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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」他/ティーレマン&ベルリン・ドイツ・オペラO

2007年04月30日 23時03分43秒 | マーラー+新ウィーン
 私が持っている「ペレアスとメリザンド」としては、これが8枚目で最後のものとなります。かれこれ2年に彼とフィラデルフィア管のワーグナー集を聴いて感心したもので、その直後に購入したので、例によって放置してあり(困ったもんです。ティーレマンで放置といえば、「トリスタンとイゾルデ」あるんですよね-笑)、本日ようやっと開封して聴いたという訳です。この演奏は、99年にベルリン・ドイツ・オペラを振っての演奏となりますが、前述のワーグナー集と同様、奇をてらったところのない正統派の演奏で、現代に甦った独襖伝統の解釈という感じがします。

 ともかく、非常に安定感のあるピラミッド状のオーケストラ・サウンドと瑞々しいフレージング、ハーモニーが印象的な演奏で、もう何度も書いていることなので気がひけるのですが、この作品の前衛性やエキセントリックなところは全て解決して、ワーグナーからマーラーやリヒャルト・シュトラウスと続いたドイツの後期ロマン派的な音楽のロジックに、この作品を無理なく収めきった演奏ともいえるかもしれません。ひょっとしたらリヒャルト・シュトラウスより保守的に聴こえるくらい伝統的な表情、雰囲気が感じられるほどです。このあたりは、年月の経過による作品の熟成ということもあるでしょうが、作品の中から大きなうねりのようなものを見いだして、大河的な流れの中、伝統的な表情でこれを演奏したこの指揮者のセンスというのもやはり看過できないところだと思います。

 ちなみにこのアルバム、フィルアップにはワーグナーの「ジークフリート牧歌」が収められていますが、続けて聴いても全く違和感がないのは、ティーレマンがまさに「ジークフリート牧歌」と同類の音楽として「ペレアス」を解釈しているからでしょう。それも無理してそう解釈しているのではなく、ごくごく自然にそうなっているところが、この指揮者の世代でもあり、また優れたところでもあるんでしょうね。 
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シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」 聴きくらべ [3]

2007年04月30日 13時56分44秒 | マーラー+新ウィーン
・ブーレーズ指揮シカゴ交響楽団
 91年にシカゴを振ったもの。ブーレーズはその後、グラムフォンでマーラーを振って時ならぬ再ブレイクをする訳ですが、この演奏もその後のマーラーと共通するような、かつての戦闘的で研ぎ澄まされたシャープさのようないく分後退し、多少角がとれて自然な流れで音楽を作っているように感じます。
 加えて、これもマーラーと共通している点なのですが、とにかくテンポが早く、ある種の軽さのようなものかあります。60~70年代に振った「浄夜」にあった、狂おしいような激しさはほとんどなく、この曲の音色のおもしろさ、あえていえば印象派風なところ(第3部なんてドビュッシーの「海」のよう...)をクローズアップして、さっさと音楽を進めていくという感じです。
 オケのシカゴは相変わらずの名人芸で、各パートの精妙さシャープさはさすがですが、指揮がブーレーズなせいか、やや腰高なところが気にかかります。音質はややナロウで91年にしては、ちょいクウォリティ低めです。

・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 私はこの演奏でもって「ペレアス」を知ったせいか、実にしっくりとくる演奏です。冒頭から雰囲気満点、まるで怪奇映画の始まりみたいな雰囲気ですが(笑)、70年代にこの曲を演奏するということは、やはりこうした不気味さをクローズアップせずにはおられない時代だったんでしょうね。
 ちなみにメインのテーマもいかにも物々しくてワーグナーみたいだし、図太いバスを底辺置いたピラミッド状のサウンドもいかにもドイツ風で、先のブーレーズとはあらん限り対照的な音楽作りになっています。カラヤンとしては、ほぼR.シュトラウスを振るような感じでこの曲に対応していることは明らかで、流れるような美しさ、オーケストラ・サウンドの色彩感の華麗さなどはいつものこととはいえ彼の独擅場となってます。
 あっ、あとけっこう久しぶりにコレ聴いたのですが、意外にもそれほど「激しくない」ですね。もうちょっと壮絶な演奏というイメージあったのですが....。

