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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

G.ハウ,V.ウッテン,D.チェンバース /エクストラクション

2005年02月28日 22時00分00秒 | JAZZ-Fusion
 超絶テクのハード・コア・フュージョンです。私はデニス・チェンバース以外のメンツは初めて聴く人ばかりなのですが、リーダーとおぼしきグレッグ・ハウというギタリストは、元々メタル系のフィールドでも活躍して来た人らしく、当代早弾きフュージョン風なプレイをベースにしつつも、メタル風のエッジの切り立ったフレーズを多用するのが特徴です。しかも時にマクラフリン風なアコギのソロをやるかと思えば、黒人らしいファンキーさまで全開にしているのですから、まさに今時のヴァーサタイルなギタリストというべきでしょう。

 音楽的には、およそフュージョンでフォローしうるあらゆるタイプの素材を、複雑なキメや変則的なリズムでもってアレンジし、それを颯爽と乗り切っていく快感みたいなものが主眼なんでしょう。素材となった音楽を暴力的にねじ伏せていくという感覚は、どっちかというと、ジャズ/フュージョンのファンより、近頃のギター・キッズだとかメタル小僧(すいません-笑)に受けそうな今的なスポーティーさがありますね。うーん。確かこの豪快さや疾走感といった感覚はジャズのものじゃない。

 あと、特筆すべきは、ドラムスのデニス・チェンバース。今回は残響の少ない、非常に乾いた録音なせいで、メジャー・レーベルでのプレイと比べると、いつもと違うような感じもしますが、ともあれこういう音楽である以上、彼のようなパワフルさと手数の多さは適任でしょう。下手するとギター・テクの博覧会で終わりかねない代物を、音楽という生き物に化学変化させているのは彼のグルーブ感によるものが大きいと思います。

 そんな訳で、この手のハード・コア・フュージョンとしては、かなりいい線いっていると思います。これ聴いていたら、リヴィング・カラーのヴァーノン・リードって、今、何やってんのかなぁ....とか思っちゃいました。
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モートン・ゴールド/レコード・コンサート

2005年02月28日 00時50分58秒 | サウンドトラック
 もう10年近く前になりますが、パソ通の音楽や映画関係のフォーラムで良く話題になったネタに、「日曜洋画劇場の最後で聴こえる番組のエンドタイトルの曲は何?。」ってのがあって、あの話題が繰り返しいろいろなところで出る度に、あの番組の影響力みたいなものを痛感したものです。

 で、このネタ、よくわからないうちは、やれラフマニノフだ、いやマックス・スタイナーだ、そうではなくて神津善行だ、とか諸説ふんぷんだったんですけど(私はラフマニノフだと思っていたクチ-笑)、どうやら原曲がコール・ポーターの「ソー・イン・ラブ」ってことが判明すると、お次は当然「んじゃぁ、誰が演奏してんのさ?」ってことになり、これがなかなか分からなかったんですね。ひょっとすると、周知の事実だったかもしれないけれど、私があの演奏をアメリカのモートン・グールドが編曲・演奏しているものだと知ったのは、あれからずっと下って1年ちょい前くらいのことです。

 ある方の連絡で、オークションで復刻盤を販売していることを知り、勇んで購入しました。全部で8曲入っていたアルバムですが、他の曲はどうでも良く、お目当ての「ソー・イン・ラブ」をまっさきに聴いたものです。記憶によれば、冒頭はマンシーニの「酒とバラの日々」みたいな感じで、トロンボーンかなにかの金管で始まったように思っていたのですが、低弦だったんですね。で、あの鬱蒼としたストリングスが入ってくると、もう感無量。

 あの頃、日曜の夜っていうと、なんか、そこはかとなくブルーな感じで、この「ソー・イン・ラブ」が聴こえてくるころになると、「あ~あ、もう日曜も終わり、明日から仕事(学校)かぁ」って感じで、よく鬱な気分になったもんですけど、なんかそれが見事に甦りました。ついでに、かの番組で観た、「ガス灯」「ベニスに死す」「シャレード」「めまい」といった名画の数々まで甦ってきてしまい、しばし遠い目になったり、センチな気分になったりもしたものです。

 いや、実は今も聴いてるんですけどね。本当にこの曲、あの気分にマッチしてます。日曜洋画劇場を頻繁に観ていた頃から、もう四半世紀は過ぎようっていうのに、日曜の夜の鬱な気分は今もあまり変わりませんね(笑)。あぁ、また一週間仕事かぁ....。


