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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
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ハイドン 交響曲第52番「疾風怒濤」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリーHO

2010年09月18日 10時32分45秒 | ハイドン
 52番はハ短調で書かれたシュトルム・ウント・ドランク期らしい、劇的な面持ちの交響曲で、両端楽章の流麗さや壮麗さがひときわ印象的な曲です。その意味でもこの時期の作品群の中でもかなり印象残る仕上がりになっていて、その佇まいから「疾風怒濤」とかいう、ニックネームでもついていたら、きっともっとポピュラーにな存在になっていたのではないかと思わせます。

 第1楽章はきりりと締まった中に、短調の第一主題と長調の第二主題がバランスよく配置され、それが淀みなく緩急自在に流れきます。聴いていて音楽的充実感があり、展開部で転調した第一主題の登場するあたりの呼吸、コーダまで一気呵成に流れていくプロセスはいつものこととはいえ、見事なものを感じさせます。また直前にため息のような部分もチャーミングです。
 第2楽章は基本的にはこじんまりとした室内楽的な趣きやムードがある音楽で、途中、くるくる回るように現れるユーモラスな主題が印象的です。また、そこにズドーンという勢い登場する骨太なモチーフも変化に富んでいて、8分という長丁場を(全曲中最長の楽章となります)ダレずに最後まで耳をそばだてさせるのはハイドンの職人技を感じさせますよね。

 2分半ほどで終わる第3楽章はもちろんメヌエット。ただ、舞曲としてメヌエットという感じはあまりせず、その宗教的な静謐さ、そしてなにやら切迫感のあるムードのせいで、なんだかバロック音楽を聴いているような気分になる音楽です。トリオのなんだか高原っぽい澄んだ空気を感じさせるムードもなかなかです。
 最終楽章はしずしずと始まり、途中から一気にテンションを上げて最終楽章らしい佇まいになっていきますが、このあたりはなかなかの聴き物といえましょう。またハ短調で書かれてはいるものの、どちらかという明るい高揚感のある音楽になっていて。第一楽章から流れでいうと、なにやらベートーベン流の「暗から明へ」を先取りしているような趣もあります。
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ハイドン 交響曲第53番「帝国」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリーHO

2010年08月09日 23時53分45秒 | ハイドン
  この曲、いつものようにネットで調べてみると、シュトルム・ウント・ドランク期の後、ハイドンがより大衆というリスナーを意識した時期作品のようです。ニックネームは「帝国」で、これは第一楽章に冒頭1分半に渡って展開される、式典音楽と見まごうばかりに荘厳な序奏部を聴けば、誰でも納得できてしまでしょう。あと、最終楽章は異稿が何種類する模様…などと、けっこう押さえどころが沢山ある曲ですね。

 前述の通り、第一楽章の特徴的な序奏に続いて、本編の方もかなり壮麗に進んでいきます。ただし、あまりごちゃごちゃと音をこねくり回したりせず、シンプルかつ流麗に音楽が進んでいくようで、その意味からしても、シュトルム・ウント・ドランク期の劇的な感じとは、また一皮むけたような印象があります。
 第二楽章は珍しく変奏曲、アンダンテでリズミカル、そして飄々としたムードで進んでいくのが特徴といえましょう。また、長調と短調が奇妙な対照をさせつつ、変化に富んだ変奏を繰り広げます。ハイドンは変奏曲を余り得意ではなかったらしいですが、なかなかどうして、おもしろい仕上がりだと感じました。

 第三楽章は曲本来のメヌエットとは少し離れた「雅」な雰囲気を感じさせる仕上がりで、ちょっとJ.シュトラウスの世界を予見しているようなところも感じられ仕上がりで、ここでも「帝国」のご威光がちらついているという感じなのかもしれません。
 最終楽章はカリプッチョと題されたプレストの楽章。これまた宮廷風な雰囲気満載の華やかな仕上がりですが、中間部の主題も親しみやすい表情をもっていてなかなかものがあります。ただ、最終楽章として聴くとこの音楽は、ちと疾走感が足りないような気もするんですが、どうでしょうか。だからカリプッチョなのかもしれませんが、このあたり他の版(異稿)で聴くと、また違った印象を受けるのかもしれないですね?。
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ハイドン 交響曲第51番「ダブルトリオ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリーHO

2010年07月21日 11時50分01秒 | ハイドン
 第一楽章はなにやら複雑な感情を内包してそうな音楽で、冒頭から曲の明暗の区別が曖昧というか、平穏と昂ぶりが交錯しつつ進んでいくところがユニークです。聴感上はまぎれもなく古典派の音楽なんですが、なんとなく聴いているとロマン派的なたゆとう感じというか流動感があるんですね。ともあれ、これも典型的なシュトルム・ウント・ドランク期の様相を呈している音楽になっていると思います。

 ホルンが大活躍する第二楽章はアダージョ、実になだらかなで牧歌的な音楽なのですが、ホルンからクラリネットにソロがバトンされるあたりの柔らかな音楽移り具合や、途中、不安げな緊張感が高まるあたりは、モーツァルト的な複雑な感情の綾を感じさせたりもしますが、この楽章も単一の感情表現ではなさそうな、一筋縄ではいかないような音楽という印象です。

 第三楽章はそそくさと演奏されるメヌエットで、トリオが二つもっているのがおもしろいところです(なので、この曲に標題をつけるとすれば、第三楽章にあやかって「ダブルトリオ」なんてどうでしょうか?)。特にひとつめは管抜きの室内楽的なものになっているのがおもしろい効果を上げています。ついでにいえば、この前の楽章に続いて、ホルンが良いアクセントになっていますね。

 最終楽章はアレグロだ、いつものように一瀉千里とばかりに進むのではなく、けっこうゆったりとした音楽になっていて、これでもって先行した3つの楽章とバランスさせようという発想はいるの珍しいかもしれません。まるでメヌエットの後にもうひとつメヌエットが置かれているようにすら感じます。また、途中バロック風に劇的な展開を見せたりもしますが、このあたりは第一楽章の複雑さの再現という感もあります。
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ハイドン 交響曲第50番「フィレモンとバウチス」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリーHPO

2010年07月14日 10時49分13秒 | ハイドン
 これもシュトルム・ウント・ドランクの作品です。この時期特有な短調ではなくて、ハ長調で書かれている作品ですが、全体に劇的というか、かなり鋭角的なメリハリがある仕上がりなのは、やはりこの時期特有の様相といってかもしれません。
 また、ネット調べると、この曲は歌劇「フィレモンとバウチス」の序曲の改作というような記述をよく見かけます。どこをどう改作してこうなかったかは、当方には全くわかりませんが、この前述のように多少劇的なところが目立ちのは、こうした出自があるかもしれませんね(したがって、この曲にニックネームをつけるなら、当然「フィレモンとバウチス」が適当となるでしょう)。

 さて、第一楽章はモーツァルトみたいな威風堂々とした1分半ほどの壮麗な序奏が付いています。本編はスポーティーな疾走感と、そんな中に現れる鋭角的な伴奏のトロモロが印象的で、全体としては充実感がみなぎる聴き応えのある楽章なのですが。本編そのものは3分くらいで終わってしまい。いささか短いかなという気がしないでもありません。せめて5分くらいやっていれば…と思ったりもしますね。
 第二楽章は緩徐楽章にしては、いくらかリズミカルでパパ・ハイドン的なユーモラスな風情がただよっています。また、時計の振り子思わせる単調なリズムは、その後の「時計」をちらっと思い出させたりもします。ついでにチェロがまるで、ロックでいうとちょうどベース・ギターのようなフレーズを弾いているのが印象的でもあります。

 第三楽章はもちろんメヌエット。ただし本来の田園風な趣きではなく、ここではやや軍隊調な重々しさがある仕上がりになっています。トリオは古典派というより、ちょっとロマン派的な陰影や瑞々しさがあり、聴いていると「あれれ、妙な方向に進んで行ってる」みたいな気持ちになります。ハイドンとしては、例によってちょっと変わったことをしてみた…という程度の試みなんでしょうが、妙な印象に残るアクセントになっています。
 第四楽章は型どおりの急速調ですが、ここでは一気呵成に進んでいくとというより、あちこち寄り道しながら進んでいくというか、いろんな障害物にぶつかりながらもそれを蹴散らして疾走しているという感じで、いつもの突き抜けた感じが多少スポイルされているような気がしないでもありません。まぁ、この曲は全体にギクシャクしていますから、曲のコンセプトを敷衍した出来というべきなのかもしれませんが。
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ハイドン 交響曲第49番『受難』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年06月30日 19時20分53秒 | ハイドン
 これも先の48番と同様シュトルム・ウント・ドランク期に属する作品のようです。ハイドンの交響曲は、番号順が必ずしもクロノジカルでなかったりしますが、40番台はすべてこの時期に集中しているので、比較的に考えやすいのがいいですね。
 また、短調の曲やニックネーム付きの曲が多いせいで、それぞれの曲に関して、比較的記名性が高いものが多いのが、親しみやすいものを感じます。本作にも「受難」というニックネームがついていて、受難曲風な宗教色と悲愴感のようなものが全体から漂う、短調の特性がよく出た印象深い作品になっています。

