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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

The GREAT JAZZ TRIO/Moreover

2010年06月07日 20時14分52秒 | JAZZ-Piano Trio
 昨日の「ChapterII」と同セッションによりつくられた1980年の作品である。昨日も書いたとおり、私は第二期のグレイト・ジャズ・トリオといえばカクテル・ジャズ風な「再訪」が断然好きだったので、コンテンポラリーな目配せが強い「ChapterII」や本作にはあまり魅力を感じなかったのだが、久しぶりに「ChapterII」を聴いてみたところ思いの外いい感じで聴けたので、本作も併せて楽しんでいるところである。

 なにしろ「ChapterII」と同じセッションで構成されたアルバムだから、当然といえば当然だが、こちらも非4ビート系なフュージョン的なところが随所に入った仕上がりである(おそらくTV番組などで音楽ディレクターをしていたハンク・ジョーンズのそれなりの計算だったのだろう)。いや、むしろ「ChapterII」では「星影のステラ」を筆頭にそれなりにスペースが割かれていたオーソドックスな4ビートによるスタンダード演奏は、本作では更に少なくなっていて、そのかわりラテンやボサノバなどの作品が収録されているという格好であろうか。

 冒頭のタイトル曲は、いかにもH.ジョーンズらしい作品だが、ややメランコリックな楽想をラテン的なリズムで処理しているし、2曲目の「Another World」もミディアム・テンポの中、さまざまなリズムを交錯させたこれまたH.ジョーンズらしい作品になっていて、作編曲者としてのH.ジョーンズらしさを感じさせる。3曲目の「My Cherie Amour(スティービー・ワンダー作)」では、エレピをフィーチャーしたボサノバ作品としてアレンジしている。この曲は途中4ビートの部分などもいれて、GJTらしいところも見せるが、ほぼラテン・フュージョンといってもいい仕上がりだ。オーラスの「Pauletta(アル・フォスター作)」はイントロこそ「処女航海」風なリズムだが、基本的にはラウンジ風なラテン作品になっている。

 オーソドックスな4ビート系な演奏といえば、4曲目に収録されたエリントンの「Just Squeeze Me」、そして5曲目パーカー作の「Scrapple from the Apple」になるだろうか。前者はエリントン的なアクを非常にソフィスティケーションして上品なアレンジで演奏しており、後者はまさにGJTの常なるペースで軽快に演奏している。7曲目の「Phasar」は、H.ジョーンズのオリジナルだがちょいとひねりを効かせたビバップ風な作品、6曲目の「Aurora's Voice」はエディ・ゴメスをフィーチャーしたモダンで温度感の低い美しいバラード演奏になっている。
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The GREAT JAZZ TRIO/Chapter II

2010年06月06日 23時33分43秒 | JAZZ-Piano Trio
 「ChapterII」は、先日取り上げた「再訪~ライヴ・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード Vol.1&2」のと同じラインナップによるスタジオ録音第一弾である。確かライブよりこちらの方が先だったと思う。ロン・カーターとトニー・ウィリアムスによる第一期はメンバーの3人があくまで対等な位置関係にあったトリオだったが、この第二期からは-イーストウィンドという本邦のレーベル側から要請もあったろうが-次第にハンク・ジョーンズをリーダーとする趣味の良いオーソドックスなピアノ・トリオへと変貌していくことなるのは周知のとおりである。

 さて、本作であるが、全編に渡ってほぼオーソドックスな4ビート・ナンバーばかりで構成されていた「再訪」に比べると、こちらは、1980年という時代の反映だったのか、はたまた新ベーシストのエディ・ゴメスが口を出したのか、けっこうフュージョン色が強い。1曲目の「デュプレックス」からして(H.ジョーンズのオリジナル)、8ビートのやや込み入ったリズムと4ビートが交錯するかなり手の込んだ作品だし、6曲目でエディ・ゴメス作の「ラスト・リッスンド」のイントロでH.ジョーンズはエレピを弾き、E.ゴメスのアルコをフィーチャーしたりしている。ラストに収録されたアル・フォスター作の「ジャスト・ビフォー・ドーン」では全編エレピをフィーチャーして、催眠的なムードが異色な作品にもなっている。

 もちろん、「再訪」と同様なストレートな4ビート演奏もあり、3曲目「オーニソロジー」や4曲目の「星影のステラ」では、前者のビバップ調、後者はまさにこのトリオならではのエレガントな演奏を展開していて、「再訪」のノリをそのままスタジオで再現したような仕上がりだ。また、2曲目の「サプライム」はH.ジョーンズのオリジナルだが、ラウンジ風の品の良い軽さがいかにもH.ジョーンズらしくて楽しめる仕上がりだし、6曲目に収録されたスティーヴィー・ワンダーの「オール・イン・ラブ・イズ・フェア」は、日本人が喜びそうなマイナーでメランコリック調の、実にしっとりしたバラード・プレイになっていて楽しめる。

 そんな訳で本作のフュージョン的というか、非4ビート系な音楽が随所に入った作品だったせいだろう、このトリオといえば「再訪」が大好きだった私は、どうしても本作に馴染めなかったのだが、先日、物故したH.ジョーンズへの追悼も兼ねて、久々にこれを聴いてみたところ、なかなか印象が良かったのは自分でも意外だった。何故かと考えみるに、やはり「グレイト・ジャズ・トリオはかくあるべし」というこだわりが、もはやそれほどでもなくなったことが大きいのだと思う。ともあれ、このところ良く聴くアルバムである。
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The GREAT JAZZ TRIO Plays Standard

2010年05月18日 21時49分35秒 | JAZZ-Piano Trio
 1先の16日にハンク・ジョーンズが亡くなった。つい先頃も来日して元気にピアノを弾いていたらしいが、ジャズ史の生き証人みたいな彼ももう91歳だったというから、かなりの高齢だった訳だ。ハンク・ジョーンズといえば、日本ではなんといっても1977年にロン・カーターとトニー・ウィリアムスを従えて結成されたグレイト・ジャズ・トリオ(GJT)でもって一躍有名になった人である。もちろん大歌手の歌伴やチャーリー・パーカーやJATP、マイルス、ついでにエド・サリバン・ショーのハウス・ピアニストだったりしているから、それなりの知名度は当然あっと思うが、やはりこのトリオが出るまでは、同系統のトミー・フラナガンより地味な存在だったとはずだ。なんだかんだといいつつも、日本でハンク・ジョーンズといえば、やはりGJTなのである。

