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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

FFXI <ナ61,戦50,暗40,忍37, 白25,黒25, 狩24, シ24, モ10 >

2005年12月31日 23時57分44秒 | GAME
 師走ともなると私のような者でもそれなりに忙しい。ここ数日、ゲームに割ける時間はさすがに減り気味で、今週はほぼ一日置きくらいしかプレイできなかった。ひとつのレベルに滞留する時間が長くなったので、依然として狩り場は慟哭の谷とかクフタルばかりである。欲を出して今年中になんとかレベル62に出来ないものかと、大晦日だというのに夕方からパーティーに参加したが、ビビキまで遠路はるばるチョコボで30分もかけ到着し、30分ほど戦い、勢いにのってきたところで、MP切れで自己回復できなくなった私が鳥に大打撃を受け戦闘不能、衰弱からの回復を待っているとMAの黒さんがぷいとパーティーを離脱し、結局、1000ポイントしか稼げないままパーティーは解散。まぁ、仕方ない。

 という訳で、5月のゴールデンウィーク明けに始めたこのゲームだが、約8ヶ月かかって、プレイしたジョブそれぞれナイト61,戦士50,暗黒騎士40,忍者37, 白魔導士&黒魔導士25, 狩人&シーフ24, モンク10で、ランクは6ということになった。ついでだからと先ほど、年越しそばを食い終わったところで、ゲームを再開、パーティーに参加する気力(待つ忍耐というべきか-笑)はなかったので、ひとりで限界突破4を世界各地を歩いてなんとか終わらせた。時計をみたら時刻は23時45分。これが年内最後のFFと相成った。
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ドボルザーク交響曲第9番「新世界」/フリッチャイ&BPO

2005年12月31日 18時44分19秒 | クラシック(一般)
 という訳でフリッチャイの「新世界」の話。フリッチャイはハンガリー出身の指揮者で、彼が活躍した50年代後半から60年代にかけては、将来をかなり嘱望された中堅指揮者だったが、63年に49歳という若さで他界したため、一種の「夭折伝説」みたいなものがまとわりつく人でもある。幸いにグラムフォンにステレオも含めいくつかの録音が残っているが、病魔に冒された晩年を称して「音楽はもちろん、容姿までフルトヴェングラーみたいだった」みたいにいう人すらあって、晩年の録音は気宇壮大なスケールで繰り広げる主情的というかロマン派的演奏の極致みたいなものが多い。彼は「新世界」をグラムフォンに2種類残しているが、ステレオ録音の方はこの晩年の演奏にあたる。

 さて、数ある「新世界」で私がもっとも愛好するのが、実はフリッチャイとベルリン・フィルによるこのステレオ録音なのである。私は毎年、年末になると昨日取り上げたいくつかの演奏をあれこれと聴くことが多いが、実はその都度、この演奏が懐かしくなってしまい、結局はこれ戻ってきてしまうという、まさにエバー・グリーン的な演奏でもあるのだ。

 演奏の特徴は前述のそれがあてはまる、とつてもなく巨大なスケールでうねるように進む演奏であり、音楽的なたたずまいはまさにフルトヴェングラー的といっても過言ではないものだ。悠々迫らざるテンポで進む第1楽章はことに歌謡的な第二主題の遅さに起因するのか、その濃厚な歌い回しは異様なほどだが、ここぞという時の金管の咆哮はホットだし、終始緊張感が持続しているあたり極めて説得力がある。
 第2楽章も同様に遅く、あまりにも有名な例の旋律をこれ以上ないくらいじっくりと歌い込み、トラディショナルというよりむしろ聖歌のように荘厳に演奏しているし、中間部では旋律の背後で聴こえる弦のトレモロが、まるで交響詩の如きドラマを性を感じさせるのもまた印象的だ。

 フリッチャイがハンガリーの指揮者であることを感じさせるのがこの第3楽章か、やはりテンポは遅いがその鋭角的で、容赦なくたたきつけるようなシャープなリズムは、やはり明らかに大戦後のハンガリーから続出した指揮者に共通するのもの。この演奏はある面極めてフルトヴェングラー的ではあるが、こうしたモダンな側面が共存しているから、けっして古めかしくならないのだ。
 第4楽章は、全楽章中もっとも巨大なスケールで演奏された、まさにしく全楽章中の白眉ともいえる演奏となっている。第二主題あたりが徐々に熱気をはらみ、後半ではコーダに向かって、居並ぶ大木をなぎ倒して進んでいくような骨太な推進力には聴いていて思わず胸が熱くなるほどだ。

 という訳で、今年もやはり「新世界」の締めはこの演奏だった訳だが、一応モノラル盤の方について少しだけ書いておくと。スケール感や濃厚な歌という点ではステレオ盤に大分劣るが、インテンなリズムをベースに、熱気をはらんだ一気呵成に演奏という点では、やはりフリッチャイとしかいいようがないものを感じさせる....といったところだろうか。
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年末の第9といえば「新世界」?

