「あほリズム」(852)

2021-08-22 21:55:16 | アフォリズム(箴言)ではありません

   「あほリズム」

 

     (852)

 

 もはや新型コロナウイルスのパンデミックを終息させるためにワ

クチンによる集団免疫を目指すよりも、いっそのこと全国民が感染

してしまった方が手っ取り早くないか。

 コロナウイルス みんなで感染すれば 怖くない   ケケロ

 


「あほリズム」(851)

2021-08-22 04:37:31 | アフォリズム(箴言)ではありません

   「あほリズム」

 

    (851)

 

 香港が中国共産党によって民主的な自治を奪われて以来、ミャン

マー、ベラルーシ、アフガニスタンと世界の政治体制は立て続けに

非民主化へと傾いている。もはや民主主義は人々に夢と希望を与え

る政治体制ではなくなってしまったのだろうか?すでに世界の人口

は80億人に達せんとして、しかしそれを養う大地は太古より限ら

れている。にもかかわらず全世界の人々が挙って近代生活の豊かさ

を求めれば地球を増やすか人間を減らすしか方法はない。もちろん

地球は増やせないとなれば人間を減らすしかない。そして人間を減

らすには戦争が最も合理的である。ところで、「民主的平和論」と

いうのがあって、それは「民主主義国同士は戦争はしない」という

命題で、18世紀末のドイツの哲学者イマニュエル・カントが論じ

たのだが、もしそれが正しければ、非民主化の流れは人間を減らす

ための戦争の準備なのかもしれない。


「あほリズム」(850)

2021-08-20 00:20:00 | アフォリズム(箴言)ではありません

  「あほリズム」

 

   (850)

「世界とは〈生成〉である」(ニーチェ)とすれば、〈生成〉とは

「変動」する世界であり、そして人間とは〈生成〉にほかならない

とすれば、〈生成〉としての人間の性別(gender) が「変動」(trans-)

 することに、つまりトランスージェンダー(trans-gender)に何の不思

議もない。ジェンダーギャップは〈固定化〉した性観念から生れる。

 

 

 


「あほリズム」 (717)再載

2021-08-16 08:07:44 | アフォリズム(箴言)ではありません

  「あほリズム」再掲載     2020-08-15 11:16:45投稿

 

   (717)

 

 そもそも閣僚が靖国神社を参拝しようが、それを他国からとやか

く言われる筋合いはないというのはもっともなことだが、ただ、決

して忘れてはいけないのは、かつて日中国交正常化交渉(1972年

9月)において、故 周恩来首相が日本に対して戦争の「賠償請求の放

棄」を認めたのは、『「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主

義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分

断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共

同声明を実現させた。』(ウィキペディア『日中国交正常化交渉』)

からであって、ところが、喉元の短い我ら大和民族は過ぎ去った熱

さをすぐに忘れて、1978年にいわゆる東京裁判において処刑さ

れたA級戦犯、つまり「日本軍国主義」の指導者たちが、「日本人

民」である英霊が眠る靖国神社に合祀されたことによって「周恩来

の遺訓」(保阪正康)は踏み躙られ、

https://home.hiroshima-.ac.jp/utiyama/ISIS-12.3.W.html

「未来志向」のロジックは忘れ去られた。つまり中国からすれば、

その経緯を蔑ろにしているのは日本側であって、以来、彼らは日本

軍国主義者(A級戦犯)が合祀されている靖国神社への閣僚の参拝を

非難しているが、我々は何故彼らがそんなことにまで干渉するのか

さえ解らない。私から見れば、中国の反発は尤もように思えるが、

さらに言えば、「台湾は中国の一部」であることも二国間で合意さ

れている。

 果たして、我々はこの約束を守れるのだろうか?

 

  追稿  2021年8月15日

 戦後わが国の主権者は「日本人民」に変わり、その代表である代

議士が「日本軍国主義」者が祀られている靖国神社への参拝を行な

ということは、「日本人民」がそれを支持したということにほか

ならない。国政府からすれ、日本人民は国同士の約束を守らな

嘘つき」の人民ということになる。いずれその不信感はわぬ

ところで報復されるが、我々は何故彼らが日本人民に敵対するのか

さえ解らず、ただひどい国だとしか思わない。                   


「二元論」 (16)のつづき

2021-08-16 04:45:44 | 「二元論」

   「二元論」


    (16)のつづき


 ハイデガーが〈現存在(人間)は存在を規定する〉という存在概念

によって、つまり「人間が世界の主体である」という了解の下で、

もう一度〈世界=生成〉という自然観を取り戻そうとして文化革命

を掲げるナチス・ドイツに積極的に加担したが、しかし、転回(ケ

―レ)後も消極的ではあれ、また存在概念はどうであれその目指す

世界観は一貫して変わらなかった。ただ、時代は「世界は人間のた

めにある」と言わんばかりの科学革命が全盛で、始原の復権を訴え

るハイデガーは「何がなしうるのか」と自問して、「失われた存在

を追想しつつ待つことだけだ」(木田元)と自答するしかなかった。

あれからおよそ百年を経て、グローバル化した世界の下で八十億も

の現存在(人間)が近代生活を求めて蠢き合い、その結果、生存環境

が破壊され「成長の限界」に達して、もはや人間中心主義(ヒューマ

ニズム)的文化の終焉に怯えて立ち尽しているところに、待ち続けて

いたハイデガーの姿が現われた。

                           (つづく)