Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

オフ会

2005年04月30日 16時05分37秒 | others
 ネットに長いこと生息していると、たまにオフ会というものが開催される。知っている方も多いと思うが、通常ネット上でのオンラインでのコミュニケーションに対し、オフラインで直接会って、やりとりをしようということから、オフと名付けられている訳である。大体、オフというものはそもそも趣味や気の合う連中が集まるものだがら、最初のうちはお見合いの如くモジモジしたりしているのの、やがて話がすいすいと流れ始め、一時間もすれば旧知の仲のように親しくなる....というパターンが多いのではないか。まぁ、少なくとも私の場合はそうである。

 ネットはテキストによるコミュニケーションが主体である。我々は通常のコミュニケーションは全てこれで事足りると思いがちだ。ところが、オフ会などで実際にいろいろな方を会って話をし、表情や口調を交えてコミュニケーションをすると、いつも当たり前のように使っているテキストというものが、実はいいたいことを半分も伝えられない甚だ不完全なコミュニケーションの道具であることを、痛感したりしてりもする訳だ。オフ会というものがうまくいくと、その後、オンラインの交流というは、次のオフ会までの繋ぎみたいになってしまうことも多い。それだけ濃密なコミュニケーションができるということなのだろう。

 実は昨晩、都内の某所で音楽関係のオフ会が突発的に敢行された。某関西地区から参加される方がいるというので、ちょい顔見せ程度のノリで参加したのだったが、GWという開放感なのか、麗しい女性が2名も参加したことで悪ノリしたせいなのか、結局、夜通し新宿や渋谷を徘徊し、私のオフ会史上でも珍しく、始発電車で帰途につくという事態となった。
 それにしても、新宿で夜明かしするなんて、何年ぶりだろうか。20年ぶりくらいかもしれない。明け方近くの西新宿~大久保近辺は、24時間眠らない歌舞伎町あたりと違って、ちょいと時間の止まったような、そこはかとない薄明感のようなものがあるのだが、久しぶりにそうした感覚が味わえて、なんか20代の頃にロックやジャズ喫茶で夜通し語り明かした頃に戻ったような、懐かしいものを感じた。


 ※ 写真は本日の始発時でとった新宿駅某番線の光景である。断じていうが、柱に寄りかかって眠っている人間は私ではない(笑)。
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ブラームス交響曲第1番/ミュンシュ&パリ管

2005年04月29日 01時17分02秒 | ブラームス
 ブラームス交響曲の第1番といえばこれ!、というくらいに有名な名盤です。最晩年のミュンシュが創設間もないパリ管を率いて(68年)、並のドイツ・コンビの演奏より数段ドイツらしく、かつエキサイティングにブラ1を演奏したということで、私がクラシックを聴きまくっていた80年代頃は、揺るぎない名盤として評価を得てました。

 ブラームスの1番でクラシックに本格的に開眼した私としては、それほどの名演ならば....と、80年代のある時、レコードを買い込み、勇躍しながら聴き初めてた訳ですが、実はあまりピンときませんでした。フルトヴェングラーじゃあるまいし、テンポ動かせばいいってなもんじゃねぇだろっ!てのが第1印象、次にオケのアンサンブル、特に金管と弦のばらけたようなところが私の思い描いているブラームス像とはちょっと違うかなというのが第二印象という具合で、ようするにけっこうな違和感を感じたんですね。なもんで、この演奏はいつからともなくお蔵入りになって、結局CDに買い替えることもなかったんです。

 で、あれから約20年。先日、Artによるリマスタリングで再発されたこのCDを中古でめっけたので、さすがに前とは印象も違うだろうと、妙な期待感を胸に、再び購入してきた訳ですが、ちょっとえげつないくらいに盛り上がってとるなぁ....という感はありますが(笑)、あの時感じた違和感のようなものはほとんど感じないのは、なんとも妙なる感じです。特に第1楽章は一気呵成な勢いというのとはちょいと違いますが、苦悩の底で壮絶に格闘しているのを目の当たりにしているみたいな不気味な迫力と推進力を感じますし、第4楽章のアレグロに入るまでの長~い序奏部?のところではじらしにじらし、本編に入るとコーダに向かって雪崩れ込んでいくような気迫など、評判通りの壮絶なもので聴き応え充分でした。

 それにしても、なんで私はあの時この演奏に、あんなにも違和感を感じたんでしょうね。インテンポで堅牢なブラームスばかり聴いていて、そのイメージがどうも固まりすぎていたんですかね。確かにこの演奏、フルトヴェングラーばりに古式ゆかしい熱狂がありますから....。そうえば、ライナーにちょっと目を通したところ、解説は宇野氏で、相変わらずの熱狂的な賛辞が連打されてました。お懐かしや(笑)。 
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ロッシーニ序曲集/トスカニーニ&NBC SO

2005年04月28日 23時59分59秒 | クラシック(一般)
 アバド&LSOのアルバムを聴く前にこちらが届いてしまいました。トスカニーニ&NBC交響楽団によるこの「ロッシーニ序曲集」は昔から、究極の名演として名高いものでしたが、40年代後半~50年代初頭というモノラル期の録音ということで、HiFi録音好きの私としては敬遠してきたのです。