2005年12月30日 22時30分48秒 | クラシック(一般)
 年末で「第9」とくれば、いうまでもなくベートーベンの交響曲第9番「合唱」のことだが、個人的には年末聴きたくなる「第9」は、もうここ20年くらいドホルザークの交響曲第9番「新世界」の方だ。どうしてそうなってしまったのか、今ではよく覚えていないだけれど、かの曲に横溢する望郷の念だとか、後半の切迫感だとかが、帰郷ラッシュを迎える今の時期に妙にシンクロしているのかもしれない....など思ったりもするのだけれど、これは多分後付けの理屈だろう。ともかく、年末に聴きたくなる「第9」は自分にとっては「新世界」なのである。
 で、この「新世界」だが、数日前にCD棚を探したところ、セル、クーベリック、カラヤン、フリッチャイ2種(ステレオ&モノラル)、ケルテス、小澤の7種類が出てきた。ここ数日、あれこれとっかえ聴いている最中なのだが、きわめてポピュラーな曲だけあって、おもしろいように指揮者の個性が出てくるので、聴き比べはなかなか痛快だ。少しだけメモしてみたい。

 この中で一番オーソドックスなのはやっぱお国柄かクーベリックだと思う。旋律の歌い方もごく自然だし、テンポやバランスもスタンダードでとにかく安心して聴けるという感じ。ケルテスはハンガリー流に鋭いアクセントのリズムと若々しい表情がマッチしたフレッシュな演奏。カラヤンのは70年代のEMI盤だが、当時のカラヤンらしい気味悪いくらいに滑らかでスムース、そしてドイツ的に重厚な仕上がり。セルはSACD盤で引き締まったアンサンブルとベタベタしない禁欲的な歌い回しがいかもセル&クリープランドらしい。最初聴いた時は「ここまで引き締めちゃう息がつまりそう」などと思ったものだが、久しぶりに聴いたら、これはこれでありかなと思った。なにも演歌の如く歌うばかりがドボルザークって訳でもあるまいし。小澤はセルをさらにリフレッシュしたようなさっぱりあっさりした演奏という感じだ。フリッチャイの2種については個人的に「新世界」の決定版という評価がこのところ続いているのだが、これについては2005年オーラスの明日にでも、暇があったら書いてみたい。


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はがきスタジオ 2006

2005年12月29日 23時17分12秒 | PC+AUDIO
 師走になると頭を悩ますのが年賀状という代物。僕は子供の頃から年末に忙しい時期に年賀状をつくる習慣というのがなんとも納得できなくて、「年賀状って、本来、正月のゆったりとした気分の中で、遠方の人に思いを馳せつつ、筆をたしなめるもんでしょう?」などと毎年、マジで思ったりもするのである。きっと大昔は本当にそういうもんだったのかもしれないが、本当に正月にゆっくりするために、こういう作業を前倒しするようになったのは、いったいいつ頃からなんだろうか。

 さて、毛筆はいわずもがなで、鉛筆、ボールペン、万年筆、サインペンとほとんどオールラウンドに字がへたくそな私にとっては、20年前に登場したワープロというハード(ソフトか-笑)は天の恵みのような代物だったが、10年前くらいからぼちぼち登場しはじめたあまたのハガキ作成ソフトというのも、とてもありがたいものだった。住所録から文面管理まで専用ソフトで一元管理できるのはとても便利であり、毎年この時期になると欠かさず使ってはいる。ただ、その便利さ故にこの10年間年に一度は必ず使ってはいるものの、どうも満足できるものに出会っていないというのが正直なところだ。とにかく、レイアウト画面の管理とにしても、住所録の機能にしてもほとんど痒いところに手が届かないという感じなのである。
 これがほとんど毎日欠かさずに使うというのなら、こちらが馴れてしまうという手もあるのだが、ハガキ作成ソフトの場合、概ね年末年始の各一週間くらいしか毎年使わないから、体で覚えてしまうというところまでいかないのが切ないところではある。毎年そうなのだが、「あぁ、あと一週間もつかえば、かなり習熟できるな」というところで終わってしまう。そしてその約1年後には、「えっと、あれはどうするんだっけ?」と思いながら、年末年始を過ごし、再び同じことを考える至るという訳なのだ。

