極東アジアの真実 Truth in Far East Asia

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アヘン中毒・清国 VS 紅茶中毒・英国

2019-07-29 18:00:43 | 日記

以下文はウィキペディア等々を参考に記していますが、まとまりのない文になってしまいました。日々の思い、日記とします。

 

麻薬の製造、密輸、販売等々は本人のみならず国をも滅ぼす可能性があります。フィリピンの麻薬(主に覚せい剤、覚せい剤が存在する国は・・・)に塗れた国内、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領を人権無視だと批判しますが、フィリピンは50人に一人は覚せい剤中毒患者とも言われており、将来国そのものが成り立たなくなると危ぶまれています。多くのフィリピン国民の圧倒的支持を受けたロドリゴ・ドゥテルテ大統領の強権策は人権無視等々とは一概に言えないでしょう。

世界でも中国の麻薬等々の犯罪に対する処罰は厳罰で、多くが死刑(銃殺、薬物)に処されています。(香港とマカオには現在でも死刑制度は無いようです。)、何故このように厳しい罰を設けているでしょうか・・・間違いなく中国はアヘン戦争を強く意識、教訓にしており歴史から学んでいると思います。

吉田松陰等の幕末の志士達は海外事情、特に清のアヘン戦争に大変大きな関心を寄せています。これらのアヘン戦争等の情報は幕末の儒学者・塩谷宕陰(しおのやとういん)著の阿芙蓉異聞(あふよういぶん)、清の兵学者・魏源(ぎげん)著の聖武記付録(せいぶきふろく:アヘン戦争でのヨーロッパの最新武器と戦った経験を記した書)等により細部情報を得ており、欧米の列強国に植民地等に屈しない強国日本をデザインしています。幕末の志士達の努力が清、朝鮮(未開地域等)と違い、欧米の植民地策に対抗できたと思います。幕末の志士達は結果的に見事に、孫子の兵法を厳守したことになると思います。

如何にアヘン戦争が理不尽な戦いであったかが分かります。中国は未来永劫アヘン戦争は忘れることが無いでしょうし、この延長線上が昨今の香港問題のようにも思います。確かに香港は高度な自由な経済社会ですが、中国からしたらこれらの事実は大きな関心、問題では無く、アヘン戦争=香港であり、全てを譲れない特別な地域であると思います。

 

現在の中国刑法347条・薬物密輸販売運搬製造罪

薬物を密輸、販売、運搬、製造した者のうち

1 アヘンを1キログラム以上、またはヘロインもしくはメタンフェタミンを50グラム以上、あるいはその他薬物を大量に密輸、販売、運搬、製造した者

2 薬物を密輸、販売、運搬、製造した集団の首謀者

3 薬物を密輸、販売、運搬、製造することを警護した者

4 検査、拘留、逮捕を暴力によって拒み、重大と認められる者

5 組織的な国際売買活動に関わっていた者

のうち、いずれかに該当する者は15年以上の懲役、無期徒刑または死刑に処した上、財産を没収する・・・

 

1800年代、紅茶は中国・清国しか作れませんでした。この紅茶を広東(清国は鎖国で広東のみが長崎・出島みたいな地域です。)から英国へ運んでいたのが英国のアジア貿易を245年間独占していたのが英国東インド会社です。

当然、英国は膨大な量の紅茶を輸入し代金(当時清国は銀を通貨としており金は使用できませんでした。)を清国に払わなければならず、お金(銀)が湯水のごとく清国に流れています。英国は特産品の羊毛・綿を清国に売ろうとしますが、清国は高級な絹を着ており売れません。お金(銀)は清国にどんどん流れて行き、英国は赤字に転落しますが、英国民大好きな紅茶輸入をやめるわけにはいきません。

アヘンを清国へ持ち込み、売り込む策略を練った張本人・ジャーディン・マセソン・・・日本の明治維新期にも深い関係があったジャーディン・マセソン、以後、有名なジャーディン・マセソンを設立し明治維新と言う激動期の日本で暗躍します。

当時の英国はインドを植民地とし、貿易赤字の対策としてケシの栽培を開始、高品質アヘンを作り、英国側は開港地の広東、マカオに行き清国内のアヘン事情について調査開始、北京の紫禁城の皇帝の側室の媚薬(性欲を高める薬)として売れることを掴みます。これなら清国内でも一般人に売れることを確信、アヘン製造開始です!アヘンの原料となる膨大な面積のケシ畑がインドに作られました。高品質のインドアヘンは東インド会社の刻印が押され、清国一般人に深く浸透し中毒患者激増、数千トンものアヘンが湯水のごとく清国に入ります。

