日本ではベラルーシでスパイ容疑で現行犯逮捕された日本人・・・何故?
(17) SaneVox Japanese - YouTubeさんの動画紹介
何故、ロシアは武力行使したか?
NATOがエスカレートし、より高度な兵器を送ったり、外交を拒否したりするたびに、同じ議論を耳にします。なぜNATOはこれをするのか?その答えは常に、我々はウクライナを支持し、ウクライナを助けているからだというものです。これは、NATOが参加者ではなく、単に利他主義と善意からウクライナを助けようとしているという議論の核心にあります。
タマホイさんのX紹介
日本は世界から相手にされない国になろうとしています。
(18) FABVOX - YouTubeさんの度が紹介
ロシア在住です (@jupiter_russia) / XさんのX紹介です。
「日本国政府とウクライナとの間のウクライナへの支援及び協力に関するアコード」への署名|外務省 (mofa.go.jp)
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「ベラルーシでスパイ容疑で現行犯逮捕された日本人」
以下記事の素人日本語訳です。日本人は大使館員、弁護士・・・
ベラルーシで6年間にわたり、日本の諜報員がベラルーシとウクライナの国境地帯から9,000枚以上の正確な写真を撮影、ベラルーシの歴史上初めて、日本の諜報機関の活動が停止されました。エキゾチックに聞こえますが現実です。ゴメリから東京へのメッセージと報告はマサという仮名で行われていました。
アレクセイ・ザハロフ、退役少将、2008年から2012年に軍事防諜部長、対外国諜報機関の分野の専門家談
日本の知性は日本のアニメのレベルではどこかエキゾチックに聞こえ、忍者タートルズを思い出させます。しかし、日本の諜報機関は独自の確立された組織であり、政府機関が国の内政および外交政策を実行するためによく利用されています。日本の諜報活動の特殊性は、第三国の領土内または直接日本国内での募集活動です。こうすることで、外交使節団への危害やその他の悪影響が軽減されると説明しなした。採用、任務は日本で行われ、エージェントは日本で訓練され、そしてベラルーシ共和国に送られました。
2008年、第二次世界大戦後初めて、日本に情報機関を創設することが決定、優先事項としては、中国に関する諜報活動と情報収集が挙げられています。同じ年に、中西正俊弁護士の異例のキャリアが展開されたようです。 2008年以来、彼は非公式には新シルクロードと呼ばれる中国の一帯一路構想の一部である東ヨーロッパ諸国へ積極的に旅行し始めています。
2018年にベラルーシのホメリに移籍、 2年前、現在北部軍管区の中心地となっているクピャンスクで正教に改宗しました。2014年のマイダン期間中にウクライナだけでなく、DPRとLPRも訪問しています。中西正敏はベラルーシ国民と架空の結婚を結んだが、後に解消、ホメリでは、F・スコリーナ大学で日本語教師としての職に就いています。中西さんはお金の必要性を感じていませんでしたが、毎月日本の口座から引き出していました。日本の諜報機関は無制限にお金を使うことができる無制限のアカウントを開設していました。
中西正俊の伝記は珍しく、神秘的ですらある。高等法津教育、私は起業家のようになりたかった。彼はビジネスからの収入でまったく生活していませんでしたが。彼がベラルーシで設立したベルニホン・インターナショナルという会社は紙の上だけで存在していた。 6年その間、利益はなく、一度の取引もなく、むしろ損失と罰金が課せられました。税金を課しても定期的に支払いをしていました・・・会社の活動はゼロです。
彼の秘密活動の証拠の大部分を独力で収集し文書化したと言えるかもしれない。彼はベラルーシ滞在中の毎日を詳細に報告しています。すべてをノートとノートに書き留めました。 6 年間にわたって、小切手をすべて集めていました。小さな封筒の 1 つに 47 枚の電車の切符が入っています。 地方の小さな都市に住んでいて、毎日市内の職場に通勤しているようなものです。私たちの捜査はその逆を行いました。ゴメリからウクライナ国境に近い小さな集落へ向かいました。
橋と鉄道があるウクライナ国境付近で私が撮ったこれらの写真は、米国またはウクライナによる攻撃に利用される可能性がある。ベラルーシ領土へのミサイル攻撃も可能だったと思います。 アメリカと日本の間には非常に密接な関係があります。私は良いことではなく、悪いことをしました。私はこのことを悔い改めます。
