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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ニューヨーク・トリオ/オールウェイズ

2010年01月31日 13時32分43秒 | JAZZ-Piano Trio
 2008年発表のニューヨーク・トリオ名義の作品としては最新アルバム(関連作品は除く)。本作も当然のように作曲家シリーズになっていて、今回取り上げたのはアーヴィング・バーリンである。私はこの作曲については、勉強不足なせいかどうも確固としたイメージがもてないのだが(強いていえば、「ホワイト・クリスマス」を作曲した人くらいかな)、収録曲を見れば「チーク・トゥ・チーク」「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」「ホワットル・アイ・ドゥ」など、けっこうお馴染みの曲が並んでいて、アーヴィング・バーリンってこの曲を作っていたんだぁ....と改めて認識したりしているところなのだが、こうしてまとめて聴くと、なんとなくではあるが、このアカデミックという言葉とは終始無縁だったらしい、偉大なる職人作曲家の親しみやすくロマンティックな作風が伝わってくるような気もした。

 アルバムはスローバラードの「オールウェイズ」からスタート。おそらく原曲はかなり素朴な歌と思われるけれど、それをこうしたしっとりクリーミー、そしてそこはかとない陶酔を感じさせる絶妙な演奏に仕立て上げ直すあたり、近年のチャーラップの円熟を感じさせる。以前にも書いたけれど、チャーラップといえばまずは非常にスポーティーで都会的スウィング感みたいなところに魅力を感じていたのだけれど、最近はすっかりこうしたバラード系のスタティックな演奏により多くの魅力を感じるのは、当方の嗜好の変化もあるだろうが、やはり彼の音楽がより深化したということもあるだろうと思う。続く「チーク・トゥ・チーク」は、従来のスポーティーなスウィング感とピーターソン的な語り口で演奏した軽快な作品で、これもいつも通りのペースなのだが、やはり以前に比べぐっと落ち着きと風格のようなものが出てきた感じがする。「アイ・ゴット・ザ・サン・イン・ザ・モーニング」は、かつての「夜のブルース」を思わせるソフィスティケーションされたブルース演奏だ。

 あまりにも有名な「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」は、ちょっとポリリズム風なアレンジをイントロに使ったかなりテクニカルな演奏だ。この曲はいろいろなジャズ・ミュージシャンに取り上げられているけれど、とにかくこね回したり、ひねったアレンジにする場合が多いようなのだが、この曲もテーマが後半になるまで出てこない。この曲、どこかジャズ・ミュージシャンにとって、そそるトリガーを内包しているのだろう。「ホワットル・アイ・ドゥ」「イズンド・ジス・ア・ラブリー・デイ」は、どちらも実に素朴で愛らしいメロディーを持った曲で、こうしたシンプルな演奏だとアーヴィング・バーリンという人の個性が分かるような気がする。「ザ・ソング・イズ・エンディッド」は7分近い長目の演奏で、トリオ全体が多彩な表情を見せるという点ではアルバム中のハイライトになっている演奏かもしれない。ラストの「ロシアン・ララバイ」はピアノ・ソロだ。

 という訳で、本作は今やワシントン組と組んだレギュラー・トリオに迫る一体感を獲得し、すっかり安定期に入ったニューヨーク・トリオの手堅い作品というところだろう。ジャズの場合、こうなるといずれマンネリという陥穽も待ちかまえているとは思うが、チャーラップの場合、最近の活動は「作曲家シリーズ」をライフワークとし、スタンダードの解釈の学徒として自らを律しているようだから、レギュラー・トリオと併せ、あと数作はこの調子でカタログを拡張しつづけていいように思う。本作が出たのが一昨年だから、そろそろこのトリオの新作も控えているだろう。次は誰を取り上げるのだろう。
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デビッド・ギルモア/ライヴ・イン・グダニスク

2010年01月30日 23時53分02秒 | ★ Progressive Rock

 2006年に発表されたデビッド・ギルモアの18年振りのソロ・アルバム「オン・アン・アイランド」に併せて敢行されたツアーの最終公演として、ポーランドで行われたポーランドでのライブ映像。この模様は別途「狂気の祭典」という2枚組のCDにDVDをプラスしたセットとして発売されているが、私の観たのは先の1月10日にNHKのBShiでオンエアされた約90分間のダイジェスト版である。

http://blogout.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-7b09.html

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MANDALABAND III / BC-Ancestors

