがあってこその効果であって、反応がなければ何も知らずに終わっていたし、一面には知った上で歩きたかったと言う思いもある。
 知らずに歩いて得られる偶然の出会いか、知って歩く『フムフム!』か,どちらも甲乙つけ難いが、自由から生まれる面白さ,サプライズこそが気ままな旅の真髄であろうと思う。何ものからも自由でありたいものだ。

 そう言うことがあって、もう一度そこを訪ねて見たいと言う気になったことだけは確かで、久比岐自転車・歩行者道はいい季節の時期に『ひねもすのたりのたり』の海を眺めながら、のんびり歩いてみたいと心底思う次第也。




直江津港を越える・・・上越海岸を歩く・7~五智から犀潟へ

2011-02-26 19:36:15 | 海岸線を歩く

 平和公園の飛天像/砂防/雪捨て場

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 市道から浜に下りて稲はざのような変わった風防を見ながら進むと雪捨て場に到達。そこが関川の河口だろうと見当をつけて進むと河口の堤防に突き当り、やや上流にモダンな橋が架かっているのを見てその袂に着き、荒川橋と言う名を確認して直江津港が近いことを知る。



 荒川橋(関川)/平和公園/子ども等


 13:51,橋の上からテトラに鵜がいるのを見、保倉川を渡って鵜の写真を撮ろうと川土手を下がるうちに偶然『平和記念公園』と言う小さな公園の一画に展示館があって、見たい人は近くの民家に鍵を取りに行くようにとの指示があったのでその家を訪ね、館を開けてもらって見学する。そこには戦時中『直江津捕虜収容所』に収容されていた豪州の捕虜達の悲惨・過酷な捕虜生活と当時の市民との交情,憎しみ,わだかまりの数々と、戦後の交流から記念公園建立に至る経過が展示されていた。





 後日,この公園についてネットで調べたところ、下記のような歴史を綴ったHPを見つけた。 ↓  
 捕虜収容所/平和記念公園敷地の歴史
 http://www.max.hi-ho.ne.jp/yoshi-ko/park/history.htm
 感銘深い公園と資料館だったが、何よりこの平和記念公園でひときわ目を引いたのは2体の飛天像の素晴らしさだった。



 直江津港モニュメント/佐渡汽船乗り場/ここで休憩


 14:24,公園から北進して保倉川を渡り直江津港に向かい、同35,佐渡汽船のビル前の船の舵を模したモニュメントを見ながら案内標識に従って県道468を柿崎・大潟方面に進む。右手は住友金属や信越化学工業の広大な敷地で、大きな煙突がありパイプラインが敷かれていた。その広大な工場施設に沿って淡々と進むと左手に広い駐車場と自動販売機がいっぱいある釣り具店があったので、そこに座り込んで温かい飲み物を摂る。(15:11~15:34)
 両替してもらうために店に入ると主人が『どこまで行くのか』と聞き、答えると『これから風が強くなるよ。気をつけて!』と言ってくれたが、歩き始めて5分もしないうちにその言葉通り突然雪混じりの風が吹き始めた。



 雪になった/松林を越えて/海岸線に出る


 水気の多い雪で防水でないヤッケがたちまちぬれて寒くなり、着替えたいと思ってバス停の待合所を探したが、それまで停留所ごとにあった待合所になぜか歩いても歩いても行き会わず、民家の軒先を借りて着替えた頃には雪は上がったが、わずか10分程度のこの間にかなり濡れて体がすっかり冷えてしまった。
 そのまま県道468を歩いているうちに左手に松林があることに気づき、民家の間を縫ってそちらに行ってみると松林に並行してもう1本車道があり、しばらく行くうちに松林を横断する道が見えたのでそこを通って松林を越えると(16:29)、そこは直江津港の北東側のはずれの海岸線で左手後方に港湾施設が見え、やがて右手に厚い松林の砂丘が延々と続く堤防道路となった。



 新堀川公園・ここまで/渋柿浜の波止/犀潟駅 


 20分ほど歩くと自転車で2頭の犬を散歩させている婦人に行き会ったので犀潟駅の位置を聞くと丁度その辺りだとのことだった。次の土底浜駅まで行こうと思っ手歩き始めたが、時間が押していたので思い直して新堀川公園と言う公園で引き返し、犀潟駅に向かう。道を間違えて駅の裏の道に出て1.5km以上も余分に歩き、17:32犀潟駅に着く。
 犀潟駅から電車で名立に戻り、道の駅うみてらすまで歩いて車に戻って見ると、『キーがついたままだったのでホテルで保管しています』との張り紙。やっぱりドジだ。この道に駅には夜通し開いている部屋があり、暖房こそないが『暖かくして休めば大丈夫だよ』と鮮魚売り場の人が教えてくれた。
 入浴後は腹いっぱい食って車で休む。羽毛シュラフの中に入らず抱いて寝たらやっぱり寒かった。



 荒川橋/どぶね(水族博物館)/犀潟駅


郷津・居多神社・水族館etc・・・上越海岸を歩く・6~直江津にて

2011-02-26 17:31:00 | 海岸線を歩く

 居多神社のサザンカ/直江津海水浴場

 自転車道が終わると同時に国道も海岸線から離れて上越市の中心部に向かい、郷津と言うところから海岸道りの県道468が分離するが、県道から更に海の等がある市道があってそこからは市道を歩いたり護岸堤を行くことになる。



