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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ザ・キワモノの軌跡~キワモノ宣言 (`89-`91) #4

2007年01月31日 18時21分46秒 | JAPANESE POP
 「ザ・森高(`91)」は絶頂期の森高のベスト盤である。曲目は前述の「森高ランド」との重複は最小限に留めているし、ヴァージョン違い、ロング・ヴァージョン等がオリジナル版の価値を台なしにしてしまう作品が多数収録されている点でも、これまたキワモノぶりが満喫できる作品である。

 注目されるヴァージョンは数々あれど、ここではアルバム未収録のシングル「8月の恋」に注目したい。森高は「17歳」でキワモノと変身したワケだが、この曲はその「17歳」を作った筒美恭平を招いた、あまりと云えばあまり切ない優雅さに溢れた作品で、森高としては異色なくらいストレートな情感とマトモなアイドル歌謡路線を打ち出した仕上がりになっているのだ。これをキワモノの終結宣言とみるか、キワモノが正統派を演じることで逆にキワモノになる絡め手を狙ったのか、正直なところ今でもよくわからないのだが、そろそろキワモノぶりに陰りが見えはじるこの時期の彼女の「揺らぎ」を感じさせる趣があった作品ではあった。
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FFXI <メリポ @赤魔道士/101exp>

2007年01月30日 18時31分13秒 | GAME
 先週のカンストを喜んだのもつかの間、当然のようにメリポに突入にしました。前回にも書いたとおり、レベル75を超えると狩のスタイルが、超高速連続戦闘スタイルへとがらりと変わるのですが、それになかなかついていけないのが悔しいのと、大分相場は下がったとはいえ、皇国戦績を競売で現金化できるのが私のような金策の手段があまりないプレイヤーにうれしいところなので、そのままやっているという訳です。

 ここ数日、いくつかの狩り場を回りましたが、半年前に比べると、狩りのスタイルは更に高速化、高時給化していると感じました。半年前くらいだと時給一万というのは野良パーティーではほとんど上限に近い感じがしましたが、現在では当たり前のように実現しているという感じです。赤の仕事はメリポではリフレ回しの比重がぐっと減り(パーティーの編成上、MP持ちが白魔道士くらいになってしまうことが多いため)、詩人さんが釣ってきたモンスターを寝かすスリプル回しへの比重が強くなります。あとサイレスなど相手によって弱体の使い分けなどもスピード感が要求され、全く休む暇がないという感じであり、「思えば、レベル上げのリフレ回しなど、のどかなもんだったなぁ」と思うほどです(笑)。さすがは「メリポで一番忙しいジョブ」という評価に相応しい重労働です。
 ついでに書くと、ずいぶんお世話になったナイズル島のバフラウがナ盾用のメリポ狩り場として定着しつつある分、カダーパの浮沼はメリポの狩り場としては完全脱落という風になっているようです。
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ザ・キワモノの軌跡~キワモノ宣言 (`89-`91) #3

2007年01月29日 18時19分51秒 | JAPANESE POP
 「古今東西(`90)」は前述の通り、彼女がキワモノの頂点に極めた傑作といっていい作品である。ことにその前半、江戸時代の風なSE「プロローグ」から始まるハードロック作品「鬼たいじ」の壮大なむなしさ、4ビートのバッグ・バント作品「ザ・バスターズ・ブルース」のゴキブリ退治を歌にするアナーキックさ、わずか数秒の意味不明な「インターリュード」、社会をナメきったOLの傲慢さをこれ以上くらいないくらいに森高がチャーミングに歌う「あるOLの青春」、サンタナの渋さもリズムのおもしろさも全て脱力感の中に消えていく「オエ・コモ・バ」のカバー、お約束である森高流ハートブレイク・バラード「雨」、これまたバブル絶頂期の浮かれまくった海外ツアーのオンナ達に森高がなりきって歌うテクノとファンクの合体「大冒険」「香港」に至る流れは圧倒的だ。その音楽的なブチ切れ度、なんの必然性もなく組み合わされた各種ジャンルのバラエティというか、その組み合わせのハチャメチャさはほとんど前例のない暴走振りだったし、それを受ける森高の傲慢さ軽さがないまぜになったキャラクターもチャーミングの一語に尽きる。そして、それらが渾然と一体化された時の妙というか要するにキワモノぶりは、今聴いても凄味すら感じるものだ。まさにメタ・アイドル森高の絶頂期が記録された作品群といってよかろう。
 ついでに云えば、当時これまた絶頂期にあった正統派アイドルWINKの音楽と森高のそれはあらゆる意味で対極に位置していたが、そのでくの坊のようなシラケた歌い方は80年代末期の世相を反映した共通したものであった(これについてはずれ書くこともあろう)。
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ザ・キワモノの軌跡~キワモノ宣言 (`89-`91) #2