 で、このハガキ作成ソフトだが、私は長年Macユーザーだったので「宛名職人」というソフトを長いこと使っていたのだが、ここ数年Windowsに切り替えてから「筆まめ」だの「筆王」といったソフトも使ってみたが、機能満載なのはわかるが、機能をあとから追加してインターフェイスがやたらゴテゴテしていて、何がどこにあるのかさっぱりわからないし、動作が遅いのに閉口して、すぐに放り投げてしまった。仕方ないので、ここ数年はWindows版の「宛名職人」を使ったりしていたのだが、これも前記のような理由で決して満足していた訳ではない。そんな折、ひょんなきっかけで昨年末に使いはじめたのが、マイクロソフト社製の「はがきスタジオ2005」というソフトであった。マイクロソフト社ということで、機能てんこ盛りでコテコテなソフトだろうと思っていたのだが、これが予想以上によかったのである。後発だけあって、相当に研究したのだろう。年賀状に必要と思われる機能を拡張していくのではなく、思い切って絞り込んでユーザーを混乱させないように配慮している点がまずは好感がもてたし、レイアウトした画面をいちいち保存することなく、下のペインに並べで、すぐに印刷画面ですぐにプリントアウトきるようになっている点なども、「おぉ、これだこれだ」という感じで膝をうった。また、毎日使っているWordやEXCEL等にそれなりに近づけたインターフェイスというのも馴染みやすいのである(もう少しMS Office同等なインターフェイスならもっと良いが)。

 そんな訳で、今年も年賀状作りは「はがきスタジオ2006」でやった。今回のバージョンは、マジカル・ウィザードというのが売りらしいが、個人的にはこんなものどうでもよく、ひたすら洗練されたシンプルさを追求している点がうれしい。とりあえず60枚ほど作ってみたが、ほとんど悩まずに必要な機能にアクセスできる点はなかなかのものだし、動作もそこそこ軽快で、ストレスなく作業できた。うーむ、あくまでも個人的には....だが、「はがきスタジオ」というソフト、ハガキ作成ソフトのベストである。
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RETURN TO FOREVER / No Mystery

2005年12月28日 13時54分49秒 | JAZZ-Fusion
 前作と同じメンツによる75年発表の第5作、音楽的は当然前作の延長線上だが、こちらはかなりポップさを増しているように感じる。いや、ポップというよりこのアルバムの場合、ファンキーというべきだろう。アルバムにはコリアはもちろんだが、クラーク、ディ・メオラ、ホワイトとそれぞれのメンバーが持ち込んだおぼしき作品が収録されているけれど、どれもしめしあわせたようにリズム・パターンがファンキーなのである。

 これはどういうことなのかというと、要するに前作でRTFの音楽は完成してしまったということなのだろう。つまり本作はRTF・アラ・ファンキーという応用編なのだ。チック・コリアという人の音楽は往々にしてスタイルの開発、その路線を複雑化したり、ポップ化したりして、しばし展開すると、そのプロジェクトはほどなく終了という道筋をたどることが多いのだけれど、このアルバムはおそらくその「ポップ化」にあたるのではないだろうか。

 ただし、タイトル曲である「ノー・ミステリー」はどちらかといえば、平行して行っていたソロ・プロジェクトに近い感触。オーラスの「セレブレイション組曲」は次作で挑む音楽主義的な大作の伏線であると同時に、にじみ出るやはりスペイン情緒からしてやはりソロ・プロジェクト的作品だ。
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RETURN TO FOREVER / Where Have I Know You Before

2005年12月27日 13時56分54秒 | JAZZ-Fusion
 コナーズに代わってギターがディ・メオラにチェンジしたRTFの74年の第4作、邦題は確か「銀河の輝映」。音楽的にはほぼ前作路線の、ロック的なアグレッシブなパワー感、シャープでスピーディーな展開、ゴリゴリしたテクニカルさが前面に出したもので、1~2作目あたりに濃厚だった浮遊感だとか詩情みたいなものを重視した音楽とはほぼ完璧に決別した内容となっている。

 旧A面は、スタンタリー・クラーク作の名曲「ヴァルカン・ワールズ」とレニー・ホワイト作なる「ザ・シャドウ・オブ・LO」をフィーチャー。前者はとにかくスピード感あふれるめまぐるしい展開とコリアのフリーキーなシンセ・ソロが印象的でこのアルバムを象徴するような仕上がり。後者は様々な要素を取り込んだ複雑な構成、ディ・メオラの俊敏なギターも動き回る。
 一方、旧B面はチック・コリアが仕切ったようで、スペイン情緒とスペイシーなムード、そしてバルトーク的なゴリゴリ感が奇妙混在した曲が並ぶ。オーラスの「ソング・トゥ・ザ・ファロア・キングズ」は序盤にコリアが弾く幾重にもオーバー・ダビングされたシンセ・オーケストレーションとでも呼びたいようなサウンドがフィーチャーされ、中間部以降は複雑なキメを多用しつつ山あり谷ありで展開していく、15分近い大作だ。

