今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

大田区の郷土博物館と馬込

2024年06月16日 | 東京周辺

都内23区の郷土博物館巡りも大詰めを迎えて、今回は大田区郷土博物館。

都内といえど各地の郷土博物館は駅から離れた住宅地にある傾向にあり、ここも例外でなく、大田区を代表する大森・蒲田の両駅から遠い内陸の”馬込”にある。


都営浅草線の西馬込からなら歩いていける距離なので、我が家から都営地下鉄を乗り継いで「西馬込」に初めて降り立つ。
私の”大田区”のイメージ通りの広い第二京浜(国道1号線)を渡って、駅そばクラスの蕎麦屋(そば太田)で軽く「かき揚げそば」を食べる。

国道を渡り返して、住宅地に入り、夢告観音(石仏)の小さなお堂をすぎる。
このあたりは、荏原台地の末端で谷地形が多く、道の上下が大きい。

Googleマップに「馬込城址」とあった湯殿神社は坂の上にあり、そこから坂を下って登り返す途中に大田区郷土博物館の建物がある。
建物が立派な割に入館無料。


1階のロビーには、特別展の大山詣の展示があり、このあたりも大山講が盛んだったようだ。
※;ここにいた時、首から下げていた”ばけたん”が青く点灯した。良い霊が通り過たようだ。
時代に沿った展示は2階からで、32000前の旧石器時代の出土品が並ぶ。
ただし石器ではなく、石器の元となる石核や剥片ばかり(作業場だったようだ)。
大田区の荏原台地末端部は多摩川と海とに接した食糧豊かな地だったためか、旧石器〜縄文・弥生時代の30000年にわたる遺跡が多い。
展示される土器自体も大型(写真:縄文前期後半の深鉢型土器)。
ところが古代・中世はほんの1面展示で終わり、江戸時代以降に飛ぶ。

むしろ力が入っているのは、3階での大正以降の「馬込文士村」の展示。
我が方の「田端文士村」(北区)とほぼ同時期(関東大震災以降)の成立ながら、こちらは画家が中心となって成立した点が違う。
文士の中心は尾崎士郎(とその妻:宇野千代)のようで、あと山本周五郎などもいた。
室生犀星は、田端文士村から移住してきた。

あと館内には区内の名所のデジタル展示などもあり、またロビーには区内の遺跡散策コースのパンフもあって、情報提供にも力を注いでいる。


ここを出て、せっかくなので”馬込”を散策する。
坂を上って下り返して、また上った台地の上に萬福寺(曹洞宗)があり、梶原景時の墓・摩尼輪堂・日待供養塔などを見学。
そこから西に進んで、地元鎮守の馬込八幡神社に詣で、隣の長遠寺(真言宗)では観音の石仏があって、江戸時代の庶民の供養にしては美仏級でよかった(写真)。
さらに国道1号線の裏道を歩いて地下鉄の馬込駅に着いた。
このように、郷土博物館巡りは、街歩きも兼ねて楽しめる。