2007年01月28日 18時19分07秒 | JAPANESE POP
 「森高ランド(`89)」は、旧作の録り直しで構成されたベスト作品である。前述のとおりどっちつかずだった旧作品群を一気にキワモノに塗り替えてしまったといった趣の痛快な作品だが、アレンジは極端なくらいにケバケバしくダンサンブルになり、森高の歌もそのこまっしゃくれ方からして絶好調である。一例をあげよう、セカンドに収録された「アローン」だが、原曲のどちらかといえばしっとりとしたバラード風なアレンジをここではハード・ロック風な重いサウンドとアル・マッケイ(EW&F)風なファンク・ギターのカッティングにのった豪快なアレンジに衣替えしている。この曲はその後の森高のひとつの水脈となるハートブレイク・ソングのひとつなのだが、オリジナル版の切々とした歌い方に比べると、「失恋?、そんなこと知っちゃーいません」的にドライで、かつ突き放しすように一気に歌いきっており、ここで彼女はいわゆる歌謡曲的情緒とは無縁なところに到達したことを高らかに宣言しているかのようですらあった。
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ザ・キワモノの軌跡~キワモノ宣言 (`89-`91) #1

2007年01月27日 18時18分12秒 | JAPANESE POP
 前作をステップにして、森高は「非実力派宣言」で突如、キャラを変身させる。森高千里から「森高」の誕生であった。続く旧作の録り直しベスト「森高ランド」では、早くもあやつり人形時代の自らの跡形もなく痕跡を消し去り、たたみかけるようにリリースされた「古今東西」では、遂にキワモノとしての森高の頂点を極めることになるのである。おっと、興奮して話を先に進めすぎてしまった。

 とりあえず、「非実力派宣言(`88)」に話を戻す。このアルバムでは南沙織の「17才」を額縁にして、「これっきりバイバイ」「だいて」「非実力派宣言」「今度私をどこかに連れってくださいよ」「はだかにはならない」「しりたがり」「私はおんち」といったタイトルの曲が並ぶ。これはもうタイトルを見ただけで一目瞭然であって、つまりはロック風なニュー・ミュージックでもアイドル歌謡でもない、要するに「おもしろい」が全てのキーワードとなったキワモノなのであった。音楽的に見ても、プリンス風なロックがかったファンク・ビート、60年代、70年代ロック・サウンド、加山雄三風な夏歌謡的情緒を曲毎に割り振り、はなから一貫性など無視した脱線ぶりであったし、それらのサウンドをバックに森高が音楽をナメきった様なノーテンキ調で歌うというのは、具体的には誰がみつけたのか知らないが、まさに「森高の売り方を見つけた!」といったところだったろう。実際、当時の歌謡曲(いや、ロックにおいても)にあって、これくらいブチ切れている音楽もなかった。音楽に対するワビもサビもなく、おもしろいをキーワードになんでも引っ張り込むという今でも立派に通用する方法論をこのくらい意図的かつ強引にやったという意味だけでも、この時期の森高は評価できようというものだ。もちろん、森高のバブル絶頂期のギャル達の心象風景をうまく切り取った歌詞というのも、どの程度意識的だったかは知らないが、キワモノというコンセプトには最適であった。
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ザ・キワモノの軌跡~あやつり人形宣言 (`87-`88)

