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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

アマンダ・ブレッカー/プラジリアン・パッション

2010年08月06日 23時15分33秒 | Jobim+Bossa
 一昨年出た第2作。デビュー作ではシンガー・ソングライター的な色合いが強かったけれど、今回は母親のイリアーヌの威光にあやかったのか、ブラジル的なところも押し出し、「フェリシダージ」「おいしい水」「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」といった曲に挑戦しているし、オリジナル曲にもブラジル音楽的なテイストを随所に感じさせる仕上がりになっている。もっともプロデュースにデビッド・マシューズを筆頭に、演奏陣は前作と共通する人も多いので(ちなみに今回はゲストにイヴァン・リンスは入っているが、両親は参加していない)、ボサノバ関連の作品なども取り上げてはいても、前作からの「いくらかジャズ寄りなアメリカン・ポップ・アルバム」という感触は相変わらずだ。

 だいたい母親がブラジル人といったところで、彼女自身はほとんどアメリカで育っているのハズだから、まぁ、こうなるのも当然といえば当然だが、ホザノバ・スタンダーズを歌っても、あのブラジル特有なふわっとして物憂い雰囲気みたいなものは、まだまだ母親にはかなわないという感じがするし、これらの選曲、そしてどう考えてもアレンジは日本のプロダクション・サイドからリクエストでなされたような気配も濃厚だし、ブラジル物ならいざしらず、「枯葉」まで入っているとなると、これはいかにも日和りすぎという気がしてしまうのだ。
 そんな訳で、やはり本作でも魅力的なのは、前作と共通するちょっと土の香りがするオリジナル曲だと思う。こうした曲を例の品の良い開放感とお嬢様風な雰囲気を漂わせた風情で歌っている「Meant To Be」とか「On And On」、あとゴスペル風味を使った「Thirsty」みたいな曲はとても魅力を感じるし、客観的に見ても彼女の良さというのもやはりこちらに色濃く出ているのではないと思う。

 なお、プロデュースのデビッド・マシューズは、マンハッタン・ジャズ・クインテット時代から、日本製洋楽ジャズではお馴染みの人で、ここでも彼らしく良くも悪しくも穏健、ある意味で全方位な編曲をしているが、どうも没個性というか、何をやってもそれなりで、毒にも薬にもならない…みたいなところがあり、次の彼女のアルバムでは、もう少し方向性のはっきりさせたアレンジャー、プロデューサーに手がけさせてみたい気がする。おそらく彼女自身、内心ではもっとロック系なミュージシャンとの共演を望んでいるのではないだろうか。
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ANTONIO CARLOS JOBIM/Matita Pere

2010年08月01日 17時46分15秒 | Jobim+Bossa
 1973年のワーナー3部作の最初の作品。私はこの三部作では本作のみ聴き逃していたのだが、本日ようやく聴くことが出来た(実は昨年の夏には購入済みではあったのだが)。アレンジは当然オガーマンで、後期ジョビンらしい、ボサノバというよりはもう少しシンフォニックなスタイルのブラジル音楽といった風情の作品で、次の「Urubu」とほぼ似たようなコンセプトで作られた作品といってもいい。
 ただし、73年の制作ということもあり、その直前までやっていたCTIのイージーリスニング的な趣きもけっこう残っていて(メンバー的にもロン・カーター、リチャード・デイヴィス、アイアートなどもCTIメンツも使っていることからもそれが伝わってくる)、ジョビン自身が気持ち良さそうに歌っている比較的ポップな曲では、そうした色彩が強い。

 聴きどころとしては、やはりアルバム中間部にあたる3,4,5,6曲目あたりだろうか。ここではボーカルがフィーチャーされCTI風なくつろいだ趣きに変わって、瀟洒なオーケストラがフィーチャーされ後期らしいシンフォニックな音楽になっている。6曲目の組曲「Crônica Da Casa Assassinada」は、ひょっとするとジョビンが担当した映画のサントラ曲を抜粋して構成されているのかもしれない。10分近い大作でジョビンが意図としたであろうエスニックな世界をシンフォニックに表現し、オガーマンのオーケスレーションは時にストヴィンスキーに接近したりとかなりモダンだ。
 また、4曲目の「Tempo Do Mar」はちょっとミステリアスなアルペジオに乗って、ストリングスが極上の美の世界を繰り広げるし、ボーカルをフィーチャーした3曲目のタイトル・トラックや5曲目の「The Mantiqueira Range」はエスニックなムードとオガーマンの都会的なオーケストラ・サウンドが奇妙な対比を見せる作品になっていて、ちと一筋縄で行かないような印象もあるが聴き応えがある。

 これらの曲をサンドイッチする5曲は、前述の通りCTI的なゆったりとしたイージーリスニング調で仕上げられている。特筆すべきは冒頭に収録された「三月の水」と「「Waters of March」のオリジナル・ヴァージョンの収録だろうか。これまでジャズ系アーティストによるカバーばかりを聴いてきたが、そういえばジョビンの歌でこれを聴いたのは確か初めてだったように思う。
 また、7曲目の「Rancho Das Nuvens」と8曲目「Nuvens Douradas」はインストだが、いずれも地味ながらいかにもCTIらしい角がとれたシックで分厚いサウンドが展開されていて耳に快い。特に後者はCTIというよりはむしろ全盛期のヴァーブのサウンドを思わせる仕上がりで、聴いていて思わずアルバム「イパネマの娘」を思い出させる仕上がりになっていて絶品だ。
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Morelenbaum2 & Sakamoto/Casa