 しかし、実際聴いてみると、この演奏の凄さには圧倒されます。やはり究極の名演奏は嘘でなかった....というか、そんなこと分かり切っていたはずなのに、なんで今まで聴かなかったのだろうと思うくらいの代物でした。トスカニーニという指揮者は大戦前、かのフルトヴェングラーと並び称されたイタリアの大指揮者で、フルトヴェングラーが主情的にテンポを揺らしロマン派的な演奏をしたのに比べ、トスカニーニは厳格なテンポと楽譜に忠実な演奏をモットーとした、近代的かつ高精度な演奏でその後登場する指揮者に巨大な影響を与えたといわれていますが、この演奏から感じるは、むしろその演奏のホットさ、ハイ・テンションぶりです。

 とにかくテンポが早く、リズムのキレはシャープそのもの。メロディの歌わせ方はごてごてさせずストレートそのなのですが、とにかく前へ前へという感じで、煽るように音楽を進めていく様は狂熱的としかいいようがないものです。「セビリアの理髪師」など本編に入るまでの序奏的部分など、まるでスポーツカーみたいなテンポですし、テーマが始まると早々とテンションを上げ、まさしく狂熱的な勢いでラストまで駆け抜けるという感じです。「どろぼうかささぎ」で聴ける壮麗な後半部分のブリリアントさなど、思わず目もくらむほどでした。早めのテンポでトスカニーニが演奏するロッシーニ・クレッションドの凄さは、昔からとても有名でしたが、これほどのものだったとは!。ちょっと言葉を失う凄さです。

 そんな素晴らしい演奏なのですが、残念ながらこれはモノラル録音。しかも放送録音みたいな残響が極端に少ない、潤いのないドライな音質なのは(1曲だけ入っているライブは違いますが)、かえすがえすも残念です。あと10年、いや、あと5~6年長生きしてれば、ステレオ録音に間に合ったのになぁ>トスカニーニ。 
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ベートーベンの序曲

2005年04月28日 00時03分22秒 | クラシック(一般)
 ベートーベンの序曲にはオペラ、劇音楽等様々な序曲があります。私はこれらについて、特に「フィデリオ」序曲のヴァージョン違いについて、一度はきちんと聴いてみようと思っていたんですけど、ずいぶん長いことほったらかしにしてありました。ひょっとすると20年くらいになるのもしれません(本当になげえ!)。
 で、最近、ヨッフムの交響曲全集をひっぱりだしたり、ロッシーニの序曲集を聴いたりとしていることからか、「そろそろ、このあたりで宿題を片づけるか」ってな気分になったので、とりあえず、交響曲のCDの余白に入っている、序曲を集めたCDR化してみたり、ベートーベンの本を読み返したたりして、きちんと聴く環境を整えているところです。

 ちなみに、「フィデリオ」序曲のヴァージョンについては、4つあるんですね。第1版のために作ったのが第2番、第2版のために作ったのが第3番、第3版のために作ったが、ボツになったのが第1番で、現行が「フィデリオ序曲」という訳です。推敲に推敲を重ね、そのプロセスをあんまり隠したがらないベートーベンの面目躍如というところですか(笑)。いやぁ、調べてみたら、別に身構えるほどのことなく、あっという間に解決しました。ところが手持ちのCDを調べて見ても、「レオノーレ序曲第1番」だけが見あたりません。
 アマゾンで早速、1番の入っているアルバムを注文してしまいましたが、ついでに調べてみたら、有名どころの「エグモンド」「コリオラン」「フロメテウス」「アテネ」といった曲の他に、も、ベートーベンの序曲ってまだまだあるもんなんですねぇ。いやぁ、勉強になりました....って、勉強するのはこれからか(笑)。

※ メモ
 ・「レオノーレ序曲第2番」Op72a → 第1版
 ・「レオノーレ序曲第3番」Op72b → 第2版
 ・「レオノーレ序曲第1番」Op138 → 第3版(ボツ)
 ・「フィデリオ序曲」 → 第3版(現行)
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宇多田ヒカル/First Love

2005年04月27日 22時43分56秒 | JAPANESE POP
 日本だけで500万枚も売れたとかいうデビュウ作だが、500万枚といえば日本の人口の5%ではないか。つまり20人にひとりはこのアルバムを購入した勘定となる。おまけに500万枚売れたとしすると、レンタル数はそれを軽く上回っているハズだから、ざっと見積もって1000万人はこのアルバムを聴いたことになる。こういうアーティストのCDの購入層ということを考慮すると、スピードやELTより狭いハズだから、けだし凄い数字には違いない。

 さて、肝心の音楽だが、これはうまいところを突いたもんだ思う。一般的には「日本人によるR&B」といわれているよーだが、何度聴いてもやはりそういうものとは違うという気がする。やはりこれは歌謡曲、もしくはニュー・ミュージックと呼ぶべきもんだろう。まず彼女の声がやたら日本的なキャン・キャンした姉ちゃん声であるし、バックのアレンジも思わず128トラック全部埋め尽くさないと気が済まない、よろずや的にブリリアントではあるが、結局は平板な印象に終始する編曲からも明らかだ。よーするにサラサラとして、R&Bにありがちなコテコテ感が圧倒的に希薄な音楽である。 

