「われわれは近代に飽いてしまったのだ」
原発を全停止した場合に電力供給不足が起こると言われるが、私
はそうはならならないと思っている。電力不足が起こるのは日本経
済が今のまま横ばいで推移するか若しくは急成長する場合であるが、
そのどちらも難しいと思っているからだ。今や株価はダウ平均で九
千円を行ったり来たりしていて、戦後、日本経済が九千円を超えた
時代は1970年代の初めだった。そこ頃、日本経済は高度成長の
端緒にあって連日のように史上最高値を付けていた。しかし、最早
再び株価が史上最高値を付けるようなことは起こらないだろう。そ
れは数値だけのことを言っているのではない。経済そのものが右肩
上がりになることはないと思っている。もちろん、株価だけで推測
することは乱暴なことは承知しているが、1970年頃の電力消費
量は大体現在の半分程度に過ぎなかった。原発推進派の人々は今の
経済を維持されることを前提にしているが、それはどうも怪しい。
何故なら円高によって製造業は国外へ流出し、国内経済は少子化が
加速して消費が落ち込み、恐らく、GDPは半減と言わないまでも
これまでのような成長は難しいに違いない。つまり、経済が落ち込
んで電力消費量そのものが減少するのだ。
私は、製造業の海外移転は致し方なしと思っている。国内で利益
が生まれなくなったのは、実はすでにそれらは国内では斜陽化して
いるからなのだ。さらに、少子化も経済的には問題かもしれないが、
そもそもこの小さな島嶼国に一億二千万人の人口は多過ぎると思っ
ている。ちょうど半分の六千万人くらいが適正ではないか。もちろ
ん、それらは経済にとっては大きなマイナスではあるが、分母の減
少が多少はそれを補ってくれるだろう。70年頃の暮らしは今と比
べてみればもちろん見劣りはするが、しかし、そんなに貧しいとい
うほどの暮らしではなかった。それどころか、貧富の格差も今ほど
ではなく地域には人の繋がりがあり社会との縁を実感することがで
きたし、競争社会ではあったが経済が全てではなかった。それを「
安定化する」というなら、われわれのこれまでは常に驚異的である
ことが望まれ不安定な時代だったのだ。
私は、たとえ経済が落ち込んで原発が無用の長物になったとして
も、この国の人々は決して不幸にはならないし、それどころか、今
の消費社会とは違う自然回帰によってもたらされる新しい文化や生
き方が生み出されてくるものと確信している。 実はもう、われわ
れは近代という遊びに飽いてしまったのだ。
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