2007年01月26日 18時15分16秒 | JAPANESE POP
 この時期の森高の作品は、アルバム「ニュー・シーズン(`87)」「ミーハー(`88)」「見て(`88)」である。この最初期の森高の音楽は、その後の一見ロック風なサウンドに実はなんでもありなアレンジに素っ頓狂な歌詞がのるという音楽や例のミニスカというヴィジュアル面での「キワモノ」ぶりは未だほとんどみられず、ロック風なニュー・ミュージックとアイドル歌謡という、80年代にあっては両極端といえた作品が雑然と並べられている。

 特にデビュウ作はその傾向が強く、プロダクション・サイドがどっちで売りたいか未だ決めかねている風情なのであった。ただし、「ミーハー」、「見て」とアルバムを重ねるにつれ森高が歌詞を提供した作品が数多くなるの象徴されるように、いくつかの作品では確実にその後のキワモノぶりを予見させており、全般的に食い足りないこの時期の音楽にあって、その点だけは注目して良い。ただ、これらの曲はアルバムにあってはどちらかといえば「捨て曲」であって「お遊び」だったのだろう。その後の森高はいわばそうした「お遊び」をメインにして大成功するワケだが、この時点ではプロダション・サイドはそのあたりの価値をほとんど評価していないのはアルバムを聴くと明らかである。

 ついでにいえば、当時の森高の娘々した歌唱はその後の彼女とは別人の観があるが、巧いことは巧い。ただ彼女自身、「新世代の松田聖子」になるのか「浜田麻里のアイドル版」になるのか、この時点ではまったく分からなかったろう。まさにあやつり人形だったワケだ。歌謡界ではありがちな光景であるが、その後の展開は普通のアイドルとは全く違うものになる。
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ザ・キワモノの軌跡~未完の森高千里論への覚書

2007年01月25日 18時11分11秒 | JAPANESE POP
 1997年、未だインターネットの前段階ともいえるパソコン通信華やかなりし頃、私が某パソ通にあったパティオという内輪の掲示板みたいなところで、音楽その他についていいたい放題書きたい放題していたのですが、その中でもけっこう印象に残っている文章がこれです。
 私は当時森高千里の大ファンだった訳ですが、彼女は既にその頃音楽活動を停止していたので、ファンだった私としても彼女の活動の総決算みたいなものを書いてみたいという欲求があったのか、もともとはパフィーについてのりとりをしていたところ、どういう訳かこの文章に発展しました。今回はその序文です。

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私にとって、森高千里はキワモノである。キワモノの定義は別のところに書いたから省略する。以下の文章は森高千里というキャラクターがいかなる経緯でキワモノとなり、それを謳歌しつつ、次第に衰退していったかを音楽面で解析しようとする試みである。
 筆者はいわゆる芸能界のチャートやヴィジュアルにはとんと疎いので、どの曲がCMに使われて大ヒットしたとか、あのビデオ・クリップが傑作だったというようなところはあまり考慮に入れていない。
 したがって、森高の極めて側面的な評価にならざる負えないという、ある種の負い目はあるのだが、まぁ、この文章自体がアカデミックなふりをしたキワモノなのだから、それもまた一興であろう。では、ザ・キワモノの軌跡のはじまりはじまり!。
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FFXI <赤魔道士Lv75 カンスト達成! >

2007年01月24日 23時47分02秒 | GAME
 レベル74に達したのもつかの間、再びゼオルム遺溝でコリブリ、ブガートあたりを狩っているうちに、いつの間にか75になってしまいました。赤魔道士は人気ジョブなので、73,4あたりからメリポ集団に誘われて、あっという間にカンストしてしまうという話は良く聞きましたが、私の場合、そのような誘いはなく、普通にレベル上げをして進めて来のですが、ともあれLv75に達した以降、否応なくメリポ・パーティーに関わるを得ない訳で、赤の場合、劇的に世界が変わるには驚きました。

