「二元論」
(13)
さて、時間とは絶対的基準ではないことが確認できたことで、つ
まり人間の時間性に企投された「存在とは時間である」ことが納得
できたことで、再び本論である「二元論」へと戻ろうと思いますが
、そもそも動く生命体である「動物」としての人間は、もちろん高
度の記憶能力を持ち合わせた上でのことですが、過去と未来、上と
下、右と左、善と悪、精神と物質などなど、究極的な選択の前後に
は必ずもう一つの背反する選択肢が意識される二元論が現われる。
そして初期のハイデガーもまた、存在と人間の関係において、人間
が「存在を了解する」のであるから〈現存在(人間)が存在を規定する
〉、つまり人間が世界を作り変えることは認められると考えて、明
らかに行き詰まりにきている人間中心主義的(ヒューマニズム)文化、
それはギリシャ古典時代に端を発する〈存在=現前性=被制作性〉と
いう存在概念によって構築され、自然を制作のための単なる〈材料・
質料〉と見る近代科学主義をくつがえそうと考えたが、背反するもう
一つの存在概念、〈存在が現存在(人間)を規定する〉という概念が次
第に頭をもたげ「思索の転回(ケ―レ)」を余儀なくされる。
(つづく)