 つまり宇多田ヒカルの音楽とはそういう枠内での音楽であり、「日本人によるR&B風な歌謡曲」だからこれほど売れたのだろう。丁度これは、10年位前のソウル II ソウルに端を発するブリティッシュ・ソウル・ブームの時に出てきたキャシー・デニスを思わせる。彼女も英国産エレクトリック・ソウル・ビートをバックに、ギャル声だが妙にソウルフルな歌い回しで、いわばブリティッシュ・ソウル・ブームの文脈で大ブレイクした人だったが、どうもあの時の感覚に近いのである。彼女の音楽も今聴けば、ごくごくフツーのブリティッシュAORだが、当時はグランド・ビートとギャル声の組み合わせは、「こういう応用編もアリなのね」と実に新鮮だった。つまり隙間産業だったワケで、今の宇多田ヒカルという人の音楽は、まさにそういうポジションにあると思うのだが....。

 そんな訳で、このところ宇多田ヒカル、愛聴しております。美人じゃないが、確かに歌は巧いし、声質も素直でいい。やはり上記隙間産業を成立させるには、このくらい素材が良くなくちゃ、絵に書いた餅になるってことですね。これで、もう少し曲のクウォリティが高ければ、云うことなしなんだけどなぁ。 (1999年7月17日)


※ 宇多田が始めた?「R&B風歌謡曲」はその後、沢山のエピゴーネンを生んで、一時日本のシーンを席巻しましたが、いつのまにやら「R&B風歌謡曲」も水増しされて、一般化してしまい<、ご本家の彼女の方もそれに連れてどんどん存在感があいまいになってしまっているような気がします。最近の「Exodus」は「R&B風歌謡曲」じやなくて、全曲英語で「モダンな本物のR&B」を目指したようですが、「なんか、違うんじゃねぇの」と思ったのは私だけでしょうかね。
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私の愛機 [4] NEC A-10 TYPE3 (Pre-Main Amp)

2005年04月27日 12時45分35秒 | PC+AUDIO
 NECが1983年に出した、A-10というプリメインアンプは今やオーディオ史上の伝説でしょう。99,800円という価格からは想像もつかない豪華なパーツとヘビー・デューティーな設計で、その骨太な音質とともに当時のオーディオ・ファンの度肝を抜いたものでした。

 かくいう私も、83年頃でしたか。CDプレイヤーの導入と時を同じくして、このアンプを購入しようと、勇躍して秋葉原に赴いたところ、どこも売り切れ。それもそのはず、なんでも初代のA-10は売れれば売れるほど赤字なってしまう採算度外視の代物だったらしく、結局200台しか作られなかったようで、まっ、今から思えばあるハズもなかったというところなんでしょう。ちなみにその時は私は、A-10の代わりにビクターのA-X1000というアンプを購入した訳ですが(これもかなり物量を投入したアンプでした)、どうもその時の無念さをその後もずっと引きずっていたらしく(笑)、数年後には、中古でA-10 IIを購入しましたし、昨年、別の部屋でデスクトップ・パソコン回りのサブ・システム向けに使おう!とのエクスキューズで、このA-10 IIIを購入してるんですよね。

 本当は初代A-10の音を聴きたいのですが、なにしろ中古やオークションでもあまりみかけないし、あったとしても高い。また、古いキカイなので、メンテにほぽアンプと同等の額が必要になってしまうという事情を考えると、サブ・システム用にはなかなか手が出ません。昨年、その妥協案としてA-10 IIIを購入した訳ですけど、幸いに状態が非常に良いものだったので、メンテは必要ありませんでした。ただし、ACケーブルを好みのものしたかったので、某所に頼み込んでインレット化してもらった上で現在使っています。

 さて、A-10はゴリッとした音が命です。とにかくエグい再生音という印象で、ロックやブルーノートのジャズなど本当に映える音といえます。A-10 IIIは初代に比べれば、繊細さだとか、奥行きみたいなところも重視した音との評でしたが、そうはいっても、現在の耳で聴くこのキャラはかなり強烈。サブ・システムで使っているBOSEのAM-5 IIのポップでカラっとしたメリハリ調が、ソリッドで低音がズシリと沈み込むハードボイルドな音にシフトして聴こえるのは、A-10 IIIのキャラ故でしょう。このサブ・システムは、デスクトップ・パソコンに向かっている時に、BGMとしてジャズを流すことが多い訳ですけど、小音量でこれだけコシのある音で鳴ってくれれば大満足。ついでに書けば、あまりに繊細で透明になり過ぎた、最近のオーディオのアンチテーゼとして聴いても、懐かしいやら、新鮮やらでけっこう楽しいものがあります。

 それにしても、またぞろ思うのは、IIやIIIでこの音だったら、初代A-10はどんな音なんだろう....って疑問。そう考えると、直ぐに欲しくなってくるのは人情ってもの(オレだけか-笑)。で、いてもたってもいられず、さっきオークション確認したところ、どうやら初代A-10出品は現在ないようでした。あぁ、よかった(笑)。


◆ ダイナミックテストを飾った名器達「A-10編」 ◆
◆ オーディオ懐古録にあるオリジナルA-10の記事 ◆
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KAREL BOEHLEE TRIO / Switch