 この変化はおそらくリフレ、コンバートを習得した時以上かもしれません。詩人さんが釣ってきたキープ用の獲物をスリプルで寝かすというのが、半分はメインの仕事になるんですね。構成ジョブでMPがあるのは大抵白さんだけですから、これまで沢山配ってきたリフレの負担は減りますが、その分、寝かせ、確実な弱体、迅速な状態回復、これらを交錯しつつ超高速狩りをしていく訳ですが、正直いって速度感についていけません(笑)。とりあえず、ゼオルム火山とバフラウ段丘をやってみましたが、戦士でやりなれているはずのメリポですが、その高速振りが久々に怖くなっちゃいました。

 などとあわてふためいている間にあっという間にカンストです。所要日数はパラニンのペースより更に5日くらい早い、超ハイペース、レベル1から数えても50日くらいでカンストしちゃったんじゃないでしょうか。サラリーマンのペースとしては早すぎです、何も覚えないままカンストしてしまったような罪悪感を感じます(笑)。
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BOB JAMES & EARL KRUGH / One On One

2007年01月23日 14時11分39秒 | JAZZ-Fusion
 「Touch Down」での共演に端をはっしたと思われるアール・クルーのコラボレーションです。79年の発表で収録時期としては「Lucky Seven」と「H」の間にあたると思われますが、なにしろ時期が時期だけに、ボブ・ジェームスの音楽的アクティビティー全開で、いろいろな見方はあろうかと思いますが、個人的にはほとんど文句のつけようのない「ボブ・ジェームス作品」という気がします。なにしろ、ボブ・ジェームスはCTIで他の人のアルバムのアレンジをやっていた人ですから、共演であれなんであれ、ここまで彼のトーンに染めぬいてしまうのはさすがです。

 内容的には、ミディアム・テンポ主体のゆったりとした作品が並んでいます。主としてクルーのアコギとエレピの絡みで進んでいくアコスティック色の強い仕上がりですが、そのくせ、ストリングスやブラスなども背後にしっかり鳴ってりしていて、音楽的情報量はかなりのもの。濃厚だが舌触りがあっさりとしたクリーム・ティーのような感触とでもいったらいいかもしれません。何度も書くようですが、「Touch Down」の後半にフィーチャーされた、ボブ・ジェームス・アラ・カリプソみたいなサウンドは、あまりうまくいったとはいえずややダレ気味で、それを察したのかその後彼のアルバムからは、隠し味として使う以外はほとんど消えてしまう訳ですけど、見方を変えればそり路線はこのアルバムでもって、音楽的成果を結実させたといったところからなのかもしれませんね。
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鋸南町保田漁協直営 お食事処 ばんや

2007年01月22日 23時49分03秒 | others
 本日、出張で安房エリアのとある教育機関にいく。途中から同行していただいた方が「昼飯のおすすめはココだ!」みたいに、いたく推薦する店があったのだが、それがタイトルにある「鋸南町保田漁協直営 お食事処 ばんや」である。なんでもテレビで放送されたらしく、月曜の昼だというのに観光客と地元の人が入り交じって大盛況であった。私と同行者が食べたのは、イカのかき揚げ丼で、味の方はまぁまぁといったところだが、写真をご覧になれば分かるとおり凄まじい盛りに驚かされた。ちなみにこれは大盛りではない、普通盛りなのだ(笑)。
 手前にある皿はどんぶりから大きく盛り上がったかき揚げをどかすのに用意されているらしく、確かにこの更に天ぷらをどかさないと中のご飯に到達できないであった。おそらく普通のかき揚げにしたら、軽く三枚分はあろうかという感じだったが、他の席の天ぷら定食だとか刺身定食もどでかい皿にテンコ盛り状態で、確かに話のタネにはなりそうな店であった。
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FFXI <戦ナ75,赤74,白50,暗47,黒侍40,忍37,獣30,狩シ24,モ竜召詩コ15>

