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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

日本の悪霊 (黒木和雄監督作品)

2010年08月31日 23時22分58秒 | MOVIE
 日本映画専門チャンネルでシリーズとして放映している「ATGアーカイブ」を、6月くらいからぼちぼち観ているところだ。ATGという映画会社が生み出した初期の作品は、おそらく「遅くやってきた日本のヌーヴェル・ヴァーグ」ってところだろう。よくわからないが、本作などその典型ではないだろうか。
 70年の制作であるにもかかわらずモノクロ、表向きヤクザ映画の体裁をとりつつも、その手の映画とは全く異質なドキュメンタリー・タッチ、劇中にはフォーク、反権力闘争、伝統の否定、高度成長期終焉時の日本の風俗、無軌道なエロとこの時代のイコンがずらり揃っていてる。

 とある大阪の街にやってきたヤクザの助っ人とそれを取り締まる刑事の風貌が瓜二つだったことから、このふたりが入れ替わり、次第に両者の境界が曖昧になっていき…というのが基本的なストーリーだが、やがて50年代の左翼運動のなれの果てというか、思想闘争の暗部とそこに絡まめとられた人間の「罪と罰」的な葛藤があぶりだされるあたりが、いかにもATG的な雰囲気だ。
 黒木和雄の演出は、ドキュメンタリー的な乾いたタッチで、1970年という時代の風俗を乾いたエロとフォーク・ソングを中心に描き(岡林信康本人が出てくるし、音楽は彼と早川義夫が担当している)、異化作用満載のトリッキーな演出が極めて奇妙な雰囲気を盛り上げていて印象的だ。二役を演じる佐藤慶のニヒルなムードが、そのシュールな役柄をぴたりとはまって妙な凄みすら感じさせる演技になっている。

 という訳で、ATGらしく無駄に観念的なところはあるとしても、全体としてはかなりおもしろく観ることが出来た。それにしても、ここに出てくる1970年の地方都市ってのは、意外にも大阪万博の近代的イメージとは、かなり違う「大昔のニッポン」だったには驚く。自分は当時、小学3,4年だったはずだが、やはり地方の街と呼ぶべきところに住んでいた訳だけれど、「こんなに古色蒼然とした街だったけ…?」っと思ってしまった。万博とかああいうイメージが強すぎて、きっと記憶がごっちゃになってしまっているのだろう。
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蘇州夜曲(支那の夜)

2010年08月22日 15時42分49秒 | MOVIE
 私の世代だと、李香蘭といえば、「3時のあなた」の司会者、そしてその後国会議員になった元女優の山口淑子のことである。この人が元々李香蘭という名で戦前はたいそう人気のあった-しかも数奇な運命を辿った-女優だったというのは、知識としては知っていても、その実体はまったく伺いしることができなかった。おそらく、彼女の出演作が日中合作の国策的な色彩が濃厚だったため、戦後になると半ば封印状態となったことも大きかったのだろう。先日、幸いにも日本映画専門チャンネルで彼女の作品が何本かまとめてオンエアされたので、さっそく観てみることにした。

 本作は昭和15年制作、歌も映画もたいそう有名な作品だ。当時は中国人だと思われていた李香蘭、そして日本の大スター長谷川一夫の共演ということで当時大ヒットした作品でもある。私のお袋の世代など、きっとこれを夢中で観たクチなのだろう。抗日的な中国女性が日本男性の誠実さ真面目さにうたれて、彼を慕うようになるというストーリーで、その国策的な意図は明確だが、今となっては、もう古式ゆかしい恋愛ドラマとして観ることが出来ることもできると思う(などといったら、現代の日本人の傲慢ということになるだろうか)。ラストなどまさにあの当時ならではといえる破格の映画的展開によって怒濤の結末を迎え、その様はまるでハリウッド映画のようだ。

 当時の山口淑子は20歳、猫のような野性味とキュートさブレンドして、当時の日本人が中国人に抱いていたであろう、良い意味でのエキゾチックさ、ミステリアスさに魅了されるも、さもありなんと納得できる美貌である(もっともそれは東洋人というより、どちらかといえば彫りの深い白人的なイメージでもあるが…)。共演の長谷川一夫は、私の世代だと圧倒的に時代劇の人というイメージだが、ここでは、誠実で紳士的な船乗り役という役回りで、まさに大昔の美男美女揃い踏みという感じである。共演陣には若き日の藤原釜足、「おえんさん」の清川玉枝、そして当時の人気歌手、服部富子などが登場する。