2010年01月29日 23時59分07秒 | ★ Progressive Rock

 音楽資源の枯渇により、過去のそれのリサイクルが進む現在、往年の名バンドの再結成はもはや珍しいものでもなんでもなくなったが、まさか2009年にかのマンダラバンドが再結成してしまうとは、驚きを通り越して唖然としてしまった。なにしろ彼らが残した2枚のアルバムは、セールス的には惨敗だったし、音楽的評価も日本における異常な高さに比べ、世界的にはそれほど高いものではなかったはずだから、この21世紀に、かのバンドの再結成という音楽的機運が高まるとなど、到底ないだろうと思っていたからである。ともあれ、どのような経緯だったのはよくわからないものの、構想30年(ということになるのだろうな、きっと-笑)、制作に実に2年をかけたマンダラバンドの新作の登場である。

http://blogout.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/mandalaband-iii.html

 

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CHICK COREA'S ELEKTRIC BAND II / Paint the World

2010年01月28日 23時25分51秒 | JAZZ-Fusion
 コリアとマリエンサルを除いてメンツが一新され、バンド名の最後にも「II」がついたCCEBの93年の作品、新メンバーはギターにマイク・ミラー、ベースがジミー・アール、ドラムがゲイリー・ノヴァクの4人、新人という程でもないが、さして有名でもない「無名の凄腕」を集めてくるのは、RTFや初代CCEBと同じパターンで、ここに集められたメンバーも初代CCEBほどではないが、確かな腕前のメンツではある。このバンドは本作が余り話題にならず、なし崩し的にフェイドアウトしてしまったことから、現在ではほとんど忘れられてしまっているが、それは集められたメンツの力量不足というよりは、コリアの指向した音楽の変化ということのが大きかったと思う。RTFでいえば調度「ミュージック・マジック」みたいなもので、バンド・フォーマットでやりたいことをやり尽くした後で、コリア自身がやりたい音楽を暗中模索していた時期にもろにぶつかったのが災いしたとしか思えない。

 本作ではきっちりかっちりしていた初代CCEBに比べ、音楽そのものがリラックスというか、ある意味レイドバックしているのが特徴である。具体的にいえば、前作までの都会的なポップさからよりアーシーで多少ブルージーなセンスが目立ち、サウンド的にもどちらといえばCCAB的な生バンド的な感触を大幅に取り入れ(コリアはEピアノに大々的に回帰している)、ライブな音作りになっている。これは新メンバーによってもたらされた音楽変化というよりは、おそらくコリアが予め決めていたコンセプトだったのだろう(マリエンサルの演奏スタイルが微妙に変化している点に注目)。その意に沿った形で演奏を繰り広げたメンツの演奏がいささか地味になったのは、その意味では必然でもあった。ことにウェックルとパティトゥッチのコンビに比較された、本作でのジミー・アールとゲイリー・ノヴァクはさぞやプレッシャーだったであろうと思うが(笑)、新メンバーが従来型の演奏をして、クウォリティ的に全く遜色がないことは、例えば4曲目「CTA」のトリッキーなリズムをちょっと粘っこいグルーブ感でなんなく乗り切っているパフォーマンスを聴けば良く分かろうものである。

 収録曲では、前作と同様、前半に比較的ポップでコンパクトな楽曲が並び、後半に行くに従って込み入った曲、或いは大作がお出ましになるという構成になっている。前述のとおり「CTA」、あと「Ished」あたりは従来型のトリッキーな楽曲で楽しく聴ける。「Ant and the Elephant」も8ビートと4バートが複雑に交錯するCCEBらしい楽曲だが、ちとレイドバックしすぎでイマイチ盛り上がりに欠ける点を感じないでもない。「Ritual」はCCAB的なコンセプトでまとめたアコースティックな曲、アールとノヴァクのうねるグルーブ感が従来とは違ったムードを出していて、ひょっとするとこの曲あたりに「II」の未来があったのかも....という気にさせる聴き応えあるナンバーだ。「Spanish Sketch」はお約束ともいえるスパニッシュ調の楽曲で、これはほとんどRTFに回帰してしまった仕上がりになっていて、そろそろCCEBのコンセプトがここで行き詰まってきたことを如実に感じさせたりもする。

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KING CRIMSON / In the Court of the Crimson King

2010年01月27日 23時53分35秒 | ★ Progressive Rock

ブログレを語るブログの第一弾が「クリムゾン・キングの宮殿」というのは、あまりにガチ過ぎて、少々面はゆいところがないでもないのだが、つい先日、クリムゾン結成40周年アニバーサリーということで、本作、「リザード」、「レッド」の3枚が新装発売されたところでもあり、初心に返る....などと思った訳でもないが、まずは本作を取り上げることにした。

http://blogout.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/king-crimson-in.html

