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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

喜歌劇「メリー・ウィドウ」/ビーブル&ウィーン・フォルクスオーパーO他

2006年01月31日 23時40分39秒 | クラシック(一般)
 正月の2日にカラヤンの振った「メリー・ウィドウ」のことは既に書きましたけど、実はあのアルバム抜粋盤でして、「あれだけ楽しめるのなら、全曲盤も聴いてみたい」などと思って、正月早々オークションでカラヤンではありませんが、全曲盤が出ていたのですかさず落札しておいたものがこれです。実はその直後にカラヤンの演奏でも全曲盤が存在することを知ったのですが、これを落札してしまった後でしたし、いろいろとゴタゴタしていたもので、これも落札して届いたはいいが、きちんとした形で聴いたのは今夜になってしまったという訳です。

 演奏はルドルフ・ビーブル指揮のウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団と合唱団で、1982年の来日公演のライブとのことです。配役はダグマール・コラー、ミルヤーナ・イーロッシュ、ガブリエーレ・ユステルといった人たちが名を連ねていますが、残念ながら私の知らない人ばかり、指揮のビーブルはオペレッタの巨匠ですし、オケはフォルクスオーパですから、おそらくこのステージは「本場物の引っ越し公演」だったに違いなく、配役もそれなりに豪華なものだったんだろうと思います。
 で、全曲盤ですから、当たり前ですけど序曲から始まります。ごくごく短い前奏みたいなものですが、ライブだけあってステージノイズも盛大に聴こえてきますけど、かえってこれがかえって劇場的な臨場感を感じさせて、いかにも幕開けという感じでものあがる。やっぱオペラはこうじゃなくちゃいけない。
 
 パフォーマンスはさすがに本場物という感じでしょうか。カラヤンの洗練されきった格調高い演奏に比べると、泥臭いお国なまり満載という感じで、多少のアンサンブルの乱れなど意に介さず、ご当地パワーのようなものを全面に出してます。また、猥雑なアドリブ満載、芸術性というより、「受けりゃいいんだろ」的なエンターテイメント性最優先という感じの実に「濃い」ものです。有名な「メリーウィドウ・ワルツ」の部分もこうやって聴くと、私の感じていた後期ロマン派の文脈で考えたような格調高いものというよりは、もう少し下世話な音楽だったことがわかって、けっこう目から鱗状態でした。そういう訳で、このアルバムは序曲からラストまで、しゃべりも含めノーカットで楽しめるのが良いということに尽きますね。

 余談になりますけど、抜粋盤ってカラヤンの「メリー・ウィドウ」もそうでしたけど、時に第1幕の途中から始まったりするんですが、ああいうのって個人的にいえば実に居心地悪い。途中を上手におろ抜くならいいんだけど、最初とか最後をカットされるのはダイジェストとしてもどうも納得いかない。ベルクの「ルル」なんかも補筆版でもいいから第三幕聴きたいクチですからね....私。やっぱ、カラヤンも全曲盤買わなくちゃいけないかな。(笑)  
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トルド・グスタフセン・トリオ/ザ・グラウンド

2006年01月30日 23時56分04秒 | JAZZ-Piano Trio
 去年の今頃といえばヨーロッパ系のピアノ・トリオばかり聴いていましたけど、丁度去年の今日にレビュウしたのが、グスタフセンのデビュウ作である「チェンジング・プレイセズ」でした。ややダークで温度感の低い、静謐で思索性に富んだ、それこそECM系としかいいようがない音楽は、日本だけでなく本国ノルウェイその他でも大ヒットしたようですが、本作はそれに続く第2作です。実はこのアルバム、昨年のレビュウを書いた後、すぐに購入していたのですが、あれこれと他の作品に関わっているうちに春から夏になってしまい、なんとなく聴く時期を逃してしまって、本日ようやく聴いてみたという訳です。

 さて、この第2作。全体としてはほぼ前作の延長線上の音楽といっていいと思いますが、誤解を恐れずあえて書くならば、いわゆるジャズ的な要素は前作以上に稀薄になったといえます。前作にはラウンジ風というかキャバレー風のBGMみたいなジャズのムードがそこかしこに香ったりしていましたが、本作ではそういう要素はほとんど一掃され、グスタフセンのコアな部分の純度を上げたいった結果、出来上がった音楽という感じがします。1,2曲目はほとんど寡黙なモノローグでつづったレイクエムのような音楽で、その様はまるでピアノ・ソロ。ベースとドラムは霞のように後方に陣取っているあたり、このアルバムの雰囲気が象徴しているかのようです。アルバムは3曲目以降になると、ようやくトリオ・ミュージック的なインタープレイがちらほら聴かれますが、これとてエキサイティングだとか、ホットなどという言葉とはほとんど対極にある音楽で、なんだか聴いているうちに「これって、ジャズのピアノ・トリオのフォーマットを借りているけれど、何かそれとは違う音楽なんじゃ....」などと思えてきたりしました。