 あと、見逃せないところといえば、当時の上海租界の風景が見ることができるところだろう。当時、大都会だった上海の国際都市ぶりがよく伝わってきて、「戦前にしか存在しなかったある場所のある時」が、見事に切り取られた貴重な映像を堪能できる。ちなみに主題歌?として劇中に李香蘭は自身が歌う「支那の夜」も実にエキゾチックなメロディアスさが素敵な曲だ。この曲は当時大ヒットしたらしいが、レコードの方は渡辺はま子が歌ったヴァージョンで、李香蘭自身は結局レコードを残していないようだ。海外では「リリー・マルレーン」の日本版のようなイメージでたいそう有名らしいから、彼女自身沢山唄っているとは思うのだが。
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日本のいちばん長い日 (岡本喜八監督作品)

2010年08月15日 23時36分06秒 | MOVIE
 昭和42年公開、ポツダム宣言を受けた敗戦色濃厚な日本が、それを受諾するまでの極限状態の昭和20年の8月15日を、通称「宮城事件」とよばれる出来事を軸に描いた作品である。当時の東宝が擁した錚々たる面々が総出演して、岡本喜八が演出した超大作でもあった。もうこの十数年、この作品はいったい何度観たか知れないのだが、本日は終戦記念日ということもあり、久しぶりに観てみることにした。
 ポツダム宣言受諾の方針が決まるまでの長い序盤は、異様な緊張感に満ちている。天皇陛下を演じる松本幸四郎ははっきりとは出てこないが、得も言われぬ存在感があり、三船が演じる陸軍大臣と山村聡が演じるところの海軍大臣との確執を中心にはりつめた雰囲気で進んでいき、忘れた頃にタイトルが現れる実にドラマチックなものとなっている。本作の希有なところは、人物の比重はあれこれと変わっていくが、結局終戦を迎える最後まで続くところだ。

 豪華な出演陣も地味にドラマにぴたりとはまって、素晴らしい群像劇をなしている。中盤では、三船敏朗と笠智衆のやりとりがやはりぐっとくる。「阿南君は…いとまごいににきてくたんだね」という、有名なシーンなど何度観ても素晴らしい感銘を受ける。このあたりから物語は反乱軍が主眼になっていくから、ここはまさに中盤の…いや、映画中最大のハイライトといってもいい出色のシーンになっている。
 また、後半中心となる黒沢年男、佐藤允、中丸忠雄、久保明、中谷一郎らが演じる、ギラギラとした青年将校達の狂気の如き行動も実に見応えがあるし、更には宮口精二が演じた東郷外相、志村喬の情報局長、加藤武の迫水といった地味な配役陣もここでは珠玉の演技を披露している。ともあれ、こうした多彩な登場人物の動きを、大きな「歴史のうねり」として演出した岡本の手腕はまさに完璧だ。

 本作の公開時は、終戦から数えて22年目、当時を知る関係者はまだまだ存命していたし、当時の記憶だって生乾きともいえる状態だったであろう。そのドキュメンタリー的ともいえるドラマの生々しさはちょっと類がない。まさにあの時に作っておいたからこそ、獲得しえた生々しさともいえる。この作品からも既に40年以上経った現在、仮に似たような映画を現代に作ろうとしても、もはや絶対不可能だと思う。
 そんな訳で、本作はその映画的に非の打ち所のない素晴らしさと共に、いわゆる歴史的な資料としても、今後ますます歴史的価値が上がっていくに違いない。今回はDVDで観たが、早いところマスターフィルムのレストア作業を敢行して、クリアな画像と音声でぜひとも後世に残る歴史的遺産として残してもらいたいものだとつくづく思った。
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ミッドナイトクロス (ブライアン・デパルマ監督作品)

2010年08月08日 23時43分25秒 | MOVIE
 ブライアン・デパルマが「殺しのドレス」に続いて撮った1981年の作品。ブライアン・デパルマといえば、出世作である「キャリー」を大ヒットさせたものの、その後「フューリー」が不発、その後、かなりの辛酸をなめることになるが、80年の「殺しのドレス」では再びヒットを記録、本作はその勢いに乗っての作品だった。
 なにしろ「殺しのドレス」はデパルマのらしい作風が全開しためっぽうおもしろい作品だったし、当時の私はそもそも熱狂的なデパルマ・ファンだったので、本作も待ちきれずロードショーで観たものだった。今回はそれ以来約30年振りの再見となる

 内容はあまり覚えていなかったのだが、音響技師が主人公となり、野外で音を録音している最中で起こる事件が主題となっているだけに、物語も画面もかなりテクニカルである。冒頭から長回し、分割ショット、アブストラクトな構図などなど、商業映画らしからぬ実験的な手法が沢山でてくるのは、今見ても実に楽しいものがある(今観ても発見がある)。 ラストシーンの花火を中心にカメラがぐるぐる回るシーンはもちろんだが、序盤、トラボルタが集音しているところ場面で、野外風景にフクロウがクローズアップで出てくる異様なショットなど鮮明に覚えていたほどだ。