2005年04月26日 22時15分49秒 | JAZZ-Piano Trio
 ヨーロピアン・ジャズ・トリオのピアニスとして知られるカレル・ボレリーのデビュウ作です。録音は84年ですから、ヨーロピアン・ジャズ・トリオより大分前の作品ということになりますか。ネットで調べるて見ると、彼の最高傑作との評もあり、ほんじゃぁ、EJTはどうかというと、非難轟々々々、ほとんどサンドバック状態でした(笑)。うがった見方でしょうけど、あれを非難する人達って、どうも音楽そのものが悪いっていうより、とにもかくにも、女性をターゲットにしたとおぼしき、オシャレで軟派なあのセールスの仕方が気に食わなんのだろうな....と思ったりしてるんですが、違うかな。

 さて、内容ですが、EJTの時のプレイに比べると、若さ故なのか、良くも悪しくも音楽主義的で、技巧追求に走っている感じがします。彼のプレイはエヴァンスを甘くしたような繊細さと洗練、後、チック・コリア的なスピード感が特徴だと思いますが、EJTでは前者の特徴が全面に出て、このアルバムでは後者が鮮明になっているといえなくもないと思います。ただ、まぁ、EJTの基本的なコンセプトはボレリーというより、ベースのフランス・ホーバンのものかもしれないので、ボレリーが入っているからといって、一緒くたにするのも、まぁ、大雑把するぎる話かもしれませんが。

 演奏としては、2曲目に収録されたタイトル曲が良かったです。オリジナル作品でちょっと暗めの叙情がいかにもヨーロッパ的ですが、中間部ではフュージョン風なリズム、展開となるあたりの柔軟さが、ボレリーの才気を感じさせます。あと5曲目の「J.E.S.T.」と8曲目の「ユナイテッド・ブルース」は、シャープなリズムのアレンジがチック・コリア風でちょっとアコースティック・バンドを聴いているような感じもする演奏で、これも良かったです(ドラムがもう少しシャープだともっと良かったんですが....)。「枯葉」「サマータイム」「ミスティ」といった大スタンダードは、いつものセンスでさらりとやってますが、随所でちょっとしたリズムの仕掛けを入れるあたりのセンスもまた彼らししいといえるでしょうね。

 あっ、そうそう、カレル・ボレリーもオランダ人ってことで、数日前に取り上げた、DIRK BALTHAUS TRIOと共通するような、非常に軽快で、洗練された聴きやすさを持ってます。こういうセンス好きだなぁ。
 
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FOURPLAY/Journey

2005年04月26日 00時01分31秒 | JAZZ-Fusion
 昨年出たフォープレイの8作目で、目下の最新作です。このバンド、当初もう一枚つくればめっけものくらいに思ってたくらいですが、ギターがリー・リトナーからラリー・カールトンへスウィッチしてからでさえ、5作目となる訳ですから、このスーパー・バンドは、よほどメンバー間の相性が、音楽同様スムースで相性が良いんでしょうね。
 大体、大物と呼ばれてるミュージシャンは、時が流れるにつれ、音楽的な自我が肥大化してしまい。なにをやっても自分の刻印をベタベタと刻みこむようなタイプになってしまいがちですよね。例えば、ビートルズの「フリー・アズ・ザ・バード」なんて、往年のビートルズっていうより、明らかに「ジョン+ポール+ジョージ+リンゴの音楽」にしか聴こえなかった....。しかし、このフォープレイの凄いところは、これだけのメンツが揃いつつ、個々のメンバーは完璧に4分1に徹し、フォープレイの音楽に奉仕している点です。

 この8作目でもそうしたバンド・ポリシーは不変です。とにかく、ワンパターンといわれようと、スカスカといわれようと(笑)、彼らが90年代にめっけたフォープレイというバンドの音楽に向かって黙々と奉仕しているのは、けっこう希有な例だと思うんですが、どうでしょうか。私のひいき目かな。
 とはいえ、そんな不変な彼らも3作目から6作目あたりは、もはや音楽的に完成しつくしてしまい、なんか袋小路に入ってしまったような飽和感を感じさせたのも事実で、かくいう私自身も、かつてほどこのバンドに熱意を持てなくなったしまっていたのですが、前作ではレーベルを移籍して心機一転したのが幸いしたのか、1~2作頃を思わせる活気というか、新鮮さのようなものが甦ったような気がします。

 とりあえず、本作はここ数作の中では一番良い出来ではないでしょうか。このバンドに常々使われる形容ですが、まさに極上です。ただ、ここまでアンサンブルの洗練度を上げ、フレーズを磨き込んでいくと、その音楽はもはやジャズともフュージョンとも呼べないような気もしますが(笑)、ともあれ、極上のBGMであることは間違いないところです。
 もうちょっと具体的なことも書いておきましょう。今回は随所に現れるボブ・ジェームスのストリング・シンセと最高に気持ちよいです。また、ネイザン・イーストのスキャット・ヴォーカルは初期の頃はお遊びでしたが、最近はすっかりフォープレイのメルクマールになっていて、これまた本作では絶妙なタイミングで、現れては消えるのが実にいい感じ。曲としては、冒頭のスティングの曲はいわずもがなで、打ち込みリズムとフォープレイの共演ってな感じの「Play Around It」は実に新鮮でしたし、ホブ・ジェームスらしい仕掛けをラリー・カールトンが心地よく裏切る「From Day One」とかおもしろかったです。ついでに、「Rozil」はフォープレイ流のマリン・ミュージックで、これもとても良い感触でした。

 そんな訳で、フォープレイまだまだイケます。
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スティーブ・キューン/忍びよる恋

