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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

新東宝名画傑作選 「女体渦巻島」

2009年09月30日 23時16分50秒 | MOVIE
 まずはタイトルに惹きつけられる。女体が渦巻く島というのはどういうことなのか、あられもない想像をかき立てられるこのタイトルに、男なら興味を感じないではいられないだろう(笑)。舞台は現代でも国際紛争になりかねない対馬で(この映画では「東洋のカサブランカ」などと紹介されている)、ここが麻薬密輸と人身売買の中継基地なっているという設定。この対馬を牛耳るのは女ボス(三原葉子)で、そこにかつて恋人である主人公(吉田輝男)が登場し、三原葉子を情婦にした香港マフィアの親玉(天知茂)に復讐するというのがおおまかなストーリーだが、監督が石井輝男なだけあって、キッチュでバカバカしいシーン、演出が横溢。マンガ的に無理矢理展開していくストーリー、途中多少登場するエロは全くウェットさがなく、単なる「お約束」なっているところなどは、一見、まぎれもない新東宝的な趣だが、それ以上に石井輝男的な個性を感じさせるともいえる。

 まぁ、監督の石井輝男については、よく分からないところもあるので、あまり深入りしないけれど、全体としては同時期の日活が沢山作っていた無国籍アクションを更に殺伐、ドライにさせたような作品だと思う。その後、石井作品の常連となる吉田輝男はこれがデビュー作となるらしいのだが、でくの坊のような硬質さがある。三原葉子と天知茂は先日観た「憲兵と幽霊」の後日談の設定で登場。ついでに同じく「憲兵と幽霊」ですっかりファンになってしまった万里昌代も「売られる女」のひとりとして出演している。この映画ではまるでケリー・チャンのような美貌で思わずうっとり(笑)。
 ちなみに「女体渦巻島」というタイトルだが、この島から東洋各地に売り飛ばされる女達がここに集結していることに由来しているのだろうが、タイトルから想像するようなシーンはほとんどない(笑)、まさに「見せ物小屋的誇大広告」である。その意味では、まさに新東宝な作品といえるかも。
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Sony CyberShot DSC-F1 (デジタルカメラ)

2009年09月29日 22時20分51秒 | PC+AUDIO
 1996年10月発売、ソニーのサイバーショットシリーズの初代機である。これが出た当時、デジカメといえばまだまだ走りだった時期で、確かこれに先行してカシオのQV10とかいう代物がベストセラーになっていたような気がする。新しいモノ好きな私は、このキカイに大いに興味は感じたものの、そのチープなデザインとカシオというブランドにどうも物欲をそそらず、結局触手が伸びず仕舞いだった。初代サイバーショットはそのQV10と同様、液晶モニター、レンズ部が回転するマルチアングルモニターといった仕掛けを踏襲しつつも、メタルボディーに高級感あるカメラカメラしたデザインでまとめたところに、大いに購買欲をそそられて、8万円以上という今ならデジイチさえかえそうな値段だったにもかかわらず、発売直後すぐに購入した。思えば私が購入したデジカメの第1号である。

 調べてみると、なにしろ13年も前のキカイなので当然といえば当然だが、デジタル機器としてのスペックはかなり貧弱(固定焦点のアナログ機器としての性能は知らず)、35万画素でメモリは内蔵で4MBのみ、最高画質だと30枚くらしいしか撮れなかったと思う。もっとも、当時、こういうのは「お初」だった訳だし、私自身映像に関してはとんとこだわりがないクチなので、特に画質だの、撮影枚数に関しては、「まぁ、こんなもんだろ」的に不満は感じることもなかったが、むしろ決定的に不満を感じたのは内蔵メモリからパソコンに取込む時の遅さであった。ケーブル、IrDAどちらもパソコンへの転送が信じがたいほどに遅く、十数枚転送するのに10分くらいかかるのには辟易したものだった(おまけにソフトが別売で一万円くらいした)。結局、カメラ本体よりもこの転送の遅さが致命的だったと思う。

 ともあれ、このキカイが活躍したのは、パソ通のオフ会でみせびらかすことができたとか(笑)、最初に訪台した時に携行して、写真を撮りまくったことくらいだろうか。もっともそういう時は、保ちの悪い電池が災いして、肝心な時に撮れない....なんてことになって、訪台の時は光華街で高い専用バッテリー買うハメになったりもした。そんな訳で、このキカイを一通り使って感じたことは、転送にせよ、電池の持ち時間にしたところで、「デジカメというキカイはも家電品のように使うにはまだまだこなれてない、オレが使うもんじゃないな」という点であった。そういう経緯もあって、これ以降デジカメについては、しばらく模様眺めになってしまったのであった。
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新東宝名画傑作選 「明治天皇と日露大戦争」

2009年09月28日 23時57分39秒 | MOVIE
 このところ新東宝の作品ばかり観ているが、中でもこれは有名な作品、嵐寛寿郎が演じ本邦初のスクリーンに登場する天皇、シネスコの走りと様々な話題を呼び、当時傾きかけていた新東宝の経営を一気に挽回させた起死回生の大作である(「日本人の5人に1人が見た」といわれたらしい)。日露戦争を明治天皇を中心に、陸海軍の活躍を要領よく約2時間で描いているが、「B級の新東宝」にしては、例外的に豪勢な造りになっていて、二百三高地の戦いや奉天入城、あと市井の提灯行列などかなりエキストラを動員したスケール感豊かなものになっているし、戦艦三笠を中心として対バルチック艦隊戦も円谷特撮には敵わないがなかなか迫力がある。