2010年07月18日 23時27分23秒 | Jobim+Bossa
 ジョビンのバックで活躍していたモレレンバウム夫妻と坂本龍一が組み、ジョビンが生前使っていたスタジオで、2001年にレコーディングしたジョビンのカバー集。さすがに「イパネマの娘」は取り上げていないものの、ジョビンの有名どころから比較的地味な作品まで満遍なく集め、パウラ・モレレンバウムのボーカル、ジャケス・モレレンバウムのチェロ(ベースではない)、坂本龍一(ピアノ)というシンプルな編成で収録されている。

 内容的には、バックにドラムやパーカスが入っておらず(実は一部入るのだが)、坂本のピアノ+J.モレレンバウムのチェロだけでシンプルかつスタティックに演奏されているため、ボサノバのリズムにほとんどこだわりを見せず、隙間だらけアンサンブルの中、淡々とジョビンの世界を歌い上げる佇まいは、ラウンジ風な軽薄さ、おしゃれさを通り過ぎて、もはやクラシック室内楽か歌曲を聴いているような格調高さがあり、もちろん坂本のピアノも非常にクラシカルである。

 坂本は1990年代の中盤あたりから生楽器によるサウンドに傾注していた時期にあたり、本作などもそれにの一環として捉えることができる作品といえないこともないだろう。本作のアレンジも随所に「1996」と共通する雰囲気が感じられる。ただし、ここではジョビンの作品、そしてモレレンバウム夫妻の得も云われぬ存在感のせいか、坂本的な体臭、アクは良い意味で隠し味となり、全体としては非常にスタティックなボサノバとして楽しめる(いささか気取りが鼻につくというムキもあると思うが…)。

 パウラ・モレレンバウムのボーカルは、しっとりとして物憂げ、そして軽やかさも不足しない…という、まさにブラジルからでしか生まれ得ないようなボーカルで、本作の大きな魅力となっている。こういうクラシカルなアレンジで歌っても素晴らしいのだから、もう少しオーソドックスなバックによる演奏だと、どんな表情を見せるか興味深いところでもある。本作に続いて次にリリースされたライブや坂本抜きの演奏というのも聴いてみたいものだ。
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ワルター・ワンダレイ/キー・カ・ルー

2009年08月17日 06時33分51秒 | Jobim+Bossa
 67年発表ヴァーブ期最後の作品。ワンダレーはこの後、他のボサ・ノヴァ系のアーティスト同様CTIに移籍して従来路線にほぼ準じた作品をリリースし続けることになる訳だけど、このヴァーブ最後の作品は、まさに67年という時代のせいか、様々な同時の時流に乗ったとおぼしき試みを行っており(単に日和っただけかもしれないが?)、中々興味深い仕上がりとなっている。そもそも、プロデュースがクリード・テイラーでなく、エズモンド・エドワーズという人なのである、ライナーによれば彼はプレステッジでオルガン・ジャズなどをプロデュースしてきた人らしいなのだが、こういう人が出てくる事態は、音楽にせよ、なんにせよ、価値観の大変動が起きていた67年という時代をよく物語っているのではないか。

 さて、アルバムは1曲目こそいつも通りともいえる「アマゾナ」で始まるものの(ジョアン・ドナートのオガーマン共演盤でもおなじみ)、2曲目はアーシーなブラス隊を交えた8ビート作品で、そのブルージーな味わいはこれまでにはなかったものである。4曲目のワンダレーの自作曲「恋はリズムにのせて」は、ワンダレーらしいボサノバ系の作品ではあるが、エレピを多用しているのは目新しさを演出しているのだろう。5曲目は当時流行っていたボブ・クリューの大ヒット曲「ミュージック・トゥ・ウォッチ・ガールズ・バイ 」はエレクトリック・ギターとエレピをフィーチャーして取り上げているし。これまた当時ヒットしていたマンシーニの「暗くなるまで待って」をいち早く取り上げているあたりも、一段落したボサ・ノヴァ・ブームの後、なんとか音楽のアップ・トゥ・デートさを保持しようと躍起になっていたのがよくわかろうものだ。

 ちなみに、残りの曲はおおよそ従来路線の曲だが、このアルバムでは前述のとおりオルガンより、むしろエレピが目立ったり、ハープ・アルバート風なブラスが聴こえてきたりして、はたまたラストの「センスオウス」あたりが特にそうだが、ジョージ・シャーリング風なユニゾンがあったりして、オルガンをフィーチャーした曲はあまり目立たないのが、本作の難点といえば難点だろうし、このアルバムのおもしろさでもあると思う。音楽的にはプロデューサーが変わったせいか、今まで書いてきたような、豊富な音楽的ヴァリエーションとともに、ワンダレーのテンションも中々高い。けっこう「穴」的なアルバムだろうが、中々の佳作である。
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タンバ・トリオ