2007年01月21日 18時59分16秒 | GAME
 戦士やパラ忍の時の経験から、69からカンストまではひたすらカダーパの浮沼でインプ、トンボ、カエルを狩るものだとばかり思いつつ続けた70代のレベル上げですが、意外なことにけっこういろいろ回りました。旧エリアのビビキーはもちろん、ペリキア(ドゥブッカ監視哨からいくペリキアの奥で、輪のようになった地形をぐるぐる回りながらカエルを狩ったり、新しく開拓されたナイズル島から抜けた、銀海でインプ、ゼオルム遺溝でコリブリ、ブガートなどなど、単調なレベル上げ最終ステージもあちこち回ったおかげで、後衛三人で前衛3人の沈黙を最速で状態回復する競争状態になってみたり、コリブリに魔法を反射されたり、はたまたカエルのまき散らす状態異常にあたふたしてみたりと(笑)、変化に富んだレベル上げの一週間で(その分、どこの狩り場にも慣れることが出来なかったという憾みもありますが-笑)、あっという間にレベル74に到達。カンストももうすぐそこです。
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BOB JAMES / H

2007年01月20日 14時09分24秒 | JAZZ-Fusion
 「Touch Down」から本作までの三作は、ボブ・ジェームスがもっともボブ・ジェームスらしかった、いってしまうえまば黄金時代の三部作といっていいようなもので、どれも甲乙つけがたい作品だと思いますが、個人的にはこの作品が一番好きですね。冒頭を飾る「Snowbird Fantasy」は、恐らくボブ・ジェースの最高傑作で、アコスティックでトラディショナルな旋律からシンセ・サウンドとアコピによるテーマ演奏を経て、ブラス隊が加わりラテン風味も交えつつ、ちっょと哀愁っぽいムードを大きく展開していく訳ですが、こう書けばわかる通り、この曲、この時期の彼のほとんど全ての要素が網羅されているといってもよく、その意味は、まさに「ボブ・ジェームス・サウンドの完成」と呼ぶに相応しい出来といえましょう。まぁ、完成度云々はともかくとして、こうしたジャズ・フュージョンの世界から、こうした映像的というか、ある種のドラマを感じさせる風景を見せてくれたというだけでも、なかなか凄いものがあります。

 2曲目の「Shepherd's Song」は、アコスティック・キダーとアコピの絡みで進んでいく、やはりトラッドっぽい曲で、従来の感覚でいえば、これも完全にジャズの領域を逸脱したサウンドで、もう少し後に出てくるニュー・エイジ・サウンド的な淡い色調なのがなかなか先駆的な音です。4曲目の「The Walkman」は「Touch Down」路線の軽快かつダイナミックな曲ですが、よりシンセをフィーチャーしているがその後の変化を予見しているといえるかもしれません。5曲目の「Throughbred」は「Snowbird Fantasy」的な哀愁+ダイナミック・サウンドといった感じの曲ですが、こちらはよりホットで途中スパニッシュ調になるあたりなかなかどうしてジャズ的感興が盛り上がります。4,6曲目はどちらもしっとりとソフトなニュー・エイジ路線で、どちらはもグロバー・ワシントンJrのサックスをフィーチャーしています。あっ、そうそう、このアルバムでボブ・ジェームスは自分の弾くキーボードの比重をエレピからアコピに移し替えてます。アコスティックな雰囲気が強いのはそのせいもあるかもしれませんね。
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BOB JAMES / Lucky Seven

2007年01月19日 14時08分20秒 | JAZZ-Fusion
 ジャケのデザインからも分かるとおり、前作のノリの良いポップなフュージョン路線を更に推し進めた79年の作品。サウンド的にはCTI時代からのトレード・マークであるブラスやストリングスなどは相変わらず多用しているものの、基本的な編成は更に縮小傾向で、その分エレピを中心にしたバンドスタイルのフュージョン・サウンド+αになっているのが特徴でしょう。前作はトロピカル風味の後半がややダレ気味でしたが、今回は最初から最後までタイトにまとまっているのがポイントが高いですし、ポップでキャッチーなリフも満載、まさにフュージョンの黄金時代のボブ・ジェームスを堪能できる一枚です。