2005年04月25日 22時06分41秒 | JAZZ-Piano Trio
 冒頭のドラムからしてカマしてくれます。これぞヴィーナスって音のところでしょう。タイコの主はビル・スチュアート。最近はビル・チャーラップのニュー・ヨーク・トリオやちょっと前に書いたピーター・バンースタインなどで、なんとかなくヴィーナスのハウス・ドラマーのような存在になってきてましたが、そもそもはパット・メセニーやジョン・スコフィールドなどと演奏を重ねてきた人ですから、ある意味懐古的な4ビート路線が主体のヴィーナスの作品に名を連ねることの方が違和感を感じるムキがあってもおかしくないヴァーサタイルなドラマーです。

 ともあれ、この人のタイコは甲高いスネアの音、正確無比だがどこか普通と違うリズム・キープ、フィルの入れどころのユニークさあたりが特徴で、この人がタイコで参加すると、ヴィーナスのようなオーセンティックなジャズをコンセプトにしたレーベルの作品でさえ、オーソドックスさからほんの少しユニークな方向へシフトさせてしまうという、特異な才能があります。ヴィーナスではこのあたりの特徴がもっとも出ているのは、ビル・チャーラップのニュー・ヨーク・トリオでしょうが、このアルバムでもプレイもなかなかのものです。

 前述のとおり1曲目の「危険な関係のブルース」はドラムのイントロから、急速調で一点のゆるみもなく、一気にラストまで雪崩れ込む爽快なドラミングやタイトル曲「忍びよる恋」もブラッシュ・ワークからライド・シンバルへ移行するリズムも、きっちりかっちりジャストで、表向きのオーソドックスさとはひと味違うモダンさなどとても良いです。また、「キスへのプレリュード」の区切りとか間合いが絶妙に変な感じのボサ・ノヴァ・リズムとか、これもテンポの早い「オール・アローン」では時折ピアノにまとわりつくようなフィル・インや切れ味抜群のドラム・ソロなどもカッコ良く、とにかくこの人のタイコって、それだけ聴いていてもけっこう楽しめるんですよね。

 などと書きながら、このアルバム、ビル・スチュアートではなく、スティーブ・キューンのソロ・アルバムであること思い出しました(おいおい)。ずいぶんと経歴の長い人のようですが、私は60年代の「スリー・ウェイブス」しか聴いたことありません。ECMなどでも作品出しているようですから、あのレーベルでは、きっと耽美でクールな音楽でもやっていたんでしょう。
 ただし、このアルバムでは基本的にごくごくまっとうなジャズ的なヴォキャブラリーを使い、ハードパップ的演奏に終始しています。ただ、フレーズの節々で高い音でカキーンと響かせて、それをフレーズのアクセントするあたりには、なにげに耽美的なムードが滲み出てますから、おそらくこのあたり、きっと彼の個性なんでしょうね。ただ、それが強烈な個性になっているかといえば、どうもそうでもなさそうなんで、この人、ちょいとキャラクターとしては掴みがたい....ってのが正直なところですか。
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Best of FLEETWOOD MAC -featuring Bob Welch

2005年04月25日 00時02分04秒 | ROCK-POP
 ネット仲間でもあるくれるぼさんが、自身のブログのフリードウッド・マックの「フィーチャー・ゲーム」をレビュウしている記事で、ボブ・ウェルチ在籍時代のマックのベスト的な選曲を紹介しているんですが、おもしろかったし、度々このブログでもボブ・ウェルチを扱っていることからも分かるとおり、私もボブ・ウェルチ時代のマックの大ファンなので、真似して選曲してみました。
 くれるぼさんは60分テープというフォーマットで選曲しておられるようですが、私はCDRというメディアに収めるべく、つまり70分くらいを目安に選んであります。これはアナログ盤でいえば、大体3面分くらいの時間ですので、全体を3部に分けて構成してるあたりが、まぁ、ミソですかね(ついでに、音圧を上げて、多少EQいじくって、今時のリマスター盤みたいな音にしちゃいました-笑)。

 第1部には、くれるぼさんのと同じ理由で、ダニー・カーワンの曲が入ってます。「千年の女」,「ダスト」,「天国の光」は。個人的には彼の3大名曲です(でも「天国の光」は入れるところに困りました、ボーナス・トラック扱いで、オーラスした方が良かったかも?)。「フィーチャー・ゲームス」はウェルチ最高傑作のひとつですね。ドラマチックさでも「ナイト・ウォッチ」に匹敵します。
 第2部はボブ・ウェルチ在籍時の最高傑作「神秘の扉」から中心に構成。個人的にはクリスティン・マクビーが歌う007の主題歌として使えそうな「キープ・オン・ゴーイング」がお気に入り。
 第3部はその後のマックの方向性を予見する「シーズ・チェンギング・ミー」と問答無用の名曲「哀しい女」を前半、後半は「黙示」~「ナイト・ウォッチ」でドラマチックに盛り上がり、エンドタイトルのような「雨にぬれて」で締めくくる「ペンギン」の後半を圧縮して構成しました。
 それにしても、クリスティン・マクビーの曲は泣く泣くはずし、ウェルチやカーワンも、絞りに絞ってこれですからね。「この時期のマックにはほんとうには良い曲が多いです。