2009年08月15日 15時39分55秒 | Jobim+Bossa
 私はボサ・ノヴァ好きといっても、ほとんどジョビンとその周辺くらいしか聴かない人なので、守備範囲は至って狭い(セルジォ・メンデスすらあまり聴いていないのだ-笑)。このタンバ・トリオを率いるルイス・エサについても一部好き者の間では、人気も評価もかなり高い人なのだが、私は彼らについてはほとんど知らないし、これといってきっちりとした音楽的なイメージももっていない。
 実は大昔、CTIから出た「2人の海」というアルバムを中古で買ってきた記憶もあり、これはたいそうな名盤らしいのだが、実はこれも初めて聴いて時は、まったくピンとこなかった。で、本作だが10年以上前のことだったと思うが、ボサ・ノヴァ関係のアルバムがまとめてCD化された時に、前述の「2人の海」と一緒に購入してきたものである、ほとんど覚えていないが、当時もこれといって記憶に残らなかったんじゃないだろうか。

 さて、改めて聴いてみると、私が「ピンとこない」理由がよく分かる。ここで聴けるタンバ・トリオの音楽は、基本的にピアノ・トリオ+フルート+コーラス隊という編成で(ブラジルにはこの手のスタイルはけっこう多そうなだが)、ジョビンあたりの「濃さ」があまりなく、ひたすら品良く、上品に仕上げていて、その感触は今でいうサロン・ミュージック的な軽さであり、この脱色感のようなものが、イマイチくいたりないではないかと思うのだ。
 また、ルイス・エサのピアノはなかなかテクニカルであり、時にオスカー・ピーターソン風だったり、クラシカルなセンスも随所にみせるあたり、オイゲン・キケロのブラジル版みたいな趣があったりするのだが、個人的にはちと饒舌すぎ、音楽主義過ぎて、ジョビンのシングル・トーンやジョアン・ドナートのトロピカルさ....といった素朴さがつい懐かしくなってしまったりする。 

 とはいえ、本日のような暑い夏の真昼に午睡すれすれな気分で聴いていると、こうした音楽の効用を発揮して(?)とても快適である。フルートの音色は清涼感溢れ、ピアノはフットワークも軽く躍動感に溢れており、コーラス隊はなにげに「オシャレ」である。前述のようにこのアルバムの音楽、基本的にはサロンミュージックなのだろうから、そういう楽しみ方をすればいいわけだ。
 ちなみにこのアルバム、1962年発表らしいから、ほとんどボサ・ノヴァ創生期の作品というのがけっこう驚き。ボサ・ノヴァというのは、ごく初期の段階からかなり広がりを見せた展開をしていたのがよくわかろう作品といえようか。
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アストラッド・ジルベルト/ルック・トゥ・ザ・レインボウ

2009年08月14日 00時01分14秒 | Jobim+Bossa
 CD初期に彼女のアルバムでベスト盤以外では、ほとんど唯一CD化されていたのがこれと記憶する。「ゲッツ/ジルベルト」で注目されて以来、彼女はソロ・アーティストとしてヴァーブに半ダースは下らない数のアルバムを残した訳だけれど、「いそしぎ」や「おいしい水」といったアルバムをさしおいて、このアルバムがいち早くCD化されたということは、それだけ定評ある作品だったというだろうか(もっとも前述の2枚はベスト盤に2枚分丸ごと収録されていたけれど)。

 さて、このアルバムの「売り」といったら、なんといってもギル・エヴァンスがアレンジを担当しているところだろう。ギル・エヴァンスといえば、マイルス共演や自らが率いるオーケストラ作品等で有名だが、そのコマーシャリズムに迎合することなく、時にシリアスといいたいほど求道的な佇まいを持ったオーケストレーションは、オガーマンとは違った意味で独特な格調高さに溢れたものだが、そのギル・エヴァンスがアトラッド・ジルベルトと共演しているということが、まずはこのアルバムの価値を高めているといえそうだ。
 もっとも、単に共演しただけでは、それほど意味があるとも思えないのだが、おそらく大方の予想を裏切って、この2人の共演は思わぬ音楽的妙味が出たといえる。エヴァンスの渋い響きのオーケストラとアストラッドの得も言われぬ柔らかみのある声が実にマッチしたのだ。彼女のヴォーカルに潜む陰影のようなものは、ポピュラー・ミュージック寄りだった「いそしぎ」でも感じられたが、ここではそれを更に一歩推し進めたスタンダードなヴォーカル・アルバムとしてそれを成立させたといったところかもしれない。

 従って、このアルバムではジョビンやカルロス・リラなどいわゆるボサ・ノヴァ・スタンダーズも沢山入っていて、エヴァンス流にやや渋くアレンジされたそれらの楽曲も悪くないが、エヴァンスという希代のアレンジャーを得て、意外と深い彼女の翳りある抒情のようなものが出たのは、やはり「おもいでの夏」「シェルブールの雨傘」の2曲だろうと思う。ちなみにボサ・ノヴァ系列の曲では1曲目の「ビリンバウ」の重厚だが色彩感溢れる編曲が出色だ。
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アントニオ・カルロス・ジョビン/ウルブ