 第一楽章は敬虔で宗教的な雰囲気を持つアダージョ。冒頭楽章が急速調でないのは、既にハイドンでは、いくつかの前例がありますが、本作ではその宗教色の強さが特異な印象を受けもします。なんだかアレグロに先立つ序奏部を延々とやっているようなところもありますが、なにか宗教的な機会音楽として使用することが前提で、こんな様々の構成になったんでしょうか。なお、後半はかなり情熱的な高ぶりを見せます。
 ある意味、長大な序奏部といえないこともない前楽章を受けて、第二楽章はアレグロでぐいぐい進んでいきます。この楽章もヘ短調で書かれていて、この時期特有の疾走するような悲愴感があり、約6分半ほどをあまりの間、脇目もふらずに一気呵成に進んでいく様は、ちょっとモーツァルトの小ト短調的な心地よいシリアスさがあるような気もします。

 第三楽章のメヌエットもヘ短調で書かれています。いくらか宗教的な静謐さがあり、何カ所かでヴァイオリンの独奏がちらっと現れるのがアクセントになっているような気がしますが、いずれにしても、あまりメヌエットという感じがしません。むしろトリオになって、一転して牧歌的な音楽となるあたりで、ようやくこの楽章がメヌエットであったことを思い出させたりするほどです。
 第四楽章もヘ短調、つまりこの曲は全体がへ短調で統一されていることになります。それだけでもこの曲はかなり特異な構成といえると思います。この最終楽章は3分ほどの短い音楽ですが、第一楽章を更に急速にしたような趣きなせいか、なかなかのドラマチックさを感じさせ、聴いていると50年代後半のモノクロで作られたヌーベルヴァーグ映画を思い出させたりもします。
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ハイドン 交響曲第48番『マリア・テレジア』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年06月28日 22時07分05秒 | ハイドン
 このところ続いているシュトルム・ウント・ドランク期の作品の中でも、本作は「告別」あたりと並んで、かなり有名な方を作品ではないかと思います(ちなみに短調ではなく長調で作られています)。王妃マリア・テレジアがエステルハージに訪れた時の演奏されたということで、このニックネームがついたようですが、なるほど標題に相応しい華やいだ宮廷的な響きやムードが随所に現れるせいで、かなり印象深い作品になっています。

 第1楽章は金管のファンァーレ風な開幕があり、いかにも宮廷風に格調高く、雅やかな雰囲気が冒頭から感じられます。この曲、実際にはマリア・テレジアとは何の関係という説もあるようですが、そういうキーワードに結びつけたくなるような音楽ではありますね。本編の方は交響曲第1番の第1楽章を思わせるような音楽で、格調高さを保持しつつも、快活かつ精力的に進んでいきます。後半、主題をカノン風に追いかける部分あたりから転調を繰り返してテーマの再現に向かっていくあたりの充実感は中々のものがあります。

 第2楽章は全4楽章中最長の12分半もの長さがある楽章です。典型的なドイツ・オーストリア風な緩徐楽章で、田園的な風情の中、なにやら思索的なところが見え隠れしながらゆったりと進んでいくという感じです。この楽章のハイライトは、再現部直前にホルンが登場して、音楽の視界がぐっと広がるように感ずるところあたりでしょうか。ハイドンはご存じの通り、古典派の中心的な存在ですが、こういう部分を聴くと、古典派の先にあるロマン派もすぐそこという感じもします。

