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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

同期フェチ

2008年08月27日 23時50分25秒 | PC+AUDIO
 いろいろなところへ出かけていくのが主な仕事になってる私のような人間だと、スケジュール管理とかアドレス長とかのきちんとした管理はけっこう必須である。 W62Sのところでも書いたけれど、私の場合、目下これらのデータが

・職場のパソコン
・自宅のパソコン
・iPhone
・ケータイ(W62S)

の四カ所に分散している。以前はケータイ+パソコンのケータイデータ管理ソフト「MySyncSuite」で同期させていたのだけれど、せっかくiPhoneを購入したのだから、こちらにもそのデータを持っていきたいと考えて、最近、あれこれと試行錯誤しているところだ。iPhone....というかAppleにはMobile Meというサービスがあって、これを使うとこうしたデータをAppleのサーバ上に置いておき、随時パソコンのOutlookやiPhoneと同期できるようのだが、そうなるとケータイだけが置き去りになってしまう。
 そこでパソコンのOutlookとケータイのデータを同期できるMySyncPetaというソフトを先日購入してみたところ、これでなんとか同期することができた。が、MySyncPetaというデスクトップ上の仮想付箋でスケージュールを管理するソフトはどうも使い勝手よくないので、転送だけに特化したMySyncBizというのも購入してみたりしているところなんだけど、使い勝手としてはどっちもどっちという感じ。もう少しスマートにできないものだろうか....。ともあれ、もすこしあれこれやってみよう。
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カーペンターズ/雨の日と月曜日は

2008年08月22日 23時56分56秒 | ROCK-POP
 本作は「雨の日と月曜日は」という当時大ヒットした曲から始まるせいで、70年代このアルバムの邦題は「雨の日と月曜日は」であった(オリジナルのアルバム・タイトルは「Carpenters」)。その後、かの曲以上に「スーパースター」がヒットしてしまったせいか、途中からアルバム・タイトルも「スーパースター」になったような記憶があるが、当時のカーペンターズはシングル・ヒットを連打するいわゆるポップ・グルーブという受け止められ方をしていたせいで、アルバム・タイトルもシングル・ヒットが最大のキーワードとなったいた訳だ。アルバムに収録されたシングル・ヒット曲のタイトルを、オリジナル・タイトルすら無視して付けてしまうのというは、それこそビートルズの頃からあったけれど、それが横行していたのも、思えば70年代前半くらいまでだったのではないだったような気がする。彼らの作品も72年に出た第四作はうまい具合に「ア・ソング・フォー・ユー」がヒットしたせいで、このタイトルで発売されたが、次の73年の第五作では「シング」が大ヒットしてもアルバム・タイトルは「ナウ&ゼン」のままであったから、シングル・ヒットがアルバム・タイトルまで干渉してくるような、日本のお国事情もこのくらいまでだったのもかしれない。

 閑話休題、さてさて、この第三作だがご存じのとおり71年発表のカーペンターズ全盛期を飾る作品のひとつで、前述のとおり「雨の日と月曜日は」と「スーパースター」という2大ヒット曲をフィーチャーしている(ついでにいえば「ふたりの誓い」も大ヒットしたから三大というべきかもしれない)。なにしろ当時は彼らの全盛期だけあってラジオなどでいろいろな曲を聴いてはいたので、過半数の曲は私でも既知であるのだけれど、実際のところアルバムを通して聴くのはたぶんこれが初めてだ。
 アルバム冒頭が「雨の日と月曜日は」で、いきなり例のハーモニカのイントロが聴こえてくるのは個人的にはちと居心地が悪いのだが(これまでライブやベスト盤で定番になっている「スーパースター」からほとんどメドレーの如く「雨の日と月曜日は」につながっていく構成に慣れ親しんでいたので)、収録曲は粒ぞろいだ。この時期のカーペンターズは、その後の彼らのように音楽の幅があまり広くなく、バカラックやポール・ウィリアムス、レオン・ラッセルといった若年寄り風な選曲とアレンジの妙味で聴かせる作品群とナイーブなオリジナル作品のみでシンプルに構成されていて、逆にそれがカーペンターズの核となる部分のみで構成されたような潔さとすっきりとしたセンスを感じさせて素晴らしいと思う。

