「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十五)

2012-07-11 17:10:23 | 「パソコンを持って街を棄てろ!」(三十一
           (三十五)
 
 
 この頃同じ夢を良く見る、裸のまま宇宙空間を漂っている夢だ。
 
もちろん生きていられないが、夢だからそんな事は構わない。ただ
 
、凄く気持ちがいい。無重力宇宙では当然空気が無いので、手足を
 
動かしても抵抗が無く徒労に終わる、寝返りすら思うようにできな
 
いない。否、上も下も無いので寝返りする必要もないが、地上を失
 
った身体はまったく役に立たない。我々は地球でしか生きれないの
 
だ。身体の機能が役立たなくなれば意志もその意味を失う。やがて
 
精神は死と共に消滅するだろう。肉体は精神に先行するのだ。いや
 
待てよ、意味を失った肉体に宿る私の精神こそが、もしかして純粋
 
な精神と言えるのではないか?もはや我が精神は意志を諦め、意志
 
は身体の支配を放棄する。こうして自由を失った、否、自由を得た
 
、あれどっちだ?精神は身体性を離れて自我そのものに還る。「他
 
に何も要らない」私は私で在ることに幸福を感じる。これを私は絶
 
対幸福と呼ぶ。
 
 はて、それでは身体性を高めるということは、精神性を失ってい
 
く事なのか?きっと我々は重力に邪魔をされて精神を見失うのだ。
 
もし我々が精神を語るならば、重力の在るところで語ってはならな
 
い。何故なら重力は精神に作用が及ばないが、その精神が宿る身体
 
は重力に委ねられているからだ。大地にへばり付けられた身体で精
 
神を語っても我々はきっと間違うだろう。我々の精神はあまりにも
 
身体に影響されている。つまり、宗教や民族や国家や風土や歴史や
 
血縁や年齢や性別などに惑わされてはならない、そんなものは我々
 
の身体が恐怖に負けて創り出した過去の柵(しがらみ)だ。精神と
 
は存在を拒むのだ、それは光に似ている。光の後を辿っても痕跡な
 
ど見い出せないように、いくら過去を辿っても精神を手に入れるこ
 
となど出来ないだろう。つまり、坂本竜馬の精神を知ったからと言
 
っても、我々は坂本竜馬のようには生きられないのだ。精神とは今
 
この時に私に起こることで、記憶に閉じ込めた途端に色褪せるのだ
 
 
 やがて漆黒の闇を漂う私の視界に青き地球が現れて、その美しさに
 
魅せられていると地球への郷愁に耐えられなくなって、私は大声を上
 
げて叫びながら、陸に釣り上げられた魚のように手足をバタつかせて
 
地球への帰還を果たそうとした。するとそれが効を奏したのか、好転
 
する地球が見る見る近づいて来て、ついには地球の重力圏に絡まった
 
。私は安堵して思わず屁が出た。すると歪な肛門から右側へ漏れた屁
 
の為に、私の身体は左側へ何度も寝返りを繰り返して、ベッドから転
 
がり落ちて目が醒めた。
 
「ふあぁーっ、 仕事かったるぃ―」                 
 
                     (つづく)


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