2009年08月10日 11時24分53秒 | Jobim+Bossa
1970年代にアントニオ・カルロス・ジョビンがいったいどんな活動していたのか、例えばアルバムといったらどんなものを出していたのか、寡聞にして私はほとんど知らないのだけれど、「Terra Brasilis (1980年)」に本作、そして、こちらは未だ聴いてないが「Matita Pere (1973年)」といった作品を見る限り、クラウス・オガーマンを片腕としたコラボレーションは続いていたようだ(復活した....というべきなのかもしれないが)。ただし、CTI(=クリード・テイラー)という足枷がなくなったことやボサ・ノヴァ・ブームが過ぎさったことで、セールス的にはどうだったはわからないものの、かなり自由に音楽を作っていたことは確かなようだ。

 前述の通り本作は1973年の作品だから、クロノジカルに眺めると「Stone Flower」の次の作品ということになるが、音楽的にはかなり趣が異なる仕上がりといっていい。なにしろアルバム冒頭「ボト」は、いきなりビリンバウのソロに始まり、パーカスが絡みつつ、かなり野趣満々なエスニック雰囲気で進んでいくのだ。本編も音楽的にはボサ・ノヴァとはほとんど無縁であり、ブラジル音楽を「ビッチズ・ブリュウ」的なサウンドでもって再構築したような趣になっているし、ジョビンと女性ボーカルがユニゾンで歌うパターンは、その後の「パッサリン」などで頻出するものだから、歴史的にみれば、このあたりでジョビン後期のスタイルが確立し始めたというところなのかもしれない。もっとも、続く2曲目「リジア」、3曲目「コヘンテーザ」、4曲目「アンジェラ」はオガーマンのゆったりとしたリッチなオーケストラを従えてジョビンが気持ちよさげに歌うというごくごくスタンダードなスタイルであるが....。

 さて、本作の目玉というか、ポイントとなるのはやはり後半、アナログ盤だったらB面に収められていたインスト主体の4曲だろう。ここではオガーマンの冴えたオーケストレーションが主役になって(ドラムスやパーカスは全くといってほど出てこない)、ジャズやブラジル音楽というより、交響詩のような、いや映画音楽的かな、とにかく独特なジョビン・ワールドが開陳されている。8分にも及ぶ7曲目の「アーキテトゥーラ・ジ・モラール」など、ジョビン的なたおやかな抒情にオガーマンに怜悧でヨーロッパ的なオーケストレーションが見事に調和して素晴らしい音楽になっている。6曲目の「サウダデ・ブラジル」(これも7分を越える)も同様だ。こうしたスタイルは「テラ・ブラジリス」でも聴けるけれど、ここまでたっぷりと披露されているのはたぶんこのアルバムだけだろう。その意味でも本作はジョビンとオガーマンの貴重なコラボレーション記録だと思う。
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スタン・ゲッツ&ルイス・ボンファ/ジャズ・サンバ・アンコール

2009年08月08日 23時21分44秒 | Jobim+Bossa
スタン・ゲッツが手がけたボサ・ノヴァ・シリーズは一体何枚あるのだろう。ここ20年ほど、その手のアルバムに気がついたら購入するという感じで、音楽の性格上からいっても、あまり気張って聴くこともなかったのだが、そろそろ前後関係が分からなくなってきたので、ネットで調べてみた。きっと、他にもまだあるのかもしれないが、おおよそ下記のアルバムが主要なカタログだと思う。
 自分が購入した順番がそうだったせいもあって、ゲッツは「ジャズ・サンバ」で成功した後、すぐさまジルベルトと共演盤に行ったように思っていたが、実は「ジャズ・サンバ」のすぐ後に、ゲイリー・マクファーランドと組んだ「ビッグ・バンド・ボサ・ノヴァ」が来て、その次に「ジャズ・サンバ」の続編を謳った本作。そしていよいよ「ゲッツ/ジルベルト」の登場と相成る訳で、ジルベルトと僥倖になるまでけっこうアルバムを重ねていたことがよく分かる。

 さて、本日、封を切った「ジャズ・サンバ・アンコール」だが、タイトルを額面通り受け取るなら、本編のチャーリー・バードをルイス・ボンファにスウィッチしたインスト作品ということになるだろうが、実際聴いてみると、そういうものとはいささか毛色が違う。本作で聴けるボンファのギターはあくまでジャズ的なところに基本を置いていたバードに比べると、当たり前だがモロにブラジル風なところがあり、そのせいか、音楽全体がもっと本格的にボサ・ノヴァしているところがあると思う。どちらかといえば、後年のローリンド・アルメイダと組んだ作品の雰囲気に近いくらいだ。
 ついでにいえば、本作品はボンファの奥方だった、マリア・トレードがスキャット・ボーカルで参加していることもあって、次なる「ゲッツ/ジルベルト」の布石にもなっていることは特筆してもいいことかもしれない(もっとも録音された時期は発売順通りではないかもしれないが)。