 [Part:1]
01.Woman of 1,000 Years(1)
02.Bright Fire(3)
03.Angel(5)
04.Future Games(1)
05 Dust(2)
06.Sunny Side of Heaven(2)
 [Part:2]
01.Emerald Eyes(4)
02.Believe Me(4)
03.Hypnotized(4)
04.Bermuda Triangle(5)
05:Keep on Going(4)
 [Part:3]
01.She's Changing Me(5)
02 Sentimental Lady(2)
02.Revelation(3)
04.Night Watch(3)
05.Caught in the Rain(3)
 ※ (1)=フィーチャー・ゲーム[`71],(2)=枯木[`72],(3)=ペンギン[`73],(4)=神秘の扉[`73],(5)=クリスタルの謎[`74]
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ロッシーニ序曲集/カラヤン&BPO

2005年04月24日 15時27分04秒 | クラシック(一般)
 カラヤンが70年代初頭にベルリンを振ったロッシーニの序曲集です。ロッシーニ序曲集というと、ここ十数年ジュリーニがフィルハーモニアを振ったステレオ初期の録音をCD化したものを聴いてきたのですが、なんかこのところ(春のせい-笑)、休みの朝というと、なにげにロッシーニの序曲を聴きたくなってきたもので、さっき1,000円という価格のせいもあって、近くのショップで購入してまいりました。

 実をいうと、私が購入した最初期のクラシック・レコードのひとつが、「セビリアの理髪師」「雷鳴と電光」その他が入ったEP盤だったんですよね。確か1972年の夏頃、中学1年の時だったと思います。で、あまたのクラシックの名曲の中から、何故私が「セビリアの理髪師」を選んだのかといえば、当時大好きだったビートルズの映画第2作「ヘルプ/4人はアイドル」のエンドタイトルで、この曲がなんとも妙なSEとともに使われていたからでなんですね。最初はクラシックの名曲ということも知らなかったんですが、多分、学校のお昼の校内放送か何か知ったんでしょう。それで、購入してきたという訳です。演奏は本日購入してきたのと同じカラヤン、ただしオケはフィルハーモニアだったと思います。

 さて、当盤ですが、70年代初頭ということもあって、彼の持ち味である流れるようなレガートを多用し、壮麗かつ大柄な、良くも悪しくも全盛期のカラヤンらしさがよく出た演奏なんですが、なにせ10数年もジュリーニの演奏に慣れ親しんできたものですから、同じスコア使ってこうも違う演奏になるものか?と、少々びっくりしているところです。

 ジュリーニ&フィルハーモニアの演奏は、まぁ、EMIのステレオ録音初期の特有の細密画的な録音のせいもあるでしょうが、あくまでも弦楽器で奏でられる旋律がメインにして、全体はコンパクトで軽やかな機動力に富んだ演奏だったと思うのですが、当盤は深々としたバスを土台にしたいかにも重厚なドイツ風な音で、聴こえてくる音はシンフォニックそのもの。ジュリーニのがモーツァルトだったとすると、こっちはベートーベンくらいの違いを感じます。

 いや、もちろん、演奏がカラヤン&BPOで、71年という全盛期の録音ですから、演奏が鈍重ということはありません。「セビリアの理髪師」の本編など、アンサンブルはほとんど曲芸みたいな巧さで、しばし聴きほれるくらいに抜群なものがありますが、どうもカラヤン自身の解釈なのか、同じ頃の録音したモーツァルトなんかと同じで、アレグロのところがせかせかと早すぎ、たたみ込むようなコーダはちょい遅すぎるみたいな、そういう違和感ないでもないです。

 んー、という訳でせっかく購入して当盤ですけど、休日の朝に聴くって感じじゃないなぁ。その意味ではジュリーニの勝ち。実をいうとアバド&LSOの序曲集も既に購入済みなんですが、こっちはどうにんだろう??。まっ、それについてはゴールデンウィークのお楽しみということで、しばらくはカラヤンの演奏に聴きこんでみようと思います。
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映画を彩るピアノ協奏曲集

2005年04月24日 00時05分55秒 | サウンドトラック
 NAXOSから数年前に出た、ハリウッド製の映画音楽をピアノ協奏曲化した作品ばかりを集めたアルバムです。4月20日に書いたKOCHのアルバムと似たような企画ですが、こちらの方が、収録した作品の知名度や作品の美しさなどという点で一版向けですかね。演奏はプロインシャス・オドゥイン指揮のRTEコンサート・オーケストラ、ビアノはフィリップ・フォークです。これも自分用にメモしてみます。

 01. アディンセル/ワルソー・コンチェルト(デンジャラス・ムーンライト)
 アディンセルはイギリスの映画音楽家です。本国ではどうか分かりませんが、一般的にはこの1曲だけが世界的に知られている人だと思います(なにしろリチャード・クレイダーマンもやってるくらいですからね)。映画「デンジャラス・ムーンライト」の音楽らしいのですが、どういう映画で、どう使用されたたんでしょうね。ちなみに音楽にはご存じのとおり、ラフマニノフ的憂愁とチャイコ的壮麗さを多少メロディックにしたような仕上がり。

 02. ビーバー/イスラの肖像(ザ・ケース・オブ・ザ・フライトゥンド・レディ)
 初めて聴く曲です。ビーバーという作曲家、そして「ザ・ケース・オブ・ザ・フライトゥンド・レディ」という作品の詳細は全くわかりません。冒頭はのみやけに精力的で、ピアノ協奏曲っほいですが、本編の方は感傷的で甘いロマンティックさが横溢したいかにも映画音楽的雰囲気です。