 ただし、大作とはいっても「新東宝にしては」というレベルかもしれない。俳優面では嵐寛寿郎以外は特に大物がおらず(個人的にはせいぜい「ミスター海底軍艦」の田崎潤が東郷をやっているくらいか、後年有名になる丹波哲郎、宇津井健、高島忠夫、天知茂といった人達は当時は新人である)、俳優的な「華」はほとんど感じられなかった。また、早撮りの名人渡辺邦男の演出はそれほど深みがある訳でもなく、プログラムピクチャー的な「撮りっぱなし感」がある上に、ドラマ的にはひねりも屈折もなく、通俗的なお涙頂戴式な浪花節に終始しているので、-まぁ、それはそれで趣はあるのだが-観終わった後「大作映画を鑑賞した」したという充足感はあまりない。ちょうど12チャンネルが昔やっていたような、正月の長時間ドラマ観ているような感じといったらいいか。

 という訳で、今の視点でみれぱ、やれ右翼だの、戦争をいたずらに賛美しているだのといわれかねない視点に基づいたストーリではあるが、1957年という戦後しばらくした時期にあってすら、日本人が持っていた日露戦争のイメージとはこいうものはこういうものだったのか....と、現代との落差を味わうだけでもおもしろい。Wikiによれば。明治天皇が登場するシーンでは「思わず手を合わせる人」がいたというから、当時の年配者たちのイメージもわかろうものである。良きにつけ、悪しきにつけそういうもんだったのである。ついでに書くと、私はこの作品を昭和40年代前半くらいに観た記憶があるのだが、この手のムードは当時でさえ古色蒼然したとものを感じたので、まぁ、10年も経たないうちに社会の雰囲気は大きく変化していたことを併せて感じたりもするのだが....。
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Panasonic LUMIX DMC-LX3 (デジタルカメラ)

2009年09月27日 09時35分49秒 | PC+AUDIO
 先日、購入したリコーの「GR DIGITAL II」もほとんどいじくってもいないのに、また一台購入してしまった。自分はデジカメに関してこういう時期がかつて何度かあって(デジカメでなくともそうだが-笑)、こうなるともどういう用途に使うとか、購入することによって自分が得るメリットとかほとんど関係なく、単に物欲として欲しく欲しくてたまらず、購入するまで収まらないということになってしまう。
 「GR DIGITAL II」が、単焦点レンズの多少マニアックなデジカメであるのに対し、LUMIX DMC-LX3はズームも付いて、しかもレンズはF2.0、マニュアル撮影はあれこれできるのは当然、オート機能も豊富という、非常にヴァーサタイルな機種であることに惹かれといったところだが、これを先日オークションで3万ちょいで落札し(このくらいの値段だから買えちゅうんだよね-笑)、木曜日に届いたところである。ほとんど新品同様な代物だったのはありがたい。

 これもこの2,3日、あれこれしていてほとんどさわっていないのだが(買ったことだけに満足してしまっている訳ではない....少なくとも現時点では-笑)、かっちりとして高級感あるデザインで、あちこちにボタンが並んでいるメカメカしい佇まいは、いかにも男心をくすぐる感じで、「GR DIGITAL II」とは違った意味でこっちも「使ってみよう」という気にさせる。室内に強そう、オート機能充実ということで、たぶん、バックにいれて常時携行するのはこちらになりそうな感じがする。
 併せて、ここ数日、あれこれデジカメに関するテクニック本を物色しているところだ。とりあえず「今日からデジカメ写真がうまくなる(ソフトバンク新書)」 と「カラー版 基本がわかる!写真がうまくなる!「デジタル一眼」上達講座 (アスキー新書)」を購入してみた。2台も購入してしまったからには、今度こそ「シャッター押すだけ野郎」から卒業してみたいところだ。
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新東宝名画傑作選 「憲兵と幽霊」

2009年09月26日 23時58分56秒 | MOVIE
 「憲兵とバラバラ死美人」の翌年つまり58年の作品。新東宝にいわゆる「憲兵物」が何本存在するのか、私にはさっぱり分からないのだが、けっこうまとも推理映画だった「バラバラ死美人」に比べると、こちらはかなりタイトルから受けるイメージ通りの作品である。なにしろ主演の天知茂分する憲兵が悪い(笑)。同僚(中山昭二)の奥さんに横恋慕して、その同僚を巧妙にスパイの罪を着せ、銃殺に追い込むだけでその悪党振りは鬼のごとしだが、更に親切ごかしで、同僚の母親を自殺に追い込む、未亡人(久保菜穂子)を犯して孕ませす、そもそも発端の書類紛失にかかる黒幕スパイが実は自分だったりするはで、今のぬるま湯の浸かりきったかのような日本人の感覚からすると、ドン引くくらいの極悪非道振りある。しかも、それをいかにも冷徹で血も涙もなさそうな天知茂が演じているのだからおもしろい。

