想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

「FIRST TIME!」 THE COUNT MEETS THE DUKE(CBS SONP 50072)

2011-02-26 17:50:53 | 音楽

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昨日から、国立大の2次試験らしい。私たちの時は3月3日からであった。女の子にとっては、「おひなさま」の日だが、受験生にとっては、そんなことは関係ないだろう。残り1日、悔いのないよう、自分の実力を充分に出してほしい。

今日、紹介するのは、ジャズ界のフル・バンドを代表する2大バンド、デューク・エリントン楽団とカウント・ベイシー楽団が初めて顔を合わせたセッションで、1961年に録音されたものである。

まさに夢の競演である。右チャンネルから、デューク・エリントン、左チャンネルから、カウント・ベイシーが、ステレオ効果で、レコードと思えぬ迫力を聴かせてくれる。

デューク・エリントン、カウント・ベイシーとも、今では、伝説のスターであるが、幸いにも、来日した時に、本人率いる楽団の演奏を生で聴くことができた。

海外のバンドが来日した際、原信夫とシャープス・アンド・フラッツがバトルを行ったことがあるが、比ぶベくもない。

巨匠同士の共演としては、1961年に録音された 「サッチモ・ミーツ・デューク」(ルーレット MJ-7015)がある。

個性の強い二人が、実にうまく調和しているのが不思議である。


ベートーベン 交響曲 第5番 ハ短調 作品67 「運命」 (HERIODOR SMH-1001)

2011-02-22 15:28:41 | 音楽

カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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誰も知らない者がいない名曲中の名曲であり、数えきれない程のレコードが発売されているが、この演奏は、フルトベングラーと並んで、間違いなく、名演の一つであろう。

指揮者によって、冒頭部分のテンポが異なり、いろいろ聴き比べたものだ。

ベルリン・フィルは1957年以降、カラヤンと来日し、日本中を沸かせ、また、ベームは、1963年、1975年にウイーン・フィルと来日し、名演を聴かせてくれた。

そのベルリン・フィルの首席奏者であり、現在、世界最高のフルート奏者と言われているエマニュエル・パユの演奏を「題名のない音楽会」の公開番組で聴いた。

「題名のない音楽会」は出光興産提供の長寿番組で、つまらないテレビ番組が多い中、優れた番組の一つである。

前任の素晴らしい司会者であった羽田健太郎氏が急逝し、どうなるかと懸念したが、引き継いだ佐渡裕氏が、羽田氏とは一味違った楽しい番組にしてくれている。

ベルリン・フィルのコンサート・マスターに日本人が就任し、小澤征爾に続いて、佐渡裕が指揮をすることになっており楽しみである。

この音楽会の楽しみは、思いがけない演奏家、コラボレーションとの出会いである。

また、今回のように、世界の一流のアーティストの演奏を聴けるのも楽しみである。

今回演奏された“「カルメン」による華麗なるファンタジー”は、実にすばらしい演奏であった。フルート一本で良くこれだけ演じ分けられるものだと感心させられた。

私の若い頃は、フルートと云えば、ジャン・ピエール・ランパルであり、レコード・コレクションの中を探したが、残念ながら見当たらなかった。CDでは、同じくベルリン・フィルの首席奏者であったジェームス・ゴールウェイのものがあった。

この公開録画は、4月3日() 900 テレビ朝日で放映される予定なので、是非ご覧いただきたい。


MAHALIA JACKSON‘S GREATEST HITS (SONX 60186)

2011-02-19 17:09:47 | 音楽

マヘリア・ジャクソン

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2月10日のブログでジョージ・シアリングに触れたら、15日の朝刊に、彼の訃報記事が出ていた。

ジャズの歴史を飾った巨匠たちが次々と亡くなるが、これも避けられない摂理であろう。ご冥福をお祈りしたい。

1958年のニューポート・ジャズ・フェスティバルは、映画「真夏の夜のジャズ」で、その様子を知ることができるが、圧巻は、この映画のラスト・シーンで歌われたマへリア・ジャクソンの「主の祈り」であろう。

このフェスティバルには、ジェリー・マリガン、ジョージ・シアリング、セロニアス・モンク、チコ・ハミルトン、アニタ・オディ、ルイ・アームストロングほかそうそうたるメンバーが参加しており、記録映画としても素晴らしい映画であったが、その中にあって、最も印象に残ったのが、彼女の熱唱であった。

ゴスペル・ソングに、これほど、心を打たれたのは、初めての経験であり、彼女の唄をもっと聴きたいと思い、このレコードを購入した。

ベッシー・スミスの唄うブルースにも心打たれるものがあるが、それとは一種異なる感動である。


Thelonious himself (fontana SFON―10015)