・レヴィ指揮アトランタ交響楽団
 こちらは94年の収録で、いかにも今時な流れるようにスムースな「ペレアス」です。ブーレーズのように早過ぎることなく、私にとって調度良いぎりぎりくらいの遅さ、堅牢なバランスで、やや歌い回しとかがそっけないところはありますが、ひとまずゆったりと安心して楽しめる演奏という感じですかね。
 「ワーグナー」のトリスタンのような第3部では、テラーク特有の澄み切った音場の中で、高解像度の音楽が展開され、さながら映像的ともいいたいようなサウンドになっていて、なかなか聴きものです。まぁ、ここまで当たり前に刺激のない甘目なロマンチック・サウンドに仕上げられると、もはや1940~50年代のハリウッド映画みたいな雰囲気すらありますけど。
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私の愛機 [12] YAMAHA CDR-HD1300 (HDD/CD Recorder)

2007年04月29日 23時51分53秒 | PC+AUDIO
 本来PC用に開発された記録媒体(HDD、CDR等)に、CD等から音楽を記録してピュアオーディオのスタンダローン製品として、オーディオ・システムに組み込んで楽しむ....という製品はこれまでいくつかの製品を購入した。MARANTZのDR-17 (CD-R/RW レコーダー)、OnkyoのMB-S1(20G HDD)などがそうだが、どれも帯に短し、たすきになんとやらで、愛用というところまでいかない内に売り払ってしまった。現在残っているのは、2004年11月に購入したヤマハのCDR-HD1300である。もっとも、これもメインのシステムでつかっているのではなく、デスクトップ・パソコンの脇のサブ・システムでつかっているもので、デスクトップパソコンを余り使わなくなってしまった最近は、こちらの出番もほとんどないのだが....。

 さて、この機種の特徴はハードティスク搭載機でありながら、MP3方式などの音楽を圧縮してハードディスクに大量に保存するという考え方をとっていないところにある。基本的にはリニアPCMで音楽をハードディスクにコピーして、それを劣化させず編集して後、CDRに焼き付けるという考え方である。ちなみにCDRに焼き付けると、ハードディスク上のデータは消える、つまりデータを移動させたということで、大量に複製することを防ぎ、著作権等をクリアしているのだろう。なかなか上手い考え方だが、残念ながら全く流行らなかった。何故かといえば、パソコンではそんな面倒なことをせずとも、いくらでもコピーできるし、融通の効く編集もできる....何が哀しくて、CDR-HD1300の小さなディスプレイと格闘しつつ、ちまちま編集せにゃならんのか?というところなのだろう。ついでにiPodの大ヒットもあって、ハードディスクに保存するのは実サイズ約10/1のデータというのがあまりに一般化してしまい、なんでMP3できないの....という疑問もあったものと思われる。実は私もこのキカイを使って、CDRを編集したりしたことは一度もない(笑)。

 では、何に使うのかといえば、結局良く聴くCDをこのキカイのハードディスクに無圧縮で保存して良質な音質で音楽を楽しむということだ。このキカイのハードディスクは40Gだから50枚以上は入る訳で、これを購入した時はヨーロッパ系のピアノ・トリオを沢山入れていたものだ。iPodやWalkmanなら我慢もするが、自宅にいる時くらいは圧縮音源は勘弁して欲しいということだ。
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スキャンドール (ラトゥアーダ監督作品)

2007年04月29日 22時31分48秒 | MOVIE
 81年制作のイタリア映画。私がこれを観たのは名画座だったと思うけれど、これが日本て封切られた頃は、少なくなったとはいえ。こういうイタリア映画もまだそこそこ公開されていたのだなぁと思う。内容は「女であることを最大の武器として生きる母と、性に目ざめだした娘の欲望と葛藤を描く」とネットの解説にはあるけれど、まぁ、一種の愛欲劇(古い言葉だ-笑)である。私はこの手のどろどろしたドラマというのは苦手なのだが、娘役を演じたバーバラ・デ・ロッシのエロティックさにやけに興奮したのが今でも印象に残っていて、今回、ひょんなことからオークションに出回っているを見つけて購入して、実に四半世紀振りに観てみたのだった。

 記憶によれば、ずいぶんエロティックな描写が多い映画だと思っていたが、さすがに四半世紀という年月の経過は大きい、全体としては、今じゃこれくらいの裸はTVでだってOKさ!みたいなレベルの描写が、時々で出てくるくらいのもので、まぁ、そんなもんだろうとは思っていたが、力一杯拍子抜けしてしまった(笑)。
 とはいえ、バーバラ・デ・ロッシはさすがに今観てもとても綺麗だ(なにしろこのビデオは彼女を観るために買ってきたようなものですから)。この映画ではどっちかというと性に目覚め過ぎな娘役だけど(笑)、長い髪に気品ある目鼻立ちという顔といい、楚々とした雰囲気といい、もう少し清純な役をやってもよかったと思う。事実、この作品の前の出演した「今のままでいて」ではそういう役だった訳だし、この作品でもクリオ・ゴールドスミスと役を逆にした方が合っていたのではないかなぁ。

 ちなみにこの作品、監督はアルベルト・ラトゥアーダという人で、若い女優を綺麗に撮る名人である。50年代に「芽生え」でジャクリーヌ・ササール、60年代に「十七歳よさようなら」でカトリーヌ・スパーク、そして70年代には前述の「今のままでいて」でナスターシャ・キンスキーを、もうこれ以上ないくらいキュートで瑞々しい魅力溢れるティーンエイジャーとしてとっているけれど、ここでのバーバラ・デ・ロッシもそういうしたラトゥアーダの演出のせいか、とても魅力的だ。それに比べて、モデル出身でヴォーグの表紙になったとかいうクリオ・ゴールドスミスにはあまり魅力を感じていないようで、ほとんど撮りっぱなしという感じなのが哀しいが。

 ついでに書くと、この作品で描かれる割と泥臭い生活描写や殺人にまで発展するパッショネートなどろどろした情念みたいなものは、なんとなくラトゥアーダの映画的な出発点であるイタリアン・ネオリアリズムの残り香みたいなものが感じられなくもない。そういえばレナート・サルヴァトーリ(「若者の全て」)とかも出てくるんだよね。
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炭火珈琲

2007年04月28日 21時07分35秒 | others
 コーヒーは日常生活の必需品である。挽いた豆をドリップして飲むようになったのは10代の後半くらいからのことだったから、もう30年も飲み続けている訳だ。これは酒やタバコの付き合いより長い訳で、私にとってもはやコーヒーとは完全に日常生活の句読点と化しているのだ。で、これは私がオヤジであることを証明している「好み」なのかもしれないが、私が好んで飲むコーヒーは、焙煎の深くコクと苦みがたっぷりものが多い....というか、職場や出先ならいざしらず、自宅で飲むのなら、それ以外コーヒーはまず対象外という感じである。ちなみにここ20年くらいは、自家焙煎をしているショップが近くにあり、もっぱらそこのトアルコトラジャを「利きコーヒー」として愛用していたが、ここ一年くらいドトールの炭火珈琲というのもよく飲む。

 そもそも私は前述のショップに炭火珈琲がなかったので、トラジャを飲むようになったというくらい炭火焙煎のコーヒーが大好きなのだが、デパートやスーパーなどでお目にかかる炭火珈琲は、とにかく焙煎が中途半端に浅いものが、個人的にはろくなものに出会えたためしがなかったのだが、これはなかなかイケる(あまりにドトールに行きすぎて、あの店の味に馴染んだというところもあるかもしれないが)。こういうところのものとしては珈琲館のそれに並ぶくらい、コクの深い、いかにも炭で焼いたような丸い苦みがおいしいし、そもそも前述のとおり出張の出先に飽きるほどドトールに入ることが多いので、すぐに手に入るところも便利だ。なにしろ、近くのショップは週末いくと、奥さんが一杯だし(笑)、珈琲舘では車で10分くらいかかるので、すぐ買えるというのは重要な要素なのである。ちなみに200グラムで1000円くらいだから、値段もそこそこである。
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シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」 聴きくらべ [2]

2007年04月27日 22時06分18秒 | マーラー+新ウィーン
・バルビローリ指揮ニュー・フィルーモニア管弦楽団
 67年の録音で、私が持っている「ペレアスとメリザンド」としては一番古い演奏です。おそらくカラヤンとベルリンの演奏が出るまでは、ほとんど唯一といってもいいような演奏だったのではないでしょうか。演奏の方はといえば、この作品が未だ海のものとも山ものつかった時代のものだけあって、非常に激くかつ陶酔的なものです。
 バルビローリというと良く旋律を歌わせ、全般に柔らかいタッチの音楽を作り上げるイメージがありますが、この演奏では「トリスタン」の如く陶酔的なところは確かにそういう特色を良く発揮しているものの、不協和音を叩きつけるようなところやSE的といいたいような音響的な部分では容赦ないタッチ激しい音楽を演出しています。その様は表現主義というより、むしろアシッド....いや、サイケデリックといいたいような色彩感があってなかなか凄いです。
 ちなみに、この録音はデッカのフェイズ4のEMI版ともいえるマトリックス6という録音方式がとられているようですが、かなりハイ上がりのデモ効果満点の高解像度ぶりが、この演奏のサイケデリックさを否応なく盛り上げています。

・シノーポリ指揮フィルーモニア管弦楽団
 こちらはバルビローリ指揮のものから四半世紀後の91年の録音。オケは同じフィルハーモニア管弦楽団ですが、四半世紀という年月がこの作品を熟成させ、ロマン派の名曲として古典化したのを如実に物語る実に落ち着いた演奏といえます。同じオケとは思えない角のとれた柔らかい音色は録音の違いあるんでしょうが、やはり解釈という要素も大きいのだと思います。シノーポリ指揮の演奏は先日のマーラーや「浄夜」でもそうでしたけど、ことオーケストラ・サウンドということに関しては、割とダークでモノトーンな雰囲気が強いのが特徴ですが、今回はバルビローリの極彩色の演奏を聴いた演奏ですから、なおさらそうした特徴を強く感じさせます。
 また、他の演奏だとあまり聴こえてこないディテールを、妙なところで浮き上がらせたりするところもこの演奏の特徴かもしれません。全体としては非常に落ち着いた渋い演奏なのだけれど、時々妙に微細なところをクローズ・アップする....そういうところが、昔、この人が精神医だったところに関連づけられたりしたのかなぁ。
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シェーンベルク 「浄夜」 (まとめ)

2007年04月26日 23時59分01秒 | マーラー+新ウィーン
 数えてみたら「浄夜」も16枚レビュウしてました。私は新ウィーンの新譜なら再発なりで自分で持ってないものを見かけると、かなりの確率で購入してしまうのですが、この曲の場合、交響曲のフィルアップとか、組み合わせのソースとして選曲されることも多いためか、けっこうな種類があったというところでしょうか。まぁ、10種以上はあるとは思ってはいたものの、まさかこんなにあったとは....。この曲、同じ弦楽合奏ということで、よく引き合いに出すチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」などより、現在ではよほど人気曲なのかもれませんね。

 さて、今回まとめて聴いた印象としては、70年までの演奏は弦楽六重奏版でも弦楽合奏版でもそうですが、とにかく狂おしいまでに激しさと、忘我の境地で陶酔する甘美な部分の落差がやたらと大きくとった典型的な表現主義芸術というか、たたずまいをもっているの特徴といえるでしょう。具体的にいえば、ブーレーズの弦楽合奏版では激しさが、カラヤンでは陶酔的な甘美さが、アサートンは音響的なエキセントリックさが全面に出されていましたし、弦楽六重奏版ではラサールがやや突き放したような冷徹なバランス、また、ブーレーズの弦楽六重奏版では弦楽合奏の時とは逆にロマン派的な陶酔感が全面に出していたといえますが、いずれにせよ、どれも緊張感の高い、息詰まるような雰囲気の中で演奏が進んでいくものでした。

 ところが、80年代降の演奏では演奏がかなり様変わりして、この曲の伸びやかな美しさのようなものを全面に出し、不協和音や耳障りな音響が使われる部分は解決済みの問題として、さらりと流すというスタイルになっているようです。あえていえば「リラックスした演奏」に聴こえる演奏がにわかに増えていたように感じですかね。その代表格はこの曲の明るい色彩感と甘美な旋律を全面に出したシャイーの弦楽合奏版とシェーンベルクSQの演奏ということになるんでしょう。更にいえば、こうした傾向は90年代になるといっそう加速しているようで、サロネンだとか湯浅の振った演奏となると、もうムーディーといいたくなるような、耳障りの良い「当たり前に美しい音楽」になっていくように聴こえました。

 ちなみに80年代以降の演奏でも、オルフェウスCOはかなり緊張感の高い演奏でしたけど、独特なリズムのキレから来る「軽さ」のようなものは、やはり今時を感じさせました。また、私の聴いた演奏で一番古いものだったストコフスキーはややハリウッド映画のサントラみたいなムードがやや古くさい感じがしたのが難点だったですかね。
 という訳でいろいろ聴いてきて、特に印象に残ったのはラサールのパーフェクトさ、シャイーのみずみずしさ、サロネンの流麗さといったところですか、前まで完璧だと思っていた演奏だと思っていたカラヤンの演奏が少々古くさいと感じたのは、やはりその後のリラックスしたスタイルが一般化して、そういう演奏を沢山聴いてしまったせいかもしれませんね。
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AU Sony Ericsson / W51S

2007年04月26日 06時06分22秒 | PC+AUDIO
 という訳で、この22日にW51Sを購入しました。色は黒、前のW32Sはオレンジと黒の組み合わせで、デザイン的にもけっこうインパクトありましたけど、今回のは好意的にみると控えめな品の良さがあり、悪いえばかなり地味な印象ですかね。4,5日使った印象としては、若干インターフェイスか変更され、また細か使い勝手はいろいろとちチューンされているようですが、同じソニーなので違和感はほとんどなし。懸念された処理速度の低下もほとんど感じられませんでした。従って今回のアドバンテージはやはり画面が大きくなったということにつきますかね。この大きなディスプレイを利用して待ち受け画面にニュースを表示したり、気の利いた英単語を出してみたりしと、これはいろいろと活用できそうなので、カスタマイズもけっこうおもしろうです。あと、私は騒々しい着うたとは全く使わない人なので、デフォルトの着信音とかが少なくて、もうすこしヴァリエーションあったらなぁ....とは思いました。ともあれ、この機種、現在あれこれいじくっている最中ですので、全体としてはもっと違う姿も見えてくるかもしれませんが....。

 ちなみにこの機種はソニエリなので、Atracでエンコードされた音楽ファイルをSonicStageで本体に転送することができ、簡易ウォークマンとして楽しむこともことができるようで、どんな音で鳴るのだろうと、転送を試みたところ、転送回数の問題なのか、設定なのか、何度やっても失敗するんで、あれやこれやとの2,3日そればかりやってましたが、どうもメモリースティックにあるマジック・ゲートという暗号化が障害となっていそうなので、装着してあるメモリスティックについてネットで調べてみたところ、マジックゲートに不具合のある交換対象品だったことが判明。ついでなので現在大暴落中の1Gのメモリスティックを購入して転送したところ何事もなかったかのように転送が成功しました。ちょっと聴いてみましたが、音質的にはシャリシャリしたいかにも安っぽいもので、WalkmanやiPodが電池切れの際に、使うくらいのものかなぁ....という感じで、まぁ、確認できたら、正直あまり使うこともなさそうです。
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肉乾

2007年04月25日 12時25分26秒 | 台湾のあれこれ
 肉乾は台湾の名物である。お土産屋さんなどに行けば、まずは見ないところはないという代物だ。日本だと外国人向けのおみやげとなるような食品と、日本人が日常的で食べるものは微妙に一致しないと思うのだが、これは台北のいたるところにあるコンビニにも大抵置いてある(おみやげ用は箱、コンビニでは袋という違いはあるし、中身はほとんど同じなのにおそろしく値段が違ったりするが-笑)。例えば、ささきいかのようなものは、おそらく日本人にとっては非常にポピュラーな日常食ではあるが、外国人向けの「日本の顔」として、通用しているかといえば、そうでもないでもないと思う。ところが、これは台湾人の日常食でありながら、おみやげ品としても立派に流通しているのが凄い。

 さて「肉乾」だが、これは私の購入した範囲では「猪肉乾」と「牛肉乾」の2種類がある。肉乾という字面から大体想像はつくと思うが、要するに「味付け干し肉」のことで、気取っていえば、「ポークジャーキー」とか「ビーフジャーキー」ということになるだろうか。ちなみに、お土産屋さんよっては「肉の佃煮」と紹介するところもある。味の方だが、腸詰めなどと同じようなおおらかな甘さと、多少エキゾチックな野趣を感じさせる辛みが奇妙に入り混じった独特な味付けである。食感はジャーキーのような堅さはなく、ごくごく柔らかいのもユニークなところだろう。加えていえば、こういうつまみ系のものは大抵そうだが、とにかく「後を引く」、「クセになる」味で、酒のつまみなどにすると、一袋くらいあっという間に平らげてしまったりする逸品だ。
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シェーンベルク 交響詩「ペレアスとメリザンド」 聴きくらべ [1]

2007年04月25日 00時05分09秒 | マーラー+新ウィーン
 実は「浄夜」と平行して、これの次の作品である交響詩「ペレアスとメリザンド」もぼちぼちと聴いていたりもしました。この曲も「浄夜」同様、濃厚な後期ロマン派な情感に満ちた官能的な作品ですが、オーケストラは4管、演奏時間は45分と「浄夜」と比べてより大規模で大きなスケールをもった作品になっています。曲は大別して4パートに分かれていて、第1部は主題提示部、第2部がスケルツォと緩徐楽章に相当し、後半の第3部は展開部、そして第4部が主題再現部と、4楽章制の交響曲を構成する要素を巨大な単一楽章としてまとめた構成となっています。プログラムは有名な北欧の伝説「ペレアスとメリザンド」をメーテルランクが戯曲化したもので、メリザンドという女性を巡るゴローとペレアスという兄弟の三角関係がストーリーの流れになっていますが、本日、聴いたのはとりあえず2種類ですが、「浄夜」と似たような感想になると思いますので、とりあえず簡単に....。

・バーメルト指揮スコッティッシュ・ナショナル管弦楽団
 イギリスのマイナー・レーベル、シャンドスから出たもので、バーメルトはシャンドスのハウス・コンダクター的存在で同レーベルではストコフスキー編曲のワーグナー集とかいろいろおもしろいレパートリーを収録しているスイスの指揮者。スコッティッシュ・ナショナル管弦楽団はヴァレーズ・サラバンデのサントラ(スコア)録音の常連です。この演奏は87年の収録で、カラヤンが以降の「ペレアスとメリザンド」としては、けっこう早い部類になるとと思いますが、カラヤンが引きずっていた表現主義的だとか世紀末といった同時代性とはある程度決別した「古典化したレーパートリー」を目指した演奏といえます。またこの指揮者の個性なのか、表情も淡泊で全体にあっさりとした流れでもって、瑞々しさを湛えた演奏になっているのが、そうした印象を倍加している気がします。オケも好演ですし、録音も色彩的ななかなか楽しめる演奏になっています。

・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
 90年の収録、ロスとの「浄夜」はそうでもなかったですが、こちらはメータのアクのようなものがよく出ていて、私の好みとはどうもしっくりきません。前にも書いたとおり、じっくりと描写して欲しいところではなぜかすーすー流れ、逆部分ではなぜか弛緩気味になってしまうあたりがそうなのですが、この人の作り出す色彩感というのも、こちらの先入観かもしれませんが、どこか東洋風にエキゾチックなところがあったりして、そのあたりもそこはかとない違和感を覚えます。とはいえ、そのスケール感と大柄なプロポーションはこの「音の饗宴」と呼ぶに相応しい曲にはマッチしていますから、客観的にみれば、この曲を楽しむには不足のない演奏といえると思います。事実、今回はこの演奏を一番持ち出してきて、Walkmanなどでも頻繁に聴いていたのですが、ある程度比較する演奏ががなければ楽しめてましたから....。ちなみにこの録音、大太鼓の迫力が凄いです。
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シェーンベルク 浄夜(ピアノトリオ版)/トリオ・コン・ブリオ

2007年04月24日 22時00分50秒 | マーラー+新ウィーン
 自宅にある「浄夜」の演奏も先日の湯浅とアルスターのものが最後かと思っていたら、肝心なのを忘れてました。なにしろこれを買ったもんで、どうせならいろいろ聴き返してみようということで、このところ連続して「浄夜」聴いていた訳ですが、「浄夜」を探してCDラックのあちこちをひっくれそのうち、当初の目的を忘れてしまったというところです。さてこの演奏はエドゥアルト・シュトイエルマンという人が編曲したピアノ三重奏による「浄夜」です。シュトイエルマンという人はピアニストで、かつシェーンべルクの同世代、そしてある程度その進歩的な音楽観も共有していたようなので、この編曲もベルクやウェーベルンが編曲したも作品の次くらいには「正統派」としての価値があるんじゃないでしょうか。

 さて、肝心の内容ですが、基本的には「浄夜」の世界を3人で忠実に再現してはいます。特に致命的な欠落感を覚えることもないし、妙な違和感もありません。非常に精巧に出来た「浄夜」のミニチュアワークといったところでしょう。ただし、この曲は「いくつかの線が複雑に絡む音楽」という側面が確実にありますから、いくらピアノは2本の手で弾くとはいえ、本来6人でやるべき音楽を3人でやった寂しさはぬぐえません。特に心の葛藤を描いたような動的な部分だと、主たる旋律はオリジナルと同じように弦が歌っているのに、バイオレンとチェロの間隙を埋めるピアノがリリースの短い減衰系の音であることも手伝ってか、あまりにこじんまりとまとまってしまった感がつきまといます。結果として、この曲のどろどろした情念だとか、後半の魂が浄化されるような壮麗さだという点になると、多少食い足りなくなるという訳で....。

 そんな訳で、オリジナルが世紀末な主人公たちのドラマを生々しく再現したのだとすれば、こちらの編曲版その主人公たちを遠くで眺めているみたいな(笑)、割とサロン・ミュージック的な気分でさらりと描いたところでしょうか。その意味ではこちらも割と軽い気分で楽しむべきかもしれませんね。あっ、そうだ、こういう例えははどうでしょうか。弦楽合奏版がカラー映画で、弦楽六重奏版はモノクロ映画だとすると、このピアノ三重奏は同じストーリーを描いたオシャレな写真集みたいな感じ。だめ?。
 あっ、そうそう、余談ですが、ピアニストのアルフレッド・ブレンデルは、これはを編曲したシュトイエルマンの弟子だそうな。
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高勝美(カオ・シェンメイ) /我是不是[イ尓]最疼愛的人(DVD)