 それにしても、今聴くとカレン・カーペンターのボーカルは凄い。彼女はほぼリアルタイムで十分に人気、実力共に評価されてきた人だと思うけれど、三十数年を経て彼女のボーカルにあった希有なオーラのようなものが、ますますはっきりしてきたような気がする。ある種ヒューマンな温もりを感じさせる穏和な感触、深いヴィブレーションをさりげなく表現する上品さ、研ぎ澄まされたよう感覚でもって自在にコントロールする精緻な歌唱力などなど、単に「歌のうまいお姉さん」ではなくて、たとえばエラ・フィッジェラルドとかああいった歌手と並び称されていい、まさにアメリカの国宝的な希有な存在だったことがわかるのだ。例えば2曲目にリチャード・カーペンターをフィーチャーした「サムディ」という曲に続いて、カットインするように「あなたの影になりたい」というバラード作品が始まるのだが、オーバーに彼女のボーカルが始まった瞬間、あたりの空気ががらりとかわるような形容しがたい神々しいようなオーラが立ちこめるのだ。そういうの感覚は昔は感じられなくて、今だから感じれられるものだと思う。まさに時の流れを経て、本当の音楽的価値が明らかになったというところだろうか。いや、ひょっとすると昔からそんなことは自明なことで、ワタシの耳だけが鈍感なだけだったのかもしれないが....。
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BUFFALO BBR-4MG(有線ルータ)

2008年08月19日 21時53分50秒 | PC+AUDIO
 今年の夏は暑かった....と、過去形にするにはまだ早いけれど、6月下旬から一気に熱波が押し寄せたという感じで、自宅のエアコンのない部屋だと室温35度とか信じられないような日々が続いたせいか、8月から頻繁にルータ()が熱暴走するようになった。いったん電源を落とし、タオルを巻いた氷枕をのっけて冷やしてやると、なにごともなかったのように稼働するので、ごまかしごまかし使っていたのだが、本日の午後はどうも重症だったようで機能が回復するまでに数時間かかったりしたものだから、夕方近くになって近くに電機屋さんにいって一台購入してきた。これまで数年使ってきたコレガのCG-BARSW4PHGというのも一万円台前半の安物だったが、今回購入したのはもっと安物でなんと三千八百円だ(笑)。最大83.5Mbpsだから前のコレガにはちょい劣るがほぼ同性能でこの価格なのだから、ルータも安くなったものだ。

 で購入した帰り道、「あーあ、また設定が面倒くせーな」とか思っていたのだが、実際導入してみると驚くほど簡単。DHCP接続なんだからそうなるのも当然かもしれないけど、それにしたって、結線したらそのパソコンにルータに付属するアプリいれて、質問に2,3答えて、ネットワーク内にルータが見つかったらそれをダブルクリックしておしまいなんだからおそれいる。むしろ、それぞれにIP振っていた機種ごとにDHCPの自動設定に戻す方が手間かかったくらいだ(笑)。
 という訳で止まり気味だったネットもすこぶる快適。実はiPhoneなんかをいじくる関係で無線LANを近々導入する気になってきたところで、そうなると、もうすぐこのルータもお払い箱になってしまうのだが(だったら何故今導入しないんだ?)、まぁ、三千八百円だからつなぎとして使っても惜しくない....よね、よね(笑)。
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BLOOD SWEAT & TEARS / No Sweat

2008年08月16日 22時29分18秒 | ROCK-POP
 「ニュー・ブラッド」のところでも書いたとおり、私はBSTについてはあれをもって見限ってしまったので、この第6作については発表後35年を経てようやく聴いたということになる。メンツとしてはオリジナル・メンバーのスティーブ・カッツが抜け、ブラス隊の一部に変動した以外はほぼ「ニュー・ブラッド」と同様、音楽的にも基本的には前作の延長線上にあるといってもよい仕上がりだ。つまり「ややレイドバックしたポップ・ロック+クロスオーバー風味」な音楽な訳だけれど、結果にそうなったのか、意図的にそうしたのかは図りかねるものの、ともかく今回はインスト主体の曲と歌モノを明確に分け、アルバム全体に両者を満遍なく散らしているのが特徴といえる。

