「リーダー無用論」

2011-10-07 06:00:44 | 「パラダイムシフト」

 
                「リーダー無用論」                


 閉塞感の表れからか頻りにリーダー待望論が叫ばれるが、わたし

はちょっと違和感を覚える。たとえば、先進国の何れのリーダーを

見ても国民から強い信頼を得て揺るぎない自信を持って国難を乗り

越えんとしている指導者が果たしてどれ程居るだろうか?何れも閉

塞状況の中で進むべき道を見出せないでいるのではないか。では遡

って、経済が成長し従って雇用が安定し消費が伸び、誰もが繁栄を

享受できた時代の指導者は、偏にそのリーダーシップによって国家

の繁栄を築き上げてきただろうか。つまり、権力者のリーダーシッ

プが新しい時代を生むのではなく、閉塞状況こそが「リーダー待望

論」を叫ばせているのだ。こうしてリーダーの不在は何時も停滞し

た状況の後から声高に叫ばれる。ということは、リーダーが存在し

ないのではなく、如何なるリーダーであっても克服できない不確か

な状況こそが存在しているのだ。更に言えば、時代の先行きが誰に

も読めなくなって、今日決めたことが明日には無意味になる程の激

しい変化に晒され、「朝令暮改」さえも致し方なく、もはや如何に

有能な権力者であっても進むべき道は見えてこないのではないだろ

うか。つまり、「誰がやっても一緒」という国民の声は的を射てる。

 わたしは、今こそ国民は強いリーダーを待ち望むのではなく、こ

の不確かな時代をしっかりと把握して、それぞれが厳しい状況を共

有して耐え凌ぎ、では、自分たちには何ができるのかと問うべきで

はないだろうかと思います。敢て言えば、われわれは「リーダー無

用論」を叫ぶことこそがこの閉塞した時代を転換させる契機を生む

のではないでしょうか。つまり、権力者に頼らず、今こそ国民一人

一人の不羈独立の精神こそが求められているのではないでしょうか。


 「国があなたのために何ができるかではなく、

  あなたが国のために何ができるか、問いかけてください。」
                                  
     (ask not what your country can do for you ,
      ask what you can do for your country.)
                                     
                   ケネディーの言葉より

                                (おわり)

 

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