 このグレイト・ジャズ・トリオだが、ハンク・ジョーンズ以外のふたりは手を替え品を替えといった感じで本当にいろいろと変わった。またそれに伴って出されたアルバムもかなりの数に登るはずだが、個人的に一番好きなアルバムは、77年に出た「再訪~ライヴ・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード Vol.1&2」の2枚である。前述の通りGJTはロン・カーターとトニー・ウィリアムスを従えて結成された訳だけれど、このふたりはほどなくこのトリオからは離脱、その後任に収まったエディ・ゴメスとアル・フォスターとで、再びヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ録音を敢行し(だから「再訪」という邦題がついた)、それで出来上がったアルバムがこれという訳だ。ちなみに私は今聴いているのは、この2枚から7曲が選ばれた編集盤であるが…(オリジナルは10年以上も前に一度CD化されたまま、廃盤が続いている)。

 さて、この「再訪」だが、Vol.1は「恋に落ちたとき」から始まる。しっとりしたバラードとして演奏されることが多い同曲を、軽快にスウィングするナンバーとしてアレンジしているのがユニークだし、ジョーンズの都会的で端正なピアノと実にマッチしていると思う。ベース・ソロの後のスウィング感一杯のソロも快調だ。「ワルツ・フォー・デイビー」では、エヴァンス的な耽美さより、都会的な洗練を感じさせる優美なアレンジでこれまたジョーンズらしい演奏になっている。耳タコな名曲「枯葉」では、玉を転がすようなフレーズで少し遊んだ後、何気なくあのテーマを出すあたりの余裕ある呼吸感が、いかにも大ベテランだ。テーマはさりげなく流し、すぐさまインプロに突入していくのが、テーマからつかず離れずのプレイには風格すら感じさせる。

 Vol.2は「バイ・バイ・ブラックバード」を先の「恋に落ちたとき」同様ミディアム・テンポの軽快にスウィングするナンバーとして演奏。そういえば、アル・フォスターの4ビート・ドラムといえば、やはりこのアルバムあたりが「走り」となるのではないだろうか。まだまだマイルスのバンドでやっていた時期ではあるが、8ビート系ドラミングとはうってかわってエレンガントなシンバルやブラッシュ・ワークは既にこの時期に出来上がっている。モンクの「ルビー・マイ・ディア」はムーディーでアレンジ、まあ、モンクにしてはちと洗練され過ぎな感もあるが…。ラストの「グッバイ」はラストに飾るに相応しいバラード・プレイでジョーンズにして、切々したピアノ・プレイでこれも聴きどころだ。

 そんな訳で、初代GJTのライブの影に隠れて、全く顧みられないアルバムであるが、もう少し評価されてもいいのではないだろうか。その後のGJTはややスタンダード路線に埋没してしまったところはあるものの、このアルバムの頃はまだまだ新鮮だったし、音楽的な充実度も高かったように思う。また、これ以降、その後ケニー・ドリューとかがこういうアルバムを沢山だし、「日本発のお洒落なピアノ・トリオ」はある種ブームになるが、これなどその先鞭をつけたアルバムという側面もあると思う。
 かくゆう私がこの種のカクテル風なジャズの楽しさを知ったのも、実はこのアルバムだった(と思う)。なので、ハンク・ジョーンズといえば、私はまずこれを思い出すのだ。ともあれ、彼の冥福を祈りたい。
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ビル・チャーラップ&ケン・ペプロフスキー/スターダスト

2010年04月24日 23時06分05秒 | JAZZ-Piano Trio
 昨年発表されたビル・チャーラップのニューヨーク・トリオにケン・ペプロフスキーが加わった作品。ペプロフスキーはもともとクラリネット奏者だったようだが、ヴィーナス・レーベルからテナー・サックス奏者としても注目浴びるようになり、ヴィーナス・レーベルでは数枚のアルバムを出しているようだ。それに同じくヴィーナスお抱えのニューヨーク・トリオを合体させるあたり、エディ・エギンズとスコット・ハミルトンの共演を思い出すまでもなく、「ピアノ・トリオ+ワン・ホーン」で、極上のBGMジャズを作りたがるヴィーナス・レーベル...というか原哲夫氏らしい趣向を感じさせる。まぁ、考えてみれば、チャーラップはこれまでトリオだけではなく、様々なフォーマットでレコーディングを重ねてきた訳で、こういうフォーマットにはうってつけで人選ではあっただろう。

 さて、本作の内容だが、これはほぼ予想通りのものとなっているといってもいい。ケン・ペプロフスキーのテナーとクラリネットは、どちらの楽器を演奏しても、ほどよく角のとれた耳障りが良い、いかにも趣味の良さそうな演奏ぶりであり、そこにチャーラップのこれまたセンスの良いピアノが加わって、ソロをほどよいバランスで分け合っているといった格好である(比率としては6対4といったところか、演奏は比較的どれも長い)。
 選曲は「スターダスト」「サマータイム」「ボディ・アンド・ソウル」「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」「ソー・イン・ラブ」といった、これまたヴィーナス・レーベルらしい大スタンダード作品ばかりで、演奏もほぼ全編に渡ってスロー~ミディアム・テンポのものばかりになっている。トリオ単体の時は、もう少し異種格闘的な奔放さもあるニューヨーク・トリオだが、さすがに練達の3人だけあって、ここでは新たに加わったフロントマンのキャラクターと作品のコンセプトをうまく掴んで、いつもよりかなりスタティックな演奏に終始している。

 収録曲ではまず最初の3曲がどれもいい。1曲目「イン・ザ・ミドル・オブ・ア・キス」はミディアム・テンポで開始され、ちょっとメランコリックな旋律をテナーでじっくりと吹いている。2曲の「ボディ・アンド・ソウル」はテーマを担当するのはチャーラップで、いつものニューヨーク・トリオのペースなのだがクラリネットが加わると世界が変わるのは音楽の妙だ。「セレナーデ・トゥ・スウェーデン」は再びテナーでテーマが演奏され、いかにもくつろいだ空間を作り出していて絶妙だ。
 あと、個人的にはやはりテナーで演奏される「ソー・イン・ラブ」が良かった。ほんのりとしたラテン・リズムが少しづつテンションを上げ、次第ホットになっていくあたりは聴き物だ。あと、2ヴァージョン入った「スターダスト」はもうチャーラップの十八番だろう、確かこれで4回目と5回目のレコーディングになるはずだ。今回もヴァースから入っていくのはいつものパターンで、耽美的ともいえる陶酔感はいかにもチャーラップのセンスを感じさせる。
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ニューヨーク・トリオ/オールウェイズ