 ともあれ、第1作でも聴かれたような思わず既視感を誘うような音楽づくりや、ストイックなエレガントさは明らかに前作を超えてますから、最近1作目を気に入った人から文句なく買いでしょう。ちなみにライナーは黒田恭一で、だからという訳ではありませんけど、このアルバム、スクウェアなジャズ・ファンというよりむしろクラシックが好きな人に受けそうな気がします。個人的にはここ数年聴いたユーロ・ジャズの作品では三指入る作品と断言したいですね。
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SHAKTI & JOHN MCLAUGHLIN / Natural Elements

2006年01月30日 01時08分32秒 | JAZZ-Fusion
 マクラフリンとシャクティのコラボレーション第3作(77年)。元々インド音楽のフォーマットにマクラフリンがいかに違和感なくとけ込むかという音楽スタイルで始まったこのシリーズですが、第3作ともなるとマクラフリンも大分要領を掴んだというか、なんだかんだといいながら結局は自分の土俵にシャクティを取り込んでしまったというか(笑)、ともかくマクラフリン流のアコスティック・ミュージックという感じの作品となっています。とりあえず主要な曲をメモっておきましょうか。

 1曲目「Mind Ecology」はホットな8ビートをベースにしたエキサイティング作品で、ギターとヴァイオリンのインタープレイはまさにマハビシュヌのそれ。ついでになにやらビリー・コブハムみたいなフィルインまで聴こえてきたりします。2曲目「Face To Face」は、ほとんどインド音楽とは関係ない70年代後半のフュージョン・フュージョン・ギタリストが良く聴かせたような無国籍アコスティック・サウンドで、ある意味ディ・メオラなんかと共通する感覚ですかね。結局、このあたりがその後のスーパー・ギター・トリオの活動に繋がっていくんでしょう。4曲目の「The Daffodil And The Eagle」は意外にもロード・ムービー風なブルース・ミュージックとシャクティ流インド音楽の融合で、じわじわと盛り上がっていく構成で中盤~後半は激辛。

 5曲目「Happiness Is Being Together」はカリプソ風な作品で途中のコーラスの一瞬ドキッ。6曲目の「Bridge Of Sights」はちょいとダークですが、基本的には2曲目同様な無国籍アコスティック・サウンドということになりましょうか。4曲目と近い感じなのが7曲目の「Get Down An Sruti」、いや、もうちょっとシャクティ本来の音楽性に近いですかね。これは本作全般にわたってえることですが、第1作のような集団即興音楽みたいな側面より、本作では各プレイヤーのソロ・プレイにフォーカスをあて、そのテンションでもって割とストレートに仕上げるみたいな曲が多いですが、ここでは打楽器がメインになフィーチャーされてます。ラストの「Peace Of Mind」はもはやニュー・エイジ風といってもいいような、淡い叙情に彩られた作品。

 という訳で、第3作にしてシャクティをほとんどバック・アップ・ミュージシャンにしてしまったからには、もうマクラフリンとして「やるべきことはやった」という感じだったんでしょうね。この後、マクラフリンはエレクトリック・ギターをもってフュージョンに復帰、ここで聴けるようなアコスティック路線はスーパー・ギター・トリオの方に継承されることになります。
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最初の私的ベートーベン交響曲全集

2006年01月29日 23時58分46秒 | クラシック(一般)
 「ディアベリ変奏曲」でベートーベンのことを思い出したついでに、私が最初にベートーベンの交響曲全集を揃えたのたのはどんな組み合わせだっただろうかと、思い返してみました。いつぞやマーラーでも同じ事書きましたけど、ベートーベンの場合だと、マーラーやブラームスほどいろいろな演奏買ってませんから、割と簡単に思い出せました。

 私がクラシックに耽溺するきっかけになったのはマーラーの第5番(バーンスタイン&NYP)、ブルックナーの第7番(シューリヒト&ハーグ・フィル)、ワーグナーの管弦楽曲集(サバリッシュ&VSO,ヨッフム&BRSO)、ブラームスの第1番(オーマンディ&フィラデルフィアO)あたりからですが、これらの曲を聴いて「これはクラシックはいける!」とか勝手に思いこんだ私は、一旦、聴く対象をハイドンまで遡って、そこから改めてクロノジカルに聴いてクラシックの全貌を掴んでやろうなどという大それた野望を抱くようになった訳です。
 で、ハイドンは数曲、モーツァルトは後期6大交響曲+αで済ませて、いよいよベートーベンということになたったんだと思いますが、ともあれ1980年前後の頃だと思いますが、その時、買いそろえた演奏は以下のとおりです。