 また、期せずして録音されたテープから政治的事件が露見していくプロセスは、その後「スネークアイズ」でも展開されるやり方に共通した感じもあるが、自分の録った音と、同じ時、近くいた誰かが偶然に撮影した写真を合成して、犯行現場の光景を再現していくというプロセスは実にマニアック、わくわくするような映像的な感興があった。
 ただし、一般的にはマニアックさはちと脱線気味に感じられただろうし、華麗で明るい「殺しのドレス」に比べ、救いのないラスト・シーンなどに象徴されるように、全体にやや陰気で暗い映画になってしまったせいか、本作はそれほどヒットしなかったの残念なことであった。

 主演はジョン・トラボルタとナンシー・アレン。この二人はデパルマの出世作「キャリー」の悪役コンビだが、当時のトラボルタは「サタデイナイト・フィバー」で大スター、アレンはデパルマと結婚して「殺しのドレス」を機にプレイクしかけていた頃だったから、ふたりともある種の勢いがある。
 彼女は「殺しのドレス」でやった、スタイル抜群で性格もいいが、ちとバカっぽい娼婦みたいな役はとてもチャーミングだったが、本作でもそのイメージも延長線にあるものの、ドラマ自体がちと暗いので、彼女の魅力がスポイルされている気がしないでもない(結局彼女はブレイクしなかった)。
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僕の彼女はサイボーグ (クァク・ジェヨン監督作品)

2010年07月29日 23時31分13秒 | MOVIE
 綾瀬はるか、小出恵介主演、クァク・ジェヨンという韓国の監督が演出した、タイムトラベル+サイボーグ+青春ラブストーリー的な作品(2008年制作)。未来から送り込まれてきた女性サイボーグ(綾瀬)に、気弱なダメ男が助けられつつ、次第に恋に落ちるというストーリー。一見して「ターミネーター」的な設定をそのまま頂戴したラブ・ストーリーという感じなのだが、クァク・ジェヨンという外来の監督が演出しただけあって、ギャグのバタ臭さ、臆面のないギャグ、ある種の饒舌さようなものに、日本風に淡い青春映画風なところがハイブリッドした実に楽しい映画になっている(お懐かしや吉行和子がもちらっと登場する)。

 なにしろ、綾瀬はるかの木偶の坊みたいなキャラがチャーミングだ。彼女は今の感覚ではちょっとガチな美貌過ぎるみたいなところがあり、それを逆手にとったこうしたサイボーグ役という設定だと、そのチャーミングさがよく引き立っていたと思う(ファッション・ショーみたいな場面なんかでは非常にフォトジェニックな美しさがあった。ファンにになってしまいそう-笑)。このあと女座頭市に抜擢されるのもよくわかろうものだ。一方、小出恵介という人は初めて観る人だが、いかにも今時な「心優しい青年」って感じで、この彼がサイボーグな彼女に、常にリードしつつ、時には庇護されていく訳だ。故郷に(過去の自分を見る)帰るシーンは、こういう主人公の性格設定が生きて、感傷的で甘酸っぱさがよく出ているし、このあたりから徐々にラブ・ストーリーへと移行していく演出も自然で、映画事態もテンポ良く楽しめた。

 あと、「ターミネーター」的なタイムトラベル物ということだが、最後はもうひとひねりした結末が待っている。でないと、そもそも最初のエピソードが解決しないままで終わってしまうことになるからこの解決はある意味当然なのだが、これのせいで起点となる時間軸が曖昧となってしまい混乱気味だ。もっとも今の視聴者にはこのくらいのパラレルワールド的揺れはなんともないというのだろうか?。ともあれ、こういうひねった時間物は、ストーリーをよく把握状態で、もう一度観るとまた別の味わいがあるだろうなぁとも思う。まぁ、もう一度観るかどうかわからないけれどw。
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恐怖劇場アンバランス #3

2010年07月25日 23時29分23秒 | MOVIE
・ #2 死を予告する女
 「八月の濡れた砂」の藤田敏八の演出、蜷川幸雄、財津一郎、名古屋章らで送る、今となっては豪華極まりないスタッフによる一編。流行作曲家の前に突然現れた黒衣の女が、24時間以内に迫った彼の死を予告するというお話。徐々に精神的に追いつめられる作曲家を演じる蜷川幸雄の刹那的な演技も凄いが、黒衣の女を演じる楠侑子の凄みを感じさせる退廃的な美しさはいかにも60年代(この時代は小川ローザに代表されるようにこういう女性が沢山いた)。
 ドラマの様相が一向に明らかにならず、なぞめいた設定をどんどん配置し、後半にかけてにわかに追い込みをかけるように死が迫っていくミステリアスなムードの演出や出演陣がメリハリよく配置されたドラマ的メリハリなど、なかなかよく出来ているドラマになって、本シリーズでは傑作といっていいようなものだと思う。