7 月、KGBはベラルーシから出国する前に日本人の中西正俊弁護士を拘束しました。その方法は、ソ連の治安当局者が行ったスパイ拘束の伝統と同様に、隠された毒を飲まないように体を強固に固定することでした。
日本のラップトップの中身は、東京に到着したら行くつもりだった特別なサービスにとても満足していたことでしょう。
日本の国家公安委員会、この組織は国の警察庁を管理します。その部門の 1 つである保安局は、対諜報活動や諜報活動にも関与しています。そのシステムには、通信チャンネルの傍受に基づいて機密情報を収集するヤマ諜報機関を含む国際関係、技術調査を専門とする外務情報省が存在します。
我が国の国家安全委員会は、外国情報機関への協力の疑いで、我が国の領土内で、特にベラルーシの軍事インフラに関する軍事情報情報を収集し、日本の特別機関に送信した日本人中西正敏氏を拘束しました。軍隊や軍事装備の動き、南部の現状など。さらに、諜報機関の外国人は、国家機密にアクセスできるベラルーシ国民を採用し任務を実践していました。
コンスタンチン・ビチェク氏は、現在完了に近づいている捜査の過程で、ナカニシの違法行為に関する説得力のある反駁できない証拠が得られたと述べました。押収された機器には、完了した任務に関する報告書や、さらに、捜索活動中に、外交官の隠れみのにベラルーシ領土内で活動している外国諜報機関の代表者との繰り返しの会合が記録されています。
ベラルーシKGB捜査部長によると、同委員会はベラルーシ共和国刑法第358条第1項 潜入活動に基づく犯罪で起訴されました。コンスタンティン・ビチェク氏は、被告はKGBの公判前拘置所に拘留されており、捜査に積極的に協力しており、違法行為について詳細な証言を行っていると述べています。
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櫻井ジャーナルさんの動画紹介です。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202409050000/
欧米に操られてロシアと戦う道を選んだゼレンスキー政権の閣僚が相次いで辞任
2024.09.05
ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー政権が沈没しそうだ。イリーナ・ヴェレシュチュク副首相兼再統合相、オルハ・ステファニシナ欧州・欧州大西洋統合担当副首相、アレクサンドル・カムイシン戦略産業相、デニス・マリウスカ法相、ルスラン・ストリレツ環境相がウクライナ議会に辞表を提出、また大統領はドミトリー・クレーバ外相を含む複数の高官の解任も検討しているという。そのほかウクライナ国有財産基金(SPFU)のヴィタリー・コヴァル総裁も辞表を提出、デニス・シュミハリ首相の解任も噂されている。
ゼレンスキー大統領は2月8日にバレリー・ザルジニー軍最高司令官を解任し、後任にオレクサンドル・シルスキーを据えた。ザルジニーは兵士の犠牲を少なくする作戦を採用しようとしていたが、米英政府の意向を受けたゼレンスキーは「玉砕攻撃」を繰り返させようとしてきた。アヴデフカでの戦闘でザルジニーは全面撤退を計画していたという。
ゼレンスキーはイギリスの対外情報機関MI6のエージェントだと言われているが、昨年11月1日付けエコノミスト誌にザルジニーが「戦闘は膠着状態にある」とする論説を発表した段階で欧米支配層の内部にゼレンスキー下しの動きがあると言われていたが、その一方でロシア領内への攻撃を求める勢力も存在する。
2013年11月から14年2月にかけてアメリカのバラク・オバマ政権はウクライナでクーデターを仕掛けた。その手先がネオ・ナチだが、指揮していたのは副大統領だったジョー・バイデン、国務次官補だったビクトリア・ヌランド、そして副大統領の国家安全保障担当補佐官を務めていたジェイク・サリバンだ。2021年1月にバイデンが大統領に就任するとサリバンは国家安全保障補佐官になった。ヌランドは同年5月から国務次官に就任するが、今年3月に辞任している。
ヌランドは父方の祖父母がウクライナからの移民で、夫はネオコンの重鎮であるロバート・ケーガン、義理の弟はフレデリック・ケーガン、フレデリックの妻はISW(戦争研究所)を設立したキンベリー・ケーガン。マデリーン・オルブライトやヒラリー・クリントンと親しく、ビル・クリントン政権でアメリカをユーゴスラビア侵略へと導いた仲間。アントニー・ブリンケン国務長官の父方の祖父もウクライナ出身だ。
