アルフレッド・ハウゼ楽団
大連で生まれた私は、終戦後の引き揚げまで、父が勤める満鉄の社宅で育った。「アカシアの大連」という本があるが、素晴らしい街であった。
今から思えば、一種の特権階級であったのだろう。恵まれた生活だったようだ。
3歳頃から、蓄音機でレコードを聴いていたようで、「小さな喫茶店」や「マリネラ」のメロディを子供心に覚えている。
「さくら、さくら」の幼児向けのレコードを求めて、連鎖街(大連で最も賑やかな商店街)のレコード店を探し歩いた話は、何度も聞かされたものだ。
終戦後、日本へ引き揚げてきてからの生活では、大連ヤマトホテルの舞踏会で、「奥様お手をどうぞ」の曲にのって、タンゴを踊っている母の姿はとても想い浮かばない。よき時代だったのであろう。
大連の市街図