 冒頭の「Roller Coaster」は、当時一時的に流行したスワンプ・ミュージックなんぞという言葉を思い出すアーシーでブルージーなムードをベースにポップさを振りかけた作品だし、2曲目「Save Our Ship」や9曲目「My Old Lady」は前作の「Touch Me」の続編のようなゴスペル風味をもって作品(どちらもポール・バックマスターとデビッド・ヘンツェルという英国勢が参加しているせいで、その仕上がりは当時両者が関わっていたエルトン・ジョンあたりの雰囲気に非常に近い....というか狙っていたのだろうな)、7曲目「Back Up Against the Wall」はちょいとシカゴ風を意識したかのような正調アメリカン・ロック、逆に10曲目の「Empty Pages」はややブリティッシュ・ロック風(トラフィックの作品だからか)....といったあたりが、歌モノとしてのこのアルバムの顔だろう。

 一方、インスト重視な曲はリンク・トラック風な扱いが多いが、3曲目の「Django」は前作の「処女航海」続くスタンダード路線といったところか、なかなかいいムードでテーマを演奏したところでプイと終わってしまうのが惜しい。5曲目の「Song for John」はいかにも70年代前半、クロスオーバー寸前のジャズ的ムードをにおわせた浮遊感あふれる作品。12曲目の「Inner Crisis」も前半は同様で一層詩的で散文的なムードが強いが、後半はスリリングなギターをフィーチャーしたクロスオーバー的な展開となる。
 という訳で、アルバムに詰まった音楽の情報量はなかなかものなのだが、どうも全般に決めてに欠くという印象がないでもない。どうも歌モノとインスト作品とが、うまい具合にミックスせず、両者の美点を帳消してしまいるような感じだろうか。いや、聴き込むほどに味がある作品ではあるのだが、地味な作品であることは間違いない。発売当初、日本でも全く話題にならなかったのも納得できようものだ。
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AU Sony Ericsson / W62S

2008年08月12日 23時30分42秒 | PC+AUDIO
 iPhoneを購入した勢い(?)にのって、こちらは1年4ヶ月振りの機種変である。これまで使っていたW51Sに特段不満があった訳ではないのだが、あまりに地味なデザインが次第に味気ない感じがしてきたことと、モバイルSuica使用頻度のたまものか?両端のプラスティック部分の角の塗装がそろそろ剥がれてきてしまい、なんとなくみすぼらしくなってきたので、とりかえることにした。実は選択肢として同じソニーのW61SというCyberShotケータイも魅力を感じていたのが、店頭で持ったところ、あまり厚く重かったので、iPhoneがある以上、ケータイは最小限の機能で十分と思いこちらにした。機能的には何の新味もないが、こちらはW51S以上に薄型で黒とコバルト色で構成されたデザインもエレンガントだし、ジェラルミンの質感がリッチ.......なのが「売り」か?。

 ところで、なんだかわからないが、ケータイも料金体系がすっかりかわっていて、どれも実質的に2年縛りにしないと、機種変更でもとんでもなく値段が張るようになっている。今回の機種変更にかかったお値段は一万二千円といったところだが、料金体系というのは、複雑怪奇でさっぱりわからんなぁ。まぁ、元々わかろうという努力を私は怠る人なので、きっといつも損してる違いなのだが....(笑)。
 ついでに書いておくと、スケージュール管理をどうするか思案中である。これまではケータイのカレンダーとPC上のMySyncSuiteというアプリで同期させながらやっていたのだが、どうせならこちらもiPhone、願わくばこれまでどおりケータイでも同期させながらやるにはどうしたら良いのだろう?。PC上ではOutlookをセンターにして、MobileMeとMySyncBizを中継してケータイ端末を流し込むという方法かなぁ???。
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ブラッド・スウェット&ティアーズ/ニュー・ブラッド