・ #6 地方紙を買う女
 松本清張原作の有名な小説をドラマ化。地方紙に連載していた小説を購読するバーのホステスから、その原作者がその背後にある陰湿な事件を徐々に暴いていくという話しだ。ストーリーの骨格となった原作はそもそも有名ものだから、ストーリーは始めてから分かっていたが、徐々に真相が明らかにせずにはおられない小説家の破滅のプロセスがけっこう入念に描かれていて見応えがある。
 出演は井川比佐志、夏圭子、山本圭など、当時のテレビではお馴染みだった面々。今では忘れ去られた存在になりかけているが、主人公を演じる夏圭子がいかにもいわくありげな蔭のある女を演じていているのが印象的だ。彼女もまた彫りの深いクールな美しさがあり、いかにもこの時代ならではの退廃的なムードがある。

・ #7 夜が明けたら
 先日観た「日本の悪霊」の黒木和雄演出、町のチンピラに娘を襲われかけたところを助けだそうとして、逆に過剰防衛となり刑務所行きなった男の不可解な行動とそれを追いかける刑事をミステリアスに描いた作品。エフェクトのような音声が被さるドキュメンタリーっぽい作り、全容を徐々に明らかにして行くあたりの乾いた演出は「日本の悪霊」と共通した独特の雰囲気がある。
 また、当時の新宿がロケでふんだんに登場したり、途中、当時のアングラ歌手、浅川マキが登場して、当時の風俗をヒップに捉えているのも「日本の悪霊」と同じ雰囲気を感じる。主演はミステリアスな行動をとる主人公は西村晃、それを追いかける刑事がお懐かしやの花沢徳衛、事件巻き込まれ、すさんでしまう娘役に夏珠美といった布陣。夏珠美ってよく覚えていないが、今にも通用しそうなクールビューティー。
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恐怖劇場アンバランス #2

2010年07月19日 16時24分31秒 | MOVIE
・ #4 仮面の墓場
 少年時代ら失った宝物(義眼)を追い求める狂気の演出家を描いた怪奇スリラー。アングラ劇場が舞台になっていて、それを演じるのが当時はまだアングラ俳優だった唐十郎、そしてこれまたアングラの女王みたいな存在だった緑魔子(実写版「銭ゲバ」のコンビでもあった)ということもあって、60年代終盤の雰囲気がムンムンする仕上がり(演出は石井輝男プロダクション代表でもあった山際永三。)。
 しかし、この作品も凄い厭世観があるな。69年といえば、万博の前年で高度成長期のピークだった訳だけれど、あの華やいだ雰囲気の一方で、こうしたどうしようもなくニヒリックなムードもあった訳だ。それともこれも一種の変形サイケというべきなのか。共演の緑魔子も例によって独特な退廃的ムードで彩りを添え、咳をゴホンゴホンする三谷昇も怖い。

・ #5 死骸(しかばね)を呼ぶ女
 演出は日活で監督デビューした直後の神代辰巳で、今となっては貴重な一編だ。本編そのものは、幽体離脱というテーマはおもしろいとは思うのだが、死んだフィアンセがモンスターばりの殺人鬼として甦るという設定にちと無理がありすぎて、いささか中盤以降、興ざめするところがなくもない。このテーマならウルトラQの「リリー」の方が優れていたと思う。ラストはけっこう穏やかなな印象を残すハッピーエンドで、これまでの何編かのような厭世観はあまりないのはちとほっとする。逆に云うとそれ故にちと凡庸な印象もある。神代の演出は型どおりのTV演出の職人に徹しているというところだろうか。
 主演は和田浩二と珠めぐみ、そして穂積隆信、小林昭二らが共演している。こういうドラマに日活の和田が出てくるのも意外だが(でもないか)、珠の方はどんな人かと思っていたら、「ウルトラQ」で海底原人ラゴンの赤ん坊を直に手渡して失神するあのけなげな娘役をやった人だった(5年も経っているからだいぶ大人になっていたけど)。彼女のミニスカート姿が今や妙に懐かしい。
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恐怖劇場アンバランス #1

2010年07月16日 23時05分30秒 | MOVIE
 このシリーズ確かリアルタイムで観ている。中学一年の時くらいだったように思うが、フジテレビで夜の11時半くらいからオンエアされていたはずだ。ご存じの通り、このシリーズは「怪奇大作戦」に続く円谷作品で、あれに「ウルトラQ」的なテイストを加味した大人向けの番組ということで作られたハズなのだが、当時は私はそんなことを全く知らず、単に深夜帯に放送された怪奇物ということで観ていたように思う。