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▲●■ プ ロ グ レ 解 禁 ■●▲

2010年01月27日 00時21分29秒 | ★ Progressive Rock
 確かこの2,3日で当ブログも満五周年になる。このブログは様々な音楽ジャンルを手当たり次第に扱い、いかにも素人臭い切り口でアルバムや演奏について蘊蓄を傾けきたのだけれど、実は当ブログで意図的に扱っていなかったジャンルがあった。それがプログレである。そもそも私は中学時代に英国のプログレッシブ・ロックと呼ばれるいささか特殊なロック・ミュージックによって音楽に開眼したクチであり、そのせいで、私の音楽的基礎体力のかなり部分はプログレで出来ているようなところがある。ここではあまり詳しくは立ち入らないがプログレという音楽は、その音楽的な使命のひとつとして、他所の音楽ジャンルに浸食していくという側面があり、私などプログレのそうした側面に惚れ込み、音楽いかもの食い的なプログレ体質が、きっと脳と体に染みこんでしまったせいだろう、その音楽遍歴のなれの果てとして、こういう音楽的雑食度の高いブログを、自らやるハメになっているのかもしれない。

 とはいえ、当ブログを開始する時に、私はひとつのルールを自らに課していた。それはこのブログでは「プログレを一切扱わず、また、そうした文脈で音楽を語らない」というものである。知り合いには半分冗談で「プログレのプの字も使わない音楽ブログをつくる」と宣言していたくらいだ(笑)。自らの音楽的中心であるプログレ的作品を扱わず、なおかつ、そうしたボキャブラリーも封印して、どのくらい音楽について語れるか....が、当ブログの実は隠しテーマであったのだ(誰と戦ってんだよ-笑)。
 当初こうした方針は、開設から1年か2年くらいしか持たず、その後はなし崩し的プログレを解禁せざるを得ないだろうとも思っていたのだが、気がついてみるとプログレ的ボキャブラリーを使わずに、ずいぶん長いこと音楽を語っていることに気がついた(大半は惰性だけど-笑)。実は昨年の今頃に似たようなことを考えないでもなかったのだが、今は満5年という区切りの良い時期でもあり、プログレを解禁することした。

 もっとも、当方のプログレに対する相対的な関心はかなり低下していて、最近はクラシックやジャズのCDに比べると、購入するアルバムはめっきり少なくなっているため、扱うものはおそらくこの音楽ジャンルでもメインストリームに位置する、いわば保守本流的なアーティストや大昔のヴィンテージ物ばかりになるとは思う。で、プログレの話題についてはついでだから、ここの別館を他所に作って、そちらであれこれ語ることした。場所は大昔、私が入り浸っていたNiftyServeにかつて存在していたとあるフォーラムにちなんで、ココログ(Nifty)上にした。ここ以上に非常に偏狭な記事ばかりになると思うのだが、いずれにしても近々開始することとしたので、よろしくければ、そちらもご笑覧いただきたい。
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CHICK COREA'S ELEKTRIC BAND / Beneath the Mask

2010年01月26日 23時55分04秒 | JAZZ-Fusion
 1991年に発表されたチック・コリア・エレクトリック・バンドの第5作にして最終作である。私はこの作品を今回初めて聴いたのだが、まさに最終作に相応しいどこをとっても完成され切った作品になっていると思った。表向き「ライトイヤーズ」的なポップ・センスが全面的に出ているものの、あまりに売れ筋なポップさを狙いすぎて、バンドの個性がスタイルに埋没気味だった「ライトイヤーズ」に比べれば、前作「インサイド・アウト」で獲得した高いテンションとテクニカルさ、一部「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」的なスペイシーな感覚に、ポップなフュージョン・サウンドにほどよくミックスされていて、全体の感触としてはかなり聴きやすい音楽ではあるものの、頃合いのバランスになっているのがいい。まさにCCEBの総決算といってもいい出来だ。主な曲をメモってみたい。

 冒頭の3曲ははCCEBが再びポップなファンキー・フュージョンに戻ってきたことを感じさせるキャッチーな作品。ただ「ライトイヤーズ」と違うのは、前述の通りバンドのもの凄く高く演奏自体が非常に充実しているということだ。この後何度も書くことなるが、ことにウェックルとパティトゥッチのリズム隊はこのバンド史上最高のテンションを発揮していて、当たり前なものになりかねないこうした曲でもやけにハイな仕立りにしまっている。「Wave Goodbye」は「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」で展開されたような幻想味の強いサウンドだが、パティトゥッチが強力なグルーブ感でもってバンドをひっぱっているところが「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」の諸曲とは少々違うテンションを感じさせることになっているのがいい。「Lifescape」は「インサイド・アウト」のシリアスさをぐっと滑らかにしたような作品で、複雑なキメや変拍子が実にさりげなく溶け込んでいるアレンジが絶妙。また、ギャンバレのギターが聴き所満載である。「Jammin E. Cricket」もウェックルとパティトゥッチが強力なグルーブ感を醸し出す、まるでアート・オブ・ノイズみたいなメカニカル・ファンキー・ナンバーでカッコ良く、こういうサウンドであれば、中間部で聴かれる「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」ばりの中間部の浮遊感も生きてくるというものである。