 郷津記念碑/陸上艇留場

 今は石碑が1本立っているだけの郷津は、碑文によれば『国府津』の意味で、越後の国府が置かれたころからの港であり、戦国時代,上杉水軍の根拠地として春日山城の兵站基地になり、謙信上洛の際にはこの港を利用したとある。また江戸時代には海が荒れると、直江津・今町港の避難港となったとも。



 五智付近地図/憩う家族/居多神社


 市道を外れて海水浴場の建物が散見される護岸堤を20分余り進んで海辺で団欒する3代の家族と言葉を交わして市道に戻ると、居多ヶ濱と言う石碑があり、坂道を登った一画が『五智国分寺・五智歴史の里会館』と書かれた案内板のある小公園となっていた。丁度昼時でもありその休憩所で持参の太巻きを食べて休む。



 居多神社/親鸞上陸所以/見真堂


 その場所は親鸞聖人上陸の地で、浄土宗の教えに対する弾圧で法然上人とともに京を追放された親鸞が越後国府に流された時、木浦から船で国府に至り、この地に上陸したとなっていると伝えられているそうだ。見真堂と称する記念堂があったが閉まっていた。



 神社山門/居多神社/雁田神社


 せっかくなので案内に従って近くにある居多神社を訪ねる。居多神社は県道を越えて10分ほどの所で、雪に覆われた桜並木参道を行くと『居多大明神』と書かれた真新しい本堂がと、寄進者を列挙した立派な奉納板があった。境内には『雁田神社』と言う子授けの神社があり、また途中の道には乳母岳明神と言う安寿と厨子王の乳母だった宇和竹を祀った祠があるようだったが、残念ながら祠は雪に埋もれて由来しか見られなかった。他にも、小川未明の『赤いローソクと人魚』の原型となった人魚伝説など。話題に事欠かない地である。



 水族博物館/クラゲ/イソギンチャク」


 12:20,市道に戻り、同45,水族博物館に着く。目玉は何かと尋ねるとペンギンの餌づけと2階建ての巨大水槽で撮影可だと言うので900円払って入り、駆け足で一廻りしてクラゲやイソギンチャク等の写真を撮って13:16退館。


 ペンギン/大水槽/





自転車道終わる・・・上越海岸を歩く・5~有間川から長浜へ

2011-02-26 16:55:16 | 海岸線を歩く

 特急北陸/有間川駅を通過

 左右共に狭く緊張を強いられながらも20分弱で有間川の駅に着く。無人駅のホームに上がるとアナウンスが流れ、登り側の先端でメールを打っていた人が俄かにカメラを構えたと思うとすぐにトンネルの中から頭がアクリルの芋虫みたいなスマートな列車が現れたのでこれ幸いと写真を撮る(8:53)。鉄オタではないが撮れるものは何でも撮りたいのだ。戻ってきたカメラの人に聞くと『北陸(号)です』と言った。



 フィッシャリーナ/停留場

 駅舎をしばらく観察して国道に戻って5分歩くと『フッシャリーナ・有間川漁港』と言う看板があり、奇妙な建物が見えたので物見高く見に行く。
 フィッシャリーナと言えば2008年5月5日に黒部市の沿岸を歩いた時に『くろべ漁協・石田フィッシャリーナ』と言う海釣り公園に立ち寄ったことがあるのでそのような無料の海釣り用の施設があるのかと思われたが、その奇妙な建物は小型船舶の係留所の施設で、同じようなものをそこでも見た記憶があるがこちらには海釣り用の桟橋はなかった。
『フィッシャリーナ』 ↓
 http://blog.goo.ne.jp/yamanoasioto/e/30996d3249d48af0562606c0dbf64ece



 いさざ橋を渡る/有間川駐輪場/長浜トンネル 


 漁港の先から再び自転車道に入り、有間川橋に並ぶ『いさざ橋』を通って桑取川を渡るとそこに立派な駐輪所があった。自転車道は除雪されて歩きやすくなっており、10分弱で次の長浜トンネルにかかる。



 トンネル出口の花/ホウキ/ヤブツバキ説明


 460mあまりのトンネルを抜けると出口左手にサザンカが植えられ水を入れた鉢が、右手にはほうきが立てかけてあって周辺がきれいに掃き清められており、地元の人達によって管理されているのがわかった。



 終点間近/地下道渡る/谷浜駅


 9:16,右手に『新潟まで143km・18号分岐まで10km』の標識を見る。同じく左手に『←谷浜海水浴場』の案内板,その先に『久比岐自転車道,終点まで3・7km』の標識があり、20分ほど行くと踏切の先に地下道があって、そこから左手の国道の下を潜り抜け海側に移行(9:49),そこから浜に通じる道を行くと国道を挟んで谷浜の駅に電車が入って来るのが見えた。



 直江津海水浴場付近


 一帯は海水浴場で護岸堤の内側にはトイレや温水シャワーが、浜側には畳まれた海の家がいくつかあった。高さ7~8mの棒が無数に立ち並び、それに横板を受ける鍵がついているのは風防の一種か・・。



 探す人/温水シャワー/移動式家屋


 浜で何かを探している人と言葉を交わし、波を見たりカラスの足跡を見たり、大きな台座の上に乗せられた移動可能・堅牢な小屋とか、温水シャワーが売りの海の家や頑丈な板囲いを施した家を見たりしながら国道に戻る。



 久比岐自転車・歩行車道路終点
 新潟まで139kmのポストを見て十数分後の10:57に32kmの自転車道・終点に到達する。
 その手前に『海洋フィッシングセンター・サンビーチ』と名づけられた黒部で見たフィッシャリーナと同じような海に突き出た釣り場が見えたが、冬場で利用が少ないからなのか施錠され立ち入り禁止となっていた。冬には冬の釣りがあるのに勿体無い・・