ケシの果実から採取した乳液は熱湯で一度ゆで、上に浮くゴミを捨ててから布でこします。こした水にはアヘンの成分が入っているので薬として利用できるようです。布の上には粘土のような柔らかい餅のようなものが残ります、これが生アヘンです。これを乾かすとアヘンが出来ます。

このアヘン製造に関わっているのは全員ユダヤ人で、有名なアヘン商社は現在も香港に本部を置くイギリス系の大企業、ジャーディン・マセソンとサッスーン商会です。

ジャーディン・マセソンは1832年広東に設立、現在も香港に本部を置き投資業、金融業、不動産業、建設業等の世界最大級の複合企業です。一方のサッスーン商会は現在、英国で財閥を作っています。

ジャーディン・マセソンは膨大な清国から利益を得ますが、大量のアヘンを持ち込み、中毒患者激増等のため清国皇帝は激怒、これらの対応に林則徐(清国の官僚、27才で科挙の試験に合格、阿片禁煙論を唱え、鉄差大臣としてイギリスとの貿易問題解決に尽力、阿片戦争の際陸軍海軍最高責任者、農村の再建と治水事業、不正官吏大量処分等々行政手腕を発揮しています。)を広東に派遣しました。

林則徐は英国の業者からアヘン25000~26000チェスト(箱をチェストと呼び、大切な物入れと称しています。1チェストは72kgです。)の膨大なアヘンを奪い、一箇所に集め、硝石灰をばらまいて処分しています。

この処分で英国側は賠償を要求、第一次アヘン戦争開始(1838年~1840年)、英国はこの戦いで快勝し賠償で香港等々を手に入れます。この時、香港に作られたのが現在の香港上海銀行・HSBC(The Hong Kong and Shanhai Banking Corporation)で、何故この銀行が出来たか・・・

アヘン戦争勝利で得た賠償金の純銀を、本国に船で運んでいたら危ないため現物(純銀)を香港に置いて、ロンドン等へは電信で送るために作られたマネー・ロンダリング銀行が香港上海銀行です。現在、中国政府と香港との間には大きな確執がありますが、根底に流れるアヘン戦争への憎しみは消えることはないでしょう。

英国は第一次アヘン戦争で中国内で多くの抵抗者を殺害しています。更に1840年~1842年まで第2次アヘン戦争が起きていますがイギリスのか快勝に終り、両国間で不平等条約(南京条約)が結ばれ、清は他の欧米等列強にも付け込まれる結果となってしまいます。結果、林則徐は責任をとって大臣を辞めさせられ、地方左遷となりましたが地方でも善政を行い多くの住民に慕われたと言われています。中国の偉大な人物の一人と言われていますが、日本ではあまり知られていないように思います。

当時の日本にはアヘンはありましたが、とても高価な薬でほとんど流通がなかったようです。ケシ栽培が全国に広がっていたのは明治時代前後だと言われています。江戸幕府はアヘン戦争の情報を得ており、江戸幕府がアヘンを禁止したのはアヘン戦争の教訓からで、1858年安政五カ国条約に輸入禁止の条項が設けられています。

現在、世界では膨大な量のアヘンが生産、消費されていますが、その裏で多くの国民が苦しんでいる事実、歴史の中ではアヘン等は封印され表に出ることは少ないように思います。

 

2018年6月27日 AFP記事より

アヘンとコカインの世界生産量が記録的な高水準に達したことが、2018年6月28日発表の国連薬物犯罪事務所(UNODC)の年次報告書で明らかになっています。アヘンはアフガニスタン、コカインはコロンビアがそれぞれ世界生産量の大部分を占めると言われています。アヘンの2017年の生産量は前年比65%増の1万500トンでUNDOCがアヘン世界生産量の調査を開始した21世紀初頭以降で最高の推計値を記録、大部分を占めるアフガニスタンの生産量は前年比87%増の9000トンですが、これらは統計に表れない世界の全生産量の一部だと思います。

愚人は経験から学び、賢人は歴史から学ぶ・・・中国は過去のアヘン戦争と言う歴史を大きな教訓としているのは間違いないと思います。日本の麻薬の密輸、販売等々の罰則は極めて甘く国益、民益を著しく損なっていると思う昨今です。

 

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