「アケオメ」

2012-01-04 01:31:28 | 赤裸の心



                 「アケオメ」


 遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

 しばらく小説から離れていましたが、それは一度書いたものを原

稿に起こそうと思ったからで、ところが、それが間違いだった。自

分の書き残した文章を再び目を通すことの恥ずかしさに耐えられな

くなって、何度もペンではなくキーボードを折ろうと思いましたが、硬
 
くて出来なかった、てなことを後になって読み返すと、それは、かつ
 
て自分が排いた糞便を、誰かがわざわざ拾ってその日付まで付して
 
送り届けてきたような腹立たしささえ感じた。(ああ、これも・・・)つま

り、過去にこのブログに記した「私」とは、決して今この文章をキ

ーボードで打っている「この私」のことでないことを分って頂ける

だろうか?三年前の「私」は今の私ではありません。それは「三年

前の私」なのです。このようにして、主体を言い表す「私」という

同じ言葉でさえも、厳密には私自身を正しく捉えることが出来ない

のに、どうしてそんな言葉を使って正しく世界を語ることが出来る

でしょうか。つまり、世界は常に変化しているのに言葉はそれに応

じて変化してくれません。正鵠を射た言葉を再び同じように射ても、

白鳥は射られるために再び同じ処へは飛んで来てくれないのです。

過去の「私」が残したものを今の私が認めたくないとすれば、今の

私が信じていることも何れ怪しくなってしまうかもしれません。世間

ではそういう徒を「嘘つき」と呼びますが、そもそも、言葉とは変化

を捉えることが出来ないのです。前に言葉足らずで、「言葉なんて

信じちゃいけない」と記しましたがそういう意味からです。

 話が逸れましたが、そういう訳で時間があれば原稿用紙を汚す日

々ですが、実際、しばらくペンを持たないでいるとこんなにも間違

うかというくらい間違いますし、更には自分の拙文に落ち込み再び

書き直して、こんなことならPCなんかに残さないで始めから新た

に小説を書けばよかったと後悔してしています。すでに書き損じた
 
原稿の方が遥かに多くなってしまいました。ただ、「私」は、これか
 
らはITから新しい小説が生まれるだろうと思っていたので、こんな
 
にも空振りするとは思いませんでした。それは、もちろん私の小説
 
が拙いことを認めてことですが、IT文化さえも所詮仲間内でしか共
 
有しようとしない蛸壺文化そのものではないかと気付きました。そ
 
れは排他的で当たり障りのない同じような御追従のコメントばかり
 
が交わされて、異論を挟むことさえ憚られ、例えば、原発賛成派の
 
者は反対派のログにコメントすることさえ憚れ、「いいね!」「いいね
 
!」と言う者ばかりが集まっても議論にもならない。しかし、実際の社
 
会では賛否が渦巻いていると言うのに。つまり、我々は向こう三軒両
 
隣を失ったから仕方なくITにその肩代わりをさせているだけではない
 
だろうか。それなら、ITなどに頼らずにもう一度ご近所との付き合いを
 
取り戻した方が無縁社会と呼ばれる地域社会を少しは再生させるこ
 
とに繋がるのではないだろうか。

 おっと、話がまた逸れましたが、そういう訳で、私は書き上げた

小説をリメイクして仕方なく既存のオーソリティーに委ねるべくせ

っせと書き殴っている次第です。もちろん、すでにブログに於いて

結果は出ているのですが、それでも諦め切れない執筆する者の業か

もしれません。

 以上が私の近況を伝えると同時に、年越しの愚痴を新年の始めに

吐き出してスッキリして、新しい年を再び有る事無い事を記してこ

れまで通り時を潰すつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。

                      
                                 ケケロ脱走兵



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