 いささか陰湿だがピカレスク・ロマン的な趣で引っ張る前半に対し、舞台が中国に移る後半から終盤にかけてはお約束の怪談調が次第に濃厚になる。死んでいった者の怨念が次第に主人公を追い詰めていき、スパイであることがばれた主人公は銃撃戦の果てに、墓場に逃げ込むシーンでは、棺の蓋がはずれて幽霊はでる、逃げまといすがりつく十字架にもことごとく幽霊がいる、海に沈められたとおぼしきは軍曹の棺から水が溢れ出したりする部分とかは全く怪談映画で、このあたりはメガホンをとった中川信夫らしいセンスといえるところだろうが、怨念の主体が実に温厚で誠実そうなキャラの中山昭二だったり、舞台が洋風の墓地だったりするせいか、実はあまり怖くないのが残念なのだが....(もっともこのシーン、その後中川と天知が組んで作ることになる大傑作「東海道四谷怪談」の前哨戦と見ると別の趣があるかもしれないが)。

 という訳で、陰湿な憲兵物+怪談風味ということでなかなかおもしろい作品だった。出演者としては、いいところを全て天知茂が持っていってしまっているが、個人的には後半のキャバレーシーンでセクシーな踊りを披露する万里昌代の美しさが印象に残った(脇毛も凄いが-笑)。現代でいえば常盤貴子みたいな、ややキリっとして、ツルっとした感じが、ホント今にも通用するような美しさなんだよね。ついでに書くと、この映画戦中日本と中国を舞台にしているのだが、当時を街並みとか風俗などをみると、昭和30年代とさしてかわらないのにちょっと目から鱗の感もあった。歴史はやはり連続しているのであり、やはり自分など、なんだかんだいったところで、戦前暗黒史観が染みついていることを認識した次第。
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新東宝名画傑作選 「憲兵とバラバラ死美人」

2009年09月25日 00時43分24秒 | MOVIE
 新東宝という今は亡き映画会社は、昭和20年代初頭の有名な東宝大争議から派生した、そもそも東宝の暖簾分けのような会社であった。当初は黒澤明なども作品なども制作し、文字通り第二の東宝的なポジションにあったのだが、あまり儲からなかったらしく、その後、大蔵貢が実権を握ると、安撮りの通俗映画路線をひた走り、いわゆるB級、C級映画を乱発、この時代に「新東宝」のイメージが確立した(新東宝の後継といえなくもない、ピンク映画専門大蔵映画のイメージもあいまっているが)。
 私は新東宝が倒産した1961年でもまだ2歳なので、新東宝のイメージといっても当時をリアルタイムで体感している訳でもないが、この時期の新東宝の作品のひとつで、宇津井健主演による日本版スーパーマン映画「スーパージャイアンツ」などは、昭和40年前後のTVでオンエア時に私は観ているはずだから、新東宝のB級ぶりはけっこう昔から体験していたことにはなる。

 さて、この「憲兵とバラバラ死美人」だが、これはもうタイトルが全てを物語っているといえる。悪名高い戦前の憲兵とバラバラ××という組み合わせ、しかも制作が新東宝とくれば、これはもう大通俗エログロ映画に違いあるまいという訳だ。かくいう私もそうした路線を期待してレンタルしてきた訳だが(観たのは22日)、あに図らんや内容的には普通の刑事物、いや刑事物のヴァリエーションであった。
 仙台歩兵連隊の炊事場附近の井戸の中から、女の胴体が発見され、軍隊という特殊環境で起きた事件であることから(そういえば、軍隊描写は8月に観た「陸軍残酷物語」と共通したムードがあった、おそらく類型なんだろう)、憲兵がその捜査に当たり、犯人は誰か、そもそも被害者は誰なのか....という捜査過程が丹念に描写されている作品で、エロい画面は被害者の胸元がちょっと見える程度、グロといっても骸骨くらいもので、スプラッター風な場面は皆無、あの時代を考慮したとしてもエロ、内容的はきわめてまっとうな映画であった。

 監督は並木鏡太郎、初めて聞く人だが、おそらく戦前からの職人監督だろう。昭和32年とは思えないボテボテのゴロのようなテンポの演出、編集である。だが、私としては、この作品まるで戦前の映画のようなゆったりしたストーリー展開や鄙びた風情がけっこう楽しかったともいえる。 主演はウルトラセブンのキリヤマ隊長でおなじみ中山昭二。憲兵とはいっても悪役ではなく、誠実に犯人を突き止める役の回り。当時の新東宝の常連、天知茂が探偵小説でいうミスディレクションを担う役として小悪党を演じている(どう考えても天知茂が犯人の方が雰囲気的に納得できるのだが-笑)。
 という訳で、まぁ、のんびりと観れた映画ではあるけれど、やっぱり「憲兵とバラバラ死美人」というぶっちぎったタイトルがつけるべき作品じゃないよね。扇情的なタイトルで釣るってのも、まぁB級の新東宝らしい趣向ではあったんだろうけれど....。
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ステレオ これがビートルズ Vol.1 (Please Please Me)