 第3楽章はメヌエット、再び金管を表にだして、晴れ晴れとした宮廷色が強まります。リズム的には途中かなりアグレッシブな部分もあり、ベートーベンを予告しているような趣きを感じられます。そしてトリオは短調でちょっと深刻な表情。最終楽章は型どおり第一楽章の雰囲気にもどった音楽ですが、前楽章で金管を出してしまったので、ここではヴァイオリンやチェロの独奏がせわしくなく動き、やはり華やいだムードを演出しつつ、多少変化に飛んだところも見せていますが、やはり第一楽章の華やかにはいささか敵わない気もします。
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ハイドン 交響曲 第48番『マリアテレジア』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年05月02日 10時53分11秒 | ハイドン
 この時期のハイドンの交響曲としては、「告別」の次くらいに有名な曲でしょうか。なにしろニックネームが「マリア・テレジア」という当時の皇妃の名前ついていて、これだけでも華やかで格調高い曲に違いない....と、聴く前からなんだかわくわくしてくるようなところがあります。ついでにいえば、これが作曲されたのがシュトルム・ウント・ドランク期という、ハイドンとしては第一期「名曲の森」のまっただ中でもあり、内容的にも相応に充実したものが期待できます。
 実際に聴いてみると、第一楽章のホルンとオーボエの宮廷風な主題で始まり、上昇していくような勢いと、威風堂々とした佇まいは宮廷的な雅やかな雰囲気がいっぱいです。また、モーツァルト風な天馬空を行くような抜けきったような明るさがあり、いかにも晴れやかな雰囲気で、主題提示部から展開部経て、再現部まで、途中、職人ハイドンらしく巧みな短調への転調なども出てきますが、この楽章ではあまり深追いしていせず、一気に進んであたり、爽快な心地よさが感じられます。

 さて、「マリア・テレジア」というニックネームですが、当時(1773年)オーストリアの皇妃だった、彼女がエステルハージ家を訪問した時に、歓迎の意を表して演奏されたことに由来しているようです。もっとも、wikiで調べてみると、この曲は作られたのが1769年ごろとありますから、そもそも皇妃の来場を想定した作られた機会音楽という訳でもなく、後でそれに相応しいとの理由で、選ばれただけということになりそうです。いずれにしても、それらは全てこの第一楽章から来ていると思われます。
 ちなみに第二楽章は、この交響曲中最長の約10分半をかけて演奏される緩徐楽章で、これは宮廷風というよりは、かなりベートーベン的な世界に近づいたといってもいい、かなり純音楽的な仕上がりになっています。第三楽章と第四楽章は合わせて約8分程度で、頭でっかちなこの交響曲を駆け足で帳尻合わせをしている感じでしょうか。前者はかなりテンポの早いメヌエットらしからぬ鋭いリズムが印象的。後者は第一楽章のモーツァルト風な雰囲気に回帰して、途中室内楽風なところなどにちょっと寄り道する他は、一瀉千里とばかりに進んでいきます。
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ハイドン 交響曲 第47番『パリンドローム』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年03月20日 13時18分27秒 | ハイドン
 この47番もシュトルム・ウント・ドランク期の作品のようです。ただし、この時期特有な短調の音楽ではなく、長調で作られたハイドン的なスタンダードが感じられる曲となっています。第一楽章は青空みたいな広がりと明るさをもった音楽ですが、時に音が跳躍してドラマチックな展開となったり、特徴的なやや鋭いリズムのモチーフが登場して、ややせわしないく、全体に緊張感が高い音楽になっているのは、たぶんシュトルム・ウント・ドランク期故の特徴なのでしょう。
 第二楽章は変奏曲のようです。鄙びいてどこかのどかなテーマをあれこれ料理しているようですが、どちらかというとテーマを延々とリフレインしている感じで、感触としては普通の緩徐楽章ですね。まぁ、未だ時代的には「性格変奏」という時期ではないですし、ハイドンはそれほど変奏曲を愛好していなかったようですから、それほど、技巧の粋を凝らしして、きっちりかっちりした仕上げたという感じまではしません。後半、リズム的にいろいろ変えて変奏していき、短調に転じるあたりはおもしろいですが。

