想い出の小箱Ⅱ : 徒然草子

日常生活の中で感じたことを、徒然なるままに記述する。
OCNブログ人「想い出の小箱:レコード・コレクションからの続き。

The Duke plays ELINGTON (PRP-24)

2010-11-17 15:16:14 | インポート

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このレコードはキャピトル・ジャズ・アイテム・シリーズの特典レコード(非売品)で、このレコード欲しさにシリーズを購入して入手したものである。

デューク・エリントンは1964年と1966年に来日しているが、ジャズ・ファンとしては、絶対聴き逃せないジャズの巨人であり、もちろん、何をさておき聴きに行った。

 ビッグバンド・ジャズの生演奏は、レコードでは味わえない迫力がある。

 グレン・ミラー・サウンドは、グレン・ミラーが死んでも、グレン・ミラー・オーケストラにそのサウンドが忠実に引き継がれているが、エリントン・オーケストラの場合は、難しいのではないかと云う気がする。

 尤も、エリントンの名曲は、演奏にかかわらず、生き続けるであろう。

1966年の来日直前に録音されたのが、下の写真の「ポピュラー・デューク・エリントン」(SHP-5585)で、来日時の演奏を偲ぶことができる。

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THE VERY BEST OF Continenental Tango (SLPM-1276)

2010-11-14 10:35:55 | インポート

アルフレッド・ハウゼ楽団

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大連で生まれた私は、終戦後の引き揚げまで、父が勤める満鉄の社宅で育った。「アカシアの大連」という本があるが、素晴らしい街であった。

今から思えば、一種の特権階級であったのだろう。恵まれた生活だったようだ。

3歳頃から、蓄音機でレコードを聴いていたようで、「小さな喫茶店」や「マリネラ」のメロディを子供心に覚えている。

「さくら、さくら」の幼児向けのレコードを求めて、連鎖街(大連で最も賑やかな商店街)のレコード店を探し歩いた話は、何度も聞かされたものだ。

終戦後、日本へ引き揚げてきてからの生活では、大連ヤマトホテルの舞踏会で、「奥様お手をどうぞ」の曲にのって、タンゴを踊っている母の姿はとても想い浮かばない。よき時代だったのであろう。

大連の市街図

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RUSSIAN FOLK SONNGS DELUXE (SWG-7005)

2010-11-10 17:09:36 | 音楽

ロシア民謡のすべて

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大学に入学した昭和35年は、学生運動の盛んな時期であった。いわゆる「全学連」の全盛期である。「破防法反対」、「安保改定反対」とデモに参加したものだ。

少なくとも、当時の学生には「我々には世の中を良くする責任がある」といった気概のようなものがあったような気がする。

京都には、昔から学生を大事にする気風があるが、学生にもその期待に応えようという気持ちが生ずるのかもしれない。

道路の両端で、市民が学生のデモ行進を拍手して迎えるといった光景も度々あった。

円山公園で約一万人の聴衆を静まらせた北小路(委員長?)に感心したのを覚えている。

デモの時に皆で歌ったのが、革命歌「インターナショナル」や「エルベ河」と云ったロシア民謡であった。

ロシア民謡は、この頃から、「歌声喫茶」の全盛時代とともに、大流行することになる。

この頃のソビエト映画に「人間の運命」、「誓いの休暇」と云った名作がある。

ソ連には、第二次世界大戦終戦後、家の前に3日3晩、進駐してきた多数の戦車の怖い印象が残っているが、文化的には、文学、音楽、映画、美術館ほか魅力的なものがいっぱいある。

ロシア民謡に心が安らぐのは、童謡と共通するものがあるからだろうか。


SWING CLASSICS LIONEL HAMPTON (VICTOR RA-5044) 

2010-11-06 11:44:02 | インポート

ジャズの巨匠シリーズ NO.4

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 このレコードは、ライオネル・ハンプトンの1937~1940年のスイング時代の古典的名演集である。

 1963年に来日、楽しみにしていたが行けず、いまだに残念に思っている。

 当時、「グッド・サマリタン・クラブ」というクラブに所属し、無料で外国人のガイドをしていたため、他のメンバーとの調整がつかず、諦めざるを得なくなった。

 ガイドで同行した祇園の「都おどり」を観ながら、本当は今別のところにいるはずだったのにと思ったものだ。

 しかし、折角、京都で過ごしているのだから、一度くらい、「都おどり」を観ておかなくてはとも思っており、タダで観る機会を得たのだから、文句を言うのは、贅沢かもしれない。

 映画「ベニー・グッドマン物語」のあの愛嬌のあるヴァイブラフォンの演奏は、是非、生で観たい一人である。

 1982年に再来日したが、サラリーマンの悲しさ、出張でまたも諦めざるを得なかった。なんと運の悪いことよ。


EL REY DEL ESTEREO (Victor SHP-5334)

2010-11-03 10:56:41 | 音楽

これぞステレオ・タンゴ : ファン・ダリエンソ楽団

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当時人気を二分していた巨匠、アニバル・トロイトに続き、ステレオLPの第2号「ファン・ダリエンソ・フォ・エクスポート」が北米市場のために企画され、1964年、日本でも発売された。

タンゴ・ファンにとって、ステレオでタンゴを聴けることは、永年の夢で、ダリエンソも7年間、レコード録音をしていなかった。それだけに、このレコードは、タンゴ・ファンにとって、待望のものでした。

名曲「ラ・クンパルシータ」は、100をはるかに超えるレコードがあるようですが、ダリエンソの演奏は、間違いなく、最高の一つでしょう。

ダリエンソ楽団は、人気NO.1でしたが、ダリエンソが飛行機嫌いということで、来日は実現しませんでした。

それが実現し、1968年10月、大阪厚生年金会館での公演に行きました。その時のチケットの半券が残っていました。(メンバーに飛行機嫌いのダリエンソの名はありません)

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