・ #1 木乃伊(みいら)の恋
 第一話として放送された作品で、これはよく覚えている。時代を超えた性への執着というテーマで展開されるお話で、時代劇仕立ての劇中劇が真ん中に挟み込まれ、両端に現代のドラマが展開されるのだが、テーマそのものはわからないでもないが、時代劇風なパートでのギャグや俗悪な描写。そして現代に移った後もサイケっぽい展開など、40年ぶり近く観た現在でも、よくわからないというか、そうなのだろうがやや違和感あった。
 まぁ、鈴木清順らしい演出といえばそうには違いないんだろうけれど…。いずれにしても、当時中学生だった私には、内容がちとハイブロウ過ぎて難解だったことは想像に難くない。主演の渡辺美佐子は当時30台後半で、あの時期にはまだいくらか残存していた戦前の日本女性らしいストイックさ公演。この人、地味な女優さんだったが、本編ではなかなかソソられれた。

・ #3 殺しのゲーム
 ガンに余命幾ばくもない男2人が、互いの命を狙い合うゲームを提案するというドラマ。原作が推理作家の西村京太郎によるものだけに、ストーリーはほぼ予想通りの展開(昔観てるはずから、記憶に残ってるのかもしれないが…)だが、驚くのはその厭世観だな。60年代末期のドラマからこんな雰囲気が横溢しているというのは、やはり高度成長期の頂点のあった日本のもうひとつ側面なのかもしれない。
 主演は岡田英次で、共演はテレビドラマでお馴染みの春川ますみ、東宝の名脇役田中春男、監督は日活出身で、その後TVドラマをもっぱら撮り続けた職人長谷部安春。ちなみに音楽は富田勲だが、ここでは主に「展覧会の絵」を編曲している。ビッグバンド・スタイルの軽いアレンジだが、その後富田が生み出すシンセ版「展覧会の絵」のことを考えれば、なかなかおもしろい符号だ。
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風の中の牝どり(小津安二郎 監督作品)

2010年07月12日 23時39分46秒 | MOVIE
 先の「長屋紳士録」に続く戦後第2作(昭和23年制作)、出演は佐野周二と田中絹代で、他に笠智衆と坂本武などお馴染みの面。戦争直後の困窮のため一度だけ売春をしてしまった妻と、それを許せない戦争から帰還した夫の苦悩を描いた物語である。
 田中が「煙突の見える場所」と同様、貧乏だが優しくてしかも気品すら感じさせる妻の役を演じており、あの毅然とした演技で田中が熱演している作品でもあるのだが、どうも小津作品であれをやられると、ちょっといつもとは違うという気がしてしまうところがないでもない。

 また、夫が戦争に行っている間、困窮した妻が身体を売ったことに始まる家庭の悲劇というのは、おそらく当時はある種社会問題だったに違いなく、この作品では小津がそうした時流に迎合したテーマを取り上げたところが、いつも超然とした小津らしかぬということで、批判されもしたらしい。
 いずれにしても、そんなところがあるせいか、どうも小津のフィルモグラフィでは異色作ともいわれるのもうなずける作品だ(もっとも小津的なスタティックなムードは全編から漂っているし、舞台はいつも通り下町の貧しい住まいといった部分はお馴染みのものであるが)。

 それにしてもこの作品の当時と現代の貞操観念の違いには、まるで異世界のような落差を感じる。ついでに田中は20代後半という設定だが(実際の田中は30代後半だった)、また、昔の20代後半はこんなにも「落ち着いた大人」だったのかという落差も、まぁ、映画の中での話という点を割り引いても、凄まじいものを感じないではいられない。
 また、一見いつも戦前から小津作品に共通する下町風景に、あと工場やガスタンクの鉄骨のショットが挿入されてるのは、いつもと変わらないようでいて、小津作品のこうした部分にも戦後の殺伐としてものが入ってきていることを感じさせる。
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長屋紳士録 (小津安二郎 監督作品)

2010年07月11日 23時15分12秒 | MOVIE
 小津の戦後第一作で、黒澤の「素晴らしい日曜日」と同じ昭和22年の作品。主演は「一人息子」の飯田蝶子、共演陣は笠智衆、坂本武、吉川満子などのお馴染み面々。戦後間もない東京を舞台にして、預かって来た戦災孤児を巡る人情劇である。
 笠が街で拾ってきた戦災孤児を飯田蝶子に押しつけるところから物語が始まりるが、作品のムードとしてはほぼ戦前の雰囲気とまったく変わらない感じ。先日観た「できごころ」の喜八シリーズそのままの設定を使って、坂本武は脇に回り、飯田がメインとなった感じといったらいいだろうか(「一人息子」の時は寡黙な母役だったが、こちらはガミガミとまくし立てるあの後年のキャラクターそのままで登場する)。