 第三楽章は2分ちょいで終わるごく短いメヌエットで、トリオでは隠し味的なホルンがいいアクセントを出していたり、少し厳かなところがあったりして、まぁそういうところが特徴といえば特徴といえなくもないですが、全体としてはいたっていつものハイドンという感じの音楽です。最終楽章は第一楽章同様、唐突に音が跳躍したり、大きめな強弱のメリハリ、鋭角的なリズムなどなど、かなりせっかちなところがある音楽になっています。展開部は終わりそうで終わらないクドクドした感じがあり、これなどベートーベンとかブラームス的なくどさの予告みたいな趣きも感じられます。
 ちなみにニックネームは「パリンドローム」。パリンドロームというは回文、つまり「たけやぶやけた」とか「山本山」みたいな言葉遊びの意味らしいですが、それがこの曲にどう結びついたのか、ネットでいろいろ調べてみましたが、結局よく分かりませんでした。おそらく、どこかの楽章に音前から読んでも、後ろから読んでも同じ音型とかが出てくるのでしよう。ネットでの解説を読むと、「3楽章はメヌエット、トリオともに前半と後半が鏡像になり」なんてフレーズを見かけますから、そのあたりが由来なのかもしれません。
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ハイドン 交響曲 第46番「ゲネラルパウゼ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年01月16日 12時40分59秒 | ハイドン
 46番もシュトルム・ウント・ドランク期の作品のようです。この時期は交響曲のナンバリングがクロノジカルにだいたい並んでいるようなので、20番代や30番代のように時代があっちこっち飛ばないので、作品の立ち位置を考えるには分かりやすいですね。さて、作品ですが、第1楽章は精力的で伸びやかな第一主題がおもむろに登場してきますが、むしろ目立つのは第二主題の方。これが短調へと動いて展開部では大きな存在感を発揮するため、長調の楽章でありながら、むしろシュトルム・ウント・ドランク期らしい、激情的なドラマを感じさせる佇まいになっています。展開部後半などは44番、45番あたりと共通する疾風怒濤なハイドンになっていて、転調を重ねていく部分などかなり劇的です。

 続く第2楽章は短調のシチリアーノになっています。この形式独特な哀感と静謐を感じさせるムードでもって進んでいきますが、こういう曲だけに主体となるのは当然弦楽で、一見なだらかに進んでいくようでいて、いろいろリズム的な仕掛けが施されているようです。個人的には第二主題の多少弱々しいものの楚々として風情が印象に残りました。第3楽章のメヌエットは約2分半で終わる非常に短い音楽です。主部はヴィオラのソロなども配置された格調高いものですが、トリオになるとやはり短調に転じて、ほの暗い雰囲気になっていきます。最終楽章は第1楽章の第一主題のムードに戻り、活気があり動きの激しいプレストで進みますが(ホルンがいい隠し味になってます)、45番「告別」のそれと似たような感じで、直線的に少し進んでいきそうなところでプイと休止が入ってしまうのがおもしろいですね。とにかく一筋縄ではいかない音楽という感じで、こういう流れの断絶して、余韻を残すみたいなやり口(?)は、ちょっと後年のブルックナーを思い出させたりしますね。

 さて、お約束のニックネームですが、ハイドンの交響曲もシュトルム・ウント・ドランク期に入り、どうやら一番最初の「名曲の森」に入っていているのか、デフォルトでニックネーム付いていた曲が続いたので、こちらはけっこうラクチンでしたけれど(笑)、この曲の場合、第4楽章の随所に織り込まれるいるこの休止にちなんで、ゲネラルパウゼ(Generalpause)とでもしておきましょうか、カッコつけて略称の「G.P.」でもいいですどね。ともあれ、この時期の交響曲ともなると、以前と違い曲自体の個性が古典期の様式を越えてきたこと感じさせる場面がしばしばあり、ニックネームは付けやすい感じがします。
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ハイドン 交響曲 第45番『告別』から第四楽章/バレンボイム&VPO

2010年01月11日 17時22分43秒 | ハイドン
 「告別」の第四楽章といえば、昨年、いやもう一昨年になりましたが、ウィーンフィルのニューイヤー・コンサートで、ひとりまたひとりと演奏者が消えていく例のフィナーレを、指揮者の目を盗んでこっそりとステージから去っていくウィーンフィルの面々、それに狼狽しつつ、最後には懇願するようなあわれな指揮者という設定で、ニューイヤーならではの趣向として、かのコンサートのハイライトになっていましたよね。ついでながらそちらも視聴してみました。で、演奏だけ聴くと、やはりウィーンフィルの演奏は、いつも聴いているフィッシャーとオーストリア・ハンガリー・ハイドン・フィルのものに比べると、例えお祭りライブ、しかも「お遊び」みたいな演奏といえども、いかにも上質なふっくら感があり、角が丸まった柔らかい音色なのはさすがです。