◆ モートン・グールド編曲の《ソー・イン・ラヴ》 ◆
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キューピー3分クッキング、炒めてパラッと!チャーハンの素

2005年02月27日 22時15分00秒 | others
 チャーハンの素というの調味料は昔からあって、子供の頃のお世話になったあみ印の炒飯の素はもちろん、永谷園、グリコ、ハウス、丸美屋あたりの大手はほとんど手がけている分野なのだけど、どうもドングリの背比べ状態で、これといったものがなかったというのが正直なところ。もちろん、最古参、あみ印は大手のものとは全く違う味なんだけど、今の感覚からすると、あれはチャーハンっていうより、もうちょっと下品なヤキメシってな味だからね、これだけは別格(笑)。

 ところが、長らく停滞していたこの分野で、ついに決定版といえる商品が登場した。

  『キューピー3分クッキング、炒めてパラッと!チャーハンの素』

がそれだ(タイトル長すぎねぇか、コレ-笑)。なにしろ、パッケージがこれまでとはまるで違う、今までのチャーハンの素ってのは大抵長方形の薄い紙袋に、一人前の小袋が3つとか4つ入っているパターンだったと思うんだけど、こちらは今流行の「ディスペンパック容器」なのですよ。ほら、ドレッシングやマーガリンなんかで、両端を片手でパキンと折ってギュッとしぼりだすヤツね。あれが細長い袋に4つ入って入ってんの。大体、チャーハンの素なんざ、素材がなんだ、味がどうとかいう以前に、「おっ、これはいつもとは違う」と思わせれば、もう半分勝ったようなもんじゃないですか(おいおい-笑)、その意味で、これはアイデア賞もの。

 実際、作ってみてもいい。何がいいかといえば、これまでのチャーハンの素に必ず入っていた、あの情けない乾燥具材が一切ないことだ。わたしゃ、何故あんなものが入っているのか、昔から不思議で仕方なかった。今の飽食ニッポンで、冷蔵庫にネギやハム、ついでにミックス・ベジタブルなどが入っていない家庭などまずあるまい。なのに、なにが悲しくて、あんなカスみたいな代物を入れなきゃならんのだ。やれ海鮮だの焼豚だと豪華なタイトルをつけておきながら、封を切る度にいいようもない虚脱感におそわれていたのは、オレだけではなかったハズだ。この潔さは絶賛に値しよう。

 ちなみに、問題のディスペンパック容器に入っている中身は、どろどろした茶色のペースト状のもので、「特製卵オイル」とかいうらしい。とにかく、この調味油が決め手らしく、本当にパラッとできる。これでパラッと仕上げられないヤツは、フライパンを熱くしてないか、そもそもご飯がぐちゃぐちゃかのどちらかだと、主婦歴25年のオレ様が断言してやろう....ってなくらいなものでなのある。

 もちろん味もいい、キューピーだから、ひょっとしてマヨネーズみたいな洋風な味がするんじゃ?という心配も無用(こういう心配をするのは概ね40代以降の世代だろうな-笑)、つまらん具材とは一切決別して、飯の味付け仕上げという機能性のみを追求しているはダテではない、れっきとした正統派チャーハンの味だ。私はやってないが、単に冷や飯をこれで炒めただけでもけっこういけるような気もするくらいだ。
 ただ、まぁ、やはりおいしく食べようと思ったら、卵とみじん切りネギは必須だろうな。ついでに見栄えも含めて、そらしく仕上げたかったら、追加でハムや冷凍エビ&イカ、椎茸やミックスベジタブルなどいれれば、チャーハンではなく、本物の「炒飯」に迫ることができる。

 ってな訳で、昨年の秋の頃から、妙にコレにハマってしまい、今日の昼で11食目となってしまった。みなさんも試しにどうっすか....って、オレはキューピーの社員ですかい。
 
◆ キューピー 3分クッキング 炒め物用調味料 ◆
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PETER ROSENDAHL / Live at Copenhagen Jazzhouse

2005年02月27日 00時30分00秒 | JAZZ-Piano Trio
 デンマークの新人ピアニスト、ピーター・ローゼンダルが一昨年だしたデビュウ作。基本的にはヨーロッパ的な透明感とロマンティックさがベースになっている人のようなんだけど、一見似たようなイメージのティエリー・ラングやトルド・グスタフセン等に比べると、もう少し音楽自体の温度が高く、また全体的に音楽主義的というか、求道的にジャズをやっているような感触があるのも特徴で(まぁ、ライブ盤のせいもあるかと思いますが)、ある意味けっこう「濃い」です。