2010年01月31日 13時32分43秒 | JAZZ-Piano Trio
 2008年発表のニューヨーク・トリオ名義の作品としては最新アルバム(関連作品は除く)。本作も当然のように作曲家シリーズになっていて、今回取り上げたのはアーヴィング・バーリンである。私はこの作曲については、勉強不足なせいかどうも確固としたイメージがもてないのだが(強いていえば、「ホワイト・クリスマス」を作曲した人くらいかな)、収録曲を見れば「チーク・トゥ・チーク」「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」「ホワットル・アイ・ドゥ」など、けっこうお馴染みの曲が並んでいて、アーヴィング・バーリンってこの曲を作っていたんだぁ....と改めて認識したりしているところなのだが、こうしてまとめて聴くと、なんとなくではあるが、このアカデミックという言葉とは終始無縁だったらしい、偉大なる職人作曲家の親しみやすくロマンティックな作風が伝わってくるような気もした。

 アルバムはスローバラードの「オールウェイズ」からスタート。おそらく原曲はかなり素朴な歌と思われるけれど、それをこうしたしっとりクリーミー、そしてそこはかとない陶酔を感じさせる絶妙な演奏に仕立て上げ直すあたり、近年のチャーラップの円熟を感じさせる。以前にも書いたけれど、チャーラップといえばまずは非常にスポーティーで都会的スウィング感みたいなところに魅力を感じていたのだけれど、最近はすっかりこうしたバラード系のスタティックな演奏により多くの魅力を感じるのは、当方の嗜好の変化もあるだろうが、やはり彼の音楽がより深化したということもあるだろうと思う。続く「チーク・トゥ・チーク」は、従来のスポーティーなスウィング感とピーターソン的な語り口で演奏した軽快な作品で、これもいつも通りのペースなのだが、やはり以前に比べぐっと落ち着きと風格のようなものが出てきた感じがする。「アイ・ゴット・ザ・サン・イン・ザ・モーニング」は、かつての「夜のブルース」を思わせるソフィスティケーションされたブルース演奏だ。

 あまりにも有名な「ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン」は、ちょっとポリリズム風なアレンジをイントロに使ったかなりテクニカルな演奏だ。この曲はいろいろなジャズ・ミュージシャンに取り上げられているけれど、とにかくこね回したり、ひねったアレンジにする場合が多いようなのだが、この曲もテーマが後半になるまで出てこない。この曲、どこかジャズ・ミュージシャンにとって、そそるトリガーを内包しているのだろう。「ホワットル・アイ・ドゥ」「イズンド・ジス・ア・ラブリー・デイ」は、どちらも実に素朴で愛らしいメロディーを持った曲で、こうしたシンプルな演奏だとアーヴィング・バーリンという人の個性が分かるような気がする。「ザ・ソング・イズ・エンディッド」は7分近い長目の演奏で、トリオ全体が多彩な表情を見せるという点ではアルバム中のハイライトになっている演奏かもしれない。ラストの「ロシアン・ララバイ」はピアノ・ソロだ。

 という訳で、本作は今やワシントン組と組んだレギュラー・トリオに迫る一体感を獲得し、すっかり安定期に入ったニューヨーク・トリオの手堅い作品というところだろう。ジャズの場合、こうなるといずれマンネリという陥穽も待ちかまえているとは思うが、チャーラップの場合、最近の活動は「作曲家シリーズ」をライフワークとし、スタンダードの解釈の学徒として自らを律しているようだから、レギュラー・トリオと併せ、あと数作はこの調子でカタログを拡張しつづけていいように思う。本作が出たのが一昨年だから、そろそろこのトリオの新作も控えているだろう。次は誰を取り上げるのだろう。
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ティエリー・ラング&フレンズ/リフレクションズ3

2010年01月16日 18時21分36秒 | JAZZ-Piano Trio
 エンリコ・ピエラヌンツィを聴いたところで、ふと思い出してこちらも聴いてみた。私の持っているティエリー・ラングのアルバムとしてはたぶんこれが最後の1枚だ。2003年の作品で、ここまでのんびりとレビューしてきた「リフレクションズ」シリーズの第三作でこれが完結編となる。第1作がピアノ・トリオ、第2作がテナー・サックスとトランペットを加えたオーソドックスなクインテット編成で演奏だったのに対し、こちらはピアノ・トリオにアルトサックス、ヴァイオリン、ハーモニカという3人のソリストが曲毎に参加して、ヴァリエーションに富んだ曲を並べている。ピアノ・トリオ+アルトサックスという編成は、まぁ普通のジャズに聴こえるだろが、ヴァイオリンやハーモニカだと、ジャズの響きとしては多少ユニークなものになる....本作ではそうした表現の拡大みたいなところを目論んでいるのだろう。

 1曲目の「チョコレート・ブルース」は、かなりアーシーなセンスを持ったアルト・サックスをフィーチャーしたブルージーな作品で、これまでのラングが持っていた透明感だのヨーロッパ的抒情とかいうイメージからすると、こういう音楽性はちらほら出てはいたものの、さすがにしょっぱなからこうだと「かましているな」という感じがする。2曲目の「ヌンツィ」はヴァイオリンのディディエ・ロックウッドをフィーチャーした作品(彼はある種のロック・ファンにはとても有名な人で、私も彼の名前をみたときちょっと懐かしくなった)。原曲は「プラベート・ガーデン」に入っていたメランコリックな曲だが、ここでのヴァイオリンはかなり技巧的で、途中スイッチして展開されるピアノ・ソロもよく、こちらはラングのイメージを裏切らず、しかもジャズ的感興溢れる仕上がりになっている。3曲目の「ブルヴァール・ペロール」はハーモニカをフィーチャー、ジャズでハーモニカというと、私はトゥーツ・シールマンスくらいしか知らないのだが、ここで聴けるオリヴィエ・ケル・オウリオという人のハーモニカも、彼と同じ都会的な場末の哀愁みたいなブルーなイメージである。この楽器とラングのピアノとの相性は非常に良く、後半を受け持つピアノ・ソロとも違和感がなくいいムードを演出している感じだ。