 という訳で、きちんと聴いたのは実はこれが初めてなんだけど、総体的な印象としてはディ・メオラが以外と地味ということと「ヴァルカン・ワールズ」でぶっとばしたはいいが、それ以降はどの曲も今一歩決めてに欠く....というところか。
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FFXI <ナ60,戦50,暗40,忍37, 白25,黒25, 狩24, シ24, モ10 >

2005年12月26日 01時12分47秒 | GAME
 AF取りやらなんやらでレベル上げを足踏みしていたところ、定期的に誘ってもらっていたグループに取り残されてしまった。そうなると、地道に球出しは続けているものの、お座敷がかかるの外人さんのパーティーくらいで、あとは職にあぶれてちまちまと素材狩りなどしていることの多い一週間だった。それでもなんとか拾ってもらって参加したパーティーでは慟哭の谷のラプトゥル、ヒビキの鳥、アットワのトンボ&トカゲあたりがターゲットとなった。なにしろ経験値が大量に必要なので、23日にはなんとかLv60に到達したものの、Lv61には500TNLまで迫ったところでパーティーは解散、以前に比べればレベル上げのペースは緩慢そのものだ。

 ついでだが、このくらいのレベルになるとどこも狩り場がやたらと遠く、モンスターがリンクしやすいエリアをインビシやスニークなどでやり過ごして移動することになるので、目的地に達するまで実に良く死ぬ。大体パターンはこうだ。エリアの境界あたりでインスニかけてもらって透明化(あるいは無音化)、最初はリーダーなりベテランさんなりについていくのだが、途中で魔法が切れ薬品を使って再び透明化~先頭に見失う~地図で調べる~迷う~再び薬品切れ~モンスターの一群のどまんなか~薬品使うの間に合わず~リンク発生~頓死....である。土地勘の悪さに加えて万事慎重さに欠く性格が災いしているんだろうが、こうも毎日死んでいるとさすがに自分を呪う(笑)。

 一方、クエ&ミッション関係では同じ23日の夜半から今度は懸案の限界3に挑戦した。かのクエはソロでも可能ということだったので、討ち死に覚悟で特攻という意気込みで始めてみた。まず、ダボイは深紅のオーブ取りから開始して紋章まで楽勝でクリア。ならば次もという気になって、ラテーヌ(召還士ジョブ獲得)経由でベドーに趣く。例の十字路付近に行くのにすっかり迷子になってしまったところ、突然LSメンのシーフさん登場してナビゲータよろしく目的地へ直行。おまけに先行したグループが何匹かのモンスターを逆方向へ引っ張った直後だったので、中はがらんどう状態。これまた超楽勝でクリア。あまりにうまくいったので、最後のオズまでやってしまうということなり、勇躍してオズ城へ趣くが、ここではいくつかのトラブルが重なり、LSメンが更にふたり増強され、結局ソロどころか、いつも通りLSメン動員となってしまったのが情けない。ともあれ、これも深夜にはクリア。

 更に25日夜半にはLSメン大量動員でミッション5-2闇王討伐を決行。あっという間にクリアしてランク6になった。というわけで、レベルはほとんど上がらなかったけれど、クエ&ミッション花盛りの一週間だった。なにしろ秋くらいから年内にAF装備+Lv60達成を目標としてきたので、なんとか間に合ったという感じか。単純にうれしい。
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ザ・マンハッタン・トランスファー/アカペラ・クリスマス

2005年12月25日 14時25分02秒 | JAZZ
 こちらは、マントラの最新クリスマス・アルバム。売りは10曲全てがアカペラで全編構成されているというところ。マントラのアカペラといえば、かつて「バークレー・スクェアのナイチンゲール」という、壮絶なまでに美しい名唱があったけれど、あの作品あたりを念頭において企画されたのかどうかは知らないけれど、購入する方は当然ああいった雰囲気を期待して購入してくるのではないか。まぁ、少なくとも僕はそうだ。

 しかし、実際聴いてみると、このアルバム、前述の「バークレー・スクェアのナイチンゲール」のような緊張感はそれほどでもない。よくいうと、落ち着いた雰囲気が強く、悪く云えば音楽がかなり枯れているという感じだ。もちろん、アカペラでマントラだらして、ハーモニーやアンサンブルのテクニックは相変わらず水際だったものがあるし、随所にマントラらしい冴えたところも聴かせてくれるのだが、選曲は渋いし、全体にクリスマスらしい華がないような気がもするのだ。曲としては「アイル・ビー・ホーム・フォー・クリスマス」が、一番、「バークレー・スクェアのナイチンゲール」の時の近い雰囲気だったかな。ヴァースから歌う「ホワイト・クリスマス」も同様だが、打ち込みリズムがちょいとジャマにに感じた。最近のアカペラのアルバムというと必ずこの手の打ち込みが登場するけれど、マントラならばこんなリズムなどいるまい....と思わないでもない。