2008年08月11日 23時44分10秒 | ROCK-POP
  これも実に久しぶりに取り出してきて最近よく聴いているものである。BSTが72年に発表した第5作だが、あの時期にロックを聴いていたは知ってのとおり、BST第5作目にしてこれまでない凡作....というか、某巨大掲示板群風にいうと「BST史上最大のがっかり砲」なのであった(笑)。なにしろBSTは1971年に出した4作目の後、2枚目以降のバンドの表看板だったヴォーカル(作曲でも名曲を残した)のデビッド・クレイトン・トーマスが脱退、次いでBSTの理知的なアレンジを担当していたフレッド・リプシャスとデビッド・ハリガンまでも脱退してしまったのだ。例えていうなら、ストーンズからミック・ジャガーとキース・リチャーズが抜けてしまったようなものだろう。だから、この第5作はビル・ワイマンとチャーリー・ワッツ、あとミック・テイラーが中心になって、メンツを補強して作りあげたストーンズの新作みたいなものであった。

 なにしろ音楽的な中心メンバーがいなくなったのだから、音楽的な傾向は変わるに決まっている。どうも今、聴くと本作では前作までのような「ストレートで硬質なロック・スタイルとこれまた古典的な4ビートジャズの合体」というよりは、「ややレイドバックしたポップ・ロック+クロスオーバー風味」みたいなところに、明確に舵を切っているような印象なのだが、当時はまさにこのあたりが明確なバワーダウンとある種音楽の軟弱化を感じさせて、全く受けなかった訳だ。なにしろこのアルバム、日本での発売元であるソニーは音楽誌に大きな広告をのっけ、アルバムには豪華なブックレットを付け、大プッシュして期待を煽ったアルバムだっただけに、そのがっかり砲振りは逆に日本のファンには大きく焼き付けたという感もある。かくいう私もそのクチで、あまりにコレにがっかりしたせいで、あんに大好きだったBSTが、ほとんどの興味の範囲からはずれてしまったほどだから....。
 ともあれ、BSTはこのがっかり砲の後、ブラス・ロックのトップ・バンドの座はシカゴやチェイスに明け渡し、バンド自体はその後、デビッド・クレイトン・トーマスが復帰したりして、紆余曲折をたどりつつ継続したものの、かつての人気、勢いは二度と回復することなかった(もっとも現在でもバンドは存続しているらしいが....)。

 さて、そんなこのアルバムだが、先日レビュウしたチェイス同様、久しぶりに聴いてみるとなかなかいい。当時、あれほど抵抗を感じたジェリー・フィッシャーのボーカル(この人はロック史上、もっとも損な後釜役のひとりだと思う)もすんなり聴けるし、当時、ほとんど聴くに耐えないという印象をもったゴスペル風ポップの「タッチ・ミー」とか「ソー・ロング・デキシー」なども、「いい曲だったんだね~」と感心してしまう。また、前述の「ややレイドバックしたポップ・ロック+クロスオーバー風味」という点では、「アローン」と「スノー・クイーン」がよく出来ていて、ボーカルとインスト・パートのスリリングなバランス、ボビー・コロンビーのタイトなドラミング、ジョージ・ワデニスのジャズ・ロック風なギターなど楽しめる(コロンビーのドラムといえば「スノー・クイーン」のラストのドラム・ソロは当時からカッコ良いと思っていた)。ラストはハンコックの「処女航海」だが、まさにこれなどクロスオーバーそのものな出来で、当時のロック・ファンにはあまりに早すぎたとしかいいようがない音楽になっている。
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BeatMaker

2008年08月10日 15時16分54秒 | PC+AUDIO
iPhoneにインストールするアプリケーションは、本体からでもパソコンからでもいいのだが、とにかく無料ソフトであっても、一般的には(笑)iTuneStoreから一元的にダウンロードする仕組みになってる。iTuneStoreには既にかなりの数のアプリケーションが登録されているが、さすがに発売から未だ一ヶ月くらいしかたっていないせいだろう、日本製あるいは日本にローカライズされたようなソフトはまだ少ない。それでも、iTuneStoreにあれこれタイル状に並んでいるカラフルなiPhone用のアプリは眺めているだけも、けっこう楽しいものだ。アプリケーション単体の価格は600円とか安いので、気がついてみたらいくつかも購入してしまい、けっこうな散財となっているのだが、その中でも「これは凄い」と思ったのが、この「BeatMaker」というソフトである。