 一方4曲目「オンリー・ウッド」は、ハーモニカとヴァイオリンをフィーチャーしたクインテット編成。かなりボサノバを基調としたエキゾチックな曲というせいもあるが、さすがにここまでくるとアンサンブルはかなりユニークな響きである。7曲目の「トイ・ボックス」はアルトサックスとハーモニカが加わったクインテット編成、こらちは新主流派風のスタイルをとっていて、先行するのがソロもアルトサックスだから、けっこうオーソドックスに楽しめる。ラストの「プレイヤー・フォー・ピース」はピアノとハーモニカによる瞑想的なデュオである。こうして聴いていくと、このアルバムではやはりハーモニカの出番が一番多く、またサウンド的にも目立つものになっている。ラングはピアニストとしてだけでなく、アレンジャーやコンポーザーとしての自負心もかなり高いと見受けるけれど、こういう情景系の楽器を多用したがるところにもそうした片鱗が感じられると思う。ところで、先も書いたとおり私の持っているラングのアルバムは一応これが最後なのだけれど、最近の彼は何をしているのだろう。このシリーズの流れからすると、ピアノトリオはもう見限っているようにも感じなのだが....。
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ENRICO PIERANUNZI / Special Encounter

2010年01月16日 16時34分07秒 | JAZZ-Piano Trio
いつものジョーイ・バロンとマーク・ジョンソンではなく、チャーリー・ヘイデン、ポール・モチアンという重鎮を迎えてのトリオによる作品だ。ピエラヌンツィはヘイデンやモチアンともアルバムでもけっこう共演しているようで、私が持っているアルバムでも、しばらく前に取り上げたフェリーニのトリビュート・アルバムでも共演していた。ヘイデンやモチアンといえば、60年代後半からフリー・ジャズ的ムーブメントの一翼をになかったり、かのビル・エヴァンスやキース・ジャレットとの共演歴などもある「生きるジャズ・ヒストリー」的な人達だから、ピエラヌンツィと比べれば「格上」になると思うのだが、そのせいか、ここでのピエラヌンツィは決して萎縮している訳でもないだろうが、けっこうおとなしい....いや、おとなしいというので語弊があるというのなら、非常に静的、スタティックなプレイが続くアルバムである。

 ピエラヌンツィというのは、基本的にオーソドックスな4ビートからアブストラクトなフリージャズまでスタイル横断的なプレイをする人だけれど、自らが完全に主導権を握れる(のだろう、多分)「+バロン&ジョンソン」のトリオに比べると、あんまり両巨匠に「あぁせい、こうせい」とはいえなかったような事情もあるのかもしれない。本作では従来の自由闊達でトリッキーなところはあまり出さず、比較的オーソドックスなヴォキャブラリーを使い、ヨーロッパ・ジャズ的なトーンでもって、ヘイデンやモチアンと隠微な音楽会話をしているような印象である。要するにかなり枯れた「大人のジャズ」といった風情なのだが、これか実にいいムードを醸し出している。日本のアルファ・ジャズで作った2枚のアルバムも比較的スタティックなピエラヌンツィが出ていたアルバムだと思うけれど、こちらは受け狙いのスタンダード作品も少なくとも、ピエラヌンツィを主体にとしたオリジナル作品ばかりでアルバムを構成しているのも、そうした印象を倍加している。

 収録曲ではヘイデン作の「Waltz For Ruth」「Hello My Lovely」「Secret Nights」あたりは都会的なセンスをもったミディアム・テンポの演奏で、アブストラクトなプレイまでスポーティーに感じさせてしまうピエラヌンツィらしいピアノの片鱗が多少味わえる他は、ほぼ総体的にほの暗い内省的な抒情と、硬質なリリシズムがベースにした作品がずらりと並んでいる。「Miradas」 「Nightfall」など深い幻想が実にしっとりとした感触の音楽からわき上がり独特なムードを醸成している。うーむ、こういうピエラヌンツィも悪くない。調度、今みたい休日の午後のリラックスタイムにゆったりとして聴くにはもってこいの作品だ。ちなみにヘイデンとモチアンは、かつのフリー時代が嘘のような枯れたプレイだ。特にヘイデンはいくたの修羅場を越えて、完全に先祖返りした枯淡の境地といった感じのベースになっている。
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ウラジミール・シャフラノフ/Portrait in Music

2010年01月15日 23時49分13秒 | JAZZ-Piano Trio
 「Movin' Vova!」から4年を経た2002年にリリースされた第4作。「Movin' Vova!」が7年振りの作品だったのに比べれば短いが、それにしても4年後というのはかなり悠々たるペースである。よく分からないが、前作がアルバム・アーティストとしての「様子見」的な作品だったとすると、本作は「本格始動」といったところかもしれない。事実、この作品を出した翌年には「ロシアン・ララバイ」をリリースする訳だし、それ以降のシャフラノフはかなり定期的にアルバムをリリースするようになるのだ。音楽的に見ても、この作品は多少落ち着き払ったような佇まいだった前作に比べ、あるの種の勢い、活気にとんだ歌心といったものが色濃く出ていて、なんらかの理由でシャフラノフがかなり「ノっていた」ことを伺わせるに十分な内容なのである。

 なにしろ1曲目の「Minority」がいい。ドラムに導かれてラテン・リズムのイントロ、早々とかなり熱っぽい演奏を展開していき、本編に入るさらりと4ビートにチェンジする呼吸がなんともカッコいいし、例によってキレのあるリズムで、要所要所をビシっと決めるあたりはいかにもシャフラノフらしさがあって実に楽しいし、後半のアウト気味に展開されるドラムの4バース・チェンジもかなりエキサイティングであり、約8分半を一気に聴かせてしまう。これを聴けば、「おっ、今回のアルバムはかなり気合い入ってるなぁ」と、誰でも感じるのではないだろうか。続く「Hush A Bye」は、寡聞にして私はこの原曲を知らないのだけれど、なんとなく「ジャンゴ」を思わせるクラシカルなムードとブルージーなセンスが入り交じったテーマを弾き終えると、ミディアム・テンポでかなりグルーヴィーなソロを展開する、こちらも9分近い長い演奏だが、ソロではウィントン・ケリーとトミー・フラナガンを中間をいくようなノリの良さと端正さが絶妙にバランスした、素晴らしい演奏を展開している。

 一方、バラード演奏としては「Emily」や「A Child Is Born」「Young And Foolish」あたりでは、これもまたシャフラノフの一面であるヨーロッパ的な低めの温度感+ジャズ的なムーディーさをほどよくバランスさせた味わい深い演奏になっていて楽しめる。「Movin' Vova!」ではどちらかといえば、こうしたタイプの作品が目立ったが、やはりバランス的には本作くらいの構成で配置される方が逆にしっとり感が楽しめるような気がする。「I Should Care」はオスカー・ピーターソン的な明るいセンスを感じさせるミディアム・ナンバーで、これは私の大好きな曲なので、ニコニコしながら楽しませてもらった。という訳で、本作はかなりいい出来である。こうなると次の「ロシアン・ララバイ」もかなり期待できるような気がする。
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ウラジミール・シャフラノフ/ Movin' Vova!