 「Charged Particles」は「インサイド・アウト」的なゴリゴリ感、大仰さをコンパクトにまとめたような作品で、個人的にはアルバム中のお気に入りの作品となった。「Free Step」はポップなラテン・フュージョンの衣をまとった作品で、全体としては滑らかでリラックスして進むが、実にはかなり仕掛け満載のテクニカルな作品で、ウェックルとパティトゥッチが表向きニコニコ、実は怒髪天みたいテンションになっているのが凄い。「99 Flavors」は当時、ヤマハが出していたデジタル・シンセの最新機SY99にあやかった曲で、かのデジタル・シンセらしいクリアだがアナログ的太さも感じさせるサウンドを随所に散りばめている。「Illusions」は10分近い大作で、幻想的サウンドとハイテンションなインタープレイの合体を目論んだ作品という感じだろうか。こういう作品だと必ず顔だすバルトーク的シリアスさや複雑なアレンジを、無理なくポップなサウンドに収束させているあたり、CCEBの進化プロセスの最終形を感じさせる。
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チック・コリア・エレクトリック・バンド/インサイド・アウト

2010年01月26日 00時03分30秒 | JAZZ-Fusion
 1990年発表の第4作。前作はそれまでの2作にあったテクノロジーの追求、ポップ指向といったものへの反動といった趣の強かったが、幻想味やスパニッシュ風味という点ではみるべきものがあったものの、これだけのメンツを集めた割にはいささか地味過ぎたきらいがなくもなかった。きっとチック・コリアは本作の制作にあたり、この辺を大いに意識したのだろう。1曲目のタイトル・チューンこそ、当時流行のメロウなポップ・フュージョンではあるものの(マリエンサルのサックスがまるでデビッド・サンボーン-笑)、それ以外はまるで前作で欲求不満を解消するかの如く、全編に渡ってCCEBというテクニック集団の特性を生かした、-かつての作品でいえば-「スリー・カルテッツ」的なゴリゴリ感にバルトーク的なシリアスさが満載されたけっこうハードコアな作品となっている。

 二つのパートのメドレーからなる「メイク・ア・ウィッシュ」は、バルトーク風なイントロから、実に込み入ったキメと4ビートが縦横に交錯するかなりテクニカルな本編となる。ソロはギャンバレ、マリエンサル、コリアの順でスピーディーに展開、ハイライトはギャンバレのアラン・ホールズワースを思わせるギター・ソロか、ウェックルとパティトゥッチのリズム隊もここぞとばかりの活躍振りで実に爽快なプレイを展開している。やはり2部からなる「ストレッチ・イット」もバルトーク風なテーマから、第二部ではメローなフュージョン的な要素も目配せしつつ、やはり各メンツのソロをふんだんに配置して、高テンションな演奏を展開している。アルバム中最長の大作「テイル・オブ・デアリング」は4パートからなる組曲で、シリアスな導入から、第二部では「メイク・ア・ウィッシュ」と同樣なソロ・パートが展開され、第3部ではまさにバルトークとしかいいようがない、複雑極まりないリズム的なテーマ(ピアノとドラムのユニゾン)が展開され、ギャンバレのギター・ソロも追い打ちをかけて、この大作のハイライトとなっている。

 という訳で、個人的にはCCEBといえば、これまで本作をもっとも愛聴してきたせいもあるが、これが一番バンド面の資質がよく出た作品なのではないかと思う。シリアスやハード路線といっても、当時所属していたレーベルがGRPということもあって、ある程度はポップさにも目配せしており、このあたりのバランスが、実のところ一番このメンツには合っていたのではないかと思ったりもするのだが、どうだろうか。まぁ、少なくとも前二作よりデビュー作や「ライヴ・フロム・エラリオズ」、そしてCCABを愛好する私のようなムキには、このアルバムの随所に展開されるスリリングなインタープレイは掛け値なしに価値があるものだと思う。
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台湾懷舊電影 「高雄發的尾班車」

