(三十五)
この頃同じ夢を良く見る、裸のまま宇宙空間を漂っている夢だ。
もちろん生きていられないが、夢だからそんな事は構わない。ただ
、凄く気持ちがいい。無重力宇宙では当然空気が無いので、手足を
動かしても抵抗が無く徒労に終わる、寝返りすら思うようにできな
いない。否、上も下も無いので寝返りする必要もないが、地上を失
った身体はまったく役に立たない。我々は地球でしか生きれないの
だ。身体の機能が役立たなくなれば意志もその意味を失う。やがて
精神は死と共に消滅するだろう。肉体は精神に先行するのだ。いや
待てよ、意味を失った肉体に宿る私の精神こそが、もしかして純粋
な精神と言えるのではないか?もはや我が精神は意志を諦め、意志
は身体の支配を放棄する。こうして自由を失った、否、自由を得た
、あれどっちだ?精神は身体性を離れて自我そのものに還る。「他
に何も要らない」私は私で在ることに幸福を感じる。これを私は絶
対幸福と呼ぶ。
はて、それでは身体性を高めるということは、精神性を失ってい
く事なのか?きっと我々は重力に邪魔をされて精神を見失うのだ。
もし我々が精神を語るならば、重力の在るところで語ってはならな
い。何故なら重力は精神に作用が及ばないが、その精神が宿る身体
は重力に委ねられているからだ。大地にへばり付けられた身体で精
神を語っても我々はきっと間違うだろう。我々の精神はあまりにも
身体に影響されている。つまり、宗教や民族や国家や風土や歴史や
血縁や年齢や性別などに惑わされてはならない、そんなものは我々
の身体が恐怖に負けて創り出した過去の柵(しがらみ)だ。精神と
は存在を拒むのだ、それは光に似ている。光の後を辿っても痕跡な
ど見い出せないように、いくら過去を辿っても精神を手に入れるこ
となど出来ないだろう。つまり、坂本竜馬の精神を知ったからと言
っても、我々は坂本竜馬のようには生きられないのだ。精神とは今
この時に私に起こることで、記憶に閉じ込めた途端に色褪せるのだ
。
やがて漆黒の闇を漂う私の視界に青き地球が現れて、その美しさに
魅せられていると地球への郷愁に耐えられなくなって、私は大声を上
げて叫びながら、陸に釣り上げられた魚のように手足をバタつかせて
地球への帰還を果たそうとした。するとそれが効を奏したのか、好転
する地球が見る見る近づいて来て、ついには地球の重力圏に絡まった
。私は安堵して思わず屁が出た。すると歪な肛門から右側へ漏れた屁
の為に、私の身体は左側へ何度も寝返りを繰り返して、ベッドから転
がり落ちて目が醒めた。
「ふあぁーっ、 仕事かったるぃ―」
(つづく)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます