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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ポール・マッカートニー

2005年08月31日 23時07分15秒 | Beatles
明日から9月、もう夏も終わりですねぇ。当ブログもこの2ヶ月間夏絡みの作品をずっとレビュウしてきた訳ですけれど、一応、これが締の一枚となります....って、「なんで、ポールの大昔のアルバムが夏なんだよぉ。」と思われるかもしれませんが、これはごくごく個人的な事情でありまして、なんていうか、このアルバム、夏というか8月31日になると思いだし、聴きたくなる代物なんです。

 中学・高校生の頃の8月31日の夜といったら、毎週日曜の数十倍ブルーな気持ちなったもんですが(私なんざいまでもその後遺症でブルーな気持ちになったりしますもんね-笑)、実は中学一年の夏休み最後の夜に聴いていたアルバムがこれなんですね。それまで「マッカートニー」というアルバムに対する印象は、スカスカで散漫、なにやら意味不明な曲が多い理解不能なアルバムといった感じだったんですが、夏休みの終わりという超ブルーな気分で、なにげに流していた時、このアルバムの魅力を発見したというところなんです。
 もっとも、その魅力の大半はこのアルバムに2ヴァージョン収められた「ジャンク」というもの悲しい曲に負うところが大きいんですけど、とにかくその夜、虫の鳴き声が庭からそこはかと聴こえてくる中、ちいさな音量でこの「ジャンク」が聴こえてきた時、「あっ、コレこんなにいい曲だったんだぁ」と曲の魅力を一瞬に会得したというか、早い話いきなりお気に入りの曲に仲間入りしてしまったということで、以来、8月31日というとこのアルバムを思い出し、実際、取り出して聴いてみると「ジャンク」のもの悲しい旋律があの時のブルーな気分をフラッシュ・バックさせるという訳です。

 つまんない話ですいません。それにしても中学一年の夏休みって。なんであんなに楽しかったのだろう?。私は小学校の時、学区外の学校に通っていたので、学区内の中学に通うようになって、新しい仲間が出来たことが大きかったんでしょうが、なんか、絵に描いたようなワンパクな夏休みで、子供心にも「燃焼した夏休みだった」みたいに思った記憶はあるんですよね。だけど、具体的なエピソードってもうあんまり覚えてないんだよなぁ....。
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アントニオ・カルロス・ジョビン/波

2005年08月30日 18時02分38秒 | Jobim+Bossa
 67年にジョビンが再びオガーマンと組んだ作られた問答無用のボサ・ノヴァの名盤です。音楽的には「イパネマの娘」と同様、オガーマンの編曲したストリングスとコンボにジョビンのシングル・トーンなピアノ乗るというスタイルですが、「イパネマの娘」の方が、ほとんどオガーマンの作品といいたいくらいにオガーマン的なセンスによる洗練されたアレンジでまとめ上げられたいたのに比べると、こちらは、一見にほとんど似たようなつくりではあるものの、オケがやや後方に回り、コンポとピアノが全面に出ているのが特徴といえましょう。

 もちろん、オガーマンの巧緻なアレンジはこのアルバムでも健在ではあるのですが、例えばアップ・テンポの中、めまぐるしく変わるリズム・パターンとピアノの早いパッセージをフィーチャーした「赤いブラウス」や浮遊感と催眠的ムードが印象的な「ディアローゴ」、珍しくヴォーカルをフィーチャーした「モハーベ」、土着的なリズムとエキゾチックなメロディーが印象な「キャプテン・バカルディ」などはそうした変化を物語っている曲といえますが、要するにジャズ的な躍動感とボサ・ノヴァというより土着的なブラジリアン・テイストが強まったというところなんでしょう。これは当時のジョビン自身の変化を反映してともいえます。
 総体的には「濃い作品」という印象でしょうか。おそらくボサ・ノヴァという枠からジョビンがはみ出ようとしているプロセスであるが故にこうなったんでしょうが、こうした傾向はアレンジャーがデオダードにチェンジした後の2作でよりはっきりしてきますから、やはりその後のジョビンの音楽性を予見した音楽ではあったんでしょうね。

 という訳で、正統派ボサ・ノヴァ・アルバムとして非常に有名な作品ではあるんではあるし、一度聞き始めると気持ち良いことこのうえないアルバムではあるんですが、正直申して「イパネマの娘」ほど聴く頻度が高くないのは、前述の過渡期な感じがひっかかるのではないか?と思ってます。また、収録された曲はどれもそれなり有名な作品ではあるものの、やはり超A級な作品ばかりが目白押しな「イパネマの娘」に比べるとやや地味なのも、私みたいなミーハーにはちょいと減点要素かも....なんていったら怒られるも(笑)。
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the VENTURES / Walk Don`t Run

2005年08月29日 14時36分14秒 | ROCK-POP
3枚組で1600円という値段につれて注文してきたもの。サブタイが「63 Great Tracks from the Legendary Instrumental Rock Group - recordings from 1995 - 2002」とある通りデジタル再録によるベスト盤だと思う。サンクチュアリー・レコーディングス・グループというイギリスのレーベルの発売だが、おそらくライセンス発売だろう。ひょっとするとベンチャーズは近年代表的なレパートリーの再録をしているかもしれず、これはそこからの発売なのかもしれないが、詳細は不明だ。

 大体、再録というはオリジナルを超えないものが多いし、再録そのものをベンチャーズの場合沢山しているような気もするので、メンバーが最近ではかなり高齢になってきた最近の再録となれば、ひょっとしてヨレヨレなんじゃないかとも思ったがなかなかどうしていい。基本的にはオリジナル演奏を忠実に踏襲、もちろん60年代の前ノリなシャープさチープであるが故の生じたパンク的な迫力だとかは薬にしたくともないが、割とフュージョン的なキダー・インストルメンタルとして楽しむには不足はないし、そういう雰囲気を重視した演奏だと思う。ついでデジタルのクリーンな音という魅力も大きい。バスドラムの音圧、残響、分離の良さなどオリジナルに比べて飛躍的に向上した、理想的な音質で聴くベンチャーズというのもいいものだ。馴染みのない曲が並んだディスク3はなかなか彼らの意外なレンジの広さを体感させてくれておもしろかったし。

 あと、本作ではジェリー・マクギーがリード・ギターを弾き、ドラムはメル・テイラー、彼が亡くなった後はその息子であるリオン・テイラーが叩いているようだ。私はジェリー・マクギー時代のベンチャーズというのはほとんど聴いたことがなかったのだが、ジェリー・マクギーのギターはノーキーと同じく基本的にはカントリー・スタイルだと思うが、もう少しイージー・リスニング・ジャズ的な柔らかなトーンとスムースに歌うフレージングが特徴と思った。リオン・テイラーはチュアート・コープランド風なニュー・ウェイブ系である意味では初期ベンチャーズ的なノリを感じさせるのはおもしろいところ。
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FFXI <戦 L30,ナL25,暗L25, 白 L20,黒 L20,モL8, シL8 >

2005年08月28日 23時59分59秒 | GAME
 砂丘からジュノへ拠点を移しての一週間。ナイトをレベル25くらいに出来たらくらいに始めたのたのが、ジュノだと砂丘のようにはお誘いがこない。1,2時間ぼやっとしていること度々、「おいおい、砂丘で一緒にプレイにした底抜けに明るい外人プレイヤーたちはどこいったんだ?」って感じ(笑)。ひょっとすると、ここでやめちゃう人が多いのかな?。

 ともあれ、ぼやっとしているは時間の無駄だし、この国の回りはレベル21のナイトがソロで稼げるような場所はないしで、ふと始めたのが調理。パーティーでヒーリングの時間になるとなんとかジュースを絞っているのはよくみかけたので、私も挑戦してみようという訳だ。さっそく、ウィンダスに飛んでギルドへ加入して、オレンジ・ジュースあたりから始めた。人参汁、オレンジジュース、トルティーヤ、アップルジュース、干し肉、ゆでがに、パインジュースと各国を飛び回って、合成作業しまくりで、週半ばには下級職人に仲間入り。この作業、ジュノを拠点にして、往路はテレポ屋さんを利用、原料を調達し合成開始、出来上がったものはそこですぐさま売り払い、復路は黒にジョブ・チェンジしてデジョンでジュノに帰還....ってなパターンで進んだのだが、店売りはもう悲しくなるくらいに大赤字で財布がどんどん軽くなっていくのがつらい、最近はパーティーしか参加していないのでお金は出る一方だし、結局手間暇かけて調理スキルを買っているいう感じである(笑)。

 さて、パーティー戦だがクフィムの塔前と塔の中の交差点が定番らしい。前にも書いたが、クフィム島というのは、なにやらうそ寒い気が滅入るくらいに荒涼としたモノトーンな場所で、なんというかフィールドに入った時や移動中に、砂丘やマウラのように「さぁ、これからだそ!」みたいには気分が高揚しない(笑)。閉塞感にまみれてミミズを狩るココロカもあんまり高揚しなかったが、こっちも洞窟抜けてどろーんとした曇天に出くわすと、けっこう気が滅入る。参加したパーティーも前半は低調なパーティーばかりで(私が悪いのかもなぁ-笑)、1,2時間やって1000とか1500としか稼げないものばかりに当たり、週末に早々と到達した23から次がなかなか超えられず低調そのもの。金曜の夜に邦人、土曜に外人とそれぞれ拾ってもらいなんとかひとつづつ上げようやく、レベル25にこのパーティーではもちろんパイン・ジュースを絞りつつの戦闘とあいなった。ナイトはケアルを多用するので、ほとんど座らなくていいのはありがたい。調理スキル上げておいたことのありがたみを痛感。

 続いて暗黒、同じ土曜の夜に邦人パーティーに拾ってもらったのだが、このパーティーがやたらとランクの高い人ばかりで、「まったりとカニでも狩りますか」などといっていたのに始まってみたら、とんでもなく効率優先の集団で、釣りは前衛全員で散らばって検索、ふと気がついてみたら後ろで戦ってる(笑)とか、狩人と侍と暗黒の組み合わせで連携2種類を適宜発動、後衛はほとんどすわらず、4チェーンは当たり前で、そのめまぐるしさに私などなにがなんだか分からない有様であった。そんな中、ランク10のメンツは適当にチャットを楽しんでいるのだから、凄いというか、このノリは今の私にとって正直異様だ。ひょっとすると、私のトロさが足をひっぱっていて、この人達、ほんとうにまったりてやっていたのかもしれんが、ともあれ2時間もかけずふたつもレベルを上げることができた。有り難いことではあるんたけど、このままレベルが上がっていぐと、こういうめまぐるしさはどんどんヒートアップしていくのかと思うと少々気が重い(笑)。

 昨夜はまたも邦人パーティーに誘われ、その前ほどではないがこれもなかなか効率が良いパーティーで1時間あまりでここでもひとつレベルが上がり、あっという間にレベル24に、調べてみたら次のレベルまであと数百ではなので、砂丘にでもいってサクっと上げてちまうおうと思い、ジュノからでテレ屋さんにシャウトしていたところ、LSのHさんが親切にもテレポしてくれたので、砂丘~コロロカで各数百づつ上げめでたくレベル25に到達。
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ティム・ブレナー / ザット・サマー

2005年08月27日 21時03分04秒 | JAZZ
これも去年の今頃購入してきたもので、一聴して「ああ、コレ、晩夏の音楽だな」とは思いながら去年の今頃に数回聴いて、やがて秋になりそのままになったものです。ティム・ブレナーは「ドイツの歌えるトランペッター」ですが、売ら方としては、「21世紀に甦ったチェット・ベイカー」という感じでしょう。つまり、中性的なヴォーカルとブルーなトランペットがムーディーな雰囲気を醸し出すジャズといったところ....。ただし、彼の場合、チェット・ベイカーほど退廃的でも毒がある訳でもなく、今風にクリーンなムードで、ベイカーが口当たりは良いが度数の高いカクテルみたいな感じだとすると、ブレナーの場合、極上のソフト・ドリンクといった感じでしょうか。

 さて、このアルバムですが、ほぼ全編ボサ・ノヴァ、しかもヴォーカルが大々的にフィーチャーされてます。この人はトランペットの腕もかなり凄いものがありますが、ここでは前述の中性的な優男風なヴォーカルを全面に出していて、ノリとしてはほとんどAORです。さっき彼を称して「21世紀に甦ったチェット・ベイカー」などとふざけた形容をかきましたけれど、ここまでAOR的だとチェット・ベイカーを通り越してマイケル・フランクスあたりに近いものまで感じてしまったりもしますね。そういえば、6曲目はご存じ彼の名曲「アントニオの歌」などもカバーしていましたし....。

 なお、バックを固めるメンツの中では、チャック・ローブがかなり重要な役割を果たしているようです。ローブが数年前のボブ・ジェームスとの共演あたりからかなり知名度を高めきましたが、元々はステップス・アヘッド周辺のギタリストで、その後CMミュージックなども数多く手がけたりしていたようですから、こういうAOR風な口当たりの良いサウンドは得意なんでしょう。このアルバム、基本的にはドイツ製の音楽とは思いますが、まるでアメリカ産のように聴こえるのはこの人のあか抜けたセンスがかなり物をいっているとお見受けしました。
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松岡直也/JUNE JULY AUGUST - Summer Pieces

2005年08月26日 21時32分38秒 | JAZZ-Fusion
松岡直也の1990年の作品。松岡はこの作品に前後してシンプルなピアノ・トリオ+パーカスのアルバムを出したり様々なフォーマットの作品を出していて、この作品は久方ぶりの通常フォーマットによる「日本人による日本人のためのラテン音楽」作品だったような気がする。ただし、さすがに80年代に哀愁の松岡節は目一杯開花してしまったのか、この作品、6月,7月,8月をテーマに夏の音楽を集めたというコンセプトの割に、やや生彩に欠くというか、ちょいと疲れたが目立つような感じがした。こちらは少し彼の音楽に飽きてしまったいたこともあるとは思うが。

 ただ、このアルバム7曲目の「哀しみマドリッド」だけは突出して強烈な印象を残す。デジタル・シンセのエキゾチックな響きとストリングスのヨーロッパ的ムードをバックにピアノが情緒面々たる哀愁の旋律を奏でる松岡節なんだけど、涙堪えて気丈に歩くようなテーマから、サビには何故かジョン・バリーの「ロシアより愛をこめて」の部分に酷似した展開(引用かもね-笑)になって、感極まるように高ぶっていくあたりは、「ロシアより愛をこめて」のロマンティックなあの世界を彷彿とさせつつ、なんだかヨーロッパの哀しい映画のラスト・シーンのようでもあり、オッサンの世代にはなんとも憎い記号満載な音楽になっているという訳である。

 という訳で、この「哀しみマドリッド」は、毎年今の時期になると、決まって聴きたくなる1曲である。
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南佳孝/Last Picture Show

2005年08月25日 21時29分28秒 | JAPANESE POP
 このアルバムのブックレットには、松本隆による「映画を絡めた男の女の別れのワンシーン」をごくごく短く散文風にまとめた小説がついてくる。映画をテーマにしたアルバムだからだと思うが、このアルバムの出た頃と名画座の終わろうとしていた時期が一致していたことも関係あるだろう。とにかく全共闘世代であれば、ちょいと胸がキュンとしそうな内容で、今読むと、ちょっと気恥ずかしいところもあるが、ヌーベル・ヴァーグからアメリカン・ニュー・シネマをみながら青春を過ごしたあの世代のムードが出ている。

 南佳孝には夏物が多いが、このアルバムは収録曲にヌーベル・ヴァーグからアメリカン・ニュー・シネマの名作のタイトルを拝借した南佳孝が青春時代に遭遇しただろう映画へのオマージュみたい内容で、やはりというか当然というべきなのか、「水の中のナイフ」「避暑地の出来事」といった夏をイメージさせる作品が多い。南佳孝という人は、キザでちょいとヤクサなムードとポップさがほどよくブレンドした作品を80年代に連打して愛聴していたものだけど、このアルバムは彼の「映画への想い」みたいなものがよほど強かったのか、彼流のキザなノリや時流に迎合し過ぎたポップ感覚が影を潜め、かなり重厚な仕上がりになっている。それゆえに当時はあまり受けなかったようだが、そうした音楽であるからこそ、今聴いてもほとんど時代的な誤差を感じないものになっているのも確かだ。

 曲としては、「突然の炎の如く」「水の中のナイフ」「避暑地の出来事」といったバラード風な曲がいい。朗々としたメロディーにちょいと哀感を絡めて、ノスタルジックに歌っているが、改めて聴くとつくづく今はこういう音楽なくなったしまったものだと思う。南佳孝というと最近では某コマーシャルで、ブルージーなアレンジで「ツイスト&シャウト」なんか歌っているが聴こえてきたりするが、今はどんな音楽をメインでやっているのだろう、久しぶりアルバムでも購入してみるか。
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ゲッツ&マクファーランド/黒いオルフェ

2005年08月24日 20時22分21秒 | Jobim+Bossa
 ビッグ・バンドによるボサ・ノヴァをもう一枚。ゲイリー・マクファーランドという編曲にビッグ・バンドを擁したスタン・ゲッツ名義の作品ですが、奇遇にもこれも62年の制作。レーベルはヴァーブだし、メインはスタン・ゲッツですから、恐らくは「ジャズ・サンバ」のヒットを受けて企画された作品なんでしょう。昨日とりあげた、クインシー・ジョーンズのアルバムは、音楽的な良否はともかくとして、あまりボサ・ノヴァに聴こえないのが難点といえば難点でしたが、こちらは紛れもなく正統派のジャズ系ボサ・ノヴァです。なにしろボサ・ノヴァでなかったとしても、それ風なリズムにスタン・ゲッツのサックスが絡むと、ともあれ「役者が揃った」感じがするのはやはり、一連のボサ・ノヴァ・アルバムを残したスタン・ゲッツのオーラみたいなもの故ですかね。

 スタン・ゲッツという人は、クール・ジャズ出身ということで、文字通り割と温度感の低い、あまり熱くならないサックスというイメージがあって、割とそういう部分とボサ・ノヴァがマッチしたみたいな云われ方がするんですが、いまひとつ、この人のフレージングは時に非常にメランコリックな哀愁を色濃く漂わすところもボサ・ノヴァと相性のいいところだと思います。このアルバムは冒頭から「カーニバルの朝」から始まりますし、「ノー・モア・ブルース」もミディアム・テンポでどっちかという物憂げなアレンジをしているせいか、このアルバムは「メランコリックなスタン・ゲッツ」のムードが強い。

 また、ゲイリー・マクファーランド編曲によるビッグ・バンドは、昨夜聴いたクインシー・ジョーンズ的なイケイケ的な賑々しさはなく、ギル・エヴァンス的を少し分かりやすくしたような理知的な響きというか、渋い色彩感のような印象的なので前述のメランコリックさを倍加させているのもかもしれません。なお、ピアノはハンク・ジョーンズでこういうところに登場するのは意外ですが、例によって格調高いカクテル風ピアノ、ついでにもっと意外なのはアコギがジム・ホールという点、冒頭の「カーニバルの朝」からサンバ風なギターを神妙に弾いているのを聴くのはなかなか楽しいものがありますね。
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QUNCY JONES / Big Band Bossa Nova

2005年08月23日 20時41分14秒 | Jobim+Bossa
数年前、都内の某ショップでこのアルバムを発見し、「へぇ、クインシー・ジョーンズもボサ・ノヴァ・アルバムだしてんたんだぁ!」となんか掘り出し物をめっけた気分で購入してきた作品です。制作は62年、この時期はボサ・ノヴァがアメリカに輸入された直後にあたり、スタン・ゲッツとチャーリー・バードによる「ジャズ・サンバ」とほぼ同時期になり、この種のアルバムとしてはかなり先物買い的な企画だったはずです。商売人クインシー・ジョーンズの片鱗がこの頃からあったということでしょうか(雇われ仕事だった可能性もありますが-笑)。

 さて、この時期のジョーンズは若手のアレンジャーとして、非常にカラフルでモダンなオーケストレーションのピック・バンド・アレンジで売り出し中の頃だったと思いますが、このアルバムでもそうした色彩的でビッグ・バンド・サウンドで全編が覆われていて、また、これは良い意味で書くんですが、このアルバムの60年代的な通俗性というか刹那っぽい感覚が横溢しているので、そのあたりが今時の夏に妙に合うような気もします。このアルバムがいわゆるシブカジ系なオシャレなショップに、まずは輸入盤として並んだのもわかろうというものですね。

 ただ、このアルバムの賑々しさやカラフルさは聴いていて楽しいは楽しいし、多彩なソロを絶妙に配置した巧緻なアレンジに感心したりもしますが、少なくともボサ・ノヴァには聴こえませんね。どちらかというサンバとかああいったもう少し古いブラジルの音楽をベースにしているようで、ジョビンの曲なども数多くとりあげてはいるものの、せいぜい「ビッグ・バンド・サンバ」止まりという感じがします。まぁ、こういう感触はスタン・ゲッツの「ジャズ・サンバ」にもありましたし、実際「ディサフィナード」ではどっちも全く同じリズム・パターン使ってたりしますが、こういうのってボサ・ノヴァ初期特有の現象なのかもしれませんが....。
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ジョン・ビザレリ/ボサ・ノヴァ

2005年08月23日 00時05分51秒 | JAZZ
 しばらく前にレビュウしたビートルズ・カバー集と同様、ドン・セベスキーが参加しているというんで、またまた往年のCTIやヴァーブのイージー・リスニング・ジャズの瀟洒な趣の再現か?と期待して、昨年の今頃購入してきたのですが、こちらはどちらかといえば「弾き語り基本の本場系+ナット・キング・コール・スタイル」といったところ。まぁ、ジョン・ピザレリといえば歌えるジャズ・ギタリストなのだから、ボサ・ノヴァといったこういう路線になるのもそれも当然かもしれないけですが、個人的にはウェス・モンゴメリーの時みたいな、オーケストラ路線を期待していたもので、少々残念でした。

 ジョン・ピザレリの歌声は思い切りよく言うと、ジョビンとジルベルトの中間くらいの感じで、ちょっとアーシーなところもけっこうボサノバにはまっていると思います。ただ、なまじ本場風なスタイルをとっているため、ピザレリっぽいソウルフルな歌い方が、ボサ・ノヴァにしては「濃過ぎる」ところもあって、そのあたりはちょい微妙ですね。
 収録曲はジョビンののボサ・ノヴァ・スタンダードが5曲収録されている他は、ガーシュウィンの「魅惑のリズム」が入っていたりするのが目をひきますが、これはジョビンの晩年の作品「パッサリン」に経緯を表してのものでしょう。また、ジョアン・ジルベルトが名作「アモローソ」で歌っていた「エスターテ」を、その時のほぼ同じ雰囲気で歌っているのはうれしいところ。あと、インストが数曲入ってますが、これは軽いラウンジ風なボサ・ノヴァ・チューンとして楽しめるます。

 なお、最近の彼はテラークに移籍したらしく、ここでもテラークらしい深々とした低音が効いたかなりハイファイ録音です。なんとなくアナ・カランの所属するチェスキー・レーベルの思わせる音質になっているのは、ボサ・ノヴァという音楽故ですかね、このあたりはなかなか興味深い点でもあります。
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シューマン ピアノ曲集/エゴロフ

2005年08月22日 00時50分54秒 | クラシック(一般)
 先日、レビュウしたジャン・フィリップ・コラールのピアノ曲集と一緒に購入してきたもの。どちらもEMIというれっきとしたメジャー・レーベルから出ている2枚組でおのおの1000円というのだから凄い。NAXOSやArteNovaの価格破壊がこういうところにも影響しているだろうか、ともあれ昔、興味あったけれど買いそびれたアルバムをこうして安価に購入できるのはありがたい。私がクラシックに耽溺していた頃の廉価盤というは、モノラルだったり、ステレオ初期だったりして、音質的には貧弱なものが多かったのだけれど、時代は進んで、廉価盤になる尺度、つまり発売して20年前くらいの旧譜でも、既にアナログ末期とかデジタル録音初期のだから、音質的にはほとんど問題ないのはありがたい。おまけに最新のリマスタリング技術のせいか、昔のディスクの音より音圧が上がっていたり、細部がクリアだったりしているのもあるから、昔と違って後発万歳なのである。

 さて、このアルバムだが前述のとおり、シューマンのピアノ曲を集めた2枚組である。収録曲は「謝肉祭op.9」「トッカータop.7」「アラベスクop.18」「色とりどりの小品 op99」「クライスレリアーナ op16」「ノヴェレッテンより第1,8番 op21」「
蝶々 Op2」で、先日のコラールのアルバムとあまりだぶりがないのも有り難いが、やはり約半数の作品は初めて聴く作品である。これらの作品ではやはり「クライスレリアーナ」が馴染みだ。馴染みだといっても、ずいぶん久しぶりに聴いたのだが、シューマン的なエキセントリックな叙情とある種のとりとめなさが甦って懐かしかった。
 エゴロフというピアニストは、ロシア出身で西側に亡命し、その後夭折したくらいしたくらいの知識しかないが、ファンタスティックでちょっとエキセントリックな躍動感とある種の暗い叙情といったシューマンらしさを、とてもあまく引き出しているように感じた。また、ピアニスティックな名技性も素晴らしく、難しいパッセージやきらびやかなフレーズがシャープにきめるあたりは、フランス流に上品なコラールとは対照的にビシバシ決めるという感じで、これはこれで快感。シューマンにはむしろこちらの方があっているのではないか。
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BIRELI LAGRENE / My Favorite Django

2005年08月21日 14時05分30秒 | JAZZ-Fusion
ビレリ・ラグレーンという人は好きなギタリストだ。もっとも、この人が「ジャンゴ・ラインハルトの再来」とか絶賛されたとかいう10代の頃、アコスティック・ギターでジプシー風な音楽をやっていた頃のことはあまり知らないのだが、エレクトリックに持ち替えてからの作品は、その歌心満載のフレージングと驚異的なテクニックがほどよくバランスした緩急自在のギター・ワークが楽しくて、90年代の後半頃か、数枚購入した。

 このアルバムもそんな一枚で、タイトルからも分かるとおり、ビレリ・ラグレーンによるジャンゴ・ラインハルトのカバー集である。私は浅学なので彼の音楽についてはベスト盤一枚をつまみぐいした程度なので、オリジナル演奏をどう解釈しているかということはほとんどわからないが、このアルバムの場合、ジャンゴとは関係なしに夏向きのフュージョンとして楽しんでいる。

 メンバーは、ドラムはデニス・チェンバース、ベースはアンソニー・ジャクソンという超絶リズム隊に、KOONOというキーボード奏者を加えた4人編成のシンプルなもの。音楽的にはシンコペしまくったいかにもフュージョンな快適リズム+KOONOが作る非常にカラフルで色彩的なシンセ・サウンドが、いかにも夏っぽい雰囲気を演出していて、スムーズ・ジャズというほどには甘くないが、ゴリゴリなハードコア・フュージョンというにはとち耳に心地よすぎるという、微妙なバランスが特徴ともいえるかもしれない。こうしたサウンドにのるビレリにギターはまさにそういうポジションにぴったりプレイで、良く歌いリラクゼーションを誘いつつ、そこに時折超絶的な早弾き織り込んではっとさせるという、なかなか知能犯的なプレイだと思う。

 曲としては、3曲目の「Babik」や8曲目「Blues for Ike」あたりがアップ・テンポぐいぐい押していくハード路線でビレリもテクニカルなフレーズを連打して実にカッコいい。一方、2曲目「Moppin' the Bridge」や4曲目「Melodie au Crepuscule」あたり良く歌うフレーズを織り込んだバラードっ路線という感じで、アルバムではこのあたりを音楽的な両端にして緩急をつけているというところだ。それにしてもこのアルバムの快適さというか、夏っぽさみたいなところは、多分ビレリではなくて、KOONOというキーボード奏者がもっているものだと思うのだが、なかなかいいセンスだと思う。5曲目の「Place de Brouckere」で聴けるシンセ・オーケストレーションなどもうまいものだ。

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FFXI <戦 L30,ナL21,暗L21, 白 L20,黒 L20,モL8, シL8 >

2005年08月20日 23時14分53秒 | GAME
 今週は白19からスタート。なにせ回復役不足なのが常態のゲーム故、あとワン・パーティーでさくっと20代などと思っていたら、これがあまりお誘いがこない。きても「参加→全滅→解散」というパターンのばかりで、火曜と水曜は1000ポイントずつしかかせげない有様で、足踏み状態が続く。しかたないので、解散後のメンバーのひとり(戦士)とふたりでパーティー組んだり、ソロでチマチマと稼いでだりして(これは得意だ-笑)、木曜にようやくレベル20に達した。ちなみむ、ジュノからの誘いはけっこう来る。パーティーなど組むと、最近の日本のプレイヤーはレベル18になったら、さっとジュノにいってしまうらしい。だからそさわれないのかも....、今時、砂丘でレベル20にしよう思うのは、もはや流行遅れなんですかね~?。

 さて、同じ夜、黒魔道士にジョブ・チェンジして再び砂丘へ....。黒はレベル15だったせいか、さっそくお誘いがあり、外人パーティー参加。その晩ひとつ上げた。翌晩も砂丘にとどまっていると、今度は日本人パーティーから誘われる。しばらく砂丘で狩りをした後、メンバーの提案でコロロカの移動。例によってらくちんなミミズ狩りでふたつ程レベルをあげてその夜は終了。引き続き本日昼は、外人パーティーに誘われる。参加してメンツを調べてみると、私以外は戦士、忍者、モンクばかり超打撃パーティーだった。「おいおい、大丈夫?。あっ、ひょっとしてオレ回復役なの?」とかびびりながら、現地についてびっくり、なんかPL付きだったのだ。この助っ人がいるせいだろう、なにしろ凄まじくハイペースな狩りを決行するパーティーであった。こっちがMPあろうがなかろうか、ひとり席をはなれてようが、おかまいなく進む。また、それで勝ててしまうのだから、この助っ人の存在は強力だった。おかげてあっという間にふたつレベルを上げ、気が付いてみたらもう20に達していた。しかし、PL付きのパーティーというのは何度か体験したが、これほどうまいパーティーもない、ただ、まぁ、その分、スリルもないけれど。

 それにしても、私は本当に臼と墨だ。バトル中にすぐMPを切らせてしまう。なんでもかんでもジャカスカうてばいいってもんでもないことは分かっているのだが、つい焦ってしまい、いろいろ打ってしまうんだなぁ。特に黒はあっとういう間にMPがなくなり、ほとんど連戦ができないのは哀しいものがある。
 前衛では連携をハズす、JAをうまく使えない。後衛ではMP管理ができない....と、この2週間、砂丘でパーティー三昧してきて、なにがしかの進歩があったといえば、なんかほとんどないような気がする(笑)。しかし、外人パーティーばかりだったせいかどうか、連携なんてほとんど要求されなかったし、マジックバーストなんてのは話題に出たこともなかった。某巨大掲示板をみると、今や昔砂丘で覚えたようなパーティーでの立ち振る舞いやテクニックは、いまやクフィムで覚えるんだとか....。ははは、となると、これからが本当の勉強のしどころかも。
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李雨寰(リー・ユーホヮン) /Techno Love

2005年08月19日 21時11分52秒 | 台湾のあれこれ
記憶によれば1999年の夏、台北の街にはいたるところでテクノのリズムが席巻していた。2年ぶりに訪れたかの地のそこかしこで聴こえてくる音楽は、メロディアスなバラードはなく、ハウス風なリズムを使った音楽だったのだ。フェイス・ヤンのレビュウのところでも書いたとおり、90年代後半の台湾は一種音楽的なイノベーションを迎えてようで、そのしんがりとしてテクノが席巻したということなのかもしれない。

 全く個人的な考えなのだが、テクノというのは一種の音楽的なマニエリズムであると思う。ノーマルなポップ・ミュージック音楽的資産を陶太した後....というか、ようするに普通の音楽をやり尽くした後に出てくるようなもので、音楽的発展途上国から出るようなものではないのではないか。その意味で台湾にもこうしたテクノ・ブームがやってきたというのは、この国のポップ・ミュージックもある種マニエリスム的状況を迎えたのか?と、なんだかうれしいような、哀しいような気分になったものだった。

 さて、この作品は1999年に制作された、台湾テクノを象徴するような作品で、多分大ヒットしていると思う。李雨寰(リー・ユーホヮン)はアレンジャー&キーボーディストとして、カレン・モクの作品などにも参加しているし、カレン・モクに提供した曲を歌ったりもしている。おまけに台湾最大のメジャー・レーベルであるロックからの発売ということで、かなりメジャーな売り方をした人だったのだろう。
 音楽的にはも非常に李のボーカルがフィーチャーして、一応「ポップな歌物」の体裁はとっているものの、サウンド的にはアレンジの段階からテクノで発想された代物であることは一聴して明らかで、これが台湾的なメロディックな旋律と組み合わさっているあたりが、このアルバムのおもしろさということになるのだろう。完成度も非常に高く、よくわかんないが、このアルバム台湾の人が聴くと、ほとんど洋楽みたいに聴こえるんじゃないだろうか。

 という訳で、これを聴くと1999年の台北の暑い暑い夏を思い出す。
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シューマン ピアノ曲集/コラール

2005年08月18日 21時48分12秒 | クラシック(一般)
 本日、仕事帰りにふと購入してきたアルバム。シューマンのピアノ曲はつまみ食いしている程度で、昔からあまり真剣に聴いたことがなかった。アルバムにして数枚程度だったと思う。そのあたりから感じたのはシューマンのピアノ曲というのは、割とほの暗い森を思わせるようなドイツ的ロマン性とピアニスティックな名技性のようなものが、いわく言い難いような入り交じり方をしていて、確かに個性的ではあるんだけど、「いまひとつ決め手がない」というが正直なところだった。

 このアルバムにはディスク1に「アベッグ変奏曲」「交響的練習曲」「ウィーンの謝肉祭」「クララ・ヴィークの主題による10の即興曲」、ディスク2には「ピアノ・ソナタ第3番」「謝肉祭」が収録されているのだけれど、半分にあたる作品は初めて聴く作品になる。「ウィーンの謝肉祭」とか「謝肉祭」といった曲は、例によって、深い森の奥で、人知れず密かに起きた小さな幻想物語みたいな雰囲気。「クララ・ヴィークの主題による10の即興曲」のような曲を漠然と流している分にはいいんだけど、ちょいと真面目に聴こうとすると、するりと自分の手許からどこかへ行ってしまうようなもどかしさがあって、なんか懐かしい気分になった。

 演奏はジャン・フィリップ・コラールで、名前から分かるとおりフランス人。前に書いたことと矛盾するかもしれなけれど、ドイツ的なファンタジー色は薄く、割と開放的な部分を表だった演奏なんじゃないかと思う。「交響的練習曲」とか「ソナタ」なんかもこの曲の構築的ところより、構築的になろうとしてなりきれなかったシューマンのロマン的部分に焦点をあてているような感じで、これはがっしりどっしりしたところより、流麗さの表現に腐心しているからだと思う。ついでにテクニカルでピアニスティックな部分はとても見事で、カキーンと高域が突き抜けるような爽快感こそないけれど、まろやかな音で難しそうなパッセージをなんなくのりきっていくあたりは、けっこう快感でした。
コメント (2)
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