2011-02-15 15:49:05 | 音楽

ピアノ・ソロ :セロニアス・モンク

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今朝起きて外を見ると、すっかり雪化粧であった。都会は雪に慣れていないので、少し雪が降ると、ドタバタである。

今年は昭和38年の豪雪以来の大雪で、裏日本の人たちはさぞ大変だろう。

この年の2月下旬に、ゼミの4回生の送別旅行で北陸を訪れた時、すっかり雪に覆われ、まだ2階から出入りしている状態であった。北陸にも早く春が来てほしいものだ。

宮崎の人たちは本当に気の毒だ。口蹄疫、鳥インフルに火山灰。特にこの火山灰と云う奴は厄介だ。大学1回生修了の春休みに、九州一周旅行をし、韓国岳から眺めた新燃岳一帯の景色はすばらしかった。自然現象とはいえ、愚痴の一つも言いたくなるであろう。何もしてあげられないが、頑張ってほしい。

先日、左手のピアニストとして、マスコミでも話題になった舘野泉の演奏を聴く機会があった。

2002年に脳出血で半身不随になりながら、2004年に左手のピアニストとして復帰、現在、演奏活動50周年ツアーを行っているとのこと。

座席が右サイドであったため、手の動きを見ることができなかったが、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は、素人には、とても左手だけで演奏しているとは思えない作品であった。

しかし、技巧もさることながら、3大「アヴェ・マリア」の一つである、カッチーニの「アヴェ・マリア」が素晴らしかった。

昨年末に、サンクトベルグ室内合奏団の「三大アヴェ・マリア」X‘masコンサートで聴いたソプラノより、敬虔な気持ちにさせられた。

ジャズ・ピアニストにも目に障害がありながら、素晴らしいピアニストがいる。

ジョージ・シアリング、レニー・トリスターノ、マーカス・ロバーツ等々。しかし、先ず思い浮かぶのは、ジャズ・ピアノの神様と呼ばれるアート・テイタムであろう。彼のあの天才的なテクニックを聴いたら、誰も盲目とは思わないだろう。

クラシック界の巨匠、トスカニーニやホロビッツが、わざわざ聴きに来て、とても驚いたと伝えられている。

彼のピアノは、超絶技巧だけでなく、実にリラックスさせてくれる。

コレクションを探したら、どうしたことか、彼のソロ・アルバムが見当たらなかった。

彼と対照的なのが、天才と呼ばれるモダン・ジャズのセロニアス・モンクである。

モダン・ジャズの巨匠たちとの共演アルバムは別の機会に取り上げることにして、彼の独特の演奏スタイルを聴くことのできるソロ・アルバムを取り上げた。



ALL ABOUT JULIE (LIBERTY LP 7088)

2011-02-10 15:18:32 | 音楽

歌 : ジュリー・ロンドン 

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明日から3連休。若い人たちには、楽しいホリディであろう。しかし、なぜ3連休なのだろうと思う人はどれくらいいるのだろう。2月11日は建国記念日だが、日本では、フランスやアメリカのように、建国記念日を国民の祝日と思って祝う人は少ないようだ。3連休にするために、国民の祝日を月曜日にしたり、ゴールデン・ウイークを地域分散にしようだのと馬鹿げたことを考えている連中がいるようだ。祝日が単なる休日になっている。

新入社員の頃、土曜日は半ドン、有給休暇もままならず、ゴールデン・ウイーク以外、ほとんど、3連休はなかった。

2月14日はバレンタイン・デー。バレンタイン・デーが近づくと、デパートの商魂に踊らされ、本命チョコ、義理チョコと賑やかである。

私の若い頃は、あまり話題にもならず、あまり気にもしていなかった。

入社、間もないころ、ある女性からベルギー製の缶入りチョコを貰ったことがあるが、女の子とあまり付き合ったことがなく、その時は気に留めなかったが、今から思えば、あれは本命チョコだったのだろうか。鈍感というか、誠に申し訳ないことをしたものだ。

ただ、日本型のバレンタイン・デーが定着するのは1970年代であるから、知らなかったのもやむ得ないとお許しいただこう。

そういえば、高校1年の英語講座の中に、バレンタイン・ボックスの話があった。女生徒が好きな男子生徒の名前を書いて投票する話だったように思う。アメリカのハイ・スクールの溌剌とした生活を羨ましく思ったのを思い出す。

ダンス・パーティでバレンタイン・タイムと云うのがあって、この時間は、女性の方から、ダンスを申し込むという企画があったが、今日のように女性が強くなると、あまり必要ないように思える。

ジュリー・ロンドンのあの独特な甘い声で、「LOVE LETTERS」、「FLY ME TO THE MOON]、「I‘M COMING BACK TO YOU」など、唄われると、世の男性はコロッと行ってしまうだろう。

このレコードは、1963年の来日記念盤である。彼女は女優兼美人歌手で、どうやら天は二物を与えたようである。