 そんな訳で、本作はその後、二手に分かれるゲッツのボサ・ノヴァ路線のスタートとなった作品といえるが、まぁ、そんなヒストリカルな音楽的意義はともかくとして、このアルバム、ゲッツのボサ・ノヴァ作品としては、大昔からCD化されていた「ビッグ・バンド・ボサ・ノヴァ」とか「ウィズ・ローリンド・アルメイダ」より、優れた作品なのではないかと思う。まぁ、ゲッツのサックスはバックの雰囲気は変われど、たいていプレイそのものは「いつもの感じ」だから、純粋のサックスのプレイのみ....という側面だけで考えると、評価も違ってくるかもしれないが、少なくとも私はこのアルバムの雰囲気をとても気に入った。なにしろ、トロピカルな点も加えて、ジャズ的なテクニカルな点も併せ持つボンファのプレイは実に好調だし、随所に彩りを添えるマリア・トレードのボーカルが実にいいアクセントになっていて、全体としては実に素晴らしい出来になっていると思うからだ。


・Jazz Samba(1962.02)
・Big Band Bossa Nova(1962.08)
・Jazz Samba Encore(1963.02)
・Getz Gilberto(1963.03)
・With Laurindo Almeida(1963.03)
・Getz Au Go Go(1964.05)
・Getz-Gilberto #2(1964.10)
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ELIANE ELIAS / Bossa Nova Stories

2009年07月26日 23時51分56秒 | Jobim+Bossa
昨年出た目下の最新作....と書こうかと思っていたら、ピアノ・トリオ・スタイルによる「デサフィナード」という作品が先週でたそうですが、ともかく2008年の作品。日本タイトルは「私のボサノヴァ」ということからも分かるとおり、大半の曲にゴージャスなオーケストラを起用し、全編に渡ってゆったりとボサ・ノヴァを歌い上げた非常にポップなアルバム....つまり、4年前「ドリーマー」のまんま続編のような仕上がりになっています。バックを務める面々も、O.カストロ・ネヴィス(ギター)、M.ジョンソン(ベース)、P.ブラーガ(パーカス)、R.マティス(編曲)とほぼ同一といってもいいもので、これで1曲目が「イパネマの娘」で、2曲目が「ノー・モア・ブルース」ですからね。あとは推して知るべし....という感じ、「ドリーマー」よりポップなくらいです。

 まぁ、そういう内容ですから、夏物としては安心して聴ける極上の作品といえます。私など1曲目の「イパネマの娘」で、冒頭、オガーマンばりのストリングスが聴こえてきた瞬間から、「こりゃイケる」と思いましたから....。実際、ロブ・マティスによるオケのアレンジは、オガーマンに比べると、すこしばかり重心が低めで、シンフォニック過ぎるところはありますが、かなりオガーマンに迫ったところがあり、特にこの曲ではジョビンのオリジナル演奏を念頭においたオマージュみたいなアレンジと相まって、聴いていて心地良いことこの上なしといえます。5曲の「ディサフィナード」もだいたいジョビンのオリジナル・スタイルをベースにちょいとばかり早めのテンポで、クールなストリングスが絡んでいい出来。

 ちなみに、このアルバム、こうしたオケがついたゴージャスなものと、ピアノ・トリオ+アコギというシンプルなアンサンブルで収録されたものと、ほぼ交互に出てくるような構成をとっていますが、ここ数年のさまざま試みやその他で、ボーカルに対して吹っ切れた心境を物語っているのか、後者のパターンによる演奏も、基本的には10年前の「Eliane Elias Sings Jobim」あたりに比べても、声そのものが遙かに充実した表情をみせているのは、けだし聴き物でしょう。4曲目の「They Can't Take That Away from Me」など、ガーシュウィン作のスタンダードで、元はボサ・ノヴァではない作品ですが、これを見事にサロン風に粋なボサ・ノヴァに仕立てていて、こちらもなかなかのものです。

 という訳で、コンテンポラリーなサウンドを追求した彼女も悪くないですが、イリアーヌといったらピアノ・トリオか、こうした作品の方がぴったりきますね。これもこれから長いこと夏の定番として活躍しそうです。
 最後にこの作品、レーベルがブルーノートに戻っています。クレジットをみると日本名が多く、ジャケのセンスなど、まるで日本人好みの仕上がりですし、ひょっとするとサムシング・エルス・レーベル時代のように日本側の企画で進んだアルバムなのかもしれません(私は輸入盤で買いましたから、ワールドワイドで発売はされているんでしょうが....)。ビジネス的にはブルーノートに出戻った....ということになるんでしょうかね(まだ未聴ですが、前作にあたる「Something for you」もブルーノートでした)。
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ワルター・ワンダレイ/バトゥカーダ