 ・交響曲第1番/セル&クリーブランド管
 ・交響曲第2番/セル&クリーブランド管
 ・交響曲第3番「英雄」/ショルティ&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ・交響曲第4番/セル&クリーブランド管
 ・交響曲第5番「運命」/ベーム&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ・交響曲第6番「田園」/ベーム&ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 ・交響曲第7番/クーベリック&バイエルン放送交響楽団
 ・交響曲第8番/セル&クリーブランド管
 ・交響曲第9番「合唱付き」/ストコフスキー&ロンドン交響楽団

 1番と2番、4番と8番、5番と6番は2枚組でそれぞれカップリングされていたような気がします。ちなみに5番と6番については、そこから遡ること5年くらい前にカラヤン&フィルハーモニア管弦楽団の演奏のものを、実は購入して聴いていたりもしています。まぁ、当然のことながら全て廉価盤で、中古もけっこう入ってハズですが、こうやってリスト化してみると、なんにも分からない駆け出しにしては、古典的なフォーマットに作品についてはセル、剛毅な「英雄」はショルティ、「運命&田園」はベームによるドイツ流のスタンダードな演奏など、けっこう良い選択したかなと、ちょっぴり自画自賛したい気分になりました。

 ともあれ、この9曲を多分私は数ヶ月かけて、耳にタコができるほど聴きまくり、古典派からロマン派へ交響曲がどう変化していくのか、さまに勉強したという訳です。あの頃の気合い、持続力があれば、「ディアベリ変奏曲」をすぐにモノにできるだろうに....。
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ロバータ・ガンバリーニ/イージー・トゥ・ラヴ

2006年01月29日 01時03分14秒 | JAZZ
 最近評判の新人です。イタリア出身の女性ジャズ・ボーカリストですが、とにかく驚異的に歌が巧い。しばらく前に取り上げたジェーン・モンハイトもそうでしたけど、とにかく過去のスタイルやテクニックを完璧にマスターし、非の打ち所がないヴォーカルを聴かせます。若さに似合わぬ堂々たる風格は、まるでクリスチャン・マクブライドのよう(彼はベースですけど)。まさしく今どきのジャズ・ミュージシャンという感じでしょうか。

 収録されている曲もミュージカル・ナンバースを中心に、ボサ・ノヴァ、モンク、エリントンと多彩ですが、ジェーン・モンハイトはオケなど起用してどちらかといえば、ポピュラー・ミュージック寄りの仕上がりだったのに比べると、こちらは基本的にピアノ・トリオをベースにした、ど真ん中の直球という感じのジャズ・ヴォーカルの王道路線のアレンジなのが、一層本格派っぽい雰囲気を醸し出してます。ヴォーカルは基本的にエラ・フィッジェラルドをベースにしているようですが、クリーンでさらさらした声質なのが今風。また、曲によってはスキャットも多用しており、こういう場面ではサラ・ヴォーン風のデフォルメ感に近寄ったりします。

 とにかく、ジャズ的なツボをつきまくった作品という感じです。ほんと一作目からこんな完成度でいいんだろうかと思うような仕上がり。これでバックを固めるミュージシャンをもう少し大物揃えて、もう少しゴージャスに仕上げたらもう100点満点というところじゃないですかね。華やかさという点ではジェーン・モンハイトの方が上かと思いますが、通向きなジャズ的な感興という意味ではこのロバータ・ガンバリーニの勝ちでしょう。これで次作では、もうちっと危うげな退廃的なムードでも漂わせてくれたら文句なしですね。
 あっ、そうそう、次にはもうちょっとジャケットなんとかして(笑)。 
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ベートーベン ディアベリ変奏曲/ブレンデル

2006年01月28日 17時23分43秒 | クラシック(一般)
 最近「ヘンデル・ヴァリエーション」をいろいろ聴いているので、これを取り出してきました。ベートーベンの「ディアベリ変奏曲」といえば、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」と並ぶ変奏曲の金字塔ですが、余りに大規模であるせいか、とらえどころのない難曲としても知られていて、私もこのディスク、買ったはいいが、通して聴いたのは購入した時に一度きり、あとは何度かプレイヤーに入れてはみたものの、途中で眠ってしまったり、集中力が続かず放棄してしまったりで全く手の内に入っていなかったんですね。

 で、久しぶりに聴いてみた訳ですがやはり難解です。今回はディアベリが作ったテーマを全部聴く前に反復して聴いたりして、多少はこの素朴なワルツの主題にも馴染んだつもりになり、それなりに気合いを入れて聴いてみた訳ですが、やっぱダメでした。誰もいうとおり第14変奏あたりから、うつらうつらしてきて、後半はもうほとんどうたた寝モードになってしまい。気がついてみたいら最後のメヌエットになっていたという感じ。もうちょっとなんとかなるかとも思っていたんだけど、ほとんど玉砕です。あぁ、情けない(笑)。