快適な自転車道・・・上越海岸を歩く・4~名立から有間川へ

2011-02-25 17:49:09 | 海岸線を歩く


 5:00にmalさんのハウスを出て名立に向かいかけ、忘れ物に気づいて引き返す途上で、malさんが件の忘れ物と携帯電話を届けてくれ、事なきを得る。6:10うみてらす名立着。支度をして持参のバナナや行動食を食べ、7:00出発。





 道の駅から続く名立漁港のウインチ小屋を覗き込んだり・・,




 テトラポットに絡みついた木の根が面白いので写真に撮ったりしながらのんびり行く。漁港のぎりぎりにまで迫る山を削った切通し面に現れた地層が圧巻。





 自転車道は国道の内側を並走し、30分余りで鳥ヶ首と言う岬の短いトンネルに入り、





 そこを通過すると海側が解放された洞門となる。洞門の支柱の間にシダや地衣類が繁茂しているのを撮ったり眺めたり・・。





 山側の壁はコンクリートの擁壁であったりち密に積まれた石垣であったりするが、その水抜きのパイプから滴る水がそこだけに植物を育てているのが面白い。イネ科植物やセリとか蕗の薹等のその植物達の逞しさに目が行くのは色のない冬枯れの世界のわずかな緑故か・・。





 小1時間ほど歩くと乳母ヶ岳トンネルと言う460mあまりのトンネルに行く着くが、その前に積雪が深くて歩きにくくなり終には道の端のコンクリートの仕切りの上を歩く羽目になる。そう言うところにもしかし1人か2人分と犬のものと思われる足跡があり、そこから何がしかの心強さが伝わって来るのは人恋しさの故かも・・。





 雪は思いの外深く、乳母のトンネルを抜けた辺りから歩行不能となる。ちょうどそこに茶屋ヶ原と言うバス停の小屋があり、そこで休んでセーターと雪山用のオーバーウエア―を脱ぎ、代わりに被りのヤッケを着てバナナと行動食を摂る。8:16~8:36。
 そこからしばらくは国道を歩くが、歩道は40cmほどの積雪でやむなく路側帯を行く。



えちごつついしおやしらず道・・・上越海岸を歩く・3~能生から名立へ

2011-02-25 16:34:14 | 海岸線を歩く

 トットコ(ニワトリ)岩/自転車道島崎トンネル/またも雪


 再び自転車道に戻ると間もなくトンネル(島崎)が見えて来た。レンガ造りの立派なトンネルでそれが自・歩専用だと思うと何となくウキウキする。が、400mほどのトンネルを抜けるとまたしても雪。




 鮮やかサザンカ/ビワの花咲く・・/

 一旦国道に降りてサザンカの花やビワの花を見ながら5分ほど歩いてまた自転車道に戻るとそこからは快適な道となり・・,



 
 雪つり・庭木の保護/六地蔵

 
 沿道の民家のよく手入れされた庭木の雪吊りや赤いべべを羽織った六地蔵等などをキョロキョロ・のんびりと楽しみながら歩いていると・・,




 ウソ/同/大藤崎斜坑入り口へ1400m・・?


 突然パラパラッと小鳥の群れがやって来て前方10mほどのアジサイの枯れ枝に止まった。灰色の体に黒い頭,ピンク,と言うより赤い胸元が遠目にもわかるウソだ。150mmのズームでは点としか写らないが証拠だけは撮れた。続いてもう1つ別の集団が来て松の木の枝に止まったが、こちらはウソより1周り太めでムクドリほどの大きさだったが何の鳥か分からなかった。




 風車が見えて来た/親知らずが見えなくなった/筒石港を見下ろす


 道の傍らに『JR頸城トンネル・大藤崎斜坑入り口・1400m』と書かれた標識が立っているのに気づく。ここまでにも地名と距離が異なる同じ標識を見た。斜坑が何のためにあり、どういう目的で一般の人に知らせるためのものか分からないが、想像するに頸城トンネルと言うかなり長いトンネルがあって、そのトンネルにアクセスするための坑道が掘られており、それを関係者だけなく一般人も見ることが出来るようになっていると言うことだろうか? 行ってみたい気がしたが、JR関係者だけに示すものであることも否定できないのでやめた。でも気になるしこの疑問は後々まで残るような気がする。それやこれやと色んなものが見えて歩く旅は面白い。
 14:34,目の前の海に突き出た高さ100mほどの岬状の台地に小さめの風車が立っているのが見え、そこから坂道を20分あまり登ると港が見えて来た。





 
 古めかしいけれど現役の中学校の自転車置き場を見送り、『久比岐自転車・ここは糸魚川市筒石,糸魚川起点まで16km,上越起点まで16km・うみてらす名立まで4km』と書かれた自転車道の中間点を示す標識を見る。
 丁度その時,名立で落ち合うことになっているmalさんから電話が入り、単独で米山登頂を試みたものの頂上手前で雪庇の発達した痩せ尾根に阻まれて帰還したとのことで、現地点を告げると『4時くらいになりますネ。先に着いたら風呂に入ってます』と言われる。




 大抜トンネル/プラじゃなく木彫りだった/独特の屋根 


 筒石からさらに2つのトンネルを越え、15:52,名立川を渡って国道に向かう。雲の間から太陽が顔をだし辺りが明るくなる中,うみてらすの広場に着くと時計は15:54を指していた。16:00,道の駅『うみてらす名立』の玄関にく。