2009年07月15日 23時54分19秒 | Jobim+Bossa
 1967年に発表されたワルター・ワンダレーのヴァーブ・レーベル第3作。ワンダレーといえば、私の認識では彼のトレードマークともいえる「サマー・サンバ」をフィーチャーした第1作のみが圧倒的に有名で、それ以降の作品となると、第2作の「シェガンサ」はもちろん、この作品なども知名度としてはけっこう低いのではないか?。私など恥ずかしながら、CDで購入するまでジャケットすら観たことのない状態であった。このアルバムなどご覧のとおり、まずはデザインだけでも、思わず目をひく仕上がりであり、一度見たらけっこう印象に焼き付きそうなものだが、こういうものに比較的アンテナの高い私にしてからジャケット写真すら覚えていないということは、きっと70年代以降、ほとんど話題にならなかったアルバムだったんだろうと思う。
 そりゃ、そうである。もう何度も書いているとおり、70年代から20年くらいだろうか、この手の音楽はやはりどうしようもなく「古くさい音楽」になってしまい、「お洒落な音楽」として復権してしたのは、音楽資源が枯渇したことが周知となった1990年代中頃くらいだったはずだからだ。

 さて、本アルバムだが、前作がトリオで固めたシンプルな作品だったとすると、本作はトリオにギター、パーカス、コーラスなどが加わって、かなり華やいだ作品になっているのが特徴か。アコスティック・ギターを弾いているのはマルコス・ヴァーリで、レヴェル、バランス的にもそんなにフィーチャーされている訳でもないが、その歯切れ良いギター加わったのせいで、ヴァーリ自身の作なる3曲目の名作「バトゥカーダ」を筆頭に、彼のギターが絡んでいる作品は正統派ボサノバに近づいた仕上がりという言い方もできるかもしれない。またコーラスをフィーチャーした6曲目「ミーニャ・サウダージ」、9曲目「ウェイブ」、11曲目「彼女はカリオカ」はその後のワンダレーの音楽を考えると、その良し悪しは別として変化の兆しを感じさせる仕上がりとなっている。
 一方、ワンダレーらしい従来路線の作品としては、冒頭から快調に飛ばす1曲目「オン・ザ・サウス・サイド・オブ・シカゴ」、その独特なオルガンの遠近感がいかにもワンダレーな2曲目「小舟」や4曲目「イッツ・ハーツ・トゥ・セイ・グッドバイ」、オルガンとピアノをバランス良く配置して、快適そのものな「イッツ・タイム・トゥ・シング」あたりが彼らしさを楽しめるところだろう。
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Joao Gilberto / Amoroso

2009年07月12日 21時34分48秒 | Jobim+Bossa
 ジョアン・ジルベルトといえば、ジョビンと並ぶボサ・ノヴァのパイオニアのひとりであり、CDになったオデオン時代の音源をまとめた「ジョアン・ジルベルトの伝説」の一枚で歴史に名を残すといってもいい巨人-というには、あまり軽妙洒脱な風情-だが、このアルバムはボサ・ノヴァ・ブームも過去の出来事となった、1977年に製作された作品である。一体、ジョアン・ジルベルトが一体何枚のアルバムを出し、その音楽がいかに変化していったのか、寡聞にして私は全く知らないのだけれど、1977年にこうしたアルバムを残したのは僥倖だと思う。ひょっとすると、当時隆盛していたAORブームにあやかって企画されたのかもしれないが、選曲、サウンド、そしてジルベルトのヴォーカル、どれをとってもボサ・ノヴァの正統をいく仕上がりになっているのだ。

 いや、ボサ・ノヴァの正統などといったら、ボーカルの他はギターとパーカスのみで製作された1973年の前作「三月の水」の方が、むしろ「ブラジル音楽から派生した音楽としてのボサ・ノヴァ」としては正統派であって、こちらはジルベルトとしては、スタン・ゲッツの共演シリーズなどとは違った意味で、アメリカンナイズされた作品というべきなのかもしれないが、それにしたって、ここで編曲を担当しているのはクラウス・オガーマンなのだ。アメリカンナイズされたとしても編曲がオガーマンであれば、その意味合いはまるで違ってこようものだ。オガーマンはジョビンのアルバムには常連だったものの、オガーマンがジルベルトと組んだアルバムはたぶんこれだけ、個人的にはこの両巨頭がコラボしたアルバムをとにもかくにも残してくれたことだけでも歴史に感謝したくなってしまうほどだが、その仕上がりがまた素晴らしいものだからたまらない。

 アルバムはガーシュウィンの「スウァンダフル」ではじまる。オガーマンがアレンジしたボサ・ノヴァ調のアレンジによる「スウァンダフル」といえば、後年ダイアナ・クラールが物のした大傑作「ルック・オブ・ラブ」を思い出すが、このアルバムを聴けばクラールのそれは、このアレンジの基本的には再現だったこと分かる。ちなみに「ベサメ・ムーチョ」もクラールの「ルック・オブ・ラブ」には収録されていたし、あまり指摘する人もいないようだが、このふたつのアルバムはなにかと共通点も多いのは、覚えておいていいかもしれない。ともあれ、「波」「十字路」「トリスチ」「白と黒のポートレイト」 といったジョビンのスタンダードも大きくフィーチャーし、全編に渡ってオガーマンのエレガントでクールなオーケストレーションでもって極上のボサ・ノヴァ・アルバムになっている。
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Antonio Carlos Jobim