 ヨーロッパ系のジャズ・ミュージシャンはアルバムにオリジナルを入れることが多いですが、この人も例外ではなく、スタンダードを2曲とりあげている他は、ほとんどオリジナルでなるほど、かなり良い曲を書いてます。特に1,2曲目は秀逸、前者はやや沈んだトーンから浮かび上がるそこはかとないメランコリックさが、後者はフュージョンを思わせるモチーフの繰り返しにより次第に高揚していく構成が、ローゼンダルの個性をかなり強力に印象づけている感じがします。

 演奏面では、何曲かのイントロやテーマの扱う時に見せる、前記ロマン派風なクラシカルな表情やインプロで高揚するとキース・ジャレット風にテーマから逸脱もいとわない奔放なソロを展開していくあたりが彼の特徴でしょう。ついで書けばベースでマッズ・ビンディングは名手だけあって、7曲目のようなややフリーな趣もある曲では、実質的にはビンディングが仕切っているようなところあり、さすがに存在感あります。ドラムのモートン・ルンドは初めて聴く人ですが、ややとっちらかったところはあるものの、なかなか鋭敏なリズム聴かせてくれます。
 そんな訳で、ヨーロッパ系、特にECMあたりの音はどうも冷たすぎて....という人も、このトリオの熱気をはらんだインタープレイは、いかにもジャズを感じさせますから、けっこうイケるんじゃないでしょうかね。


PS: 録音ですが、物理的条件はかなり良好なものの、いかなる意図なのかピアノの音像がやたらとデカく、まるでピアノがおおい被さってくるような録音なもので、その点ばかりは違和感ありました。次のアルバムでは普通の音になっているので、ちょっと解せません。
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ピーター・バーンスタイン/ストレンジャー・イン・パラダイス

2005年02月26日 23時30分00秒 | JAZZ
 初めて聴くギタリストです。僕はピアノ・トリオに負けず通らず、ギター・トリオというフォーマットが好きなんで、ジョー・ベックとかビエリ・ラグレーン、あとマイク・スターンあたりが90年代以降に出した、スタンダードな4ビートを主体としたギター・トリオのアルバムとかはけっこう愛聴盤なのですが、このアルバムはギター・トリオではないものの、その線で購入してみました。

 一聴した感じでは、ソロは高域を主体とした単音主体、クリアなトーン、ブルージーな曲でもハメをはずさない端正さ等、けっこう知的センスを感じさせるギター・ワークです。したがって、最近多いバーニー・ケッセル~ウェス・モンゴメリーの系統ではなくて、ジム・ホール~パット・メセニーのあたりの影響を感じさせるギタリストといってもいいでしょう。もっともこのアルバムでは、ブラッド・メルドーのピアノを加えたカルテット編成なので、単にそうした理由から、コード弾きを少なくしているだけかもしれないですが....。

 全体の音楽は、表向きバーンスタインをフィーチャーしているものの、基本的には彼とメルドーの双頭コンボといっていいと思います。3曲あるオリジナルはきっちりとバーンスタインが押さえていますが、残りのスタンダード・ナンバーとなると、たいてい後半のソロを担当するメルドーが、自分の番になってカラフルなフレージングを繰り出すと、なんとなくいいところ持って行ってしまっているように感じるのは、単に知名度の差から来る当方の先入観でしょうかね(笑)。ともあれ、基本的には古典的な4ビート調をベースにしつつも、時にモダンなフレージングや進行を見せたり、ブルースをやっても泥臭くならず、常に洗練された都会的な音楽になっているあたりは、バーンスタインの個性なんでしょうね。

 今回はメルドーという豪華なオマケがついていたので、これはこれでいいんですが、次はぜひ以心伝心のメンバーを集めたトリオで、隠微にギターワークを展開するような作品を作ってもらいもんです。


PS:あっ、そうそう、最近はヴィーナス・レーベルのハウス・ドラマーの如き存在になってきたビル・スチュアートですが、今回もそのドラミングは絶妙、ヴィーナスのお得意の録音の冴えも手伝って、この人のタイコ、聴けば聴くほど好きになるなぁ。
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篠原涼子の「恋しさと、切なさと、心強さと」

2005年02月25日 18時00分00秒 | JAPANESE POP
 篠原涼子の「恋しさと、切なさと、心強さと」って曲、好きだったなぁ。彼女の声って、基本的にはストレートで伸びやかなタイプだと思うんだけど、妙に鼻にかかってゆらゆら漂うような歌い方するもんだから、そのあたりがコケティッシュで良かったんですよ。

