想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

首相は大統領ではない

2016-05-31 11:58:31 | 政治

消費税の増税をなんと2年半も延期するという。
しかも、財政健全化目標は堅持するというから驚きだ。
到底達成できないだろうが、その時は、あくまで「目標」だったと言い訳するのだろう。
判断基準が、すべて自分の都合中心でなされているようだ。
選挙に勝ち、自分の地位を維持することだけが目的といえる。
多数をとっても、やるべきことをやらないのでは意味がない。
確かに、今の状況は増税できる状況にない。
もう1年延期したいというのなら是認できる。
財源なしで、子育て世代への対応はどうするつもりなのか。
子育て経験のない安倍にとっては、切実感はないのだろう。
重要なことが、ほとんど議論なしに決まる状況は恐ろしい。

お粗末な安倍の経済認識と言い訳

2016-05-28 11:35:29 | 政治

安倍は、「現状はリーマン級のリスクが懸念される」との理由で消費税の増税を延期する意思を固めたと報道されている。
都合のよい独りよがりの経済認識であり、参院選挙に勝ち長期政権とするためには、消費増税はマイナスとなるので延期するというのが本音であろう。
舛添の会見も言い訳ばかりだが、「アベノミクスが思ったほどうまく進んでいないので、残りの任期中に何とか良い方向へ持ってゆきたい。約束とは異なるが、財政再建にはしばらく目をつぶり、増税を延期して、経済を立て直したい。」と素直に説明したほうが受け入れられるだろう。
社会福祉費用の増大は想定以上だし、格差が広がり、必要性は増すばかり。
とはいえ、財政再建も見過ごせない。金利が上昇に転ずれば、ますます膨れ上がる。
情報公開して、国民に実体を見せることが第1歩であろう。

日本人横綱の期待とプレッシャー

2016-05-23 10:16:56 | スポーツ

大相撲5月場所は白鵬の全勝優勝で幕を閉じた。
今場所は稀勢の里の優勝と横綱昇進期待で満員御礼が続いたようだ。
それにしても、一度も優勝していないのに、横綱昇進が話題になるのは不思議だ。
横綱昇進の条件は、2場所連続優勝またはそれに準ずることのはずである。
先場所、同星での準優勝であったのなら、今場所優勝すれば、一応基準に達しただろう。
今場所優勝して初めて、来場所優勝、または準優勝すればと考えるのが普通だろう。
今場所13勝2敗の準優勝で終了したことで、いよいよ、来場所優勝すれば条件が整った。
相撲協会にすれば、これで来場所の満員御礼が保証され、大歓迎だろう。
あまり、日本人、日本人と騒がないほうが本人にとってもやりやすいだろう。

神戸散策

2016-05-20 17:24:57 | 旅行

神戸は、これまでにも行く機会はあったのだが、あまり出かけたことがない。
神戸まつりを見に行こうかと思ったが、5月15日は葵祭と重なったのでパスし、散策に出かけた。
神戸といえば、北野地区が有名で、今まで行ったことがないので、先ず、そちらへ向かった。
歩き始めたのは良いが、結構な坂道である。
この辺に住んで生活している人は大変だろうな。
神戸の異人館は、入館料が、500~800円なので馬鹿にならない。
維持費がかかるので、入館料は必要だろうが、少し高い気がする。
横浜の異人館は無料だったと記憶しているが・・・
狭い斜面の土地に、よくこれだけ建物を建てたものだと思う。
北野散策は、意外に時間がかからなかったので、昼食をとり、メリケンパークの方へ足を進めた。
阪神淡路大震災で崩れた湾岸が保存されていたが、街の中心街は復興したようだ。
潮風吹かれてのんびりしていたが、気持ち良いものだ。
日差しが強く、少し歩き疲れたので、早めに切り上げて帰途に就いた。

舛添よ、お前もか!

2016-05-17 13:49:43 | 政治

舛添東京都知事が、私用の費用に政治資金を流用していたことで謝罪会見を行った。
舛添、お前もかという気分である。
前知事が金の問題で辞職し、選挙で大勝しての思い上がりというより、これが舛添の本性かもしれない。
国会議員やどこかの県会議員と同じレベルの政治家ということか。
会見を見ていても、質問には応えず、反省の姿勢も感じられない。
多くの議員が同じことをやっているのにシマッタという程度なのだろう。
以前にも書いたが、政治資金規正法はザル法で、見つかれば修正すればよいという彼等には都合の良い法律である。
従って、道義的責任しか問いにくい。
本人は、東京オリンピックまで知事をやりたい様子だが、その任ではないようだ。
東京オリンピックといえば、誘致のために多額の不明瞭な金が使われていたようだ。
某評論家は、他の誘致都市もやっているというが、「皆で渡れば怖くない」と正当化できるのだろうか。