 ちなみこのアルバム、日本で企画されたアルバムらしく、目下発売も日本のみだそうである。マントラってこういうテラークから出してみたり、なんか最近レーベルが落ち着かないような気がする。各メンバーの活動の基本がソロになってしまい、バンド活動はたまの楽しみ....みたいなパターンって、近年はよくあるけれど、マントラもひょっとするとそうなのかもしれんなぁ。
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DIANA KRALL / Christmas Songs

2005年12月24日 23時33分30秒 | JAZZ
 ダイアナ・クラールが先頃リリースしたばかりのクリスマス・アルバム。こちらはミニ・アルバムではなくて、ワールドワイド向けの全12曲収録のフル・アルバムだ。編曲は彼女のライブでお馴染みのジェフ・ハミルトンとジョン・クレイトンで、ビッグ・バンドというかジャズ・オーケストラがフィーチャーされている。昨日、レビュウしたミニ・アルバムはジョニー・マンデルがオケをアレンジしたので、どちらかといえばポピュラー・ミュージック的な色彩もあったけれど、こちらはビッグ・バンドを拡大しての編成だから、まぁ「豪勢な音」という意味では共通しているとしても、より即興性を重視したジャジーな趣が強い。ある意味ライブ盤的ですらある。

 曲はお馴染みのものがずらりと並んでいて、ミニアルバムの3曲も全て再演している。僕の好きな「Have Yourself A Merry Little Christmas」、「The Christmas Song」、「Christmas Time Is Here」もしっかり入っているので、個人的にもポイント高い。ちなみに「The Christmas Song」はジェフ・ハミルトン、ジョン・クレイトンらギターのアンソニー・ウィルスンを加えた、ライブ・ステージそのままのフォーマットによる演奏で、まさにステージ・パフォーマンスを彷彿とさせる演奏。「Have Yourself A Merry Little Christmas」と「Christmas Time Is Here」は、多分ジョニー・マンデル編曲によるオーケストラをフィーチャーしている(ひょっとすると、この2曲はミニアルバム収録時の演奏をリミックスしたものかもしれない)。

 といえ訳で、前作がややロック寄りというか、彼女のミュージシャン・エゴを放出したようなアルバムだったので、彼女としては「今回は特別にサービスしちゃいました」ってところだろうか。前述の通りステージのアレンジをそのまま持ち込んだようなアレンジが多いのも、そのあたりを物語っているように感じないでもないが、ともあれ、それでこの仕上がりなのだから恐れ入る。もちろん、彼女のヴォーカルも素敵だし、おそらくこの作品、このあと何年にも渡ってクリスマス・アルバムのスタンダードとして君臨するアルバムになるのは間違いないところだろう。
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ダイアナ・クラール/ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス

2005年12月23日 18時49分51秒 | JAZZ
 ダイアナ・クラールが98年に出したクリスマス・ミニ・アルバム。いわゆるクリスマス・ソングは、「ハヴ・ユアセルフ・ア・メリー・リトル・クリスマス」、「クリスマス・タイム・イズ・ヒア」、「ジングル・ベル」の3曲のみで、他はGRPのクリスマス・トリビュート・アルバムから1曲と、デイブ・グルーシンのヘンリー・マンシーニ・トリビュート・アルバムから2曲の計6曲で、後者の3曲はクリスマスとは関係ないから、聴きどころとしてはやはり前者の3曲ということになる。

 なにしろ「ハヴ・ユアセルフ....」と「クリスマス・タイム・イズ・ヒア」といえば、私が最も愛好するクリスマス・ソングだし、ジョニー・マンデル、アレンジによるオーケストラのアレンジが例によって、優雅かつゴージャス極まりないサウンドだから、とりあえず文句なしといったところ。ダイアナ・クラールというと正直僕は彼女のちょっといがらっぽい声をイマイチ好きになれないところがあったのだが、99年の「ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ」あたりでオヤと思い、オガーマンを起用した「ルック・オブ・ラブ」が決定打になったという感じだったので、おそらく「ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ」に前後して録音であろうこのアルバムの音楽は、とても楽しんできける。安っぽいベルだとかキラキラした音を使わず、淡々とジャズ・スタンダードを歌っているという風情なのが大人だ。久しぶりに聴いたら、なんとなく彼女のヴォーカルももうすっかり馴染んでしまったというところか。
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SANTANA / Caravanserai