 さて、とりあえずうつらうつらしつつも、なんとなく印象に残ったところを今頭出しで聴き直しているところですが、第24変奏の静謐さだとか、第29変奏の幻想的なムードなどはなかなかいい感じです。しかし、まとまった作品としてこの曲を捉えるというか、「この曲はこうだ」みたいに自分なりのイメージが頭で描ける感じには全然ならない。まぁ、愛聴している「ヘンデル・ヴァリエーション」だって最初は訳のわからない作品でしたけど、私の場合、カセットテープに録音して執拗に反復して聴いたことでモノにしたようなもんですから、この曲も楽しようとしないで、とにかく繰り返し繰り返し聴くしかないかもしれませんね。そうすれば、楽しく聴けそうな予感だけは感じました。
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SANTANA / Lotus (Disc.2)

2006年01月28日 14時04分35秒 | ROCK-POP
 ディスク2は「ウェルカム」のボーナス・トラックに収録されたややダークな空間系フュージョン「マントラ」からスタートし、そのままドラム・ソロの「京都」に移行していく訳ですが、シュリーブのドラム・ソロは約10分。このあたりの「垂れ流し感覚」はいかにも72~73年のライブ・パフォーマンスという感じ。ライブ・パフォーマンスにドラム・ソロ10分入れるというのは、今の感覚からするとかなり異様ですが、当時は別段珍しいことじゃなかったし、それをそのままライブ・アルパムに収録してしまうというのも、ディープ・パープルとかけっこうありましたから、やはりあの時期ならではフォーマットといういうべきでしょう。

 ともあれドラム・ソロが終わるとマイルスの「ディレクション」みたいな「砂上の楼閣 Part:2」がフリーに演奏され、このアルバムのハイライトともいえる「ネシャブールの出来事」が登場。この曲はセカンド・アルバム「天の守護神」収録曲の中でも意外なほどジャジーな趣をもった曲でしたから、70年頃よりこの時期に演奏する方がむしろ正解だったかもしれません。錯綜するリズムをバックに序盤からサンタナのギター弾きまくり状態で、5分を過ぎたあたりアシッドでギラギラしたフレーズはまさにヴィバ・サンタナであります。後半はサンタナの息の長い、演歌的な泣きフレーズを登場させてリラックスしたムードがしばらく続くと、エレピをフューチャーしたボサ・ノヴァ的な音楽に寄り道したりして、なんとなくマイルスの「アガルタ」みたいな混沌とした展開になったりしますが、いずれにもしてもギタリストとしてのサンタナを満喫できる16分ではあります。

 ついでに「天の守護神」と同様の曲順で「すべては終りぬ」で再びホットなサンタナのギターをフィーチャーし、更に「君に捧げるサンバ」では甘いトーンの泣きのフレーズを連打して、このあたりはコンサートも後半、オーディエンスに対する大サービスといった感じだったんでしょうね。「君に捧げるサンバ」が始まるとオーディエンスの歓声もひときわ大きいです。日本人はこういう曲大好きななんでしょうね。いや、僕のそうなんですけど。そういえばこの曲中盤あたりでボサ・ノヴァっぽい展開になって、メンバーのかけ声が聴こえるところがあるんだけど、何故かこの部分だけは記憶に残ってました。何故だろう???。やっぱ当時からこの曲が好きだったのかなぁ。

 続く「ミスター・ウドー」はラテン・パーカッションとレオン・トーマスのヨーデル・ボーカルをフィーチャーしたアップテンポのジャム風インスト(ウドーって当時外タレをよく招聘していたウドー音楽事務所のこと?)。「祭典」はサード・アルバムのハイライトを飾った曲で、オーラスに相応しいホットな仕上がり、オリジナルではオルガンもフィーチャーしていましたが、ここではサンタナのひとり舞台。さすがにこういう曲ともなると、ほぼオールド・サンタナ・バンドになりきって演奏しているという感じもあります。

 という訳でアナログ盤で3枚組だった超大作ライブを久しぶりに聴ききながら、ほぼリアルタイムでレビュウを書いてみましたが、非常に貴重なドキュメントではあるものの、一個の作品としての完成度を求めるとなると、もう少し刈り込んだ構成にしてもよかったと思わないでもなかったですね。
 ちなみに録音はいかにも日本のスタッフらしい「一音も逃してなるものか」的な精細でクリアなものなんですが、ちょっと迫力に欠けるがたまにキズってところかな。 
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SANTANA / Lotus (Disc.1)