 だけど、この曲以降、数年間くらい、僕は彼女の音楽を追いかけてはみたんだけれど、これに勝る曲には、ついぞ出会うことはなかったんだよね。そこで考えるのは、ひょっとして、当時の私は、実は篠原涼子っていうキャラに惚れたというより、本当は小室サウンドのキャッチーさが好きになっていたのでは?ってこと(おいおい)。

 そういやぁ、荻野目洋子の「Non Stop Dancer」なんて、若き日の小室の傑作な訳だけど、あれも異常に好きだったし、更に思い返せば、安室とか華原とか、けっこう自宅にあったりするんだなぁ。そっか、オレは小室サウンドが好きだったんだ(笑)。

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日本作曲家選輯/伊福部昭

2005年02月24日 23時30分00秒 | クラシック(20世紀~)
 NAXOSから出ている「日本作曲家選輯」シリーズから伊福部先生の作品を集めた待望の一枚。

 収録作品は、「シンフォニア・タプカーラ(1954、1979改訂)」と「ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ」「SF交響ファンタジー第1番」と、ざっくりいえば、先生の代表的な交響曲、協奏曲、ゴジラに代表されるサントラという作品が網羅されているから、伊福部入門には最適だとは思うんですけど、ちょっと演奏がなぁ。

 ロシアの演奏陣ということで、先生の音楽的体質からすると、そうハズれた解釈にもならないだろう....と予想してたんだけど、実際聴いてみたら、違和感ありまくり(笑)。ここは存分に歌って欲しいと思うところはさらっと流され、重厚にリズムを刻んで欲しいところは、弦が動きが重い上に、妙なところでテンポを動かすものだから、時にリスムスキー・コルサコフだのボロディンなんかを聴いているような気になってしまい、聴いていて居心地の悪いことしきり。

 ただ、演奏そのものはうまいんですね。だからこそ、こういう演奏を聴くと、「やっぱ日本人には日本人にしかわからねぇ、音楽観みたいなものがあるんだろなぁ」と妙に感心しちゃいました。だって、昔の日本のあまり上手いとも思えないオケの演奏聴いて、「これが西洋の機動力抜群のオケだったら、どんなに聴き映えするだろう」と思ったりしたんだけど、それが半ば実現するとこうですもんね。きっと、ウィーンの人が、アメリカ人の演奏するウィンナ・ワルツとかシューベルトなんか聴くと、こんな違和感を感じるんだろうなと思う。

 そんな訳で、なにやら「国際空港のレストランで食う和食」みたいな違和感がある演奏ではあるんだけど、作品の国際化、古典化というのは、むしろこういう脱ローカル化作業みたいなところから始まっていくんだろうな....という気もしないでもないので、なんだか立派に育った我が子が、旅だっていくのを後ろから眺めている親のような、なんだか誇らしいような、哀しいような複雑な心境になる演奏でもあります。

 あっ、でも先生の作品は昔から海外で演奏されてんだよな。その時はどんな演奏だったんだろうか(笑)。
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ウラジミール・シャフラノフ / Live At Groovy

2005年02月23日 18時00分00秒 | JAZZ-Piano Trio
 ミスター澤野工房?シャフラノフのデビュー作、81年の録音です。次の第2作が90年の録音した「ホワイツ・ナイツ」ですから、10年近くのインターバルがあったことになります。そんなデビュウ作とはいえ、例の「ウィントン・ケリーばりの軽快なスウィング感+トミー・フラナガン的センスによるスタンダード解釈/ヨーロッパ的洗練」といったシャフラノフの個性は既に十分に出来上がっていて、これまで聴いた作品同様、アルバムが始まったが最後、あれよあれよという間に楽しめます(笑)。

 特に気に入ったのが、コルトレーンの「モーメンツ・ノーティス」で、込み入ったキメが入るテーマをアップテンポで颯爽と弾ききっているところといい、あれこれと小技にきいたブレイク交え、スウィンギーなアドリブを縦横に展開しているところといい、まずはシャフラノフ流のダイナミズム満開ってな感じで、とても楽しめました。話はかわりますが、私、マイルス・デイビスの「マイルストーン」の旧B面2曲目に入っている「ビリー・ボーイ」って曲が異常に好きなんですが(笑)、この曲、ちょっとそれを彷彿とさせるものがあって、どうもそのあたりが自分の好みに合っているんだと思います。後、2曲目の「ビター・スウィート」とオーラスの「ウィズアウト・ソング」あたりは、なんとなくトミー・フラナガンの「セブン・シーズ」を思わせる小気味良さがあっていいですね。