2007年04月24日 00時14分34秒 | 台湾のあれこれ
 先月レビュウした高勝美のDVDですが、残り2枚が届きました。先ほどそのうちの一枚を視聴しましたが、先月の「親密愛人」の方は20代前半くらいしか思えない、ほとんどあどけないといいたいくらいの姿を撮影したものがメインとなってしましたが、こちらはもう少し後年のソースが主体のようです。相変わらず欧米らしいスケールの大きな自然風景だとかエキゾチックな町並みをバックにぶらぶら歩いているところを映した映像に、曲と歌詞のテロップが流れるというお気軽なMTV集です(口パクしている曲すら数曲しかない-笑)。今回の映像で印象に残ったのは、90年代前半くらいと思われる長い髪を切って、ボプみたい髪型で唇をばっちり隈取った頃ですかね。これはなかなか素敵でした。

 それにしても、これは前回もそうでしたが、15曲も入っているのに、なにしろ自分が知ってる曲が出てこない、出てこない(笑)。聴き覚えのある曲が2,3曲くらいかな。さすがに膨大なレコーディングをしている人だけはあります(アルバム25枚として、概算300曲はレコーディングしてますから)。演歌からモダン歌謡まで、例のちょっとしゃくり上げるような歌い振りで、なんでも「高勝美ワールド」にしちゃうのはさすがですが、このところオークションや某ショップで彼女のCDもけっこう買い込んでいるので(現在10枚ほど所持、これは台湾ポップスとしては蘇慧倫につぐ枚数です)、映像観てニタニタしているのもいいですが、音楽単体ももうすこし聴き込んで、彼女のレパートリー覚えなくちゃいけない気がしてきました。

 ちなみに彼女の音楽、80年代~90年代前半くらいまでは、かなりバジェットな制作だったのか、けっこう打ち込みが多いです。ほんとベーシック・トラックはSC88で作ってそのまま、あと多少に生音かぶせた程度で一丁上がりみたいなのも多くて、これがなんともチープな趣があって逆に場末の台湾風景を思い出させたりしてとてもいいです。 
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LUIS ENRIQUEZ BACALOV / Quien Sabe ?

2007年04月23日 20時27分58秒 | サウンドトラック
1966年に制作されたマカロニ・ウェスタンのサントラです。私はこの映画を多分観ていませんし、このジャンルそのものが苦手の範疇なのですが、おそらく10年以上前に気紛れて購入してきたものだと思います。映画そのものは、メキシコ革命を舞台にした、政府を奪った武器を、革命軍に売りつける群盗を中心としたドラマのようで、主演はジャン・マリア・ボロンテで、クラウス・キンスキーなども出ているようですが、このあたりから察するに、この作品どうやら「荒野の用心棒」みたいなヒーロー型のドラマではなくで、もうちょっとダーティーなアクション編みたいな仕上がりのようです。監督はダミアーノ・ダミアーニで、この人も昔はその名前を頻繁に聞きましたが、彼が演出のタッチは全く記憶にない....。

 さて、肝心の音楽ですが、担当したのはルイス・エンリケ・バカロフという人。今調べてみたら、この人最近でも現役で1994年の「イル・ポスティーノ」でなんとオスカーを受賞して今やすっかり大家となってしまったようです。昔はイタリアの映画音楽家の中でも知る人ぞ知るという感じだったように思いますが、その知名度が急激上がったのはやはりニーノ・ロータの死後、フェリーニの「女の都」なども手がけるようになったあたりからでしょうか。もっとも彼はそれ以前からアレンジャーとしてカンツォーネやロックと関わりをもったりして、いろいろな活動をしていたようですが....。
 ともあれ、これはおそらくエンニオ・モルリコーネの後塵を配したB級映画音楽家といったとポジションで作られたものでしょう。音楽的には非常にユニークで、これはおそらく彼がアルゼンチン出身という影響が強いのでしょうが、まずはメイン・テーマできこえるハープを効果的に使ったエキゾチックで鄙びたムードが独特の印象を残していますし、アコスティック・ギターをフィーチャーした叙情的な作品も良い味を出しています。また、かなりモダンに処理されたオーケストレーションも特徴的で、7曲目では「ペトルーシュカ」そっくりな響きが出てきたりして、けっこう楽しいものがあります。

 それにしても、ルイス・エンリケ・バカロフという人、前述のとおりオーケストレーションはユニークだし、イタリア的なところとエキゾチックなところが妙に入り交じった旋律もおもしろいし、けっこう看過できない存在かなぁ....と思い始めました。とりあえずオスカーを受賞したという「イル・ポスティーノ」でも聴いてみようかな。
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シェーンベルク 浄夜(弦楽合奏版)/湯浅&アルスターO