2006年01月28日 12時53分36秒 | ROCK-POP
 ほぼ四半世紀ぶりに聴きました。懐かしい....と書きたいところですが、実のところ聴こえる演奏はほとんど初めて聴くのと同じ、つまりこのアルバムに関する限り大昔のこのアルバムを購入して、あれこれと聴いた頃の記憶は残滓ほどもなかったです。つまり初めて聴くのと同じ。

 演奏に先立って日本語MCが入り(これ今野雄二さん?)、「ウェルカム」の冒頭を飾った「家路」からスタートします。スタジオ版に忠実なところから、この演奏が「ウェルカム」の制作に前後したパフォーマンスだったことを伺わせますが、続くのは「A-1ファンク」というフリーインプロ。そこから「キャラバンサライ」の「果てしなき道」に繋がっていく訳ですが、その道のりはほとんどインプロ主体、しかもロックのそれではなくて、明らかにフリー・ジャズ~フュージョン的なものを手本とした混沌さという感じでしょうか。思えば中学2,3年の頃、これを聴いて「さっぱりわかねぇ」とか思ったのも納得いきます。この時期のサンタナは「ウェルカム」や「不死蝶」といったアルバムと照らし合わせてみても、とにもかくジャズをやりたがっていたことが一聴瞭然といったところでしょう。

 こうして20分近くインプロ主体の演奏が続いたところで、ようやく出てくるのが「ブラック・マジック・ウーマン~ジプシー・クイーン」と「僕のリズムを聞いとくれ」というヒット曲や「輝ける光」といったポップな作品(ただしインスト)。アルバムは大体インプロ主体に進行して、だれ場にポップでコンパクトな作品を登場させつつ進行させていくという感じです。なにしろ「キャラバンサライ」はおろか「ウェルカム」ですら登場していた時期ですから、「ニューロックの旗手サンタナ」というイメージはほとんどの過去のものになっていることだけは確か、当時これを勇躍して購入してきた私が実際に聴いてみると釈然としない思いにかられたのも、このあたりのイメージ落差というのもあったかもしれません。なにしろ「ブラック・マジック・ウーマン」でのキーボードはオルガンじゃなくてエレピだし、「輝ける光」はCTIまがいのボサ・ノヴァ・サウンドですからねぇ。

 続くインプロ大会は「バトゥーカ」「シババ」「ストーン・フラワー」とつるべ打ちしてデビュウ・アルバムの「ウェイティング」(さすがにこの曲くらいになるとオルガン弾かせてますが-笑)へと雪崩込んでい前半。「A-1ファンク」と同様にフリーっぽい「砂上の楼閣part:1」をフックに、ファンキーなリズムの後、次の曲へのイントロも兼ねたようなスペイシーなムードが続く、これまたいかにもライブらしい「フリー・アンジェラ」が続き、「ウェルカム」に収録されていたフュージョン作品「ソウサリートのサンバ」でしめくくる混沌の18分でディスク1は終了。
 それにしても、ディスク1を通して聴いてみると、サンタナのギターの出番は意外と少ないですね。ここぞという時はもちろん出てきますけど、全体的にはむしろトム・コスターの出番の方が多いくらいで、サンタナはバンドの総帥という立場を重視していたんでしようか。 
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ブラームス 変奏曲集/ビレット

2006年01月28日 00時31分22秒 | ブラームス
 ついでに度々引き合いに出しているビレットのヘンデル・ヴァリエーションを改めて聴いてみました。「シューマンみたいに弾いた、いわば行書体な演奏」とか「変奏曲というより長大な幻想曲のような感じで」といった形容をしてきた訳ですが、ようするに性格変奏というテクニカルな面より、曲からにじみ出る文学性みたいなものを捉えた演奏という感じなんですね。ちょうどシューマンの「交響的練習曲」のオーソドックスな演奏みたいなもんで、本来は非常に技巧的で音楽主義的曲なんだけど、そういう枠に収まり切らないロマン派的な部分をいやなうなくクローズ・アップせざる負えないみたいな演奏といったらいいか。

 したがって、聴いていると小さなマテリアルの集積というよりは、有機的な流れをもったひとつの作品という感じがしてくるのは、解釈としてはひとつの見識だろうなぁとは思います。おまけにビレットのタッチは非常にさらさらとして、流麗さが際だったものなので、そういう印象を倍加しています。この女流ピアニストはブラームスピアノ作品全集を目論んでいるようですが、中~後期の作品群はこの線でそれなりの味わいを醸し出しそうですが、初期のピアノ・ソナタとかスケルツォといった絵に描いたように重厚な作品となると、このシューマンとかショパンなんかが似合いそうな女流が一体どう弾ききるのかけっこう興味あるところでもありますが....。