 BeatMakerは、ハウス~テクノ系のリズムを作り出すアプリケーションで、サンプル音源付きのシーケンサーとでもいったらいいだろうか。パソコンだとAcidという一世を風靡したソフトがあったけど、まぁ、そういう類のものだと思えば間違いない。基本的な使い方としては、プリセットされたセットを選択して、それをあれこれ組み合わせてリズム・パターンを作り、それを繰り返したり、重ねたりして曲を作っていくというものだが、iPhoneにのっかるようなソフトだから、おもちゃみたいなもんだろうと思うとこれが大間違い。とにかくそのインターフェイスの使いやすさ、編集の柔軟性、音源のクウォリティの高さ(エフェクターの効果もかなエグイ)などなど、プロ用とまではいかないにしても、ちょっと半端じゃないクウォリティがあるのである(ただし、その分値段も2300円、アプリのサイズは100Mを軽くオーバーする)。

 私はCubaseというシーケンサーは大昔かなりいじり倒した経験はあるのだけれど、この手のオーディオ・ループ・シーケンスってのは、アシッドをちょこっとかじったくらいなので、今はもっぱらYouTubeで英語の解説みながら、手探りで使ってる程度だが、本格仕様かつメカニックなデザインの操作パネルをあれこれいじりつつ、テクノ・ビートを作っていくのはやけに楽しいし、「いやぁ、こんな簡易音楽スタジオが手のひらにのっかっちゃっていいのかよ....」などと子供のように興奮して、数時間があっという間にたってしまった。
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APPLE iPhone3G

2008年08月08日 23時51分55秒 | PC+AUDIO
 ようやくiPhoneを購入した。いやぁ、実に素晴らしい。なんか久々にAppleらしい商品に出会ったという気がする。実際にいじくってみるとわかるのだが、このキカイはケータイ+iPodでも、PDAでも、スマートフォンでもなく、まぎれもなくiPhoneという名のパソコンである。いや、もちろん、これまでもその手のコンセプトのモノは沢山あったんだろうけど、ここまでインターフェイスが洗練され、かつ必要される機能がスタイリッシュに統合された代物は、これまでほとんど例がなかったように思う。ここ数日、いじくり回した感触としては、-貧弱な語彙ではあるが-まさに「未来から来た携帯端末」としかいいようがないくらいに、これまでのPDAやケータイが色あせて感じる斬新さがあるのだ。

 フリックと呼ばれるスクロールのヴェリエーション、ピンチイン/ピンチアウトという二本の指を使った拡大縮小の操作、カバーフロービューという表示機能、iTuneとの連携のスムースさ、Appストアを使ったアプリケーションのダウンロード&インストール、メール・アカウント、Wifiの設定の簡便さなどなど、後発だから当たり前といえば当たり前かもしれないが、これまで使ってきたクリエやW-Zero3、そしてあまたのケータイにありがちなページをめくって深い階層まで降りていって、やっと出てくるのがやけに難解な設定場面....というパターンがほとんどアホらしくなるくらいに「別次元な」感じがするスマートさがある。また、MacOSX譲りのクールで近未来的な画面デザインも実にそれっぽくマッチしている。このあたりスタイリッシュさというはさすがにAppleというべきなのかもしれないが、実際これはAppleにしてから久々の場外ホームランではないか。とにかくこのくらい操作していてワクワクするアイテムもない。個人的にいえば、これは初めてOSXやiPodに触ったときの新鮮さを上回るくらいの衝撃である。