2010年01月14日 21時30分07秒 | JAZZ-Piano Trio
 ウラジミール・シャフラノフが1998年に録音した第3作。シャフラノフといえば、長らく81年の「Live At Groovy」と1990年の大傑作「ホワイト・ナイツ」しかカタログがなく、澤野工房で彼を知ったファンとしては、当然新作を期待した訳だけれど、これがなかなか出ず、おそらく澤野工房からのオファーによって、ようやっと制作されたのがこのアルバムということになるのだろう。前作の「ホワイト・ナイツ」はジョージ・ムラーツとアル・フォスターという超豪華なオマケが付き、仕上がりの方もエクセレントなものだったけれど、こちらは拠点となるフィンランドのペルオラ・ガッド(ベース)とユッキス・ウイトラ(ドラムス)を伴ってのトリオで制作されている。8年振りのアルバムとのことだが、「Live At Groovy」で横溢していた小気味よさ、「ホワイト・ナイツ」のピアノ・トリオとして非の打ち所がない完成度といった部分と比較すると、全体としてはもう少し普段着な佇まいというか、これは良い意味でいうのだが、気負ったところがないピアノ・トリオ・アルバムとなっている。

 収録曲はスタンダード中心(だと思う、私の知らない曲が多い)の選曲で8曲が収められている。1曲目は「Namerly You」という曲で、しっとりしたピアノ・ソロからスタートし、トリオとなってからミディアム・テンポの快適なスウィング感を振りまいている。自分の形容をもう一度引用させていただくと、シャフラノフは「ウィントン・ケリーばりの軽快なスウィング感+トミー・フラナガン的センスによるスタンダード解釈/ヨーロッパ的洗練」といったところになると思うが、この曲はウィントン・ケリーばりの軽快なスウィング感を感じさせる演奏だ。2曲目の「あなたと夜と音楽と」はトミー・フラナガン的センスによるスタンダード解釈といったところか、ちょっとオーバーにいえば、かの「セブンシーズ」を思わせる流麗なスウィング感が楽しめる。ついでに書けば、残ったヨーロッパ的洗練を感じさせるのは、ソロで演奏された「But Beautiful」あたりに感じられたもする。オリジナル作品である「Geta Way」は「Live At Groovy」での小気味よさを思い出させる、リズムをシャープに決める非常に小気味よい仕上がりになっていて、前述の3曲と並んでアルバム中のハイライトになっている。
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ヨス・ヴァン・ビースト・トリオ/Swingin’ Softly

2010年01月10日 23時54分58秒 | JAZZ-Piano Trio
 ヨス・ヴァン・ビーストのアルバムはたいていあまりにムーディーに仕上がっているので、けっこう聴く時を選ぶ。ムーディーといっても、甘口一辺倒ではなく、ヨーロッパのピアニストらしく温度感が低く、あまり過剰には感じさせないけれど、その耽美的なムードというのは、いったん聴き始めてしまえば、それこそ上質なBGMとして、本を読んだり作業をしたりしている時に、「あぁ、コレ、いいねぇ」と、最高に機能性を発揮したりするのだけれど、何故だかいったん離れてしまうと、すぐそこのラックに入れているのに、出してくるのが、なんとなくおっくうになってしまう人なのだ。まぁ、ヨーロッパ系のピアニストはみんなそんなころがあるけれど。ヨス・ヴァン・ビーストは音楽の「その軽さ」(良い意味で)といったところから、もう少し頻繁に聴いても良さそうなものだが、特に最近聴いていない人でもあった(彼の「EVERYTHING FOR YOU」を取り上げたのが、4年前の今頃だから、まぁ、推して知るべしといったところか)。

 そんな訳で、久しぶり連休の中日、その夜のリラックス・タイムということで、これを出してきた。ひょっとする購入したはいいが初めて聴くアルバムかもしれない。1曲目は「星影のステラ」からスタート、キース・ジャレットよろしくの思索的なソロ・ピアノが序奏のように付いている。いいムードである、透明感があり、過剰なところが一切ないそのセンスは....しばし聴き惚れてしまうほどだ。インプロにも自然に流れ込んでいき、適度にジャズ的なフレージングを織り交ぜながら、「星影のステラ」という曲から離れてしまいそうなところで、プイとテーマに戻るあたりのセンスもいい。うーん、やっぱいいね。次の「テルケンス・ウィア」って、スタンダードだろうか?。どこかで聴いた曲なのだが、思い出せない。「枯葉」は意表をついて、この曲がシャンソンであることを思い出せる歌物風なアレンジ。さすがに耳タコの曲だけあってテーマはさらりと終わらせ、ちょっとオスカー・ピータソン風なフレーズなどもいれて、珍しく「濃い」演奏になっている。

 「ミス・ジョーンズ嬢に会ったかい」はラテン風なリズムで、都会的な軽快さを演出している。こういう曲では彼がオランダのピアニストであったことを思い出せる、あの国独特な「軽快感」を感じさせる。「カーニバルの朝」はピアノ・ソロのイントロ付きで8分にも及ぶ長尺演奏。本編はスローなボサ・ノヴァにアレンジされているが、こういうのはビーストのもうひとつの顔である(ちとリズム・セクションがボサ・ノヴァというのはきっちりし過ぎているのが難だが)。私の好きな「ヒアズ・アット・ザ・レイニー・デイ」は、やはりピーターソン風なピアノ・ソロが頭についたけっこう長い演奏。ウェス・モンゴメリーのヴァージョンを参考にしたのか、これもボサ・ノヴァ風なアレンジになっている....という訳で、こり人の音楽自体が久しぶりだったので、酒を飲みつつけっこう楽しめた。ところで最近の彼はどうなのだろう。相変わらず澤野工房からアルバムを出していたりするのだろうか。
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KEITH JARRETTE / Up for it