2010年01月25日 23時17分03秒 | MOVIE
 こちらはメロドラマ。例によって字幕なしのため、ディテールはよくわからないが、おおよそこんなストーリーだ。高雄に帰省した主人公(陳揚)が、ふとしたきっかけで助けた娘(白蘭)と恋に落ちる。この娘は親が取り決めた許嫁がいるのだが、それを振り払って主人公を台北まで追いかけていき、そこで一旦は結ばれるが、実は主人公の男にも恋人がいて、これが富豪の娘なものだから、様々な圧力がかかり、やがて2人の間には暗雲が立ちこめ始め、主人公の男と許嫁が仲むつまじくしているのを、土砂降りの雨の中で見た彼女は、それが元で高熱を出して死ぬ....それを見た両家の親は全てを許す。時は流れ、10年後も20年後も彼女の墓参りをする男を写して映画終わる....といったものだ。

 まぁ、なんていうか、私の子供の頃、母親が熱狂して観ていた「愛染かつら」とかああいう典型的な純愛メロドラマだ。今の感覚で観るとストーリーはご都合主義の極致で(笑)、台北に向かう白蘭を拾ってくれるのが、陳揚の許嫁の家族だったり、台北に出て来た白蘭が、大都会台北で陳揚にいきなりすれ違って奇跡のような再会をしてしまう。陳揚の唐突な交通事故、白蘭は一回雨に打たれたくらいで熱出して死んでしまうとか、ドラマのためにドラマになっているのが歴然なのだが(そういえば、白蘭は台北で何故か歌手で大成功してしまうなんてのもあった)、まぁ、あの時代はそんなもんなのだったのだろう。今の感覚で観ると馬鹿馬鹿しいところもあるが、大昔の鄙びたドラマとして観れば、別の感興がある。また、一昨日と一昨年行った高雄駅や蓮池公園、あと当時の有名だったであろうなんとか百貨店がロケで出てくるのもうれしいところだ(この時代の映画だから、ある種観光映画みたいな側面もあったのだろう)。

 主人公の翠翠役の白蘭は、高倉健などが出た日台合作の「カミカゼ野郎 真昼の決斗」なんかにも出ている、当時の台湾では大スターだった人らしい。暖かみのあるキャラクターで、特に前半の高雄を舞台にした場面での三つ編みの少女が魅力的だし、ドラマに翻弄される後半はすすり泣き連続でこれがまた楚々とした魅力がある。映画的には陳揚を追いかけて向かう高雄駅のすれ違いが(、いかにもメロドラマっぽいハイライトだ。ドラマに併せて歌謡曲調の歌が朗々と流れるあたりは妙に泣ける。ちなみに音楽は例によって、既成品の利用でスタンダードからクラシックまで、まるでカオスのようなゴッタ煮風サントラだ。これまた台湾映画らしくて楽しい。
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台湾懷舊電影 「再見台北」

2010年01月24日 23時01分33秒 | MOVIE
 これも近くの光南大批發で購入してきたDVDである。これも購入後ホテルでちょい見くらいのノリで観始めたところ、結局最後まで観てしまった。主演の文夏は50~60年代に日本の流行歌を台湾語でカバーしてスターになった歌手で、その後、映画界へデビューしたという人らしいから、当時は大スターだったのだろう。この作品はその映画の10作目に当たるのか、これまでの10本が映画の冒頭で文夏によって回顧されると、そのショットからいきなりロードムービー風な物語が始まってしまう、恐るべき開幕である(笑)。当時の文夏の映画では、小王という子役と文夏四姉妹という4人組の音楽バンド(?)がよく共演していたらしく、ここでも登場している。

 物語は台北にやってきた文夏と小王が、老い先短い大金持ちが行方知れずになっている孫だかを賞金目当てに探すというのがメイン・ストーリーである。これに同じ目的の悪党が絡んで、けっこうドタバタ劇でもって話が進んでいく。途中、お目当ての60年代らしい台北の街の風景がけっこう出てきてそれだけで楽しい。高度成長期の前だけあって、当時の日本と同じく街はスカスカだが、屋台街みたいなムードは基本的にあんまり変わらないという感じがした。
 また、歌手の映画であるせいか、途中歌が沢山出てくるのはお約束なのだろう(文夏の歌は基本演歌風だが、文夏四姉妹のバンド演奏はグループサウンズ+演歌+中華みたいな感じで実にいい、ついでにいうとピンキーとキラーズの大ヒット曲「恋の季節」も歌ったりする)、昭和の歌謡映画みたいなノリも強い。ラストの大合唱はなぜだか、佐良直美の大ヒット曲「世界は二人のために」だったりするから、当時の台湾で日本の歌謡曲がどんな風に受容されていたか、その状況が良くわかろうものである。