 ちなみにこのCDですが、どうも曲の区切りを間違えているらしく、2曲目に入っているこの曲を直接アクセスすると、曲頭が欠けてしまいます。さっきリッピングしたところ案の定、1曲目のシューマン・バリエーションの最後のところに欠けた曲等が誤って収録されていたので、きちんと頭出しできるように編集して、ついでにちょいばかり低音をブーストしみたら、あ~ら不思議、俄然ブラームスらしい重厚な音色になってしまって、この演奏の印象も大分見違えました。
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ブラームス ピアノ曲全集 第1巻/オピッツ

2006年01月27日 21時52分44秒 | ブラームス
 ゲルバルト・オピッツによるブラームスのピアノ独奏曲全集(5枚組)からの1枚。当時、既にCD普及期に入っていたとはいえ、ブラームスのピアノ曲ともなれば、単発CDでちらほらしかない状況下でしたから、オイロディスクがドイツ出身の新鋭を強力にプッシュして作られた全集ということで、「これでブラームスのピアノ曲ついては終わり」くらいの意気込みで、大枚はたいて購入したような記憶あります。
 ところが実際聴いてみると、これがあまり満足できなかったんですね。なにしろブラームスのピアノ曲といえば、これしかない時期がけっこう長いこと続いたので、必要に応じて聴くことは多かったですが、全体にタッチが軽く、ブラームスらしい低音が充実した響きが感じられなかったし、フレージングもクリーン過ぎても、ドイツ的な鬱蒼とした感じが希薄だったところも個人的にはマイナスでした。まぁ、こちらが重厚でがっしりしたブラームスを期待しすぎたところもあったにはあったと思いますが....。

 さて、その全集から久しぶりに「ヘンデル主題による変奏曲とフーガ」を聴いてみました。カッチェンのところに書いたとおり、この曲に関してはゼルキンの演奏で慣れ親しんだため、オピッツの演奏は軽過ぎという印象が強かったですが、今回聴いたところ「おっ、なかなか良いではないか」と印象を新たにしました。
 なにしろこの曲については、ビレットがシューマンみたいに弾いた、いわば行書体な演奏ばかりを聴いていましたので、オピッツの演奏はかなり重厚な演奏に聴こえたということが大きいかもしれませんが、悠々迫らぬテンポで、各変奏をある意味カラフルなくらいにきっちりと表現していること、また、軽く感じた左手の動きも、今風なスポーティーな感覚なのは間違いないにしても、ブラームスに相応しい力感のようなものも兼ね備えていたあったことなども発見でした。
 ついでに、楷書体の演奏といえば先日聴いたカッチェンの演奏は、もっと重厚でまさしく楷書体という感じですが、何回か聴いてみたところ、ちょいとぶっきらぼうなところを感じないでもないようになったので、そのあたりを考えると、コレけっこういいバランスの演奏だったのかなぁ....などと考え直しているところでもあります。
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ハイドン 交響曲第12番「噴水」/フィッシャー&AHハイドンPO

2006年01月27日 00時54分47秒 | ハイドン
 第12番は全3楽章からなるオールド・パターンです。この時期のハイドンの交響曲の創作年代は番号と必ずしも一致しないようですが、この作品はどうやらエステルハージ家の副楽長だった頃の作品らしく、順番でいえば第9番の頃に作られたようです。スケール的にはやや小ぶりではありますが、楽章間のメリハリも充分だし、各楽章もほどよく練られているという感じであり、全体に練達の腕で仕上げられた、職人的作品という感じです。

 しずしずと始まる第1楽章は、テーマが次第に動きの速い流動感の形に膨らんでいくあたりがまずは印象的。展開部が短調で始まるあたりは一瞬オヤという感じですが、その後の主題操作はいかにもハイドンらしい淀みない流れの一気に進んでいきます。非常にははればれとした活気のある音楽といえましょう。
 第2楽章はバロックでいうシチリアーノ風な陰影ある音楽で、歌物風な雰囲気も濃厚で、両端楽章を併せたのとほぼ同時間(約9分)をかけて入念歌い、かつじっくりと展開されていきます。オペラチックな緩徐楽章を全体の中心に据えるというのは、第7,8,9番あたりと共通するものですが、エステルハージ家にいた頃というのはこういうパターンを愛好していたのかもしれません。
 3つの楽章の中で一番短い第3楽章は、例によって屈託のない明るさと飛び跳ねるようなダイナミズムが横溢した典型的な最終楽章ですが、この楽章の場合、時折、短調で思わぬ方向に展開していくあたりが、他と違ってユニークな点かもしれません。