 03. ローザ/白い恐怖協奏曲(白い恐怖)
 「白い恐怖」の音楽は、ミクロス・ローザの代表作です(アカデミー賞受賞)。この音楽はいろいろな長さ、編成のピアノ協奏曲化されているようですが、これはもっともオーソドックスな版で、有名なテーマ部分を額縁に、グレゴリー・ペックがサイコチックになるこれまたテレミンの部分、ピクニックの場面の音楽を中間部に構成して、映画中の主要な旋律は全て聴くことができます。ピアノとのオケの絡みも非常に有機的で、まるで最初からピアノ協奏曲のようです、

 04. ロータ/魔の山の伝説(魔の山)
 ニーノ・ロータはフェリーニの音楽で有名ですが、この曲は知りませんでした。ラフマニノフ風な外観の中から、一度聴いたら忘れられないようなイタリア的な哀愁の旋律が顔を出すあたりは、いかにもニーノ・ロータですね。彼は映画音楽と平行して純音楽の分野でもいくつかの作品を発表していたようですが、やっぱりこの手の旋律が出てくるんでしょうか。

 05. ベネット/主題とワルツ(オリエント急行殺人事件)
 40~50年代の作品からの音楽ばかりで構成されているこのアルバムでは、一番新しい曲(74年)。前述のワルソー・コンチェルト風な時代がかったビアノ協奏曲風なテーマを持ち、このテーマがラウンジ・ミュージック、ウィンナ・ワルツに変奏されるという構成。デビッド・ラスキンの「ローラ殺人事件」なんかと同じ趣向ですが、もうちょっと長く聴きたいです。

 06. バス/コーニッシュ・ラプソディ(ラブ・ストーリー)
 これも作曲家、作品ともに全く初めての作品。ご多分にもれずラフマニノフ風な音楽で、彼のピアノ協奏曲第2番の第1,2楽章を6分に圧縮したような趣ですが、大胆な不協和音を使用してみたり、ピアノに印象派風フレーズが出てきたりとモダンな点もちらほら。また、ピアノ協奏曲的な雰囲気も濃厚で、この点ではこのアルバム中12を争う出来です。

 07. ハーマン/死の協奏曲(戦慄の調べ)
前回書いた「B.HERRMANN, F.WAXMAN, A.NORTH / Paradine Case」にも収録されていた作品です。前回も書いたとおり、名作「幽霊と未亡人」を思わせる壮麗でロマンティックなテーマが魅力的。また、わずか12分の曲ですが、よくよく聴くとこの作品。リストの協奏曲ばりに一楽章制のピアノ協奏曲の体裁を整えているんですね。いやぁ、さすがです。

 08. ウィリアムズ/オーウェンの夢(ワイル・アイ・リブ)
 これまた作曲家、作品ともに全く初めての作品です。額縁を構成するテーマ部分は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲の雰囲気にかなり近い印象で、まんまみたいな部分も出てきます。ただし、中間部いかにもいかにもなハリウッド調に転じてドラマチックに盛り上がりを見せるあたりはこの作曲家の個性なんでしょう。その分、ピアノ協奏曲的なムードは後退気味ですが。

 09. ペナリオ/ミッドナイト・オン・ザ・クリフ(ミッドナイト・オン・ザ・クリフ)
 レナード・ベナリオって確か有名なピアニストだった思いますか、こういう映画音楽も作っていたんですね。曲は半音階で進むちょっと退廃的な旋律が印象的なのですが、やはりピアニストが作った曲だけあります。名技性の高いフレーズが連打して、どっちかというと、ショパンのピアノ協奏曲の緩徐楽章みたいな、オーケストラ付きのピアノ・デモ・ピースみたいな感じになっちゃいますから....(笑)。
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大塚愛/LOVE PUNCH

2005年04月23日 17時41分18秒 | JAPANESE POP
 オッサンになって来ると、街角で流行っている音楽と、ショップにディスプレイされているジャケとが全然一致しません。これも「あぁ、このコが「さくらんぽ」歌ってるコなんだ」って気がついたのは、半年くらい前、時既に「Love Jam」が発売になって、既に大ヒットしている最中でした。
 ってな訳で、大塚愛いいです。情報過多の環境に育ったせいで、なんにでも興味があるくせ、どれもすぐに飽きてしまう。思いやりあって優しいが、局面が違えば極端に冷酷にもなってしまうような、今時の女のコがキャラを独特なチャメッ気で歌っているあたりがキュートです。彼女の歌、基本的には日常の生活感を歌ったモダン・フォークみたいなもんだと思いますが、曲調や詩もヴァラエティありまくり、あまりに変化するので、アルバム全体としてはシンガーソングライターというより、けっこうパンクな音楽にもきこえます。