 なにしろここ数年、ハイドンといえば、いかにも古典派といった感じで、スリムでシャープなフィッシャーとオーストリア・ハンガリー・ハイドン・フィルの一律的な演奏ばかり聴いてきましたから、こういう構えの大きな演奏(指揮がバレンボイムのせいかやや腰が重いですが)は、「大指揮者とメジャーなオケによるハイドン演奏」を感じさせてくれて新鮮でした。ちなみにこのDVDでこの場面も観てみましたが、バレンボイムが本編の方もかなりオーバーアクション気味に振っていているのは演技なのでしょうか。さて、問題の場面ですが、実際はひとりひとりではなく、弦なら1プルトづつとか、けっこうごっそり多抜けていきますね。狼狽するバレンボイムはなかなかの役者です(笑)。しかし、この人、小癪な顔した中堅スター指揮者みたいなイメージありましたけど、そんなのは今やとっくに大昔の話で、髪もすっかり薄くまた白くなって、重厚な大指揮者になってきたことを感じさせました。

※ 余談ですけど、このコンサート、私はDVDで購入した訳ですが、このところ今年のプレートルが振ったニューイヤーとか、ブルーレイ・ディスクの映画などハイヴィジョン画質のものを見慣れてしまったせいで、いかにもクウォリティが劣るように感じられて仕方ありませんでした。これから購入するならやはりメディアはブルーレイですかねぃ。
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ハイドン 交響曲 第45番『告別』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年01月11日 16時48分16秒 | ハイドン
 先の「悲しみ」が良かったので、調子にのってこちらも聴いてみました。交響曲第45番「告別」....とても有名な作品です。シュトゥルム・ウント・ドラング期の交響曲群の中ではもっとも知名度が高く、また演奏会や録音が多い作品という気がします。この時期の作品らしく調号は嬰ヘ短調で、第1楽章は冒頭からかなり物々しく荒々しいパッションが印象的で、弦のユニゾンを含む細かい動きが非常にダイナミックです。妙に孤立した印象の第2主題はのどかな感じですが、それも長く続かず展開部では再び第1主題の荒々しいダイナミズムが戻ってきます。第2楽章は長調のようで、平静でゆったりした音楽でもって進んでいきますが、音楽がとまりそうになったところで陰影のある短調のパートが登場、楽章はこれを何度か繰り返しでもって、徐々に音楽の深度を増していくという格好になっています。確かに中間部以降の瞑想的な音楽は初期ロマン派の緩徐楽章を先取りしたような微妙な色合いがあり、味わい深いものがありますね。

 第3楽章は穏やかなメヌエットで、前にも書きましたけれど、この時期になってくると、農民の舞曲をベースにしたメヌエットという音楽形態も、音楽的にかなり芸術品として格調高さと味わい深さが感じられるように思います。この楽章ではトリオで登場する牧歌的なホルンがいい雰囲気を出しています。第4楽章は嬰ヘ短調へと回帰して、第1楽章同様激しい音楽へが展開されます。この楽章は長大なおまけがつくことをこちらが知っているので、この山あり谷ありという感じの展開部は、ややもって回った感がなくもないですが、いずれにしても再現部が終えると、例の有名な部分になります。演奏者がひとりずつ演奏をやめ、最後にヴァイオリン奏者2名が残るという例の趣向です。純粋に4楽章の交響曲としてのプロポーションを考えると、短調でまとめられたこの交響曲にとって、このパートは蛇足以外の何者でもないという感じはしますが、この曲のメルクマールとして絶大な印象を残すのも確か。あまり固いことをいわずにこの長大なコーダをニタニタしながら楽しみたいですね。
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ハイドン 交響曲 第44番『悲しみ』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年01月11日 11時09分46秒 | ハイドン
 44番はホ短調です。この調性といえばかのブラームスの交響曲第4番やドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」が思い出されたりしますが、wikiによればホ短調というのは『なまめかしさや悲しさを表す(シャルパンティエ)』、『非常に考え込み、深く沈み、悄然とし、悲しげな状態を作り出す(マッテゾン)』とあるように、直裁的な悲しさや悲愴味というより、もうすこし抑圧的なところでそれを表現するのに適した調性のようで、当時シュトゥルム・ウント・ドラング期のまっただ中だったハイドンは、第39番「the FIST」で採用した「疾走する悲しみ」であるト短調に続いて、もう少し内省的な調号であるこれを選んでみたというところでしょうか。