 最後に録音について一言。どうも澤野工房のアルバムは独自のリマスタリングが施されているらしく、これも前に書いたロブ・マドナ同様、シンバル類が非常に良く聴こえ、やたらと細部の見通しが良い明晰な音という印象です。ただ、これ以降のシャフラノフの録音に比べると、ピアノのゴリッとした感触がわずかに弱くて、ちょい平板なのは気になります。こればっかりはリマスタリングではどうにもならなかったんでしょう。このあたりは録音というより、当時の彼の若さ故なのかしれませんが。
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ボブ・ジェームス/白鳥

2005年02月22日 20時15分00秒 | JAZZ-Fusion
 
 結婚式の司会や選曲を毎年数回ずつ、もう十年以上やっているもので、そのスタンスからの意見。

 結婚式のBGMは、基本的に歌詞のついた曲は止めた方が良いです。ここ一発、たとえば「キャンドルサービス」とかオーラスの「新郎のあいさつ~退場」あたりのハイライトで使うなら、効果もありますが、中にはもう最初から最後まで、J-Popダンス系の騒々しいのや、歌い上げまくりバラード系の曲を流しっぱなしにしているような披露宴っても最近多いじゃないですか。司会者の立場からいうと、こういう選曲がなされた披露宴はたいてい盛り上がり欠けますね(笑)。自分たちとしては、歌詞や曲のムードに気を使い、雰囲気盛り上げているつもりなんだろうけど、現実には会場のお客さんのほとんどは、歌詞など聞いていないし(これは断言します-笑)、仮に聞いていた場合でも、効果としては逆でうるさく感じていることが多い....っていうのが実態なんです。

 要するに、結婚式のBGMをカラオケ・ボックスやFMのノリで選曲しているセンスっては考え物だということです。まぁ、結婚式という特別なイベントですら、カラオケ・ボックスのノリで押し通したい、それで幸せというのなら、まぁ、ご本人達の勝手な訳ですけど(笑)、呼ばれた会場のお客さんこそいい迷惑で状態で、顔は笑ってるけど、本当はしらけてるような披露宴はしたくないですもんね。「歌って楽しい曲、ウォークマンで聴いて気持ち良い曲」と「結婚式のBGMで使って効果的な曲」はまったく別物なんですよね....

....などと、説教くさいことばかり書いていても生産的じゃないので、1曲だけとっておきの曲を紹介しときましょう。ボブ・ジェームスの「白鳥」というアルバムに入っているタイトル曲です。サン・サーンスの有名クラシック曲のアダプテイションで、ボブ・ジェームスのエレピとエリック・ゲイルのギターをフィーチャーしたミディアム・テンポのフュージョンですが、とても上品な幸福感にあふれた曲・演奏なので、結婚式の新郎新婦の入場のシーンなどに使うとぴったりです。ふわっとしたエレガントな雰囲気なせいで、会場の雰囲気が確実に変わります。プロの司会者やエレクトーンのお姉さんから、「これ、なんのアルバムに入っている曲ですか??」と尋ねられたことも一回や二回じゃありません。まっ、いささか古典的な選曲ではありますけどね(笑)。

 以上、「ブログ > テーマサロン > 音楽 > 結婚式にオススメの曲」からのTBでした。



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ERICH KUNZEL&CINCINNATI POPS/Nice 'N' Easy(SACD)

2005年02月21日 23時00分00秒 | JAZZ
 エリック&シンシナティ・ポップスがフランク・シナトラゆかりの作品をネルソン・リドルが編曲した作品ばかり集めた好企画盤。

 このコンビは「録音のテラーク」の看板アーティストだだけあって、たいていの作品は優秀録音だし、アメリカン・ポピュラーのツボを押さえた企画を次々に繰り出してくれるので、一見とても楽しそうアルバムばかりなのですが、実際聴いてみると、割と演奏が凡庸でそれほどでもないんですね。今回はネルソン・リドルの編曲作品を集めたということで、オリジナルのスコア使ってんだろうし、今度こそ!と思って聴き始めたんですけど、やっぱ、「うん、まぁ、悪くはないんだけどなぁ....」ってな線。

