「自分自身のための覚書」
⑤
アメリカの凋落は彼らが自分たちの音楽を失ったことから始まっ
た。失ったと言うより生み出せなくなってしまった。音楽はそれぞ
れの心に届いてその共感が社会的な連帯感を生む。アメリカ合「唱」
国はこれまでもその時代に相応しい音楽への共感を通して連帯して
きた。詳しく歴史を辿るつもりはないが、ジャズと聖歌のリズムと
メロディーの流れはロックンロール、カントリー&ウエスタンを生
み、それぞれはロック・ミュージック、フォークソングをもたらし
た。そして、何時でも聴ける装置の開発によって、遂に彼らは音楽
がなければベットから抜け出すことさえ出来なくなってしまった。
経済大国アメリカを底辺で支えていたのは実は音楽なのだ。
ところが、人々の心を捉える音楽はそれほど簡単に生み出される
わけではない。反して、同じ音楽を何度も聴かされると感動どころ
か倦厭を感じるようにさえなる。ところが、その何度でも聴ける装
置の開発によってリスナーの音楽への倦厭が早くなってしまった。
私は何時も車の中でシューベルトの「The Great 」のCD
をかけているが、それは丁度一時間ほどの展開がドライブには持っ
てこいで何度聴いても感動するが、それでも何時もそればかりだと
遂には飽いてしまう。余談ですが、シューベルトはこの曲を余命幾
ばくもない時期に作ったのだが、実際は生きているうちに一度も演
奏されることはなかった。後年、シューマンによって発見されて、
その楽譜を見たシューマンが感動のあまり「グレート」と言ったの
でその名が付けられた。とは言っても、何時もだと飽いてしまう。
そもそも我々はそんな風に日常的に音楽に接することなどなかった
のだ。音楽というのは我々の日常を転換させ本来性を目覚めさせる
ものだったのだ。ところが、近代文明は音楽を日常化させてしまっ
た。こうして、生み出された新曲は次から次に聴き捨てられ、遂に
は人々を驚かせる新しい音楽は生まれなくなった。何れも同じシス
テムで大量生産された模倣曲ばかりで人々の心に届いた瞬間に飽き
られた。オーディオ機器の技術革新は音楽の普及に貢献したが、同
時に普及によってもたらされる衰退にも貢献したのだ。
音楽に限らず美術や文学でさえも、芸術を生むことは自然の生成
に似ていて、我々は自然に作用することはできても生むことはでき
ないように、こうすれば人々を感動させることができるという理論
化された概念からは生まれない。「こうすれば売れる」と解った時
はもう手遅れなのだ。何故なら、われわれは常に概念の外にだけ新
しい驚きを求めているからだ。ロック・ミュージックの誕生と同時
にそれに対する倦厭は始まっていた。ただ、新しい驚きが倦厭を凌
駕していたが、録音再生技術の発達がその展開を早めてしまった。
だから、そういう理論化された概念から人を驚かせるような新しい
芸術は生成されない。むしろ、新しい芸術はそういった既知の概念
を破壊するために既知の外から、つまり、「既知外」から萌え出て
くるのだ。
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