 ともあれ、日本人は短調好き、純文学好きですから、これまでほとんど明るく平明なアポロ的様式美の追求をしていた、これまでの交響曲群の中でも、前述の第39番の「the FIST」とあたりと並んで、その短調という個性故なんでしょうね。様式感に曲自体が埋もれず、「目立って聴こえる曲」と感じます。私などご多分に漏れず日本人的感性を発揮して、この曲には冒頭から他の曲とはひと味違う、ただならぬオーラのようなものを感じました。第1楽章はユニゾンで始まる主題からシリアスな雰囲気が漂っていて、エモーショナルというより、ストイックで厳しい雰囲気が印象的。一方、第2主題の方は対位法が印象的なスケールの大きなもので、曲の空間をぐっと広げています。展開部では第1主題をしずしずと扱いつつ、次第にテンションを劇的に高めていきます。第2楽章がメヌエットになっていて、通常とは2,3楽章のポジションが逆です。これもあまり文学的、構造的に深読みするほどのことではないと思いますが、重厚な第3楽章をハイライトにしたかったくらいのところではないでしょうか。ちなみにこの第2楽章はメヌエット部は第1楽章と同じホ短調で、舞曲にはまるで聴こえてこない、独特な静謐感がある曲調となっています。

 ついで第3楽章は、なんでもハイドンは自分の葬儀にはこの楽章を使って欲しい旨、遺言を残したとか残さなかったという曰く付きのものらしいですが、この楽章のホ長調といのは、この曲が作られた時代にはホ短調と並んで葬送曲用に使われることが多かったようです。今の耳にはこれが葬送用とはちと考えにくいですが、平明で透明感のあり格調高い楽章になっています。最終楽章はホ短調に戻って、やや物々しい雰囲気と緊迫感を漂わせつつ(まるでヨーロッパ映画のサントラのよう)、カノンなども交え、アレグロのテンポで一気呵成に進んでいきます。
 という訳でこの曲は気に入りました。ただ、日本人のワビサビの感覚からいうと、この曲『悲しみ』というニックネームより、もっと少し文学的なニックネームが欲しいところですね、だからといって適当なニックネームを提案できる訳でもないですが(笑)。
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ハイドン 交響曲 第43番『マーキュリー』/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2010年01月10日 11時23分56秒 | ハイドン
 この43番もシュトルム・ウント・ドランク期の作品です。第1楽章はゆったりした面持ちの序奏(?)に始まりますが、やがて伸びやかで快活なへ第一主題へと変わっていきます。続く第二主題はあまり第一主題の方と性格が対照的になっていないため、「あれこれといろいろな要素は入っていそうだが、今一歩明快さに欠ける」という感じがしないでもないです。おそらくこれは意図的にこのように作曲されたものなんでしょうね。後半にテンションが高まるところなど、シュトルム・ウント・ドランク期特有の緊張感が感じられたりもしますが、全体とてはどうもつかみ所がない感じで、その良さを体感するには、かなり聴き込む必要があるかもしれません。
 第2楽章は、おとなしめのヴァイオリンが楚々とした主題を演奏しています。この演奏だと全4楽章中最長の8分強の時間をかけていますが、かつてのハイドンの緩徐楽章といえば、セールポイントは平穏さだけみたいなところありましたが、さすがにこの時期になると、ベートーヴェンを予見させる思索的な風情があります。

 第3楽章のメヌエットは格調高い仕上がり、かなり宮廷風な感じですが、いつにも増してリズムが太く、また対位法の線がきれいなのが印象的に残りました。トリオはソロ・ヴァイオリンがフィーチャーされ、ちょっと静謐な感じもあるこれまた格調高いもので、第2楽章同様、音楽として純度の高さを感じさせます。最終楽章では第1楽章の明るく伸びやかな雰囲気に戻って進んでいきます(いくぶんバロック的といえるかも....)。ただし、ハイドンの最終楽章らしく、一気呵成にラストまで進んでいき、一陣の風の如く終わるという感じでもなく、途中、妙に落ち着いた風情となったり、思い出したよう快活になったりと、そのとりとめなさも、つかみ所のなさもなにやら第1楽章と共通しているように感じました。
 なお、この43番は慣例的には「マーキュリー」というニックネームがついているようですが、何に由来してそうなったのか、ネットであれこれ調べてみても、結局はよくわかりませんでした。マーキュリーといえば「水星」のことですが、占星術とか神話(科学とか商業の守護神でしたっけか)かなにかが関係あるんですかね。興味あるところです。
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ハイドン 交響曲 第42番「さきがけ」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月29日 12時33分30秒 | ハイドン
 この42番ですが、前の41番とほぼ同様に第1楽章冒頭は全合奏による和音でもって開始します。かなり推進力を感じさせつつ、ぐいぐいと進んでいく様はちょっとベートーベンの「英雄」を思わせる趣がありますね。冒頭の和音がところどころで循環しつつ、楽曲が精力的に展開し、次第にスケール感を上げていく様も「英雄」的といえます(演奏時間も8分強となかなかの長さ)。ハイドンは私が聴いた印象でも、これまでこうした「英雄」的なムードを予見したような音楽を何回か書いていますが、中でもこれはかなり酷似したものといえるのではないかと思います。第2楽章は9分半とかなり長く、従来の楽天的な明るいムードというより、もう少し複雑な感情を表すかのようにいくつかのモチーフが錯綜してかなり重厚な楽章となっています。この作品はシュトルム・ウント・ドランク期に属するようですが、そろそろこういった楽章でもにベートーベンやシューマン、そしてブラームスといったドイツ・ウィーン流のロマン派的な緩徐楽章に近い雰囲気になってきました。