 戦災孤児の世話をまるで捨て猫かなにかなのように、大人達が押しつけ合うのは、今の感覚からすると、どっかの人権団体が騒ぎ出しかねない非情さだが、表向きこのあっけらかんとしたドライさの裏にちゃんとした人情があり、昨今の人権尊重などというきれい事を、日本中で金科玉条の如く言い始める前、ヒューマニズムを感じさせてくれるのがなんとも快い。
 映画からはあまり戦争直後の貧困や殺伐感はそれほどないが、高級そうなドラ焼きを食べて「これは昔の味がする」なんてところや、ラストで飯田が今のせちがない風潮を歎く場面など、当時、戦前と比べて様変わりしてしまったであろう社会の一端が垣間見れるところは興味深い。

 途中「今の子供は鼻水垂らす子も少なくなった」ってな台詞が出てくるが、この時代でそうだったら、私が子供の時だった60年代後半などクリーンそのものだろう。まして今の時代にタイムスリップでもして来た日には、社会全体が驚愕の完全無菌状態みたいに感じるかもしれない。
 ちにみに、同じ終戦直後の東京を舞台にしながら、「素晴らしい日曜日」と本作は時代も土地も全く異質な別世界のように見える。当たり前といえば当たり前だが、小津と黒澤は荒廃して疲弊しきった東京にまったく違うドラマを見ていたのだろう。その落差はあまりに巨大だ。
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サラバンド (ベルイマン監督作品)

2010年07月05日 22時04分03秒 | MOVIE
 「ある結婚の風景」から30年後(2003年)の続編。イングマール・ベルイマンは1982年の「ファニーとアレクサンデル」という彼の総集編的な作品でもって映画界を引退したが、それから20年ぶりに復活したのがこの作品である。
 もっとも映画界引退後も、舞台の演出は引き続きやっていたらしく、本作も「昔の名前で出ています」的な懐旧的雰囲気など微塵ももなく、ベルイマン的なモノローグで綴っていくストーリーも相変わらずだし、演出も実に矍鑠としていて、まごう事なきベルイマン映画になっている。

 本編は元夫婦の漂着気味のその後、父と子の憎悪、子と孫の背徳の気配すら感じさせる関係などが、数分程度の短い章に区切られて描かれる(ひょっとするとこれもオリジナルはテレビ・シリーズなのかもしれない)。相変わらず、ここに描かれるどの人間関係も、ベルイマンらしいこの世の地獄である。
 ラストは全ての登場人物がほとんど宙ぶらりんのまま終わる。「ある結婚の風景」の元夫婦も年老いてなお、「この夫婦とはいったいなんだったのか」という結論は正編同様全くでないまま終わる。人生とはそういう風に苦悩しながら、どこに漂着せず進んでいくものだろうか。時代は過ぎ、世代は変われど、人の人の緊張感、倦怠、傲慢は変わらず、それを見つめる視点が異なるだけだといっているようだ。

 出演者は リブ・ウルマンとエルランド・ヨセフソンの「ある結婚の風景」コンビはそのまま出演。ヨセフソンはあまりイメージは変わらないが、ウルマンはさすがに老け込んだが、ある種寛容を感じさせる包容力と母性を感じさせるキャラは相変わらずだ。ヨセフソンの孫役のボリエ・アールステットは、いかもベルイマン映画の北欧風な美少女で、現代風な繊細さの中に官能美もあり、誰もいうだろうが、かつてのハリエット・アンデルソンを思わせる魅力があった。
 ちなみに本作のメインタイトルに使われていたのが、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調の第4曲。ベルイマンは昔からクラシック曲を良く使うけれど、これなどもその沈痛さ、ある種達観したスタティックな雰囲気など、誠にこの映画に相応しく、ほんとうに良い曲を見つけてきたものだと思う。
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ある結婚の風景 (ベルイマン監督作品)

2010年07月04日 22時57分21秒 | MOVIE
 数日に渡ってNHKで深夜にオンエアされたものを録画してあったもの。確か本邦初放映は1981年頃にテレビ朝日、その後3時間に編集された劇場版も岩波で公開されたような気がするが、当時、私はイングマール・ベルイマンの大ファンだったので、そのどちらも観ているが、どちらも一度観たきりなのので、ほぼ30年振りの再見ということになる。
 ストーリーは、他人も羨む仲睦まじい夫婦が次第その関係を崩壊させ、やがてこれまで秘めていた憎しみをお互いぶつけ合い関係に悪化、そしてあえなく離婚。だが、それでもをふたりの関係は何故か完全に切れることなく、妙な離婚後の男と女関係を続けることになる…というドラマだ。登場人物はほぼこの主演のふたりのみで、緊張感に満ちたディスカッションのような会話のみで進行していく。