2009年07月01日 23時38分39秒 | Jobim+Bossa
 このアルバム、確か1990年に購入したものなんだけど、なんともよく素性の分からないアルバムだ。1990年といえばCDが普及し始めた頃だったけど、そんな時期、坂本龍一が作ったMIDIというレーベルからリイシュー(なんだろうな、多分)出たものだった。坂本龍一を始めとするYMOの一派は、YMO時代に多少手を染めたけれど、あまり本格的に手がけなかったことのひとつに「フランス流のボサノヴァをテクノ的翻案する」みたいなことものがあったことをいろいろなところで云ったり書いたりしていたから、これなどそのルーツをリスナーに啓蒙するみたいな意味で出したのかもしれないけれど、驚くのはその収録曲だ。全28曲なのだが、前半の12曲はオガーマンとの共演による「イパネマの娘」が丸ごと収められているのだ。

 Verveレーベルに版権があるに違いないこの音源をどうして、日本の新興マイナーレーベルで、こうした形で出せるのか釈然としなかったが、アルバムの後半に収録されたいくつかの曲は、ワーナーから出した「Love, Strings and Jobim」からのものだったりしたことが判明して、ますます分からなくなってしまった。このアルバムの発売元はブラジルのエレンコというボサノバ系の老舗レーベルだが、そこから推察できるのは、おそらく米国とは別にこれらの音源の版権を所持していたということで、アメリカからブラジルからも遠く離れた、極東ニッポンではVerveとElencoというふたつのルートをたどって同一音源が2種類発売可能になったということなのかもしれない。ともあれ、若き日のジョビンのモノクロ写真がお洒落にレイアウトされたジャケのこのアルバムは、格調高い前半12曲に対し、後半はやや泥臭いいかにも「お国物」的な仕上がりの音楽で、当時はその音楽的落差にもけっこう驚いたりもしたが、今になってみればそれはそれでおもしろかったりする。

 ちなみに「イパネマの娘」と同一音源と書いたが、どうも本国から送り込まれたマスターの条件がよくなかったせいなのか、このアルバムに相当する部分の音質はどうも芳しくない。ことあるごとにリマスターされ鮮度の高い音質にリファインされいいるVerveの方との音質の差は開くばかりだが、寝ぼけたような音質で聴くオガーマンのストリングスはかえって、60年代の電蓄で音楽聴いていた頃をなんだか思い起こさせたりするし、それ故に後半との音楽的落差も多少なりとも埋めているような気がしないでもない。ともあれ、またぞろジョビンが出てきたということは、当ブログもそろそろ夏モードに突入である。
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アントニオ・カルロス・ジョビン/イパネマの娘(SHM-CD)

2008年08月01日 23時57分06秒 | Jobim+Bossa
 私の夏になると聴きたくなる定盤....というか、もはや私のエバーグリーンとなった感あるジョビンとオガーマンが組んだ「イパネマの娘」だが、今調べてみたら昨年は調度同じ日にSACD盤を、一昨年は7月1日に初めてとりあげていた。どうも毎年、夏の節目とかになると、ひんやりとして硬質なストリングスとシングルトーンでとつとつと奏でられるるピアノの絡みで仕立てられたジョビンズ・スタンダーズが無性に聴きたくなり、そのついでにこれについて何か書きたくなるというのはどうも習性が定着してまったらしい(笑)。したがって、このアルバムは当ブログへ今回で実に都合三回目の登場と相成る。

 さて、今回聴いたのは、今、話題SHM-CD盤である。SHM-CDというのは、基本的には通常のCDと全く同じフォーマットによるものだが、CD自体の素材や製法を吟味して更なる音質向上を図った....というのが売りのようで、ジャズやクラシック、ロックなどこのところ立て続けにカタログを順調に拡大中らしいので、市場でもそれなりにその音質向上が認められているのだろう。個人的にはCDの上位フォーマットとして、既にSACDやDVD-Aがある以上、今更、CDの音質が多少あがったところで、なんだかなぁ....という気持ちもあったので、あまり手を出す気もしなかったのだが。
 実際聴いてみると、確かに音質向上は認められる。しかもかつてのHDCDだのK2だの時にあったような、そうした手法自体による効果というよりは、リマスタリング時に行った音質調整(音圧を上げる、どっかの帯域を持ち上げる)に頼ったものではなく、どうやら本当にこうした手法が効果を上げていそうな気がするからおもしろい。

 音質向上の効果としては、高域が繊細になって全体に見通しがよくなっている点が顕著だと思う。SACDを聴いた後、CDを聴くとなにやら滑らかさ後退し、全体に音が窮屈な感じがしたりするものだが、そのあたりが解消された....とはいえないにしも、かなり改善されているような気もするが大きい。実際、SACDの方とも聞き比べみたいが、もちろんSACDのようなレンジ感や自然さはないとしては、SACDの音のニュアンスにけっこう近づいているように思える。そんな訳でSHM-CD盤の音はけっこうおもしろい。従来と完全互換のCDフォーマットとしてはなかなかのものかもしれない。ただ、先に書いたとおり、私は既にこの音に先にあるフォーマットを体験してしまっているので、正直いってこのくらいでは、もう驚かないというのも事実である。
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Antonio Carlos Jobim and Friends