 第3楽章はハイドンらしい明るいメヌエットですが、いつもよりいささかスクウェアで生真面目、いささか角張ったリズムが感じられますね。その意味ではこれもこじつければ「ベートーベンのスケルツォももうすぐ」みたいな感じがなくもないといえるかもしれません。トリオはスケルツォそのままで室内楽風な音楽になります。最終楽章はいつものように直線なアレグロの進むフィナーレというより、細かい音符が躍動し、多少ぎくしゃくした音楽(途中小休止も何回かあるようですし)になっています。これまた最後を変奏曲で締めくくった「英雄」を思わせる絡め手のカタルシスがあります。ついでに書いておくと、後半のふたつの楽章は併せて8分くらいで終わりますが、この頭でっかちなバランスというのも考えみれば「英雄」的ですよね。という訳でこの42番、非常に個人的な印象かもしれませんが、ベートーベンの「英雄」を先取りしているという意味にひっかけて、「さきがけ」としてみました。うーむ、ちょっとごじつけが過ぎるかな(笑)。
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ハイドン 交響曲 第41番「トリプレット」/フィッシャー&オーストリア・ハンガリー・ハイドンPO

2009年12月27日 12時22分57秒 | ハイドン
 こちらはシュトルム・ウント・ドランク期の作品。短調ではありませんが、全体に落ち着いた風情が漂っていて、それ以前の作品に比べると、構えや佇まいといった点でかなり重厚になっている気がします。第1楽章は全合奏による和音を序奏に開始、当時はきっとモダンな始め方だったんでしょう。これまでハイドンの交響曲は41番まで聴いてきた訳ですが、この後はそれこそ沢山このパターンを踏襲するのだろうとは思いますが、これまでだとこうした「一撃開始」はなかったように記憶しています。主部は流麗さが際だち(ちょっとモーツァルトのピアノ協奏曲を思わせます)、職人的にまとめ上げて居る感じですが、主題的はちょいと決め手に欠くところも感じます。第2楽章はおとなしめの弦に導かるフルートのソロをフィーチャーしつつ、長調なんだけど一瞬短調のようにも聴こえる一種独特な牧歌的ムードを醸し出しています。また、中間部はかなり手の込んだ作りになっています。

 第3楽章のメヌエットはやはり構えが大きく重厚さがあります。従来の舞曲的な軽さから明らかに交響曲という「大きな曲」を構成するひとつパーツとして考え始めたという気配が感じられますね。第4楽章は三連符で執拗に繰り返されるモチーフが全体を貫いてるのが大きな特徴となっています(ちょっとメンデルゾーンの交響曲第4番の第1楽章を思わせたり)。ストレートな躍動感というより、じわじわと迫り来るような迫力がありますね。これも当時としては、かなりモダンな響きを醸し出していたんでしょうが、残念ながらここから何かが展開していくところまでいかずに、この三連符のみで押し切っているのがちと食い足りないところかもしれません。さて、ニックネームですが最終楽章の三連符にちなんで「三連符」といきたいところですが、ここはとち気取って英語で「トリプレット」とでもしておきましょうか。まぁ、ドイツ流に「トリオーレ」でもいいんですけど、この言葉は自分自身に馴染みがないので、やっぱ「トリプレット」で....。
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