 ついでにいえば、こうした動作を裏打ちしているのが、動作の俊敏さである(もしくはそう思わせる演出)。インターネットの表示速度自体、W-Zero3に比較して比較にならないくらい高速だが、それを回転したり拡大縮小したりする時の動作も、日本のケータイにありがちなもっさり感がなく、「おぉ、素晴らしい」と連呼してしまう(バカですな)。これでiPhoneらしいアプリでも出そろってくれば、かつてMacintoshのような、ある種独自の文化圏を擁する勢力になるのではないかとすら思える。ともあれ、ここ数日、私はiPhoneに夢中だ。
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チェイス/黒い炎

2008年08月04日 23時58分15秒 | ROCK-POP
 私がロックを聴き始めたのは、1972年、つまり中学一年頃だったのだけれど、その前後の日本はいささか遅れてやってきたニュー・ロック・ブームのさなかで、洋楽というよりニュー・ロックとしかいいようがないヒット曲がラジオで沢山オンエアされていた。サンタナの「ブラック・マジック・ウーマン」、 シカゴの「クエスチョンズ67/68」 T.レックスの「メタル・グウルー」、アメリカの「名前のない馬」などなど、今でも懐かしく思い出す。そうした曲の中でひときわ印象に残ったのがチェイスの「黒い炎」だった。チェイスはBST、シカゴに続く「第三のブラスロック・バンド」としてデビューしたのだけれど、先行したふたつのバンドと似たようなブラスのフォーマットでは新味がないと思ったのか、トランペット4本という思い切った編成で勝負に出て、それが見事に図に当たりスマッシュ・ヒットになったのがこの曲なのだった。

 そのイケイケなノリで最初からハイトーンなトランペット群が豪快に鳴り響く様は新鮮そのものだったし、ほとんど下世話なほどにやみくもに突撃していくような曲調も痛快そのもので、特に後半のたたみかけるような展開からサビで一気に上りつめるようなめまぐるしい進行は、当時小六か中一くらいだって私の耳にも、「こりゃカッコよすぎる」と感じさせたものだった。おまけにラストについたジングルのようなリフがこれまた、とてつもなくカッコ良く、この曲にダメ押しのような魅力を与えていたと思う(確か当時のTV番組でこのパートを実際ジングルのように使っていた思うし、記憶によれば和田アキ子もこの曲けっこう歌っていた)。そんなあまりにカッコ良いヒットに釣られて、私はこのチェイスのデビュウ・アルバム、そしてそれに続くセカンドも購入したのだが、どうも「黒い炎」のようなカッコ良い曲にはついぞ出会えず、その頃ブラスロックとかいう余計な知識をどこかで仕入れてきた私は、チェイスよりもっと理知的で一流っぽいBSTの方に夢中になってしまってしまい、このチェイスの2枚のアルバムは早々とハンターに売り飛ばしてしまったのだった。

 ただ、「黒い炎」のカッコ良さはやはり忘れられない。数年前によーやっとソニーからこのアルバムがCD化されたと聞いて勇んで購入してきて、ほぼ30年ぶりに聴いてはみたもたものの、やはり「いいのは「黒い炎」だけ」という感じで、オレにとってはチェイスってやっぱ二流バンドなんだよなぁ....などと考えないでもなかったのだが、先日、これまで入手困難だった彼らの三枚のアルバムが2枚に収まったアメリカ盤を入手できたのを幸いに、今一度、これを聴いてみたところ、これがなかなか良かったのである。とにかく改めて聴くと、今まで見えてこなかったところが聴こえてくるというか、いろいろ発見があるのだ。

 まぁ、このあたりについて、あまり詳しく書く気はないけれど、要するにビル・チェイスはこの時点でジャズ畑のベテランだけあって、このアルバムは商売としていろいろな要素をとりこんでいたということだ。このファースト・アルバムに濃厚なジャズ・ファンク色は通俗的というよりは、むしろマイルスの「オン・ザ・コーナー」とかああいった路線と少なからずつながりが見えてくるし(マイルスといえば、アルバム冒頭は明らかに「ビッチズ・ブリュウ」のエコーだ)、子細に聴けばBST的なテクニカルさも十分研究していたところも感じられ、このアルバムは知的な産物だったことがわかって楽しくけたというところだろう。そんな訳で、発売以来35年、このアルバムをこんなに楽しめのたは、個人的には快挙である。やはり人生、待ってみるものだ(大笑)。
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マーラー 交響曲第10番(クック版)/ラトル&ボーンマス交響楽団