 最後にニックネームですがもこれは第1楽章の第一主題の後半、動きの速い流動感溢れる音型が、個人的には噴水の動きを彷彿とさせたもので、素直に「噴水」と名付けました。ちょっと気取って「エステルハージ家の噴水」とかでもよかったですが、あすこに噴水があったか、私にはよくよからなかったんだもんで。
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私の愛機 [10] STAX SR-Σ Pro (EarSpeaker)

2006年01月26日 17時21分15秒 | PC+AUDIO
 私が使うヘッドフォンといえば、大抵は前に書いたLambda Nova Signatureとなる訳ですが、たまにクラシックを音場感を重視して楽しみたいなどと思った時に決まって登場するのが、このSR-Σです。昨年の3月にLambda Nova Signatureのことを書いた時に、SR-ΣPROを称して「伝説的な籠型のデザインで、音が前方から聴こえる!」なども書かせてもらいましたが、まさにその通りでして、前方から音が聴こえるという、ヘッドフォンとしては常識を超えるワン・アンド・オンリーな世界を実現したのがこれなんですね。

 ただし、小さな牛乳パックはあろうかという巨大なユニットは確かに異様です。両耳くつけている様をたまに鏡で見たりすると、レトロな宇宙人でも見ているようで情けない気分になったりしますが(笑)、この異様な構造のおかげで、発声ユニットが耳の被さる形ではなく、その前方に配置できた訳です。頭のどまんなかで音像が形成されるような、いわゆる頭内定位が発生しないヘッドフォンはいろいろ試みられているようですが、おそらく構造的にもこのヘッドフォンが正解に近かったんじゃないでしょうかね。もちろん頭内定位が完全になくなる訳ではありませんし、音圧も低めですからあまりロックだのジャズだのを聴くには向きませんが、とにもかくにも前方から音が聴こえるというのは偉大です。

 間接音が豊富に収録されたクラシックのホールトーン豊かなオーケストラ物や室内楽などは、ヘッドフォンで聴くと妙な違和感を感じるものですが、SR-Σでならスピーカーにそこそこ近い雰囲気で音楽を楽しむことができます。きっとホールの空気感のようなものを構造上、上手に伝えることができるんでしょうが、夜間などスピーカーでもって大音量を鳴らせない時はほんとうに助かります。実はこれ、昨年1月にオークションで購入し、その後メンテなどもしましたから、中古とはいえ3万円くらいかけて入手したことになります。定価は確か4万近くしましたから、まぁ、安く買えた方ではないでしょうか。ともあれ、スタックス社はこれの後続を機種を目下のところ発売していないので、これからも大事に使おうと思っています。
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江美(チャン・メイ・チイ)/Melody

2006年01月26日 00時47分38秒 | 台湾のあれこれ
 チャン・メイチーの「戀人心中有一首詩」は11月に聴いて以来の愛聴盤で、iPodでならおらそくコールドプレイと並んで、2005年もっとも聴いたアルバムになろうかという作品でした。あの時「彼女のアルバム買いまくろう」と書いたとおり、実はあの直後数枚のアルバムをYesAisa.comに注文して、12月には届いていたのだけれど、なんだかんだで放置してしまっていたので、ようやくその中の一枚「Melody」というアルバムを聴いてみました。2003年の作品ですから、かなり最近の作品です。ひょっとすると「戀人心中有一首詩」の前作にあたる作品かもしれません。

 「戀人心中有一首詩」は詩の朗読を曲間に入れてコンセプチュアルなたたずまいで、音楽的にも台湾王道路線を意識したバラードなども大幅に取り入れてかなり格調高いいアルバムでしたけど、こちらはけっこう普段着な作りですかね。毎回書いているような90年代後半に台湾で勃発した台湾ニューウェイブ以降のベースにしたギター・サウンド系な音で、ボクみたいなオジサンからすると、60年代後半のフォーク・ロックみたいに聴こえる音楽。

 まぁ、サウンドのコンセプトはともかくとして、とにかくチャン・メイチーのヴォーカルが良いです。作り物めいたところが一切なくて、自然体です。今のJ-Popの女性ヴォーカリストがおしなべて、どこかひねっていたり、屈折していて、何かにつけて「演じてっるぽい」というエクスキューズがないと音楽出来ないのと比べると、彼女の無防備なまでの「ありのまま感」はかえって新鮮だったりするのですね。特に美声って訳でもないし、歌がうまい訳でもない。ところが何か深いヴァイブレーションを感じさせるんだよなぁ。そこがいいんですよね。
 
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HOD O'BRIEN / Live at Blues Alley - Second Set