 主演の文夏は俳優としては、完全に子役の小王に喰われている感じ、共演の文夏四姉妹はちと意味不明な感じもあるが、いかにも60年代のモダンな可愛らしさがあった。行方知れずになっている孫娘の役をした2人の女優さんは、いかにも南国風なエキゾチックな美人、文夏四姉妹と併せて、この女優さんたちの孫世代が今の台北市街にさっそう闊歩しているギャルたちかと思うと、微笑ましくなったりもした(笑)。
 音楽はベンチャーズ風、ジャズ・ロック風、カリプソ風なエレキサウンドが主体で、ここでも既成曲が沢山出てくる。「ヘイジュード」は劇中曲だが、ラストの追跡シーンはベンチャーズ・メドレーである。「ヘイジュード」が出てくるということは、68年以降作品だろうが、その時期にベンチャーズもないだろう....と考えしまうのは、あまりに今の視点過ぎるだろうか。

 ちなみに本年の台湾ツアーも本日で終了。さすがに歳なせいか、あちこち歩き回るのがつらくなってきて、なんか昨日と今日は近場でDVDばかり購入していた(CDは一枚しか購入していない)。おかげで懐古的台湾映画をストックできたので、こちらは自宅に帰ってからゆっくりと観てみたい。という訳で、「再見(また会いましょう)台北」である。
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台湾懷舊電影 「王哥柳哥007」

2010年01月23日 23時00分46秒 | MOVIE
 私は訪台するとたいてい大量の台湾ポップスのCDを買い込んでくるものだが、近年の台湾ポップスはエイベックス化が激しく(そうなっているように思える)、また私の音楽嗜好が富みに保守化していることも加えて、さすがについて行けないところを感じてきたので、例の三越裏の光南大批發に行ってもあまりそそられるアルバムも見あたらなかったのだが(どうもCDというメディア自体が衰退しているような気がする)、その替わりに大昔のモノクロの台湾映画DVDが売られていたので、そこから数枚買い込んできた。幸いホテルには液晶テレビとDVDプレイヤーが備え付けられていたので、購入後早速見てみたのがこれである。

 王哥柳哥というのは、出演する俳優の名前て、デブの王哥(ワンゴー)とヤセててチビな柳哥(リウゴー)のコンビのことらしく、日本で云ったら「弥次喜多」みたいなもんかもしれない。50~60年代はかなり人気のあったコンビらしいのだが、この作品ではタイトルから分かるとおり007にあやかった作品になっている(こうした題材や出てくることや登場するファッションからして、たぶん66年くらいの制作だと思われる)。なにしろ日本語字幕が付いていないので、ストーリーはよくわからないところもあるのだが、オモチャ会社の社員が新しいオモチャの設計図を携えて香港に出張したところ、同じ頃、そこに来ていた諜報部員008と009に勘違いされて、命をつけねらわれるといったものだろうと思う。

 私は大昔の台湾映画を当然これが初めて観たことになるのだけれど、とにかくチープである。レベルでいえば、日本で行った創生期の頃のテレビドラマだろうか?。画面はそこいらで撮りっぱなしにしたようなロケ主体、セットも貧弱なもので、音楽は既成のクラシック曲(この作品ではチャイコフスキーだとかムソルグスキーが)をアレンジしたものが使われていたらりして、同じ頃の新東宝のB,C級クラスよりさらにお寒い仕上がりである。ついでにいえば、フィルムの保存状態が極端に悪いらしく、ブツブツとフィルムが切れまくり、ノイズが出まくりの画面を観ていると、60年代中盤の映画というより、なんだか1930~40年代の映画を観ているような気になる。

 当時の台湾映画が一体どんな状況だったのか、よくわからないが、いずれにしても時は映画全盛期であり、日本映画や洋画の輸入に塗りつぶされていたいた訳ではなく、おそらくこうした作品が量産されていたのだろう。今観ると、ギャグやストーリーもさすがに時代を感じざるを得ないし、演出という点でも前述のとおり創生期のテレビドラマ並の粗製濫造っぽさがあるものの、逆にそうしたところが私としてはおもしろかった。期待していたような60年代の台湾の風景が沢山観れた訳でもないが、この懐かしさは確かに私が求めていたものである。
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BolgOut in 台南 2010

2010年01月22日 23時02分44秒 | 台湾のあれこれ
 台南は台北から新幹線で約90分南下したところにある台北、高雄、台中に続く、台湾第四の都市である。新幹線は昨年高雄に行った時の同一路線なので、これで2度目でリラックスして乗車、あっという間に到着した。新幹線の台南駅は在来線のそれと距離がかなり離れているので、無料バスを使って、台南市街地の中心にある台南駅に到着。台南駅は日本統治時代に作られたものものだが、台中駅みたいな「東京駅スタイル」ではなく、白亜の別荘のような建築で、ターミナルははヤシの木があり、中に入ると高い天井という、いかにも南国の駅という風情がうれしい。