 久しぶりに観て、やはり感動したのはリブ・ウルマンの名演だ。リブ・ウルマンはベルイマン組では後発だが、彼の映画にいかにも相応しい典型的な北欧美人であると同時に、広く一般受けしそうな普遍的な女性的像をも併せ持っていて、この作品でもTVシリーズということもあって、彼女の役はあまり冷徹だったり、理知的だったりせず、感情移入しやすい親しみやすいキャラクターとして成り立ったのは、やはり彼女の個性ゆえだと思う。
 夫が妻に愛人のいることを告白する第3話では、4年前から夫婦生活が地獄だったことも告白され、突如、絶望的な淵に立たされる妻の困惑と悲痛さが彼女の一世一代の名演技で表現されており、30年振りに感動してしまった。他のシーンでも時に少女のようであったかと思えば、反対に母性溢れる母の如き風情を見せ、またある時は理知的な大人の女性であったりと、感情の変化に合わせ、刻一刻と表情が変わっていく様は、まさに女優魂を見せつけるようであり。素晴らしさに感嘆してしまった。

 あと、初回に登場する同じくベルイマン組のビビ・アンデショーンが登場するのは懐かしい。彼女は50年代から彼の映画で比較的軽い役回りで出演してきた人で、その可愛らしい風貌に私はすっかり参っていたが、ここで憎み合う友達夫婦として、今後のストーリーを予見する役割として登場。また、これまた初期のベルイマン作品から常連だったグンネル・リンドブロムが、当時の肉体派的なところから180%イメチェンした、異様に冷え切って絶望した離婚を望む妻の役として登場するのも興味深いところだった。
 という訳で、登場人物が自己のアイデンティについて、宗教心について、恐れについて、孤独について、不安について、憎悪についてなどなどを、モノローグ仕立てで縦横に語らせているいかにもベルイマンらしいところも登場するが、全体には意外におだやかだ。結局、絶望の淵にしずむ訳でも、安堵に至る訳でもなく、そのまま優柔不断な関係が続いていきそうなまま、ドラマはプイと終わってしまうところは、ベルイマン晩年の境地を感じさせたりもした。
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恋人 (市川崑 監督作品)

2010年06月29日 23時17分45秒 | MOVIE
 戦後まもなく作られた(昭和26年)市川崑監督作品。私の世代だと市川崑といえば、「ビルマの竪琴」に「東京オリンピック」、あとはぐっと下って金田一シリーズをとった娯楽性を兼ね備えた技巧派の監督みたいなイメージがあるものの、実はよく知らないというのが正直なところだ。映画そのものは戦前から関わっていたようだが(アニメの世界から実写映画へと転身した人らしい)、やはりこの時期の作品は監督としてはごく初期のものだろう。

 ストーリーは、結婚前夜の娘(久慈あさみ)が幼なじみ(池部良)を誘って、都内で独身最後の日を満喫しようとする。ふたりで銀座で映画、大門でスケート、食事、ダンスホールとデートが進んで行くに従い、元々このふたりは愛し合っているようなので、当然結婚に迷いが出て....というものだ。結局、主人公は何事もなかったかのように結婚してしまうし、特に激情的なドラマが展開する訳でもないのだが、結婚前夜と心のゆらめきのようなものを、淡泊だが実に新鮮に捉えた作品だと思う。

 主演は久慈と池辺の他、久慈の両親役で千田是也と村瀬幸子、あと北林谷栄、森繁久彌といった布陣で作られている。市川の演出は非常にリズミカルでテンポが軽妙、カメラワークやオーバーラップなどの技法も斬新で、当時は相当にモダン感覚だったと思われる。なにしろ、結婚の前夜の娘が幼なじみとはいえ他の男のデートするって設定自体、相当斬新である。いくら戦後になっていたとはいえ、結婚前夜に他の男と深夜までデートする娘というのは、かなり思い切った設定だったに違いない。

 ドラマ的にまず銀座で観る「哀愁」が、その後の展開を暗示させ、夜になってホールに行って、あれこれ語り合っているうちに、久慈の心がほんの少しづつ揺らぎ始める。ふたりは最終電車に乗り遅れて、想いの丈を語り始めたりするのだが、結局はきちんに家に帰って、その日に結婚してしまう。映画では思い切りよく省略し、両親のサバサバした会話で締めくくってしまうのは、当時としてはかなり斬新だったと想われる。当時の映画なら、これを情念や後悔の念を絡めた、けっこうドラマチックな終盤にしたはずだからだ。

 この時期の久慈あさみは、いかにも宝塚出身らしいシャープな美形、ただ、ちょっとあまりに利発そう、かつドライなところが勝ちすぎで、こういう役をやるにはちと愛嬌がない感じがしないでもない。池辺良は優柔不断で弱気なところはあるが、まぁ、いつものイメージである。久慈の両親役で千田是也が実に茫洋とした雰囲気の良き父親を好演。あとダンス・ホールのシーンでは、この時はまだずいぶん若い森繁久彌が出てくる。
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わが青春に悔なし (黒澤明 監督作品)