2007年04月23日 00時05分29秒 | マーラー+新ウィーン
 湯浅とアルスター管弦楽団の組み合わせによる新ウィーン楽派の音楽は調度2年前の今頃にウェーベルンの作品集を取り上げたことがありましたけど、新ウィーン以外にも日本作曲家選輯(先日取り上げた山田耕筰もこのコンビです)とかアメリカン・クラシックスなんかもナクソスで沢山振ってますから、さしずめ「ナクソスの20世紀音楽専用ハウス・コンダクター」といったところなのかもしれません。ちなみに湯浅卓雄は1949年生まれですから、目下58歳(もっと若いかと思ってました)、指揮者の世界では世代的にも中堅といったところでしょうが、彼が専属契約したナクソスは現在世界で一番売れているクラシック・レーベルですから、ひょっとすると、小澤という別格を除けば、彼は現在世界で一番CDの売れている日本人指揮者ということになるのかも....?。

 さて、このコンビによる「浄夜」ですが、これまたずいぶんとさっぱりとした演奏となっています。これが収録されたのは98年ですから、私がもっている「浄夜」の演奏でも最も新しいものになりますが(したがって、今回の連続レビュウもこれが最後の演奏です)、もはや全くといってほど、声高になったり、激高することない、実にさっぱりとした「浄夜」という感じがします。また、これは指揮者が日本人というせいもあるでしょうが、とにかく全体が実にあっさりとし、さりげなく繊細さが行き渡っているみたいな感触があって、調度小澤が指揮したマーラーなんかと共通する、まるで冷や奴食べてるみたいな感覚がある音楽になっているような気もします。
 ちなみにオケのアルスター管弦楽団ですが、アイルランドの比較的新しいオーケストラのようで、ほとんど無名なローカル・オケですから、超一流のアンサンブルという訳にはいきませんが、良く歌いなかつ柔軟さが感じられるオーケストラ・サウンドはなかなかのもので、「浄夜」を堪能するにはなんの問題もありませんでした。それにしても、このサウンドは湯浅だからこうなったともいえなくもないと思いますから、他の指揮者がこのオケを振るといったいどんなサウンドになるんでしょうね?。
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シェーンベルク 浄夜(弦楽合奏版)/サロネン&ストックホルム室内O

2007年04月22日 22時27分48秒 | マーラー+新ウィーン
 サロネンといえば思い出すのが、1990年代にロスアンジェルス・フィルと共演した一連のストラヴィンスキー。シェーンベルクとは違った意味で古典化が進まないストラヴィンスキーの様々な曲を、まるで普段着のような感覚で実にあっけらかんと、かつスポーティーに演奏して、随分と驚いたものです。今や有数のオーケストラ・ピースとなった「春の祭典」なども、かなり早めのテンポでウルトラ・スムースに演奏して、この曲につきまとう野趣だとか、複雑なリズムだとかいう、「難関」をもはや「解決済みの問題」としていともやすやすと演奏していましたし、それ以降の新古典派だの、12音なんかを駆使した曲でも、キレのあるリズムと独特の軽みを帯びたスリムなアンサンブルで、非常に分かりやすい演奏をしていたのです。

 この演奏はオケがロス・フィルではなく、サロネンの地元と思われるストックホルム室内管弦楽団ですが、前述のサロネン的なところはここでも十分に出ていて、もうなんの疑問もなく「ロマン派最終ステージを飾る名曲」と思える演奏しています。そのロマンチックさは、サロネンの制作した隠れ名盤バーナード・ハーマン集のそれとボーダレスに感じるくらいで、おそらく戦後はおろか、いわゆる「現代音楽」ですら、リアルタイムで間に合わない世代(サロネンは1958年生まれ)にとっては、ハーマンも「浄夜」も20世紀のロマン派という意味でさほどの違いはないんでしょうね。まさに世代とい他はありません。
 ちなみにこの演奏で、もうひとつ印象の残るのは、その温度感の低さですかね。このところ聴いた何種類かの演奏は、割と暖色系のサウンドに仕上がっているものが多かったですが、こちらは凍りそうに冷たい....訳でもないですが、フレージングは清潔だし、オケもスリムである種心地よい冷気のようなものが感じられるサウンドになっています。これはサロネンとストックホルム室内管弦楽団という北欧コンビによる演奏のせいなのかどうかわかりませんが、独特のひんやりした感覚があってユニークです。
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