 名立川/道の駅・うみてらす名立/16:00着


 道の駅で風呂から出てきたmalmalさんと合流後、車で糸魚川に戻って買い出しを済ませ、それぞれの車で能生の柵口(ませぐち)と言う地区にある第2ハウスに移動し一宿のお世話になる。第2ハウスと言うのは使われなくなった農家を借り受けてその一室を利用しているものだそうで、それと言うのも近くの田んぼでマコモタケを栽培しているのでそのための拠点と言うことらしい。



 沖は降っているが・・/西の空が晴れて来た

 駐車場になっている所は丈余の雪壁で、そこに階段をつけて登ると足元の四角形に掘った穴から光が漏れているので『何ですか?』と尋ねると『明り採り』だと教えられる。2階の窓を開けて入り、階段を下りた居間について初めてその意味が分かった。
 雪の話し,米山の話し,糸魚川からの行程のことなど話すことは山ほどあったが、3時起き,2時間の運転,9時間の歩きで草臥れて寝る前に、malmalさんの方が早々寝てしまった。明日は5時に勝手に出ていくことのみ告げて休む。


自転車道は雪道・・・上越海岸を歩く・2~早川から能生へ

2011-02-24 23:54:51 | 海岸線を歩く

 鬼伏付近/古川橋/鬼伏・4km地点



 10:17,『新潟まで165km,上越まで33km』の国道標識を見、また自転車道の『糸魚川起点まで(から)4km』と言う標識に力をもらいながら歩くうちに自転車道の積雪が融けていない所に出る。歩けなくはないが極端にペースが落ちるのにたまらず、古川橋と言う橋から国道に逃げてしばらく波を見ながら進む。ここに来てようやく次の目標となる能生の道の駅に立つ風力発電の風車が見えてきた。


 ツワブキの緑/干物をつくる/狛犬


 10:59,再び自転車道に戻り、道端に青々と葉を茂らせるツワブキや、民家の軒に吊るされた魚の干物,鬼舞(きぶ)と言う地区の大きな神社の狛犬の表情・・・,


 何の木?/窮屈な神社/神社は海からの目印


 石垣にしっかり根を張った蔓,テトラの先端に止まるイソヒヨドリ,家と家に挟まれて窮屈そうな神社など,電車や車での移動では決して目に止まることがないか、気づいても引き返せない諸々を1つ1つ丁寧に見ながら進む。それこそが歩く旅の目的であり、気になるものはすべて見ておきたいと思う。ただ立ち止まるだけその目的はかなうのだから・・。


 能生の風車が見えた!/能生駐輪場/弁天岩へ


 鬼舞から30分弱で目の前に能生の風車が見えて来た。その前に小さな岬があって左側の海に赤い鳥居の弁天岩,そして風車の先に淡い陸の影・・。
 11:36,能生橋を沖に見ながら自転車道の駐輪場を通過して能川を渡り、20分歩いて国道を横切り弁天岩に向かう。


 弁天岩/フォッサマグナとの関連


 その説明板の傍らには『七つの子』や『赤い靴』等の童謡で知られる野口雨情の歌碑が建てられていた。歌詞は『能生の弁天岩 どんと波おいて いつも弁天様 どんと波見てる』と言うもの。


 弁天岩の成り立ち/野口雨情歌碑

 12:05,弁天岩に着き大休止し持参の弁当を食べる。弁天岩に渡る曙橋の袂には弁天岩の成り立ちを書いた説明板があり、それによると弁天岩の岩石は安山岩質火山角礫岩と言い、約100万年前の海底火山の噴出による溶岩と火山灰が固まってできたものだと言う。


 道の駅・マリンドリーム能生/田中ゲンギョ(キツネorババチャン)/ボタンエビ・アマエビ


 12:50発,子ども達とよく釣りに来る能生漁港を通過して13:09マリーンドリーム能生着。お目当てのゲンゲの干物とサケトバを買う。運よくキツネ(山陰ではババァ)と呼ばれる田中ゲンギョが1尾だけあり、写真を撮ることが出来た。
 今日の目的地はここから約10km先の道の駅『うみてらす名立』で、16:00にそこで山仲間のmalmalさんと落ち合うことになっている。ここまで波の写真に拘ったりしてゆっくり歩いて来たので予定表より2時間遅れているが、16時までには何とか着けそうだ。


 道の駅・マリンドリーム能生/シンボルの風車/野外ミュージアム


 13:24,県立海洋高校の演習船やトットコ岩と言う大岩を見たりしながらそろそろと出発。トットコ岩の向こうに終点名立の道の駅の風車が見えており、距離は約10km余りで3時間半と言うところか・・。 

 県立水産高校の実習棟/1963年の小泊地すべり被害状況



海鳴りの道・・・上越海岸を歩く・1~糸魚川から早川へ

2011-02-23 22:31:00 | 海岸線を歩く

 糸魚川市内から見る焼山~頸城駒ケ岳・雨飾山の山なみ/京ヶ峰から昇る朝日

 糸魚川を出発点として日本海の海岸線を西(南)に向かって歩いて来たのに加え、東(北)に向かっても歩き始めることにして2月11日に同じ起点からスタートした。


 糸魚川駅/庭に咲く梅・寺町付近

 2月11日(休)
 前回もお世話になった市役所の駐車場に車を置いて7:03に出発。まっすぐにR8・寺町の信号に向かう。途中,駅北側の高架道路を通る時,頸城駒ヶ岳や焼山方面の山々を見る。空は白っぽくていい天気とは言えないが風がなく穏やか。