 演奏は基本的にビッグ・バンドにストリングスが加わった編成で編曲・演奏されているのですが、表向き小綺麗ににまとめているものの、とおり一遍の流れ作業的みたいな演奏で、このコンビの悪い特徴が今回も出ています。いくらイージー・リスニングとはいえ、対象が対象だけにビッグ・バンドにはもう少しダイナミックさや豪快さが欲しいし、リズムはもっとスウィングしてもらいたい訳です。「ポップス・オーケストラのジャズっぽさなんて、こんなもの」といわれれば、確かにそうかもしれないですけども....。

 ところで、ネルソン・リドルって人はシナトラを始め、いろいろな歌手の編曲をした訳なんですけど、ここに聴けるものは、イージー・リスニング用にリドルが編曲したものなんですかね。それともボーカリスト向けに編曲したものを転用しているとか....どっちなんだろう。ライナー・ノーツにはそのこと書いてあるのも知れないんですけど、私、英語からきしなもので、誰か詳しい方教えてください。

PS:なお、この作品、選曲、演奏ともに同一ですが、CDとSACDはジャケもタイトルも異なります(アップした画像はSACDのもの)。せっかくの機会だからと、CDとSACDの音をちょいと聴き比べしてみたところ、さすがに元がDSD録音だけあって、オケとドラムスの明瞭な距離感とか、幾重にも重なった楽器群の明瞭度のようなものは、CDより断然SACDの方がかなり優れているという感じでした。それにしてもこのコンビ、いつも録音だけは極上なんですけどねぇ。
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相田翔子の「午前0時」

2005年02月21日 00時00分00秒 | JAPANESE POP
 相田翔子って、なんか最近はバラエティのボケ・キャラみたいなスタンスで、しぶとく芸能界でサバイバルしているようだけど、ルックス的には昔の映画とかで、おしとやかな先生やったりすると、けっこう似合いそうな割と古風なタイプだよね。だけど、音楽的となるとボサ・ノヴァとかが好きみたいなんだな。

 WINK解散後にポリスターから出した2枚のアルバムは、どっちもかなりボサ・ノヴァ色が濃厚だったし、オレは聴いてないけど、最近マイナー・レーベルから出してる作品は、普通のポップスというよりは、地中海とかフレンチ・ホップスだとそういう方向を指向しているみたい。ようするにリゾート・ミュージックみたいな心地よさが好きなんだろうね。

 だけど、彼女にはそういう方向より、まっとうなAOR歌謡曲路線で勝負してもらいたいんだよなぁ。今聴いているのは彼女がWINK解散後に出したアルバムとしては2枚目となる「ルース」って作品なんだけど、ボサ・ノヴァ路線の曲は、彼女のヴォーカルがちょいきまじめ過ぎて、なんか釈然としないものを感じるんだけど、最後から2曲目の「午前0時」って曲だけはもの凄くいい。
 70年代終盤頃のAOR・アレンジを意識的に再現したようなサウンドにのって、ちょっとけだるい陶酔感のようなものを、彼女の幻のように儚げなヴォーカルで歌われと、ぐぐっとくるんだよなぁ。WINK後期の「Voce」というアルバムにひっそりと収録されていた「裸足のマリオネット」なんて、サウンドは後期ロキシーばりのアヴァロン・サウンドだし、歌は恋の終わりをこれ以上ないくらい切なく歌ってるしで、もう相田翔子ってそういうところこそ、音楽的持ち味なんだだと思うんだよなぁ。

 ってな訳で、いつかAOR歌謡路線でアルバム1枚、お願いします>相田翔子様

◆ 相田翔子の公式HP◆
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週末のレギュラー

2005年02月20日 16時03分29秒 | others
 週末になると、我がリスニング・ルームの窓下のところに決まってやってくる野良クンです。たぶんエサ欲しさなんでしょうが、私がオーディオを轟音で鳴らすと、それを聞きつけて?、ほとんど条件反射的にどこからともなく現れます。
 非常に用心深い性格らしく、私が窓のところに行くと、すぐに逃げてしまうのですが、今日は車の下で、当方の動きを警戒しながら、うかがっているところを、すかさずデジカメで写してやりました。ざまぁ、みろ!です。

 それにしても、こっちがなんにもしないと、窓のそばで体を微動だにせず、こっちが音楽聴いたり、ノートパソコンでパチパチやっているところを、じーっと見てやがるんですよね。そういやぁ、大分前に私になついて、通院や入院、ケージにエリカラと、ずいぶんと世話してやった野良クンがいましたけど、ひょっとしてあれの子孫になるのかな。今、写真補正しながら、しみじみと見たら、けっこう似てるんだなぁ(笑)。
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オーマンディのブラ1