2009年09月24日 00時07分18秒 | Beatles
 これはおまけ、「ステレオ! これがビートルズ Vol.1」というタイトルは、なにやらベスト盤のようだが、実は「プリーズ・プリーズ・ミー」の日本ヴァージョンである。確か1966年の来日に併せて発売されたものだが(70年代になってオデオンからレーベルがアップルに変わっても日本市場には流通していた)、ごらんの通りジャケットとオリジナルまるで異なり(ジャケ内には綴じ込みで数ページの写真集がついていたと思う)、曲順が一部変更された珍ヴァージョンとなっている。別項にも書いた新リマスター盤はステレオ・ヴァージョンだが、日本では「プリーズ・プリーズ・ミー」の収録曲がステレオで発売されたのは(一部コンパクト盤は別として)、多分これが初めてだったと思う。タイトルに「ステレオ」と誇らしげにあるのも、おそらくそういう事情があったせいだ。

 当時-といっても70年代初頭-これがベスト盤ではなく、実はデビュー・アルバムの「プリーズ・プリーズ・ミー」だったことを知らなかった私は、豪華な写真集に惹かれ、このアルバムを購入したはいいが、中身は妙に地味でけっこうがっかりしたものだった。ちなみに今から思うと、この曲順の変更はこれはこれで悪くないと思う。各面のトップが「プリーズ・プリーズ・ミー」と「ツイスト・アンド・シャウト」になっているのは、おそらくどちらも日本でシングルカットされ、大ヒットしたからだろう。とくに前者は日本での実質デビュー・シングルで、かつ「抱きしめたい」より流行ったという人もいるくらいの大ビットシングルだった。また「P.S.アイ・ラヴ・ユー」のようなしっとりした曲で締めくくるのというのも、けっこう日本的なセンスなのかもしれない。


[Side:A]
01.プリーズ・プリーズ・ミー / 02.アンナ / 03.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア / 04.ボーイズ / 05.ミズリー / 06.チェインズ / 07.アスク・ミー・ホワイ

[Side:B]
08.ツイスト・アンド・シャウト / 09.蜜の味 / 10.ラヴ・ミー・ドゥ / 11.ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット / 12.ベイビー・イッツ・ユー / 13.ゼアズ・ア・プレイス / 14.P.S.アイ・ラヴ・ユー
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The BEATLES / Please Please Me その2

2009年09月23日 12時21分18秒 | Beatles
(続き) 実際に聴いてみると、懐かしいような、それでいて新鮮なような、奇妙な感覚にとらわれる。懐かしいというのは、このステレオ・ヴァージョン、左右のバランスが左チャンネルがインスト、右チャンネルがヴォーカルという往年のパターンをほぼ踏襲しているからで、大昔東芝から沢山でていたステレオ録音のコンパクト盤だのを思い出せるのだ。なにしろ、当時日本で広く出回った編集盤「ビートルズ!」、「ビートルズNo.2」、「ビートルズNo.5」といったアルバムは全てモノラルだったので、あえてステレオ録音を聴きたければコンパクト盤で....みたいな複雑な状況になっていたのである。なので、このステレオ・ヴァージョンを聴くと、大昔、初めてステレオ版の「プリーズ・プリーズ・ミー」だとか「フロム・ミー・トゥ・ユー」「サンキュー・ガール」などをコンパクト盤で聴いて、その音の異同にギョっとした感覚が甦ってしまったりするのだ。

 次に新鮮さとは、これこそ新リマスターの効果だろう。オーバーにいえば瞠目したくなるくらいに激変した「音の太さ」と「ヴォーカルの鮮度」である。その大時代的なチャンネルの振り分けの是非はともかくとして、とにもかくにも、ここではヴォーカルとインストが左右に切り離された物理的条件の良さが物をいっているののだと思う。左チャンネルで聴こえるインスト、特にベースの太さと、くっきりと粒だったヴォーカルの鮮度感、コーラスの音離れは、これまで聴いたことも無いビートルズの音だと思う。
 ついでにいえば、リンゴのドラムはこのリマスターでは、ベースに比べるとけっこう大人し目のバランスだが、「蜜の味」で左チャンネルで聴こえるリンゴの刻むブラシの生々しさなど特筆ものだし、ほんのわずかだが、時にドラムス・ブースの空気感のようなものまで感じとれるのも、これまでよりぐっとSN比がよくなり静寂感がましたからだろう。あと、オーバータビングされたおぼしき楽器(ハーモニカとかピアノ)が忽然と右チャンネルに現れる時の妙にリアルな感触も、そのバランスに賛否はあるだろうが、個人的にはけっこう楽しめた。

 という訳で、このステレオ・ヴァージョンだが、-これはモノラル・ヴァージョンと同様-日本人が好みそうな、あざといまでにエッジを際だたせたり、分析的に細部を描写するような方向とは違ったポリシーで整音されことは明らかだ。少なくともパッと聴き、派手な音ではないのも確かであり、「期待したけど、全然音良くなってねーじゃん」みたいな意見は、おそらくこうした面からきているのだろう。ちなみに今回のリマスターでは基本的な左右のバランスは以前のものを踏襲していると思うが、あの泣き別れのバランスに多少は考慮したのか、両側の音をいくらか真ん中に音を寄せているような気もする。ちなみにいえば、今の技術を使えば、ボーカルを真ん中にして、インストを左右に散らすことも、元が2チャンネルのソースであっても、やってやれないことはないと思うのだが、さすがにそこまでいじらないのは、相手がビートルズだからなのか、それとも保守的な英国の見識が反映したというべきなのだろうか。
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The BEATLES / Please Please Me その1