 まっすぐ海岸に向かい、7:21分頃寺町の交差点からR8に入る。R8はここからしばらくは防波堤沿いとなり、堤防の切れ目から行く手の能生方面の海岸線や後方の姫川漁港方面の景色,波の飛沫や沖合の海と空等を撮ったりしながら進む。道が堤防を離れてやや内陸を進むようになるとすぐに海川橋に到達する(8:29)。



 橋を渡り終えた時,ドドーンと腹の底に響くような音を聞き、初めて波の音に気づいて民家の小路を抜け、護岸堤の道に出るとそこは竹ヶ花地区と言う所で、河口の突堤に波がぶつかって高く飛沫を上げているのが見えた。
 はじめは大きな波が来た時だけだったその音は、次第に間隔が短くなり、やがて連続した音となって、堤防や消波ブロックにぶつかる時の音なのか、波そのものが発している音なのか分からなくなってきた。



 波は常にあちこちの堤防やテトラにぶつかっているのだから絶えずどこかで音を発していると考えてもいいのだか、そうだとしても強弱があったり、時には音のない瞬間があってもよさそうなものだ。
 ところがはじめは確かにそうだったものが一定の連続した音に変わった。それは衝撃音とは違った鈍いけれど力のある音で、まるで海自体が唸っているように思えた。5月の海岸歩きの時にはまったく気づかなかったことだ。こうして1日中,休むことのない海の音を聞きながら歩くこととなる。


 板塀で囲われた家々
 
 竹ヶ花からはまっすぐにつけられた堤防道路を歩く。堤防の沖に一文字に積み上げられたテトラにぶつかる波が絶えず白いしぶきを上げ、絶えることのない音が続く。内側の国道との間に帯状に伸びる狭い空間は堤防道路より幾分高くなっていて、そこに並ぶ家々には様々な工夫を凝らした風よけが施されている。その多くは板で家の周りを囲うもので、角材でがっしりと壁をつくったものもあれば、大きさのまちまちな板を縦や横に並べたものなど様々である。



 囲いは畑にも及んでいて青いネットできっちりと囲われているものがよく見られるが、中には家の囲い以上に堅固に板塀で囲ったところもあって何があるのだろうと思わず中を覗き見たくなったりする。
 一部には防風林も見られたが、狭い土地を有効に使うために、防風林を植えるより個々に家や畑を囲うことを選んだのであろうか・・。その畑にあるものはネギ,ブロッコリー,ハクサイ,ダイコン等で、ネギの他は,すでに収穫を終えて残されたものと思われた。土を見ると砂利交じりの決して肥沃とは言えないものだった。


 陸に置かれた船/ここから出漁

 港に恵まれないせいか、あるいは簡単に船を出すためか、ここでは船が陸に保管され、防潮堤の一画が分厚い角材で仕切られて、それを取りはずせばそこから船を出せるような仕組みも見られる。 


 早川に着いた/橋から山なみを見る

 8:43,堤防道路が細い水路で遮られ一旦国道に出てしばらく行くと早川橋に着く。早川の上流には早川温泉郷を経て焼山に至る登山道がある。焼山の西を通って富士見峠を越え、笹ヶ峰の杉野沢・乙見湖に至るその道こそ信越古道と呼ばれるもう1つの『善光寺街道』であり、今年こそ踏破したいと願っている道である。すでに杉野沢から富士見峠までの調査は終えており、それを延長して一気に早川に下るだけになっているが、今回,日本海側から焼山・火打ち山の風貌を見て逆に早川側から杉野沢に向かうべきではないかと考えるに至った。


 左から,焼山・烏帽子岳・阿弥陀山/鬼ヶ面山(左)・頸城駒ケ岳

 問題は早川最上流部の焼山登山口へのアクセスと杉野沢に下ってからの足の確保であるが、それは逆の場合でも同じである。糸魚川の仲間との間で交差登山を試みる方法や、早川温泉郷まで下って同じ道を杉野沢に戻る方法などが考えられるが、登るだけなら新潟側からの方が断然いいと思った。


 久比岐自転車・歩行車道,中宿起点

 頸城駒ケ岳や火打・焼山の魅力的な山容を見ながら橋を渡り終えてすぐに堤防道路に向かうと小さな公園があり、そこが久比岐自転車・歩行車道路(以下自転車道と表す)の起点になっていた。



 仲宿と言うその休憩所で10分ほど休む間に迫力のある波の写真を撮りたくて粘ってみたが、カメラを構えている時にはなかなかいい波は来ないもので、諦めて歩き始めた途端にとてつもなく高いしぶきが上がったりする・・。まあえてしてそんなものだ。
 自転車道の少なくとも起点付近のつくりは上々で舗装が真新しく、また『こんな近くに・・?』と思うほどの所で立派な休憩所に行き着いたりする。 


 浦本港付近/高見岬の断崖下を通る自転車道

 時々釣りに来ることのある浦本漁港と浦本駅を過ぎると、糸魚川からはるか遠くに見えていた第1の目標である高見崎の断崖が目に前に迫ってくる。断崖と言ってもそこは親不知とは違って国道が海のすぐ側を通っており、国道の歩道を歩くこともできるが、自転車道は浦本駅の先で道路を渡って国道の内側に移行するのでそれに従って9:57に国道を渡る。北陸道の鬼伏と言う名のトンネルを見上げながら高見崎の鼻先まで来て振り返ると黒姫山や親不知の断崖がよく見える。


 親不知方面/能生方面



ホシハジロ

2011-02-23 12:36:39 | 安曇野

 ホシハジロ♂/同♀(?)