2009年12月30日 11時38分14秒 | JAZZ-Piano Trio
 久しぶりにキース・ジャレットを聴いてみた。このところ、たまりにたまった宿題を片付けるようにビル・チャーラップの買い込んであったアルバムを聴いているが、その意味でいうとキース・ジャレットの方もずいぶん宿題がある。考えてみると、例のブルーノートの6枚組以降に、彼、いや彼らが出したアルバムは、Whisper Not"、"Inside Out","The Out-of-Towners","My Foolish Heart" などなど、たいてい購入はしているんだけど、たいてい1回くらいしか聴いて放置か、誰か自宅に訪れて「キース・ジャレット聴かせて!」みたいな時くらいしか聴いていないような気がする。もちろんこのアルバムもそうである。このところ休日の朝というと、ハイドンの交響曲を聴くのが日課のようになっていたのだけれど、さすがにちと飽き気味になってきたので、気分転換に何か....と思ってあれこれ探していたところで、特に理由もなさそうだが、これでも久しぶりに聴いてみようという気になったというところだ。

 さて、このアルバム、2002年のフランスでのライブ・パフォーマンスである。彼らの目下の最新作は2005年のパフォーマンスを収録した"My Foolish Heart" だろうが、これも彼らとしては比較的最近のものといってもいいだろう。演奏は良くも悪しくも「後期スタンダーズ」の音楽である。つまり、初期のヨーロッパ風な叙情から、ビバップ風な趣が強く出てある種の先祖返りをしている。1曲目の「If I Were A Bell」や2曲目の「Butch & Butch 」3曲目「Scrapple From The Apple」あたりの軽快にスウィング感、 6曲目の「Two Degrees East, Three Degrees West」のブルース感覚などはその好例だ。もっともやっているのがこのメンツだからして、ビバップやブルースといったところで、その実はひとたび暴走すると再現がなくなる「限りなくフリーインプロに近い音楽」という感じではあるのだが....。まぁ、その良い例がラストの「枯葉」だろう。彼が演奏する同曲はもう何度目かだが、ここではテーマを演奏、そのままかなり激情的なインプロに突入し、テーマが回帰すると、途切れなく8分以上に渡るフリーインプロにになっいくのだ。もちろんこれで悪くないのだが、この曲のラストから末広がりにプラスされた彼らのインプロというのは、得てしてジャズ・ロック風な8ビートだったり、ラテン風なリズムによっていたりと、ちょっと毛色の変わったパターンで延々とやることが多く、あんまり続くと「もうごちそうさま」といった気分になってしまう。

 という訳で、このアルバム、結局良かったのは「My Funny Valentine」や「Someday My Prince Will Come」といったパラード作品だ。どちらも彼らとしては何度目かの演奏になるし、そもそも選曲そのものがガチすぎるきらいはあるが、この2曲は初期の彼らにみられたヨーロッパ的、思索的な音楽を多少思い出したような演奏で、特に11分にも及ぶ前者は「My Funny Valentine」という、あまりにも有名な曲をインスパイアされ、多彩なフレーズと高いテンションでもって、実に美しい音楽になっている。あぁ、そうか、先ほどこのアルバムを聴いたことについて「特に理由もなさそうだが」と書いたけれど、昨晩聴いたチャーラップの「My Funny Valentine」に感心して、キース・ジャレットの同曲の演奏はどんなだっただろう....などと考えたこと思い出した。このアルバムを聴いた理由は、「My Funny Valentine」だったのである。
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ニューヨーク・トリオ/君はすてき

2009年12月29日 23時56分12秒 | JAZZ-Piano Trio
 「Live at the Village Vanguard」の翌年、つまり昨年の作品である。こちらはヴィーナスから出ているので、チャーラップ、レオンハート、スチュアートによるニューヨーク・トリオ名義となる。今回の作品は、もう何度目かになるお得意のソングブック・シリーズで、今回はリチャード・ロジャースの作品を取り上げている。チャーラップはこれまでバーンスタイン、エリントン、ガーシュウィン、ポーターとこのアメリカの大作曲のスタンダードを中心とするシリーズを延々と続けてきたが、単発では彼の作品を何度も取り上げてはいるものの、リチャード・ロジャースの作品集は、そういえば未だだったのか....という感が強い。なにしろリチャード・ロジャースの作品はコール・ポーターのようにひねったところがなく、素直で愛らしいメロディと軽妙な都会的センスが特徴な訳で、こうした特徴はまさにチャーラップの資質にぴったりと一致するように感じるからである。

 セレクションされた曲では、2曲目の「マイ・ファニー・バレンタイン」が印象に残る。なにしろ耳タコの名曲だし、このトリオ自身も「夜のブルース」で既にレコーディング済みであったりするのだが、だからこそというべきなのか、この「またコレですかい」といわれかねないところを、チャーラップは冒頭3分近くをかつての名演「いそしぎ」を思わせる静謐な美しさをもったピアノ・ソロで演奏し、その後、お得意の「遅い曲をもっと遅く」のパターンで演奏してみせる。1回目のレコーディングでは、この曲をミディアム・テンポでちょっと明るく演奏したが、今回のはその演奏の力のいれようからして、これぞ本番といったところだろう。名演だと思う。他の曲は比較的渋めの選曲だが、どの曲もかなりクウォリティの高い演奏だ。3曲目の「時さえ忘れて」はこのトリオらしい、ごりごりとした個性のぶつかり合いが楽しめるスウィンギーな演奏、一方、4曲目の「いつかどこかで」もミディアム・テンポで、ほどよく軽快、ほどよくしっとりしたシックな演奏になっていて、なかなか味わい深い演奏になっている。他もパラード・タイプの5曲目「息もつまって」や10曲目「一度彼女をみてごらん」などを始めとして、おしなべて演奏のクウォリティは総じて高い。

 以前のアルバムでは非常に出来の良いパフォーマンスと、やとわれ仕事的な安全運転の演奏の落差が大きいような気がしたが、このアルバムではそろそろこのトリオも例の「ミスマッチング的なスリルやおもしろさ」から、チャーラップのレギュラー・トリオに迫る阿吽の境地というか、一体感のようなものが出てきたところから感じられ(7曲目の「ミス・ジョーンズに会ったかい?」などレギュラー・トリオのコンセプトがこちらに浸食してきているように感じられる)、音楽的なクウォリティがぐっと向上したように感じられるのだ。レコーディング用の臨時編成だったこのトリオも、結成して10年近く経過したこともあり、さすがに熟成の時期を迎えたというところだと思う。この編成でライブをしているのかどうかは知らないが(おそらくしてないだろう)、レギュラー・トリオがライブは傑作だったし、そろそろこちらのトリオでもライブ盤など出してもいいのではないだろうか。そんなことを感じさせる良い出来のアルバムだ。
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エンリコ・ピエラヌンツィ/プレイ・モリコーネ2