2009年09月23日 11時49分49秒 | Beatles
 1963年の発表のビートルズ、歴史的デビュー・アルバムである。ブライアン・エプスタインの東西奔走もあって、ようやくEMIと契約に漕ぎ着けたビートルズが、1962年のデビュウ・シングルの「ラブ・ミー・ドゥ」がますまずヒット、続く「プリーズ・プリーズ・ミー」が念願のナンバー1ヒットになったことを受け、急遽制作されることとなったもので、収録された14曲のうち4つは既発シングル収録曲だから、当日録音されたのは10曲ほどだが、ビートルズはこれをほぼ一日(10時間くらいだったらしい)で録音が終了したとか、当日のジョンは風邪を引いていて、最後の「ツイスト&シャウト」は喉がつぶれる寸前だったので、ほとんどぶっつけであのテイクを決めたとかいうエピソードは、ビートルズ・デビュウ期を彩る伝説のひとつになっている。

 ポールのカウントから始まる「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」に始まり、ジョンの絶叫で締めくくる「ツイスト・アンド・シャウト」まで、当時のビートルズのもっていたフレッシュで荒々しいパワーがビビッドに伝わってくるアルバムだが、同時に「アスク・ミー・ホワイ」「P.S.アイ・ラヴ・ユー」「ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」といったバラード系の作品も魅力的だ。ビートルズはデビュー当時からロック系の作品とは、ひと味違ったこうしたメロディックな感覚があったこと忘れられないところで、いわばこれらを両極として、その中間に6曲のカバー作品なども折り込み、デビュウ・アルバムの仕上がりとしは意外にも多彩な仕上がりになっているのだ。まぁ、このあたりはキャバーン・クラブその他での経験がものをいっているのだろうが、このアルバムにはデビュウ作らしいその瑞々しさ、若々しさといった魅力は当然あるにしても、それと同時に「既に十分に鍛錬され、手の内が沢山あるバンド」というプロ的な感覚が物をいっていることも忘れられないと思う。

 さて、今回の新リマスターでは、初期の4作が従来のモノラルからステレオ・ヴァージョンに切り替わったのが話題といってもいいだろう。ここでも何度も書いているとおり、もちろんモノラル・ヴァージョンも発売されてはいるのだが、あちらは分売もされないマニア向けの限定発売だから、アーティスト側もここにいたって公式音源として、晴れてステレオ・ヴァージョンを認定した....といってもいいかもしれない。とにかく、その是非についてはこれからも、笑えるほどに議論噴出であろうが、なにはともあれ、これからしばらくの間は泣いても笑っても、「公式なビートルズの音」はコレなのである。(続く)
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The Beatles (Long Card Box With Bonus DVD)

2009年09月22日 16時17分20秒 | Beatles
 こちらは現在、日本でも大ベストセラーを記録中のビートルズの全作品(14作品)をステレオ・ヴァージョンで収めたボックス・セット(ザ・ビートルズ・ボックス)である。大昔の既発音源を単に整音処理して、丸ごとセットしてた価格も3万円はしようかという代物が、この不況下で軽々と大ベストセラーにしまうビートルズは、解散して40年経った今も化け物アーティストであり続けていることを実感してしまう。今回のビートルズのリマスター音源としては、先日取り上げたモノラル音源を収めたボックスも同時に発売されているが、あれはあくまでもマニア向けの限定盤だから(もちろん分売もされない)、これからのビートルズは初期、中期、後期に関わらず、ここに収録された音が基準になって行くことになるのだろう。

 さて、今回はセットにボーナス・ディスクとして入っている各アルバムのミニ・ドキュメンタリーを収録したDVDを観てみた(ちなみにこのドキュメンタリーはそれぞれのアルバムにも収録されている模様)。ミニ・ドキュメンタリーというから、リミックスのプロセスでも公開されているのかと思ったら、そういうもんではなく(当たり前か-笑)、全部12枚あるビートルズのオリジナル・アルバムについて、アルバム収録された曲はもちろんだが、メンバーや関係者の証言を流しつつ、当時の動画や静止画をシンクロさせながら5分程度にまとめている。ちょうど「アンソロジー」のダイジェスト版のような体裁だが、おそらくあれで集めた豊富な素材や製作に注ぎ込んだ予算の大きさがものをいっているのだろう。短いとはいえ、映像処理や音源の扱いなど、ビートルズに相応しい無茶苦茶リッチな仕上がりになっている。

 ちなみに私の購入したのは輸入盤なので、日本語の字幕がついていないのだが、英字幕にしておけば、ここに出てくる位の証言ならば、こちらの頭に既に入っているビートルズに関する知識でなんとなく補完できてしまうのが、なんだか当方の哀しきファン気質を感じさせて、何故だかとても可笑しい....などと、どうでもいいことを書いたついでに、せっかくだから、ここからはしばらくは今回でたモノとステレオ音源の比較でもしつつ、ビートルズの音楽を今一度クロノジカルに眺めていきたいと思う。なにせ6万円の買い物である、HMVじゃこのボックスセットを「一生ものの家具」みたいな言い方しているけれど、家具なら飾っておくだけじゃなく、使わないともったいないもんね。
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エイリアン4 完全版 A.E.(JP.ジュネ 監督作品)