 この日もヒドリガモが多いなと思ったが、よくよく見たらホシハジロだった。頭部が明るい金茶色で、うっかりするとヒドリガモと間違えてしまうかもしれないが、金色の目が特徴的でよく見ればわかる。


 ヒドリガモとホシハジロ/ホシハジロ


 ヒドリガモには額から頭頂部にかけて特徴的な黄色い部分があるが、ホシハジロは頭部全体が濃い金茶で、日光を浴びると美しく輝く。体はヒドリカモよりハッキリした白っぽい灰色でくちばしには鉛色の部分がある。雌は全体に褐色で目が黒い。


 キンクロハジロ/オオバン


 この日,ハクチョウ552羽。一番多いのはオナガガモだがキンクロハジロが意外に多く、1羽だけオオバンがいた。




 田んぼハクチョウ

ヒドリガモ

2011-02-22 12:55:42 | 安曇野

 ヒドリガモとホシハジロ/ホシハジロ♂


 ヒドリガモの最大の特徴は♂の黄色い鼻筋で、直射日光を浴びるとひときわ目立ち、その鼻筋とつぶらな目が子犬のような愛くるしさを思わせる。雌は他のカモ類同等に地味。


 オナガガモ/カルガモ


 御宝田ハクチョウ池に来る鳥たちは・・,

 ハクチョウのほかに、オナガガモ,ヒドリガモ,マガモ,コガモ,ホシハジロ,キンクロハジロ,カルガモ,スズガモ,ヨシガモ,マガン,オオバン,ゴイサギ,チュウサギ,アオサギ,カワウ等々。


 キンクロハジロとヒドリガモ/図鑑


 いつも漫然と見ていてどれが何と言う鳥かあまり知らないのだが、せっかく触れるほどの近くで見られるのだから少し勉強してみようと思って狙って撮ってみた。
 特徴がはっきりしている♂は分かりやすいが地味な♀は難しく自信がない。間違っていたらお許しを・・。




過ぎたけれど『雨水 』・・・2月19日

2011-02-22 12:00:18 | 月・星・太陽・暦・天体&気象・自然現象



 19日は二十四節気『雨水(うすい)』
 西暦2月19日,太陰太陽暦1月17日~正月中 (睦月:むつき)

 太陽視黄経 330 度

 『陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也(暦便覧) 』

 空から降るものが雪から雨に替わる頃、深く積もった雪も融け始める。春一番が吹き、九州南部ではうぐいすの鳴き声が聞こえ始める。




 間もなく『雨水」と言う2月15日,珍しく安曇野に雪が降り積もり、今シーズン初の雪かきとなった。
 しかし、雪はこの地方で言う水気の多い『かみゆき』(漢字では上雪だろうか・・) いわゆる里雪のことで、関東地方にも降った「春近しの~」の雪で大したことはない。




 19日は天気が良く、ぽかぽか陽気だったので幼子を連れて長峰山に登った。4才と2才の子ども達にとっては登山デビューだがそんな大げさなものではなく、お散歩の延長。
 子ども等は松ぼっくり拾いが楽しかったようだ。

 2月15日を過ぎればやはり季節は動く。


頸城三山&信越古道

2011-02-18 10:52:49 | 海岸線を歩く

 糸魚川駅東の高架橋から見る/朝日はこの山から

 糸魚川市役所から歩き始めて北陸線に架かる高架橋を渡る時に目についたのが南南東に位置する頸城駒ケ岳とその東にやや離れて奇怪な姿を見せる火打・焼山だった。これらの山をその時点で同定していたわけではないが、梶屋敷辺りを歩きながら地元の人に聞いて確かめ、また少なくとも駒ケ岳についてはmalさんにも確認したので間違いないと思われる。
 早川橋付近から見る火打・焼山は異様な姿をしている。特に写真・中の3つ並んだ真ん中のピークはニョキッと立ち上がった霜柱がやや東に傾いだような形をしていていかにも火山っぽい。
 自分は北信から新潟県県にかけての山を知らないのでどれが何だかさっぱり分からないが、糸魚川から見るこの山に強く惹かれ、火打・焼山に登るなら断然こちらからだと思った。
 早川の上流には早川温泉郷を経て焼山に至る登山道がある。焼山の西を通って富士見峠を越え、笹ヶ峰の杉野沢・乙見湖に至るその道こそ信越古道と呼ばれる街道であり、糸魚川と松本を結ぶ道(大糸線・R147・148)と上越と長野を結ぶ道(信越線・R 18)が『官』の道であるのに対して『民』が切り開いたもう1つの『善光寺街道』と言われる歴史の道である
 今年こそは登山道にして街道であるその道を踏破したいと願っている。すでに杉野沢から富士見峠までの調査は4年前に終えており、それを延長して一気に早川に下るだけになっているのだが、今,日本海側から焼山・火打ち山の風貌を見て逆に早川側から杉野沢に向かうべきではないかと考えるに至った。


 火打・焼山ではないかと思っている/上の続き(東側) 山名不明

 問題は早川最上流部の焼山登山口へのアクセスと杉野沢に下ってからの足の確保で、それは逆の場合でも同じであるが3つの方法が考えられる。
 1つは長野,新潟,それぞれ最低2人と2台の車が要る。長野組2台・2人は大糸線の中土駅に行ってA車をそこに置き新潟組を待つ。一方新潟組2台・2人は一旦焼山温泉の登山口に行ってC車を置き、D車・2人で糸魚川駅へ。駅にD車を置いて大糸線で中土駅まで行き、長野組と合流してB車・4人で杉野沢に入る。 下山後は新潟側登山口のC車・4人で糸魚川駅まで行き、長野組は大糸線で中土駅に戻ってそこに置いたA車・2人で杉野沢に置いたB車を回収する。
 4人で4台もの車を使うと言う大掛かりなことになる上に列車のダイヤの制約を受けるのが難点。
 2つ目は長野組,新潟組それぞれが、双方の登山口から登って途中で車のキーを交換し、下山後に相手の車で帰る途中で合流して車を交換すると言う交差登山。一緒には歩けないが、時間,労力,金が大幅に軽減される。また参加者を1台当たり4人くらいまで増やすことが出来る。


 頸城駒ケ岳/?