 ここからしばらくぶらぶらして、旧林百貨店に行ってみた。林百貨店というのは昭和初期に台湾最大のデパートだったらしく、このあたりは末広町と呼ばて、けっこうにぎやかな商店街だったようだ。現在ではこの朽ちかけたブラウンのクラシックな建物はバリケードが張られ、修復工事をしているがところで(修復して何になるのだろう?)、近辺もどちらかといえば、官庁やビジネス街といった風情だったが、往事のにぎわいは偲ばれる雰囲気であった。また、その近くにある日本統治時代に作られた旧県庁だか市役所だかを利用して作られた文学博物館(こちらは赤煉瓦の東京駅スタイル、中庭に屋根をつけてそのまま展示スペースにしてあるのがユニーク)を眺めたり、駅前に排骨飯を食べたりして、半日ほど観光してみた。全般的に都会化して東京みたいになってしまっている台北や高雄に比べ、こちらはまだまだかつての台湾、或いは日本統治時代の雰囲気が随所に感じられるのがうれしく、またゆっくり来てみたいなと思ったくらいだ。

 台北から帰った後、景美夜市と師大夜市をぶらりと出かけてみた。前者はMRTの景美國小駅の近くにある、どちらかといえば非観光夜市で、後者の景美國小駅から2つ台北寄りの台電大楼駅にある学生街夜市である(師範大学が付近にあるため、ちなみに昨年行った公館夜市は台湾大学の近くにあった)。どちらもこじんまりした夜市で、雨降り、夜半という条件もあったのか、人並みもそれほどごった返した感はなく、けっこうそぞろ歩きしながら散策した。台北の夜市もかなりあちこち回ってことになるが、結局はどれも似たような雰囲気なので、さすがにどれだか分からくなりつつある(笑)。
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BolgOut in 台湾 2010

2010年01月21日 23時52分01秒 | 台湾のあれこれ
 2009年末はスケジュールの都合で行けなかったので、約一ヶ月遅れで本日から訪台に赴いた。例年そうではあるものの、今回は全くのノープランである。今回も基本台北に3泊4日ではあるものの、例によって実質活動できるのは丸2日だから、私としては、一日目は列車かなにか利用して遠出して、2日目は台北をぶらぶらするくらいしか考えていない。もちろん、そのことは同行する相方の意向の方は確認していないし、それに関する打ち合わせもしていないのが実情だ(SNSで1回やりとりしたくらいか-笑)。ついでにいえば、普通なら事前にけっこう読んだり調べたりするガイドブックもネットも見ていないので(DS版「地球の歩き方台湾編」も入手したはいいが、全く利用していない)、本当にノープランである。まさに出たとこ勝負、さすがにここまで「なーんにも考えいない」のも、過去に例がないような気がする。

 さて、今回だが成田空港出発が18時だから、台北着は23時を過ぎていた。ここ数日、台北は曇天~雨が続いているらしく、ターミナルを出るとシトシト雨が降り、いささかうそ寒いのはけっこう珍しい(日本がここ数日妙に暖かいのとは対照的だ)。ホテルは昨年と同じコスモスホテル、台北駅前にあることから、いろいろなところにアクセスするのが非常に便利なため、基本的には安宿ではあるものの、一昨年利用させてもらって以来、もうほとんどココ以外は使う気がしなくなってしまったところである。23時半ともなると台北駅前の繁華街はほとんど閑散としていることは、前回で分かっていたので、今夜はちょいとコンビニに寄って、部屋でネットに繋げた後、「明日は新幹線乗って、台南でも行ってみようか?」などと、うだうだ話をしたら、相方の方も「そっすねー」みたいなノリで、なんとなく明日の予定は決定(笑)。かなりのいい加減さである。
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チック・コリア・エレクトリック・バンド/アイ・オブ・ザ・ビホルダー