2009年09月22日 11時51分47秒 | MOVIE
 「エイリアン3」が閉鎖空間に紛れ込んだ一匹のエイリアンと人間の対決を暗鬱で重厚なトーンで描いていた点で、「エイリアン」の設定に近いものがあったが、この「エイリアン4」では、沢山のエイリアンが人間に襲いかかって来るシチュエーションを割とあっけらかんと描いている点で「エイリアン2」的な世界に近いといえるかもしれない。
 で、いろいろと問題点はあったとしても、「エイリアン3」で描かれた世界というのは、実は個人的に好きであり、愛着も感じるのだが、こと「エイリアン4」については、初めて観た時からどうも馴染めないものを感じて仕方がない。クローンで甦るリプリーというのはSF映画だから問題ないとしても、敵だか見方だか良く分からない正体不明のキャラとして設定されているのは必然性を感じないし、あのラストに出てくる人間とエイリアンの中間体のようなクリーチャーの造形は興ざめもいいところ。挙げ句に人間らしく憐れみを誘うようなラストに至っては失笑してしまうのだ。

 もっともこの作品、これで3回目か4回目くらいだが、観る度に見直してきたのは確かだ。今回もそうである。これまでの3作とは違う「ダークコメディ」的な乾いた笑いなどは、何度か観てきてそのおもしろさが分かってきたような気がするし、随所に現れるアニメ的な動きを取り入れたアクションなど、「マトリックス」に先んじていたところがないでもないと感心したりもする。また、その世界観にせよ、ドラマ的な展開にしても、観ていてブレや狂いがなくきっちりと出来上がっている完成度があるのは特筆ものだと思う。少なくともその点は「エイリアン3」に比べても数段良い。ボーナス・ディスクのメイキングを観ていると分かるのだが、この作品では前回の地獄のようなプロセスに制作陣も懲りたのか、撮影前にほぼ完璧な脚本が出来上がっており、フランスから来たJP.ジュネはいわば職人監督に徹して演出するという分業が円滑に進んだらしいから、原案の世界観やストーリーはほぼ当初の狙い通りになったということでもあるのだろう。そう思うと、つくづくあのラストの展開が惜しまれるところだ。
 あと、この完全版についてだが、基本的なところは全く変更はなく、頭と最後にちょっとオマケがついた程度である、もっともこのオマケ自体は、けっこう作品のトーンや広がりを補強する秀逸な追加シーンで観ていて楽しいのだが、前述のとおり作品自体はあれでほぼ完成しているので、別段これがあったからどうのこうのというものでもないと思う。

 ちなみに出演陣ではウィノナ・ライダーがやはり目立つ、リプリーが設定上ああなってしまい、そもそも年齢が年齢なので、私はてっきりここでリプリー的な役柄がこの作品でウィノナ・ライダーに移譲され、この後は彼女がメインでエイリアンと対決するのかと思っていたら(少なくもそういう含みがあるラストだったと思う)、その後彼女は一切エイリアン・シリーズにかかわっていないから、断ち切れになってしまったのだろうか。もっとも次は「エイリアンvsプレデター」だから、彼女に出番はなかったろうし、そもそも彼女はその頃、既にハリウッドであまりに大物になりすぎたということもあるかもしれない。
 という訳で、ひょんなことから購入したこのエイリアン箱だが、メイキングも含め4作連続で観ながら改めて感じたのは、やはり一作目がとんでもない傑作だったということ。そして、この一作目のネタで、これだけのシリーズを作り上げてしまうハリウッドは、やはり凄いところだな....というのが偽らざる印象であった。
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ハンソン 交響曲第2番「ロマンティック」/スラトキン&セントルイス響

2009年09月21日 23時15分56秒 | クラシック(20世紀~)
 ハンソンはアメリカン・クラシックの作曲家の大物のひとりである。アメリカの作曲家は、アイヴスのような人もいるが、音楽が音響デザインと化した第二次大戦後も、総体的にロマン派をベースにした保守的なところを基点とする人が多かった。サミュエル・バーバーやチャドウィック、あとコープランドやコルンゴルトなどもその部類に含めていいかもしれない。このハンソンもその一人であり、かつ最大の大物だろう、なにしろ彼は指揮者としてマーキュリーのリヴィング・プレゼンスに自作自演の他、何枚かのアルバムを残してもいるので、そうした意味でも有名な人なのである。

 私は3年ほど前にここで彼の交響曲の第3番を取り上げたことがあったけれど、その時はドイツ・ロマン派とはいささか趣が異なる、構築的というよりはもうすこし情緒的、ロマン派といってもいくらか民族的風景のようなものを穏健な筆致で描く人みたいなイメージを持ったが、特に駆り立てられるような興味も感じないまま放置してあった。
 今回、この交響曲第2番を聴いてみようと思ったのは、この曲の一部がこのところなにかにつけて、あれこれ書いている「エイリアン」のエンド・タイトルに使われているからで、これを機会にちょっと聴いてみたいと思った訳だ。コレクションを探してみたところ、ハンソンについては他の交響曲は何枚かあったけれど、第2番はなぜか見あたらなかったので、HMVで-ここでは初めて-ダウンロードでの購入をしてみた。ソースはMP3ではなく、128kbpsのWindowsMediaファイルであったので、これを一旦ディスクに焼きなおして聴いているところである。