 で、1曲目は文字通り、ソリッドで騒々しいギターをベースにしたパンクサウンド。これはけっこう新鮮。彼女のようなメジャーなポップ・ミュージックで、パンクのボギャブラリーを堂々と使うというのは、一昔前では考えられなかったことですが、ともかく痛快!。
 痛快っていえば、3曲目「さくらんぼ」の例の"さくらんぼ"のコーラスところしか識別できない、早口で歌われる歌詞というかヴォーカルも痛快ですね。だって、今だに何歌ってるんだか分からないもん(笑)。が、とにかく"さくらんぼ"のところが来ると、とにかくポップさ炸裂なんだから、これはこれで音楽のツボを絶妙に捕まえてるんでしょう。こういうのは30~40代のミュージシャンには逆立ちしても出来ない芸当かも。
 その他、7曲目の「石川大阪友好条約」というラップ風の曲は、ある意味アルバム中一番キュートというか、彼女のキャラが出ていて楽しい曲。一方、続く8曲目「片想いダイヤル」はアルバム中、唯一の王道ポップですかね。あと、この人、現時点ではその元気さ、天衣無縫さみたいなところが魅力だと思うので、バラード系のは曲はちょっと弱かったような気もしますが、こういう曲はこれからじっくり取り組むんでしょう。

 ともあれ、大塚愛、単なるポップ・アイドルというより、なにげに「音楽的にいいたいことありそう」な感じですし、そのユニークなポップさも気持ち良いので、近いうちに第2作「Love Jam」の方も買ってきたいと思います。でも、今度はCCCDじゃねぇだろうな(笑)。
コメント (4)
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MAGAZINE / Real Life

2005年04月23日 00時04分32秒 | ROCK-POP
 マガジンはセックス・ピストルズと並ぶバンク・バンドだったバズコックスでヴォーカルを担当していたハワード・デヴォートがバズコックス脱退後に結成したバンドで、ポスト・パンクな時期、血筋といい、アーティスティックな音楽性といい、一群のニュー・ウェイブ・バンドの中では、一頭地を抜けたバンドだったように記憶しています。このアルバムは1978年に発表された彼らデビュウ作です。

 さて、このアルバムの特徴は、直情型のパンクをベースにしつつも、ハワード・デヴォートのシニカルで屈折したヴォーカルを中心に、デイブ・フォーミュラのカラフルな空間を作り出すキーボード、多分ベースのバリー・アダムソンがもたらせたと思わせる濃厚なアシッド風味、ニュー・ウェイブそのものといった感じのソリッドなジョン・マクギーのギター、そしてパンク的なパワーをテクノ的に翻訳したようなマーティン・ジャクソンのドラムスが複雑に混在した、音楽的情報量がやけに多い、独特なポップさを満ちた音楽になっていることでしょう。
 彼らはこの後、もう少し統一感のある洗練された音楽に移行していく訳ですが、そちらの方も非常に良質な音楽であるには違いないとしても、このアルバムの奇妙にアートしたとっ散らかった感触は、このアルバムだけのもので、現在聴いても実に新鮮です。

 印象的な曲を拾ってみると、1曲目の「Definitive Gaze」のカラフルで立体的なシンセが作り出すテクノ的感覚、3曲目の「Shot by Both Sides」のパンクそのものなパワー感。ついでにこれもパンクっぽい4曲目「Recoil」でのマーティン・ジャクソンのチープでつんのめりそうなドラムのカッコ良さ。バリー・アダムソンの映画&アシッド趣味が出たに違いない6曲目「Motorcade」と7曲目「Great Beautician in the Sky」、当時はあまり印象に残らなかったものの、今聴くとヨーロッパ的な叙情が意外にも濃厚で、ちょっとロキシー・ミュージックみたいな9曲目「Parade」などあたりが特に印象に残りました。

 という訳で、スウィング・アウト(マーティ・ジャクソン)絡みで久々に聴いてみた訳ですが、これは昔聴いた時より、今聴く方がはるかに味わい深いです。当時はたんなる先取りっぽい、流行りものくらいの認識しかなく、レコードも大分前に売り払ってしまっていたのですが、紛れもなく英国ロックの傑作だったんですね。うーん、脱帽です。


PS:正確に思い出せないんですけど、CDはレコードは後半の曲順が違うような気がします。確かレコードでは「Great Beautician in the Sky」が最後だったような気がするんですが、誰かご存じの方教えてくれませんか。
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ただ今、アクセスが集中しているため....その後の後

2005年04月22日 18時23分49秒 | others
 4月12日に不安定なアクセスが大分改善したみたいなこと書きましたが、実はその翌日から凄いことになってまして、22時ともなれば、TB、画像、記事の更新、アップロードをしようすると、ほとんど「ただ今、アクセスが集中しているため」が出る始末。この一週間くらいは夜作って、昼休みどきにアップするとかにしてましたけど、昨日あたりから「最新コメント」が表示されなくなったかわりに、「ただ今、アクセスが集中しているため」もめっきり少なくなり、夜半のアップロードや更新も比較的快適になりました。「へぇ、一部表示をスキップしただけで、こんなに改善されるか」って感じ。

 よくわかんないけど、表示速度の足をひっぱっている原因はなんなのかとか、こういうのを解明するのっては、分からない時は本当に分からないですからね。2000年問題の時など、トラブルの質は全然違いますけど、原因不明のエラー出まくりだったことがあって、担当部署はほとんど思考がドツボにハマってしまい、担当は変われど同じチェックの繰り返しで、もう絵に描いたような膠着状態でしたから....。今回みたいなトラブルって、gooのような大きな現場では、どうなってるのかけっこう興味あったりします。

 ともあれ、この表示も25日以降は復活するとのこと、がんばってもらいたいものです。
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