2010年01月20日 23時58分15秒 | JAZZ-Fusion
チック・コリア・エレクトリック・バンドの第三作。前2作では最新鋭の各種デジタル楽器を駆使し、モダンでポップなサウンドをクリエイトしたチック・コリアだが、2作でそのあたりは達成したと踏んだのか、飽きてしまったのか、それとも思った程売れなかったのか、その全てだったのか、とにかく本作では前二作とはかなり趣を変えた作品になっている。具体的にいえば、当時、売れ筋だったファンク・フュージョン的なリフやリズム・パターンをひっこめ、幻想的なシンセ・オーケストレーション、チック・コリアお得意のスペイン趣味を随所に押し出しつつ、やや生真面目手にまとめた作品といえるだろう。相変わらずデジタル・シンセは多用しているものの、本作ではアコピの出番も多いし、他のメンバーも総じてアコスティック系の楽器を多用しているのも特徴だ。あれこれ深読みするムキもあるが、要するにややテクノロジー偏重だった前二作の反動でもって作られたというのが、意外にアルバムのコンセプトなのかもしれない。

 アルバムはトータル・アルバム風というか、全体が組曲のような感じになっている。冒頭から3曲目までは、シンセ・オーケストレーション、アコギ、アコピなどフィーチャーした短い楽曲がメドレー風に続き、4曲目「パッセージ」でもって、ようやく比較的前2作のパターンで作られたポップなフィーリングをもったフュージョンらしい作品となる。もっともこれも前に比べるとかなりゆったりしているが。5曲目の「ビューティー」はRTFの無国籍アコスティック・サウンドを80年代に甦らせたような作品だが、けっこう長い作品の割にはどうもイマイチ盛り上がりに欠く印象がないでもない。続く「キャスケイド」は組曲風の作品だが、前二作の作風をいったん解体して、構成する要素をすっきりと再構成したような趣がある。タイトル・トラックと「アムネジア」はおそらく本作で一番、CCEBらしいタイトな作品か、前者のスパニッシュ風なテーマに入り組んだ展開、後者のボーダレスに8ビートに4ビートを交錯させていくお馴染みのやり口は、「ライヴ・フロム・エラリオズ」の「トゥィーク」を思わせるものとなっている。

 という訳で、本作はトータル・アルバムなのだろうが、どうも彼の描いたストーリーがリスナーにイマイチ伝わらないところがあるのではないか(チック・コリアという人のこの種のアルバムはたいていそうなんだけど)。また、ドラマを感じさせるには、前半はちと散文的過ぎるし、後半のハイライトに当たる部分はあっさりし過ぎの感があると思う。特に「アムネジア」がせっかく盛り上がったところでフェイドアウトするのは意味不明だ。こんなこといったらコリアに怒られるかもしれないけれど、前作もやり過ぎだが、本作は逆にやらな過ぎと....いったところかもしれない。
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Wizardry 生命の楔 @20階

2010年01月20日 00時14分21秒 | GAME
15階のエレベータを開放した後、とりあえずのゴールである20階まではけっこうスムースに進んだ。16階は発光するポイントの色によりワープする場所が異なる3つのエリアになるという仕掛けで、単に下に進む階段を見つけるならば、どれかひとつの経路をたどるだけで済むため、私の場合、2回目の探索で飛んだ魔法が封印されるエリアからワープして、そこから下り階段を見つけ、ショートカット扉を開通させることができた(結局、他の2カ所も探索しちゃったんだけど....だからレベルが必要以上に上がってしまう-笑)。17階は動く回廊と時間制限で天井が降りてくる仕掛け(これを解決するまで三回ペシャンコにされた)があるくらいで、ごく普通のダンジョン。18階は逆時計回りで中央部南東にある階段に到達するんたげど、行き止まりがやたら多くて難儀した。19階はパズル、9つある部屋をパズルのように動かして、3つのスイッチを入れて下り階段に到達。最初はこれの意味するところが全く分からず途方にくれた(笑)。

 20階は実質的にエレベータを開通させた後は、ラスボス戦のみである。トップのレベルが48だったためか、なんなく勝利してエンディング。このゲームはこいつも含め行く手に現れるボスがけっこう弱いので、あんまり頭を使わず普通の殴りで勝ててしまうのはラクだ。という訳でけっこうあっけなく、とりあえずのエンディングを迎えてしまった。実はこの後に更にボーナス・ダンジョンが続くらしく、人によってウィザードリィらしいおもしろさが出てくるのはここから....というムキもあるようだ(ここのでを壮大なチュートリアル...といいきる強者も-笑)。とりあえず、ちょっと探索してみたところ、出てくる雑魚共もボーナス・ダンジョンにありがちな法外な強さではなく、普通に勝てるので、試しにせっかく転職可能となったこともあり、ここでオリジナル・キャラを転職させ、これまでの戦侍盗レ僧魔から、戦侍侍レビビへと替えてみて(戦士をロードにしたかったんだが、パラメータが足りないらしく転職できず)、もうしばらく潜ってみようと思う。そういえば、まだ村正も出てないし(笑)。
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