2005年02月20日 15時37分15秒 | ブラームス
 オーマンディがフィラデルフィアを振ったブラームスの交響曲第一番のCDを長いこと探してきました。何故かといえば、この演奏が私の「ブラームス初体験」だったからです。今から四半世紀くらい前に、ソニーの廉価盤シリーズ「オーマンディ音の饗宴」の中の一枚として聴いたのでした。当時、クラシックの超初心者だった私は、ほとんど当てずっぽうにいろいろなクラシックのレコードを購入していた訳ですが、私にとっては実にエポックメイキングな作品となったのです。

 特に第一楽章の「蒼古」と形容したくなるような分厚いオーケストレーションにのって、悲愴さとある種の決然とした趣をもって、ぐいぐいと進行していくの様は、なんだかわからないけれど、とにかく「凄い音楽だ」と圧倒されましたし、第3楽章のトリオに相当する部分の哀感や、最終楽章の暗から明へ劇的に展開するドラマ性といったあたりも素晴らしく、とにかく全編に渡って私はぶるぶると体が震えるくらい感動したのです。

 この出来事は、それまで訳も分からないまま、なんとなく敷居が高く感じられたクラシックを一挙に身近なもの感じさせたと同時に、ブラームス愛好家となるきっかけともなった訳ですが、こと交響曲第1番については、以来、沢山の演奏を聴いてきたものの、やっぱ一番最初に聴いたオーマンディとフィラデルフィア響の演奏を超えるものがないってのが、私の正直な感想です。

 こんなこと書くと、「もっと素晴らしい演奏があるではないか」と反論される方もいるでしょう。確かにいろいろブラームスの作品を聴いてきた後で、この演奏を聴くとこの曲のシンフォニックさをえげつないまでに強調した、ブラームスにしてはちとブリリアント過ぎる演奏なのではないと感じないでもないですけど、ベートーベンの第9の正統的な後継を目指すという、難題に取り組んだがために、完成するまでに20年もかかってしまった....という、彼の半生でようやく到達した記念碑的な作品という性格を考えれば、こういう輝かしい演奏もひとつの解釈として正解なのではないかと考えたりもするんですよね。

 そんな訳で、ようやく入手したオーマンディのブラ1ですが、聴いてみると、あまりにレコードの音と違うのにしばし愕然!。レコードはホール残響が気味悪いくらいに聴こえるほとんど異常とも思えるハイ上がりな音質でしたが、CDではリマスタリングに際して、おそらくそのあたりを補正したんでしょう、オーソドックスといえば聴こえはいいですが、なんか当たり前の音になっちゃったのが残念です。理論的にはこのやり方の方が「正しい」んでしょうけど、個人的には「おいおい、オレが聴いていた音と、違うじゃん、コレ」ってな感じで違和感ありまくりなんですよね。んー、こうなると禁じ手、自家製リマスタリングであのハイ上がりなレコードの音を演出したくなっちゃうなぁ(笑)。

PS:ちなみにこのアルバム2枚組で、もう一枚の方はストコフスキーがナショナル・フィルを振ったブラ2(これも名演)なんですが、フィルアップに「ヘンデル主題による変奏曲」の管弦楽版というのが入ってます。こんなのあったんですね。初めて聴きました。あまりブラームスらしいオーケストレーションとはいえませんけど、なかなかおもしろかったです。
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BILL EVANS Trio / Trio `65

2005年02月19日 21時00分00秒 | JAZZ-Piano Trio
 ビル・エヴァンスという人には、それこそもう沢山の傑作アルバムがある訳ですけれど、もし私がエヴァンスのことを知らない人に、たった1枚だけ彼の作品を薦めるとしたらこれを選びます。まぁ、恐らく大部分の人は「ワルツ・フォー・デイビー」かってことになると思うんですけど、僕の場合はなんといってもこれ。

 彼の作品というと、スコット・ラファロという夭折したベーシストが入っていた時期のアルバムが(前述の「ワルツ・フォー・デイビー」もそう)、異常に高く評価されているようですが、個人的にはラファロとエヴァンスとの丁々発止なやりとり(インタープレイ)って、ベースの自己顕示欲がちょい強過ぎて、時に緊張感が高まりすぎてしまい、聴いていて疲れてしまうことがあるんですよね。