2009年12月19日 13時36分41秒 | JAZZ-Piano Trio
 当ブログにも大分前にレビュウした、エンニオ・モリコーネのカバー集の続編である。正編の翌年(2002年)に早々とリリースされているところを見ると、きっと好評だったのだろう。私も早々と購入したはいいが、もう何年も放置されたままになっていた。ところで、私がこれを購入した2005年頃の日本はというと、ビエラヌンツィ、ティエリー・ラング、ジョバンニ・ミラバッシ、ヨス・ヴァン・ビースト、トルド・グスタフセンといったヨーロッパ系のジャズ・ピアノが一種のバブル状態にあって、かなりの数リリースされていたように思う。もともとこの手の音楽に弱い私は、次から次へ出てくるこの手のアルバムの存在を知り、かなり枚数のアルバムを購入したものだった。なにしろ当ブログも、そもそもの始まりは、2005年の1月にこうした音楽を沢山聴いていて、次にピエラヌンツィの「メレディーズ」を取り上げたことにあったりしたのだった。あれから5年、このブームは(というほどのものでもなかった?)、今はどうなっているのだろうか。

 さて、本作だが相変わらず私自身がモリコーネの曲そのものをあまり知らないので、アレンジや選曲のセンスといった点を云々できないのがつらい。布陣はピエラヌンツィにマーク・ジョンソンとジョーイ・バロンというレギュラー・メンバーともいえる面々だから、演奏は非常に安定感があるし、ピエラヌンツィ自身もモリコーネの曲だからといって、特にいつも違ったことをしている訳ではないから、特にモリコーネを意識せずとも、ヨーロッパ系のピアノ・トリオ作品として十分楽しめる内容になっていると思う。1曲目の「シシリアン」はかなり有名な曲で、さすがに私も聴き覚えがある。イタリアっぽいドメスティックな旋律を、例によって徐々に解体していくピエラヌンツィ・ワールドであるし、2曲目の「ザ・ニンフ~ダーク・サンライズ・オブ・ラヴ」はビル・エヴァンス風なスロー・バラード、3曲目の「ゼロの世代~きみを想って」はアップ・テンポでシャープにスウィングする演奏という訳で、冒頭の3曲でほぼピエラヌンツィの個性が全面的に開陳されていると思う。ちなみに5曲目「ネクスト・ナイト」、10曲目のタイトル・トラックはピエラヌンツィのオリジナルで、これはいつも通りのピエラヌンツィのセンスとペースで押し切った、シャープな透明感とちょっとひりひりしたようなメランコリーが横溢する作品だ。

 個人的には、曲としてはミディアム・テンポで軽快にスウィングする4曲目「ゼロの世代~ジーズ・トゥエンティ・イヤーズ・オブ・マイン」が良かったかな。この曲、アストラッド・ジルベルトの名作「いそぎぎ」のラストに入っていた「ファニー・ワールド」そのもので、「へぇ、あれモリコーネの曲だったのねー」と思わずニタニタしてしまった。後半の4バース・チェンジからフリーがかった展開に雪崩れ込んでいくあたりもこのトリオは実に余裕綽々で実に洒落ている。ついでに8曲目の「ザ・ニンフ~プロミス・オブ・ラヴ 」は軽いボサノバ調、こういうのも楽しいものだ。あと、6曲目の「夜ごとの夢~イタリア幻想譚」9曲目の「イル・プラート」といった作品では、テーマはモリコーネ、途中からピエラヌンツィのオリジナルへとメドレーで繋げていく構成をとり、演奏そのものもモリコーネの作品を時に自然に、時に強引に彼自身の世界に引き寄せているのがおもしろい。
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BILL CHARLAP Trio / Live at the Village Vanguard

2009年12月09日 23時59分28秒 | JAZZ-Piano Trio
 一昨年出たビル・チャーラップのレギュラー・トリオによる目下の最新作、しかもヴィレッジ・ヴァンガードでのライブ盤である。ジャケットは斜め前方からピアノを弾いているチャーラップを、ブラウンを基調としたトーンで渋く捉えたもので、いかにもジャズ的な気取りとカッコ良さを感じさせるものになっている。まぁ、これだけのいいお膳立てがそろっていると、なんだか聴く前から「これは名盤です」的なオーラを感じてしまうくらいだが(笑)、実際聴いてみると、これが期待どおりの素晴らしい内容になっている。お世辞でもなんでもなく、「ひょっとして、これチャーラップの最高傑作?」などと思ってしまったくらいだ。
 いや、ジャズに関しては若年寄なチャーラップだからして、本作もライブだからといって、特段エキサイトしてみたり、長大なインプロを展開してみたりという訳ではない。表向きはいつも通り、渋い選曲で、落ち着きすぎるほど落ち着き払った演奏に終始しているといってもいい。だが、ライブ・レコーディングという環境が作用したのだろうか、いつもよりほんの少しトリオ全体の緊張感が高く、曲毎の緩急の差もいくらか大きくとっているのが、実にいいムードを醸しだしているのである。

 1曲目の「Rocker」はこのトリオ初期の「All Through The Night」を思わせる(ちなみにこの演奏は私がチャーラップに惚れ込んだ最初の演奏でもある)、端正なスポーティーさと豪快なスウィング感をブレンドしたアップ・テンポの作品で、このトリオのもっともベーシックな良さをまずは楽しませてくれるし、続く「ニューヨークの秋」はビアノ・ソロに続いて、これまた彼ららしい「普通よりかなり遅いバラード演奏」を展開、弛緩するすれすれのところで手綱がしまっているのは、このトリオらしい律儀さ、端正さがあって思わず聴き惚れてしまう(両ワシントンのリズムがなんともシックだ)。
 数年前はチャーラップといえば、良くドライブするアップテンポの作品にばかり耳がいってしまったものだが、改めて聴くとこの手のスローバラードにある、ぽってりとした温度感のようなものが、やけに魅力的だ(自分も歳をとったというとこか-笑)。この曲などお馴染みの曲ということもあって、このアルバムでそうした魅力を感じる最たるものといえそうだ。うーん、実にいい。4曲目の「Lady Is a Tramp」もよくスウィングした演奏だが、ここでは原曲の崩し方がいかにもチャーラップらしく洒落ていていいし、彼らにしては多少羽目を外したような自由度の高いインプロ(ケニー・ワシントンのベースがいつになく遊んでいる)もライブらしい。