2008年08月03日 23時55分34秒 | マーラー+新ウィーン
私が最初に聴いたマーラーの10番のクック全曲版がこれ。確か80年代初頭の頃に発売され、ほぼラトルのデビュー盤といっていいようなアルバムだったとはずだ。当時のラトルはマーラーでいったら、カンタータ「嘆きの歌」だとか、シェーンベルクが編曲したブラームスのピアノ四重奏曲の管弦楽編曲版とかいった録音を次々に出す、ちょっとかわったイギリスの新鋭(当時まだ20代)といったところだった。この10番のクック全曲版も当時はモリスとオーマンディ、あとレヴィアンがあったくらいで、レアな珍品から一個の作品として評価されはじめた時期だったように思う。

 前にも書いたとおり、私はこの10番といえば第一楽章だけを先行した楽しんだせいか、それに続く四つの楽章はあまり魅力的に感じなかった。たとえば第一楽章が飛び抜けて魅力的な作品といったら第9番もそうだけれども、この10番の場合、第一楽章とそれ以降がどうも落差がありすぎるような気がしたのである。ともかく、スケルツォのような楽章が3つも続く構成というのがなんとなく座りが悪い気がしたし、最終楽章も第一楽章に呼応したアダージョ・フィナーレというには、ややとっちらかったような雑然としたものを感じさせて、どうも今一歩、マーラー晩年の音楽という印象が伝わってこない感じがしたのである。このラトル盤に続いて、シャイーとかザンテルリンクの指揮に演奏も聴いてみたけれど、大してイメージは変わらなかったし、演奏そのものを比較してもラトルの演奏はスリムでシャープなところが特徴だとは思ったものの、とりたてて優れたものだとも思えなかったのだ。

 さて、このところ去年に続いて、再び10番をあれこれ聴いているところで、第二楽章以降も大分なじんできたこともあり、このラトルとバーミンクガムによる演奏も、また以前とは違った印象があるのではないかと、20年ぶりくらいに聴いてみたのが、結論からいうと、やはりピンとこない。全体にスリムで清涼な感じなのはラトルらしいところなのかもしれないし、若い世代らしくこの曲にまつわる様々な文学的要素を洗い流して、古典的クラシック曲として整然と演奏しているのだろうが、全体にあっさりしすぎのような気がする。また、オケはさすがにいっぱいいっぱいな感じでもある。ともかく、全体にコレっていう売りがないという印象だ。しばらく前に彼はベルリンと同曲を再録したけれど、そっちはどうなっているのだろう?。
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酔いどれ天使(黒澤明 監督作品)

2008年08月02日 23時04分31秒 | MOVIE
 黒沢作品というのは、個人的におもしろいと思う作品とそうでない作品の落差が激しくて(生真面目で説教くさい作品と娯楽に徹した作品といいかえてもいいかもしれないが)、なかなかレパートリーが広がらないのだが(笑)、先日、長谷日出雄という人が書いた「邦画の昭和史」という本を読んで、三船の事実上の出世作であると同時に、戦争直後の闇市の風俗を描いたという点でも無性に興味が湧いたので、先ほどDVDをレンタルして観たところである。

 ストーリーは簡単にいえば結核にかかったチンピラと飲んだくれ医師の話である。若いチンピラ(三船)は鼻っ柱が強い、なにやら大きな空虚さを抱えているようであり、それを助けようとするべらんめぇの医師(志村)の絡みで進行する。途中刑務所から出てきたヤクザに兄貴分(山本礼三郎)が登場するあたりから、このちょっとデカタンなチンピラの運命は暗転し、結局最後は死に至るのだが、前編にわたってヤクザとかそういう闇勢力に対して、それを否定的するトーンが強く、そういう意味ではある説教臭いのだが(笑)、全編にわたってドラマに緊張感あり、ラストまで弛緩させず一気に見せてしまう。