2010年06月27日 16時50分59秒 | MOVIE
 昭和21年制作の戦後第一作。主演は原節子、藤田進、杉村春子、大河内傳次郎など。滝川事件とゾルゲ事件をモデルとし、GHQが後押ししたある種の戦中弾圧を糾弾しかつ民主主義を礼賛するみたいな、戦意高揚映画の反動みたいな側面もある映画で、どうもこういう性質の作品だと、黒澤的な説教臭さが全開なような気がして(笑)、ずっと敬遠していた作品だが、先日、CATVで黒澤シリーズの一環として放映されたので観てみた。

 前半は、戦前の学生運動に身を投じ獄死した男(藤田進)と彼を慕う娘(原節子)の物語で、ドキュメンタリー風に描写していくところなどなかなかモダンだが、ドラマ的な部分は-緩徐の起伏面とか-けっこう戦前っぽいムードも残している。まさに戦前と前後の端境期といった感じで進んでいく。舞台が東京に移って、原と藤田が夜の事務所で再会するシーンは、ふたりの秘めた情念がもの凄い緊張感の中でぶつかり合うある素晴らしく見応えのあるシーンである。

 後半は男の故郷の農村に舞台が移行して、逆賊という汚名を着せられた実家で、村人の差別に合いながらも、農作業に悪戦死闘しながら従事していく原の姿が描かれている。これを演じる原の演技は、一種鬼気迫るものがある大熱演なのだが、どうも彼女のイメージとしてはそぐわない気がしないでもない。そのうち戦争が終わると、いつのまにか彼女は勤労農家のリーダーみたいになっているのだが、こういう明るい先生っぽいイメージは、普遍的な原節子に近くてほっとさせられる。

 原節子は当時20代後半、前述の通り、黒澤の演出は非常に硬質だけれど、基本は「原節子の魅力で見せる映画」なのだと思う。正直いうと、私は原節子という女優さんには、イマイチ魅力を感じないクチなので、このいかにも戦前型のシリアスなインテリによる「自分探し」のみたいな役回りは、個人的に今一歩訴求力がない。正直言うと、この主人公独善的で、情緒不安定な行動には辟易するものを感じた。「何をコイツはこんなに苦悩してるんだ?」って感じである。
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たそがれの東京タワー (阿部毅 監督作品)

2010年06月25日 23時39分46秒 | MOVIE
 昭和34年…ということは、私が生まれた年に制作された大映作品。当時、出来たばかり東京タワー(昭和33年12月23日に完成)の話題を借りて作られた作品である。今ならさしずめ、近いうちに出来る浅草の東京スカイツリーの完成したら、それに合わせてちゃっかりドラマが作られた…ようなものであろう。
 おそらく、東京タワーが話題が旬なうちにということで、かなり手早く作られた映画で、ひょっとしたら他の作品と併映された作品なのかもしれない。出演陣は三宅邦子の他は仁木多鶴子と小林勝彦他の私の全く知らない人ばかりだし、監督の阿部毅も初めて聞く名前である。もっとも、この時期の大映の風俗映画など初めて観るようなものだから、無理もないとは思うが…。

 ストーリーは孤児院で育ち、東京に出て貧しいお針子をやっている仁木が東京タワーで小林と出会う。彼女は仕事場の洋服を着てお金持ちのふりをするが、やがて恋が芽生えて結婚というところにまでいくのだが、なにしろ小林の方は社長の御曹司だったので、自分が貧乏だということ言い出せなないうちに、小林の結婚話や渡航の話も進んで…と、話こじれていくという、まぁ、たわいもないラブストーリーである。
 後半はお決まりのふたりの関係がピンチとなる展開にはなるものの、関係者の計らいでふたりが再び結ばれるようになるブロセスは、かなり端折ってしまっていて、なんだか一気にふたりが出会った東京タワーでハッピーエンドになってしまう印象だ。まぁ、このあたり、やや唐突感も覚えたりもするのだが、やはり約60分ほどの作品ではあることだし、この手の作品にはあまり「作り込んだ仕上がり」を期待してはいけないのだろう。

 主演の仁木は可愛いコちゃんタイプで、私の印象だと若い頃の若林麻由美に似ている感じで、貧乏だが健気にいきてる娘役を好演。後半はこの仁木がおよよと泣きまくるのだが、この時期の映画に出てくる女は、どれも本当にしおらしく泣く(笑)、当時はこういうのがきっと「可愛い女」だったのだろうとも思った。小林は川地民夫風なハンサム・ボーイといったところである。
 なお、このふたりがドライブするところは、今とは違って、当時はずいぶん低いビルが連なっていた丸の内、これまたずいぶんと人気がなくがらんとした外苑が出てくるのは楽しいところだが、同じ東京の風景でも大映だと、かなり雰囲気が庶民的で妙な生活感があったりするのは、やはり当時の厳然として存在していた大衆娯楽に徹した大映という映画会社の社風が出たところかもしれない。
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