 もう1つはどちらからでも同じだが、向こうまで行ってもう一度登り返して帰ってくると言うもので、途中1泊すればできなくはない。宿泊場を富士見峠にするか、温泉まで下るかはどっちでもいいことだが、長野側から登って一旦早川まで下り、翌日また登れば両方からのアプローチを試みることが出来る。 この方法は新潟側と組む必要がないが、もし新潟側の人の出発を1日ずらして登る日を同じにすれば一緒に登ることもできる。
 その他,TXで登山口に入りTXで戻ると言うのも考えられはするが、そんな余裕はないので論外とする。

 いずれにしても富士見峠の雪が消えかかる6月下旬か7月上旬が最適であろうと考えている。

※正しい山名を教えて下さい・・。 .

久比岐自転車・歩行車道

2011-02-17 10:56:58 | 海岸線を歩く

 久比岐自転車・歩行車道/同糸魚川起点

 久比岐自転車・歩行車道は糸魚川市と上越市を結ぶ全長32kmの専用道路。適度な幅員ときれいな路面が保たれ、随所に休憩所や駐輪所などがあって安全で歩きやすくかつ見晴らしのよい道で、この区間の海岸線を歩く上で大いに助けられた。


 R8柿崎付近の路側帯・超狭い/同米山トンネル付近の歩道(余裕あり)

 冬期の海岸線を歩く上で一番心配だったのは、道路の除雪が走行車線中心で歩道や路肩・路側帯に雪が残っていて歩きづらいのではないかと言う点だった。
 実際に歩いて見ると、1月の大雪以後,融雪が進んでいたと言うこともあって国道を歩く際には大きな障害はなかったが、部分的には路肩に残った雪の上を歩かざるを得ない部分もあった。
 特に路側帯が狭い所では右を歩くか左を歩くかの選択を迫られる部分があり緊張させられるが、それはドライバーにとっても同じなので、お互いが見える右側を歩き、対向車が来たら立ち止まってドライバーを安心してもらう配慮は最低限必要かと思う。


 海岸を走る道/砂丘で隔絶された海岸

 そう言う緊張の連続では楽しめないので、少しでも脇道があればそちらを選びたくなるのは当然のことで、護岸堤の内側の道路はその点で一番気持ちが落ち着く道である。
 しかし、護岸堤の場合はたいていそのすぐ内側に人家や畑があって、その土地土地の暮らしぶりを見ながら歩けるが、間に幅の広い防風林等の緩衝地帯が入ると人々の暮らしぶりが見えなくなるきらいがあり、それはそれで不満が残る。


 舗装された路面/レンガのトンネル 

 そう言う点でこの久比企岐自転車道は、ある時は護岸堤を、ある時は街中を、またある時は街を見下ろす山際を走る等々変化に富み、峠のような高みからはるか前方を見わたしたり、来し方を振り返るなどして眺望を楽しむこともできると言う優れたコース取りになっているのがとてもいいし、またレンガ造りのトンネルにも旅情をかきたてるものがある。


 洞門あり/鬼伏中間点/トンネルはホッとできる空間


 雪の上に残された人や犬の足跡から察するに、この時期も地元の方が散歩コースとして利用されていることがうかがえたが、さすがに通しで歩こうと言う酔狂な人はいないらしく半ば1人占めで歩くことが出来た。



 行楽シーズンになって沢山の自転車が利用するようになると、歩行者は後ろに気を配りながら歩かなくては行けないかもしれない。
 それでも車を意識せずに歩けるのはこの上ない利点であり、大いに利用される価値のある道路だと思う。

 能生駐輪場/上越市終点

海鳴り

2011-02-16 12:06:36 | 海岸線を歩く

 最初のドドーン!・11日糸魚川/大荒れの3日目・柿崎港

 冬の日本海はどんなものかと連休の3日間,糸魚川から柏崎の笠島駅まで歩いてきた。
 1日目,糸魚川から名立までの27kmは穏やかながら一日中絶えることのない波の音を聞きながら歩いた。
 国道から海べりに出ると、波が防波堤に突き当たって『ど~ん』と言う腹に響く音を発するのが聞こえ、はじめそれが大きな波が来た時だけだったものが次第に間隔が短くなり、やがて連続した音となって、堤防や消波ブロックにぶつかる時の音なのか、波そのものが発している音なのか分からなくなってきた。



 波は常にあちこちの堤防やテトラにぶつかっているのだから絶えずどこかで音を発していると考えてもいいのだか、そうだとしても強弱があったり、時には音のない瞬間があってもよさそうなものだ。


 沖は雨か・・/波状段波

 ところがはじめは確かにそうだったものが一定の連続した音に変わった。それは衝撃音とは違った鈍いけれど力のある音で、まるで海自体が唸っているように思えた。5月の海岸歩きの時にはまったく気づかなかったことだ。
 これが海鳴りと言うものなのだろうか・・。冬の海辺に暮らす人々は毎日この音を聞きながら暮らしているのだ。