 「It's Only a Paper Moon」「My Shining Hour」は、ヴィーナスに残したこのトリオ唯一のアルバム「スワンダフル」でも演奏していたもの。前者はほぼあの時の同じ趣向で、後者はあれをさらに極限まで速くしたような、実にスポーティー極まりない演奏になっている。 7曲目の「All Across the City」は、少しビル・エヴァンスを思わせる詩的なバラード演奏でじっくりと聴かせてくれる。8曲目の「While We're Young」はラテンのリズムをデフォルメしたおもしろい演奏で、チャーラップがごく初期の頃に見せていた、音楽主義的な実験精神が見え隠れしている感じだ。ラストの「Last Night When We Were Young」は再び「普通よりかなり遅いバラード演奏」で締めくくる。
 という訳で、前作の「プレイス・ガーシュウィン」が多少他流試合だったようなところがあったのに比べると、こちらは久々にトリオ・スタイルによる正統派のチャーラップを見せた傑作といえるかもしれない。前々作のバーンスタイン集がちと地味だっただけに、なおさらである。ちなみに録音はライブとは思えないほど整ったバランスだ。スタジオに比べるとほんの少しレンジが狭いように思えないでもないが、拍手以外の会場ノイズは僅少、SN比もよく、ぱっと聴きスタジオ録音と思えるほどだ。
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ビル・チャーラップ・プレイズ・G.ガーシュウィン

2009年11月30日 00時31分00秒 | JAZZ-Piano Trio
 こちらはブルーノートでビル・チャーラップ名義、つまれピターワシントンとケニー・ワシントンと組んだレギュラー・トリオによる作品である。先日、書いた「チャーラップの盤歴」のとこからも分かるとおり、時期的にはニューヨーク・トリオ名義の「ビギン・ザ・ビギン」「星のきざはし」と同じ頃の製作ということになるし、母親であるサンディ・スチュアートと組んだアルバムもこの年だから、チャーラップにとって2005年はかなり多作だったということになる。このアルバムだが、内容的にはタイトルからも分かるとおり、ガーシュウィン集である。前作がバーンスタイン、その前がカーマイケルだから、こちらのレーベルでの作曲家シリーズは既に三作目ということになるが、今回はカーマイケル集の時の同じように何人かのゲストを迎えて、フォーマット的にはピアノ・トリオに限定しない、ヴァラエティに富んだ内容になっている。

レギュラーのピアノ・トリオだけの演奏は、1曲目「フー・ケアズ」、3曲目「ライザ」、7曲目「アイ・ワズ・ソー・ヤング....」、そしてラスト「スーン」の4曲のみ(しかもどれも3分程度と短い)。残り6曲はフィル・ウッズ(as)、フランク・ウェス(ts)、スライド・ハンプトン(tb)、ニコラス・ペイトン(tp)を加えた、オーソドックスなコンボスタイルの演奏だから、本作のメインはどう考えてもこっちの演奏である。
 2曲目の「サムバディ・ラヴズ・ミー」は、いきなり四管でテーマが演奏されるから、一瞬ぎょっとするが、四管でやるのはほぼテーマの部分だけ、あとはピアノ・トリオ+ソロのスタイル演奏されていくから、それほどゴテゴテ、ギラギラしている訳ではない。基本、非常に趣味のいいスタティックで洒落たジャズである。さすがチャーラップのセンスを感じさせる。「ハウ・ロング・ハズ・ジス・ビーン・ゴーイング・オン」はニューヨーク・トリオの方でもやっている曲で、ここではフランク・ウェスの渋いテナーをフィーチャーしているが、スロー・バラード風な解釈は基本同じような感じだが、さすがにテナー・サックスでこうじっくりと歌われると、そのムーディーさも格別という感じだ。

 6曲目の「霧の日」は9分の長尺演奏で、やはり四管でテーマが奏でられる。本作の中では次の「スワンダフル」と並ぶ有名曲だが、チャーラップらしい「遅い曲はより遅く」の傾向がよく出たアレンジだ。ソロはチャーラップを長いソロを筆頭に、ゲスト陣も順繰りにとっていくが、この遅いテンポとブルージーなムードがなんともいえない上質なムードを醸し出している。7曲目の「スワンダフル」はピアノでヴァースを演奏した後、いきなりアドリブに突入する意外なパターンで進行、この曲はこのトリオで同名アルバム(ヴィーナス)があるくらいだから、やや絡め手で再演したというところだろうか。アルバム中もっともインプロヴァイズした演奏だ。
 8曲目の「ベス,ユー・イズ・マイ・ウーマン・ナウ」はフィル・ウッズをフィーチャーしたワンホーン・カルテット・スタイル。これもかなり遅いムーディーな演奏で、フィル・ウッズは後半などさすがの貫禄をみせる。9曲目の「ナイス・ワーク・イフ・ユー・キャン・ゲット・イット」は、2曲目の「サムバディ・ラヴズ・ミー」と同様、スウィンギーで軽快な演奏で、ジャム風にソロを回していくのが楽しい。

 という訳で、チャーラップのピアノについては、ニューヨーク・トリオでもたっぷり聴けるし、こういうバックに回ったスタイルでの演奏も悪くない。ただ、まぁ、いかにも日本人向けに製作されたニューヨーク・トリオでの演奏に比べると、選曲にせよ、演奏にせよ、格段にハイブロウというか、渋い内容であるのは確かだ。なにしろ、ガーシュウィンといっても、例えば「サマー・タイム」、「アイ・ラブズ・ユー・ポーギー」といった有名どころは出てこないし、酸いも甘いもかみ分けた....みたいな、全く声を荒立てない落ち着き払った演奏は、じっくりと聴けばその良さはひとしおだが、さらっと聴いたのでは凡庸でありきたりなジャズに聴こえかねない....まぁ、そういうかなり通向きな音楽になっている。同じビル・チャーラップでも、彼に何を求めるかでここまで音楽が違ってしまうのは、音楽の妙というべきだろう。アメリカ人と日本人の考えるジャズというものが、微妙に違うことも改めて認識させられる。
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