 全楽章を軽くメモっておくと、曲は3楽章制、第1楽章は全楽章中もっとも長大で(といっても15分くらいだか)、長い序奏部の後、第1主題こそものものしいが、大半はなだらかな起伏で、心持ち温度感の低い田園風景のような音楽でもって展開されていく。第2楽章は更に牧歌的、田園的な緩徐楽章でシベリウスから苦みを抜いた音楽みたいな印象で、中間部では大きく盛り上がるが(まるでマーラーの3番のみたいに)、これは典型的なロマン派のパターンだが、その平明な旋律はもやはハリウッド(の映画音楽)的な趣もある。第3楽章はトンネルから抜け出たような明るいファンファーレに始まり、雄大でスケールは大きいものの、基本的にはなだからな音楽との対比で進行、最後近くで第1楽章の主題が回想されて、曲は再びファンファーレで盛り上がり終末を迎える....と、まぁ、だいたいこんな感じだろうか。いささか、「ぬるい」ところがなくもないと思うが、瑞々しさがあってなかなか良い曲だと思う。

 さて、問題の「エイリアン」に使われた部分だが、Wikiなどを読むと、多くは第3楽章が使われた旨の記載があるけれど、これはどう考えても第1楽章だろうと思う。前述のとおり第1楽章は15分ほどある楽章だけれど、くだんの映画のオーラスの通信場面およびクロージング・テーマは、この楽章の最後をそれぞれ1分と3分ほど、この楽章の第2主題をあつかったコーダの部分あたりを中心に使われているとしか思えない。念のため映画の方でも確認したが、ひょっとするアレンジした演奏かも....という気もするが、大筋ではこのコーダの音楽だ。
 ちなみにこの部分に私は映画で慣れ親しんだせいか、この初めて聴く曲でもこの部分がくると、異国の地で突然古い友達にでもあったような気になってしまう。「ベニスに死す」で使われたマーラーのアダージェットなどその典型だが、これも間違いなくそのひとつになるだろう。
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JERRY GOLDSMITH / Alien - complete score - Disc.1

2009年09月21日 18時33分41秒 | サウンドトラック
 本完全盤の目玉であるディスク1。従来出ていたサントラ盤は、おそらく厳密にはサントラではなく、サントラ収録とほぼ同時に収録されたアルバム用の別演奏だったので(だったのだろうと思う)、実はこれが正真正銘のサントラということになる。収録曲は全部で30曲、最初の23曲が当初ゴールドスミスがフィルムにつけた演奏で、残り7曲がリドリー・スコットの要請を受けて新たに書き直した音楽となる。ライナーには詳しい解説があるのだが、分かりそうなとこだけでも読みつつ聴くと、元々ゴールドスミスが作った音楽が、どのように取捨選択されたか、ひるがえってスコットとゴールドスミスがどう対立したのがまで分かりそうで実に興味深い。

 一応、ざっくりと整理してみると下記のリストような感じになるだろうか。いやはや、元々ゴールドスミスが映画用に演奏された23曲中、実に11曲が不採用である。そこにはメインタイトルやエンドタイトル、冷凍睡眠、フェイスハガーといった音楽含まれているから、もうほとんど半分以上、いや、主たる部分は「使い物にならない」といわれたようなものだ。映画音楽の現場がどうなっているのか、私にはさっぱり分からないけれど、たいていこんな風に差し替えが頻繁に行われたりするものなのだろうか(だとすると映画音楽家というのは大変な仕事である)。いずれにしても、従来のサントラ盤を聴く限り、ゴールドスミスが元々フィルム用に作った音楽は、それ自体とても優れたものであったから、彼がこの結果に激怒したのも無理はないと思う。

 さて、ひととおりこのディスクを聴いてみて感じたのは、アッシュのワークステーションで流れたらしい「The Lab」、猫を探しにいく場面の「Cat Nip」「Here Kitty」、パーカーが死ぬ場面「Parker's Death」などなど、「えっ、こんな音楽鳴っていたっけな」という曲が実に多い。それぞれの曲が部分的にしか使用されていなかったり、元々音響的な音楽が多いことに加えて、この作品の場合、音楽が本物の音響にマスキングされて、いや、絶妙にブレンドされてというべきなのか、とにかくあまり目立って聴こえないせいもあるだろうが、それにしてもそういう部分が非常に多いのは驚いた。こうなると再び映画の方を観て、きっちりと検証したくなったりしてしまう。そういえば、ディスク2とこちらのディスクに収録された、同じ場面の音楽はどう違うのか?などというのも気になるし、検証すればするだけ、このアルバムおもしろそうだ。



01. Main Title → (差し替え) → 24. Main Title
02. Hyper Sleep → (差し替え) → 25. Hyper Sleep
03. The Landing
04. The Terrain → (追加) → 26. The Terrain
05. The Craft
06. The Passage
07. The Skeleton
08. A New Face → (未使用)
09. Hanging On → (差し替え) → 28. Hanging On
10. The Lab
11. Drop Out → (未使用)
12. Nothing To Say
13. Cat Nip
14. Here Kitty
15. The Shaft → (未使用)
16. It's A Droid
17. Parker's Death
18. The Eggs → (未使用)
19. Sleepy Alien
20. To Sleep
21. The Cupboard → (差し替え) → 29. The Cupboard
22. Out The Door → (差し替え) → 30. Out The Door
23. End Title → (差し替え) → ハンソン交響曲第2番第1楽章コーダ