 鳥たちはひるまない

 波の音は2日目にはさらに強くなり、3日目は強風と雪を伴っても大荒れになった。



鹿島槍ヶ岳・黒沢尾根

2011-02-12 14:20:14 | 山行

 スキー場から爺ヶ岳を仰ぐ/サンアルピナ鹿島スキー場/リフト終点へ


 大町市・森の暮らしの郷(森くら)の森の支配人,Tomさんの案内で、半日程度の黒沢尾根冬期初心者向けハイキングコースのガイドのための下見を行い、併せてビューポイントで鹿島槍,爺,他の写真を撮る目的で、スキー場のリフト2本を乗り継ぎ、1500m地点からワカンをつけて歩き始める。


 鹿島槍ではなく爺/餓鬼岳と唐沢岳/わかん準備Ok



 晴れてはいるがアルプス側山頂方向の空に薄い靄のような雲があって、雪の白と空の白が重なり、写真を撮るには面白くない天候。こういう日は撮ることより見ることに徹した方がいいようだ。

 常念山脈/光城山・長峰山・押野山・継子落し・南鷹狩山・鷹狩山

 自分はこの山域には入ったことがなく、爺,鹿島槍,五竜がひと目に入りきらない距離に立つのは初めてなのでそれだけで満足できた。加えて常念山脈を縦方向に見たり、先日歩いたばかりの光城山~長峰山と押野山~継子落しのラインをなぞってその延長線上にいることを実感したのも新鮮な感覚で、面白い体験だった。


 南アルプス甲斐駒・仙丈・北岳等/八ヶ岳・美ヶ原等

 南アルプス,八ヶ岳,美ヶ原,浅間山,根子岳・・・,妙高,火打,焼山~雨飾山等の山々も、戸谷峰の時とは違った距離や位置関係からから見ることでより立体的に捉えられるようになっていることに気づく。どこにいても自分がどのような位置にいるのかと言うことは気になるものなのだ


 善光寺平・斑尾方面/根子岳/浅間山


 過去においてそれらの山々をあちこちの山上や稜線から何度も見ている筈なのに、新しく発見し納得する部分が毎回のようにある。その繰り返しによって自分の中で認識が深まっていくことが面白い。


 黒姫?/妙高・火打・・?/焼山or雨飾・・?…分からん


 けれど、乏しく偏った経験からはどうしても把握しきれないもやもやした地域と言うものが残る。それはそこに行くことでしか解決しないことなのだろう。
 妙高~雨飾山のラインを見ながら、今年こそはその縦走と、鬼無里から焼山の西を通って早川に抜ける信越古道の踏破を果たしたいと思った。
 遠くの山を見るのは心が弾む・・。



 この日のコースはTomさんにお任せ。リフトの終点から北に向かって40mほど登って最初のピーク(1546m)に上がり、そこからは尾根を北に進む。尾根の東側に雪庇があるが、尾根は広いので余ほど外に寄らなければ問題なく、まっすぐ立っている樹木のラインまでは安全である。



 Tomさんは子ども達のハイキングのリーダーになる若い2人に地図の見方や歩き方,ガスや吹雪の時の対処の仕方から、樹木の種類や特徴,冬芽の面白さや獣の足跡,その他、子ども達に投げかける話題の種を見つける自然に対する観察眼,着眼点等をこと細かく懇切丁寧に指導しながら歩き、自分は後ろからそれを追いかけるだけ。
 雪庇のある尾根を過ぎるともう1つ同じくらいの小ピーク(1550m)があり、そこまでくると視界が広がって真西の方向に鹿島槍が見えてくる。左(南)に爺ヶ岳,北には五竜岳が聳え、唐松,白馬槍・・と続く。


 爺ヶ岳/鹿島槍ヶ岳/五竜岳


 実はこの尾根からは見る爺ヶ岳は3つあるコブの南端が見えず、2つ並んであたかも双耳峰のように見える。そしてはじめは鹿島槍は見えていなくて爺の2つのコブだけが見えているので鹿島槍かと思ってしまうところがある。
 鹿島槍の双耳峰はそれぞれの耳の鋭さと両者の間隔から明らかに『双耳』であるのに対して、爺ヶ岳の方は耳と言うほどの鋭さがなく、間隔も広いので『双耳』状とは言い難いのだが、それだけを見ると『おやっ?』と思うかもしれない。
 眼前の高峰に圧倒されるだけでなく、そこからの北信方向や眼下の眺望も素晴らしく絶景である。


 ???/最後の樹林帯/蓮華岳が覗いている


 そこからはやや左に折れて疎林の中を北北西方向に緩やかに下り、一旦北に進んで再び北北西に曲がりながら目の前のピークを斜上した先に1559mのピークがあって、そこがこの日最高のビューポイントとなる目的地点だった。
 風がなく穏やかな天候で、ただ空が白っぽいことだけが残念だったが、何度も繰り返した山々の名と眺望の褒め言葉をここでも繰り返し、心ゆくまで堪能して下山する。時間を急かない日帰りハイキングと言うのもいいものだ。




 帰路はリフトまで同じ道を引き返し、ゲレンデの端っこの木の生え際を歩く。若い3人は途中から尻セードであっと言う間に滑り降り、若くない自分はカメラを首に下げていたことを言い訳に一歩づつ歩いて下りる。



 途中からゲレンデを横切って南側の林の中を歩き、小動物達の足跡を『ネズミだ』『テンだ』等と言いながら駐車場に戻って終了。