 収録曲は、前作のタイトル・トラックの続編みたいな「Rush Hour」は、まずそのポップさドライブするノリ良さ等、ボブ・ジェームスのマスターピースとして忘れることのできない一曲。2曲目の「Blue Lick」は当時のスティーリー・ダンあたりとも共通するような極上のAORサウンドで、ミッドナイトなムードが実にいい感じ。3曲目の「Look-Alike」はボブ・ジェームス流のレゲエ・サウンド。ただし、スリトングスなども含め、完全にボブ・ジェームス風に料理していているので、前作の後半のような「まんま」みたいなところがないのがいいです。「Rush Hour」路線の4曲目「Big Stone City」。ボーカル作品「Friends」は典型的なAOR作品。ラストの「Fly Away」はあえていえば、ボサノバ風なサウンドですが、これまた完全にボブ・ジェームス・サウンドになっているあたりがミソで、独特な浮遊感が実に心地よい仕上がりです。
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BOB JAMES / Touchdown

2007年01月18日 14時07分03秒 | JAZZ-Fusion
 78年に発表したボブ・ジェームスの出世作。いや、ボブ・ジェームスといえば、CTI時代から才能もあり、自ら看板でアルバムを出せるアレンジャーとして知名度も高かった訳ですけど、当時勃興したフュージョン・ブームにのって、従来型のジャズ/クロスオーバーとは一線を画したポップでメロウなフュージョン・サウンドの立役者としてこのアルバムは、ある意味プームを象徴していた作品といえるでしょう。私はこのアルバムをNHKFMかなにかでオンエアしたものを録音して聴いたはずなのですが、とにかくそれまでのイメージしていた音楽主義的ジャズとは、あまりに違うポップでメロディック、そしてスムースな感触が、カラフルなジャケットの印象と相まって、「これもジャズなの?」と思いつつもとても新鮮だったのを良く覚えています。

 それを代表するのが、1曲目の「Angela」でしょうか。まずなんといってもリコーダが奏でるトラッドで可愛らしい旋律が印象的で、それをエレピを中心にフルートなどもからめて徐々にジャジーな展開にしていくあたりのセンスは抜群です。また、CTI時代がどちらかといえばブラスを多用してビッグバンド的な音楽をベースにしたのに比べ、このアルバム以降はより小編成なコンポ・スタイルを指向していくようなる訳ですが、この曲などそうした小編成故のインティメートな良さが良くでているともいえますね。
 一方、2曲目のタイトル・トラックは、CTI時代から流れをくんだ初期型ボブ・ジェームス・サウンドですが、よりポップでノリが良いあたりに、なにやら吹っ切れたボブ・ジェームスを感じさせます。旧B面の2曲はゆったりとしたトロピカルでサウンドで、これはこれで当時は非常にセンスの良い、南洋フュージョンという感じでやはり新機軸であったに違いありません。まぁ、現在聴くとややダレ気味なところもありますが....。
 という訳で、このアルバム、ボブ・ジェームスのディスコグラフィ中でも、もっとも印象的な一枚ではあります。
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マーラー 交響曲第9番/クーベリック&バイエルンRSO

2007年01月17日 18時58分27秒 | マーラー+新ウィーン
 さて、第4楽章ですが、これまでの楽章と同じく、絶叫したり、ひきつったりしない上品な演奏で、マーラーにつきものである「世紀末」、「表現主義」といったキーワードとはあまり縁のない、あえていえばアポロ的というか純音楽的解釈といえるかもしれません。なんか聴いていると、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」を楽しんでいるような感触すらあります。あっ、なんかこう書くとあまり否定的な印象をもったように感じるかもしれませんが、実は逆でとてもいいです。この楽章はちょっと聴き過ぎて、あまりこってりとした身振り手振りの演奏は胃にもたれるところがあるので、こういうあっさいりとした演奏はけっこう新鮮にきけました。
 そんな訳でクーベリックによる第9番ですが、楽しめたのはこの第4楽章と第2楽章といったところでしょうか。
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