27. The Skeleton(未使用)
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エイリアン3 完全版 A.E.(D.フィンチャー 監督作品) その2

2009年09月20日 23時29分32秒 | MOVIE
 さて、本編である。シーンの追加、差し替えで30分も長くなったヴァージョンということで、どんな風になっているのか?と、このボックスセットの中でももっとも興味津々のヴァージョンだった訳だが、結論からいうと人間関係の描写が大分増えて(復元?)、従来のものに比べると物語的には筋が通った仕上がりになったかな....という感じ。大きな追加としては、核シェルターみたいなところに一旦閉じこめることに成功するものの、クレイジーな囚人のひとりがその扉を開けてしまい、状況が振り出しに戻るというあたりは、オリジナル・ヴァージョンからはまるまるカットされていた部分で、ドラマ的にはオリジナルに今一歩のメリハリを加えていたように思う。これがあるから最後の追っかけになだれ込んでいく必然性があるのだし....。ただし、牛からエイリアンが飛び出してくるシーンは、特に差し替えによるメリットや必然性は感じられなかった。

 ただ、まぁ、こうして修復されたとはいえ、「エイリアン3」という作品が完全に様相を一変させたとまではいえまい。あいかわらず、登場人物の思惑や行動は不鮮明なところは多いし、最後の追っかけも状況がよく見えないままだ。やはり、メイキングで語られたその異常な製作プロセスが災いしているのだと思う。わたし的には武器のない囚人惑星という設定は悪くないと思うし、その状況下で鉛づけにしてトドメをさすというアイデアもなかなかだとは思うのだが、登場人物をもう少し明確なキャラクターをつけ、全体にもう少しすっきりとラストまで雪崩れ込んでいくような直線的な運びであればもっと良かったのに....と思う。言い換えれば、個々の場面は悪くないのだが、出来上がった作品はいくつかのエピソードが繋がっただけの串団子みたいな仕上がりにバランスの悪さを感じてしまうというところか。いや、全編を覆うデビッド・フィンチャーらしい陰鬱なトーンは実に魅力的で、この作品に独特の佇まいを与えてはいるのだが....。

 ちなみに音楽はエリオット・ゴールデンサルで、これが出世作といえるかもしれない。音楽的にはゴールドスミスの流儀を踏襲したのか、現代音楽風な音響が主体だが、ここではドラマの設定上からか、宗教音楽的なテイストが随所に取り入れているのが特徴だ。サントラ・アルバムに収録された曲に、「アニュス・デイ」「レント」「アダージョ」といったタイトルがつけられていることからも分かる。つまり「SF的な音響+宗教音楽風なパーツ」といった感じで独特な効果を出している。とりわけ、レクイエムのような使われ方をする「アダージョ」のドラマチックで荘厳さは出色の出来だ。この音楽もちろんラストでも使われるのだが、ニュートとヒックスを溶鉱炉で火葬する場面も印象的だった。
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Ricoh GR DIGITAL II (デジタルカメラ)

2009年09月19日 23時40分51秒 | PC+AUDIO
 という訳で、ここ数日オークションをウォッチしていて、GR DIGITAL IIが値段は35,000円ほどで出たので、即決で購入してしまった。相場はよくわからないけれど、まぁまぁの値段で購入できんじゃないだろうか。ちなみにリコーのGR DIGITAL IIIは7万円台、パナソニックのLUMIX DMC-LX3はレンズも明るくズームもついて、万能感がある感じがよかったが、ズボラな私はレンズキャップなくしそうで怖い(笑)。その点、GR DIGITALと全く同じデザインのGX200は及第点だったものの、今回はとにかく基本性能の高そうな....がキーワードだったので、GR DIGITALの方がそそられたという訳だ。ちなみにキャノンのPowerShot G10とシグマのDP-2はバックにいれるにはデカイ過ぎで、まぁ、これで頃合いという感じだったのだろう(実はDMC-LX3とDP-2は今でもそそられるものを感じる)。

 届いたのは昨日で、今日すこしいじくってみているところだが、もう少し大きいかとも思ったが、想像以上にコンパクトで軽い。黒で樹脂的な肌触り基調とした質感はリッチなんだか、チープなんだかよく分からないが、今時のメタリックなデジカメとは「ちょっと違う」感じがあって悪くない。今はケースも予備バッテリーも何も状態だけれど、それらも含め、これならバックにもラクに入れられる。未だマニュアルもマトモに読んでいないので、なにをどういじくっていいかよくわからない状態だが、操作感は悪くない感じ。試しに数枚撮ってみたが、別にぶっ飛んでいくようなものではないようだが、FinePix Z100fdよりは断然精細感がある写真がとれた。外回りが多い仕事故、とりあえずこれを相棒に出先であれこれ撮ってみようと思う。

 ところで、私は高校の一時期、写真部とかに所属していたこともあるくらいなのだが(笑)、その割に露出だとか構図だとかいう知識が全くないのが致命的で、結局オート任せで(もしくはケータイのカメラで)、ピンぼけだのゴミみたいな写真を撮り続けいるのだが、少しはそうした知識が欲しいと思う時もある。実は10年くらい前に、同じようなことを考えて、オリンパスのC-2020ZOOMを購入してきたこともあったのだが、結局、なにもしないまま、今でもしまい込んでいるのが実情だ。これを機会にもう少し、そういった知識を身につけられたよいな....と思ったりする。
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