2007年08月26日 16時32分19秒 | Jobim+Bossa
1993年、当時ヴァーブ移籍しだばかりのハンコックを中心にブラジルで行ったジョビン・トリビュート・コンサートのライブである。もちろん御大ジョビンも参加しているのだが、どちらかというヴァーブ・オール・スターによるライブみたいな雰囲気も強い。ベーシックなメンバーは、ハンコックのピアノ、ロン・カーターのベース、ハービイ・メイソンのドラム、アレックス・アクーニャのパーカス、オスカー・カストロ・ネヴィウスのアコギで、これにジョビン、シャーリー・ホーン、ジョー・ヘンダーソン、ジョン・ヘンドリックス、ゴンザロ・ルバルカ、バガル・コスタといった有名どころがのっかるという感じである。どう考えてもハンコック主導のコンサートといった雰囲気が強いが、プロデュースがカストロ・ネヴィウスだったりするところをみると、彼が仕切っていたのかもしれない。

 ともあれ演奏は、まずハンコックのソロによるメドレーに始まり、次にピアノ・トリオ+パーカスと徐々に編成を厚くしていくという、この種のコンサートでは定番のスタイルで始まる、本格的にスタートするのはシャーリー・ホーンによる「Boy from Ipanema」あたりからだろうか、彼女は2曲ほど歌っているのが、メンツからしてもあまりボサノバらしさはないものの、ジャズ的としかいいようがない貫禄と渋さで一気にコンサートの雰囲気を重厚なものしている。続いてはジョー・ヘンダーソンとゴンザロ・ルバルカバをフィーチャーした「O Grande Amor」もこのメンツだから極めてジャズ的な演奏だが(9分に及ぶ演奏でたっぷりとソロをフィーチャー)、ここではカストロ・ネヴィウスのアコギがひとりでボサノバ的な世界と表現していて、曲といいスタイルといい、ちょっと「ゲッツ/ジルベルト」的な世界になっている。

 引き続いて登場するのはジョー・ヘンドリックス、お馴染みのスキャット・ボーカルをフィーチャーして軽快にスウィングする「No More Blues」、ベーシック・メンバーにルバルカバを加えた、かなり熱いピアノ・バトルをフィーチャーした「Agua de Beber」の後は、ガル・コスタが登場して「Felicidade」「Se Todos Fossem Iguais a Voc」が一気にブラジル的、ボサノバ的な雰囲気が強くなっていたところで、御大ジョビンが登場という趣向だ。
 ジョビンを向かえて演奏されるのは4曲。スタイルは様々だが、どちらかといえばデュエットのガル・コスタの方が目立つような感じ。ラストでこれまでメンツが総出演して「イパネマの娘」、途中ハンコックが「Take The A Train」を繰り出すのは楽しい趣向で大きく盛り上がって終了。という訳で、なかなか楽しいコンサート・ライブなのだが、こういうコンサートであれば、映像で観たかったところだな。
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ゲッツ/アルメイダ

2007年08月17日 23時31分16秒 | Jobim+Bossa
 「ジャズ・サンバ」そして「ゲッツ/ジルベルト」の大成功以来、立て続けに作られたスタン・ゲッツのブラジル系ミュージシャンとのコラボ・シリーズの一枚で、ブラジル出身のジャズ・ギタリスト、ローリンド・アルメイダとの共演で、1963年作られた作品である。ローリンド・アルメイダというギタリストのことを、このアルバム以外だとLA Fourでのプレイくらいしか知らないらないのだが、なんでも40年代後半から渡米してアメリカを本拠地にして活動しているらしいから、ジョビンやジルベルトとの共演盤などとは違って、ボサノバといっても、オール・インストだし、かなりジャズ的な方言で塗りつぶされた音楽ではある。まぁ、その意味ではチャーリー・バードと作った「ジャズ・サンバ」の続編といっていいよう仕上がりだと思う。

 ただ、「ジャズ・サンバ」でのチャーリー・バードに比べると、ローリンド・アルメイダはあまり正統派ジャズ・ギターという感じではなく、スパニッシュ・ギターを基調としたトロピカルで、ややエキゾチックなプレイが特徴のようで、ある意味ジャズ的な生真面目さを隠さず、ボサノバやサンバを料理していたチャーリー・バードに比べると、ロマンティックな雰囲気といい、ある種の軽さといい、イージー・リスニング的な耳あたりの良さがある。また、アルメイダのオリジナル作品が多いというのも、きっとそのあたりの印象を倍加しているのだろう。1曲目の「若い娘」の印象的な旋律は、おそらく日本人好み哀愁路線たが、このあたりは多分作曲者アルメイダの個性なんだろう。ちなみに、演奏もノリの良いテンポとリズムをバックにゲッツが快調にブローし、中盤あたりから登場するアルメイダのギターの柔らかくやや陰りあるフレーズを当意即妙に展開するあたり、なかなかジャズ的感興があって素晴らしい。アルバムにはアップ・テンポで明るく演奏された曲も何曲かあるが、どちらかというカリプソ寄りな感じであり、個人的にはこのアルバム、前述の「若い娘」とか3曲の「冬の月」といった曲の方が印象深い。
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