想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

南禅寺付近の散策

2019-10-22 08:02:23 | 旅行記

南禅寺付近は、大学時代、下宿からもさほど遠くなく、雰囲気が好きなので、時々訪れた。
デートでの、豊国神社から金地院と湯豆腐のコースが記憶に残っている。
彼女は、良いお婆ちゃんになっているのだろうか。
南禅寺の三門は、石川五右衛門の「絶景かな!」で有名だが、通常、三門の上へは登れなく、一度上から、京都の絶景を見て見たいと思っていた。
当日、運よく特別公開となっていたので三門の上へあがることが出来た。
ただ、とても急な階段で、これ以上歳を取ったら、断念せざるを得なかっただろう。
雨交じりの天気だったが、幸運にも、晴れ間が指してきた。
さすがの絶景である。
紅葉のシーズンだと、更に格別なのだろう。
天井の狩野探幽の図は覗けるものの良く見えなかった。
雨が降ったり止んだりで、時には強くなるので、方丈庭園と襖絵を鑑賞して想い出の金地院は次の機会にした。
やはり、京都の散策は良いものだ。

豊橋の炎の祭典を楽しむ

2019-09-17 09:25:19 | 旅行記

各地で花火大会が開催されるが、同じ花火でも、手筒花火は趣を異にする。
豊橋を中心にする三河地区では、昔から手筒花火が盛んであるが、これまで2人による手筒花火は見たことがあるが、本格的な花火大会を見たことが無い。
会場は豊橋市民球場で開催されたが、18人もの人間が一列に並び手筒花火に着火し、炎を上げる様は圧巻である。
手筒花火は、本来神社に奉納するものであり、このようなショーのような形は邪道かも知れないが、充分見ごたえはある。
ただ、地方の祭りに共通のようだが、御輿の担ぎ手が不足しているように、手筒花火も後継者不足で中止になる地区もあるようだ。
伝統をどう継承するかは難しい問題だ。

大学友人との1泊同窓会

2016-11-12 17:46:58 | 旅行記

11月の初め、大学の教養のときのクラスメイト7人で、静岡への1泊旅行をした。
前回は、2003年の11月に、2泊3日で奈良へ集まり、正倉院展と古寺を訪れ、旧交を温めた。
教養時代、試験が終わると、一緒に旅行をしたり、夏休みには、琵琶湖でキャンプをした仲間である。
前回から早や13年経ち、前回参加した9人のうちの二人が亡くなり、今回は7人となった。
東京と大阪の真ん中の静岡に正午に集まり、教科書で見た登呂の遺跡と久能山東照宮を訪れた。
観光にはとても不便であったが、好天に恵まれ、富士山も見ることが出来た。
こんなことでもないと、多分訪れることはないだろう。
駅前のホテルのレストランで夕食をしながら、談笑した。
翌日は、清水を訪れ、世界遺産になった三保の松原を訪れたが、風は強いが霞んでおり、富士山の雄姿を見ることは出来なかった。
次郎長の生家他、街をぶらぶらして、ランチ・クルーズを楽しんだ。
帰宅時に、JRの事故に遭遇したが、ほぼ予定通りに帰宅した。
次回は何人が元気で集まれるだろうか。

JR事故とリスク管理

2016-11-08 20:14:06 | 旅行記

大学時代の友人たちと久しぶりに1泊同窓会旅行に出かけた。
プランより1時間ほど早く、帰路に着くべく清水駅に着いた。
東京組は、東海道線で三島へ出て新幹線に乗るか、静岡へ戻り新幹線に乗る方法がある。
料金は前者の方が安いが、ひかりの連絡があれば、後者の方が早い。
ホームで待っていると、4分ほど前に、隣駅との間で人身事故が発生したとの放送である。
さて困った。
駅員に聞いても、状況は全く判らないという。
警察の検証等を考えると、とにかく静岡駅へ戻ることを考えるべきと判断した。
① 代替輸送はやらない。
② 清水駅から静岡駅行きのバスはない。
③ 私鉄があり、新清水から新静岡へ行けるが、JRとは駅が離れている。
とにかく、③を選ぶのが最善と判断した。
情報は我々が1番早く、まだ混乱していないので、すぐタクシーで新清水駅へ向かった。
新清水から新静岡までは予想外に時間がかかった。
新静岡へ到着したら、ひかりの発車まで15分しかない。
徒歩で10分ほどというが、初めてのところでは難しいかなと話していると、地元の人が、自分もJRへ行くので一緒に行きましょうと声をかけてくれた。
最短の近道を通って、無事静岡駅に着き、ギリギリでひかりに乗車できた。
結果的には、ラッキーなことに当初のプランとあまり変わらずに帰宅できた。
運行再開までに1時間半以上かかったようで、即、判断しなかったら、帰宅は随分遅くなっていたようだ。
事故時の対応の良い経験をした。

55年ぶりの宇治散策

2016-05-13 19:59:09 | 旅行記

55年ぶりに宇治を散策した。
宇治は大学に入学して、1年間、宇治分校に通う間、下宿していたところである。
京阪宇治駅に降り立ち、多分この方向だったと歩き始めたが、目印となる縣神社に中々たどり着かない。
こんなに遠くなかったと、尋ねると、一筋通りが違っていたようだ。
50年以上経っているので、様子が変わっているのは当然であるが、記憶も曖昧になっているようだ。
(帰りに良く見ると、大きな鳥居と縣神社の標識があった。)
下宿の跡は、ほとんどの家屋が様変わりであったが、縣神社前の宇治茶の店は残っていた。
下宿から大学まで、毎日、往復4キロほど歩いていたようだ。
久しぶりに、平等院を訪れたが、運悪く修学旅行の生徒の団体にぶつかった。
残念ながら、昔、人のいない夕暮れ時に訪れたときの印象とは様変わりである。
しかし、「鳳翔館」ができ、展示物はとても見やすくなっている。
その後、宇治川河畔を宇治神社、宇治上神社他を散策し、昔を懐かしんだ。
天候に恵まれ、良い1日を過ごすことが出来た。