2005年12月22日 00時13分30秒 | ROCK-POP
 同じ72年に発表された作品とはいえ、先日レビュウした「Carlos Santana & Buddy Miles Live!」は初期の総決算だったすれば、こちらはサンタナが新しい地平に乗りだした作品ということになると思う。このあたりの変化は、その後のマクラフリンとのコラポレーションになどにも発展するサンタナ自身の真摯な宗教への傾倒みたいなところに由来しているというのは、当時から有名な話だった。音楽的には従来のイケイケなノリがぐっと後退し、叙事詩的スケールが高まり、思索的なムードも併せて濃厚となったということなのだろう。

 虫の音に始まるこの旧A面は、マイルスの「ビッチズ・ブリュウ」を思わせる、やけゆったりとした仮想アフリカ的な空間で、各種インストの切れ切れのフレーズを組み合わせて、なにやら広大な空間を感じさせるサウンドを形成していくあたりは、ほとんどそっくりといってもいい。それ以降「躍動」「宇宙への仰視」といった曲では、徐々に従来のサンタナ・サウンドに近づいていき、旧A面ラストの「宇宙への歓喜」至ってようやくサンタナ的な熱狂が再現されるという構成は、さながらスケールの大きな交響詩でも聴いているようであり、その格調の高さ、構成の見事さは確かに従来とは異質な次元の高さである。
 旧B面は現音風な空間サウンドとラテンパーカッションのコラージュみたいな「融合」、ジョビンの名曲「ストーン・フラワー」、従来型のラテン風味を多少抽象化したような「リズムの架け橋」、ドラマチックに炸裂する名曲「果てしなき道」とヴァリエーションに富んだ楽曲が並ぶ。

 という訳で音楽性や高さやスケール感、威風堂々とした音楽の偉容など、まさに名盤に相応しいたたづまいである。純文学性やシリアスなものを尊ぶ日本人が、この音楽をどこの国よりも高く評価したのは、さりありなんという気しないでもないが、21世紀にもなって、今更サンタナの音楽をクロノジカルに追体験している当方としては、この変化というのは、正直いって「若気の至り」というか、「本当の自分をみつけるための通過儀礼」だったような気がしないでもない。「オレはロック・ミュージシャンじやない、アーティストなんだ」ってところか、まぁ、気負いは分かるけどねぇ、という感じもするのも正直なところ....なんていったら怒られるかな(笑)。
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日本沈没

2005年12月21日 00時00分12秒 | Books
  「日本沈没」を再読した。もう何度目だろうか、多分4回目か5回目くらいになると思う。年をとってくるとやたらと回顧的な想いが強くなってくるせいか、年の瀬も近い昨今、先週末の会社帰りに某中古書店で見つけたのを機会に購入してきて、大晦日までゆっくり読もうなどと考えていたのだか、案の定、読み始めたら一気にひきこまれ、あしげく移動時間などみつけては読みまくり、月曜日には一通り読み負えてしまった。今は印象に残ったところをあちこち読み返しているところだ。

 この小説は僕は一番最初に読んだ「おとなの小説」だったと思う。当時、「日本沈没」というのは大ベストセラーで、10歳上の愚兄が読んでいたものを拝借して読んだのだと思う。小説などロクの読んだこともなかった私が、何故これに限って読む気になったのか、今では覚えていないけれど、多分、単なるベストセラーという枠を超えて社会現象的なまでに話題になっていたということに加え、正月に公開される映画版「日本沈没」を観に行くとかいう、そういう理由もあったと思う。つまり読んだのは32年前の年末だったのだ。

 作品は主人公である小野寺が夏の東京、八重洲口で暑さにうだりながらちょっとした地震に遭遇するところから始まる。物語はそこから田所博士というもうひとりの主人公を絡めて日本海溝の探査に始まり、日本が沈没する予兆を掴んだあたりから、市井の人を捉えたミクロの部分と政治やその他の大局的な視点にたったマクロな部分をテンポ良く切り返しながら、前半には関西、東京大地震を、後半には文字通り日本が沈没のプロセスを配し、一大破局に向かってあれよあれよと言う間に進んでいくが。そのリアルさは今読んでも恐ろしいくらいのがある。膨大な情報を縦横に駆使し、絵空事を迫真のドラマにしてしまうのは小松左京のストリーテーラーぶりはやはりさすがだ。

 ちなみに、今回読んでいておもしろかったのは、1970年代とおぼしき政治状況が今と全く変わっていなこと。野党とのやりとり、大企業との関わり、報道対策など、この部分だけ切り取って読んだら、現代にでも通用してしまいそうなほど、当時から政治というのは閉塞的かつ状況追認的なもので、結局の日本の政治というのは、30年前もからなんにも変わっていない、ひょっとすると明治の頃からそうなんじゃないかと妙に感心してしまったりもした。

