博客 金烏工房

中国史に関する書籍・映画・テレビ番組の感想などをつれづれに語るブログです。

周公廟からまたもや甲骨が

2009年01月27日 | 学術
私が日本でのんびりしている間に世の中は動いていたようです(^^;)

nagaichiさんの『枕流亭ブログ』によると、このほど陝西省岐山県の周公廟遺跡から2004年に引き続き大量の甲骨が発見され、文字が刻まれているものも多数存在するとのこと。

「西周の甲骨文字」(『枕流亭ブログ』)

で、以下が元記事です。

「西周時代の甲骨7000片発掘、甲骨文字1600字を確認―陝西省」(『レコードチャイナ』)

ついでに甲骨の写真が入った中文記事もリンクしておきます。

「周公廟発見7千余片西周甲骨 新字形屡見」(『中国考古』)

というかレコードチャイナ、発掘現場の写真だけアップして甲骨そのものの写真が無いというのはどうかと思います……

「王季」「文王」「畢公」「王」(これはその当時在位していた王ということでしょうね)などの人名が見られるということですが、このうち文王の父とされる「王季」は金文も含めて西周期の資料の中では初めて見られるものですね。

今回出て来た資料、今までの例からすると主要なもの数点は数ヵ月後ぐらいに専門誌で紹介されたりするんでしょうけど、整理作業を経てそのすべてが公表されるのは何年後になることやら……
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2 コメント

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Unknown (nagaichi)
2009-01-27 22:57:25
どうも、言及いただきまして恐縮です。
「王季」は、やはり季歴なんですね。
「畢公」は、魏祖の畢公高かその子孫かなんでしょうけど、どういう文脈で出たものなのでしょうか。畢公や畢がやたら出てくるのであれば、畢公墓なのかも。あるいは畢公が祭祀上で重要な役割を果たしていたとか。情報が少ないので、シロウトの妄想しか働きませんが…。

日本でゆっくり骨休めしてください。では。
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Unknown (さとうしん)
2009-01-28 19:59:59
>nagaichiさま
「畢公」についてはおそらく畢公高その人を指しているんじゃないかと思います。

畢公の名は今回の周公廟甲骨だけではなく、1970年代に周原遺址から出た甲骨の方にも名前が出て来ますので、単純に畢公が当時の有力者であることを示すものではないかなあと。

で、その周原遺址の用例というのが断片に「畢公」という名前だけが刻まれているものです。周原の甲骨では他にもそういう名前や官名だけを刻んだものがいくつかあるので、今回の周公廟から出て来たのも「畢公」という名前だけがポツンと刻まれていたりするんじゃなかなあと思うわけです。
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