2006年01月25日 23時50分19秒 | JAZZ-Piano Trio
 ホッド・オブライエン、レイ・ドラモンド、ケニー・ワシントンのトリオによる2004年のブルース・アレイにおけるライブ、こちらはそのセカンド・セットです。ファースト・セットのラストでは、メンバー全員が余裕綽々、決していきりたつことなく、まさに八分の力で小気味よく盛り上げてましたが、その好調ぶりをそのまま、セカンド・セットのオープニング以降にも持続しているようで、メンバー全員絶好調なのがビビッドに伝わってきます。選曲もこちらのセットはエリントン絡みの曲が多いし、「ラブ・レターズ」などというボクの大好きな曲も入っていたりするので、ファースト・セットに比べると曲的にはいくらか馴染みやすいかな。

 演奏は後半戦を意識してか、アップ・テンポのものが多く、前述のとおり1曲目から絶好調なコンディションも手伝って全編に渡り、いきり立つことはありませんが、とてもテンションの高い、実に楽しめるものになってます。特に3曲目の「ハウ・アバウト・ユー」のピアノからベースへソロがチェンジし、その後4バース・チェンジへと進んでいくあたりの自在な展開ぶりは、ジャズ的お約束といってしまえばそれまでですが、その自在なノリはジャズ的愉悦感に溢れていて、けだしこのアルバムのハイライトでしょう。大好きな「ラブ・レターズ」はロマンティックさはほどほどにして、お得意のちょい早めのミドルテンポで渋目に決めてますけど、こういう解釈ももちろんアリですね。

 ちょいとエキゾチックな「インナ・センチメンタル・ムード」はこのセット唯一のスロー・テンポで演奏され。ベースとピアノの絡みが聴き物。それにしてもオブライエンのちょっとドライなセンスとストレイホーンのエキゾチックなセンスってなかなか相性良いみたいで、ここのセットで何曲かとりあげているところからすると、ひょっとするオハコなのかもしれませんね。「ドゥ・ナッシング....」ではうねるようなピアノ&ドラムスの4バース・チェンジが最高にのってます。そしてラストはお馴染み「A列車」が登場。これもごくごくゆったりした「A列車」で、オーラスだからといって熱狂の坩堝になったりしないのが大人です。

 という訳で、なかなか充実したライブでした。ファースト・セットのところでも書いたとおり、この人メロディックにピアノを弾く人ではないので、どうも日本人には微妙ですが、「これがジャズだ」としかいいようがない音楽的感興はなかなかのもので、私はとても気に入りました。 

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HOD O'BRIEN / Live at Blues Alley - First Set

2006年01月25日 00時05分33秒 | JAZZ-Piano Trio
 ホット・オブライエンというジャズ・ピアニストのライブ盤です。初めて聴く人ですが、一応ネットで調べてみたら、50年代にはデビューしている大ベテランで、メジャーな存在でこそないが、米国では知る人ぞ知るという感じの人みたいです。日本人の感覚でいうとエディ・ヒギンズみたいなもんかな?。このアルバムは一年くらい前に新宿のディスク・ユニオンで新譜としてディスプレイされていたものを購入してきたもので、レイ・ドラモンドとケニー・ワシントンという組み合わせからして、新人か中堅の今風なコンサバ・ジャズ(?)だろうとあてこんだ訳ですが、こんなベテランだったとは知らなかった(どうもすいません)。

 収録曲は全部で9曲。2004年、ブルース・アレイでのライブ盤ということで、演奏はどれも7,8分と長目で、ライブ的な感興も充分です。この人、基本的にはハード・パップ・スタイルのようで、ソロ自体は日本人が好むようなメロディックなものではなく、どちらといえばややゴツゴツしたパップ的なフレーズを次々に繰り出しつつ、音楽の温度を次第に上げていくという感じ。メロディックでもないし、ノリノリという訳でもないですから、日本人にとってはちょいと微妙なスタンスかもしれませんが、きっと本国ではこういうのが「オーソドックスなジャズ」って感じなのかもしれませんね。誤解を恐れずにいえば、全盛期のウィントン・ケリーあたりに近い感じといったら伝わりやすいかも(ケリーのような哀感はあまりないですが....)。

 曲もほとんどがスタンダードのようですが、選曲がなかなか渋く、半分くらいは知らない曲でした。ちなみに知っていた曲のひとつ「LULLABY OF THE LEAVES」も、最初はどっかで聴いたことある曲だよなぁって感じだったのですが、よくよく聴いたらベンチャーズでお馴染みの「木の葉の子守歌」でした。とてもセンスの良いブルージーな歌い回しで演奏している訳ですが、本来はこういう渋い曲だったんですかね。演奏としては1曲目の「Nothing Like You Has Ever Been Seen Before」とか、6曲目の「Tangerine」あたりのミディアム・テンポで上品にスウィングしつつ、多彩なフレーズを繰り出していくあたりが楽しかったですね。レイ・ドラモンドとケニー・ワシントンもこういう場面では心得たもので、ラストなどまさに八分の力でストイックに決めてます。かっこいい。 
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