 三船はまさに出世作だけあってものすごい存在感である。アプレゲール的な退廃を色濃く滲ませてつつ、ヤクザの渡世に絡め取られて自滅していく様を熱演。そのせいで、受けてたつ志村喬の「酔いどれ天使」ぶりが、完全に受けになってしまっているのもさもありなんである。ついでに書くと、久我美子が女子高生役で登場するのだが、これは三船とは対極ある存在として、映画中の清涼剤として役割として登場、今なら堀北真希みたいなイメージだった。志村の病院で居着いている過去のある女は、その後の「ニッセイのおばちゃん」中北千枝子であった。

 あっ、あと最後にラストのペンキまみれの三船と山本の格闘シーンや三船の絶命シーンはドイツ表現主義も真っ青なムードでなかなか印象的だけど、海にたどり着いた棺桶の中に自分がいたという夢のシーンとなると、あまりに直輸入という感じがしないでもない。あと、興味津々だった闇市のシーンだが、全体に妙に明るく、思っていたほどカオスでも暗いものでもなく、自分が子供にまだまだ残っていたドヤ街などとそうかわるものでもなかったのは意外(なんて花売ってるんだもんな、もう普通マーケットじゃん-笑)。まぁ、監督が黒澤だし、制作が東宝なのだからこうなってるだけかもしれないけれど....。
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アントニオ・カルロス・ジョビン/イパネマの娘(SHM-CD)

2008年08月01日 23時57分06秒 | Jobim+Bossa
 私の夏になると聴きたくなる定盤....というか、もはや私のエバーグリーンとなった感あるジョビンとオガーマンが組んだ「イパネマの娘」だが、今調べてみたら昨年は調度同じ日にSACD盤を、一昨年は7月1日に初めてとりあげていた。どうも毎年、夏の節目とかになると、ひんやりとして硬質なストリングスとシングルトーンでとつとつと奏でられるるピアノの絡みで仕立てられたジョビンズ・スタンダーズが無性に聴きたくなり、そのついでにこれについて何か書きたくなるというのはどうも習性が定着してまったらしい(笑)。したがって、このアルバムは当ブログへ今回で実に都合三回目の登場と相成る。

 さて、今回聴いたのは、今、話題SHM-CD盤である。SHM-CDというのは、基本的には通常のCDと全く同じフォーマットによるものだが、CD自体の素材や製法を吟味して更なる音質向上を図った....というのが売りのようで、ジャズやクラシック、ロックなどこのところ立て続けにカタログを順調に拡大中らしいので、市場でもそれなりにその音質向上が認められているのだろう。個人的にはCDの上位フォーマットとして、既にSACDやDVD-Aがある以上、今更、CDの音質が多少あがったところで、なんだかなぁ....という気持ちもあったので、あまり手を出す気もしなかったのだが。
 実際聴いてみると、確かに音質向上は認められる。しかもかつてのHDCDだのK2だの時にあったような、そうした手法自体による効果というよりは、リマスタリング時に行った音質調整(音圧を上げる、どっかの帯域を持ち上げる)に頼ったものではなく、どうやら本当にこうした手法が効果を上げていそうな気がするからおもしろい。

 音質向上の効果としては、高域が繊細になって全体に見通しがよくなっている点が顕著だと思う。SACDを聴いた後、CDを聴くとなにやら滑らかさ後退し、全体に音が窮屈な感じがしたりするものだが、そのあたりが解消された....とはいえないにしも、かなり改善されているような気もするが大きい。実際、SACDの方とも聞き比べみたいが、もちろんSACDのようなレンジ感や自然さはないとしては、SACDの音のニュアンスにけっこう近づいているように思える。そんな訳でSHM-CD盤の音はけっこうおもしろい。従来と完全互換のCDフォーマットとしてはなかなかのものかもしれない。ただ、先に書いたとおり、私は既にこの音に先にあるフォーマットを体験してしまっているので、正直いってこのくらいでは、もう驚かないというのも事実である。
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