 ところでこの小説、続編を執筆中といい続けて、もう何年になるだろうか?。当然テーマは「離散した日本民族がどうなってしまうのか?」ということになのだめうが、スケールとしては本編の比ではないだろうし、書けば書くほど状況などに時代的誤差でてしまっていることも考えられる。近年の写真をみると往時に比べずいぶんと痩せてしまって、今更30年前にかかえた続編に期待するのも酷ではないかとも思ったりもする。いずれにしても小松左京氏の健勝を祈りたい。
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FFXI <ナ59,戦50,暗40,忍37, 白25,黒25, 狩24, シ24, モ10 >

2005年12月20日 00時15分01秒 | GAME
 更に引き続きナイトのレベル上げ、その合間を縫ってAF取りの一週間。レベル上げに関しては前回も固定した通り、前衛がほぼ固定しているため、作戦はほとんど変わらず、狩り場だけをどんどん変えていくという格好で、具体的にはクフタルの骨、テリガン岬のカニ、魚、慟哭の谷のラプトゥルあたりへと進んでいった。
 さて、これらの狩り場での相手は、どれも私から見て「とてもとても強い」相手だったのだが、連続戦闘してチェーン・ボーナスを狙うのも4連戦が限界といった感じあった。なにしろ、自己回復その他でこちらはMPを湯水のように使い、連戦も後半にはほとんどMP枯れ状態で、回復役の後衛さんも盾の回復するのにMPを使い切るという感じになるからだ。これが忍盾のパーティー、しかも前衛三人が全員サポ忍あたりだと、そのあたりの心配はほとんどいらないから、後衛はMPが枯れることもなく連戦を続けられるという訳である。そういえば昨日はナ/忍でアタッカーとして忍盾のパーティーに忍び込むことに成功したけれど、後衛は3人黒で回復は時折り、相手のHPが3~4割になったところ、連携、三人揃ってのMBで一気にとどめを刺すといった格好で連戦に次ぐ連戦状態だった。

 次に合間を見てやっていたのがAF取りだが、もうこれは本当にしんどいかった。なにしろ肝心な作業がひとりでやるのは困難過ぎ、誰かの助けがないとほとんど完遂できないのが致命的だ。残ったものは「ボルグヘルツの失われた魔手」クエと宝箱ふたつだった訳だが、前者はそのクエを戦士で受けてしまうという、泣きたくなるのようなミスをしてしまい。結局、消化すべきクエストがひとつ増えてしまったのも、それに拍車をかけた。
 プロセスとしては外人パーティーに紛れ込んで古墳で鍵取り、その後、ひとりで再度古墳で歩き回り宝箱発見、その後LSメンに助けてもらって、スヴァール城にて「魔の炎」取り(以上は戦士)。
 その後、金曜日にLSメンに再度お願いして、古墳と要塞での鍵取り、土曜日にはジュノでシャウトして、Lv74のモンクさんに同行してもらって古墳で宝箱探し、その後同じくLv75の忍さんに助けてもらってスヴァール城にて「魔の炎」取り(これがナイト)。
 日曜日にはやはりシャウトして、Lv75の赤さんと暗黒さんに同行してもらってベドーで鍵取りと宝箱。その後、再度ジュノでシャウトして4人メンツを集めて要塞で宝箱探しということになる。一体、この間、何人のプレイヤーに頭を下げ、お礼をいい、相手方の手間や迷惑を心苦しく思ったことだろうか。レベル上げやスキル上げの忍耐は楽しんで耐えられる。しかしこういう心苦しさというかフラストレーションは個人的には本当に堪える。何事も短期間にカタをつけたがる自分が悪いことは承知しているのだが、この2~3週間、何故ゲーム如きにこれほどのフラストレーションを抱えなければいかんのか?と思ったことは数知れずである。現在はジョブをカンストしている人たちは、みなこうした苦労をしているか?とある意味敬服してしまうほどだ。

 とはいえ、日曜の午前にはめでたくがAF揃い、あとはLv60になるのを待つだけだけとなった。久しぶりに気分爽快である。しかし....、しかしだ、Lv60といったら、次は限界突破3をやらねばいけないのではないか。あぁ。(笑)
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マンハッタン・トランスファー/クリスマス・アルバム(SACD)

2005年12月19日 22時51分08秒 | JAZZ
 こちらは昨日レビュウしたリッツのクリスマス・アルバムから3年後に発表された本家のクリスマス・アルバムだ。実は僕はこんなアルバムが出ていたことを知らないでいて、昨年の今頃、SACDのカタログをなんとはなしに眺めていて発見し、時節がらタイムリーだったことから購入したのだった。