 その点このアルバムは、同じようにインタープレイをフィーチャーしても、ベースのチャック・イスラエルが地味で控えめなタイプのせいか、ピアノを押しのけて自己主張するような場面が少ないですし、ラリー・バンカーの豪快なドラムも含め、いかにもピアノ・トリオらしいピアノ・トリオという感じで安心して聴いていられるんです。

 また、リバーサイドから移籍したヴァーブというレーベル・カラーにエヴァンスが染まったのかどうかは知りませんが(笑)、各曲ともに原曲をあまりこねくりまわさず、ストレートな演奏になっているのも親しみやすさを感じさせるポイントだと思います。
 具体的にいえば、「イスラエル」、「エルザ」、「降っても晴れても」の3曲は前述のラファロ在籍時のアルバムでも演奏していたものですが、躍動感やロマンティッテシズム、あるいは歌いまわしといったものが、以前に比べ、とてもすっきりして表現されていますし、「ラウンド・ミッドナイト」や「アワ・ラブ・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」といった大スタンダードも、エヴァンスらしい詩的な美しさだとか、ある種の柔らかさのようなものを感じさせながらも、曲の雰囲気を尊重した極めて正攻法なアレンジで安心して聴いていられると感じです。

 そんな訳で、エヴァンスの入り口にこの「トリオ`65」という作品はけっこうぴったりだと思うんですけど、どうでしょうか?。まぁ、求道的にジャズを極めたいなどと考える人には、やや甘口かもしれませんけど(笑)、少なくとも「リラクゼーションと適度な緊張感のほどよいバランス、センス良い歌心に満ちた演奏」ってあたりにジャズの感興をお求めの方には極上の1枚かと思います。
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私の愛機 Luxman D-10 (CDP)

2005年02月18日 21時00分00秒 | PC+AUDIO
 私の愛用するCDプレイヤーであります。D-10というラックスマンという日本のメーカーによる製品。私は数年前、これがまだ現行製品だった最後の頃に購入して、2年ほど使用した後、売り払ってしまいました。スピーカーをJBLにしたり、SACDプレイヤーを購入したりしているうちに、このキカイの音がなんとなく寝ぼけた、生彩を欠くようなものだと思えてきたからでした。

 ところがこれの後継として、私が勇んで購入したエソテリック(Teac)というメーカーのX50Wというプレイヤーの音に-これも2年ほど使いましたが-、私はついぞ馴染むことがありませんでした。X50Wというキカイは、VRDSというエソテリック得意のピックアップ・メカで、CDの情報を極限まで拾い、とにかく緻密でシャープな音像、剛直でタイトな低音と、いかにもHiFi的な音なのが特徴だったのですが、私にとってこれは最後まで、おもしろみのない、事務的な再生音にしか感じられなかったのです。

 そうなると、思い出すのはかつて売り払ってしまったD-10のことです。しかし、今更、D-10を購入しようにも、既に生産中止になっている製品の新品などどこにもありません(まぁ、仮に新品があったとしても、50万もするCDプレイヤーをおいそれと購入することはできませんが-笑)。中古も近くのショップではまず出ないし....などと思いながら、D-10への想いは募るばかり。ところが昨年の11月、これがオークションに出ているのを発見、オークションでこういう代物を買うのは始めてだったので、ちょい心配もありましたが、欲望には勝てず即購入しました。

 商品が到着した時は、うれしかったなぁ。アホみたいだけど「おぉ、お帰りっ!」って感じだったですもん。で、本当にうれしくなったのは、2年ぶりにD-10の音が自宅で鳴った時です。「あぁ、これだぁ!」って感じでした。ふっくらとした低域をベースにした、とても暖い音が部屋に広がりました。それでいてシルクのような高域がアクセント的にキラって輝くあたりも絶妙でした。まぁ、私はプリもパワーもラックスマンですから、要するにラックスマンの音が好きなんでしょうけど、残念ながら、同社がそれ以降に出した、DU-10やDU-7、後、先日出たばかりで、我が家のSACDプレイヤーの仲間入りしたDU-80も、D-10の「音楽的な音」に比べれば、確実に高精細&スピード感重視なHiFi方向に変わってますから、私にとってはこのキカイはまさに一期一会的なものだったように思います。これで聴くモダン・ジャズやクラシックは本当にいいです。ゆったりと音楽に対峙できるのが良いんですね。これからも大事にしたいと思ってます。

◆ Wayback Machine にアーカイブされた、在りし日(1998年)のLuxmanD-10の紹介ページ ◆
コメント (3)
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