サリバンはエール大学出身で、ローズ奨学生としてイギリスのオックスフォード大学へ留学している。奨学金はオックスフォード大学の大学院生に与えられ、学費を支払うローズ・トラストは1902年にセシル・ローズの意志で創設された。
ローズはナサニエル・ド・ロスチャイルドの資金でダイヤモンドや金が発見された南部アフリカを侵略して財を築いた人物で、優生学を信奉していた。ローズは1877年6月にフリーメーソンへ入会、その直後に書いた『信仰告白』で彼はアングロ・サクソンは最も優秀な人種であり、その居住地が広がれば広がるほど人類にとって良いことだと主張している。領土を拡大して大英帝国を繁栄させることは自分たちの義務であり、領土の拡大はアングロ・サクソンが増えることを意味するとしている。(Cecil Rhodes, “Confession of Faith,” 1877)
セシル・ローズの時代からイギリスはロシア征服を目指していた。そのためにユーラシア大陸の周辺を海軍力で支配、傭兵を組織しながら内陸を締め上げる戦略を進めている。1991年12月のソ連消滅でこの戦略はほぼ達成できたとアメリカやイギリスの支配層は考えたのだが、21世紀に入ってからロシアが再独立、そこで米英はロシア再征服を目論む。
アメリカをはじめとする西側諸国がウクライナ制圧作戦を本格化させたのは2004年から05年にかけての「オレンジ革命」からだ。ウクライナはそれまで中立政策を掲げていたが、それを変えさせて西側の私的権力に従属する体制を築こうとしたのだ。そこで中立政策を進めようとしたビクトル・ヤヌコビッチを潰すために「オレンジ革命」を仕掛けた。
その「革命」で大統領に就任したのは西側の傀儡だったビクトル・ユシチェンコ。この政権は新自由主義政策を推進、不公正な政策で貧富の差を拡大させたことからウクライナ人の怒りを買い、2010年の大統領選挙では再びヤヌコビッチが勝利した。そこでオバマ政権は2013年から14年にかけてネオ・ナチを利用したクーデターを実行、西側資本の属国にしたわけである。
このクーデターをヤヌコビッチの支持基盤だった東部と南部は拒否、クリミアはロシアの保護下に入り、ドンバスでは武装闘争を始めた。軍や治安機関の約7割は新体制を拒否したと言われているが、クリミアの場合は9割近い兵士が離脱したと伝えられている。そこで西側はキエフ体制の戦力を増強するために必要な時間をミンスク合意で稼いだ。
2014年に誕生してからキエフ体制は欧米の傀儡にすぎず、22年春にはドンバスへの大規模な軍事攻勢を計画していたことがわかっている。その直前にロシア軍はウクライナ軍に対する攻撃を始めたが、すぐにゼレンスキー政権はロシア政府と停戦交渉を開始した。それをイギリスとアメリカが止めさせたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。
米英はウクライナを使ってロシアを疲弊させ、あわよくばロシアを屈服させようとしたのだが、思惑は外れた。西側の有力メディアの宣伝とは違い、ウクライナは劣勢になり、欧米諸国はウクライナへの軍事支援をエスカレートさせなければならなくなる。そしてウクライナだけでなくNATOの兵器庫は空になった。こうした状況になっても戦争を継続させようとしている勢力がアメリカやイギリスには存在する。
今年8月6日、アメリカとロシアが「捕虜交換」をした直後、ウクライナ軍は1万人から3万人の部隊をスーミからロシアのクルスクへ軍事侵攻させた。ドンバスから戦力を割いたほか、アメリカ、イギリス、フランス、ポーランドの特殊部隊、そして各国から集められた傭兵が参加、この作戦を立てたのはイギリス軍だとも言われている。
その当時、クルスクに配備されていたのは国境警備隊だけ。装甲車両を連ねた部隊に対抗することはできなかった。西側では喝采が贈られていたが、軍事に多少でも興味のある人なら、ロシア軍の反撃で侵攻軍が壊滅的な打撃を受けることは見通せたはずだ。
実際、ロシア軍は航空兵力に続いて予備兵力も投入、ウクライナ軍を押し返している。ウクライナ軍がクルスクへ送り込んだ貴重な戦闘車両は破壊され、虎の子の部隊では多くの死傷者が出た。ウクライナ側はクルスクを防衛するためにドンバスで戦っている部隊の一部を移動させると考えていたようだが、予備兵力を投入しただけ。その結果、ドンバスでロシア軍の進撃速度が早まった。しかもクルスクではロシア軍の反撃でウクライナ軍は壊滅状態だ。
ロシア壊滅を目論んで失敗した西側各国は責任をゼレンスキー大統領に押し付けて逃げようとしている。ゼレンスキー政権が崩壊し始めたのはそのためだろう。