 で、「マントラがクリスマス・アルバムが作ったらこうなるに違いない」というリッツのアルバムをマントラが聴いていたのかどうかは知らないし、仮に聴いていたとしてもどの程度意識したのかは知る由もないのだけれど、当のマントラが本当のクリスマス・アルバムが作ったら一体どうるのか?といえば、これがリッツとは全然違う仕上がりになったのだから、さすがという他はない。表面的にはバックにジョニー・マンデル編曲によるゴージャズなオーケストラをフィーチャーして、ことのほか落ち着き払った仕上がりなったという点が大きいが、この時期のマントラが時期的にほぼやるべきことやってしまった後の成熟期に差し掛かっていたということもあり、あまりジャンル横断的な試みをガツガツやるというより、オーソドックスなスタイルを踏襲しつつ、音楽の深度を高めていくみたいな時期になっていたということも無視できないと思う。

 ともあれ、1曲目の「スノーフォール」の流れるようなオーケストレーションと精緻なコーラス・ワークの組み合わせは極上のムードはまさに絶品としかいいようがない。その意味では音楽のリッチさ成熟度は昨日のリッツの比ではない。オプティミズム全開でハッピーに演奏されることの多い「レット・イット・スノウ・レット・イット・スノウ」もシックに歌われているし、大好きな「ザ・クリマスソング」もドリーミーというよりある意味枯れたアレンジとなっている。「ハブ・ユアセルフ・ア・メリー・リトルクリマス」も同様だ。ただ、アルバム全体を通して聴くと、あまりリッチで格調高すぎ、俗っぽさに欠けるような印象もある。僕のような俗っぽい人間にはちと高級過ぎるのかもしれない。

 という訳で、昨日レビュウしたリッツのアルバムとこれをミックスすると、僕の好みとしては理想ということになるかもしれない。マントラのクリスマス・アルバムといえばアカペラ・アルバムも出しているが、こちらはもっと最近の作品であり、おそらくもっと透明感を高めた、ある意味枯れきったアルバムになっているのではないだろうか?。

 ※ ちなみにラストの「グッドナイト」はビートルズのホワイト・アルバムの掉尾を飾っていたレノンの作品。こういう曲をクリスマス・アルバムにもってくるセンスはさすがだ。仕上がりも最高である。なお、音質は緻密かつシルキーな非常に上質なもの。このアルバムはCDの方も聴いてもかなり上質な音だが、滑らかさという点では明らかにワングレード上。SACDという器はヴォーカル物でも威力を発揮するということを実感した。
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ザ・リッツ/スピリット・オブ・クリスマス

2005年12月18日 23時28分42秒 | JAZZ
 今でこそマンハッタン・トランスファーのクリスマス・アルバムは2種類も発売されているが、1980年代の後半、つまりマントラ最盛期(同時にバブル最盛期でもあった)の頃には、そんな代物は存在していなかった。当時、日の出の勢いにあったマントラはおそらくクリスマス・アルバムなど製作する余裕も意欲もなかったのだろう。しかし、マントラ流のシックでモダンなコーラスでクリスマス・ミュージックを楽しみたいと思っていたのは、多分私だけではなく、日本に沢山いたのと思う。このアルバムはそんな叶わぬ願望を8割方実現したものであった。

 このアルバムは日本のデンオンが発売元となった制作されたいわば日本発の舶来ジャズである。デンオンは当時、人気抜群だったマントラの亜流としてこのグループをアルバムをプッシュしていたように記憶しているが、初めて聴いた時ま印象はまさしく「マントラがクリスマス・アルバムが作ったらこうなるに違いない」というものだった。
 オーソドックスな4ビートでシックに迫る「Have Yourself a Merry Little Christmas」、「Christmas Song」、「Christmas Time Is Here」の3曲を核に、アカペラで静謐に歌われる「Silent Night」、機関銃のようにスピーディーにヴォーカルが繰り出しテクニカルなコーラスを楽しませる「そりすべり」「Carol of the Bells」、ポップな方向ではバカラック風な「Sprit Og Christmas」、ポールの「ワンダフル・クリスマス・タイム」など、まさにマントラ流のヴァーサタイルなジャズ・コーラスで、いろいろなクリスマス・ソングを満喫できるという趣向なのである。

 思えば、私がクリスマス・アルバム、特にジャズ方面のそれをあれこれを買い始めてたのはこのアルパムあたりが初めてだったかもしれない。私が愛好する「Have Yourself a Merry Little Christmas」、「Christmas Song」、「Christmas Time Is Here」など、何故好きなったかといえば、大元をたどればこのアルバムに行き当たるのではないかと思う。そんな訳で、個人的には想い出深いアルバムである。
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